真鍮刀は土耳古帽氏にわたされた。一同はまたぶらぶらと笑語しながら堤上や堤下を歩いた。ふと土耳古帽氏は堤下の田の畔へ立寄って何か採った。皆々はそれを受けたが、もっさりした小さな草だった。東坡巾先生は叮嚀にその疎葉を捨て、中心部のいところを揀んで少し喫べた。自分はいきなり味噌をつけて喫べたが、微しく甘いが褒められないものだった。何です、これは、と変な顔をして自分が問うと、鼠股引氏が、薺さ、ベンペン草も君はご存知ないのかエ、と意地の悪い云い方をした。エ、ぺンペン草で一盃飲まされたのですか、と自分が思わず呆れて不興して言うと、いいサ、粥じゃあ一番いきな色を見せるという憎くもないものだから、と股引氏はいよいよ人を茶にしている。土耳古帽氏は復び畠の傍から何か採って来て、自分の不興を埋合せるつもりでもあるように、それならこれはどうです、と差出してくれた。それを見ると東坡巾先生は悲しむように妙に笑ったが、まず自ら手を出して喫べたから、自分も安心して味噌を着けて試みたが、歯切れの好いのみで、可も不可も無い。よく視るとハコべのいのだったので、ア、コリャ助からない、じゃあ有るまいし、と手に残したのを抛捨てると、一同がハハハと笑った。
土耳古帽氏が真鍮刀を鼠股引氏に渡すと、氏は直にそれを予に逓与して、わたしはこれは要らない、と云いながら、見つけたものが有るのか、ちょっと歩きぬけて、百姓家の背戸の雑樹籬のところへ行った。籬には蔓草が埒無く纏いついていて、それに黄色い花がたくさん咲きかけていた。その花や莟をチョイチョイ摘取って、ふところの紙の上に盛溢れるほど持って来た。サア、味噌までにも及びません、と仲直り気味にまず予に薦めてくれた。花は唇形で、少し佳い香がある。食べると甘い、忍冬花であった。これに機嫌を直して、楽しく一杯酒を賞した。
氏はまた蒲公英少しと、蕗の晩れ出の芽とを採ってくれた。双方共に苦いが、蕗の芽は特に苦い。しかしいずれもごく少許を味噌と共に味わえば、酒客好みのものであった。
困ったのは自分が何か採ろうと思っても自分の眼に何も入らなかったことであった。まさかオンバコやスギ菜を取って食わせる訳にもゆかず、せめてスカンポか茅花でも無いかと思っても見当らず、茗荷ぐらいは有りそうなものと思ってもそれも無し、山椒でも有ったら木の芽だけでもよいがと、苦みながら四方を見廻しても何も無かった。八重桜が時々見える。あの花に味噌を着けたら食えぬことは有るまい、最後はそれだ、と腹の中で定めながら、なお四辺を見て行くと、百姓家の小汚い孤屋の背戸に椎の樹まじりに粟だか何だか三四本生えてる樹蔭に、黄色い四弁の花の咲いている、毛の生えた茎から、薄い軟らかげな裏の白い、桑のような形に裂れこみの大きい葉の出ているものがあった。何というものか知らないが、菜の類の花を着けているからその類のものだろうと、別に食べる気でも食べさせる気でも無かったが、真鍮刀でその一茎を切って手にして一行のところへ戻って来ると、鼠股引は目敏くも、それは何です、と問うた。何だか知らないのであるがそう尋ねられると、自分が食べてさえ見せればよいような気になって、答えもせずに口のほとりへ持って行った。途端に恐ろしい敏捷さで東坡巾先生は突と出て自分の手からそれを打落して、やや慌て気味で、飛んでもない、そんなものを口にして成るものですか、と叱するがごとくに制止した。自分は呆れて驚いた。
先生の言によると、それはタムシ草と云って、その葉や茎から出る汁を塗れば疥癬の虫さえ死んでしまうという毒草だそうで、食べるどころのものでは無い危いものだということであって、自分も全く驚いてしまった。こんな長閑気な仙人じみた閑遊の間にも、危険は伏在しているものかと、今更ながら呆れざるを得なかった。
ペンペン草の返礼にあれを喫べさせられては、と土耳舌帽氏も恐れ入った。人々は大笑いに笑い、自分も笑ったが、自分の慙入った感情は、洒々落々たる人々の間の事とて、やがて水と流され風と払われて何の痕も留めなくなった。
その日はなお種々のものを喫したが、今詳しく思出すことは出来ない。その後のある日にもまた自分が有毒のものを採って叱られたことを記憶しているが、三十余年前のかの晩春の一日は霞の奥の花のように楽しい面白かった情景として、春ごとの頭に浮んで来る。
(昭和三年五月)
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