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『出家とその弟子』の追憶(『しゅっけとそのでし』のついおく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-4 6:08:00  点击:  切换到繁體中文

底本: 青春をいかに生きるか
出版社: 角川文庫、角川書店
初版発行日: 1953(昭和28)年9月30日、1967(昭和42)年6月30日43版
入力に使用: 1981(昭和56)年7月30日改版25版
校正に使用: 1983(昭和58)年6月20日改版27版

 

この戯曲は私の青春時代の記念塔だ。いろいろの意味で思い出がいっぱいまつわっている。私はやりたいと思う仕事の志がとげられず、精力も野心も鬱積してる今日、青春の回顧にふけるようなことはあまりないが、よく質問されるので、この戯曲のことから青春を思いかえすことがある。
 私の青春はたしかに純熱であった。私は悔いを感じない。人生に対し、真理に対し、恋愛に対し、私のうけたいのちと、おかれた環境とにおいては、充分に全力をあげて生きた気がする。
 二十三歳で一高を退き、病いを養いつつ、海から、山へ、郷里へと転地したり入院したりしつつ、私は殉情と思索との月日を送った。そして二十七歳のときあの作を書いた。
 私の青春の悩みと憧憬と宗教的情操とがいっぱいにあの中に盛られている。うるおいと感傷との豊かな点では私はまれな作品だろうと思う。あれをセンチメンタルだと評する人もあるが、あの中には「運命に毀たれぬ確かなもの」を追求しようとする強い意志が貫いているのだ。
 ただ私は当時物質的苦労、社会的現実というもの、つまり「世間」を知らなかったから、今の私から見て甘いことはたしかに甘い。あのころもし「世間」を知っていたらあんな純な、憧憬に満ちた作は書けなかったろうと思う。世の多くの人たちがあれを好くのは、自分たちが世間にもまれて失っている純情をあの作を読むと回復するような気がするからではあるまいか。ところが私の精進はまたあべこべで世間と現実とを知っていくところにあった。そして『恥以上』という戯曲にまでそれが発展したのだ。これは私のエレメントである同じ宗教的情操の、世間にもまれた後の変容であって、私は『出家とその弟子』よりも進んでいると思っている。長さももっと大作だ。しかし、世間ではあまりこの作に注意しないのは残念千万だ。
『出家とその弟子』は邦枝完二君の監督で林君、村田君等が、有楽座で上演したのが最初の上演だった。村田実君(今の映画監督)は青山杉作君の親鸞に唯円を勤めて、自分が監督して京都でやった。後帝劇で舞台協会の山田、森、佐々木君等がはなばなしくやった。今の岡田嘉子がかえでをやった。夏川静枝も処女出演した。
 上演は入りは超満員だったが、芝居そのものは、どうも成功とはいえなかった。作者としては不平だらだらだった。しかし舞台協会の諸君は人間として純情な人たちばかりで、私とも精神的な交感が通っていた。
 映画にとりたいという申込みはそのころよくあったが私はことわってきた。そのころの映画はまだ幼稚だったし、トーキーもなかった。
 トーキーでやれば、『出家とその弟子』は、きっと成功すると私は思っている。それはこの作が芝居で困難なのは動きの少ない対話のシーンが多いからだが、映画なら大うつしがきくし、トーキーならその単調さが救われるからだ。寺の本堂、廊下、仏像なども立体的に、いろいろな角度や、光りでとれるからだ。それは『アジアの嵐』などでもわかる。どこかですぐれた監督が映画にするといいと思う。一昨年PCLから申込みがあったが、どうしたわけかそのままになっている。
 芝居では村田実の唯円には、音羽かね子がかえでをやり、山田隆弥の唯円には岡田嘉子がかえでをやった。森君の善鸞はよくやってくれた。やはり第一幕の日野左衛門の内と、第三幕の善鸞遊興の場と、四幕の黒谷墓地とが芝居として成功する。ハンドルングが多いからだ。しかし監督がよければ、演出次第で芝居としても成功しないはずはないと思うのだが、どういうものか。
 ともかくもこの戯曲は純情がどれだけの作を産み得るかの指標といっていいだろう。それを取り去れば、この作はつまらないものだ。だから反言や、風刺や、暴露の微塵もないこの作が甘く見えるのはもっともである。
 人間が読んで、殊に若い人たちが読んでいつまでも悪いことはない、きっとその心を素純にし、うるおわせ、まっすぐにものを追い求める感情を感染させるであろうと今でも私は思っている。
 しかしいつまでも私に『出家とその弟子』のような作を書けと注文するのは無理だ。私はもっと塵にまみれて真理を追いつつある。世間にもまれ、現実を知り、ことに今日では貧苦の中に生きつつ国民運動もしている。しかし一生純情と理想主義とを失いたくない。
『出家とその弟子』を読んだ人は是非『恥以上』(改造社発行)を読んでいただきたい。私といえば『出家とその弟子』をいわれるのは私としては有難迷惑だ。私はひとつの境地から、他の境地へと絶えず精進しつつあるものだ。そしてその転身の節目節目には必ず大作を書いているのだ。愛読者というものはそれでなくては作者にとってたのみにはならない。

(「劇場」第二巻第一号所載、一九三六・一二・七)




 



底本:「青春をいかに生きるか」角川文庫、角川書店
   1953(昭和28)年9月30日初版発行
   1967(昭和42)年6月30日43版発行
   1981(昭和56)年7月30日改版25版発行
入力:ゆうき
校正:noriko saito
2005年1月6日作成
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