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人と人との従属
現代は、人間が自己の生活に対して、最も意識的になった時代である。人がおのれの幸福についておもんぱかるに熱心なることは今の時代ほど著しいときはあるまい。人はこの地上を楽しく豊かならしめ、おのれの生活を快適ならしむるためには、種々の配慮を惜しまぬように見える。しこうしてその目的は遂げられたであろうか。この世は楽しく住み心地よくなったであろうか。ある者は互いに憎みあっている。ある者は互いに剣を抜いている。ある者は他より奪わんとし、ある者は求むる者にも拒んでいる。ある者は自己を固く塞して、もはや他人に何ものをも求めようとしない。最も平和にして尋常に見ゆる者といえども、礼儀や形式等を一種の城郭として、そのなかに拠り、互いの利益の侵されざるかぎりにおいて、あまりに峻しき対抗の意識の重苦しさを免れんために、表面を滑らかに社交的にしているにすぎない。人と人とはけっして互いに従属していない。その心と心とはけっしてまどかに結ばれ合っていない。人と人とは互いに心を覗き合うことを恐れている。そしてある重苦しさが互いを圧迫している。かくのごときは近代の人の、心より欲するところではもとよりあるまい。そはこの地上の相としてやむをえざるものであろうか。私たちはその原因が私たちの対人関係の徳の不足に負うところの多いのを思うときに、その不幸のなかに合わせて羞恥をも感じなくてはならない。私たちは書を読んで、私たちの祖先の間より出でて高きに上げられたる聖者たち、たとえばかの聖フランシスのごとき人の伝記を読むときに、その前に跪きたい心地がする。そこには人間性の善い、純な、朗らかな、恵みに馨うた相が、私たちの前にいとも尊く置かれてある。そしてそれは私たちの歪める、悪しき、曇れる心を、恥じしめずにはおかない。私たちはともに生けるものである。被造物として互いに似かよえるものである。互いに完全に従属することは私たちの本来の願いであるべきである。私たちがもしもかの聖フランシスのごとくに対人関係の徳と知恵とに達するならば、私たちは互いに美しき従属を楽しみ得ないことはあるまい。私たちは何にもまして対人関係の徳を磨かねばならない。そこに初めて真の自由が望まるる気がする。近代の人はその徳について乏しいように見える。ことに受身の徳において著しく貧しいように見える。そしてそれは私たちの対人関係の不幸を造る、きわめて大きな原因をなしているように見える。与うるの徳と受くるの徳とはともに対人関係の自由に達する欠くべからざる姉妹の徳であって、後者はけっして前者より小さいものではない。人と人とは互いに求むるときにのみ初めて従属する。愛したい願いのみあって、愛されたい願いのないところでは幸福な交わりは生じない。恋人同士が幸福なのはそこにある。そして私たちの心の底には実際に愛されたい願いがあるのである。それをなぜ無理に殺さなければならないのであろうか。求めてもなかなか与えてくれるものではない。それは事実である。けれどもそのためなぜに愛されたい願いを捨てなくてはならないか? その願いは善い純な人間性の稟有するところのものである。純な善い願いはいかなることあるも殺してはならない。人間の生命はただそれのみに繋がって意味を有するのである。もし愛されたいと願っても愛されないならば歎くがよい。そして歎きつつなお愛されたいと願うがよい。それが本道である。私の考えでは私たちは理想によってのみ生きられる。理想と現実とは独立したものである。理想が現実と衝突するならば悲しいけれども、そのために理想を捨てあるいは理想を低くせねばならぬ理由はない。理想は理想として建ててただ悲しむべきである。理想をあきらめてはならない。愛されたい願いが善い願いならば事実として愛されなくとも、死ぬるまで依然として愛されたいと願うべきである。人間に宗教があるのはそれがためである。すなわちまず人間は雑然として何ものかを要求する。それは事実に当たってみたされない。そこで要求のなかから欲と願いとを分けて欲はあきらめる。その願いも感情が深くなるに従って純化されてゆく。そしてもしあきらめられるものならば皆あきらめる。しかるにどうしてもあきらめられない、それをあきらめては私たちの本質の死ぬる願いがある。それは愛である。愛することと愛されたい願いである。現実においてこの願いはみたされないとみたのは親鸞であった。ゆえに彼は宗教の彼岸においてこの願いをみたさんことを工夫したのである。絶対に仏に愛されることと、成仏して絶対に衆生を愛することとを信じたのである。私たちは愛されたい願いと愛したい願いとを持っている。この願いはけっしてあきらめられず、またあきらめてはならないものである。私たちは与えることと受け取ることの自由が得たい。与うることの自由とは客観の原理に束縛せられずして独立に与うることである。