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武装せる市街(ぶそうせるしがい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-4 6:24:35  点击:  切换到繁體中文


     三〇

 翌々朝、六時。
 大陸の焼けつくような一日は、既に始まっていた。
 兵士たちは、マッチ工場の白楊材置場の片隅に整列した。
 敏感な重藤中尉は、上官の直視を避けるような兵卒の眼つきに注意をとめた。動揺と、士気の沮喪と、いや/\ながら行動する煮え切らないものを彼は見た。前々から兵卒の間にかもされていた険悪な空気を彼は感じた。即座に、誰かゞ、かげにかくれて、何かやっているな! と思った。
 勇敢で、単純で、感情的な重藤は、自分の扱っている兵卒の要求と、本能を直感的に見抜く鋭敏な才能を持っていた。
 彼は、その自分の感じによって、兵卒が、上官の眼の行き届かないかげで、何かこそこそやっているのを知っていた。たちが悪い。明かに信服しなくなっている。高取は、職長を殴りつけて、工人への給料を全額、暴力で払わしていた。それ以来、少くとも、五六人の兵タイは、国家のために出征しているのか、工人と一ツとなって不届き至極なことをやるために来ているのか区別がつかなくなっていた。彼は、中でも、特に、高取に最も注目していた。なお、多くの兵士らも、自身から、高取の言説に心をひかれている。それも分った。それには、理由がなければならない!
 人事をやっている特務曹長もこれに気づいていた。特曹は、支那の共産党員と、何か共謀して事をたくらんでいると、重大視していた。しかし、重藤は、その点、どうせ兵卒のやることだ、どんなにしたって、大したことは出来ない、と高をくゝっていた。
 彼は、整列した兵士たちの眼に、動揺と、不安と、ある意気地なさを見ると、すぐ原因を高取らのこそ/\に帰した。そして、こんな日に限って負けるんだ。と考えた。無数の負傷者が出るんだ。大きなしくじりをやるんだ! 彼は顔をしかめた。
 高取は、一番最後に、巻脚絆を巻き直して、靴を引きずり、整列に加わろうとしていた。彼は高取につめよった。横合いから、頬を殴りとばした。故意に、兵士達、皆んなに見えるところでやった。
「おい、高取、なまけるな!」
「……。」
「お前は、国のために働くのが嫌いなのか? そんな奴は謀叛むほん人だぞ。」そして、もう三ツぶん殴った。
「分ったか?」
「……。」
 高取の眼は、眼窩からとび出して、前へ突進して来るように燃えていた。何のためにいきなりやられるのか訳が分らなかった。
 中尉は、高取の眼が気に喰わなかった。ぷーンとした態度が満足できなかった。
「こらッ! 不真面目にすると、お前のためにならんぞ!」と、彼は呶鳴った。
「どうしたんでありますか。」
「こらッ! 高取やめろ!」彼は軍刀をガチャッと鳴らした。「俺れは、お前の腹の中を見すかして居るんだぞ。お前のやっとることは、何一ツ残らず知っとるんだぞ。お前は、自分で、何をやっとるかその恐ろしさを知らんのだ。」
「何も、やって居りはしねンであります。」
 高取は、一寸、まごついた。が、すぐ、光った眼で中尉を見つめた。
「よせ!」重藤は、儼然と云った。「俺れは何もかも知って居るんだぞ!」
「はい、何ですか?」
 償勤兵となった彼は、これまでにも、幾度か殴られた。蹴られた。指揮刀が歪むほどひッぱたかれた。彼は、何回となくそれを忍んできた。ほかの者だって、そんなに異いはしなかった。
「こうして、この結果、俺等が現にやらせられているのは、何であるか? 自分で、自分の頸を縛ることだ! それ以外のなんでもない! 兵タイほど、人のいゝ馬鹿な奴はない。」
 兵士たちは、高取を殴るのは、高取一人を殴るのではない。自分たち、全体をも殴るのだ! と感じた。おどかしにやっているのだ。彼等は、顔色が変った。
 敏感な重藤は、正確な晴雨計のように、すぐ、それに気づいた。兵士たちが、色めいて、変に動揺しだしたのを眼にとめた。もうこれ以上殴りすえては、却って、藪蛇になる。部隊全体に対して。と感じで意識したが、語調の行きがかりが、意識を裏切った。高取は、上をむいて何か云おうとした。中尉はそれを遮った。
「一体、お前らは、何事を考えだしているんだい? ええ? 一体、どういうことを考えだしているんだい?」
「自分達が苦るしめられるために、働いてやりたくはないんであります。」
「ふむ、――苦るしめられたくはないと云うんだな。(わざと相手の言葉をごま化した。)……それなら命令をよく聞け! 命令をききさえすればいゝんだ。」
「……。」
 重藤は、それ以上、突ッこまなかった。大胆不敵な彼も、多数の前には恐怖した。彼は、兵士たちの顔色を見い見い、言葉を切った。しかし兵卒を扱って来た経験から、自分の云った命令が、実行されないかも知れないという疑念を、絶対に素振りに出してはいけない。自分の命令は、必ず、確実に実行されるものだ。と、信じ切っている。そう兵卒に見せる。それが必要であるのを心得ていた。そして、その態度を取った。高取の態度は、決して、彼に満足を与えるどころじゃなかった。しかし、彼は、これで、注意はすんだというように、身体のこなしを一新して、整列した兵卒にむかった。

