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安吾巷談(あんごこうだん)03 野坂中尉と中西伍長

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-5 9:44:07  点击:  切换到繁體中文

底本: 坂口安吾全集 08
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1998(平成10)年9月20日
入力に使用: 1998(平成10)年9月20日初版第1刷
校正に使用: 1998(平成10)年9月20日初版第1刷


底本の親本: 文藝春秋 第二八巻第三号
初版発行日: 1950(昭和25)年3月1日

 

一人の部隊長があって、作戦を立て、号令をかけていた。ところが、この部隊長は、小隊長、中尉ぐらいのところで、これが日本共産党というものであった。その上にコミンフォルムという大部隊長がいて、中尉の作戦を批判して叱りつけたから、中尉は驚いて、ちょっと弁解しかけてみたが、三日もたつと全面的に降参して、大部隊長にあやまってしまったのである。
 これは新日本イソップ物語というようなものの一節には適している。この教訓としては小隊長の上には大隊長がいるし、その又上に何隊長がいるか分らん。軍人生活は味気ないものだ、という感傷的な受けとり方もあるだろうし、ライオンだって鉄砲に射たれるぞ、という素朴な受けとり方もあろう。各人各様、いろいろと教訓のある中で、教訓をうけつけないのが、当事者、つまり日本共産党だけ。これはイソップ物語というものの暗示する悲しい宿命だ。
 私はあらゆる思想を弾圧すべからず、と考えていた。現に、そう考えているのである。無政府主義だろうと、共産主義だろうと、自由に流行させるにかぎる。なぜなら、それを選び、批判し、審判するのは、国民の自由だからである。
 ところが、現在の日本共産党は、そういうわけにいかない。
 徳田中尉、野坂中尉という指導者が上にあって、だいぶ下の下になるが、除名された中西伍長という参議院議員など、さらに末端の兵卒に至るまで順序よく配列されているわけだ。
 中西伍長が綿々と述べたてるところによると(週刊朝日一月二十九日号)党中央というものを党員が批判することができない。批判すると、反動だということになる。たまたま中西伍長が独自の見解をのべて、それを党中央のオエラ方に批判してもらおうと思ったら、徳田中尉はカンカン怒って、伍長が二三分喋り得たのに対し、中尉は二三十分喋りまくって吹きとばしてしまったそうだ。又、野坂中尉は白い目をギラリと光らせて一睨みくれただけであったが、それは、若造め、生意気云うな、という意味らしかった由である。
 中西伍長の独自の見解は、オエラ方にきいてもらえないばかりでなく、アカハタも前衛も彼の論文をボイコットして載せなくなったので、やむをえず党外の雑誌へ発表すると、反動通信網とケッタクした、というレッテルをはられてしまった。
 以上は中西伍長の一方的な打明け話であるから、そのまま信用するわけにはいかない。
 けれども、党中央というものを党員が批判することができないことは、中西伍長の打明け話をきかなくともハッキリしている。かりに批判ができたにしても、そんな批判が何のタシにもならないことがハッキリしているのである。
 なぜなら、本当に党中央を批判し審判しうるのはコミンフォルムだからだ。もしくは、その又奥の大元帥だけだからだ。
 日本共産党がどんなに巧妙な言辞を弄して、自分はコミンフォルムに隷属しているワケではないなどと国民を説得しようと計画したところで、どうにもならない。
 一喝にあうや、負け犬のように尻ッポを垂れて、降参したではないか。下部の批判に白い目をむく者のみのもつ上部に対する弱さ、無力をバクロしているだけだ。自己主張はどこにもない。そして言い方が面白い。自己批判した結果、コミンフォルムの批判が正しいことを知った、とくる。すでに自己批判の上、清算していた、とくる。
 結局、日本共産党というものは、コミンフォルムの批判をうけると、ただちに自己批判して、降参せざるを得ないのである。独自の見解を主張すれば、彼らが中西伍長を除名したように、今度は自分がコミンフォルムから除名されるだけのことだ。あげくの果は、武力侵略の好餌となるだけだ。
 日本共産党は、民族独立とか、植民地化を防げ、などゝ唄っているが、コミンフォルムの一喝にシッポを垂れるものに、民族独立があるものではない。彼らの性格はハッキリしている。コミンフォルムの植民地だ。
 この植民地には自主がない。国民は選ぶことも、批判することも、審判することもできないのである。党中央に対してコミンフォルムの批判と命令が絶対であるように、国民は党中央にたゞ服従する以外には手段がない。
