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勝負師(しょうぶし)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-5 10:14:49  点击:  切换到繁體中文


 と、云つた。なんとなく板につかない。そのくせ本人の真剣さは分る。中学生がお金持ちになつて、大人なみのことをやらうと力んでゐるやうな恰好であつた。
 話が翌々日の対局にふれた。
 私は第一回戦に木村がボケて自滅した新聞記事を読んで以来、この名人戦に興味を失つてゐたから、
「木村があゝボケちやア、見物にでかけるハリアヒもないよ」
 と云ふと、実に、その時であつた。塚田升田の態度が同時に改まつた。そして、二人が、まつたく、異口同音であつた。
「イヤ、今度の三局目はさうぢやなかつた」
 升田は坐り直して、名人戦一席の浪花節でも語るやうにギロリと目をむいて、唸るやうにあとを続けた。
「第三局は驚くべき闘志だつた。負けて駒を投じてからも、闘志満々、あとの二局を見てゐろ、といふ凄い気魄がこもつてゐた。今までの木村ぢやない。驚くべき気魄だ」
「今までの木村ぢやない」
 と塚田が和した。驚くほどキッパリした言ひ方であつた。
 それは私に色々の思ひを与へた。まつたく、異口同音であつた。しかも、二人の態度が同時に改まつて、私の言葉をきびしく否定したのである。反射的に、そゝつかしいほどセッカチに物を言ふ升田と、感情を表はすことのない塚田の二人が、この時に限つて、まつたく同じ一人のやうな物の言ひ方をした。木村の闘志、この次を見ろといふ凄味のある気魄、今までの木村ではないといふ実感が、歴然と頭にしみ、木村の鬼のやうなマッカな顔が彷彿とした。
 塚田までが、反射的に、態度を改めて云ふからには、よほどのことであらう。それにひきかへ、塚田の方は、翌々日の対局をひかへて、これでいゝのだらうかと私は思つた。女をかこつてみたいなどゝ、変に真剣味のこもつた云ひ方をするところに、塚田の不安定な気持がこもつてゐることなどが、私の頭によみがへつてきた。
 木村が名人位を失つたころのオゴリたかぶつた様とアベコベである。私は塚田が第四局に負けるだらうと思つた。然し、勝つかも知れない。けれども、もしも第四局を失つたら、第五局は必ず負けると思つた。なぜなら、木村が名人位を失ふ時に漠然と「時代」を感じて敗北の予感に怖れたよりも、もつとノッピキならぬ切実さで、塚田は追ひつめられるに違ひないから。なぜなら、十年不敗の木村が塚田の実力を怖れたよりも、今日の塚田は十年不敗の木村の実力を知つてをり、その木村が闘志と気魄で第五局目の彼を威圧するに相違ないからである。モミヂの二階では、まだ闘志を感じてゐるだけで怖れずに済んでゐるが、四局を失つたあとの五局目では、ノッピキならぬ恐怖の対象となつて彼の前を立ちふさぐに相違ない。
「第五局があると思つちやいかん。あとはないものと思つて、第四局で勝負をつけな、いかん」
 と升田が塚田をいましめて云つた。ほんとかな、と私は思つた。親友は、ほんとに、さう思つてゐるのかな。空々しかつた。
 第四局は果して木村が勝つた。私はさつそく文藝春秋社へ出向いて、第五局を見物して書きたいから、毎日新聞社へ許可をもとめて欲しいと頼んだ。
 まもなく、こんな噂が伝はつてきた。升田が人に云つてゐると云ふのである。オレは塚田とは親友だが、今度は親友が負けて、木村が名人位を奪還するだらう、と。彼には分る筈である。升田は人間の勝負心理については、文士のやうに正確に知つてゐる。私がモミヂの二階で感じたよりも、もつと深く、彼は親友の敗北について感じてゐたかも知れない。

          ★

 第五局は、皇居内の済寧館で行はれるといふ思ひもよらぬことゝなり、大手門を通過する為の胸につける造花などが届けられて、私は慌てた。私はネクタイをもたないから、先づネクタイの心配から始めなければならない。どうも礼儀は苦手であるから、心細い思ひをしたものだ。
 自動車で乗りつけなくちやア悪からうと、東京駅からタクシーに乗つたが、滑りだして一分間ぐらゐ、ハイ、大手門です、と降された時にはテレました。門衛が五六名ゐて、当日参観者の名簿に照し合はせて通過を許してくれる。
 皇居内と云つても大手門をくゞつて、とッつきに在るのが済寧館で、誰でも行けるパレスコートがもッと奥手にあるやうである。私の到着が九時四十五分。対局開始の十時に十五分前であつた。