与えることの自由を得んことは、深い人はみな憧れ求めている。ここでは私たちは特に受け取ることの自由について考えたい。対人関係の徳として受け取ることは与えることよりも小さいものではない。私たちは受け取ることの徳を得ないならば偉い人間とはいえない。人間と人間との接触の滑らかにゆかないのは一つは近代人が受け取ることの徳を持っていないからである。人の愛を受け入れない、ある人は求めず、与えず、魂の扉を堅く鎖して孤立する。ある者はただ与えようとのみ努めて求めず訴えない。この二つは近代の優れた真面目な人々が傷つけられたために本心にそむきつつとるに至りし最も悲しき態度である。しかし孤独はけっして純な願いではない。また与えようとのみするのは傲慢である。なんらかの生活の条件を他から負わずに生きることはキリストでも[#「キリストでも」は底本では「キリスでも」]釈迦でもできはしなかったのである。この点から見れば求めずしてただ与えようとするよりも、太陽の光をも神の恵みと感じたフランシスの方がはるかに合理的である。われわれは被造物であることを忘れてはならない。光線や食物はどこから得るのであるか。私たちは絶対に与うるものとしての超人になろうとする意志を起こすならばそこには人間性の組織の上にある破壊が行なわれることを許さねばならぬ。人間として偉大なることと神の偉大なることとの間には、はっきりした区別がある。聖者はいかに偉大でも神ではない。聖者は被造物として最も偉大なるものであって、それは人間性の成就である。人間性の純なるものを破壊せずに完成したものである。それは人間としての制限を持っていてもさしつかえはない。けれど超人はわれら人間とは別ものである。絶対的与者としての超人は、人間の境域を越えた他の世界にいるものである。私たちは何ゆえに愛されたい願いを棄てねばならぬだろう。愛されたいと願うてはなぜに小さいのであろうか。私はその意味で超人よりもオーソドックスの単純なキリスト教のいわゆる「神の子」とならんとする願いをはるかに望ましく思う。超人のなかには個人主義の強い要求があるけれど共存の要求が乏しい。その与うるの愛はむしろ自己の力を頼む心より起こる。人間と人間との従属を最後の目的とした愛ではない。キリスト教の「神の子」はあくまでも被造物として完成せるものである。その天国は神の前に神の子たちの愛することと、愛せられることの自由を得て睦び合う楽園である。その理想は共存ということから少しも離れない。私たちは被造物であってさしつかえないではないか。私たちはこの制限を忘れるときに赦しと共存との意識を失うて互いに孤立するようになるのである。人間には深い共存の願いがある。一つの神の手にて創られたる同胞の思想はこの願いに立脚したじつに巧みなる説明である。私たちはただ与うることの自由を得ただけで(それさえほとんど不可能な至難なことである)人間としての徳が完成していない。さらに受け取ることの自由を得んと努力しなければならない。実際近代人はパッシーブの徳においてことに貧弱である。信じがたい、受け取りがたい、堅い、狭い魂である。もっと魂の口を開いてすらすらと受け取ることはできないものであろうか。求めず、訴えず、信ぜず、受け取らず、海底の貝殻のごとくに孤立しょうとする。それは二十世紀の最も大きな悪い傾向である。これというも人間があまりにしばしば互いに欺き、惜しみ、裁いたからである。一言にいわばエゴイスチッシュになったからである。 ツルゲネフの小説に「徳」たちが天国で出逢って互いに挨拶をしたときに、二人の互いに見知らぬ顔の(Tugend)があった。一つは「慈悲」で他の一つは「感謝」であった、という話があるそうであるが、今の世の中ではこの最も親しかるべきはずの愛と感謝とが出逢うことが最も稀であるように見える。そして愛しても受け入れられないほどの悲しいことがあろうか。ロバートソンの説教にあるようにキリストの最も淋しかったことは自分の愛を人々が受けいれてくれないことであったであろう。与えたいときに受け取ってくれる人の無いのはじつに淋しい。私自身もだんだんに求め訴える気がしなくなってゆく。人生のつめたいことを知り人心の信じがたきことを知れば知るほど求める気のなくなるのはじつに無理からぬことである。人を見れば親切にはしてくれぬものと思い、女を見れば愛してはくれぬものとあきらめるようになってゆく。あの『死人の家』に出る犬が人を見れば打たれるものと決めてドストエフスキーの目の前でも寝転んで鞭を待ち設けた、というように、私たちも初めからあてにはせぬようになってゆく。けれども思えばそれは善い傾向ではない。ドストエフスキーはシベリアの牢獄で囚人らから排斥せられたときにはそれを白眼でも見ず、また超然として、荒々しく、内心で侮辱してもすまさず、心から悲しきことに思ったのであった。それは真面目な善い心である。訴えることは弱いことではない。与えてくれねば悲しむがいい。