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五重塔(ごじゅうのとう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-4 9:52:40  点击:  切换到繁體中文


       其十一

 格子開くる響爽かなること常の如く、お吉、今帰つた、と元気よげに上り来る夫の声を聞くより、心配を輪に吹き/\吸て居し煙草管きせるを邪見至極に抛り出して忙はしく立迎へ、大層遅かつたではないか、と云ひつゝ背面うしろへ廻つて羽織を脱せ、立ながらあごに手伝はせての袖畳み小早く室隅すみの方に其儘さし置き、火鉢の傍へ直また戻つて火急たちまち鉄瓶に松虫の音をおこさせ、むづと大胡坐かき込み居る男の顔を一寸見しなに、日は暖かでも風が冷く途中は随分ひえましたろ、一瓶ひとつ煖酒つけましよか、と痒いところへ能く届かす手は口をきく其ひまに、がたぴしさせず膳ごしらへ、三輪漬はの香ゆかしく、大根卸おろしで食はする※(「魚+生」、第3水準1-94-39)はらゝごは無造作にして気が利たり。
 源太胸には苦慮おもひあれども幾干いくらか此に慰められて、猪口把りさまに二三杯、後一杯をゆるく飲んで、きさまれと与ふれば、お吉一口、つけて、置き、焼きかけの海苔畳み折つて、追付三子さんこの来さうなもの、と魚屋の名を独語しつ、猪口を返して酌せし後、上※(二の字点、1-2-22)吉と腹に思へば動かす舌も滑かに、それはさうと今日の首尾は、大丈夫此方のものとは極めて居ても、知らせて下さらぬ中は無益むだな苦労を妾は為ます、お上人様は何と仰せか、またのつそり奴は如何なつたか、左様真面目顔でむつつりとして居られては心配で心配でなりませぬ、と云はれて源太は高笑ひ。案じて貰ふ事は無い、御慈悲の深い上人様はの道おれ好漢いゝをとこにして下さるのよ、ハヽヽ、なあお吉、弟を可愛がれば好いあにきではないか、腹のつたものには自分が少しは辛くても飯を分けてやらねばならぬ場合もある、ひとの怖いことは一厘無いが強いばかりが男児をとこでは無いなあ、ハヽヽ、じつと堪忍がまんして無理に弱くなるのも男児だ、嗚呼立派な男児だ、五重塔は名誉の工事しごと、たゞ我一人で物の見事に千年壊れぬ名物を万人の眼に残したいが、他の手も智慧も寸分ぜず川越の源太が手腕だけで遺したいが、嗚呼癇癪を堪忍するのが、ゑゝ、男児だ、男児だ、成程好い男児だ、上人様に虚言は無い、折角望みをかけた工事を半分他に呉るのはつく/″\忌※(二の字点、1-2-22)しけれど、嗚呼、辛いが、ゑゝあにきだ、ハヽヽ、お吉、我はのつそりに半口与つて二人で塔を建てやうとおもふは、立派な弱い男児か、賞めて呉れ賞めて呉れ、きさまにでも賞めて貰はなくては余り張合ひの無い話しだ、ハヽヽと嬉しさうな顔もせで意味の無い声ばかりはづませて笑へば、お吉は夫の気を量りかね、上人様が何と仰やつたか知らぬが妾にはさつぱり分らずちつとも面白くない話し、唐偏朴のあののつそりめに半口与るとは何いふ訳、日頃の気性にも似合はない、与るものならば未練気なしに悉皆すつかり与つて仕舞ふが好いし、固より此方で取る筈なれば要りもせぬ助太刀頼んで、一人の首を二人で切る様な卑劣けちなことをするにも当らないではありませぬか、冷水で洗つたやうな清潔きれいな腹を有つて居ると他にも云はれ自分でも常※(二の字点、1-2-22)云ふて居たおまへが、今日に限つて何といふ煮切ない分別、女の妾から見ても意地の足らない愚図※(二の字点、1-2-22)※(二の字点、1-2-22)思案、賞めませぬ賞めませぬ、どうして中※(二の字点、1-2-22)賞められませぬ、高が相手は此方こちの恩を受けて居るのつそり奴、一体ならば此方の仕事を先潜りする太い奴と高飛車に叱りつけて、ぐうの音も出させぬやうに為れば成るのつそり奴を、左様甘やかして胸の焼ける連名工事れんみやうしごとを何で為るに当る筈のあらうぞ、甘いばかりが立派の事か、弱いばかりが好い男児か、妾の虫には受け取れませぬ、何なら妾が一走りのつそり奴のところに行つて、重※(二の字点、1-2-22)恐れ入りましたと思ひ切らせて謝罪あやまらせて両手を突かせて来ませうか、と女賢しき夫思ひ。源太は聞いで冷笑あざわらひ、何が汝に解るものか、我の為ることを好いとおもふて居てさへ呉るればそれで可いのよ。

