日本の名随筆10 山 |
作品社 |
1983(昭和58)年6月25日 |
1998(平成10)年8月10日第26刷 |
小島烏水全集 第七巻 |
大修館書店 |
1979(昭和46)年11月 |
雨で閉じこめられた、赤沢小舎の一夜が明ける。前の日、常念岳から二の股を下りて、私たちの一行より早く、この小舎に着いていられた冠君は、今朝も早く仕度を済まされ、「お先へ」と言って、人夫どもを連れて出て行かれる、「若い衆天幕取れやい」と嘉門次の号令がかかる、天幕を組み立てた糸がスルスルと手繰られて、雫のポタポタする重い油紙が、跪まずくように岩盤の上に折り重なる、飯を炊いだあとの煙が、赤樺の梢を絡んで、心臓形に尖った滑らかな青葉を舐めて、空へって行く、その消えぎえの烟の中から、人夫が一人ずつ、荷をしょっては、ひょッくり、あらわれる、嘉門次の愛犬「コゾー」もこの登山隊の一員として交っている。
嘉門次が一行の案内を務めるのは、言うまでもない、雨でグッショリ濡れた青草や、仆れている朽木からは、人の嗅覚をそそるような古い匂いがして、噎びそうだ、足が早いので、一丁も先になった嘉門次は、私を振り返って「他所の人足は使いづらくて困る」とブツブツ言いながら、赤石の河原に出た。
見上げる限り、花崗の岩壁が聳えて、その壁には白い卓子懸けのような雪が、幾反も垂れている、若緑の樺の木は、岩壁の麓から胸まで、擦り切れるようになった枝を張りつめて、その間から白雪が、細い斑を引いている、この川は小舎のうしろへ流れ落ちるのだそうだ、水から飛び上った鶺鴒が、こっちを見ていたが、人が近づいたので、ついと飛ぶ、大石の上には水で描いた小さな足痕が、紋形をして、うす日に光っている。
馬場平(宛字)というところへ来ると、南北の両側に、雪が築き上げられたように多くて、高さは一丈もあろう、それが表面は泥で帆木綿のように黒くなっているが、その鍵裂きの穴からは、雪の生地が梨の肌のように白く、下は解けて水になっている、その水の流れて行くところは、雪の小さい峡間を開いて、ちょろちょろと音をさせている。
右の方を仰ぐと、赤沢岳が無器用な円頂閣のように、幅びろく突ッ立って、その花崗岩の赤く禿げた截断面が、銅の薬鑵のような色をして、冷めたく荒い空気に煤ぶっている。
雪は次第に厚く、幅が闊く、辷りもするので、人の鳶口に扶けられて上った、雪のおもては旋風にでも穿り返された跡らしく、亀甲形の斑紋が、おのずと出来ている、その下には雪解の蒼白い水が、澄みわたって、雪の崖から転げ落ちたらしい大石に、突き当って二派に分れ、呟きながら走って行く、大きな削り板のような雪が、継ぎ目から二ツに截り放されたようになって、平行に裂けて口を明けているのもある。
顧れば峡間から東方の霞沢岳連峰の木山には、どす玄い雨雲が、甘藍の大葉を巻いたように冠ぶさって、その尖端が常念一帯の脈まで、包んで来ている、雪の峡流は碧い石や黄な石をひたして、水嵩も多くなって、樺青く雪白い間を走って行くのが、遙かに瞰下されて、先は森林の底に没している。
雪のおもてには枝の折片が刺されていたり、泥土が流れていたりして、いかにもうす汚ない、白馬岳の雪の美しいことは、こんなものでは無いと、高頭君がしきりに説明してくれる。
谷が狭くなって、崖側を行くと、緩いながらも雪の傾斜で辷るから、ミヤマナナカマドの枝を捉えながら上る、前にも増した雪の断裂で、草鞋に踏み蹂った雪片は、山桜の葩弁のように、白く光ってあたりに飛び散る。
奥赤沢の切れ込みへ来ると、雪は庖刀を入れたように并行に断裂して、その切截面の高さは、およそ二丈もあろう、右へ除け左へ避けて、思わずも雪の薄氷の上を行くと、パリパリと氷柱が折れるような音がするので、足下を見ると、大きな穴があって、その穴の蓋の雪が、七八寸の厚さしかない、金剛杖で敲くと、パリッと音がして、崩れ落ちる、穴の下では溶解した水が、渦を巻いている。
前面には阜のような山が二つ、小隆起をしている、赤沢岳頂上の三角点も、大空を指さしている、谷は次第に高くなる、高くなると共に蹙まって来て、雪の蜿ねり方も、波のように烈しいが、嘉門次の語るところに依ると、雪の下は大小の石塊ばかりで、雪解けがしたら、却って歩きづらくて堪まらないということだ。その雪には花崗の※爛[#「雨/毎」、104-17]した砂が黄粉のようになって、幾筋となくこぼれている、色が桃紅なので、水晶のような氷の脈にも、血管が通っているようだ、雪の断裂面は山から吹き下す風のためであろう、何か巨大な爪で掻きったような、掌大な痕を印している。
高山植物も、未だ芽組んだばかりというところで、樺の青味を除けば、谷一面、褐色と白色とに支配せられている、谷は莟んでいる故か、思ったより暖かなので、中岳と仮に名をつけた小隆起を屏風にして、小休みをする、赤沢岳は三十度以上の傾斜をして、岩石の赤い筋と雪の白い斑とが、燃えるような、沈むような光り方をしている、あとから重そうに荷を担いで来る人夫も追いついて、一と塊になって休む。
上り初めると蝶ヶ岳が見える、この山もそれに続く熊村岳(宛字)も、谷から渦まきる飛沫のような霧に、次第に包まれて来る、足許には白花石楠花や、白山一華の白いのが、うす明るく砂の上に映っている。
偃松も徐々と、根を張り始めた。
この傾斜を上り切って、ひょいと顔を出すと、槍ヶ岳の大身の槍尖が、すいと穂を立てている、そうして白い雪が、涎懸けのように半月形をして、その根元の頸を巻いている。雪の下からは蒼黯い偃松が、杉菜ほどに小さく見えて、黄花石楠花は、白花石楠花に交って、その間にちらほらしている、一団の霧が槍へ吹っ懸けて、白い烟をパッと立てるので、一時は姿を没したが、又穂先だけ鋭く突き出す。
この辺で高頭君は、歩度測量計を失くしてしまい、私たち一同人夫と共に、附近の偃松を捜索したが、見当らずにしまった(後にこの歩度メートルは、登山家某君に発見せられて、上高地温泉宿に委托せられ、無事に持主の手に戻った)。今来た路の方を振り向くと、峡間の底から、大霧は雪を包んで乱舞を始めている、それは噴火口の底から、硫烟が幾筋も縺れ合い、こんぐらかって、騰上するようである。
岩石の大崩れがあって、左の方に石を囲んだ坊主小舎がある、小舎の中は未だ雪が多くて、泊まることは出来そうもない、鍋が一枚蔵してあった、冠君は既に槍ヶ岳登りを終られて、雪を辷り落ちるようにして、下りて来られた、二言三言話を交えて、さっさと下りて行かれる。
ここから見ると、赤沢岳の鞍状の凹みの間から、常念岳が出たが、頂上は雲で見えなかった、昨夜の野営で一日分の食糧が減ったので、人夫の一人を解放して、下山させた。
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