山岳紀行文集 日本アルプス |
岩波文庫、岩波書店 |
1992(平成4)年7月16日 |
1994(平成6)年5月16日第5刷 |
「小島烏水全集」全14巻 |
大修館書店 |
1979年9月~1987年9月 |
一
明科停車場を下りると、犀川の西に一列の大山脈が峙っているのが見える、我々は飛騨山脈などと小さい名を言わずに、日本アルプスとここを呼んでいる、この山々には、名のない、あるいは名の知られていない高山が多い、地理書の上では有名になっていながら、山がどこに晦くれているのか、今まで解らなかったのもある――大天井岳などはそれで――人間は十人並以上に、一寸でも頭を出すと、とかく口の端にかかる、あるいは嫉みの槌で、出かけた杭が敲きのめされるが、この辺の山は海抜いずれも一万有尺、劫初の昔から間断なく、高圧力を加えられても、大不畏の天柱をそそり立ている。山下の村人に山の名を聞くと、あれが蝶ヶ岳で、三、四月のころ雪が山の峡に、白蝶の翅を延しているように消え残るので、そう言いますという。遥に北へ行くと、白馬岳が聳えている、雪の室は花の色の鮮やかな高山植物を秘めて、千島桔梗、千島甘菜、得撫草、色丹草など、帝国極北の地に生える美しいのが、錦の如く咲くのもこの山で、雪が白馬の奔る形をあらわすからその名を得たということである。白馬岳の又の名を越後方面では大蓮華山といっている、或人の句に「残雪や御法の不思議蓮華山」とあるからは、これも一朶の白蓮華、晶々たる冬の空に、高く翳されて咲きにおうから、名づけられたのかも知れない。
あわれ、清く、高き、雪の日本アルプス、そのアルプスの一線で、最も天に近い槍ヶ岳、穂高山、常念岳の雪や氷が、森林の中で新醸る玉の水が、上高地を作って、ここが渓流中、色の純美たぐいありともおぼえない、梓川の上流になっている。
土人はカミウチ、あるいはカミグチとも呼んでいるが、今では上高地と書く、高地はおそらく明治になってからの当字であろう、上も高地も同じ意味を二つ累ねただけで、この地を支配している水や河という意義がない、穂高山麓の宮川の池の辺に穂高神社が祀ってある、その縁起に拠ると、伊邪那岐命の御児、大綿津見の生ませたまう穂高見の命が草創の土地で、命は水を治められた御方であるから今でも水の神として祀られて在ます、神孫数代宮居を定められたところから「神垣内」と唱えるとある、綿津見は蒼海のことで、今の安曇郡は蒼海から出たのであろう、自分は土地に伝わっている神話と地形から考えて、「神河内」なる文字を用いる、高地には純美なるアルプス渓谷の意味は少しもない、「河内」は天竜川の支流和田川の奥を八重河内というし、金森長近が天正十六年に拓いた飛騨高原川沿道を河内路と唱えているから、この地に最もふさわしい名と考える。
神河内の在るところは氷柱の如き山づたいの日本アルプスの裏で、信濃南安曇郡が北に蹙まって奥飛騨の称ある、飛騨吉城郡と隣り合ったところで、南には徳本峠――松本から島々の谷へ出て、この峠へ上ると、日本アルプスの第一閃光が始めて旅客の眼に落ちる――と、北は焼岳の峠、つづいては深山生活の荒男の、胸のほむらか、硫烟の絶え間ない硫黄岳が聳えている、その間を水に浸された一束の白糸が乱れたように、沮洳の花崗の砂道があって、これでも飛騨街道の一つになっている、東には前に言った穂高や、槍ヶ岳、やや低いが西に霞沢岳、八右衛門岳が立っている、東西は一里に足らず、南北は三里という薬研の底のような谷地であるが、今憶い出しても脳神経が盛に顫動をはじめて来る心地のするのは、晶明、透徹のその水、自分にあっては聖書にも見えない創造の水、哲人の喉頭にも迸らない深思の水、この水を描いて見よう。
二
路傍の石の不器用な断片を、七つ八つ並べて三、四寸の高さと見ず、一万尺と想ってみたまえ、凸凹もあれば、※皺[#「皺」の「皮」に代えて「俊のつくり」、145-14]もあり、断崖もあって、自らなる山性を有っている、人間の裳裾に通う空気は、この頭上を避けて通るだろう、いかなる山も、その要素では石以上の趣味がない、これは自分の石の哲学であるが、実際、神河内渓流もかようなところで、四周を包囲して峻立する槍ヶ岳、穂高山、以下の高山は奇怪の石の塊というまでで不二山のような歴史や、讃美歌を有っていない、しかし山好きな自分の眼には、ただもう日本第一の創造と見える。