 下駄箱の並んでゐる玄関があつて、小学校のやうである。すぐ道場へ行つてみると、なんとも広い道場である。柳生の道場が十八間四面といふのは講談本でオナジミであつたが、こゝは矩形の道場で、玉座を中に、剣道と柔道に二分され、柔道の方は四囲に板の間を残してチョボ/\と畳がしかれてゐる。その畳が百三十五畳あつたやうだ。道場全部を通算すれば、どれぐらゐの広さになるのだか、キャッチボールはおろかなこと、子供は野球ができるのである。
 畳敷きの上の玉座寄りに緋モーセンを敷き、三方を四枚の屏風でかこつて、八畳ぐらゐの対局場ができてゐる。ボンサイだの木彫などの飾り物がおいてあるが、こんな物でも運んでこなければ殺風景で困つたらう。一見して、どうしてもハラキリの場といふ舞台面である。それ以外の何物でもない。事実に於て、どちらか一人がハラキリをするやうなものであるから、まことにどうもインサンである。
 道場の壁板には段級名の名札がかけてある。皇宮警察といふやうな、お巡りさんの道場なのだらう。広さは広いが、安普請であつた。皇居内の建造物といふので、国宝級の重々しい建物を考へてゐた参観者には、案外なものであつた。
 柔道の畳だからバネが仕掛けてあるのである。そのせゐで、畳の上を人が一人歩いても、対局場がブルブルふるへる。どんなに静かに歩いてもブルブルふるへるのである。私は始め、十何間に二十何間といふ柱なしの建物の上に、安普請のせゐで、トラックが通るたびに揺れるのだらうと思つてゐた。
「今はいゝけど、夜になつたら、畳の上を歩く時に注意してもらはなくつちやア」
 と、木村は対局前にひどく気に病んでゐたが、私にはその意味がのみこめなかつた。対局前の道場は参会の人と各社の写真班で人だかりが出来て右往左往してゐるから、畳の上を歩くために揺れるのだといふことが分らない。
 ところが木村は、対局の前日、毎日新聞を訪ね、済寧館の下見をしてゐたのである。ここにも木村のこの一戦に賭けた心構へが見られるのである。十年不敗の名人位についてゐたころの、東奔西走、夜汽車にゆられて寝不足で対局場へ駈けつけたころの彼ではない。二年間の名人位失格は彼に多くの教訓を与へたのだ。彼はもう根柢的に謙虚であつたし、一局の勝負に心魂をさゝげつくす勝負師であつた。対局前日に対局場の下見をして、人が畳の上を歩くたびに畳敷きの全体がブルブルふるへることも知つてゐたし、恐らく皇居といふと勝手が違つて、門衛だの、どつちへ行つたらいゝのやら、対局当日にはじめて出かけたのでは色々と慌てゝ取り乱すこともあるかも知れない。さういふ心配が起るのは当然で、一介の見物人にすぎない私ですら、対局場へ辿りつくまでは異様な気持であつた。
 私自身のさういふ不安に思ひ合はせても、木村が対局前日に下見をしたといふ心構えには、彼の万全の用意が見られるのである。対局二日前に、湯河原ならぬモミヂの二階で酔つてゐた塚田と比べて、これらの心構えの相違はハッキリ勝負にでゝくるはづだ。塚田のあれは第四局目であり、第五局目ではなかつたけれども、もう遅い。あそこでまいた種がここで芽をだすのであり、すべてこれらの心構へといふものは、一朝一夕のものではない。十年不敗の木村は十年間にまいた種の累積の上で、宿命的につぶれたのであり、塚田はこの二年間の心構えのアゲクとして、遂にこの第五局へ持ちこんでしまつたのである。
 私が対局場へ行つて、二三分ブラブラしてゐると、塚田木村両対局者が対局場へ現れた。塚田は例の無口、無愛想で、知人がゐても挨拶する気もないらしく、木村は知つた顔に挨拶して、私にも、御カゲンがお悪かつたさうで、いかゞですか、などゝ云つたが、ソワソワして、どことなく落付きがなかつた。
 定刻十分前に二人はもう盤に向つて坐る。カメラに入れるためだ。十組にあまるカメラマンが前後左右からフラッシュをたく。駒を持つて下さい、とカメラマンが先番の木村にたのむ。
「今、駒を持つちやア、こまるよ。その手をやらなくちやア、いけなくなるからね」
 と、木村は困つた笑ひ。まア、いゝや、ぢやア、かう、駒を持ち上げた手ぶりをしよう、と、駒をとつて、盤の上へ手をふりあげた形をつくる。
 私も、西村楽天、大山八段などゝ盤側にならんで、うつされる。
「ぢやア、カメラの方は十二時の休憩まで、ひきとつて下さい」
 定刻がきたのである。盤側にのこつたのは、記録係のほかに、倉島竹二郎君と私、そのほか二人ほど居るだけ。あたりは静かになつたが、フラッシュの閃光と、入乱れる跫音あしおとが八方を駈けくるつた慌しさは、それから十分すぎた後も、私の気持すらも落付かせようとはしない。すでに、十時、そのまゝ対局は始つたけれども、まことにケヂメがつかない。
 木村一分考へて二六歩、塚田すぐ八四歩、二五歩、八五歩。ここまできて、五手めに、木村の長考がはじまつた。
