黒島傳治全集 第三巻 |
筑摩書房 |
1970(昭和45)年8月30日 |
私の郷里、小豆島にも、昔、瀬戸内海の海賊がいたらしい。山の上から、恰好な船がとおりかゝるのを見きわめて、小さい舟がする/\と島かげから辷り出て襲いかゝったものだろう。その海賊は、又、島の住民をも襲ったと云い伝えられている。かつて襲われたという家を私も二軒知っているが、そのいずれもが剛慾で人の持っているものを叩き落してでも自分が肥っていこうという家であったのを見ると、海賊というものにも、たゞ者を掠めとる一点ばりでなく、復讐的な気持や、剛慾者をこらしめる気持があったらしい。
小豆島の西方、女木島という島には、海賊の住家だったらしい洞窟がある。巧妙にできた、かなり広い洞窟であるが、それがいま、オトギバナシの「桃太郎」の鬼が住んでいたところだと云われて、その島をも鬼ガ島と名づけ、遊覧者を引こうがための好奇心をそゝっている。こうなると、昔の海賊も、いまの何をつかまえても儲けようとする種類の人間には顔まけするだろう。
小豆島は、島であるが、同時にまた山である。昔、大地が陥落して瀬戸内海ができるとき、陥落し残った土地だから土台は岩石である。その岩が雨に洗い出されて山のいただきには奇巌がいたるところに露出している。寒霞渓の巌と紅葉については、土地の者の私たちよりもよその人たちの方がくわしいだろう。山はあるところでは急激な崖になって海に這入り、又あるところは山と山との間の谷間が平かになって入江を形づくり部落と段々畑になった耕地がある。そして島の周囲には、いくつかのより小さい岩の島がある。
私はしかし、小さい頃から和やかな瀬戸内海の自然に親しむよりは、より多く人間と人間との関係を見て大きくなった。貧しい者の悲しみや、露骨なみにくい競いや、諂いをこれ事としている人間を見て大きくなった。慾のかたまりのような人間や、狡猾さが鼻頭にまでたゞよっているような人間や、尊大な威ばった人間がたくさんいるのである。
約十年間郷里を離れていて、一昨年帰省してからも、やはり私の心を奪うものは、人間と人間との関係である。郷里以外の地で見聞きし、接触した人と人との関係や性格よりも、郷里で見るそれの方が、私には、より深い、細かい陰影までが会得されるような気がする。
が、それと共に、自然の風物もいまでは、痛く私の心を引く。絶対安静の病床で一カ月も米杉の板を張った天井ばかりを眺めて暮した後、やっと起きて坐れるようになって、窓から小高い山の新芽がのびた松や団栗や、段々畑の唐黍の青い葉を見るとそれが恐しく美しく見える。雨にぬれた弁天島という島や、黒みかゝった海や、去年の暴風にこわれた波止場や、そこに一艘つないである和船や、発動機船会社の貯油倉庫を私は、窓からいつまでもあきずに眺めたりする。波止場近くの草ッ原の雑草は、一カ月見ないうちに、病人の顎ひげのように長く伸び乱れているのである。
やがて歩けるようになると私は杖をついて海岸伝いの道をあるいてみる。歩ける嬉しさ、坐れる嬉しさ、自然に接しられる嬉しさは、そのいずれも叶わぬ不自由な境涯に落ちて一そうはっきりと私に分るようになった。もう今では崖の下の海で、晴れ間を見て子供たちが海水浴を始めている。海の中へつき出た巌の上に立っている宿屋では、夏の客をむかえるとて、ボートをおろしている。
この島は周囲三十里余の島だが、そこに四国八十八カ所になぞらえた島四国八十八カ所の霊場がある。山の洞窟や、部落のなかや、原に八十八の寺や、庵があるのである。
毎年二月半ばから四月五月にかけて但馬、美作、備前、讃岐あたりから多くの遍路がくる。菅笠をかむり、杖をつき、お札ばさみを頸から前にかけ、リンを鳴らして、南無大師遍照金剛を口ずさみながら霊場から霊場をめぐりあるく。
この島四国めぐりは、霊験あらたかであると云い伝えられている。
苦行をしてめぐっているうちに盲目の眼があいたり、いざりの脚が立ったり、業病がなおったりした者があると云われている。悪いことをした者は途中で脚がすくんであるけなくなると云われる。罰(これをバチとよむ)があたるのである。あるときいざりがめぐっていたのを、うしろから下駄で蹴とばした者があった。すると忽ちいざりの脚が立って、蹴とばした者の脚が立たなくなってへたばりこんでしまったという。即ちバチが、それこそテキ面だったのである。またあるとき、盲目の眼があいた。と、そのメクラは、島四国をめぐってさえ眼があくのならば、本四国をめぐったらどんなによいだろうと云った。ところが、メクラは本四国を上位においてそう云ったばかりに、開いた眼が又ふさがってしまった。そのメクラは女だったそうだが、非常に口惜しがってじだんだを踏んだそうである。その足のあとというのが岩に印されている。私もその足のあとだという岩の窪みを見た。しかしまだ足が立ったいざりや、眼があいたメクラについては人から話をきくだけで、直接、私自身がそういう人々に会ったことは一度もない。
そういう人があるのならば本当に私は会ってみたいと思っているのだが、出会さない。
島の人々は、遍路たちに夏蜜柑を籠に入れ道ばたに置き一ツ二銭とか三銭の木札を傍に立てゝ売るのだが、いまは、蜜柑だけがなくなって金が入れられていないことが多い。店さきのラムネの壜がからになって金を払わずに遍路が混雑にまぎれて去ったりする。人々は、いまじゃ弘法大師もさっぱり睨みがきかなくなったと云って罰のバチがあたることを殆んど信じなくなっている。
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