付記。私はこの一篇を一つの優れた思索的論文を草することを意図してではなく、ある緊要な実際的なかつ遠く遂げらるるを要する目的をもって書いたのである。すなわち純潔なる青年を、かつて私が陥ったと思惟する過失――漫然たる霊肉一致の思想に甘やかされて自発的にその純潔を失うことから防ぎたいためである。その目的のために、私は精緻を欠ける思索にもかかわらず、急いでこれを書いた。なんとなれば純潔を失うことはたやすく、そして一度失った純潔は永久に還らざるがゆえに、たとい私の論旨が誤っているにしてもそのもたらす禍は私のこの一文が防ぎ得るかもしれない禍よりもはるかに小さいと信ずるからである。加うるに私は一高時代に「異性の内に自己を見いださんとする心」という一文においてその誤れる思想を主張したことを絶えず気にかけてきた。一度その取り消しをすることを私の義務と感ずる。私は人々が熟知しながら醜いことを明るみに持ち来たすことを好まない清い心から沈黙していることを愚かにあばいたのであろうか。もしそうだったら私は赤面する。しかし私はどうしてもそう思えないのでやむをえず不愉快を忍んで書いたのである。私はけっして醜いことをできるだけリザーヴして表現することの美しい徳であることを知らないものではない。醜いことはたといこれを否定的に語る場合といえども読者の心に悪の陰を翳すものである。清い人はきっとそれを好まぬに違いない。しかし上述のごとき目的をもって書く以上私はそれを避けることができなかったのである。私はもっと天的な感じのする文章のみが書きたい。その意味においてこの一文を草さなければならなかったことを私は一つの不幸と感じている。
[#改ページ]
文壇への批難
批難といっては私の心持ちにしっくりしない。私はいま調和を求むる願いにみちているから。しかしいま私は私の心の底にある一種の怒りの感じ(それを私はけっしていいものとして自分に許してはいないが)に処を与うるために、あえて批難としておこう。私の心はいま訪問者によって傷つけられて、淋しい。そしてかかる心なき対人態度を当然のこととして流行せしむるにいたった責を私は文壇に嫁したい気がしている。それが動機となって私はこの文を書いている。私はいま熱が出ている。私はからだ具合が苦しいから大切なことをさっさと書く。短く、一生懸命に。第一に文士はもっと文壇を離れてものを書くべきである。考うべきである。その意向も、思索も、情熱も――何よりも大切な心の願いも、もはやけっして文壇という観念をはなれることはできなくなるとき文士は堕落している。「文壇的、あまりに文壇的」という気がする。私は文壇というものに食いついているような作家、ことに批評家を嫌うものである。いったい文壇というようなものは芸術となんら本質的関係のないものである。生産物と市場とのごとき関係さえも成立しないのである。作る人は売ることを目的とせず、いな、自分の書くものの発表に関する意識――文壇的成心から独立して、純粋な表出的衝動から製作すべきであるのはいうまでもない。それを発表しようと、しまいとそれは別事である。かくてつくり上げられたる作品はおのずから他の共存者の心へと道を求むるのである。その間に何の文壇というような意識の插し入る隙間があろう。しかしこの頃は文壇というものを予想しなくては存在し得ないような文章が多い。批評家にはことにそれが多い。日本でも真面目な部類の批評家ほどその書くものは文壇的でない。文壇に食いついてるような批評家ほど軽薄な文章を書く。悪いことには地方の青年などはまず文壇という空気に触れる。その後に初めて芸術そのものに触れる。だから文壇的なものを書く人の名はすぐに現われる。そしてここに文士というものがつくられるわけになる。そして芸術そのものは、その芸術の原動たる作者の日々の体験は、深く隠れてしまうことになる。ここに著しい矛盾は、たとえば一人の真面目な暮らし方をしている作家があるとする。その人は心のある深い煩悶から作ができなかったとする。このときにはその人は他ののべつに作を発表している作家より、はるかに切な、深い生き方をしているのに、文壇的には何の勲もなかったことになる。