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日本山岳景の特色(にほんさんがくけいのとくしょく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-5 9:00:20  点击:  切换到繁體中文


 まことに火山ぐらい、神経のとがって、感受性の鋭敏なものは、無機物ことに固体の中では、見出されまいかとおもう、たとえば物に感触しやすい人々の皮膚の下に、青白い筋が立ったり、顔色がすぐ変ったりするように、火山の皮膚も、柔かい砂や、灰や、こいしが、ざわついているため、水の流れたあとも、雪のすべった筋道も、鮮やかな美しい線条や斑紋を織り成す、富士の八百九沢に見らるる大日沢であるとか、桜沢であるとかいうのは、みんな流水や、墜雪の浸蝕した痕跡であるが、あの御殿場口から登り初めると、宝永山の火山礫を冠った二箇の砂山が、山腹から約百尺も顔をもちあげて、裾を南へ引いているのを見るであろう、あれは二ツ塚という二子式の火山で、しかも側火山(学者によっては、寄生火山という言葉を用いているが、寄生植物のように、別種のものが、他種の本体にりかかっているのでないから、これを寄生というのは、いかがかと思う)であるが、この二ツ塚などには、山から吹きおろす風の斑紋までが、分明に黒砂に描き出されている。火山の中はべてが「大きな単純」であるから、注意して観察すれば、風の描いた紋も解るのである、もっともこういう現象は、火山とのみ限られることではないが、火山のような柔らかい印象を受けやすい皮膚であればこそ、それを劃然と、鮮明に残しているのである。
 以上は、火山を、それ自ら単独のものとして、観察したのであるが、このような能動的な、積極的な、神経が尖って、触覚が鋭敏な火山が、日本アルプスの大山系に潜ぐり込み、そこから赤裸になっておどり出したところに、いかばかり特色のある山岳景を作り出したか、私は次にこれを言って見たいのである。