そしてやはり求めるがよいと思う。まれに愛を用意している人に出逢うときには、そのような善い心は雨の畑の土に吸われるように潤されることができるからである。「求むるものは幸いなり。そは与えらるべければなり」と耶蘇がいったのはこの純な心と心とが出遇うたときの幸いである。ただ私にとって最も気にかかることは「隠遁の根拠」のなかにも書いたごとく他人と交わることが他人を傷つけるかもしれない遠慮である。この遠慮から人と交わらずに淋しき処に隠退する人があるならば、これはたしかに同情すべき当然の心遣いである。聖フランシスが隠退しょうか伝道しょうかと迷ったのはあるいは他人の魂に入り込むことをおそれる謙遜なつつましさからであったかもしれない。けれども私はどうも各人が退隠することは望ましいこととは思われない。人間の心の底からの純な願いからではなく、悪に礙げられてのやむをえぬ生活法だからである。人間には互いに働きかけたい心願がある。それがみたされないならば、人生はいかに寂寞たるものであろう。私は私の傍に愛しかける人がいなければ不幸を感ずる。ただひとりのときは犬でも飼いたい心になる。しかし他人をより善くする自信を持つことはとうていできない。しからばいかにして人と人とは従属すべきであろうか。 ここにおいて私はキリストのいわゆる「赦し」というもののいかに欠くべからざる徳であるかを思わずにはいられなくなる。人間は皆被造物としての欠点を持っている。私に自信のないごとくおそらく他人にも自信はないであろう。しからば「間違ったら許してください」という態度で自信は無くても交わることが許されないであろうか。「どうか他人の運命を傷つけませぬように」と神に祈る心持ちで交わり、そしてできた罪はゆるしを乞いつつ常に親しく接触してゆくのが人間性の最も純な道であろう。もし相互に赦し合わぬならばいかにして私たち欠けたるものが安んじて交わることができよう! 赦しはじつに人間と人間との従属に最も大切なる Tugend である。この徳のみが謙遜な人を隠遁から止めるのである。人と人との争いを和らげるのである。キリストの教えは詮ずるところ「互いに赦し合って仲よくせよ」との教えである。トルストイの『火を忽にせよ。さらば拡がらん』という小説は善くキリストの心を呑み込んである。人間と人間はつくづく争うものではないと私は思う。人と人とは互いに罪を犯さないことはほとんど不可能である。ゆえに赦し合わないならば平和は地上に来ないのである。私は教会で皆と一緒にあの「主の祈り」を合唱して「われらに罪を犯すものをわが赦すごとくわれらをも赦したまえ……」というところに来ると涙がこぼれる。独りで祈ってるときはさほどでない。皆と一緒に祈ると涙がこぼれる。互いに罪を犯さずにはいられない呪われたる人間の子孫たちが、神の前に出て互いに赦して祈るのだと思うと私は深く感動する。そしてこのときばかりは、黙祷でなくピープルとともに神を拝する教会の存在の理由があるように感じる。私はみずからを省みてばかりいれば他人に対して何ごとをも働きかけることはできず、じつに心中不自由をきわめ、しかもそのような心構えがあっては人と人との交わりの自由な楽しさは失せてしまうことを惜しむがゆえに、この頃は親鸞聖人のようなものの考え方がなつかしくなりだした。たとえば友達に冗談のいいたいときにはこう思いたい、「私はどうせ間違いだらけである。いま悪くいわないにしても外に悪いことをいわないというのではないから、いわして貰おう」と。もし愛の心を深く知り、互いの運命をおそれていれば、それ以上は相互の理解の上に「赦し」を期待して、訴えもし、責めもし、冗談もいいたい。その間の表現は自在を極めるに至るこそ人間と人間との接触の理想であろう。魚住氏が「ケーベル先生の前に出れば自由になれる」といっているがその幸福は小さいものではない。あまりに鋭い近代人はその幸福を失いかけている。愛と赦しの心持ちを知った人と人との間にのみ滑らかな温かい従属は生まれる。私はくれぐれも善い、人間らしい心になりたい。
(一九一七・一〇・一五)
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『出家とその弟子』の上演について
