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大秦景教流行中国碑に就いて(たいしんけいきょうりゅうこうちゅうごくひについて)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-4 9:03:20  点击:  切换到繁體中文


 ホルム氏は十月三日に、重量二トンの模造碑を特別製の馬車に載せて、金勝寺から鄭州へ送り出した。ホルム氏自身は三日後くれて、十月六日に西安を出發し、模造碑を追うて鄭州に向つた。私はホルム氏より更に三日後くれて、十月九日に西安を出發して、同氏の後を鄭州に向つた次第である。模造碑は鄭州から京漢鐵道で漢口まで運び去られたが、漢口の税關で差押へられた。ホルム氏自身北京に出掛け、總税務司のハート(Robert Hart 赫徳)氏に談判して、差押へを解除して貰ひ、漢口から上海へ、上海から米國に送り、千九百八年(明治四十一)六月から、この模造碑はニューヨークの藝術博物館(Metropolitan Museum of Art)に附託品として陳列された。ニューヨークに陳列されること滿八年にして、千九百十六年(大正五)に、然るべき買手が出來、この模造碑をローマ教皇ベネディクト十五世(Benedict XV)の手許に獻送することになつた(45)。ホルム氏自身この碑を護送してローマに往き、獻上の手續を果した。かくて千九百十七年(大正六)以後、この模造碑はローマ教皇廰所屬の博物館 Lateran Palace に安置されて居る。約三十年前から唱へ出された、景教碑を英國博物館に移すべしといふ議論は、遂にその模造碑をローマの博物館に藏するといふ結果を生んだ。
 この模造碑がニューヨークの博物館に附託されて居る時から、ホルム氏は、その同大の石膏模型を、各國の大學や博物館へ、希望に應じて{實費で?}配附したが、今日までにその配附を受けた國は十三國に及ぶといふ。歐洲では英國、フランス、ドイツ、イタリー、スペイン、デンマーク、ギリシア、トルコ等があり、アジアでは我が京都帝國大學と印度のカルカッタ(Calcutta)に在る博物館(Indian Museum)とである。この模型は臺石に當る龜趺を缺くが、その他はすべて原碑を髣髴せしむるに足ると思ふ。
 序に申添へるが、我が帝國大學所藏のこの模型の外に、高野山の奧院にも景教碑の模造碑がある。こは千九百十一年(明治四十四)九月二十一日に、アイルランド出身で佛教研究者である、ゴルドン(Gordon)夫人の出資によつて建設されたといふ(46)。多分景教碑文の撰者たる景淨は、曾て弘法大師の師匠の般若三藏を助けて、密教の飜經に從事したといふ縁故から、この模造碑を我が國の密教の靈場たる高野山に建設したものと想ふ。但この模造碑は、原碑と餘り似寄つて居らぬのが遺憾である。

