第三 如是性
上 母は嵐に香の迸る梅
山家の御馳走は何処も豆腐湯波干鮭計りなるが今宵はあなたが態々茶の間に御出掛にて開化の若い方には珍らしく此兀爺の話を冒頭から潰さずに御聞なさるが快ければ、夜長の折柄お辰の物語を御馳走に饒舌りましょう、残念なは去年ならばもう少し面白くあわれに申し上て軽薄な京の人イヤ是は失礼、やさしい京の御方の涙を木曾に落さ落させよう者を惜しい事には前歯一本欠けた所から風が洩れて此春以来御文章を読も下手になったと、菩提所の和尚様に云われた程なれば、ウガチとかコガシとか申す者は空抜にしてと断りながら、青内寺煙草二三服馬士張りの煙管にてスパリ/\と長閑に吸い無遠慮に榾さし焼べて舞い立つ灰の雪袴に落ち来るをぽんと擲きつ、どうも私幼少から読本を好きました故か、斯いう話を致しますると図に乗っておかしな調子になるそうで、人我の差別も分り憎くなると孫共に毎度笑われまするが御聞づらくも癖ならば癖ぞと御免なされ。さてもそののち室香はお辰を可愛しと思うより、情には鋭き女の勇気をふり起して昔取ったる三味の撥、再び握っても色里の往来して白痴の大尽、生な通人めらが間の周旋、浮れ車座のまわりをよくする油さし商売は嫌なりと、此度は象牙を柊に易えて児供を相手の音曲指南、芸は素より鍛錬を積たり、品行は淫ならず、且は我子を育てんという気の張あればおのずから弟子にも親切あつく良い御師匠様と世に用いられて爰に生計の糸道も明き細いながら炊煙絶せず安らかに日は送れど、稽古する小娘が調子外れの金切声今も昔わーワッとお辰のなき立つ事の屡なるに胸苦しく、苦労ある身の乳も不足なれば思い切って近き所へ里子にやり必死となりて稼ぐありさま余所の眼さえ是を見て感心なと泣きぬ。それにつれなきは方様の其後何の便もなく、手紙出そうにも当所分らず、まさかに親子笈づるかけて順礼にも出られねば逢う事は夢に計り、覚めて考うれば口をきかれなかったはもしや流丸にでも中られて亡くなられたか、茶絶塩絶きっとして祈るを御存知ない筈も無かろうに、神様も恋しらずならあり難くなしと愚痴と一所にこぼるゝ涙流れて止らぬ月日をいつも/\憂いに明し恨に暮らして我齢の寄るは知ねども、早い者お辰はちょろ/\歩行、折ふしは里親と共に来てまわらぬ舌に菓子ねだる口元、いとしや方様に生き写しと抱き寄せて放し難く、遂に三歳の秋より引き取って膝下に育れば、少しは紛れて貧家に温き太陽のあたる如く淋しき中にも貴き笑の唇に動きしが、さりとては此子の愛らしきを見様とも仕玉わざるか帰家れざるつれなさ、子供心にも親は恋しければこそ、父様御帰りになった時は斯して為る者ぞと教えし御辞誼の仕様能く覚えて、起居動作のしとやかさ、能く仕付たと誉らるゝ日を待て居るに、何処の竜宮へ行かれて乙姫の傍にでも居らるゝ事ぞと、少しは邪推の悋気萌すも我を忘れられしより子を忘れられし所には起る事、正しき女にも切なき情なるに、天道怪しくも是を恵まず。運は賽の眼の出所分らぬ者にてお辰の叔父ぶんなげの七と諢名取りし蕩楽者、男は好けれど根性図太く誰にも彼にも疎まれて大の字に寝たとて一坪には足らぬ小さき身を、広き都に置きかね漂泊あるきの渡り大工、段々と美濃路を歴て信濃に来り、折しも須原の長者何がしの隠居所作る手伝い柱を削れ羽目板を付ろと棟梁の差図には従えど、墨縄の直なには傚わぬ横道、お吉様と呼ばせらるゝ秘蔵の嬢様にやさしげな濡を仕掛け、鉋屑に墨さし思を云わせでもしたるか、とう/\そゝのかしてとんでもなき穴掘り仕事、それも縁なら是非なしと愛に暗んで男の性質も見分ぬ長者のえせ粋三国一の狼婿、取って安堵したと知らぬが仏様に其年なられし跡は、山林家蔵椽の下の糠味噌瓶まで譲り受けて村中寄り合いの席に肩ぎしつかせての正坐、片腹痛き世や。あわれ室香はむら雲迷い野分吹く頃、少しの風邪に冒されてより枕あがらず、秋の夜冷に虫の音遠ざかり行くも観念の友となって独り寝覚の床淋しく、自ら露霜のやがて消ぬべきを悟り、お辰素性のあらまし慄う筆のにじむ墨に覚束なく認めて守り袋に父が書き捨の短冊一トひらと共に蔵めやりて、明日をもしれぬ我がなき後頼りなき此子、如何なる境界に落るとも加茂の明神も御憐愍あれ、其人命あらば巡り合せ玉いて、芸子も女なりやさしき心入れ嬉しかりきと、方様の一言を草葉の蔭に聞せ玉えと、遙拝して閉じたる眼をひらけば、燈火僅に蛍の如く、弱き光りの下に何の夢見て居るか罪のなき寝顔、せめてもう十計りも大きゅうして銀杏髷結わしてから死にたしと袖を噛みて忍び泣く時お辰魘われてアッと声立て、母様痛いよ/\坊の父様はまだ帰えらないかえ、源ちゃんが打つから痛いよ、父の無いのは犬の子だってぶつから痛いよ。オヽ道理じゃと抱き寄すれば其儘すや/\と睡るいじらしさ、アヽ死なれぬ身の疾病、是ほどなさけなき者あろうか。
