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山際が手記の中で佐文との恋愛をのべている言葉と、佐文が二人の愛情を告白している言葉とは、面白い対照をなしている。
「左文に逢ったのもトラブルが起きたのも偶然だったと思える様な気がします。しかし斯ういうことは変に小説めくのですが、確かに僕と彼女は何か宿命的な因縁と云おうか、始めて逢った時でも他人のような気がしなかったのです。そうして僕と彼女は幾何学的数(?)に発展していったのです」
彼は恋人佐文の字をまちがえている。つまり彼は「宿命的」な女に対して、手紙を書くようなことが一度もなかったに相違ない。彼がひどく神秘的なのに対して、佐文の告白はひどくリアルでハッキリしている。
「山際さんとは上京して数日くらいしてから階段や朝手紙を一階の宿直室まで受取りに行くときよく出会い知っていましたが、七月の終りごろだったか、ちょうどお休みの日、私が用事があって銀座に出ようと水道橋まで来ましたところ、後から追っかけて来られ、ちょッと話があると横道に呼ばれ、実は君と初めてあった時から君のことが忘れられない、君の気持をきかせてくれ、と迫られました。前々から山際さんは憎からず思っていましたのでつい「私もよ」と答えてしまい、その日は一しょに銀座へでて夜おそくまで遊びました」
それから二ヶ月交際ののち、
「今でも決して忘れませんが、去る十日の夜、私は山際さんから迫られて処女をささげました。このことは私は決して後悔してはおりません」
この二人の告白を対照すると、佐文は落着いているが、山際はヨタモノの柄になくとりみだしている。もっとも、事、恋愛に於てはヨタモノに限って却って神秘主義者になり、その感傷にひたりたがるムキがないでもない。しかし二ツの告白からうける感じは、佐文が大人であり、山際はそれにくらべて、よほどオッチョコチョイでもあるし無邪気でもある。
二人の告白が、たった一ヶ所ピッタリ一致している事がある。そしてそれがこの事件の中心的なものを暗示しているのである。
山際の手記。
「犯行のプランはそこで大体決まったのです。つまり今簡単に家出をするといっても、現実的な見方で見ると、たとえ二人が共かせぎしても、ちょッと生活の安定は保つ自信はなし、そうかと云って時は切迫している。若し僕が犯罪を犯すことになれば多くの人を裏切り、しかも始めから犯罪者は僕だということが判り切っていると、その時の僕の心の悶え、苦しみ、女と自分の立場の板ばさみ、理性的になればなるほど、心の中は苦しく現在彼女の苦境は所詮僕の罪であると考えがきまると、どうすればよいか判らなくなりました。所詮人間として僕が弱かったのです。愛情の生かし方に難点があったのです」
犯罪に至る原因の一つとして「現実的な見方で見ると、たとえ二人が共かせぎしても、ちょッと生活の安定は保つ自信はない」と言っているのが、今日的である。
たしかに今日は物価に比してマトモな給料が安すぎる。しかし、一人分の給料でも食えないわけではない。配給物なら食えるのである。しかし、今日的な考えでは、単に食って生きて行くだけでは、「安定した生活」ではないのだ。山際の考えでは、共かせぎしても、生活の安定に自信がない、のである。
これを佐文の告白を見るとハッキリしたことが分ってくる。
「父は月に一定のお小遣しかくれず、使いすぎたからといって請求しても、全然とりあってくれませんでした。こうした父と少しでも離れたい気持、この二つの点から、私は就職口を探しました」
一定の小遣しかくれず、使いすぎて請求してもとりあってくれない父と離れて、自分のお金がもうけたかったという。この請求という言い方が面白い。使いすぎた金を請求することの当然なのを信じているようである。
この態度は、恋人に対しても、同断であることを示してもいる。彼女は恋人や、情夫や、良人に、「請求」するであろう。そして請求に応じない恋人や情夫や良人は、その資格がないという結論に当然なる筈である。
佐文の告白をよむと、山際がその手記に於て「二人共かせぎでも生活の安定は信じられない」といっていることが、彼にとっては実に悲痛な現実であるということがよく分る。佐文を満足させるには共かせぎぐらいではダメなのである。それを、しかし、自分の罪と見ている山際は、やっぱり一貫して、ナンセンスで無邪気な男だろうと私は思う。
さて、私は結論として、冒頭の一句にかえろう。
「恋をするにもゲル」
人生に夢をいだき、ロマンチストとして、ウェルテルの如く恋をしようとしても、現実はせちがらく金銭万能で、恋をするにもゲルがなければダメ、というような、思いもよらないハメに追いやられてしまうという。
彼は佐文を宿命の女と見、かぎりない愛情をもっていつくしんでいるようだから、彼女を恋するにゲルが必要だということを呪っているわけではないだろう。自分の場合と切り放して世間一般の風潮として論じているつもりかも知れない。
しかし彼は気がつかなくとも、恋をするにゲルが必要だという性格は、佐文の負うている宿命のような気が私にはする。彼女は身持がかたく、山際に処女をささげただけであるというが、しかし、その問題とは別に、恋よりも金、恋よりも華美な生活、そういう思想を身をもって帯びているのが佐文のように思われるが、いかがなものか。ゲルのためにはイヤな四十男の言うこともきく、山際は佐文に於てではなく、女一般として、それを悲しく肯定しているようだが、佐文の宿命を感じているせいではないかと、私はなんとなく彼が哀れに思われ、又、おかしくて仕様がないような気持にもなるのである。そして恋よりもゲルという佐文の性格も、悪党の性格ではなく、女の悲しく愛すべき性格ではないかと私は思う。
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