一寸百突て渡いた受取った/\一つでは乳首啣えて二つでは乳首離いて三つでは親の寝間を離れて四つにはより糸より初め五では糸をとりそめ六つでころ機織そめて――
と苦労知らぬ高調子、無心の口々長閑に、拍子取り連て、歌は人の作ながら声は天の籟美しく、慾は百ついて帰そうより他なく、恨はつき損ねた時罪も報も共に忘れて、恋と無常はまだ無き世界の、楽しさ羨しく、噫無心こそ尊けれ、昔は我も何しら糸の清きばかりの一筋なりしに、果敢なくも嬉しいと云う事身に染初しより、やがて辛苦の結ぼれ解ぬ濡苧の縺の物思い、其色嫌よと、眼を瞑げば生憎にお辰の面影あり/\と、涙さしぐみて、分疏したき風情、何処に憎い所なし。なる程定めなきとはあなたの御心、新聞一枚に堅き約束を反故となして怒り玉うかと喞たれて見れば無理ならねど、子爵の許に行てより手紙は僅に田原が一度持て来りし計り、此方から遣りし度々の消息、初は親子再会の祝、中頃は振残されし喞言、人には聞せ難きほど耻しい文段までも、筆とれば其人の耳に付て話しする様な心地して我しらず愚にも、独居の恨を数うる夜半の鐘はつらからで、朧気ながら逢瀬うれしき通路を堰く鶏めを夢の名残の本意なさに憎らしゅう存じ候など書てまだ足らず、再書濃々と、色好み深き都の若佼を幾人か迷わせ玉うらん御標致の美しさ、却って心配の種子にて我をも其等の浮たる人々と同じ様に思し出らんかと案じ候ては実に/\頼み薄く口惜ゅう覚えて、あわれ歳月の早く立かし、御おもかげの変りたる時にこそ浅墓ならぬ我恋のかわらぬ者なるを顕したけれと、無理なる願をも神前に歎き聞え候と、愚痴の数々まで記して丈夫そうな状袋を択み、封じ目油断なく、幾度か打かえし/\見て、印紙正しく張り付、漸く差し出したるに受取たと計の返辞もよこさず、今日は明日はと待つ郵便の空頼なる不実の仕方、それは他し婿がね取らせんとて父上の皆為されし事。又しても妄想が我を裏切して迷わする声憎しと、頭を上れば風流仏悟り済した顔、外には
清水の三本柳の一羽の雀が鷹に取られたチチャポン/\一寸百ついて渡いた渡いた
の他音もなし、愈々影法師の仕業に定まったるか、エヽ腹立し、我最早すっきりと思い断ちて煩悩愛執一切棄べしと、胸には決定しながら、尚一分の未練残りて可愛ければこそ睨みつむる彫像、此時雲収り、日は没りて東窓の部屋の中やゝ暗く、都ての物薄墨色になって、暮残りたるお辰白き肌浮出る如く、活々とした姿、朧月夜に真の人を見る様に、呼ばゞ答もなすべきありさま、我作りたる者なれど飽まで溺れ切たる珠運ゾッと総身の毛も立て呼吸をも忘れ居たりしが、猛然として思い飜せば、凝たる瞳キラリと動く機会に面色忽ち変り、エイ這顔の美しさに迷う物かは、針ほども心に面白き所あらば命さえ呉てやる珠運も、何の操なきおのれに未練残すべき、其生白けたる素首見も穢わしと身動きあらく後向になれば、よゝと泣声して、それまでに疑われ疎まれたる身の生甲斐なし、とてもの事方様の手に惜からぬ命捨たしと云は、正しく木像なり、あゝら怪しや、扨は一念の恋を凝して、作り出せしお辰の像に、我魂の入たるか、よしや我身の妄執の憑り移りたる者にもせよ、今は恩愛切て捨、迷わぬ初に立帰る珠運に妨なす妖怪、いでいで仏師が腕の冴、恋も未練も段々に切捨くれんと突立て、右の手高く振上し鉈には鉄をも砕くべきが気高く仁しき情溢るる計に湛ゆる姿、さても水々として柔かそうな裸身、斬らば熱血も迸りなんを、どうまあ邪見に鬼々しく刃の酷くあてらるべき、恨も憎も火上の氷、思わず珠運は鉈取落して、恋の叶わず思の切れぬを流石男の男泣き、一声呑で身をもがき、其儘ドウと臥す途端、ガタリと何かの倒るゝ音して天より出しか地より湧しか、玉の腕は温く我頸筋にからまりて、雲の鬢の毛匂やかに頬を摩るをハット驚き、急しく見れば、有し昔に其儘の。お辰かと珠運も抱しめて額に唇。彫像が動いたのやら、女が来たのやら、問ば拙く語らば遅し。玄の又玄摩訶不思議。
[#改ページ]
団円 諸法実相
帰依仏の御利益眼前にあり
恋に必ず、必ず、感応ありて、一念の誠御心に協い、珠運は自が帰依仏の来迎に辱なくも拯いとられて、お辰と共に手を携え肩を駢べ優々と雲の上に行し後には白薔薇香薫じて吉兵衛を初め一村の老幼芽出度とさゞめく声は天鼓を撃つ如く、七蔵がゆがみたる耳を貫けば是も我慢の角を落して黒山の鬼窟を出、発心勇ましく田原と共に左右の御前立となりぬ。
其後光輪美しく白雲に駕て所々に見ゆる者あり。或紳士の拝まれたるは天鷲絨の洋服裳長く着玉いて駄鳥の羽宝冠に鮮なりしに、某貴族の見られしは白襟を召て錦の御帯金色赫奕たりしとかや。夫に引変え破褞袍着て藁草履はき腰に利鎌さしたるを農夫は拝み、阿波縮の浴衣、綿八反の帯、洋銀の簪位の御姿を見しは小商人にて、風寒き北海道にては、鰊の鱗怪しく光るどんざ布子、浪さやぐ佐渡には、色も定かならぬさき織を着て漁師共の眼にあらわれ玉いけるが業平侯爵も程経て踵小さき靴をはき、派手なリボンの飾りまばゆき服を召されたるに値偶せられけるよし。是皆一切経にもなき一体の風流仏、珠運が刻みたると同じ者の千差万別の化身にして少しも相違なければ、拝みし者誰も彼も一代の守本尊となし、信仰篤き時は子孫繁昌家内和睦、御利益疑なく仮令少々御本尊様を恨めしき様に思う事ありとも珠運の如くそれを火上の氷となす者には素より持前の仏性を出し玉いて愛護の御誓願空しからず、若又過ってマホメット宗モルモン宗なぞの木偶土像などに近づく時は現当二世の御罰あらたかにして光輪を火輪となし一家をも魂魂をも焼滅し玉うとかや。あなかしこ穴賢。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
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- 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
- この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。
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