南へ行く雲
東京にては雲の南へ行く時火災多し。明暦三年より明治十四年までの間に大火九十三度ありて、中二十二三度のほかは、雲南の方へ走り、若くは南東南東西の方へ走りたる時なり。冬は多く北風吹き、火のあやまちは冬多きものなれば、怪むべくもあらぬ事ながら、東京の大火を叙せんとて、心も無く、北へ行く雲に火の色うつりて天は紅霞のわたれるが如し、など別の故も無きに筆を舞はして記さば、如何に見苦しきものに老いたる人などの見なさん。心せでは叶ふまじきことなり。
たぢろぐ雲
風の力おとろへ、雲の行くこと少し遅くなりて、天の猶黒きが中より星などきら/\と見ゆること、雨の後などにはあるものなり。さる折の雲の得行きもせず、遏(とゞ)まるといふにもあらで、たゆたふやうなるが、月星などの光あるに気圧(けお)さるゝかとも見ゆるさまなるを、たゞ、いざよふ雲と云はんもをかしからず、たゞよふ雲、たちまよふ雲、行きまよふ雲など云はんも興無し。「はれぬるかたぢろぐ雲の絶間より星見えそむる村雲の空」といへる歌に、たぢろぐ雲といへるはいとおもしろし。ゑせ歌人(うたびと)は、かゝる言葉のはたらきあるはたらきよりは、猶ふるき言葉のあたひ無きあたひを尊むべきものと思へるなるべし。言葉のやすらかなるは極めてよし、言葉の確(しか)と実際に協(かな)ひたるは、ひときはよきなり。
雲を駆る
支那の言葉づかひには、また我が邦のと異りたるおもしろみあるにや。灼然として雲を駆って白日を見る如し、といふ語の駆雲の二字の如きは、我が邦の歌の中には見がたきものなるべし。はらふといふにては駆るといふより弱くしておもしろからぬなり。
あだ雲
「月の前に時雨過ぎたるあだ雲をはらふならひは秋の山風」といへる歌、慈鎭和尚の詠としては、つたなし。されどあだ雲といへる言葉をかし。あだは、あだ人あだ花などのあだなるべし。用ゐざまによりては、をかしき節ある歌をもなすに足るべき言葉なり。
雲のわざ
雲のするわざも多きが中に、いとおもしろきは、冬の日の朝早く、平らかにわたれる雲の、谷を籠め麓を蓋(おほ)ひて、世の何物をも山の上の人には見せぬことなり。日輪いまだ出でたまはず、月落ち星の光り薄れながら、天(そら)猶ひとしきり暗き頃、山高きところに宿りたる身のよろづ物珍らしきに、例に無く夙(はや)く起き出でゝ、戸などをも自ら繰り、心しまるやうなる寒さを忍びて眼を放つて見わたせば、昨日は脚の下に麓路の村も画の如く小さく見え、川の流れの白きが糸ほどに細くそれと知られ、深き谿を隔てゝかれこれと名ある山々の数多く連なり立ちたるが眼に入りしに、今は我が立てるところを去る幾干(いくばく)もあらぬ下より遙に向ふの方際涯(はて)知らぬあたりまで、平らかにして大江の水の如くなる白雲たなびき渡り、村もかくし川もかくし山々谿々も匿(かく)しはてゝ、下界を海の底に沈め尽したるが如くに見せたる、雲のわざとは知りながら流石に馴れぬ眼には驚かるゝものなり。開門忽怪山為海、万畳雲濤露一峰と詩にいへるも、まことによく云ひ得たりといふべし。
雲中の夢
上にあげたる如き白雲の中に眠りても人の夢は猶塵境に迷ひて、おろかなる事のみ見るものなり。「白雲の中に寐(いね)ても山をいでゝ塵のちまたに通ふ夢かな」とは我がある時の実際をよみたる吟なりき。
雲のさま
韓雲は布の如く、趙雲は牛の如く、楚雲は日の如く、宋雲は車の如く、衛雲は犬の如く、周雲は輪の如く、秦雲は行人の如く、魏雲は鼠の如く、斉雲は絳衣の如く、越雲は龍の如く、蜀雲は※(きん)の如し、と云へるはいとをかし。地に定まりたる雲あり、雲に定まりたる形あるべきにや。おほよそは定まりもあるべし、詳しくはいかゞ。江戸の坂東太郎、浪花の丹波太郎、九州の比古太郎、近江あたりの信濃太郎、これらは雲の出づる方により負はせたる名なれば、けしうもあらず。加賀の鼬雲、安房の岸雲、播磨の岩雲などは、其土の人々の雲の形を然(しか)思ひ做して然呼び做したるなるべければ、魏雲鼠の如く斉雲絳衣の如しなどいへるも、魏斉の俗に鼠雲絳衣雲等の称ありて後云ひ出せることにや。単に一人の口よりほしいまゝに、いづくの雲はそれのものの形に似たりなど云はんは、余りに烏滸(おこ)にしれたるわざなるべし。
