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風流仏(ふうりゅうぶつ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-4 10:06:46  点击:  切换到繁體中文


      中 実生みしょう二葉ふたば土塊つちくれ

 我今まで恋とう事たるおぼえなし。勢州せいしゅう四日市にて見たる美人三日眼前めさきにちらつきたるがそれは額に黒痣ほくろありてその位置ところ白毫びゃくごうつけなばと考えしなり。東京天王寺てんのうじにて菊の花片手に墓参りせし艶女えんじょ、一週間思いつめしがこれその指つきを吉祥菓きっしょうかもたたも鬼子母神きしぼじんに写してはと工夫せしなり。おたつめでしは修業の足しにとにはあらざれど、これを妻にめかけ情婦いろになどせんと思いしにはあらず、いて云わばただ何となくめでいきおいに乗りて百両はあたえしのみ、潔白のわが心中をはかる事出来ぬじいめがいらざる粋立すいだて馬鹿ばか々々し、一生に一つ珠運しゅうんが作意の新仏体を刻まんとする程の願望のぞみある身の、何として今から妻などもつべき、殊にお辰は叔父おじさえなくば大尽だいじんにも望まれて有福ゆうふくに世を送るべし、人は人、我は我の思わくありと決定けつじょうし、置手紙にお辰少許すこしばかりの恩をかせ御身おんみめとらんなどするいやしき心は露持たぬ由をしたため、跡は野となれ山路にかゝりてテク/\歩行あるき。さても変物、この男木作りかとそしる者は肉団にくだん奴才どさい御釈迦様おしゃかさまが女房すて山籠やまごもりせられしは、耆婆きばさじなげ癩病らいびょう接吻くちづけくちびるポロリとおちしに愛想あいそつかしてならんなど疑う儕輩やからなるべし、あゝら尊し、尊し、銀のねこすてた所が西行さいぎょうなりと喜んでむるともがら是もかえって雪のふる日の寒いのに気がつか詮義せんぎならん。人間元より変な者、目盲めしいてからその昔拝んだ旭日あさひの美しきを悟り、巴里パリーに住んでから沢庵たくあんの味を知るよし。珠運は立鳥たつとりの跡ふりむかず、一里あるいたころ不図ふと思い出し、二里あるいた頃珠運様と呼ぶ声、まさしく其人そのひとうしろ見れば何もなし、三里あるいた頃、もしえとたもと取る様子、たしかにお辰と見れば又人もらず、四里あるき、五里六里行き、段々遠くなるに連れて迷う事多く、ついには其顔見たくなりていっそ帰ろうかとト足あとへ、ドッコイと一二ちょう進む内、むか/\と其声聞度ききたく身体からだむきを思わずくるりとかゆる途端道傍みちばたの石地蔵を見て奈良よ/\誤ったりと一町たらずあるくむこうより来る夫婦づれの、何事か面白相に語らい行くに我もお辰と会話はなし仕度したくなって心なく一間いっけんばかもどりしを、おろかなりと悟って半町歩めば我しらずまよいに三間もどり、十足とあしあるけば四足よあし戻りて、はては片足進みて片足戻る程のおかしさ、自分ながら訳も分らず、名物くり強飯こわめしうるいえ牀几しょうぎに腰打掛うちかけてまず/\と案じ始めけるが、箒木ははきぎは山の中にも胸の中にも、有無分明うむぶんみょうに定まらず、此処ここ言文一致家に頼みたし。