下 子は岩蔭に咽ぶ清水よ
格子戸がら/\とあけて閉る音は静なり。七蔵衣装立派に着飾りて顔付高慢くさく、無沙汰謝るにはあらで誇り気に今の身となりし本末を語り、女房に都見物致させかた/″\御近付に連て参ったと鷹風なる言葉の尾につきて、下ぐる頭低くしとやかに。妾めは吉と申す不束な田舎者、仕合せに御縁の端に続がりました上は何卒末長く御眼かけられて御不勝ながら真実の妹とも思しめされて下さりませと、演る口上に樸厚なる山家育ちのたのもしき所見えて室香嬉敷、重き頭をあげてよき程に挨拶すれば、女心の柔なる情ふかく。姉様の是ほどの御病気、殊更御幼少のもあるを他人任せにして置きまして祇園清水金銀閣見たりとて何の面白かるべき、妾は是より御傍さらず[#「ず」は底本では「す」]御看病致しましょと云えば七蔵顔膨らかし、腹の中には余計なと思い乍ら、ならぬとも云い難く、それならば家も狭しおれ丈ケは旅宿に帰るべしといって其晩は夜食の膳の上、一酌の酔に浮れてそゞろあるき、鼻歌に酒の香を吐き、川風寒き千鳥足、乱れてぽんと町か川端あたりに止まりし事あさまし。室香はお吉に逢いてより三日目、我子を委ぬる処を得て気も休まり、爰ぞ天の恵み、臨終正念たがわず、安かなる大往生、南無阿弥陀仏は嬌喉に粋の果を送り三重、鳥部野一片の烟となって御法の風に舞い扇、極楽に歌舞の女菩薩一員増したる事疑いなしと様子知りたる和尚様随喜の涙を落されし。お吉其儘あるべきにあらねば雇い婆には銭やって暇取らせ、色々片付るとて持仏棚の奥に一つの包物あるを、不思議と開き見れば様々の貨幣合せて百円足らず、是はと驚きて能々見るに、我身万一の時お辰引き取って玉わる方へせめてもの心許りに細き暮らしの中より一銭二銭積み置きて是をまいらするなりと包み紙に筆の跡、読みさして身の毛立つ程悲しく、是までに思い込まれし子を育てずに置れべきかと、遂に五歳のお辰をつれて夫と共に須原に戻りけるが、因果は壺皿の縁のまわり、七蔵本性をあらわして不足なき身に長半をあらそえば段々悪徒の食物となりて痩せる身代の行末を気遣い、女房うるさく異見すれば、何の女の知らぬ事、ぴんからきりまで心得て穴熊毛綱の手品にかゝる我ならねば負くる計りの者にはあらずと駈出して三日帰らず、四日帰らず、或は松本善光寺又は飯田高遠あたりの賭場あるき、負れば尚も盗賊に追い銭の愚を尽し、勝てば飯盛に祝い酒のあぶく銭を費す、此癖止めて止まらぬ春駒の足掻早く、坂道を飛び下るより迅に、親譲りの山も林もなくなりかゝってお吉心配に病死せしより、齢は僅に十の冬、お辰浮世の悲みを知りそめ叔父の帰宅らぬを困り途方に暮れ居たるに、近所の人々、彼奴め長久保のあやしき女の許に居続して妻の最期を余所に見る事憎しとてお辰をあわれみ助け葬式済したるが、七蔵此後愈身持放埒となり、村内の心ある者には爪はじきせらるゝをもかまわず遂に須原の長者の家敷も、空しく庭中の石燈籠に美しき苔を添えて人手に渡し、長屋門のうしろに大木の樅の梢吹く風の音ばかり、今の耳にも替らずして、直其傍なる荒屋に住いぬるが、さても下駄の歯と人の気風は一度ゆがみて一代なおらぬもの、何一トつ満足なる者なき中にも盃のみ欠かけず、柴木へし折って箸にしながら象牙の骰子に誇るこそ愚なれ。かゝる叔父を持つ身の当惑、御嶽の雪の肌清らかに、石楠の花の顔気高く生れ付てもお辰を嫁にせんという者、七蔵と云う名を聞ては山抜け雪流より恐ろしくおぞ毛ふるって思い止れば、二十を越して痛ましや生娘、昼は賃仕事に肩の張るを休むる間なく、夜は宿中の旅籠屋廻りて、元は穢多かも知れぬ客達にまで嬲られながらの花漬売、帰途は一日の苦労の塊り銅貨幾箇を酒に易えて、御淋しゅう御座りましたろう、御不自由で御座りましたろうと機嫌取りどり笑顔してまめやかに仕うるにさえ時々は無理難題、先度も上田の娼妓になれと云い掛しよし。さりとては胴慾な男め、生餌食う鷹さえ暖め鳥は許す者を。
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