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駈落(かけおち)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-6 9:12:10  点击:  切换到繁體中文

底本: 佐左木俊郎選集
出版社: 英宝社
初版発行日: 1984(昭和59)年4月14日

 

   一

 朝日は既に東の山を離れ、胡粉こふんの色に木立を掃いたもやも、次第に淡く、小川の上をかすめたものなどは、もうくに消えかけていた。
 菊枝は、うまやに投げ込む雑草を、いつもの倍も背負って帰って来た。重かった。荷縄になわは、肩にただれるような痛さで喰い込んだ。腰はひりひりと痛かった。すねはりでも刺されるようであったし、こむらは筋金でもはいっているようだった。顔は真赤まっかに充血して、ひたいや鼻や頬や、襟首からは、汗がぽたぽたとしたたり落ちた。
「ああ、重かったちゃ。俺あ!」
 こう言って菊枝は、その雑草と一緒に、馬小屋の前に仰向きに身体からだを投げ出した。ほつれ下がった髪が、ぺったり顔にくっついていた。
「ああ、暑々あつあつ。」
 菊枝は身体を投げ出したまま、背負っている草の上に、ぐったりとなって、荷縄になわも解かずに、向こう鉢巻きにしていた手拭いを取って顔や襟首の汗を拭った。
 婆さんが、裏の畑から、味噌汁の中に入れる茄子なすをもいで、馬小屋の前に出て来た。春からの僂麻質斯リュウマチスで、左には松葉杖をついていた。
「おう、おう、重かったべさ。二人めえもあっちゃ。」
 あお白いしわだらけの顔に、婆さんは、鷹揚おうような微笑を浮かべて、よろこびの表情を示した。
おれあ、ほんとに腰骨折れっかと思った。まなぐさ、汗はえっし……」
「うむ重かったさ。――それにしても、よくこんなに刈れだで。」
「なあに、あの……」と菊枝は、語尾を濁した。
 実際、菊枝は、こんなに多くの草を刈って帰って来たことは無かった。いつも彼女の刈って来る量は、一回投げ込むだけのものであった。だから、ひるに投げ込むのと、夕方のとは、彼女の爺さんが、一日がかりで刈ることになっていた。併し、今朝は、彼女は不思議にも、いつもの二倍も刈って帰って来た。
「これならばばさん、今朝は、半分やっていがんべ?」と彼女は、濁しかけた言葉を巧みに言いえた。
「いいども、じんつあんはあ、なんぼか悦ぶべ。」
「ああ、暑かった。」
 菊枝は、もう一度こう言って、まだ赤くなっているその顔を、手で拭きながら、婆さんと一緒に馬小屋の前をはなれた。
つめてえ、井戸水でつら洗って。もうおまんまはあ出来でっし、おつけも、この茄子せえ入れればいいのだから、早く食ってはあ。――片岡さ行ぐのに遅ぐなんべ。」
 婆さんはそう言い捨てて、茄子を洗いに井戸端へ行った。

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