     三一

 兵士は藁人形のようにバタバタと倒れた。
 方振武は頑強に、城内に踏み止まっていた。
 どんな妨害に抗しても、天津、北京へ、攻めのぼらずには置かない意気を示した。城門はかたく、なかなか破ることが出来なかった。城壁が厚かった。青天白日旗は、いつまでも元気よく、その中に翻っていた。弱くない。武器も新しい。
 蒋介石は、日本のどんな要求でも容れるから、たゞ、ここを通過して、天津、北京を攻撃することをゆるせ! と提議した。それが、いれられなかった。司令官は、満洲が脅かされることを知っていた。そこで、支那兵は意地になった。
 ほかの部隊が各々、西北角や、泰安門や、新建門を占領して行くに従って、柿本の部隊の幹部は、やっきになって自分の持場を攻めあせった。バタバタ倒れる者が多くなる。幹部の功名心と競争心は兵士に重量がのしかゝるように出来ていた。柿本らにも、それが眼に見えて分った。巻脚絆を解くひまもない。へと/\になった。つらくッてたまらない。鉄砲の照準をきめながら、フラ/\ッと居眠りをしたりした。
 戦友が、どこで、どうしているか分からないまでに、ごたごたに入り乱れた。市街は、焼火箸が降るような暑さだ。
 アカシヤの青葉が黄風ホワンフォンに吹きちぎられ、土煙にまじって、目つぶしのように街を飛んだ。その晩、青鼠服は、射撃を中止した。兵士たちは、工場へかえって脚をのばした。午前二時頃、彼らは、恐ろしい夢にうなされた。宿舎の二百人ばかりのつわものが、同時に、息の根をとめられ、うーッと唸って、うつゝで立ちあがった。苦るしまぎれに、両手でむちゃくちゃに空気を引ッかいた。
 これは、内地で、早足行進に、どうしてもすねが伸びない初年兵が、教官にボロクソにこづきまわされて、古いお城の松の枝で頸を吊って死んだ、その晩にうなされたのと同じ現象だった。その時にも、中隊全部が、息の根をとめられた。唸った。そして同時に眼がさめた。何と説明していゝか分からない。
「これは、何か不吉なことが起っているぞ。」
「俺れゃ、自分がしめ殺されたと思うた。……つらくッて、どうしても息が出来なかった。」
「誰れかゞ、現に、やられている! 無理、無法にやられている!」
 正気づくと、彼等は云った。
「高取はいるか? 高取! 高取はいるか? どうも、俺れには、高取が、誰れかと一緒に眼のさきへやって来たような気がしてならん!」
 柿本が、まだ、幻影を見ているような顔をして云った。
 冷やッと、身が深い底へ引きずりこまれる感じがした。
 翌朝、高取と、那須と、岡本と、松下、玉田が帰っていないことが分った。誰れしも、不思議がりながら、口に出しては、何も云わなかった。眼と眼でものを云った。木谷と柿本が、病院の負傷者と屍室の屍体をしらべた。いない。夕方になった。まだ帰らない。翌々朝になった。まだ帰らない。交代した歩哨は、寝不足と夜露で蒼くなって、宿舎へ這入ってきた。消息がない。
 高取らの指揮者の、重藤中尉は、ひひ猿に頬ッぺたをなめられたような顔をして、どこからか帰って来た。室の隅の木谷と柿本は、身にきずがあるのに、強いてそれをかくして笑うような中尉の笑い方に目をとめた。
 木谷の直感は、その笑い方に、ぴたりとかたく結びついた。彼は、中尉の心の状態が手にとれるような気がした。
「どうだい、今日は、※(「さんずい+欒」、第3水準1-87-35)源門ラクゲンモンの攻撃だぞ……。」
「そうですか。」
 木谷は、ご機嫌を取るように近づいてくる相手のやましげな顔つきに、平気な、そッけない声で答えた。
「今日、お前らが、ウンときばればもう落ちてしまうんだぞ。」
「そうですか。――中尉殿! 高取なんぞ、どうしたんでありますか。一昨日から帰らないんであります。どこを探しても見つかりません。」
「なに、それを訊ねてどうするんだ! 木谷! お前、高取に何の用があるんだい?」
 急に、重藤中尉は、険しい眼に角を立てて声を荒だて木谷に詰めよってきた。木谷をも、また銃殺しかねない見幕だった。
「用があるさ。戦友がどうなったか気づかうのはあたりまえじゃないか!」傍で、中尉と木谷の応酬を見ていた柿本は、決意と憤怒を眉の間に現わしながら、ぬッと、銃を握って立ちあがった。
 巻脚絆を巻いたり、煙草を吸ったりしていた兵士たちも緊張した。向うの隅でも銃を取って立ちあがると、ガチッと遊底を鳴らして弾丸をこめる者があった。
「こら、柿本、そんなことをして何をするのだ?」と中尉は云った。
「何をしようと、云う必要はないだろう。」
 重藤中尉は正真正銘の、力と力との対立を見た。中尉は、一個小隊を指揮する力を持っているつもりだった。だが、今、彼は、一兵卒の柿本の銃の前に、一個の生物でしかなかった。ちょうど、一昨日、武器を取り上げた高取や、那須や、岡本などが、一個の弱い生物でしかなかったように。そこで、彼はまた、翻然と、狡猾な奥の手を出した。彼は、柿本から、五六歩身を引くと、
「さア、整列! 整列! 皆な銃を持って外へ出ろ!」
 と叫びながら、寄宿舎から逃げるように駆け出してしまった。
「畜生! 将校の面さげて糞みたいな奴だ!」
 兵士たちは、口々に、憤って罵った。

