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鵞鳥(がちょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-4 9:28:14  点击:  切换到繁體中文

底本: ちくま日本文学全集 幸田露伴
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1992(平成4)年3月20日
入力に使用: 1992(平成4)年3月20日第1刷


底本の親本: 露伴全集
出版社: 岩波書店

 

 ガラーリ
 格子こうしく音がした。茶の間に居た細君さいくんは、だれかしらんと思ったらしく、つと立上って物のすきからちょっとうかがったが、それがいつも今頃いまごろ帰るはずの夫だったとわかると、すぐとそのままに出て、
「お帰りなさいまし。」
と、ぞんざいに挨拶あいさつしてむかえた。ぞんざいというと非難するように聞えるが、そうではない、シネクネと身体からだにシナを付けて、語音に礼儀れいぎうるおいを持たせて、奥様おくさまらしく気取って挨拶するようなことはこの細君の大の不得手ふえてで、めてえば真率しんそつなのである。それもその道理で、夫は今でこそ若崎わかざき先生、とか何とか云われているものの、もとは云わば職人で、その職人だった頃には一※(小書き片仮名ト、1-6-81)通りでは無い貧苦ひんくと戦ってきた幾年いくねんあいだ浮世うきよとやり合って、よく搦手からめてを守りおおさせたいわゆるオカミサンであったのであるし、それに元来が古風実体こふうじっていたちで、身なりかみかたちも余り気にせぬので、まだそれほどの年では無いが、もはや中婆ちゅうばァさんに見えかかっている位である。
「ア、帰ったよ。」
と夫が優しく答えたことなどは、いつの日にも無いことではあったが、それでも夫は神経がさとくて、受けこたえにまめで、誰にむかっても自然と愛想好あいそよく、日々家へ帰って来る時立迎えると、こちらでもあちらを見る、あちらでもこちらを見る、イヤ、何もたがいにワザと見るというのでも無いが、自然と相見るその時に、夫のの中にやわらかな心、「お前も平安、おれも平安、お互に仕合しあわせだナア」と、それほど立入った細かい筋路すじみちがある訳では無いが、何となく和楽わらくの満足を示すようなものが見える。その別に取立てて云うほどの何があるでも無い眼を見て、初めて夫がホントに帰って来たような気がし、そしてまた自分がこの人の家内かないであり、半身であると無意識的に感じると同時に、が身が夫の身のまわりにいてまわって夫をあつかい、衣類を着換きかえさせてやったり、を定めさせてやったり、何にかかにか自分の心を夫にわせて働くようになる。それがこの数年の定跡じょうせきであった。
 ところが今日きょうはどういうものであろう。その一※(小書き片仮名ト、1-6-81)眼が自分には全くあたえられなかった。夫はまるで自分というものの居ることを忘れはてているよう、夫は夫、わたしはわたしで、別々の世界に居るもののように見えた。物は失われてから真のあたいがわかる。今になって毎日毎日の何でも無かったその一※(小書き片仮名ト、1-6-81)眼がたっといものであったことがさとられた。と、いうように何も明白に順序立てて自然に感じられるわけでは無いが、何かしら物苦しいさびしい不安なものが自分にせまって来るのを妻は感じた。それは、いつもの通りに、古代の人のような帽子ぼうし――というよりはかんむりぎ、天神様てんじんさまのような服を着換えさせる間にも、いかにも不機嫌ふきげんのように、真面目まじめではあるが、いさみの無い、しずんだ、沈んで行きつつあるような夫の様子ようすで、妻はそう感じたのであった。
 永年ながねん連添つれそう間には、何家どこでも夫婦ふうふの間に晴天和風ばかりは無い。夫が妻に対して随分ずいぶん強い不満をいだくことも有り、妻が夫に対して口惜くやしいいやおもいをすることもある。その最もはなはだしい時に、自分は悪いくせで、女だてらに、少しガサツなところの有る性分しょうぶんか知らぬが、ツイあらい物言いもするが、夫はいよいよおこるとなると、勘高かんだかい声で人の胸にささるような口をきくのもめてしまって、だまって何も言わなくなり、こちらに対って眼はいていても物を見ないかのようになる。それが今日きょうの今のような調子合ちょうしあいだ。みょうなところに夫はすわんだ。細工場さいくば、それは土間になっているところと、居間とが続いている、その居間のはし、一段低くなっている細工場を、横にしてそっちを見ながら坐ったのである。仕方がない、そこへ茶をもって行った。熱いもぬるいも知らぬような風に飲んだ。顔色かおいろえない、気が何かにねばっている。自分に対して甚しく憎悪ぞうおでもしているかとちょっと感じたが、自分には何も心当りも無い。で、
「どうかなさいましたか。」
く。返辞が無い。
気色きしょくが悪いのじゃなくて。」
とまた訊くと、うるさいと云わぬばかりに、
「何とも無い。」
 が無いという返辞の仕方だ。何とも無いと云われても、どうも何か有るにちがい無い。うちの人の身分がくなり、交際こうさいが上って来るにつけ、わたしが足らぬ、つり合い足らぬと他の人達に思われ云われはせぬかという女気おんなぎの案じがなくも無いので、自分の事かしらんとまたちょっとうたぐったが、どうもそうでも無いらしい。