 日本北アルプスの中、槍ヶ岳山脈へ登山する根拠地として、年々の夏は、多数の人が入浴がてら、くところは、信州神河内(上高地)温泉である、ここは石英斑岩だの、花崗岩だのという堅硬な火成岩の大塊が、山岳としては、壮年期ともいうべき、最も成熟し切った発達を遂げている、これらの大岩壁は、日本本州の脊髄骨ともなり、または日本本州という大館を支える鉄骨ともなって、海抜一万尺前後の標高を示して谷地(河内という称呼はおのずから谷地を暗示している)の四周に、あるいは尖塔ピンネークルとなり、あるいは円頂塔ドームとなって、むらがり立っているが、神河内は、その大山峻立の底に、落ち窪んでいる平坦地という以外に、森と水の美しさを有している、その※(「靜」の「爭」に代えて「定」、第4水準2-91-94)りょくてん色の水と、青々とした森の美しさは、この河内が、かつて湖水であったという事実を、四囲の地形と共に、暗示しているばかりか、その湖水の成因は、火山の活動に帰せられているのである。
 ここには日本アルプス中、唯一の活火山硫黄岳(御嶽火山脈に属し、乗鞍岳の尾根つづきに当る)があって、硫黄岳(別名焼岳)の一峰、白谷火山は、梓川の断層地に、割谷火山は、花崗岩と秩父古生層の接触線に沿うて、いずれも噴出を始め、硫黄岳と共に、この乱峰の間を回転する流水の行き途に立ちふさがり、流水を停滞させて、随分と深い湖水を作ったらしく、その湖水を作る以前は、飛騨の高原川(越中に入って神通川)と連続して、谿水が北流していたのではあるまいかという想像が、或地質学者によって、れられてある。
 しかるに前述のように、硫黄岳火山彙かざんいの噴起で、閉塞されて大湖水となったが、湖水それ自らの浸蝕によって、後に一方を欠開し、今日見られるように高原川(神通川)とは別な、梓川(越後に入って信濃川)となり、硫黄岳は今日では、両川分水嶺の一座になっているが、湖底が乾いて洲となり、河原となり、残丘となって、今の神河内を作った後までも、硫黄岳火山は、間断なくこの高原に作用をして、火山の泥流は更に水をき止めて、神苑のような田代池などいう後成的の湖水を作って、殊に秋ともなれば、湖畔の草を、さやさやと靡かせ、金の如き水楊のわくら葉を振り乱して、かもが幾十羽となく、むらがって魚を喰べに来るというほどの、静かな谷になって、青々とした森林は、肥沃な新火山岩の分解した土が、その根をつちかっている、今日神河内温泉宿の二階で、浴衣がけの人たちが、足を投げ出しながら、穂高岳や霞沢岳の大岩壁を仰いで、食物のまずいのだけを、傷にするような安楽を言えるのは、火山の作った敷石やたたきのあるおかげであることを、忘れてはならぬ。
 ひとり神河内ばかりではない、日本アルプスを欧洲アルプスと比較すると、我に氷河のないのを物足らなく思うものの、火山は或意味と或方面とにおいて、日本アルプスのために氷河の欠乏を補うだけの、働きをしてくれているのである、瑞土スイスアルプスなどは、殊に氷河の造った山湖に富んでいるが、日本アルプスでは、御嶽の五個の池や、乗鞍岳の大池と丹生池や、立山のミドリヶ池およびミクリヶ池など、いずれも火山の産物で、標高においては、遥かに欧洲アルプスの、湖水を凌いでいる、たとい湖の面積深度は、浅小でも、止水の明浄なことにおいては、彼にっている、殊に槍ヶ岳山脈の北翼、鷲羽わしば岳の南腹にある鷲の池などは、大花崗岩塊のかたわらに生じた噴火口に、水が溜まって湖になっているので、今でも湖岸に黒げのした熔岩ラヴァの塊が、珊瑚礁における、珊瑚片のように散乱している、これらは他の大山脈に多く見られない現象で、日本アルプス山岳景の特色と言っても、大した差支さしつかえはなかろうかと思われる。
 欧洲アルプスに有って、日本アルプスにないものは、石灰岩質の大山嶺である、石灰岩が、地下の伏流や、地上から滲透する水などのために、含有している炭酸を溶解され、内部から同地質の岩石を分解して、内部は広く外部は狭い洞窟などを作っていることは、秩父山地などに、最も多く見られるところであるが、日本アルプス地方では、梓川に近い白骨しらほね温泉に「ついとおし」という石橋だの、「鬼ヶ城」という鍾乳洞を見ることが出来るが、そんな小技巧は、山岳景に重きを加えるほどのものではないとして、石灰岩質の大山岳は、日本アルプスには見ることが到底出来ない、随って欧洲アルプスなどで最も純粋の紫や、孔雀くじゃくの羽のような濃厚深秘な妖色ようしょくを示すことのある、伊太利イタリードロマイト(白雲岩)に比べ得べき秀麗な山岳は絶えて見られないのであるが、幸いに御嶽や、乗鞍岳や、また日本アルプスの区域以外ではあるが、加賀白山のような秀麗な火山があるので、ちょうど欧洲アルプスでは瑞土の粗剛(Swiss Ruggedness)に、伊太利の典雅(Italian Grace)とが、程よく配合されて、壮大な山岳景を作っているように、日本アルプスでは、花崗岩や石英斑岩のような、堅硬で兀々ごつごつした火成岩塊に、火山岩の柔和な曲線や、斉整せる輪廓を配合して、ここに世にも稀なる線と色彩のシムフ※(小書き片仮名ホ、1-6-87)ニイを奏でている。
 そうして火山岩と火成岩とが、日本北アルプスに交錯して、噴出したり迸発ほうはつしたりした結果、北アルプスの山形は、槍ヶ岳や鹿島鎗ヶ岳(ただし鹿島鎗ヶ岳は観方にもよるが)のような、孤剣空を削るような、尖鋭な峻峰もあるが、概して花崗岩は塊状を呈し、火山は円錐形に盛りあがるものであるから、山岳は穹窿ドーム形の高塔を築き上げて、人類の起工した大伽藍の荘厳を憶い起させる、穂高岳、霞沢岳、笠ヶ岳、蓮華岳、常念岳、大天井岳、剣岳などは、いずれも肩幅がひろ胛肉こうじゅう隆々として勃起している、山形分類を行えば、先ず穹窿ドーム形の部に入るべきであろう。
 しかも北から南までを通じての日本アルプスを、統御する威厳と運命とを備えているものは、畢竟ひっきょうするに日本山岳の欽仰きんぎょうすべき大徳の女王、富士山で、高さにおいては言うまでもないこと、その秀麗の山貌と、優美の色彩と、典雅の儀容とにおいて、群山から超絶している、むしろ統御の別席をしつらえるために、ことさらにアルプス大山系を回避して、太平洋岸に独歩特立して、一段と超越した高御座たかみくらを築き上げたかのように見える、日本アルプス大山系の地質構造史において、富士帯の大火山線が、重要なる関係を有しているように、山岳景においてもまたそうである、そうであらねばならぬのである、誰か偉大なる富士山を除外するような僭越と非礼と亡状を敢えてして、日本山岳論の特色を論ずることが出来よう。





底本:「山岳紀行文集 日本アルプス」岩波文庫、岩波書店
   1992(平成4)年7月16日第1版発行
   1994(平成6)年5月16日第5刷発行
底本の親本:「小島烏水全集」全14巻、大修館書店(1979年9月~1987年9月)
入力:大野晋
校正:地田尚
1999年9月20日公開
2005年12月10日修正
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