 柿本は、少し、馬鹿で、大まかな高取のことを思った。あの竹を割ったような、愉快な奴が、どこへ行ったのだろう。馬鹿のようで、本当は、決して馬鹿じゃなかった。工人達に、真ッさきに接近して行き出したのも高取だった。そして工人と友達のように仲がよくなってしまった。日露戦争や、日清戦争には、兵士達は、命を投げ出した。今は、居留民の生命財産の保護に命をかけている。しかし、そのいずれもが、真赤な嘘である。それを、まッさきに云い出したのも高取だった。
「実際、俺等にゃ、支那人をやっつけることばかりしかやらせやしないじゃないか。」と高取は云った。そして、柿本に、親しげな、同感をよせる態度で普利門外のおばさんの家は、どうなったかと訊ねた。
 その時、柿本には、まだ、おばが、文字通りに着のみ着のまゝでS銀行に避難して、五ツの娘は、殺されていた、ことは分っていなかった。地下の秘密室にかくして置いた銀貨まで、あとで帰って行ってみるとなくなっていた。それも分っていなかった。
「普利門は、一番、被害のひどかった方面じゃないか。」
「そうらしいんだ。まだ、見に行くことも出来ねえんだ。」「俺等は、何のためにここへ来とるんだね?――折角やって来て、自分の肉親さえ、保護することも見ることも出来ねえって、……身体だけでも無事でいてくれればいゝがね。」
「うむ、気にかゝって仕様がないんだ!」
「俺等が、わざわざここまでよこされて、本当の親がいるとしてもだ、その親を守ることさえ出来ないんだぞ。……これが真相だよ。これが現在の、われ/\の置かれている位地の真実の姿だよ。大金を持っている奴等だけしか守られはしないんだ。そのために、俺等を犠牲にすることは、いくら犠牲にしたって、なんとも思っちゃいないんだ。」と高取はつゞけた。「ここで、工場を守らしながら、工人は、いじめつける。南軍は、追ッぱらわす。満洲の利益は、ちゃんと、これで確実に握りしめて置こうと考えているんだ。満洲が、奴等にとっちゃ、一番大切なんだからね。俺等は、月七円かそこらの俸給を貰うだけだよ。そして生命は、只で大ッぴらに投げ出してあるんだ。利益は何にもありゃしない。内地へ帰れば、やっぱし稼がなければ、金は取れやしないよ。満洲の防壁となってやったって、一生涯、遊ばして食わしちゃくれやしめえ。……実際居留民の保護だけなら、何故、こんな不便な、きたないマッチ工場の南京虫がうようよしている寄宿舎に入れて置くかね? 小学校だって、居留民団だって、KS倶楽部だって、もっときれいな、大きい建物がいくらでもあるんだ。そして、そっちの方が便利なんだ。それを、工場に置くのは、工人を圧えつけるためと、工場を守らす以外に、どこに理由が見出されるかね。」
 柿本は、高取の放胆な話しッ振りに似ず、しみ/″\とした心持になった。
「俺等が支那を叩きつける役に使われて、工人や百姓の運動を、邪魔すりゃ、邪魔するほど、俺等の内地の暮しが苦るしくなるんだ。」また高取は、そんな話もした。「支那を弾圧してニコニコしているのは大金持だけだよ。大金持は、それで、また、金を儲けら。……金を儲けりゃ、その金を使って内地で俺等をからめ手から押しつけるんだ。どっちにしたって、俺等だけが部分的によくなるちゅうことはあり得ないんだ。支那の連中に大いにやって貰わんことにゃ、俺等の内地の仕事もやりにくいんだ!」
 その高取がいなくなった。
 柿本には、最後の言葉だけは、まだ、意味がはっきり分らなかった。
 幹部は、城内に頑張っている南軍よりも、土匪よりも、猿飛佐助のまく伝単や高取や、工人たちと一つになった兵士の赤化を一番に、気にやんでいた。それを一番怖がっていた。
 それは争われなかった。