『出家とその弟子』がこのたび当地で上演されることについては、私はいま本当にハンブルな心持ちになっている。私は今この作の上演によって私の芸術的栄えの日を迎えるという気持ちはほとんどしなくて人を躓かせはしまいかと思う懸念と弁解とが心の中に満ちている。そのことだけはどうしても書いておかなくては気にかかるから要点だけを書かして貰いたいと思う。第一にこの作は厳密に親鸞上人の史実に拠ったものではない。この芝居を見ても親鸞上人およびその弟子たちが(弟子という言葉も親鸞自身にはピッタリした言葉でなかったろう)、このとおりのことを実際行なったものと思って貰っては困る。私は親鸞を画いて虎を画いて猫に似ているといわれても甘んじて受ける気持ちなのだから。私の書いた親鸞は、どこまでも私の親鸞である。私の心に触れ、私の内生命を動かし、私の霊のなかに座を占めたかぎりの親鸞である。したがってこの作に表われた私の思想もむろん純粋に浄土真宗のものではない。親鸞および浄土真宗の研究は、親鸞の実伝とその正依の経典とに拠らなければならない(むろんそれだけで親鸞の本質が掴めるとは思わないが)。第二にこの作には誰でも知っているようにきわめて多くの時代錯誤がある。しかしこれは私はあまり気にしていない。しかしむろんこれを誇ろうとは思っていない。もし少しの時代錯誤もなく、私の表わしたいと思う親鸞を表わし得たらこれにこしたことはないのである。かく多くのアナクロニズムのできたのは、私が故実に通じていないためばかりで無く、それに拘泥することによって私の表わそうとする親鸞が生き生きとして近代の心に触れてこないことを恐れるため、それよりもむしろそういうことを気にしていられないほどあれを書いたときの私の心持ちが切迫していたためである。第三にあの作は真宗のあるいは一般に宗教の教義を説明するために書いたのではない。あの作がいかばかりよく教義を解りやすく語っているかというようなことは、私の興味の中心では無いのである。私のあの作を書いた中心の興味は、人間の種々なる心持ちとこの世の相に対する限りなく深き愛である。この点に目をつけなくてはあの芝居は見ても面白くあるまい。また作者としてもその他の視点からの種々なる批評は私の心持ちと適うことはできない。ことにあの作は私が二十六歳のときの作である。そのとき私の心は切実な青年期の悩みの終わり頃、ことに二人の姉の相ついだあまりに早き死のすぐ後、一燈園から帰ったばかりの、人生の悲哀と無常の心持ちに満ちているときに書いたものである。ちょうど私が一燈園に西田天香氏を訪れる前、折蘆遺稿で読んで感動した「墨染の衣を着るになほ若し綾あるきぬはきのふ脱ぎけり」というような気持ちのとき書いたものである。私はそのときあの西国巡礼の歌を聞いてもすぐに涙の滾れるような気持ちであった。したがってあの作に強い劇しいところが欠乏しているというのも私がそのときそういう方面のムードのなかに住んでいなかったためである。親鸞の性格にそういう方面が欠けていると私が解釈しているのではない。芸術品に対するとき人はいうまでもなくその作のモチーフを見なくてはならない。そのモチーフこそ作者がその作を書いた生命であって、そのほかの点で褒められても貶されても作者の心には適わないものである。人はあの西国巡礼の歌を聞くとき、それに強い劇しさが現われていないからと言ってそれを貶するであろうか。もしそういう人があったら、その人の気持ちはあの巡礼の歌を聞くのに適わしくないというまでのことである(もとよりそういう気持ちでないときも、またそういう気持ちにばかりなっていられないときもある)。人生に対する悲哀と無常の意識――それはもはや滂沱たる涙となって外に流れないけれども、深く深く心のなかに内攻し、その人の世相を眺める目はかぎりなき悲しみを内に秘めているような気持ち、いわば一種の喪の気持ち、そういう気持ちであの芝居を見てくださることを作者は望む。それは人生を享楽する気持ちではむろんない。人生において戦う気持ちでもない。人生を観照するという気持ちはやや近いがやはり違う。愛を内に湛えた目でこの世のあるがままの相を眺め護る、いわば人生の相のなかに仏を見いだす心持ちである。そういう心持ちであの芝居は見て貰いたい。あの作のモチーフはそこにある。それ以外の視点では見てもらってもつまらない気がする。むろん私が他のモチーフから作をすることはあろう。しかしあの作はそういうモチーフで書いたのである。たとえば釈迦の臨終に蛇や鳥の泣いている画を見て母親に尋ねる子供、その子供の着物を縫いながら画解きをしてやる母親の心、あるいはまた師の体に雪の降りかかるのを、自分の衣で蔽うようにする若い弟子の僧の心、そういう心持ちあるいは光景がただちに見る人の感覚の興味とならなくてはならない。その光景の意味を考えてしかる後初めて是非の判断をするような人は一般に劇を見るのに、ことにあの劇を見るのに適わないものである。 私はあの作において、人間の種々の貴き「道」について語り得ていることは私のひそかに恃としているところではあるが、それは「道」を説くために書いたのではなく、生活に溶かされたる「道」の体験を書いたのである。第四にあの作は人間の細かな心持ちのさまざまな相やニューアンスの展開であって動作に乏しい。それもハンドルングばかりに動かされるようなことではあの作はおもしろくないに違いない。純な、潤うた、細々とした心を作者は観客に要求する。第五に私が最も懸念するのはこの作が人を躓かせはしまいかということである。人の精進を鈍くするようなことはないかということである(よく見て貰えばそういうことはないと思うが)。