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雁坂越(かりさかごえ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-4 9:36:23  点击:  切换到繁體中文


 

誰に負われて摘んで取ろ。


と唄い終ったが、末の摘んで取ろの一句だけにはこちらの少年も声を合わせて弥次馬やじうま出掛でかけたので、歌の主は吃驚びっくりしてこちらをかしてたらしく、やがて笑いを帯びた大きな声で、
源三げんぞうさんだよ、にくらしい。」
と誰に云ったのだか分らないことばを出しながら、いかにも蓮葉はすははたけから出離れて、そして振り返って手招てまねぎをして、
「源三さんだって云えば、おなみさん。早く出ておでなネ。ホホわたし達が居るものだからはずかしがって、はにかんでいるの。ホホホ、なおおかしいよこの人は。」
揶揄からかったのは十八九のどこと無く嫌味いやみな女であった。
 源三は一向頓着とんじゃく無く、
「何云ってるんだ、世話焼め。」
と口のうちで云いてて、またさっさと行き過ぎようとする。圃の中からは一番最初の歌の声が、
「何だネおちかさん、源三さんにかこつけて遊んでサ。わたしやお前はお浪さんの世話を焼かずと用さえすればいいのだあネ。サアこっちへ来てもっとおりよ。」
と少ししか気味ぎみで云うと、
「ハイ、ハイ、ご道理もっともさまで。」
たわむれながらお近はまた桑を採りに圃へ入る。それと引違えてしずかに現れたのは、むらさきの糸のたくさんあるごくあらしま銘仙めいせんの着物に紅気べにっけのかなりある唐縮緬とうちりめんの帯をめた、源三と同年おないどしか一つも上であろうかという可愛かわいらしい小娘である。
 源三はすたすたと歩いていたが、ちょうどこの時虫が知らせでもしたようにふと振返ふりかえって見た。途端とたんに罪の無い笑は二人の面にあふれて、そして娘のあしは少しはやくなり、源三のあしおおいおそくなった。で、やがて娘はみち――路といっても人の足のむ分だけを残して両方からは小草おぐさうずめている糸筋いとすじほどの路へ出て、そのせまい路を源三と一緒いっしょに仲好く肩をならべて去った。その時ややへだたった圃の中からまた起った歌の声は、