     三二

 この日、また、死にもの狂いの猛烈な攻撃が試みられた。
 午後三時、柿本は、ゴミの中で城壁のかげから飛来した弾丸に肩をうちぬかれた。一群の負傷者にまじってトラックに揺られ病院に来た。
 負傷兵は、どの病室にも、いっぱいにあふれていた。担架にのせられ、歩ける者は歩いて、あとからどん/\這入り得るだけの密度で、病室につめこまれる。外科病棟は、びっしりとなっていた。内科病棟と伝染病棟の一部にも、負傷者は這入っていた。
 柿本が入れられたのは支那人を追い出した、支那人への施療せりょう病室だった。白ペンキが禿げた鉄寝台、汚点しみだらけの藁蒲団、うみくさい毛布。敷布や、蒲団蔽いはなかった。普通の病室よりは悪かった。
 りつくようなのどの乾きと、傷が生命を奪って行く、それとの戦い、疼痛などで、病室は、檻のようなわめきで、相呼応していた。
 各部署の戦闘のはげしさは、負傷者の数と、思い切り無遠慮なその負傷ぶりによって完全に表現されていた。
「砲兵の榴散弾で、城門近くの歩兵がやられて居るんだ。照準が間違っているのにめちゃくちゃにうって居るからだ。味方の頭の上で味方の弾丸が炸裂しているんだからな。」
 負傷者を運んできた担架卒は、ベッドの脇で、にが/\しげに呟いた。
「南軍の遺棄した弾丸を使ってるちゅうじゃないか。」
「ふむ、そうかもしれねえ。そんなことをするから着弾が狂って、味方の砲兵が、味方の歩兵を殺すんだ。」
「チェッ! そんなこともあろうかい。もともとろくでもねえ戦争だ!」
 一ツのトラックの負傷者が、それぞれベッドに運ばれて、一時担架卒のがたがた出入する靴音が消えたかと思うと、まだ、軍医の傷の手あてが、みんなの三分の一にも行き渡らないうちに、次のトラックが病庭へ唸りこんできた。また、担架卒が、靴音をばたばたと、重い負傷者をかついで這入ってくる。
「□×が一等、やられる者が多いぞ。もはや、戦死が九人。――聯さんが抜けがけの功名をあげるとてあせっているからだ。」新しく柿本の傍のベッドへやってきた担架卒は、太い低声こごえで、運んできた負傷者[#「負傷者」は底本では「象傷者」]に喋っていた。「幹部の功名心は、俺等を踏台にしなきゃ遂げられねえ性質を持っているんだ! 旅順攻撃にだって、屍の山を積んだんだ。それで、一人の大将が、神さまに祭られてら!」
 柿本はうすうすきいていた。
 □×とは、彼の聯隊だった。見ると、ベッドに移されているのは、中隊の黒岩である。ズボンを取って脚にくゝりつけた三角巾が、赤黒くこわばっていた。彼等は、隊長の功名心や、ほかの部隊との競争心から、むやみの突撃、前進を強いられていた。見す見す傷つき倒れる。××氏大隊□□占領! △△氏中隊どこそこを奪取! この報知に虚栄心を燃やされるのは「長」がつく人間だった。
「無理をするからだ。誰れにだって出来ねえことを、一と息でやって見せようと見栄坊を張ってやがるんだ!」
 黒岩は、傷の痛みを感じるよりも、神経が立っている話し振りで話した。
「どこの部隊だって、兵タイにゃ、最大限度の馬力をかけさしているんじゃないか?」
 と、柿本は、ふいに、横から云った。
 担架卒は、ちょっと黙って不思議げに彼を見た。黒岩は、柿本だと知ると、口もとに、笑いのかげを浮べた。
「そうかもしれんて。」
「そうだよ、そうにきまっているよ! この数しれん負傷者は。――戦争は、隊長の功名心の競争場だよ。そういう風に出来ているんだ。それで支那兵は、徹底的に追ッぱらってしまうさ。俺れらは、隊長の踏み台にせられて手や脚を落すさ。ははは、隊長は隊長で、その功名心に、また、もうひとつ上からあおりをかけられているんだ。勲章というね。上にゃ、上があらア。」
