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雲のいろ/\(くものいろいろ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-4 9:46:29  点击:  切换到繁體中文

底本: 露伴全集 第29巻
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1954(昭和29)年12月4日
入力に使用: 1954(昭和29)年12月4日初版
校正に使用: 1954(昭和29)年12月4日初版

 

   夜の雲

 夏より秋にかけての夜、美しさいふばかり無き雲を見ることあり。都会の人多くは心づかぬなるべし。舟に乗りて灘を行く折、天(そら)暗く水黒くして月星の光り洩れず、舷を打つ浪のみ青白く騒立(さわだ)ちて心細く覚ゆる沖中に、夜は丑三つともおもはるゝ頃、艙上に独り立つて海風の面を吹くがまゝ衣袂(いべい)湿りて重きをも問はず、寝られぬ旅の情を遣らんと詩など吟ずる時、いなづま忽として起りて、水天一斉に凄じき色に明るくなり、千畳万畳の濤の頭は白銀の簪(かざし)したる如く輝き立つかと見れば、怪しき岩の如く獣の如く山の如く鬼の如く空に峙(そばだ)ち蟠(わだか)まり居し雲の、皆黄金色の笹縁(さゝべり)つけて、いとおごそかに、人の眼を驚かしたる、云はんかたなく美し。

      雨後の雲

 雨後の雲の美しさは山にてこそ見るべけれ。低き山に居たらんには猶甲斐なかるべし。名ある山々をも眼の前脚の下に見るほどの山に在りて、夏の日の夕など、風少しある時、谿に望みて遠近(をちこち)の雲の往来(ゆきき)を観る、いと興あり。前山の色の翠ひとしほ増して裾野の風情も見どころ多く、一郭(ひとくるわ)なせる山村の寺などそれかとも見ゆるに、濃く白き雲の、足疾く風に乗りて空に翔くるが、自己(おのれ)の形をも且つ龍の如く且つ虎の如く、飜(ひるがへ)りたる布の如く、張りたる傘の如くさま/″\に変へつゝ、山を蝕(むしば)み、裾野を被(おほ)ひ、山村を呑みつ吐きつして、前なるは這ふやうに去るかと見れば、後なるは飛ぶ如くに来りなんどする状(さま)、観て飽くといふことを覚えず。小山の峰通(みねどほ)り立てる松の並木の遠見には馬の鬣のやうなるが現はれつ隠れつする、金字形したる山の嶺の、心あてに見しあたりならぬところに突として面出す、ことにおもしろし。

      坂東太郎

 丹波太郎は西鶴の文に出でたりと覚えたり、坂東太郎は未だ古人の文に其風情をしるされざるにや、雲にも人に知らるゝ知られざるのあるもをかし。坂東太郎は東京にて夏の日など見ゆる恐ろしげなる雲なり。夕立雨の今や来たらんといふやうなる時、天の半(なかば)を一面に蔽ひて、十万の大兵野を占めたる如く動かすべくもあらぬさまに黒みわたり、しかも其中に風を含みたりと覚しく、今や動(ゆる)ぎ出さんとする風情、まことに一敗の後の将卒必死を期してこと/″\く静まりかへつたるが中に勃々として抑ふべからざる殺気を含めるが如し。此雲天に瀰(はびこ)るとやがて、風ざわ/\と吹き下し、雨どつと落ちかゝり来るならひにて、あらしめきたる空合に此雲の出でたる、また無く物すさまじく、をかしき形などある雲とは異りて、秋水の千里を浸し犯す如く出で来れる宏壮の趣きありて、心弱き児女の愛する能はざるものなり。東京の市中(まちなか)にて眼にするものの中、此雲の風情など除きては、壮快なるものいと少かるべし。

      蝶々雲

 風吹く時、はなれ/″\になりたる大きからぬ雲の色白き、あるは薄黒きが、蝶などの如くひら/\と風下へ舞ひつ飛びつして行くあり。これを蝶々雲とは、面白くも名づけたるものかな。

      ゐのこ雲

 蝶々雲は古き歌に見えたりや否や知らず、ゐのこ雲といへるは仲正の歌に見えたり。夏の夜秋の夜など、雨もたぬ空の晴れたるに、ひとかたまりの雲のゐのこの如く丸く肥えて見ゆるが、月のあたり走り行くは人々の知るところなるが、これもまた風情ある雲なり。「空払ふ月の光におひにけり走りちりぬるゐのこ雲かな」とよめる歌は、おもしろしとも思へねど、ゐのこ雲といふ名を伝へたる功は此歌にあるべきにや。

      みづまさ雲

 慈鎭和尚の歌に、「まだ晴れぬ水まさ雲にもる月を空しく雨の夜はやおもはん」といへるがあり。水まさ雲は如何なる雲をさすにやと久しく思ひ疑ひ居けるに、全流の兵書に、雨雲の一種にて、はなればなれに魚の鱗のならべるやうに空に布くものなり、とありたるにて、さては水増雲の義なるべしなど思ひぬ。古(いにしへ)の歌人はあなどり難し。なか/\に今の人などより森羅万象に心をつくることまめやかにて、我等が思ひも寄らぬあたりのものをも歌の材として用ゐ居るなり。