        其十二

 色も香も無く一言に黙つて居よと遣り込められて、聴かぬ気のお吉顔ふり上げ何か云ひ出したげなりしが、自己おのれよりは一倍きかぬ気の夫の制するものを、押返して何程云ふとも機嫌を損ずる事こそはあれ、口答への甲斐は露無きを経験おぼえあつて知り居れば、連添ふものに心の奥を語り明して相談かけざる夫を恨めしくはおもひながら、其所は怜悧りこうの女の分別早く、何も妾が遮つて女の癖に要らざるくちを出すではなけれど、つい気にかゝる仕事の話し故思はず様子の聞きたくて、余計な事も胸の狭いだけに饒舌つた訳、と自分が真実籠めし言葉を態と極※(二の字点、1-2-22)軽う為て仕舞ふて、何所までも夫の分別に従ふやう表面うはべを粧ふも、幾許か夫の腹の底に在る煩悶もしやくしやいで遣りたさよりの真実まこと。源太もこれに角張りかゝつた顔をやわらげ、何事も皆天運まはりあはせぢや、此方の了見さへ温順すなほやさしく有つて居たなら又好い事の廻つて来やうと、此様おもつて見ればのつそりに半口与るも却つて好い心持、世間は気次第で忌※(二の字点、1-2-22)しくも面白くもなるもの故、出来るだけは卑劣けち※(「金+肅」、第3水準1-93-39)さびを根性に着けず瀟洒あつさりと世を奇麗に渡りさへすれば其で好いは、と云ひさしてぐいと仰飲あふぎ、後は芝居の噂やら弟子共が行状みもちの噂、真に罪無き雑話を下物さかなに酒も過ぎぬほど心よく飲んで、下卑げび体裁さまではあれどとり膳睦まじく飯を喫了をはり、多方もう十兵衞が来さうなものと何事もせず待ちかくるに、時は空しく経過たつて障子の※(「日/咎」、第3水準1-85-32)ひかげ一尺動けど尚見えず、二尺も移れど尚見えず。
 是非先方むかうより頭を低し身をすぼめて此方へ相談に来り、何卒半分なりと仕事を割与わけて下されと、今日の上人様の御慈愛おなさけ深き御言葉を頼りに泣きついても頼みをかけべきに、何として如是かうは遅きや、思ひ断めて望を捨て、既早相談にも及ばずとて独り我家にくすぼり居るか、それともまた此方より行くを待つて居る、若しも此方の行くを待つて居るといふことならば余り増長した了見なれど、まさかに其様な高慢気も出すまじ、例ののつそりで悠長に構へて居るだけの事ならむが、扨も気の長い男め迂濶にも程のあれと、煙草ばかり徒らにかし居て、待つには短き日も随分長かりしに、それさへ暮れて群烏ねぐらに帰る頃となれば、流石に心おもしろからず漸く癇癪の起り/\て耐へきれずなりし潮先、据られし晩食ゆふめしの膳に対ふと其儘云ひ訳ばかりに箸をつけて茶さへゆるりとは飲まず、お吉、十兵衞めがところに一寸行て来る、行違ひになつて不在るすへ来ば待たして置け、と云ふ言葉さへとげ/\しく怒りを含んで立出かゝれば、気にはかゝれど何とせん方もなく、女房は送つて出したる後にて、たゞ溜息をするのみなり。