      下 若木わかき三寸でけらありそこの

 世の中にやまいちょう者なかりせば男心のやさしかるまじ。髭先ひげさきのはねあがりたる当世才子、高慢の鼻をつまみ眼鏡めがねゆゝしく、父母干渉の弊害をときまくりて御異見の口に封蝋ふうろう付玉つけたまいしを一日粗造のブランディに腸加答児カタル起して閉口頓首とんしゅの折柄、昔風の思い付、気に入らぬか知らぬが片栗湯かたくりゆこしらえた、たべて見る気はないかと厚き介抱かいほう有難く、へこたれたる腹におふくろの愛情をのんで知り、これより三十銭の安西洋料理食う時もケークだけはポッケットに入れて土産みやげとなす様になる者ぞ、ゆめ/\美妙なる天の配剤に不足うべからずと或人あるひと仰せられしはもっともなりけり。珠運しゅうん馬籠まごめに寒あたりして熱となり旅路の心細く二日ばかくるしむ所へ吉兵衛とおたつ尋ねきたり様々の骨折り、病のよきしおを見計らいて駕籠かご安泰に亀屋かめやへ引取り、夜の間も寐ずに美人の看病、やぶ医者の薬も瑠璃光薬師るりこうやくしより尊き善女ぜんにょの手に持たせ玉える茶碗ちゃわんにてまさるれば何きかざるべき、追々おいおい快方に赴き、初めてお辰は我身のためにあらゆる神々に色々の禁物たちものまでして平癒せしめ玉えといのりし事まで知りて涙く程うれしく、ト月あまりにおとろえこそしたれ、床を離れてその祝義しゅうぎ済みし後、珠運思い切ってお辰の手を取り一間ひとまうちに入り何事をか長らく語らいけん、いずる時女の耳のあかかりし。其翌日男真面目まじめ媒妁なこうどを頼めば吉兵衛笑って牛のしりがい老人としよりの云う事どうじゃ/\と云さして、元よりその支度したく大方は出来たり、善は急いで今宵こよいにすべし、不思議の因縁でおれの養女分にして嫁いらすればおれも一トつのい功徳をする事ぞとホク/\喜び、たちまち下女下男に、ソレぜんを出せわんを出せ、アノ銚子ちょうしを出せ、なんだ貴様はちょうの折りようを知らぬかと甥子おいごまでしかとばして騒ぐは田舎気質かたぎの義に進む所なり、かゝる中へ一人の男きたりてお辰様にと手紙を渡すを見るとひとしくお辰あわただしく其男に連立つれだち一寸ちょっといでしが其まゝもどらず、晩方になりて時刻もきたるに吉兵衛焦躁いらって八方を駈廻かけめぐり探索すれば同業のかたとまり居し若き男と共に立去りしよし。牛のしりがいここに外れてモウともギュウとも云うべき言葉なく、何と珠運に云い訳せん、さりとて猥褻みだらなるおこないはお辰に限りてなかりし者をと蜘手くもでに思い屈する時、先程の男きたりてまた渡す包物つつみものひらきて見れば、一筆啓上つかまつりそうろういま御意ぎょいを得ずそうらえ共お辰様身の上につき御厚情こうせい相掛あいかけられし事承り及びあり難く奉存候ぞんじたてまつりそうろうさて今日貴殿御計おんはからいにてお辰婚姻取結ばせられ候由驚入申おどろきいりもうし仔細しさいこれあり御辰様儀婚姻には私かた故障御座候故従来の御礼かたがたまかり出て相止申あいとめもうすべくともぞんい候えども如何いかにも場合切迫致しかつはお辰様心底によりては私一存にも参りがたくようの義に至り候ては迷惑につきはなはだ唐突不敬なれども実はお辰様をすかし申しこの婚姻相延あいのべ申候よう決行致し候なおまた近日参上つかまつり入りこみたる御話し委細申上もうしあぐべく心得に候えども差当り先日七蔵に渡され候金百円及び御礼の印までに金百円進上しおき候あいだ御受納下されたく不悉ふしつ 亀屋吉兵衛様へ岩沼子爵家従けらい田原栄作たはらえいさくとありて末書に珠運様とやらにも此旨このむね鶴声かくせい相伝あいつたえられたく候と筆をとどめたるに加えて二百円何だ紙なり。