わたしぁ桑摘む主ぁ※(「坐+りっとう」、第3水準1-14-62、55-3)まんせ、春蚕上簇れば二人着る。


という文句を追いかけるように二人の耳へ送った。それは疑いも無くお近の声で、わざと二人に聞かせるつもりで唱ったらしかった。

   その二

「よっぽど此村こっちへは来なかったネ。」
と、浅く日のしている高い椽側えんがわに身をもたせて話しているのはお浪で、此家ここはお浪のうちなのである。お浪の家は村で指折ゆびおり財産しんだいよしであるが、不幸ふしあわせ家族ひとが少くって今ではお浪とその母とばかりになっているので、召使めしつかいも居ればやとい男女おとこおんな出入ではいりするから朝夕などはにぎやかであるが、昼はそれぞれ働きに出してあるので、お浪の母が残っているばかりで至って閑寂しずかである。ことに今、母はお浪の源三を連れて帰って来たのを見て、わたしはちょいと見廻みまわって来るからと云って、少しはなれたところに建ててある養蚕所ようさんじょ監視みまわりに出て行ったので、この広い家に年のいかないもの二人きりであるが、そこは巡査おまわりさんも月に何度かしか回って来ないほどの山間やまあい片田舎かたいなかだけに長閑のんきなもので、二人は何の気も無く遊んでいるのである。が、上れとも云わなければ茶一つ出そうともしない代り、自分も付合って家へ上りもしないでいるのは、一つはお浪の心安立こころやすだてからでもあろうが、やはりまだ大人おとなびぬ田舎娘の素樸きじなところからであろう。
 源三の方は道を歩いて来たためにちとあし草臥くたびれているからか、こしけるには少し高過ぎる椽の上へ無理に腰をせて、それがために地に届かない両脚をぶらぶらと動かしながら、ちょうどその下の日当りにているおおきな白犬の頭を、ちょっと踏んでかろるようにさわって見たりしている。日の光はちょうど二人の胸あたりから下の方に当っているが、日ざしに近くいるせいだか二人とも顔がうっすりと紅くなって、ことに源三は美しく見える。
「よっぽどって、そうさ五日いつか六日むいか来なかったばかりだ。」
と源三はお浪の言葉におだやかに答えた。
「そんなものだったかネ、何だか大変長い間見えなかったように思ったよ。そして今日きょうはまたきまりのお酒買いかネ。」
「ああそうさ、いやになっちまうよ。五六日は身体からだが悪いって癇癪かんしゃくばかり起してネ、おいらをったりたたいたりした代りにゃあ酒買いのお使いはせずにんだが、もうなおったからまた今日きょうっからは毎日だろう。それもいいけれど、片道一里もあるところをたった二合ずつ買いによこされて、そして気むずかしい日にあ、こんなに量りが悪いはずはねえ、大方おおかた途中とちゅうで飲んだろう、道理で顔が赤いようだなんて無理を云って打撲ぶんなぐるんだもの、ほんとに口措くやしくってなりやしない。」
「ほんとにいやな人だっちゃない。あら、お前のくびのところに細長いあざがついているよ。いつたれたのだい、痛そうだねえ。」
と云いながらそばへ寄って、源三の衣領えりくつろげて奇麗きれいな指で触ってみると、源三はくすぐったいと云ったように頸をすくめてさえぎりながら、
「およしよ。今じゃあ痛くもなんともないが、打たれた時にあ痛かったよ。だって布袋竹ほていちく釣竿つりざおのよくしなやつでもってピューッと一ツやられたのだもの。一昨々日さきおとといのことだったがね、なまの魚が食べたいから釣って来いと命令いいつけられたのだよ。風がいてざわついた厭な日だったもの、釣れないだろうとは思ったがね、愚図愚図ぐずぐずしているとしかられるから、ハイと云って釣には出たけれども、どうしたって日が悪いのだもの、釣れやしないのさ。夕方まで骨を折って、足の裏が痛くなるほど川ん中をあっちへ行ったりこっちへ行ったりしたけれども、とうとう一尾いっぴきも釣れずに家へ帰ると、サアおこられた怒られた、こん畜生ちくしょうこん畜生と百ばかりも怒鳴どなられて、香魚あゆ※(「魚へん+完」、第4水準2-93-48、58-7)やまめは釣れないにしても雑魚ざこ位釣れない奴があるものか、大方遊んでばかりいやがったのだろう、このつぶ野郎やろうめッてえんでもって、釣竿を引奪ひったくられて、げるところをはすたれたんだ。切られたかと思ったほど痛かったが、それでも夢中むちゅうになって逃げ出すとネ、ちょうど叔父おじさんが帰って来たので、それでんでしまったよ。そうすると後で叔父さんにむかって、源三はほんとに可愛かわいい児ですよ、わたしが血の道で口が不味まずくっておまんまが食べられないって云いましたらネ、何か魚でも釣って来ておさいにしてあげましょうって今までかかって釣をしていましたよ、運が悪くって一尾いっぴきも釣れなかったけれども、とさもさも自分がおいらによく思われていでもするように云うのだもの、憎くって憎くってなりあしなかった。それもいいけれど、何ぞというと食い潰しって云われるなあ腹が立つよ。過日こないだ長六爺ちょうろくじじいに聞いたら、おいらの山を何町歩なんちょうぶとか叔父さんがあずかって持っているはずだっていうんだもの、それじゃあおいらは食潰しの事は有りあしないじゃあないか。家の用だって随分ずいぶんたんとしているのに、口穢くちぎたなく云われるのが真実ほんとに厭だよ。おまえのおっかさんはおいらが甲府へ逃げてしまって奉公ほうこうしようというのを止めてくれたけれども、真実ほんと余所よそへ出て奉公した方がいくらいいか知れやしない。ああ家に居たくない、居たくない。」
と云いながら、雲は無いがなんとなく不透明ふとうめいな白みを持っている柔和やわらかな青い色のそらを、じーっとながめた。お浪もこのはや父母ちちははを失った不幸の児がむご叔母おばくるしめられるはなしを前々から聞いて知っている上に、しかも今のような話を聞いたのでいささかなみだぐんで茫然ぼうぜんとして、何も無いつちの上に眼を注いで身動もしないでいた。陽気な陽気な時節ではあるがちょっとの間はしーんと静になって、庭のすみ柘榴ざくろまわりに大きな熊蜂くまばちがぶーんと羽音はおとをさせているのが耳に立った。

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