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野道(のみち)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-4 10:05:02  点击:  切换到繁體中文


 真鍮刀は土耳古帽氏にわたされた。一同みんなはまたぶらぶらと笑語しながら堤上や堤下を歩いた。ふと土耳古帽氏は堤下の田のくろへ立寄って何かった。皆々はそれを受けたが、もっさりした小さな草だった。東坡巾先生は叮嚀ていねいにその疎葉そようを捨て、中心部の※(「嫩の攵の代りに欠」、第4水準2-5-78)わかいところをえらんで少しべた。自分はいきなり味噌をつけて喫べたが、すこしくあまいがめられないものだった。何です、これは、と変な顔をして自分が問うと、鼠股引氏が、なずなさ、ベンペン草も君はご存知ないのかエ、と意地の悪い云い方をした。エ、ぺンペン草で一盃いっぱい飲まされたのですか、と自分が思わずあきれて不興ふきょうして言うと、いいサ、かゆじゃあ一番いきな色を見せるというにくくもないものだから、と股引氏はいよいよ人をちゃにしている。土耳古帽氏はふたたび畠のそばから何かって来て、自分の不興を埋合うめあわせるつもりでもあるように、それならこれはどうです、と差出してくれた。それを見ると東坡巾先生は悲しむようにみょうに笑ったが、まず自ら手を出して喫べたから、自分も安心して味噌を着けて試みたが、歯切れの好いのみで、可も不可も無い。よくるとハコべの※(「嫩の攵の代りに欠」、第4水準2-5-78)わかいのだったので、ア、コリャ助からない、※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)とりじゃあ有るまいし、と手に残したのを抛捨なげすてると、一同みんながハハハと笑った。
 土耳古帽氏が真鍮刀を鼠股引氏に渡すと、氏はただちにそれを逓与わたして、わたしはこれはらない、と云いながら、見つけたものが有るのか、ちょっと歩きぬけて、百姓家ひゃくしょうや背戸せど雑樹籬ぞうきがきのところへ行った。籬には蔓草つるぐさ埒無らちなまといついていて、それに黄色い花がたくさん咲きかけていた。その花やつぼみをチョイチョイ摘取つみとって、ふところの紙の上に盛溢もりこぼれるほど持って来た。サア、味噌までにも及びません、と仲直り気味にまず予にすすめてくれた。花は唇形しんけいで、少し佳いかおりがある。食べると甘い、忍冬花すいかずらであった。これに機嫌きげんを直して、楽しく一杯酒をしょうした。
 氏はまた蒲公英たんぽぽ少しと、ふきおくとを採ってくれた。双方そうほう共に苦いが、蕗の芽はことに苦い。しかしいずれもごく少許しょうきょを味噌と共に味わえば、酒客好しゅかくごのみのものであった。
 困ったのは自分が何か採ろうと思っても自分のに何も入らなかったことであった。まさかオンバコやスギ菜を取って食わせる訳にもゆかず、せめてスカンポか茅花つばなでも無いかと思っても見当らず、茗荷みょうがぐらいは有りそうなものと思ってもそれも無し、山椒さんしょでも有ったらだけでもよいがと、くるしみながら四方あたり見廻みまわしても何も無かった。八重桜が時々見える。あの花に味噌を着けたら食えぬことは有るまい、最後はそれだ、と腹の中でめながら、なお四辺を見て行くと、百姓家の小汚こぎたな孤屋こおくの背戸にしいまじりにくりだか何だか三四本えてる樹蔭こかげに、黄色い四べんの花の咲いている、毛の生えたくきから、薄いやわらかげな裏の白い、桑のような形にれこみの大きい葉の出ているものがあった。何というものか知らないが、菜のたぐいの花を着けているからその類のものだろうと、別に食べる気でも食べさせる気でも無かったが、真鍮刀でその一茎を切って手にして一行のところへもどって来ると、鼠股引は目敏めざとくも、それは何です、と問うた。何だか知らないのであるがそうたずねられると、自分が食べてさえ見せればよいような気になって、答えもせずに口のほとりへ持って行った。途端とたんに恐ろしい敏捷すばやさで東坡巾先生はと出て自分の手からそれを打落うちおとして、ややあわ気味ぎみで、飛んでもない、そんなものを口にして成るものですか、としっするがごとくに制止した。自分はあきれておどろいた。
 先生のげんによると、それはタムシ草と云って、その葉や茎から出るしるれば疥癬ひぜんの虫さえ死んでしまうという毒草だそうで、食べるどころのものでは無い危いものだということであって、自分も全く驚いてしまった。こんな長閑気のんき仙人せんにんじみた閑遊かんゆうの間にも、危険は伏在ふくざいしているものかと、今更ながら呆れざるを得なかった。
 ペンペン草の返礼にあれをべさせられては、と土耳舌帽氏も恐れ入った。人々は大笑いに笑い、自分も笑ったが、自分の慙入はじいった感情は、洒々落々しゃしゃらくらくたる人々の間の事とて、やがて水と流され風とはらわれて何のあととどめなくなった。
 その日はなお種々いろいろのものをきっしたが、今くわしく思出すことは出来ない。その後のある日にもまた自分が有毒のものを採ってしかられたことを記憶きおくしているが、三十余年前のかの晩春の一日いちじつかすみおくの花のように楽しい面白かった情景として、春ごとの頭に浮んで来る。

(昭和三年五月)




 



底本:「ちくま日本文学全集 幸田露伴」筑摩書房
   1992(平成4)年3月20日第1刷発行
底本の親本:「現代日本文学全集4」筑摩書房
※底本の「小書き片仮名ト」(JIS X 0213、1-6-81)、「一ト口んだ」(底本401頁-4行)は、「ト」に置き換えました。
入力:林 幸雄
校正:門田裕志
2002年12月5日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
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  • この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。

    「飫」のへん+「巉」のつくり    398-6

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