文壇は書いた人のことはいっても書かなかった人のことはいわないから。実際文壇というものがあるために、いかほど軽い空気が醸し出されるかしれない。それがいかほど芸術を毒し、何よりも大切な、生活そのものを浮き足にさすかしれないのである。だから「浮き足」というものと全然相いれない愛の問題、その愛の要求する、十字架を負うべき実行生活になると、文士は貧弱と虚偽とを露出する。いかに立派な文章が書いてあっても、不幸な人、貧しい人、病める人、心の傷ついてる人――すなわち真に愛を求めている人が読めばすぐにその虚偽であることが解る。空言であることが解る。本当に愛してはくれないのだということが解る。私はそんな文章をいくら読まされたろう。実際文壇的空気にはずいぶん嫌なところがある。自分が不幸な不幸な気持ちにしおたれたようになっているとき、そんな文章を読むと一種の立腹さえも感ずる。みんな道草をくってるような気がする。浮き足になってるような気がする。もっと大切な、われわれに真に必要な問題にハンブルに実践的に立ち向こうて、しみじみした、無駄のない、よく胸に応える論議が聞きたい。じつに今の文士の生活ほど古えの聖人の道に遠いものがあろうか。その言葉多くして行少なき、その名に対して敏感なる、その怒りやすき、その嫉妬深き、その空言を好む、その自欺に巧みなる、その肉体的快楽に感じやすき、その利己的なる、これらの悪しき性質は、他の市民に比して、文士においてはるかにはなはだしいのである。もとよりこれらは近代の文化の含む悪徳として一般的なるものではある。しかし文士はこれらの悪徳の煽動者のごとき観を呈している。しこうして市民の恥じつつなす悪行をも、彼らは当然のことのごとくにこれをなすように見える。もし文壇というものが、いな文士の日常生活の心の持ち方が、今のごとき調子のものならば、私は文士という名に嫌悪を抱く。あたかも牧師という名に嫌悪を感ずるごとくに。しかも後者においては姑息なるものに対するはがゆさであるが、前者においては荒らす者に対する敵意である。私はけっしていま自分に予言者のごとき昂揚した情熱を意識しつつ書いているのではない。反対に不幸に打たれて、しかもそれに抵抗する気のきわめて少なくなっている忍受の心――できるかぎり何ものとも和らぎたいと願う心、むしろ一種の喪の感じに近い心で書いている。文士はもっと心情が濡れねばならない。あえて静平に、落ちつかねばならないとはいわない。いらいらするときも、論争するときも、遊蕩するときも、姦淫するときでさえも心情が濡れていなくてはならない。私はけっして人間の悪より放るることの至難であることを知らないものではない。ただ、しかし悪さにも種類がある。心の貧しくない悪さ、ものの哀れを知らない悪さ、和らぎを求むる心の無い悪さ、ずうずうしく恥を知らない悪さ――すべて天国に遠い性質のよくない悪さ、かかる悪さから文壇は一日も早く清めらるべきである。私は文士が論争し、遊蕩し、姦淫したりとてただちにそれを非難する気はない(私はけっしてそれらを善しとは見ないが)。しかし論争し、遊蕩し、姦淫する仕方、その心持ち、に至ってはあくまでも神経質に気にかけざるを得ない。私は文壇で気持ちのいい論争をみたことはほとんどない。皮肉や悪罵や、無益な穴探しや、相手を理解せんとする意志のない空言にみち、はなはだしきはもはや論点の所在に対する感覚を全然欠いて、いかにして巧みに相手を辱しめんかを苦心せるごとき論争をみる。かかる何人が読んでも醜い印象を受ける論争を芸術の名によって公衆の前にして見せるのは何事か。しかもかくのごとき原稿で金を得るとは何事か。しかも大部分の論争はみな第三者を眼中に置いたる、いわば公衆にして見せることを意識したる論争である。論者はそれによって「甲はとうてい乙の敵ではない」というがごとき判断を公衆の頭脳に印象せんことを目的としたるごとき論争である。しこうして結果は、論争者の相互とも一種の敵意に近き怨恨を胸に結んで別れることになる。(この点については、文士のしばしば軽蔑しがちな学者の方がはるかに、公けなもの、真理のために論争する道を知っている)。