 共産党はマルクス・レーニン主義が絶対であり、他の主義思想を許さない。現に日本共産党はその議会主義的な傾向を批判され、シッポを垂れているのだ。
 国民が自分の思想を自由に選び、政党を批判し、審判することを許さぬような暴力的な主義というものは、自由人と共存しうるものではない。我々の軍部がそうであったように、彼らもファッシズムであり、配給はあるが、自由は許さない。批判も許されない。
 共産党ぐらい矛盾したことを平然と述べたてる偽善者はいないだろう。彼らは人間の解放だとか個人の自由を説いているのだから笑わせる。日本共産党自体が、コミンフォルムに対して、すでに自己の自由を失っているのではないか。独自の見解を立てれば、マルクス・レーニン主義の原則によって批判され、除名され、アゲクは、武力的に原則に従わしめられるのがオチだ。私が彼らを軍人になぞらえたのは至当だろう。軍人も、命令を批判することは許されない。それがマチガイと知っても、服従の義務あるのみであった。
 ソビエットは知性の低い国だ。それはナホトカから帰還してくる人々への彼らの教育の仕方を見れば一目瞭然だ。
 私は、しかし、まるで敵前上陸するような憎悪をもって祖国へ帰還する人々を罵ろうとは思わない。彼らは悲運であっただけだ。
 彼らは元々平和な庶民として育った人で、戦争などが好きな筈はなかったろうが、農村や工場や学校から否応なしに戦野へかりだされて、国民儀礼だの、服従、忠誠などを、ビンタの伴奏で仕込まれた人たちだろう。
 国民儀礼の代りにインターナショナルの合唱を、天皇の代りにスターリンを、皇祖や中興の祖の代りにマルクス・レーニンをすり替えただけで、このすり替えは簡単だった筈だ。その素地は、日本の軍部がつくってくれたのである。
 すくなくとも、軍人指導下の日本よりも、ソビエトの方がマシなのは明かだろう。働く者には給与がある。それは軍部指導下の日本も同じことで、かえって人手が足りなくて困ったほどだが、戦備に多忙なソビエトに人手が欲しいのは当然だ。
 盆踊りに毛の生えたような踊りや、農村でも見ることのできる映画館や、その程度のものにも彼らが日本以上の文化を感じたのは自然であろう。
 彼らが反動を吊しあげるのも、根は日本の軍部が仕込んだ業だ。
 私は先日、今日出海の「私は比島の浮浪者だった」を読んで、彼のなめた辛酸の大きさに痛ましい思いをさせられたが、彼がようやく比島を脱出して台湾へ辿りつき、新聞記者団に比島敗戦の惨状を告げたら、敗戦思想だと云ってブン殴られたそうである。自分の見、又、自ら経験した真実を語ってもいけないのだ。しかも、殴ったのは、新聞記者だ。私も同じような経験をした。私は日映というところの嘱託をしていたが、そこの人たちは、軍人よりも好戦的で、八紘一宇はっこういちう的だとしか思われなかった。ところが、敗戦と同時に、サッと共産党的に塗り変ったハシリの一つがこの会社だから、笑わせるのである。
 今日出海を殴った新聞記者も、案外、今ごろは共産党かも知れないが、それはそれでいいだろうと私は思う。我々庶民が時流に動くのは自然で、いつまでも八紘一宇の方がどうかしている。
 八紘一宇というバカげた神話にくらべれば、マルクス・レーニン主義がズッと理にかなっているのは当然で、こういう素朴な転向の素地も軍部がつくっておいたようなものだ。シベリヤで、八紘一宇のバカ話から、マルクス・レーニン主義へすり替った彼らは、むしろ素直だと云っていゝだろう。
 こういう素朴な人たちにくらべれば、牢舎で今も国民儀礼をやっているという大官連は滑稽千万であるし、将校連がマルクス・レーニン主義に白い目をむけ、スターリンへの感謝を拒んで英雄的に帰還するのも、見上げたフルマイだとは思われない。
 彼らは戦争中は特権階級で、国民や兵隊の犠牲に於て、下部の批判を絶した世界で、傲然と服従を要求し、飽食し、自由を享楽していた。こういう特権階級から見て、シベリヤの生活が不自由であり、不服であるのは当然でもある。彼らが敗戦の責任を感ぜずに、毅然たる捕虜の態度を保つことによって、国威を宣揚していると考えているとしたら、呆れた話である。敗戦というこの事実に混乱しない将校がいたら、人間ではなくて、木偶でくだ。まだ優越を夢みているとしたら、阿呆である。
 私は八紘一宇をマルクス・レーニンにすり替えて祖国へ敵前上陸する人々に対しては、腹を立てる気持になれない。
 イヤらしいと思うのは、そんな教育の仕方をするソビエトの知性の低さであり、好戦的な暴力主義である。日本の軍部が占領地で八紘一宇を押しつけたと同じ知性の低さである。
 どんな思想も、どんな政党も発生にまかせ、国民がそれを自由に批判し、選び、審判さえできれば、国家が不健全になるはずはない。しかし、国民の批判や審判を拒否する政党というものの存在をゆるしたら、もうオシマイだ。