 まって晩酌ばんしゃくを取るというのでもなく、もとより謹直きんちょく倹約けんやくの主人であり、自分も夫に酒を飲まれるようなことはきらいなのではあるが、それでも少し飲むとにぎやかに機嫌好くなって、罪も無く興じる主人である。そこで、
「晩には何か取りまして、ひさしぶりで一本あげましょうか。」
と云った。近来おおいに進歩して、細君はこの提議ていぎをしたのである。ところが、
「なぜサ。」
と善良な夫は反問の言外に明らかにそんなことはせずとよいと否定ひていしてしまった。是非ぜひも無い、簡素かんそ晩食ばんしょく平常いつもの通りにまされたが、主人の様子は平常いつもの通りでは無かった。げきしているのでも無く、おそれているのでも無いらしい。が、何かと談話だんわをしてその糸口いとぐちを引出そうとしても、夫はうるさがるばかりであった。サア、まことの糟糠そうこうの妻たる夫思いの細君はついにこらえかねて、真正面から、
「あなたは今日はどうかなさったの。」
せまって訊いた。
「どうもしない。」
「だって。……わたしの事?」
「ナーニ。」
「それならお勤先の事?」
「ウウ、マアそうサ。」
「マアそうサなんて、変なおっしゃようネ。どういうこと?」
「…………」
「辞職?」
と聞いたのは、吾が夫と中村という人とは他の教官達とは全くちがっていて、肌合はだあいの職人風のところが引装ひきつくろわしてもどこかで出る、それは学校なんぞというものとはうつりの悪いことである。それを仲の好い二人ふたりが笑って話合っていた折々のあるのを知っていたからである。
「ナーニ。」
免職めんしょく? さとし免職ってことが有るってネ。もしか免職なんていうんなら、わたしゃきやしない。あなたなんか、ヤイヤイ云われてもらわれたレッキとした堅気かたぎのおじょうさんみたようなもので、それを免職と云えば無理離縁りえんのようなものですからネ。」
「誰も免職とも何とも云ってはいないよ。お先ッ走り! うるさいネ。」
「そんならどうしたの? 誰か高慢こうまんチキな意地悪と喧嘩けんかでもしたの。」
「イイヤ。」
「そんなら……」
「うるさいね。」
「だって……」
「うるさいッ。」
「オヤ、けんどんですネ、人が一生懸命いっしょうけんめいになっていてるのに。何でそんなに沈んでいるのです?」
「別に沈んじゃいない。」
「イイエ、沈んでいます。かわいそうに。何でそんなに。」
「かわいそうに、は好かったネ、ハハハハ。」
「人をはぐらかすものじゃありませんよ。ホン気になっているものを。サ、なんで、そんなに……。なんでですよ。」
「ひとりでにカなア。」
「マア! 何もかくさなくったッていいじゃありませんか。どういう※(小書き片仮名リ、1-6-91)わけなんですか聴かせて下さい。実はコレコレとネ。女だって、わたしあ、あなたの忠臣ちゅうしんじゃありませんか。」
 忠臣という言葉は少し奇異きいに用いられたが、この人にしてはごもっともであった。実際この主人の忠臣であるに疑いない。しかし主人の耳にも浄瑠璃じょうるりなんどに出る忠臣という語に連関して聞えたか、
「話せッて云ったって、隠すのじゃ無いが、おんなわらべの知る事ならずサ。」
 浄瑠璃の行われる西の人だったから、主人は偶然ぐうぜんに用いた語り物の言葉を用いたのだが、同じく西の人で、これを知っていたところの真率で善良で忠誠な細君はカッとなっていかった。が、じきにまた悲痛な顔になってこらなみだをうるませた。自分の軽視されたということよりも、夫の胸のうちに在るものが真に女わらべの知るには余るものであろうと感じて、なおさら心配にえなくなったのである。
 格子戸は一つ格子戸である。しかし明ける音は人々で異る。夫の明けた音は細君の耳には必ず夫の明けた音と聞えて、百に一つも間違まちがうことは無い。それが今日は、夫の明けた音とは聞えず、ハテ誰が来たかというように聞えた。今その格子戸を明けるにつけて、細君はまた今更に物を思いながら外へ出た。まだれたばかりの初夏しょか谷中やなかの風は上野つづきだけにすずしく心よかった。ごく懇意こんいでありまたごく近くである同じ谷中の夫の同僚どうりょうの中村の家をい、その細君に立話しをして、中村に吾家うちへ遊びに来てもらうことをうたのである。中村の細君は、何、あなた、ご心配になるようなことではございますまい、何でもかえってお喜びになるような事がお有りのはずに、チラと承りました、しかしたくは必ずうかがわせますよういたしましょう、と請合うけあってくれた。同じ立場に在る者は同じような感情をいだいて互によく理解し合うものであるから、中村の細君が一も二も無く若崎の細君の云う通りになってくれたのでもあろうが、一つには平常いつも同じような身分の出というところからごくごく両家が心安くし合い、また一つには若崎が多くは常に中村の原型によってこれをることをする芸術上の兄弟分きょうだいぶんのような関係から、自然とはながたき仲になっていた故もあったろう。若崎の細君さいくんはいそいそとして帰った。

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