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    第七 如是報にょぜほう

      我はとび他化自在天宮たけじざいてんぐう

 オヽおたつかと抱き付かれたる御方おかた、見ればひげうるわしくおもて清く衣裳いしょう立派なる人。ハテ何処どこにてか会いたるようなと思いながら身を縮まして恐々おそるおそる振り仰ぐ顔に落来おちくその人の涙の熱さ、骨に徹して、アヽ五日前一生の晴の化粧と鏡に向うた折会うたる我に少しも違わずさて父様ととさまかと早く悟りてすがる少女おとめの利発さ、これにも室香むろかが名残の風情ふぜい忍ばれて心強き子爵も、二十年のむかし、御機嫌ごきげんよろしゅうと言葉じり力なく送られし時、跡ふりむきて今一言ひとことかわしたかりしを邪見に唇囓切かみしめ女々めめしからぬふりたがためにかよそおい、急がでもよき足わざと早めながら、うしろ見られぬうらみし別離わかれの様まで胸にうかびてせつなく、娘、ゆるしてくれ、今までそなたに苦労させたはわが誤り、もう是からは花もうらせぬ、襤褸つづれも着せぬ、荒き風をその身体からだにもあてさせぬ、定めしおれの所業しわざをば不審もして居たろうがまあ聞け、手前の母に別れてから二三日の間実は張りつめた心も恋にはゆるんで、夜深よふかに一人月をながめては人しらぬ露せまそでにあまる陣頭のさびしさ、又は総軍の鹿島立かしまだち馬蹄ばていの音高く朝霧をって勇ましく進むにも刀のこじりかるゝように心たゆたいしが、一封の手簡てがみ書く間もなきいそがしき中、次第に去る者のうとくなりしも情合じょうあいの薄いからではなし、軍事のはげしさ江戸に乗り込んで足溜あしだまりもせず、奥州おうしゅうまで直押ひたおしに推す程のいきおい、自然と焔硝えんしょうの煙になれては白粉おしろいかおり思いいださず喇叭らっぱの響に夢を破れば吾妹子わぎもこが寝くたれ髪の婀娜あだめくも眼前めさきにちらつくいとまなく、恋も命も共に忘れて敗軍の無念にははげみ、凱歌かちどきの鋭気には乗じ、あけてもくれてもひじさすきもを焦がし、うえては敵の肉にくらい、渇しては敵の血を飲まんとするまで修羅しゅらちまた阿修羅あしゅらとなって働けば、功名トつあらわれ二ツあらわれて総督の御覚おんおぼえめでたく追々おいおいの出世、一方の指揮となれば其任いよいよ重く、必死に勤めけるが仕合しあわせ弾丸たまをも受けず皆々凱陣がいじんの暁、其方そのほう器量学問見所あり、何某なにがし大使に従って外国に行き何々の制度能々よくよく取調べ帰朝せば重くあげもちいらるべしとの事、室香に約束はたがえど大丈夫青雲の志此時このときのぶべしと殊に血気の雀躍こおどりして喜び、米国より欧州に前後七年の長逗留ながとうりゅう、アヽ今頃いまごろ如何どうして居おるか、生れた子は女か、男か、知らぬ顔に、知られぬ顔、早く頬摺ほおずりしてひざの上に乗せ取り、護謨ゴム人形空気鉄砲珍らしき手玩具おもちゃ数々の家苞いえづとって、喜ぶ様子見たき者と足をつまて三階四階の高楼たかどのより日本の方角いたずらにながめしも度々なりしが、岩沼卿いわぬまきょうよばせらるるたっとき御身分の御方おんかた、是も御用にて欧州に御滞在中、数ならぬ我を見たて御子おんこなき家の跡目にすわれとのあり難き仰せ、再三いなみたれど許されねばいなみかねて承知し、共々うれしく帰朝して我はかろからぬ役を拝命するばかりか、ついに姓を冒して人に尊まるゝについてもそなたが母の室香がなさけ何忘るべき、家来に吩附いいつけて段々ただせば、果敢はかなや我とたのしみけで、彼岸かのきしの人と聞くつらさ、何年の苦労一トつは国のためなれど、一トつは色紙しきしのあたった小袖こそで着て、ぬりはげた大小さした見所もなき我を思い込んで女の捨難すてがた外見みえを捨て、そしりかまわずあやうきをいとわず、世を忍ぶ身を隠匿かくまいれたる志、七生忘れられず、官軍にはせさんぜんと、決心した我すら曇り声にいだせし時も、愛情の涙はまぶたあふれながら義理のことば正しく、かねての御本望わたくしめまでうれしゅう存じますと、無理な笑顔えがおも道理なれ明日知らぬ命の男、それをなおも大事にして余りに御髪おぐしのとひげ月代さかやき人手にさせず、うしろまわりて元結もとゆい〆力しめちからなき悲しさを奥歯にんできり/\と見苦しからず結うて呉れたるばかりか、おのがかしらにさしたる金簪きんかんざしまで引抜きぬくみを添えて売ってのみ、我身のまわり調度にしてたまわりし大事の/\女房に満足させて、昔のきをたのしみに語りたさのためなりしに、情無なさけなくも死なれては、花園はなぞの牡丹ぼたん広々とうるわしき眺望ながめも、細口の花瓶にただ二三輪の菊古流しおらしく彼がいけたるをめ、ほめられて二人ふたり微笑ほほえみ四畳半にこもりし時程は、今つくねんと影法師相手にひとり見る事の面白からず、栄華をたれと共に、世も是迄これまでと思い切って後妻のちぞいもらいもせず、さるにても其子何処どこぞと種々さまざま尋ねたれどようやくそなたを里に取りたる事あるばばより、信濃しなのの方へ行かれたといううわさなりしと聞出ききいだしたるばかり、其筋の人に頼んでも何故なにゆえか分らず、われほかに子なければ年老としおいいよいよ恋しく信州にのみ三人も家従けらいをやってさがさせたるに、からくも田原が探しいだして七蔵しちぞうという悪者よりそなたもらい受けんとしたるに、如何どういう訳か邪魔いりて間もなくそなたは珠運しゅうんとか云うつまらぬ男に、身を救われたる義理づくやら亀屋かめやの亭主の圧制やら、急に婚礼するというに、一旦いったん帰京かえって二度目にまた丁度ちょうど行きつきたる田原がきい狼狽ろうばいし、わが書捨かきすてて室香に紀念かたみのこせし歌、多分そなたがしって居るならんと手紙の末にかき頓智とんちいだし、それから無理に訳も聞かせず此処ここまでつれて来たなれば定めし驚いたでもあろうが少しも恐るゝ事はなし、亀屋の方は又々田原をやって始末する程に是からは岩沼子爵の立派な娘、行儀学問も追々覚えさして天晴あっぱれ婿むこ取り、初孫ういまごの顔でも見たら夢のうちにそなたの母にっても云訳いいわけがあると今からもううれしくてならぬ、それにしても髪とりあげさせ、衣裳いしょう着かゆさすれば、先刻さっき内々戸のすきから見たとは違って、是程までに美しいそなたを、今まで木綿布子ぬのこ着せておいた親のはずかしさ、小間物屋もよばせたれば追付おっつけくるであろう、くしかんざし何なりとすきなのを取れ、着物も越後屋えちごやのぞみ次第云付いいつけさするから遠慮なくおしも使つかえ、あれはそなたの腰元だから先刻さっきよう丁寧ていねいに辞義なんぞせずとよい、芝屋や名所も追々に見せましょ。舞踏会ぶとうかいや音楽会へも少し都風みやこふうが分って来たらつれゆきましょ。書物はよめるかえ、消息往来庭訓ていきんまでは習ったか、アヽ嬉しいぞ好々よしよし、学問も良い師匠をつけてさせようと、慈愛はつきぬ長物語り、さてこそ珠運が望み通り、この女菩薩にょぼさつ果報めでたくなり玉いしが、さりとては結構づくめ、是は何とした者。


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