これはけっして私が努力や精進を重んじないからではない。私のモチーフがそこにないためである。私は真実の意味において戒律を生かしたいと思っているものである。その点では私は西田天香氏を中心とした一燈園の生活を尊敬し、病気のせいとはいいながら、今の私の暮らし方を恥ずかしく思っているものである。また天香氏があの作を愛してくだされながらも不満足に思われる理由も私にはよく解っている。あの作が現実の紛糾を解決する力がない、凄いところが無いといわれるのも肯かれる。それは私のあの作のモチーフが問題を(恋愛の問題)さえも解決する点になかったからであることは前にもいったとおりであるが、たとい私の目的が問題の解決にあるとしても私があの作を書いたときにはむろんのこと、現在においてもその成案は持ってないことをここに告白する。しかし私はその問題の解決に興味を感じないのではない。それは私の絶え間のない努力である。その点は現在および将来の問題として私の前に厳に横たわっているのである。私がもしその点に重大なる関心を持っていないならば、あの作と一燈園との縁はないといってもよい。むしろ一燈園の生活の躓きとなるばかりである。一燈園がこのたびの上演の主催者になってくださったということは私の名誉と思いまた私の青年期の懐しい思い出を甦らせて本当に私にとって嬉しいことであるが、それよりもなお意味あることはあの作に盛られていないで残っている、しかしわれわれの人間として必ず関心しなければならないこの世の実際問題の合理的解決についての努力を一燈園が中心の問題として取り扱っていることである。私はその方面についての努力を人々がゆるがせにするようにあの作が働きかけることを何より心配しているのであるから。あの作の上演が縁となって人々が一燈園の生活に注意するようになるのを望まざるを得ない。この世の相をあるがままに愛する心と、この世を改良して神の国と成そうとする努力とは私は二つともなくてならぬものであり、また相互に矛盾するものではなく、むしろ相互を義しくするものであると思っている。私が一燈園や新しき村の仕事を尊敬し、できるだけ助けたいと思うのはそのためである。ただあの作のモチーフがその点にないというまでのことである。この点についてくれぐれも観客の躓きとならないことを祈る。なおあの芝居を観てくださる人は是非あの本を読んできてくださることをお願いしたい。でないと種々の点において誤解があろうと思われるから。最後にこのたびの上演について尽力してくださった人々に深く感謝する。
(一九一九・一一・一八於一燈園)
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千手観音の画像を見て
自分はこの間、千手観音の画像を見た。そしてある深い感じに打たれた。自分が常々、こちらに引越してからはことに迫って感じている、この「地の約束」「人身の分限」というものについての感慨をいまさらのごとく、新しく感じさせられた。自分は大森に来てからいろいろと考え抜いたあげく、玄関の入口の壁に次のごとく書いた貼り紙をした。「医師の注意により、面談は水曜日と仮りに決めさせて戴きます。ただし切迫した心持ちの方にはいつにてもお目にかかります」。自分はこの貼り紙を自分で書いてピンで貼ったが、そのときじつに淋しい気がした。三年前に自分は「文壇への批難」のなかの一節に次のごとく書いている。「面会日を厳守するのはおそらく最上の生活法ではあるまい。釈迦やキリストはきっとそういう生活法を嫌ったであろう。それを気にしつつやむを得ず決めているのはいい。それを当然と思っている人は、おそらく人と人との接触、天国の空想に鈍い人だろう。釈迦やキリストの域には上れない人だろう」。自分は今でもこの一節を少しも取り消さなくてはならないと思っていない。しかし自分は面会日を決めたのである。そしてこのことは自分には深く気にならずにはいられない。それは自分に、自分の日々の生活における他の、じつに多くのこれに類する限界の意識を連想せしめる。ときには、無常の感じにさえ深められる。本来「隣人としての愛」においては、甲を愛することは乙を愛することと原理上、また心持ちの上からも少しも矛盾するものではない。もし自分に千手観音のごとく千本の手がありさえすれば、万人の個々の人を、自分が最も親近な、常にともに棲んでいる特殊の隣人――家族を愛するようにしみじみと、行き届いて愛することができるはずなのである。しかし事実としては、自分が相当に愛の奉仕をなしていると思うことのできるほどの人はきわめて僅かしかない(むろん徹底的には一人にさえ十分に仕えたと思えるのはないが)。そしてそれは必ずしも愛が足りないからばかりではなく、そこには人間の地上における分限がその因をなしていることもじつに少なくない。人間は時間と空間との制約の埒外に出ることはできない。