議論によって相手を説服するということすらほとんど不可能である。まして相手をして会得せしめようとする意志のない論争が無意義なのはいうまでもない。真に相手を説服するは愛と祈りと奉仕とによるほかは無いように思われる。西田天香氏などは英語ならパーシュエイドという言葉で現わすべき概念を、受け身に「相手にまかされる」というふうに表現している。そうなるまでにはいかに対手を説服せんとする意志が実践的に鍛練せられることを要したであろうか。氏はけっして論争しない。真に説服するには論争の無効であることを知るからである。氏はたとえば利己主義者に愛の真理であることを説服するためには、その人の思想には直接関係が無いけれども、必ずその人に要する雑用(たとえばその人が渇いていれば一杯の水を汲んで来てやる、履の紐がとけていれば直してやるというようなこと)を奉仕してゆくことから始める。もしイズムのことなど論じ合えば、相手がただちに反撥し、その心が閉じるからである。しかし愛と祈りをもってする奉仕は対手の心を動かすからである。私は論争好きな文士に、ただちに西田氏の真似をせよとはいわない。しかし自分のやってることと、氏のやってることと比較してみるがいい。そして少しは恥じるがいいと思う。遊蕩するにしてもそれを恥じつつするがいい。他人の妻と恋することがやむをえないときがあるにしても、その夫の心の受ける傷、その子供たちの運命の損うことを、死を願うほどに悲しむべきである。『アンナ・カレニナ』でも私はアンナの夫の苦痛に深く同情せずにはいられない。当然のことのごとくに思ってはいけない。やむをえないことと、正しいこととは別事である。人間が殺生するのはやむをえないことかもしれない。しかし悪いことである。遊蕩や姦淫を当然のことのごとくに行ない、それを芸術の資料(かかる作品にかぎって倫理的苦悶などは重要な要素を成してはいない)にし、それで衣食するのは恥辱である。かかる芸術家を世間が軽蔑するのはやむをえない。文壇に出る多くの告白的作品なども私は告白者に同情できるのは稀である。裁判所に訴訟を起こすということは芸術家としてはそれ自身恥辱である。まして自分の妻と法廷で争うことは恥辱である。しかも金銭問題で。自分らの不幸を、それが真面目な原因であればあるほど、自分らの平常軽蔑している法官に裁いて貰うのは恥辱である。それがやむをえないことであっても、それを恥じる気色もなく告白するとは何事か。かかることに関しては私らの前にキリストの高い高い標準が置かれてあるではないか。たといそれを実行できなくても、比べて恥じることは誰にでもできる。私は一般に今の文士が周囲の平和を乱すことを恐るる心に乏しいのを非難したい。因襲や伝説の虚偽と不合理に対して戦わなければならないのはもはや自明のことである。私のいうのはもっと微妙な心持ちである。他人の心の平和を守ってやる愛のことである。われわれが「地を嗣ぐことを得」るために必要なる「和らぎを求むる」心である。「刃を出さんために出で」たる勇猛なる耶蘇がわれわれに垂れたる教えの一つである。たとい自分の主張が正しくとも、それが周囲の平和(たとい姑息なものであっても)を破るときには、それを恐れて、できるかぎり風波を立てまいとする心である。もし耶蘇にこの心使いが無かったならば、そのエルサレムの宮におけるがごとき行動は粗暴といってもいいものである。できるかぎりは平和な、目立たぬ、他人の胸をドキドキさせないような方法を選ぶことは改革者の欠くべからざる用意である。好んで風波を立て、目立つ行動をなすのは心なき業である。この用意の欠乏は多くの文士の対人態度においてことに不幸な結果となって現われる。他人の心をできるかぎり傷つけないようにとの心使いを欠いた対談はただちに議論になる。その結果は多くの場合互いの心を堅くし、憎しみを育てることに終わる。一方が忍耐するときには、その心は深く傷つく。たとえばここに一人の母親がいるとする。そして話のついでに「私の娘は村でいちばん綺麗なんですよ。そして学校でもいつでも、二、三番よりは下らないんですよ」といったとする。