      望雲楼

 東坡が望雲楼の詩に、陰晴朝暮幾回新、已向虚空付此身、出本無心帰亦好、白雲還似望雲人、といへる、さすがにをかしからぬにはあらねど、なほ下の心のあるやうにて、白雲点頭すべきや否や覚束無し。

      寂蓮の雲の歌

 「風にちるありなし雲の大空にたゞよふほどや此世なるらん」といへる寂蓮法師の歌こそおもしろけれ。雲のはかなき、此世のたのみなきは知れわたりたる事なれど、かく美しく歌ひ出されたるを二度三度吟じかへせば、また今さらに、雲のはかなさ、此世のたのみなさを身にしみて覚ゆるなり。風に散ると云ひ起したる既にいとあはれなるに、ありなし雲のと、めづらしくておだやかなる、しかも人の心を幽玄なる境にひきこむやうなる言葉を用ゐて、さて其後に、大空にと、広大なるものを拈出し、たゞよふほどや此世なるらんと、あはれに悲しき長歎のおもひの上に結びとゞめたる、誰か感無しと此歌に対ひて云ひ罵り得ん。心しづかに三たびも唱ふれば、紛々たる名利の境を捨てゝ寂静の土に往かんと願ふ厭欣(をんぐ)の念、油然として湧き出づるを覚ゆるなり。

      いわしぐも

 鰯雲といふは、鰯などの群るゝ如く点々相連(あひつらな)りて空に瀰るものを云ふなり。晴れたる日の夕暮など多く見ゆるなるが、雨気を含むものにや。さては水まさ雲と同じかるべし。「芝浦の漁人も網を打忘れ月には厭ふいわし雲かな」といへる狂歌、天明頃の人の咏にあり。青き空の半ほど此雲白くつらなりて瀰(わた)れる、風情ありて美はし。童児などは、此雲を指さして、鰯の取るゝ兆なりといふもまたをかし。

      とよはた雲

 とよはた雲とは、しかと雲の名にはあらぬなるべし。信實の歌にては、夕立する頃の例のいかめしき雲を云へるが如く、後鳥羽院の御歌にては、たゞ美しき夕の雲をさし玉へるが如し。「わだつみのとよはた雲に入日さしこよひの月夜あきらけくこそ」といへる天智天皇の御歌に見えたるがはじめなるに、御歌にては、旗の形なせるやうの夕の雲を云ひたまへるのみなり。雲の旗の如く見ゆることは多し、旗雲といふ語は今無きやうなり。

      ほそまひ雲

 布を引きたるやうに白くおだやかに空にわたる雲あり。大抵此雲見ゆる時は、空青く澄みて色美しく凪ぎわたりたるに、刷毛にてひきたる如く淡く白く天に横たはるなり。これを何といふ名の雲ぞと折ふし老人などに問ひたれど教へ呉るゝ人も無く、彼(か)の雲出づるは天気よき兆なりと云ひしを聞きたるのみなりしに、海賊衆の一なる能島家の兵書によりて、ほそまひ雲といふものなりと知りぬ。名もゆかし、歌などにも用ゐ得べきか。

      翻雲覆雨

 翻手為雲覆手雨とは人も知りたる貧交行の中の句にして、句意はたゞ反覆常ならぬことを云ひたるまでなるに、支那の悪小説などには怪しからぬことを形容する套語として用ゐられたるが多し。もとの意義人の美を形容したるにはあらざるべき沈魚落雁などいふ語の、美を形容する套語となれる如く、いとをかしき誤謬(あやまり)なり。

      雲の行くかた

 雲東に行けば車馬通じ、雲西に行けば馬泥を濺ぎ、雲南に行けば水潭に漲り、雲北に行けば麦を晒すに好し、と支那にては云ひならはしたるに、雲北に行けば雨ふるもののやう歌へる和歌のあるもをかし。「雨ふれば北にたなびく天雲を君によそへてながめつるかな」、「北へ行く夕の雲の大空にかさなるみれば雨はふりつゝ」などいへる、地異なり時異なれば、たがひあるべき道理ながら、思ひくらぶれば、如何にも那方(いづれ)かいつはりなるべきやう浅まなる心には思はるゝを免れず。雲南に向へば雨漂漂、雲北に向へば老鸛河を尋ねて哭し、雲西に向へば雨犁を没し、雲東へ向へば塵埃老翁を没す、といへる俗諺もある由なれば、彼もいつはらず、これもいつはらざるなるべし。我が邦の俗書に、朝に西北の方に黒雲見ゆるは雨なり、といひ、青き雲北斗を蔽へば大雨なり、などいへるあるを見れば、おしなべて我が邦にては、麦を晒すに好しといひ、老鸛河を尋ねて哭すというやうなる事は、云ひ得ざるにや。語を訳すことの易くして意を伝ふる事の難きは、かゝる事の多ければなり。前にあげたる光俊の歌を訳して支那の村老野人に示さんには、恐らくは嘲(あざ)み笑はれん。

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