生物の絶無な時分のこと、暦に乗らぬ時間を存分寝て、ふと眼を啓くと、肌の温みに氷河の衣がいつか釈けている、また一瞬間、葛城、金剛、生駒、信貴山などいう大和河内あたりの同胞が、人間に早く知られる、汚される、夭死をしてしまう、それを冷たい眼で見て、いつか有らゆる生物が造化の大作の前に俛首て来ることすら知らずにいる、知らるることいよいよ晩きは、彼らの偉大なる所以である。千年も万年も、依然として肩から上を雲に、裾から下を水に洗わせている、その下の渓谷は、父の家でない、原始の土である、綿々たる時代の人間の夢が住む、幽寂の谷である、何故かというに、善光寺街道、木曾街道、糸魚川街道などを、往き来う昔から今までの旅人が、振り仰いで見たのは、この奇怪な山々で、追分に立てた路標の石も、峠の茶屋の婆さまも、天外に高く懸れる示現は、別に説明のしようもないから、夏もなお「山は雪が残っているずらあ」と感嘆するくらいなものだ、百人の中に一人歴史家が来る、名もなき山よ山の奥にも年代やあると、怪訝な顔して過ぎてしまったろう、また一人画家が来る、山の紫は茄子の紫でもない、山の青は天空の青とも違う、秋に殞ずる病葉の黄にもあらず、多くの山の色は大気で染められる、この山々の色の変化は、全能の手が秘蔵のパレットを空しゅうして塗った山だ、竟にこれ我物ならずと、呟いたことであろう、宗教家が来る、博物学者が来る、山の黙示、水の閃めき、人の祈るところ、星の垂るところ、雲の焼くところ、かしこに自然の関鍵を握れるものありと、羨ましくおもったろう、馬士が通る、順礼が通る、農夫が鍬取る手を休めて佇む、諸ろの疲れ、煩い、興奮は、皆この無辺際空の大屏風へ来て行き止まりとなる。想像するがままに任せた山、感情を塗りかえした山、その山の暗き森と、深い谷、過去へと深く行き、遠く行くだけ、紀念は次第に成熟する、石の上を走っている水の面の経緯は、幾世の人の夢を描いては消し、消しては描いているのである。
神代ながらの俤ある大天井、常念坊、蝶ヶ岳の峰伝いに下りて来た自分は、今神河内の隅に佇んだ。
鼻の先には穂高山が削り立っている、水の平らに走る波動に対して、直角に厳い肩を聳やかしている、その胸毛の底に白い蕊を点じたのは雪である、アルプス一帯に雪の降るのは、それは早いもので、九月の末には、白くなるほどつもらぬまでも、氷の毛のようなのが石角を弾き初める、来年の七、八月まで消えない、最も北へ行くほど深くて、その雪田も大きくなるが、穂高山などは、傾斜が急なのと外気に曝されているので、雪は蓮華山ほどにはない、紫黒色の大岩が、脚下に吼える水に脚を洗わせて、ここのみは冬の雪壁動くかと見るとき、自然の活動元素は、水に集中されているようだ、水は氷雪の結象から、流通大自在の性を享け、新たなる生命を賦与せられたものの特権として盛んに奔放する。低きには森あり、林あり、野の花あり、しかして高きには雪あり、氷あり、我らの不二山は、小さい山だが、熱帯地方の二倍も高い山より偉大なるは、雪と氷に包まれているためである。穂高といわず、槍ヶ岳といわず、奥常念、大天井に至るまで、万古の雪は蒸発しないで下層から解ける雪だ、死の如く静粛に、珠の如く浄美な雪から解けた水の、純粋性の緑を有することは、言うまでもない。
神河内に流れ落ちる水の脈が、およそどれほどであろう、自分は隅々隈なく、跋渉したわけではないが、自分の下りて来た穂高山の前の短沢を始めとして、槍ヶ岳の麓の徳沢、槍沢、横尾谷、それから一ノ俣、二ノ俣、赤岩小舎の傍の赤沢、引きかえして霞沢山から押し出す黒沢というのは、炭質を含んだ粘板岩が、石版を砕いたように粉になっているもの。白沢はこれに反して、白く光る石英粒の砂岩である、その他名のない沢を合せたら幾十筋あるかも知れぬが、それが絡み合って本流になるのが梓川だ、その本流というのが、幅濶の二筋三筋に別れ、川と川との間には、花崗の白い砂の平地と、この平地にみどりの黒髪を梳る処女の森とで、水は盲動的に蛇行して森と森との間を迂回する、あるいは森を突き切って、向うの平地へ驀地に走る、森は孤立した小島になる、水楊が川の畔にちょんぼりと、その蒼い灰のような、水銀白を柔らかに布いた薄葉を微風にうら反えしている、たまに白砂の中に塩釜菊が赤紫色に咲いているのが、鮮やかに眼に映る外は、青い空と、緑の木と、碧の水。