するとすぐに反感と軽蔑とを起こして、そんなことは誇るに足りないとか、何ゆえ一番を理想としないかといって母親の心を傷つけてしまう。母親の思想はつまらないかもしれない。しかし「それはおたのしみですね」といって、しばらく母親の心を守ってやることは、けっして「おざなり」ではない。人と人との接触の幸福はそういうところにあるのである。また対談中対手の欠点に触れたとき、その人はすでにそれを認めて恥じているのになお突っ込むのは心なき業である。私は今の文士の多くが強いことだと思っているこの突っ込みをいっこう強いという感じを受けずにオフェンシブな、もしくは不必要な感じを受ける場合があまりに多い。私には感じやすい、きわめて傷つきやすい、純潔な心を持ってる友人がある。その友をもし今の文士たちと一座させたらどんな結果になるだろうと私はときどき想像する。きっとすぐに傷つけられるだろうと思わずにはいられない。そしてその友が隠遁して、静かに書を読み、絵を画いている今の生活法を、もっともだと思わずにはいられなくなる。彼らにもし自分の弱いところを見せるならば、すぐに突っ込んでくる。醜いところを見せればすぐに軽蔑する。謙遜に出ればすぐに高く出てくる。そしておのれと彼といずれが優越しているかというようなことに、絶えず特殊な執拗な興味を抱いている。かかる人と対談して交わりからくる幸福を味わい得るであろうか。ロマンチックなことをいったり、訴えるような気になれたり、無邪気な誇りや、甘えをさえも受けいれたりし合ってこそ、交友の幸福はある。私はだんだんかかる交友の幸福を失ってゆく。本当にしみじみと語り合うことは稀である。他人の心を受け取る用意のできている対談者に出逢わない。一般に受け身の徳に関して文士は貧にして粗である。私はその原因を彼らの心の濡れていないことに帰したい。何ゆえに心が濡れないか。彼らは魂の内に不幸を持っていないからである。かかる魂の不幸は外的境遇のいかなる順調をもってしても打ち克ちがたきものとして、深人は皆それを胸中に蔵している。かかる seelenunglcklichkeit は人間が、真に人間として願うべきねがいが満たされない地上の運命を感ずるところから起こる。それが感じられないのは本当におのれの願うべきものを、一すじに願ったことが無いからである。かかる願いと不幸とを知れる心は常に涙をもって濡れている。かかる心と心とが出遇うときに初めて本当に人と人との接触から生まれる幸福がある。談話の妙味と効果とがある。私たちは本当に何を欲しているのか。私らになくてならぬもの、あきらめられないものは何か。文壇はそれを静かに考えなくてはならない。少なくとも次の諸件はわれらになくてはならないものである、すなわち、われらがいつまでも生きられること、生きているものは互いを犯し合わずにすむこと、相愛するものには永久の別れということは無いこと、善が必ず悪に勝つこと、われらに耐えられない苦痛は存在しないこと、等である。その他のことはやむをえなければあきらめ得らるるものである。「愛」の真理であることを体験せざる人には私のかかる言説は児戯に等しく感ぜらるるであろう。(かかる人々に対しては私は御身らは真にみずからが何を願っているかをまだ知らないのだというほかはない)。しかし「愛」の真理であることを体感せる人にはきっと容易に首肯できるであろう。上述の五事についての関心を放れて、他事の興味に没頭することを私は道草であるといいたい。今の文壇ははたして、人間に真に必要なる問題をはっきりと意識しているか。私はしか思えない。文壇はこれらの最深なる問題に対する真剣なる関心を示していない。上述の五件のごときは、それらが保証されざるときはわれらの存在はひっきょう空しきに帰するがごとき重大なるものであるにかかわらず、これらを主題とせる芸術にも論議にも私は遭遇すること稀である。いな、私は必ずしもこれらをただちに作品の主題にせよというのではない。ただこれらの問題に不断に関心せる心をもってものを見、事件を取り扱い、作品の素材を撰べというのである。しからざれば芸術は人生における重大なる地位を失ってしまう。