        其十三

 渋つて聞きかぬる雨戸に一しほ源太は癇癪の火の手をたかぶらせつつ、力まかせにがち/\引き退け、十兵衞家にか、と云ひさまに突と這入れば、声色知つたるお浪早くもそれと悟つて、恩ある其人のむかうに今は立ち居る十兵衞に連添へる身の面をあはすこと辛く、女気の繊弱かよわくも胸を動悸どきつかせながら、まあ親方様、と唯一言我知らず云ひ出したるり挨拶さへどぎまぎして急には二の句の出ざる中、煤けし紙に針の孔、油染みなんど多き行燈の小蔭に悄然しよんぼりと坐り込める十兵衞を見かけて源太にずつと通られ、周章て火鉢の前に請ずる機転の遅鈍まづきも、正直ばかりで世態知悉のみこまぬ姿なるべし。
 十兵衞は不束に一礼して重げに口を開き、明日の朝参上あがらうとおもふて居りました、といへばぢろりと其顔下眼に睨み、態と泰然おちつきたる源太、応、左様いふ其方の心算つもりであつたか、此方は例の気短故今しがたまで待つて居たが、何時になつてそなたの来るか知れたことでは無いとして出掛けて来ただけ馬鹿であつたか、ハヽヽ、然し十兵衞、汝は今日の上人様の彼お言葉を何と聞たか、両人ふたりで熟く/\相談して来よと云はれた揚句に長者の二人の児の御話し、それで態※(二の字点、1-2-22)相談に来たが汝も大抵分別は既定めて居るであらう、我も随分虫持ちだが悟つて見ればあの譬諭たとへの通り、尖りあふのは互に詰らぬこと、まんざら敵同士でもないに身勝手ばかりは我も云はぬ、つまりは和熟した決定けつぢやうのところが欲い故に、我慾は充分折つてくだいて思案を凝らして来たものゝ、尚汝の了見も腹蔵の無いところを聞きたく、其上にまた何様とも為やうと、我も男児をとこなりや汚い謀計たくみを腹には持たぬ、真実ほんと如是かうおもふて来たは、と言葉を少時とゞめて十兵衞が顔を見るに、俯伏たまゝたゞはい、唯と答ふるのみにて、乱鬢の中に五六本の白髪が瞬く燈火あかりの光を受けてちらり/\と見ゆるばかり。お浪ははや寝し猪の助が枕の方につい坐つて、呼吸さへせぬやう此もまた静まりかへり居る淋しさ。却つて遠くに売りあるく鍋焼饂飩の呼び声の、幽に外方そとよりの中に浸みこみ来るほどなりけり。