二つの物(二つの観念)が同時に同処を占めることはできない。同時に二人の人に手紙を書くことも、別の地にある二人の人に逢いに行くこともできない。しかも自分らに与えられた力と時間には限りがある。およそ人類への愛の奉仕には三種の方法があると自分は考える。一は密室で万人の幸福を祈ること。二は学術、芸術等文化に価値ある仕事に事えることによって間接に万人に奉仕すること。三は直接に個々の隣人に奉仕することである。が自分はこのうち第三のものは特殊な、重要なものであってたとい第一第二の奉仕のためにであっても、第三のものを欠くことを自分に許してはならないと思っている。われわれはかの「善きサマリア人」のごとくに触れ合う個々の隣人に仕えることによって、最も生き生きとした、実践的な実の籠った愛を贈ることができるのである(拙文「隣人の愛」参照)。しかしながら実際の場合において人類のすべての個々の人に直接に奉仕することは不可能である。またたとい可能であっても、自分の力を文字どおりに平等に万人に頒つという意味での公平は賢きものではあるまい。たとえば百万円の金をもって人類に奉仕せんとするときに、それを全人類の一人一人に頒って、一人一銭にも満たざる金を頒つことが最も愛の道に適っているとは思えない。われわれは結局縁あって触れ合う少数の人々を人類の名によって愛することによって、かくのごとき意味での万人への奉仕をなさなくてはならない。キリストの十字架は人類の個々の人へそれぞれに血の贈り物であった。しかし実際にキリストが直接に触れ合ったのは、限られた少数の人々であったに違いない。しかしながら自分はでき得るかぎり多くの隣人と結縁したい。自分がもし千手観音のごとくに千手を有するならば、いかに多くの人々の個人個人に奉仕することができるであろう(自分はけっしてそれらの人々を観音のごとく摂取するためにではなく、ただそれらの人々と縁結びをするためにこれを願うのであるが)。自分としては念仏によって万人の幸福を願い、芸術によって万人に愛を送らんことを心がけているものであるが、その他に自分はまたできるだけ多くの個々の人々に、できるだけしみじみと触れ合うことを願わずにはいられない。また願うことを義務と信じているものである。しかしこの最後の願いは自分にはじつに僅かしか満たされることはできない。そこに人間の限り、地の約束というものがじつに痛切に感じられてくる。自分は自分の創作的欲望の十分の一ほども満たすことのできない微弱な肉体的精力を持った芸術家である。自分のごとく作品の少ない芸術家は稀であろうと思う。自分はそのほんの僅かな仕事と、その仕事に欠くべからざるじつに少しの読書とですべての精力を費してぐったりしてしまう。それだけさえも健康を傷つけることなくしてはできないのである。しかもそれだけさえもできない日の方が多いのである。その他の時間をもって自分は自分の第三の奉仕をしなければならない。その結果は自然の数として個々の人々に対する奉仕の粗略ということにならずにはおかない。しかもそれは自分が最も好まないことなのである。自分はせめて訪ねてくれる人々としみじみと語り、手紙をくださる人に行き届いた返事を出すことだけでも心ゆくだけしたいのである。 自分が一本の手紙を書けばどんなに喜んでくれるかもしれないハンブルな人がじつに多いのである。本当に自分はそういう人に対してはもったいない気がする。しかしそれだけのことさえも自分にはできないのである。しかも自分は多数の人々に公平を保つために一人に五、六行のはがきを出すような方法をとる気にはなれない。したがってある比較的少数の人々にかなり行きとどいた返事をし、またかなりしみじみと応接することによってこの第三の奉仕をさせて貰っている。そのためにはついにすべての手紙にことごとくは返事を書くことができず、来る人に毎日いつまでも面会することが許されない結果になる。このことはけっしてある人々には返事を書かなくてもいいと思い、またある人々にはお目にかからなくてもいいと思っているのではない。自分が千手観音でない人身であるために起こるやむをえない結果である。自分はこのことを歎かずにはいられない。もしこの土が浄土であり、自分が観音であるならば、かかる歎きはなくてすむはずである。自分はかかる土とかかる身分とを憧れずにはいられない。自分はしかたがないことと願わしいこととはどこまでも厳密に区別したい。そして願いが正しいかぎりはしかたのないことと諦めないでそれが正しく成就される土を求めたい。自分は思い出さずにはいられない。自分が広島のある病院に長く入院していたときに、肺の悪い一人の夫人(その夫人はすでにみまかり、自分の忘れ得ぬ人々の一人となっているのであるが)のところへある僧侶が迎えられて、法話に来ていて、そこへ私も招かれて席に連なって聞いた日のことを。そのときその柔和な僧侶はいっていた。「仏は自在身でなければならない。物はこの煙草盆であれば、同時にこの薬瓶であることはできない。