なんとなればわれわれの存在にさまで必要ならざる問題にのみたずさわれる事業に深き注意を払う必要がないからである。たとえば人間は何ゆえに他の生物を食わなくては生きてゆけないのであろうかという問題が気にかかってならない人が、ある文士が漁村に冬籠りして、村の漁夫たちから食べ切れないほど美しい魚をたくさん進物に貰ったというようなことのみを中心の興味にして「書いて」ある作に満足できるだろうか。あるいは相愛するものが何ゆえ死別しなくてはならないかを考えずにはいられない、恋をしている青年が、ある文士が温泉に行って一人の舞妓と関係し、また一人の芸妓と床をともにするために、その舞妓を人形芝居に欺して連れて行かせるというようなことを中心興味にした作品が本気で読めるだろうか。心のうちに真面目な煩悶を持っている者は、物足りなさを通り越して、不愉快を感ずるであろう。多くの文士は興味の置き所が人心の深き願いのうちに無いゆえに、その感情には何よりも永い感じが欠乏している。たとえば「別れ」というようなものは人生の深い深いイーヴルである。ただその一事のみにて人生は厭うべきものといってもいいほどのイーヴルである。しかもそのようなものは今の文士には大した苦にはならないようにみえる。「彼の世」のことなどはまるで問題にならないようにみえる(釈迦はそれを非常に苦にしたが)。これに反して皮肉というものに対して異常な興味を示している。皮肉という感じは人間が真に本気になって何者かに関心しているときにはけっして起こり得ないものである。たとえば手術を受けるために手術台に寝ているとき、愛する者の臨終に侍しているときなどには起こり得ない。ある一つの矛盾した事象に対したとき、それをどうにもして調和させたいとあせっている心には起こり得ない。皮肉はそれ自身積極的内容を持たない情緒である。怒りよりもなお悪質な情緒である。私は他人が自分を非難したのではあまり腹は立たないが、皮肉な態度を示すと心から腹が立つ。事物の真相を見る鋭い目を持つものが、虚偽と矛盾とに対して皮肉に反応するのは無理からぬ過程ではある。しかしそれは本道ではない。耶蘇はこの世の虚偽と偽善とを知り抜いていた。しかし皮肉に反応しないで、それらを地上から除去する道を本気に工夫した。ショオと耶蘇では深さが違う。聖書や『歎異鈔』のなかには皮肉な調子はどこにも見えない。トルストイやドストエフスキーの作にも皮肉はある。しかしそれは彼らの作の尊い部分ではない。皮肉な目には人生の真景は映らない。人生を見る目はあくまでも濡れ輝かなくてはならない。ことに対人態度に皮肉を出してはいけない。もしそれおのれみずからに対して皮肉になるにいたっては、私は深い深い宗教的な罪だと思う。もし作品のなかに皮肉の要素が混入するときは、あるいは皮肉をその作品の主なる構成要素となすときは(喜劇などの場合)その作の裏に、作者の心に十分な弁解が用意されていなくてはならない。皮肉は頭のいい証拠にはなるかもしれないが、愛の深い証拠にはならない。およそものを正面から直視しないこと、対手の前にチャンと坐って、対手の目を見て物をいわないことは今の文士の欠点である。要するに私の不満は徳に関する不満である。真に人間としての徳を現在所有しているか否かについてよりも、徳に対しての興味、関心の冷淡についての非難である。われらは聖人であることは至難である。しかし聖人の前に帽子を脱するだけの用意はいつでもしていなくてはならない。私はまだいいたいことは輻輳していて、指定された紙数は後三枚しか残っていないから、同人雑誌『愛の本』においおい書くことにして箇条書きのように簡単に書き列ねておく。 一、文化の吸収、文献の研究に対する情熱については、それ自身には非議すべき理由を私は認めない。むしろ祝したいくらいに思っている。しかしそれが人間に本当に大切なもの、霊魂の存滅に関するがごとき一大事の等閑に付せらるることを意味する場合には、私はそれを道草であるというに躊躇しない。しこうして私は今の文壇の傾向が、まさしくそれであることを虞れている。