 源太はいよ/\気を静め、語気なだらかに説き出すは、まあ遠慮もなく外見みえもつくらず我の方から打明けやうが、何と十兵衞斯しては呉れぬか、折角汝も望をかけ天晴名誉の仕事をして持つたる腕の光をあらはし、慾徳では無い職人の本望を見事に遂げて、末代に十兵衞といふ男が意匠おもひつきぶり細工ぶり此視て知れと残さうつもりであらうが、察しも付かう我とても其は同じこと、さらに有るべき普請では無し、取りはぐつては一生にまた出逢ふことは覚束ないなれば、源太は源太でおれが意匠ぶり細工ぶりを是非遺したいは、理屈を自分のためにつけて云へば我はまあ感応寺の出入り、汝は何のゆかりもないなり、我は先口、汝は後なり、我は頼まれて設計つもりまで為たに汝は頼まれはせず、他の口から云ふたらばまた我は受負ふても相応、汝が身柄がらでは不相応と誰しも難をするであらう、だとて我が今理屈を味方にするでもない、世間を味方にするでもない、汝が手腕の有りながら不幸ふしあはせで居るといふも知つて居る、汝が平素ふだん薄命ふしあはせを口へこそ出さね、腹の底ではの位泣て居るといふも知つて居る、我を汝の身にしては堪忍がまんの出来ぬほど悲い一生といふも知つて居る、夫故にこそ去年一昨年何にもならぬことではあるが、まあ出来るだけの世話は為たつもり、然し恩に被せるとおもふて呉れるな、上人様だとて汝の清潔きれいな腹の中を御洞察おみとほしになつたればこそ、汝の薄命ふしあはせを気の毒とおもはれたればこそ今日のやうな御諭し、我も汝が慾かなんぞで対岸むかうにまはる奴ならば、ひとの仕事に邪魔を入れる猪口才な死節野郎と一釿ひとてうなに脳天打欠ぶつかかずには置かぬが、つく/″\汝の身を察すればいつそ仕事も呉れたいやうな気のするほど、といふて我も慾は捨て断れぬ、仕事は真実何あつても為たいは、そこで十兵衞、聞ても貰ひにくゝ云ふても退けにくい相談ぢやが、まあ如是ぢや、堪忍がまんして承知して呉れ、五重塔は二人で建てう、我を主にして汝不足でもあらうがそへにたつて力を仮してはくれまいか、不足ではあらうが、まあ厭でもあらうが源太が頼む、聴ては呉れまいか、頼む/\、頼むのぢや、黙つて居るのは聴て呉れぬか、お浪さんもわしの云ふことの了つたなら何卒口を副て聴て貰つては下さらぬか、と脆くも涙になりゐる女房にまで頼めば、お、お、親方様、ゑゝありがたうござりまする、何所に此様な御親切の相談かけて下さる方のまた有らうか、何故御礼をば云はれぬか、と左の袖は露時雨、涙に重くなしながら、夫の膝を右の手で揺り動しつ掻口説けど、先刻より無言の仏となりし十兵衞何とも猶言はず、再度三度かきくどけど※(二の字点、1-2-22)むつくりとして猶言はざりしが、やがて垂れたるかうべを擡げ、どうも十兵衞それは厭でござりまする、と無愛想に放つ一言、吐胸をついて驚く女房。なんと、と一声烈しく鋭く、頸首くびぼね反らす一二寸、眼に角たてゝのつそりを驀向まつかうよりして瞰下す源太。