人は王であれば比丘であることはできない。じつに不自由なものである。しかし仏は同時に王であり、比丘であり、煙草盆であり、薬瓶であることができる自在身である。そしてすべての人のすべての用に奉仕することができるのである」と。私はそのとき深く感動したのを忘れることができない。あの法華経の観世音菩薩普門品のなかに「応以童男童女身。得度者。即現童男童女身。而為説法。応以天竜。夜叉。乾闥婆。阿修羅。迦楼羅。緊那羅。摩喉羅伽。人非人等身。得度者。即皆現之。而為説法」とあるように自在にすべてのものに身を現じて、奉仕することができたならば、いかに心ゆくことであろう。かかる願いは観音でなくても人間にもあるのであるが、かかる器量が人間には欠けているのである。そこに仏でなく、天人でない「人間」の悲哀がある。自分はかかる悲哀のなかに含まるる無限と永遠の感じを、人生にきわめて重くして深きものと信じるものである。かかる感じを空想として無下に擯くることはけっしてできない。そこらの感じ方からこの土と浄土とを分けて考える思想、彼岸に対する抵抗すべからざる思慕、信心の意識が要求されてくる。現象界の他に世界を認めざる認識論的要求や、またこの土をただちに寂光土と見る禅宗や日蓮宗等の見方や、また天国をこの世界に実現せんとするキリスト教的世界思想の存在にもかかわらず、自分が法然上人の死後に「西方の浄土」を選んで、そこに霊魂の安息処を求めた心持ちに自分が最も心を惹かれるのもそのためである。自分は生を人身に享けたるものの限界と、運命とを認めずにはいられない。人間の正しき願いを寸毫も断念することなく、これを成就せんと欲するならば、自分らはこの「限り」を感じないではいられない。自分は人と人との接触の微妙なる味、心と心との結縁の機微を思うときに、自分が病気とはいいながら、面会日を定め、面会時間を限り、またかりそめにも音信を疎略にするがごときことは、みずからに許すことができないのみならず、自分の人生における幸福な、重要なるものを減殺することとして遺憾に堪えない気がする。人間と人間と触れ合うことは無限の味、幸福、涙である。そのとき人は死を肯うことさえ辞さないのである。それを思えば自分は一人の人間をも除さず縁を結びたい気がする。人間にはどんな人にでもその特殊な持ち味がある。その味に触れることはこの人生における最も深い、複雑な享楽である。自分は結縁というものの微妙な味を思う。自分がこれまで触れ合ったさまざまな人々を思うときに、何はともあれ、その人々と結縁したことは感謝したい気がする。相手を祝福する動機によって結縁したいわゆる「順縁」の場合のみならず、相手を呪誼する動機によって結縁した(たとえば相手と口論したることが動機となって結縁したるがごとき)「逆縁」の場合においてもなおその相手と少しも触れ合うことのできなかった「無縁」の場合よりは感謝したい気がする。著しくいわば、一人の女と全然無縁であるよりも、たといその女を辱しめることが動機となったとしてもなおかつ結縁したい気さえすることがある(むろんその反対すなわち一人の小さきものを傷つけるよりは、万人から隠遁したい気もするが)。自分はこういうことを想像することがある。自分が心ひそかに永く逢いたいと思っていた人が遠くの国へ行くということを聞き、もう一生逢えないかもしれないと思って、いろいろ躊躇していたのを思い切って逢いに行く。俥で波止場へ馳けつけるとその人はいま出帆したところであった。なぜ今日にかぎって汽車が延着してその人に逢えなかったであろうかと歎き悲しむ。がそれはいつか前の世でその人がふと道連れになったときに、自分に雨に降られて合い傘をしてくれと頼んだときにそれを拒んだためであったというようなことを。こういうことはばかげた考え方とはけっしていえない気がする。現にこの世でもこれに類することはじつに多い。病院の廊下を歩いていてふと懐しい人の表札を見いだしたが、その時ただそのドアを敲くことをあえてしなかったため、そうした場合には深い深い交わりができたであろう人と、永久に無縁で終わることもある。そこらの微妙な不思議なキッカケを思うと恐ろしい気さえする。自分の尊敬しているある人は六万行願といって、自分が生きている間に一万戸と結縁することを願としている人がある。自分も心の底からでき得るかぎり、多くの人々と結縁することを願うものである。自分は必ずしも自分が結縁したことによって相手を救済することはもちろんその運命をより直くすることができると思うのではない。しかしながら事実としては自分からでも、なお何物かを与えられることのできる人もあるであろうと思うこともまた禁ずることもできない。ただいたずらに謙遜して、ひたすら過ちなきことをのみ期するのが愛の道ではない。自分より、より小さき、より弱き、後れて来たれる者から助けを求められたときには、ある場合にはあえて師長としての助言と保護とを与えることが愛に適う場合もあり得るのである。