 対局といへば、しよッちゆうタバコをふかしてゐるやうなものだが、十分すぎても、どちらも、まだタバコをとりださない。先づ木村がタバコをとりだす。つられたやうに塚田もタバコをとりだす。木村、キョーソクにもたれる。塚田の顔はマッカである。日やけかしらと私は思つたが、塚田は酒をひッかけたらしいぜ、と誰かゞ云つた。あるひは、さうかも知れない。万全の用意をつくして対局場の下見までした木村ですら、なんとなくソワソワと落付きがない。塚田には追はれる不安があるし、心構えの累積からきた圧迫感があるはづだ。それをハグラカスために、あるひは酒といふ窮余の手を用ひたことも、有り得ないことではないのである。
「ほんとに飲んだの?」
 と、私がきいたら、その人は慌てゝ、
「いえ、さう思つたゞけです」
 と、言葉を濁した。彼はその日の世話係の一人であつた。
 五手目が木村七六歩。ここに、三十三分使つた。たつた八時間の持時間に、いつも終盤時間ぎれで苦しむ木村が、こんなところで三十三分も考へるのは、をかしい。彼は心の平静をとりもどすために、三十三分を浪費したのだらうと私は思つた。木村はギッチョらしい。左手で駒の曲つてゐるのを直してみたり、酔つ払ひのやうにグッタリとキョーソクにもたれて四十度ぐらゐも傾いてボンヤリ天井をむいてタバコをふかしてゐる。落付かう、落付かう、と努力してゐるのだらう。そして実際に、この三十三分のムダ使ひによつて、その後の彼は一手ごとに延び延びと落付いてきた。今まで見た彼の対局のうちで、この日ほど彼の心が平静だつたのを私は見たことがない。
 三二金、七七角、三四歩、七八銀、七七角成、仝銀、二二銀、四八銀、三三銀、七八金、六二銀、六八王、六四歩、四六歩、七四歩、四七銀、
 ここまではノータイム。塚田はじめて、三分考へた。袴の中へ両手をつッこんでキチンと上体を直立させてゐる。はじめから終盤のやうに神経質である。徹夜で指しきる将棋は夜が更けて終盤近くなると、対局者は充血してマッカになり、コメカミに静脈が曲りくねつて盛りあがるものだ。木村も塚田もさうである。木村が名人位を失つた二年前の対局では、その盛りあがつて曲りくねつた二人の静脈が、今も私の目にしみてゐるのである。ところが、この対局の塚田は、盤に坐つたはじめから、すでに終盤のやうに神経質で、充血し、コメカミに静脈がもりあがつてゐたのだ。彼の心はコチコチかたまつて、なんの余裕もないやうに見えた。
 六三銀(三分)、三六歩、四二王、一六歩。
 そのとき塚田便所へ立つ。倉島君が顔を上げて、えゝと、便所はねえ、それから立上つて、案内に立つた。私も便所がどこにあるのか知らないが、よつぽど遠いところに在るのだらう。
 塚田が便所から戻つてくると、木村が記録係に、オ茶、とさゝやいた。記録係の方へ、グッと上体をねぢりよせて、さゝやいたのである。その隣席の私には聴きとれない小声であつた。読みふける塚田を思ひやつてのことであらう。木村がこんな配慮をするのも、私は今まで見たことがなかつた。記録係が戻つてくると、毎日新聞のオバサンが礼儀正しく、畳敷きの外側の板の間だけをグルッと一周してオ茶を捧げて持つてくる。畳の上を歩くと地震のやうにゆれるから、これも木村の注意によるのかも知れない。私は対局場の揺れるのが畳をふむためだといふことを、まだその時はさとらなかつた。そして、皇居内ともなれば、万事小笠原流に、しとやかなものだと感心してゐたのである。そのうちに、見物人も私一人となつて、対局者が便所へ立つたりすると、きはめて静かに歩いてゐるのに、全体がブルブルふるへるのである。なるほど、木村はちやんと調べてゐたのだな、と、その時になつて分つたのである。
 塚田二十分考へて、五二金。そして咳ばらひをする。木村タバコをくはへ、左手でマッチをする。やつぱりギッチョである。然し、駒台は右の方においてあり、駒を動かすのも右手である。タバコをくはへて、フラリと便所へ立つた。
 木村十八分考へて、一五歩。パチリと叩きつけた。終盤になり、顔面朱をそゝいで静脈がもりあがるころになると、両々自然にパチリと叩きつけるやうになる。時には、パチリと叩きつけ、もう一度はさみあげでパチリと叩き直す。塚田も木村も次第にさうなるのである。然し、パチリと叩きつけたこの日の第一回目は、これが始まり。
 塚田五四銀、五六銀、とノータイム。ちよッと考へて四四歩。
 木村十一分考へて、極めて慎重な手つきで、五八金、パチリとやる。合計木村六十三分。

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