       其十四

 人情の花もなくさず義理の幹も確然しつかり立てゝ、普通なみのものには出来ざるべき親切の相談を、一方ならぬ実意じつの有ればこそ源太の懸けて呉れしに、如何に伐つて抛げ出したやうな性質もちまへが為する返答なればとて、十兵衞厭でござりまするとは余りなる挨拶、ひと情愛なさけの全で了らぬ土人形でも斯は云ふまじきを、さりとては恨めしいほど没義道な、口惜いほど無分別な、如何すれば其様に無茶なる夫の了見と、お浪は呆れもし驚きもし我身の急に絞木にかけてしめらるゝ如き心地のして、思はず知らず夫にすり寄り、それはまあ何といふこと、親方様が彼程に彼方此方のためを計つて、見るかげもない此方連このはうづれ、云はゞ一足に蹴落して御仕舞ひなさるゝことも為さらばできる此方連に、大抵ではない御情をかけて下され、御自分一人で為さりたい仕事をも分与わけて遣らう半口乗せて呉れうと、身に浸みるほどありがたい御親切の御相談、しかも御招喚およびつけにでもなつてでのことか、坐蒲団さへあげることの成らぬ此様なところへ態※(二の字点、1-2-22)御来臨おいでになつての御話し、それを無にして勿体ない、十兵衞厭でござりまするとは冥利の尽きた我儘勝手、親方様の御親切の分らぬ筈は無からうに胴慾なも無遠慮なも大方程度ほどあひのあつたもの、これ此妾の今着て居るのも去年の冬の取り付きに袷姿の寒げなを気の毒がられてお吉様の、縫直なほして着よと下されたのとは汝の眼にはうつらぬか、一方ならぬ御恩を受けて居ながら親方様の対岸むかうへ廻るさへあるに、それを小癪なとも恩知らずなとも仰やらず、何処までも弱い者を愛護かばふて下さる御仁慈おなさけ深い御分別にもり縋らいで一概に厭ぢやとは、仮令ば真底から厭にせよ記臆ものおぼえのある人間ひとの口から出せた言葉でござりまするか、親方様の手前お吉様の所思おもはくをも能くとつくりと考へて見て下され、妾はもはや是から先何の顔さげて厚ヶ間敷お吉様の御眼にかゝることの成るものぞ、親方様は御胸の広うて、あゝ十兵衞夫婦は訳の分らぬ愚者なりや是も非もないと、其儘何とも思しめされず唯打捨て下さるか知らねど、世間はおまへを何と云はう、恩知らずめ義理知らずめ、人情解せぬ畜生め、彼奴あれめは犬ぢや烏ぢやと万人の指甲つめに弾かれものとなるは必定、犬や烏と身をなして仕事を為たとて何の功名てがら、慾をかわくな齷齪するなと常※(二の字点、1-2-22)妾に諭された自分の言葉に対しても恥かしうはおもはれぬか、何卒柔順すなほに親方様の御異見について下さりませ、天に聳ゆる生雲塔は誰※(二の字点、1-2-22)二人で作つたと、親方様と諸共に肩を並べて世にうたはるれば、汝の苦労の甲斐も立ち親方様の有難い御芳志おこゝろざしも知るゝ道理、妾も何の様に嬉しかろか喜ばしかろか、若し左様なれば不足といふは薬にしたくも無い筈なるに、汝は天魔に魅られて其をまだ/\不足ぢやとおもはるゝのか、嗚呼情無い、妾が云はずと知れてゐるおまへ自身の身の程を、身の分際を忘れてか、と泣声になり掻口説く女房の頭は低く垂れて、髷にさゝれし縫針のめどくはへし一条ひとすぢの糸ゆら/\と振ふにも、千※(二の字点、1-2-22)に砕くる心の態の知られていとゞ可憫いぢらしきに、眼を瞑ぎ居し十兵衞は、其時例の濁声だみごゑ出し、喧しいはお浪、黙つて居よ、我の話しの邪魔になる、親方様聞て下され。