「その一番下は俺らじゃないか。」
「うむ、その俺らの上にゃ、重い石が、三重も四重もにのっかっていら! 畜生!」
 のんきな軍医は、兵士の苦るしみや、わめきや、こらえきれなくなって手足をばた/\やるのが快よいものゝように、にこ/\しながら、平気で処置をつゞけていた。血糊でへばりついたシャツを鋏で切った。
「一将功成り、万卒倒る、か。」
 兵タイの不平を小耳にした彼は、詩吟の口調で、軽るく口ずさんだ。
 柿本は、その軍医の手あてを受けた。そして、白い、新しい病衣を着た。
 城壁は、翌日、午前中、陥落した。ベッドに坐って彼はそれを聞いた。傷の疼痛は、だんだんに少くなった。肩の負傷は、歩くことには一向差支なかった。三日目に、木谷と山下が見舞に来た。
「おい、柿本、どうだい。」木谷は、男性的な渋い声で叫んだ。「高取らがやられていたぞ! 五人とも黄河の河畔で、犬に喰われて白骨が出ていた。」
 多分そんなことになっただろうとは感じていた。が、現実にそれをきくと、柿本は、ぎくッと心臓が突きのめされた。
「そうか、やっぱしそうだったか。あの晩にうなされたのは、だてや、冗談じゃなかったんだな!」
「今、五人とも、屍室しかばねしつへ運んできている。」
「一体、誰奴どやつにやられたんだ!」黒岩が云った。「誰奴がやりやがったんだ。犯人は、はっきり分らんか?」
「黙っていろ! それをきいたって無駄だ。」木谷は、厳粛な素振りで手を振った。「云わなくたって分っている。あいつだ!」
「あいつッて?」
「あいつだ!」
 暫らく彼等は無言でいた。
 傷ついた肩から玩具のようにブラさがっている片腕を、三角巾で首に吊って柿本は、木谷らと、屍室へ歩いた。大腿骨が砕けた黒岩は動けなかった。院庭から見える市街は荒廃し切っていた。踏み折られて泥にまみれた草は、それでも、又、頭を持ちあげようとしていた。アカシヤは、風にもかゝわらず、なお一層青々としていた。屍室には、看護婦や、患者や、兵士や、街の人々が、入口と窓の外に、黒山のようにたかっていた。五人の、犬にしゃぶられた遺骸を見ようとつまさきで立ちあがっている。
 高取たちは、もう、暑さで腐爛していた。酸っぱい鼻もちのならぬ腐肉の匂いと、線香の煙がもつれあって、嗅覚を打った。どれが高取だか、那須だか、玉田だか分らない。白布で蔽うてあった。殺されたまゝ放任されていたのだ。捜索隊が行くまで、毛のむく/\した野犬どもが集って、舌なめずりをしながら、しゃぶっていたそうだ。
「あいつらの黒い手がこんなめにあわしくさったんだ!」山下が呟いた。「しかし、この肉体のどこから、俺等をうなしに来たんだろう?」
 山下が、いぶかしげにきいた[#「きいた」は底本では「きたい」]
「そりゃ、何か分らん、俺れにゃ、どう説明していゝか分らないよ。」と木谷が云った。「しかし、奴等は、俺等の武器が奴等にむかって突ッかかって行くのを怖がって、先手を打ちやがったんだ! あいつらの利益を守るためには、あらゆるものを犠牲にしてかえりみないのだ!」
 三人は、芝生の土手を越して、塹壕のある草ッ原に出た。大きなアカシヤのかげには火葬場が作られていた。
「俺れらだって、ひとつまちがえば、やられていたかもしれないんだ。」と、木谷は、塹壕をとび渡って小声で云った。「あいつらは俺らが怖いんだ。だが、今度、俺等が剣を持った日にゃ、先手を打たれやしないぞ。まず、あいつらの心臓を串ざしにしなきゃ置かないんだ!」