しかしてどこから見ても、神河内を統御する大帝は穂高岳で、海抜五千七百尺の神河内から聳ゆること更に五千尺に近く、梓の濶流も、支線の小峡流も、その間の幾十反の点々たる平地も、何もかも一切包まれた谷は、神つ代の穂高見の命の知ろし召す世界である。
蝶ヶ岳から短沢へ下りて来た自分は、先ずこの清い流れに嗽ぎもし、頭も洗い、顔も拭いた、気が遠くなるような悪臭の蕕草を掻き分けたことや、自分の肩から上を気圏のように繞ぐっていた蚋の幾十陣団やに窒息するかと苦しんだことも、夢の谷へ下りては、夢のように消えて、水音は清々しい。
川は浅く、底は髪の毛一筋も見え透く雪解水であるが、碧きわまって何でもこの色で消化してしまう、水底の石は槍ヶ岳の刃の飜れた石英斑岩、蝶ヶ岳から押し流された葉片状の雲母片麻岩、石そのものが、流水、波浪の細い線を有って、しかもレンズのように透明である、片麻岩系の最大露出、赤石山系にも見たことのない美しさである、瞬いたのは夕の星の沈んだのか、光っているのは蛍が泳いだのか、青いのは燐が燃えているのか、白いのは水仙の茎の流るるか、静かなときは水が玻璃に結晶したかの如く、動けるときや、流紋岩、蛇紋岩が鍋で煮られて、クタクタの液汁に溶かされたようで、石を噛んで泡立つとき、玉霰飛び、綿花投げられ、氷の断片流動し、岩石に支えられて渦や反流を生じ、畝の寄せては返すとき、一万尺の分身なる石と、万古の雪の後身なる水とは、天外の故郷を去って他界にうつるのだからと抱き合ったり、跳り上ったりして、歓楽と栄華をきわめている、この狭い、浅い、谿谷も、穂高の大岳、眉を圧して荒海の気魄、先ず動くのである。
川の両岸――といっても堤を築いた林道を除く外は、殆ど水と平行している――には、森林がある、樅、栂、白檜など、徳本峠からかけて、神河内高原を包み、槍ヶ岳の横尾谷、赤沢に至るまでみんな処女の森を作っている、最も幾抱えもあるような大木は見えなかったが、水を渉って森に入ると、樅の皮は白い苔の衣を被いでいる、淡褐色となって鱗のように脱落したのもある、風に撓められて「出」字状に臂を張った枝は、屈めた頭さえ推参者めがと叱るように突き退ける、栂の黒色の幹が、朽ちて水の中に浸っている、大方紫檀に変性するだろうと思われる、さすがに寒いと見えて、唐檜は葉の裏を白い蝋で塗っているのが、遠くからは藍色をして、天空の青、流水の碧と反映している、かような森林も、路という路はなくて、根曲り竹がふさがっているから掻き分けて行く。
森が尽きる、また水を渉る、水は偏って深く、偏って浅い、右から左へと横切るのに、是非深いところを一度は通る、木の葉のように脈もなく繊維もないのに、気孔に幾億万の緑素があって、かくは青いのかと、足を入れながら底を見る、水に沈めるは、白い石も青く、水面より露われたるは、黒胡麻の花崗石も銷磨して、白堊のように平ったく晒されている、しぶきのかかるところ、洗われない物もなく、水の音は空気に激震を起して崖に反響し、森を揺すっている、その光波の振動が烈しく眼を掠めるので、あまり見惚れると、眩暈がして後髪を引き倒されそうになる、それよりも堪らないのは、水が冷たくて足が焼き切れるかとおもわれることで、足が呼吸を止められて喘ぐのが透いて見える。
ようやく川を渉る、足袋底がこそばゆいから、草鞋を釈いて足袋を振うと、粗製のザラメ砂糖のような花崗の砂が、雫と共に堕ちる。
このような川渉りを、幾回もさせられるのである。
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