かさほこ雲
南の方の天にさしがさを開きたるやうに立つ雲を、かさほこ雲といふとぞ。其雲やがて破れて、その破れたる方より風吹くと聞きたれど、市中にのみ住める身の、未だよく見知るべき時にあはざるこそ口惜けれ。
かなとこ雲
東の方に築地をつきたる如く立つ白雲を、かなとこ雲といふよしなり。かなとこは鉄砧にて、其形鉄砧にも似たればなるべし。其雲先しりぞけば西風強く吹き、たちあがれば足をおろして雨となると伝ふ。東に白雲の築地の如く見えたるは眼にしたれど、猶かなとこ雲の風情といふを知らず。
卿雲
景雲といひ、卿雲といひ、慶雲といへる、しかと指し定められたる雲にはあらざるべし。卿雲爛たり糺縵々たり、といへる、煙にあらず雲にあらず紫を曳き光を流す、といへる、大人作矣、五色氤※(いんうん)、といへる、金柯初めて繞繚、玉葉漸く氤※、といへる、還つて九霄に入りて※※(かうがい)を成し、夕嵐生ずる処鶴松に帰る、といへる詩の句などによりて見れば、帰するところは美しき雲といふまでなり。一年の中に幾度か爛たる雲の見えざらん。若しまた余りに美しき眼なれぬ雲などの出でたらんは、気中のさまの常ならぬよりなるべければ、却つて悦ぶべからざるに似たり。五色の雲など何にせん、天は青きがめでたく、雲は白きこそ優しけれ。八雲立つの神の御歌を解きて、その時立ちし雲は天地のみたまの顕(あら)はせりし吉瑞にて、いともくしびなる雲なりけむなど橘の守部が云へるは、当れりや否や、知らず。くしびなる雲とは如何なる雲ぞや、問はまほし。八雲立ちといひたまはで、八雲立つと言い切り玉へるも彼の奇しき瑞雲に驚かせ給へる語勢なりなどいへる、ことに奇しき言なり。崇神紀の歌に、八雲立つ出雲梟師が云々と歌へるも、八雲たちとは云はで八雲立つといひたるなれば、驚きたる語勢なりといふべきか、いと奇しき言なり。
底本:「露伴全集 第29巻」岩波書店
1954(昭和29)年12月4日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を次の通りあらためました。
1.常用漢字表、人名漢字別表に掲げられている漢字を新字にあらためました。
ただし、人名については底本のままとしました。
※「山々」「勃々」「蝶々」などの「々」は、底本では二の字点(第3水準1-2-22)を使用
入力:地田尚
校正:今井忠夫
ファイル作成:野口英司
2001年6月18日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
●表記について
本文中の「/\」は、二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)。
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」。
本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。
蜀雲は※(きん)の如し、 |
 第4水準2-4-56 |
五色氤※(いんうん)、 玉葉漸く氤※、 |
 第3水準1-86-48 |
還つて九霄に入りて※※(かうがい)を成し、 |
  第3水準1-86-55、第4水準2-79-44 |
上一页 [1] [2] 尾页