(1) Heller; Das Nestorianische Denkmal in Singan fu. s. 438-441 (Graf Sz※(アキュートアクセント付きE小文字)chenyis Ostasiatische Reise. Bd. II).
(2) Cordier; Bibliotheca Sinica. Volume II, Col. 772-781. Ibid. Suppl※(アキュートアクセント付きE小文字)ment, Col. 3562-3564.
(3) Wylie; The Nestorian Tablet of Se-gan Foo. pp. 289-300 (Journal of the American Oriental Society. V).
(4) Mosheim; Ecclesiastical History. Vol. I, p.366.
(5) Barthold; Zur Geschichte des Christentums in Mittle Asien. s. 22 flg.
(6) Pelliot; Chr※(アキュートアクセント付きE小文字)tiens d'Asie Centrale et d'Extr※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)me Orient. p. 625 (T'oung Pao. 1914).
(7) Havret; La St※(グレーブアクセント付きE小文字)le Chr※(アキュートアクセント付きE小文字)tienne de Sin-gan fou. III partie.
(8) Semedo; The History of China. p. 157.
(9) 神田(喜一郎)學士「或る支那學者の景教考に就て」(大正十三年八月號『歴史と地理』所收)
(10) Havret; La St※(グレーブアクセント付きE小文字)le[#「La St※(グレーブアクセント付きE小文字)le」は底本では「La St※(アキュートアクセント付きE小文字)le」] Chr※(アキュートアクセント付きE小文字)tienne II partie, pp. 37. 39.
(11) Havret; Ibid. II, p.59.
(12) Havret; Ibid. II, pp. 34-37, 70-71.
(13) Moule; The Christian Monument at Hsi-an fu. p. 77 (Journal of N.C.B.R.A.S, 1910).
(14) Saeki; The Nestorian Monument in China. pp. 17-19.
(15) Lamy et Gueluy; Le Monument Chr※(アキュートアクセント付きE小文字)tien de Sin-gan-fou. p. 100 (M※(アキュートアクセント付きE小文字)moire de l'Acad※(アキュートアクセント付きE小文字)mie Royale des Science etc. de Belgique. Tome Liii).
(16) 清の陶保廉の『辛卯侍行記』卷三の四枚十枚、『咸寧縣志』卷三の四十五枚。
(17) Pelliot; Chr※(アキュートアクセント付きE小文字)tiens d'Asie Central et d'Extr※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)me Orient. p. 625.
(18) Havret; La St※(グレーブアクセント付きE小文字)le chr※(アキュートアクセント付きE小文字)tienne. II, p. 326. III, p. 67.
(19) Havret; La St※(グレーブアクセント付きE小文字)le Chr※(アキュートアクセント付きE小文字)tienne. II, pp. 32, 325.
(20) Havret; Ibid. II, p. 31.
(21) 箕作・田中二氏「明の王太后より羅馬法皇に贈りし諭文」(明治二十五年十二月號『史學雜誌』所收)、拙稿「明の※(「广+龍」、第3水準1-94-86)天壽より羅馬法皇に送呈せし文書」(明治三十年三月號五月號『史學雜誌』、本全集第二卷所收)
(22) Heller; Das Nestorianische Denkmal in Singan fu. s. 15. Lamy et Gueluy; Le Monument Chr※(アキュートアクセント付きE小文字)tien. p. 9.
(23) Kirchere; La Chine Illustr※(アキュートアクセント付きE小文字)e. p. 1.
(24) Pauthier; De l'Authenticit※(アキュートアクセント付きE小文字) de l'Inscription Nestorienne de Sin-gan-fou. pp. 7, 14-21.
(25) Neumann; Die erdichtete Inschrift von Singnan[#「Singnan」は底本では「Signan」] Fu. (Zeitschrift d. D. M. Gesellschaft. IV).
(26) Pauthier; De l'Authenticit※(アキュートアクセント付きE小文字) de l'Inscription Nestorienne.
(27) Wylie; The Nestorian Tablet of Se-gan Foo. (Journal of the American Oriental Society. V).
(28) Legge; The Nestorian Monument of Hsi-an Fu. p. 37.
(29) 拙稿「ネストル教の僧及烈に關する逸事」(大正四年十一月『藝文』所收)
(30) 高楠博士 The Nestorian Missionary Adam, Presbyter, Papas of China, Translating a Buddhist S※(サーカムフレックスアクセント付きU小文字)tra. p. 590 (T'oung Pao. 1896).
(31) Lamy et Gueluy; Le Monument Chr※(アキュートアクセント付きE小文字)tien de Sin-gan-fou. p. 83.
(32) Hirth; Nachworte zur Inschrift des Tonjukuk. s, 35-36 (Radloff; Die Altt※(ダイエレシス付きU小文字)rkischen Inschriften. II).
(33) 拙稿「隋唐時代に支那に來往した西域人に就いて」頁一四(『内藤博士還暦祝賀支那學論叢』所收)
(34) 羽田博士「景教經典序聽迷詩所經に就いて」頁三(『内藤博士還暦祝賀支那學論叢』所收)
(35) Salisbury; On the Genuineness of the so-called Nestorian Monument of Singan Fu. p. 410 (Journal of the American Oriental Society. III).
(36) Journal of the A. O. S. III{1853}, p. 419.
(37) Williamson; Journey to the North China. Vol. I, p. 381.
(38) Richthofen; China.Bd. I, s. 553.
(39) Lacouperie; Beginnings of Writing in Central and Eastern Asia. pp. 84-85.
(40) Lacouperie; Ibid. p. 85.
(41) Journal of China B. of R. A. S. XXIV{1889-90} pp. 136-139
(42) Forke; Von Peking nach Chang-an und Lo-yang. s. 70 (Mittheilungen des Seminar f※(ダイエレシス付きU小文字)r Orient. Sprachen. I).
(43) Holm; The Nestorian Monument.
(44) Holm; My Nestorian Adventure. p. 251.
(45) Holm; Ibid. pp. 319-320.
(46) 水原堯榮『高野山金石圖説』卷中、頁一七三以下。





底本:「桑原隲藏全集 第一卷 東洋史説苑」岩波書店
   1938(昭和43)年2月13日初版発行
※底本が用いている「〔」と「〕」は、「アクセント分解された欧文をかこむ」記号と重なるため、和文中では「{」と「}」に、欧文中では「{」「}」に置き換えた。
※底本では、注釈番号は、本文の右脇にルビのように組まれている。
入力:はまなかひとし
校正:米田進
2003年4月1日作成
2004年2月21日修正
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    「金+志」    387-1
    「旗-其+冉」    392-10
    「(幸+攵)/皿」    393-15、393-16、393-16、394-1、394-4、394-7、394-7、394-12
    「厂+至」    393-15、393-16、393-16、394-1、394-4、394-7、394-7、394-12
    「門<旻」    404-3

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