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日本山岳景の特色(にほんさんがくけいのとくしょく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-5 9:00:20  点击:  切换到繁體中文

底本: 山岳紀行文集 日本アルプス
出版社: 岩波文庫、岩波書店
初版発行日: 1992(平成4)年7月16日
入力に使用: 1994(平成6)年5月16日第5刷


底本の親本: 小島烏水全集 全14巻
出版社: 大修館書店
初版発行日: 1979年9月~1987年9月

 

私たちが学生旅行をした時代には、日本の名山と言えば、殆んど火山に限られたように思われていた、富士山にさえ登り得らるれば、あとはみんな、それよりも低く、浅く、小さい山であるから、造作はないぐらいに考えていた、そのころ、今日でいう日本アルプス系の大山嶺で、私が名を知っていたものは、立山御嶽などいう火山の外には、木曾の駒ヶ岳(大部分黒雲母花崗岩より成る)ぐらいなものであった、いま憶い出しても笑わずにはいられないのは、その時代、ある地理書の山岳高度表で、富士山の次に、白峰だの赤石山だのという、よほど高そうな山の名を見て何処どこにある山岳だか、一向見当がつかない、学校の教員も友人も、誰も知っていたものはなかった。
 私は讃岐さぬきの産れで、国には崇徳上皇の御陵のある白峰という阜陵ふりょうがある、上田秋成の『雨月物語』や、露伴氏の作として、かなり評判のあった『二日物語』は、この白峰に取材がしてあるが、まさか、あの白峰じゃあなかろうと、真面目になって考えこんだものである。
 志賀重昂氏の『日本風景論』を読みふけるようになった時分は、山の名ぐらいは、おかげで少し知って来たが、この本は、火山岩や火成岩の山岳ばかりを書いて、水成岩のそれを、全部省略してあるため、白峰や赤石山については、やはり何も知るところがなかった、もっとも同書の「花崗岩の山岳」という章に、「日本の山岳中、火山岩に次ぎ、高邁こうまいなるは花崗岩に属し(秩父岩より組成せる甲斐の白根山系を除く)」とあるのを読んで、甲斐に白根なんていう山があるかしらんと思った、この白根と白峰とは、同一山で赤石山系中の最高点を占めていることは、今日は多少山岳地理に注意するぐらいの人は、誰でも知っている、これは私と同時代同年輩の人たちが、古来著名の火山以外、山岳についての知識は、至って貧弱で、これほどまでに迂闊うかつであったという一例として、挙げて置くのである。
 しかし今日では、日本アルプス大山系も、南は赤石白峰連嶺、中央は木曾山脈、北は濃飛高原からかけて、飛騨山脈に至るまで、参謀本部の陸地測量部員や、日本山岳会会員によって、縦走せられて、前人未踏などいう聖地も、処女の森林も、先ず絶無になり、参謀本部の五万分一図も、これらの日本アルプス地方をはじめ、山岳の部に属する地図が、一番売行が早いという話を、聞くようになって来ると、前とは反対に、一部の登山家連中には、登山ということは、水成岩もしくは火成岩の、蜿蜒えんえんとした大山系や大連嶺に限られたかのようになって、火山は浅薄で張合のないものとして顧みられなくなった傾向がある、そこで私は「火山風景論」を草して、火山風景の特色に説き及んだが、私から言わせると、火山に登って、始めて日本アルプスの壮大が了解せられ、日本アルプスに分け入って、始めて火山の美麗が承認せられるわけである。
 それどころじゃない、日本山岳風景の最も著しい特色は、日本アルプス系の山岳と富士帯の火山と、錯綜して、各自三千米突メートル前後の大岳を、鋼鉄やプラチナの大鎖のように、ぜたところに存するので、ヒマラヤ型や、アルプス式の山岳地と、比較すると、向うにあるもので、こっちにないものもあるが、またそれと反対に、こっちにあって、向うにないものもある、その向うにないものは何であるかというに、引ッくるめて言えば、水成火成、または変成の大岩塊に、火山、もしくは火山の建設または破壊作用によって、構成された火山式の地貌が、合体して、組成したところに存するのであるから、ここに日本山岳景の特色があるという高札を立てても、大概差支えはなかろうと信ずるのである。
 ヒマラヤ型や、アルプス式の山のように、地球の皮の凝固したしわから成り立ったものは、土地が屈曲したり、転倒したりすることが絶えない限りは、到るところに、大小高低の差別こそあれ散見することが出来るが、火山ばかりは、今日限定せられているところの火山線の、通過する筋道でなければ、先ず噴出しないのである、日本が火山国と言っても、火山が排列しているところはやはり決まっている、畿内や山陽道や四国(或部分を除けば)などは、火山岩の噴出はあっても、火山として目すべきものは、いくらもない、そこで日本の火山線の最も大なるものは言うまでもない富士帯で、富士帯の大幹とも根柢ともいうべき富士山は、南に伊豆函根の諸山を放って海に入っているが、北は茅ヶ岳、金ヶ岳、八ヶ岳とねって、その間に千曲川の断層を挟んで、日本南アルプスの白峰山脈、または甲斐駒山脈と並行している、この大火山線、純粋なる水成岩の大山脈(白峰山脈)と両々対峙たいじしているところは、日本山岳景でも、他に比類のないほど、水火両岩の区別が鮮明に、かつ両岩の特相が著しく対照されているところで、赤石白峰山脈は、日本北アルプスや、またはその山麓のように、火山灰などで被覆されたりしていないから、地層も比較的分明で、地質年代の考定に必要な、化石の発見なども、比較的容易に出来はしまいかと思われる、ただ今日までのところ、人がいくらも入って来ていないから、それが知られていないのであるが、今日信州あたりの博物学者が、嗟嘆するように、火山灰のために、化石という地史上唯一の証券が埋没されて、手もつけられないというようなうれいは、先ずなかろうと思われる、然るに富士帯の火山線は、甲斐駒ヶ岳山脈の支脈、釜無山脈になると、混じ合って、更に北の方、飛騨山脈となると、名にし負う御嶽乗鞍の大火山が噴出して、日本北アルプス系の、火成岩や、水成岩と、紛糾錯綜して、そこに日本山岳景に独特な風景、語を換えて言えば、地球の屋棟と言われているヒマラヤ山にも、または山岳という山岳の、種々相を、殆んど無数に、無類に具備しているというアルプス山にも、絶無な風景を作っている。
 私は従来の風景論者のように、火山ばかりをき出して、他の山岳から離隔して、それを特色とすることを好まない、またこの頃の一部の若い人たちのように、日本アルプスからとかく、火山を継子扱いにして扉の外に突き出すことにも、みされない。

