齋藤茂吉全集 第三十九卷 |
岩波書店 |
1955(昭和30)年1月15日 |
1955(昭和30)年1月15日第1刷 |
1955(昭和30)年1月15日第1刷 |
歌人【本名】折口信夫【閲歴】明治二十年二月十一日、大阪市浪速區鴎町一丁目に生れた。三十八年、天王寺中學卒業。少年の頃より讀書癖があり、三十四年以來「文庫」(別項)の短歌欄に投稿し、服部躬治の撰を經た。三十八年國學院大學部豫科に入學。四十三年に根岸派の短歌會に莅む。ついで大正六年から十二年まで雜誌「アララギ」(別項)の同人として、作歌及び評論を發表し、雜誌「日光」の出づるやその同人となつた。歌集に、「海やまのあひだ」(大正十四年、改造社)「春のことぶれ」(昭和五年、梓書房)がある。歌人としての外、國學院大學・慶應義塾大學に教鞭を執り、國文學・民俗學に造詣が深く、數多の論文がある。歌集の外に、「口譯萬葉集」「萬葉集辭典」「隱岐本新古今和歌集」「古代研究民俗學篇」「古代研究國文學篇」等その他があり、雜誌「土俗と傳説」「民俗學」等の編輯主任としても活躍してゐる。昭和七年春、文學博士の學位を授けられた。『明治三十五年、中學生の禁欲生活を目的とする琴聲會と言ふに入り、次第に深入りして、卒業の年迄、一人此氣分を守り遂げる。後年の犬儒生活は此に基くらしい云々』と、迢空自身の記述にある如く、彼は未だ獨身である。
【歌風】歌風は服部躬治より出でて、後、正岡子規系統に移つたのであるから、同じ新派でも、むしろ萬葉派と看做すべきものである。ただ彼は國文學者であると同時に、民俗學者であるから、歌風も自らその色彩を帶び、人情の機微、人事の複雜を詠ずるを以て得意としてゐる。「昭和職人歌合」の如きは、その特色の一端を示すものであり、又同じ萬葉派でも「古今」「新古今」をも取入れ、複雜な一家の歌調を成してゐる。これ彼が赤彦・千樫・憲吉等以外に、一領域を有してゐる所以である。
【參考】海やまのあひだ附録(自傳)
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