     三三

――後記――

 半分しか肉がついていない五名の兵士は、「名誉の戦死」ということになった。
 棺に納められ、石油をぶっかけられた彼等の肉体は、火葬竈の中で、くさい煙となって消えて行った。
 内地の彼等の親たちは、本当に、彼等が、憎むべきチャンコロの弾丸にあたって戦死したものと思いこんでいるだろう。しかし、兵士はそのためにすべてが将校に対する新しい憎悪を激しく燃やした。
 出兵の結果、支那には、排日、反帝国主義運動が、かえって強くみなぎった。破壊しつくされた※(「さんずい+欒」、第3水準1-87-35)源門には「誓雪此恥セイセツコノハジ」「※(「にんべん+爾」、第3水準1-14-45)看見※(「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57)ショウカンケンマ?」「※(「にんべん+爾」、第3水準1-14-45)記得※(「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57)ショウキトクマ?」と、民衆の心に火をつけている。[#「。」は底本では「、」]日本ブルジョアジーは、出兵当初の目的とした「満洲植民地の確保」は、一時的にせよ、殆んどそれを達成した。喰えない男、張作霖の爆死や、蒋介石と結ぶ揚宇霆の銃殺などによって、日本のブルジョアジーは、武力によってでも、満蒙を握りしめ、完全に、それを属領化しなければならないようになっている。そのために、あらゆる力を、そこに傾注している。
 福隆火柴公司フールンホサイコンスの工人達は、その後兵士と握手して立ちあがった。社宅の女房達は、また、いつかのように自動車でKS倶楽部へ逃げ出した。そして、彼女達は、永久に社宅へは帰らなかった。工人の力は強かった。と、内川らはマッチ業界の世界統一を企図している瑞典の資本を結合した。工人たちは、また、強敵と立ち向うこととなった。
 それから、最後に、猪川幹太郎は、このドサクサ騒ざに、家も、仕事も、子供も、すっかり失ってしまった。彼は、マッチ工場をくびになった。
 一郎は、どこで、どう失われたか、皆目分らなかった。恐らく支那人にツマミ殺されたのだろう。彼は、それを残念がった。トシ子によく似た子供を失ってしまった。それが惜しかった。しかし、また一方、殺されたなら殺されたっていゝとも思った。
 だが、ある日である。
 彼は、以前の住居の十王殿附近をブラ/\歩いていた。破壊のあとはまだ恢復していなかった。街は、一層きたなく、ホコリッぽかった。支那人が生大根の尻ッポをかじっていた。
※(「父/多」、第4水準2-80-13)テイヤ! ※(「父/多」、第4水準2-80-13)呀!」
 ふと、彼の足もとへ近づいて来る者があった。汚い支那服を着た子供だった。頭は支那の子供のように前髪と、ビンチョを置いて剃られていた。
※(「父/多」、第4水準2-80-13)呀! ※(「父/多」、第4水準2-80-13)呀!」
 よち/\とその子供は、遊んでいるほかの子供の仲間から離れて歩いてきた。
 見ると、それが一郎だった。
 馬貫之マカンシの細君が、辻の枝が裂けたアカシヤのところに立っていた。彼は、思わず、子供を抱きあげた。
 一郎は、馬貫之に助けられていたのである。

(昭和五年十一月)




 



底本:「筑摩現代文学大系 38 小林多喜二 黒島傳二 徳永直 集」筑摩書房
   1978(昭和53)年12月20日初版第1刷発行
入力:大野裕
校正:原田頌子
2001年8月14日公開
2006年3月23日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
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    「口+那」    204-上-19、204-上-19
    「女+邦」    209-上-1
    「穴かんむり/缶」    211-上-16

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