その意味において自分は本当に実のある、親切な隣人でありたく願うのである。それらのことをいろいろ考え回すときに自分はますます多くの人と結縁することの願いを感じずにはいられない。しかもその願いが自分にはきわめて僅かにしか満たされることはできないのである。自分がそれだけ苦しみ、遺憾に思っているにもかかわらず、自分に求めて来た人はどんなにか自分を物足りなく、愛乏しく不満足に思うであろうと察しないではいられない。またそれを無理はないと思う。自分は六、七年前に自分が最も尊敬していた京都のある哲学者に面会を求めたときに、その学者が仕事が忙しいためにある面会日を指定した簡単な端書をくれたときに自分の心が傷つき、ついに不満の意を認めた手紙をその学者に送って怒りを含んで面会に行かなかったことを覚えている。自分はしかし今はその尊敬すべき学者がそうしないではいられなかった事情を察することができて、自分の大人気なかったことをむしろ愧じている。人から伝え聞くところによれば、その学者はそのことを気にしていてくださるということであるが、自分は済まなく思っている。自分の場合でもさぞ、自分が六、七年前に自分が感じたがごとき不満を与える人々がどんなに多いだろうかと思わずにはいられない。自分もまたその学者のごとく、愛の名によって仕事についている人間なのだから。自分はこのことについて赦しを乞わずにはいられない。自分は自分がすべての私の欲望を放棄して、すべての精力、すべての時間をことごとく隣人との結縁と奉仕とに捧げているとはいえないからである。自分が負うている十字架もけっして軽いとは思わないが、自分にはなお悪き欲望が残っていることを認めずにはいられないからである。自分は自分が拠ってもって人類に間接に一括めに奉仕せんと欲している芸術のために、面会日を定めたり、手紙を怠ったりしなければならないのではあるが、自分の芸術がはたして人類に対するいかほどの寄与になり能うかということ、およびその製作活動が自分のプライベートな幸福でもあることを考えるときには、それを弁解の具にのみ用いることは気がひけるところもある。自分がもしこれ以上人と会い、手紙を書くならばおそらく自分の芸術はほとんどその出産の能率を欠き、自分の寿命は支えることはできないであろう。しかしながら自分にとって芸術は一つの偏執であるのかもしれない(現に私にそういってくれる、私の尊敬している人もあるのである)。自分にとって芸術は、それだけは何もののためにも放すことのできないというような、執心となっているのだから。自分がもしすべてを隣人に捧げ、芸術を断念し、「旦に道を聞いて夕べに死すとも可なり」というがごとき信念の下に、病気を顧慮することなく他人のためにのみ生きるならば、今日においてもなお面会日を定めず、手紙を怠らぬことはできるのである。あるいは聖人はそうすべきであるかとも思う。しかし今はまだ自分の信心が決定せず、自分の思想が一定せず、芸術を断念することができず、またできるだけ長生きもしたく思っている程度の私の境涯であるためにやむをえないのである。自分はけっしてそれを当然だとは思わず、また満足してもいないのであることと、そのことについて赦しを乞うているものであること、また自分がそれほどにも人と触れ合うことを自分の幸福と思っているものであるということを私の隣人たちに知っていて欲しいのである。自分は自分の尊敬しているある人がなしているように、自分が触れ合った人々――それらのなかには、去る者は日に疎く、今はどこにどうしているか解らなくなっている、けれども自分が忘れることのできない人々、あるいはまた現在住所も解ってはいるけれども、めったに便りを出すことも得しない人々の姓名だけを帳面に書いておいて、それを仏壇に供えて、朝夕念仏することによって、一括めにそれらの人々を回向したらとさえも思う。それはけっして十束一とからげな、事務的な気持ちからではなく、人間に与えられている制限に抵抗しようとする、真心からの愛の勤行としてもなし得ると私は信ずる。その意味において、人間の奉仕はついにいのりとならなくてはならないと思われる。神の名によって祝福を人類の上に招き寄せ、あるいは親鸞の「急ぎ仏となりて心のままに衆生を助けとりたし」という気持ちとならないではいられない気がする。自分は千手千眼観自在菩薩の画像を眺めて、自分がいつも感じているこれらの想念を新しく刺激されたのである。そして微妙の身体を有するこの瓔珞を戴ける像の前に跪かないではいられない気がする。そして人身の悲哀と彼岸の思慕とを感ぜずにはいられない。自分は自分の芸術を励み信心を深めることによって、せめてこの隣人への直接の奉仕の懈怠をつぐのわしていただきたいと念ずる者である。
(一九二〇・一二・一五 於大森)
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