       其十五

 思ひの中に激すればや、じた/\とふるひ出す膝の頭を緊乎しつかと寄せ合せて、其上に両手もろて突張り、身を固くして十兵衞は、情無い親方様、二人で為うとは情無い、十兵衞に半分仕事を譲つて下されうとは御慈悲のやうで情無い、厭でござります、厭でござります、塔の建てたいは山※(二の字点、1-2-22)でももう十兵衞は断念あきらめて居りまする、御上人様の御諭おさとしを聞いてからの帰り道すつぱり思ひあきらめました、身の程にも無い考を持つたが間違ひ、嗚呼私が馬鹿でござりました、のつそりは何処迄ものつそりで馬鹿にさへなつて居れば其で可い訳、溝板でもたゝいて一生を終りませう、親方様堪忍かにして下されわたしが悪い、塔を建てうとはもう申しませぬ、見ず知らずの他の人ではなし御恩になつた親方様の、一人で立派に建てらるゝを余所よそながら視て喜びませう、と元気無げに云ひ出づるを走り気の源太※(二の字点、1-2-22)ゆるりとは聴て居ず、ずいと身を進て、馬鹿を云へ十兵衞、余り道理が分らな過ぎる、上人様の御諭はきさま一人に聴けといふてなされたではない我が耳にも入れられたは、汝の腹でも聞たらば我の胸で受取つた、汝一人に重石おもしを背負つて左様沈まれて仕舞ふては源太が男になれるかやい、詰らぬ思案に身を退て馬鹿にさへなつて居れば可いとは、分別が摯実くすみ過ぎて至当もつともとは云はれまいぞ、応左様ならば我が為ると得たりかしこで引受けては、上人様にも恥かしく第一源太が折角磨いた侠気をとこも其所で廃つて仕舞ふし、汝はもとより虻蜂取らず、智慧の無いにも程のあるもの、そしては二人が何可からう、さあ其故に美しく二人で仕事を為うといふに、少しは気まづいところが有つてもそれはお互ひ、汝が不足な程に此方にも面白くないのあるは知れきつた事なれば、双方忍耐がまん仕交しあふとして忍耐の出来ぬ訳はない筈、何もわざ/\骨を折つて汝が馬鹿になつて仕舞ひ、幾日の心配を煙ときやし天晴な手腕うでを寝せ殺しにするにも当らない、なう十兵衞、我の云ふのが腑に落ちたら思案を翻然がらりと仕変へて呉れ、源太は無理は云はぬつもりだ、これさ何故黙つて居る、不足か不承知か、承知しては呉れないか、ゑゝ我の了見をまだ呑み込んでは呉れないか、十兵衞、あんまり情無いではないか、何とか云ふて呉れ、不承知か不承知か、ゑゝ情無い、黙つて居られては解らない、我の云ふのが不道理か、それとも不足で腹立てゝか、と義には強くて情には弱く意地も立つれば親切も飽くまで徹す江戸ッ子腹の、源太は柔和やさしく問ひかくれば、聞居るお浪は嬉しさの骨身に浸みて、親方様あゝ有り難うござりますると口には出さねど、舌よりも真実を語る涙をば溢らす眼に、返辞せぬ夫の方を気遣ひて、見れば男は露一厘身動きなさず無言にて思案の頭重くれ、ぽろり/\と膝の上に散らす涙珠なみだちて声あり。
 源太も今は無言となり少時しばらくひとり考へしが、十兵衞汝はまだ解らぬか、それとも不足とおもふのか、成程折角望んだことを二人でするは口惜かろ、然も源太をしんにして副になるのは口惜かろ、ゑゝ負けてやれ斯様して遣らう、源太は副になつても可い汝を心に立てるほどに、さあ/\清く承知して二人で為うと合点せい、と己が望みは無理に折り、思ひきつてぞ云ひ放つ。とッとんでも無い親方様、仮令十兵衞気が狂へばとて何して其様は出来ますものぞ、勿体ない、と周章て云ふに、左様なら我の異見につくか、と唯一言に返されて、其は、とつまるをまた追つ掛け、きさまを心に立てやうか乃至それでも不足か、と烈しく突かれて度を失ふ傍にて女房が気もわくせき、親方様の御異見に何故まあ早く付かれぬ、と責むるが如く恨みわび、言葉そゞろに勧むれば十兵衞つひに絶体絶命、下げたる頭をしづかに上げつぶらの眼を剥き出して、一ツの仕事を二人でするは、よしや十兵衞心になつても副になつても、厭なりや何しても出来ませぬ、親方一人で御建なされ、私は馬鹿で終りまする、と皆まで云はせず源太は怒つて、これほど事を分けて云ふ我の親切なさけを無にしても歟。はい、ありがたうはござりまするが、虚言うそは申せず、厭なりや出来ませぬ。おのれよく云つた、源太の言葉にどうでもつかぬ歟。是非ないことでござります。やあ覚えて居よ此のつそりめ、ひとの情の分らぬ奴、其様の事云へた義理か、よし/\おのれに口は利かぬ、一生どぶでもいぢつて暮せ、五重塔は気の毒ながら汝に指もさゝせまい、源太一人で立派に建てる、成らば手柄に批点てんでも打て。

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