 火山の特徴として、何人にも気がかれるのは、その端厳なる形式の美しさである、アルプス式の山岳に、氷雪と、光線の美しさがあるとすれば、火山の山岳には、岩石の輪廓と、色彩の美しさがある、アルプス式山岳に登るのは、場所によっては氷や雪の上をばかり、踏まされるような感じのするところもあるが、日本の火山は、赤裸々として、全くの岩石登り Rockclimbing である、土に執著があるならば、岩石に執著があるならば、アルプスのように、氷雪の上を釘靴ネイルド・ブーツや、カンジキを穿き、アルパイン・スチックを突き立て、二重服三重足袋の旅行をするよりも、草鞋わらじで岩石をザクザクやりながら、手ずから火口壁の赭褐しゃかつ色なる大塊をつかむべきである、そこに地心の十万億土から迸発ほうはつした、赤焼のした、しかしながら今は凝固した、冷たい胆汁たんじゅうに触れることが出来るのである。
 しかも火山を絶対に美しく、完全に美しく見せるのはその輪廓である、私はラスキンをかなり読んだ方だが、火山を知らない人の風景論は、私には異なれる言語で、話しかけられるような、まだるッこさを感じないでもない、あの人の『ヴェニスの石』の第一巻「装飾の材料」で、シャモニイ渓谷の或山で見た氷河、それはアルプスの氷河としては、第二流に属するに過ぎないものであるそうだが、一マイルの四分の三ぐらいの長さの線を、今までの生涯(第一巻の出版は彼が三十三歳の時である)中に見た、最も美しい、最も単純な線であると讃嘆しているが、私は「ラスキンは不仕合せな男だなあ」と、いまだに思っている、北斎や広重の版画を見ずにしまった彼は、富士山の線の美しさを、夢想にもしなかったらしい、東海道の吉原から、岩淵あたりで仰ぎ見る富士山の大斜線は、向って左の肩、海抜三七八八米突から、海岸の水平線近く、虚空を縫って引き落している、秋から冬にかけた乾空には、硬く強く鋼線のように、からからと鳴るかと思われ、春から夏にかけて、水蒸気の多い時分には、柔々やわやわと消え入るように、またはたこの糸のように、のんびりしている。地平線と水平線とを別として、我が日本国において見らるべき、らゆる斜線と曲線の中で、これこそ最大最高の線であろうと、いつも東海道を通行するたびに、汽車の窓から仰ぎ見て、そう思わないことはない。
 私はいつか浅間山の追分ヶ原に遊んだことがあった、そこに若い学生が、浅間山を写生していた、すると今まで静かに茶褐色の天鵞絨ビロードに包まれて、寝ていたかと思われる浅間山が、出し抜けに起き出してでも来るように、ドンドンと物をげ出す響きにつれて、紫陽花あじさいの大弁を、かさねて打っ違えたような、むくむくと鱗形をした硫煙が、火孔から天にちゅうしたかとおもうと、山体は渋面をつくって、むせッぽい鼠色に変化した、スケッチをしていた人は、この瞬間とも刹那とも言いようのない、迅速な変化に、あきれ返って、写生の手を丸ッきり休めてしまった、そうしてひょいと私と顔を見合せて、両方でまりの悪いような、話のわかったような、微笑を交換した、瞬間の変化は晴れた空のおとなしい光線にもあるが、このような、あわただしく、激しい変化が、液体なら知らず、固体のどこにあろうか。

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