          ★

 ナホトカ組の敵前上陸や、コミンフォルムの批判と対抗するように、天皇一家が新聞雑誌の主役になりだしてきたのは慶賀すべきことではない。
 将来何になりたいか、という質問に「私は天皇になる」と答えたという皇太子は、その教育者の貧困さが思いやられて哀れである。これはナホトカ組が祖国への敵前上陸を教育されているのとを一にする絶対主義の教育であり、神がかりの教育でもある。教育された皇太子の罪ではない。この敗戦にこりもせず、まだこんな教育をする連中の度しがたい知性の低さが問題だ。
 日本の今日の悲劇は、いわば天皇制のもたらした罪であるが、しかし、天皇制には罪があっても、天皇には罪がない。天皇制は彼が選んだものではなく、ただそのような偶像に教育されただけであった。
 しかし、彼はともかく無条件降伏の断を下した。ちんの身はどのようになろうとも、と彼は叫んでいるではないか。そこに溢れている善意は尊い。天皇ほどではないにしても、偶像的に育てられた旧家の子供はたくさんいる。しかし、たとえ我が身はどうなろうとも、という善意をもって没落のシメククリをつけうる善良な人間がタクサンいるとは思われない。
 恐らくヒロヒト天皇という偶像が、天皇の名に於て自分の意志を通したのは、この時が一度であったかも知れないが、これをもっと早い時期に主張するだけの決断と勇気があれば、彼は善良な人間であると同時に、さらに聡明な、と附け加えうる人間であったであろう。
 彼は人間を宣言したし、その側近のバカモノが性こりもなく造りだした天皇服という珍な制服も、近ごろは着ることがないようである。しかしながら、津々浦々を大行列でねり歩いているところなどは性こりもない話で、これを迎える群集も狂気の沙汰だ。
 こういう国民の狂気の沙汰は、国民も内省すべきであるが、しかし、それ以上に天皇自身が内省しなくてはならない。天皇の名に於て、数百万の人々が戦歿しているではないか。彼が偶像に仕立てられた狂気の沙汰が、それをもたらしたのである。
 降伏に当って大いなる善意を示し、人間を宣言した彼は、まずかかる国民の狂気の沙汰を悲しみ、抵抗するところから出発するのが当然だ。
「私は天皇になる」などゝ、敗戦の悲劇もさとらず、身の毛のよだつようなことを云う皇太子に、拙かりし過去のわが身、天皇の虚名を考えて、誰よりも多く身の毛をよだててくれるのが、父親たる天皇自身でなければならないだろう。
 巷間伝うるところによれば、天皇は聡明であり、軍部に対しても、釘をさしたというが、最後の断を除いては、釘をさした効果らしいものは全然見当らないではないか。去年だかの旅行先で、どこかの社長が社の理想を長々と述べたに対して、どうぞ、その通りにやって下さい、と答えたそうだが、その程度の有りふれたアイロニイは劣等生でも言えることだ。
 現に側近のバカモノが戦前に劣らぬ偶像崇拝的お祭り騒ぎにとりかかり、彼がそれに殆ど抵抗を示していないところを見れば、彼の聡明さや軍部への抵抗は、側近のつくりごとで、彼は善良な人間ではあるが、聡明の人ではないと判断してもよかろうと思う。
 再び、集団的な国民発狂が近づいているのである。一方にナホトカから祖国へ敵前上陸する集団発狂者があり、コミンフォルムの批判にシッポを垂れて色を失う集団発狂者がある。この集団発狂は、彼の力では、どうにもならない。
 しかし一方に、彼を再び偶像に仕立てて、国民儀礼や八紘一宇の再生産にのりだしそうな集団発狂が津々浦々に発生しかけているのである。この集団発狂は、彼個人の意志によって、未然に防ぎうる性質のものだ。すべて病気の治療というものは、初期のうちに行わなければ手おくれとなる。日本の都会があらかた焼野原になり、原子バクダンが落されてからでは、その善意は尊重すべきであるにしても、手おくれの難はまぬがれない。今のうちなら右翼ファッショの再興を、彼個人の意志によって防ぎうるのだ。彼がよりつつましく人間になりきることによって。それを為しとげる気配もないから、彼は明かに聡明ではない。むしろ側近の計るがままに、かかる危険を助成している有様であるから、なさけない。忠勇な国民を多く殺して、自分のからだが張りさける思いである、という、あの文章は人が作ってくれたものであるにしても、あれを読み、あれを叫んだ時の彼の涙は、彼の本心であり、善意そのものであったはずだ。彼はすでに、それを忘れたのであろうか。
 私は祖国を愛していた。だから、祖国の敗戦を見るのは切なかったが、しかし、祖国が敗れずに軍部の勢威がつづき、国民儀礼や八紘一宇に縛られては、これ又、やりきれるものではない。私はこの戦争の最後の戦場で、たぶん死ぬだろうと覚悟をきめていたから、諦めのよい弥次馬であり、徹底的な戦争見物人にすぎなかったが、正直なところ、日本が負けて軍人と、国民儀礼と、八紘一宇が消えてなくなる方が、拙者の死んだあとの日本は、かえって良くなると信じていました。もっと正直に云えば、日本の軍人に勝たれては助からないと思っていました。国民儀礼と八紘一宇が世界を征服するなんて、そんな茶番が実現されては、人間そのものが助からない。私の中の人間が、八紘一宇や国民儀礼の蒙昧、狂信、無礼に対して、憤るのは自然であったろう。

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