文化の吸収や文献の研究がわれらの最要の仕事でなく、材料と養分とを供給する補助的なものであるのはいうまでもない。われらの本質の成長の原動力はもっと奥深いところにある。私はこれらのものがその原動力を活発ならしむことに役立たずして、むしろこれを萎微せしむる結果をきたすことを虞れる。思索家が読書するときでなくては考えなくなることを虞れる。知識欲なくして、知識を求むる、世に最も憐れむべき餓鬼のごとき読書家の殖えることを虞れる。それを読んでも心の富まされることを信ぜず、また十分理解もできない書物を、いらいらした焦躁[#「焦躁」はママ]をもって、電車のなかでさえも読まねばならぬ必要がどこにあるのだろう。散歩するときさえも書物を携えずにいられないような人から、本当の思想が生まれてくるとは私には思えない。私は今の文士にもっと自分の体験でものを考え、自分の言葉でものを語ることを希望せずにはいられない。ことに宗教を文化として研究する人々には私は賛成することができない。まだ信心決定していない人が、信心を文化として研究し得る心事を私は理解することができない。かかる人から私は真実信心について何事をも聴こうとは思わない。 一、文士は自分の衣食の方法を常に気にかけていたいものである。いな、いなければならない。人間はいかなる方法でパンを得るが最も正しいのであろうか。世襲の財産によって衣食するのはそのままでは(もっと他の深い心持ちにならなくては)間違いだろう。商業を営むのも、何かの職業につくのもおそらくそのままでは正しくあるまい。原稿料で衣食するのもそのままでは正しくないかもしれない。(死んだ綱島梁川氏は死ぬまでそれを気にかけていたそうだ)。その点については西田天香氏はじつに深い実践的研究をしている。氏は釈迦や耶蘇の選んだ方法のみ正しいパンの得方だという。氏はそれを仏飯を食うて生きるという。神に養われて生きる。パンを神にデペンドする方法のみ正しいという。真の乞食、托鉢の方法のみ正しいという。(釈迦と耶蘇はそれを実行した)。私が今これをいうのは早すぎる。(私は世襲財産で生活している。しかも病気ばかりして他人に重荷を負わしている)。しかし私はこれを非常に重大な問題と思っている。そして今の文壇のある派の人々にはことに重大だと思っている。釈迦は王子であった。耶蘇は貧しかった。しかしどちらも尊いという人がある。しかし釈迦は王位を捨てて托鉢したのである。華族に生まれたのはしかたがない。しかしその位を捨てないのは正しいかどうか。富んでるということは、善くも、悪くも無いことではなく、それ自身悪いことである(もし愛を善しと見るならば)。何ゆえその財を貧しいものに頒たないのか。耶蘇は「二枚の衣あらば一枚を隣人に割け」といった。自分はそれだけの愛がまだ無いのを恥じるというのはいい。しかし罪の意識なくして富んでいるのは愛を説く人には矛盾である。私は富める文士たちとともに、この問題を一生の問題として躬をもって研究したい。きっとそこにごまかしの利かない、したがって真の神への信頼を生み得る宗教的意識が蔵されているに相違ない。西田氏などは聖書のうちから、この問題について深い深い真理を汲み取っている。(この問題については他日詳しく書きたい)。ここでは文壇がこの問題に重大な関心を持つことを希望するに止めておく。今の私がこれをいうのは気がひける。しかし私は気にかけずにはいられない。学校の教師をするのも、原稿料で生きるのも、そのままではけっして正しいかどうかまだ決まっていない。これからわれわれが祈って、考えて決めなければならない、未定問題であるということだけ注意したい。 一、モデル問題もまだけっして決まってはいない。自分に寛であってモデルの欠点にのみ鋭いのがいけないのはいうまでもない。しかしモデルの欠点を如実に書いても、そのままで正しいか、どうか。自分の友が窃盗をしたからといって、窃盗をしたといって公衆にふれて歩くのは正しいか。モデルにされた人の心が傷つき、周囲の平和が乱れても事実ならば書いてもいいか。芸術はかかることを超越し得るのか。私は芸術と道徳との間に種々の矛盾を感じざるを得ない。私は文壇がかかる問題を十分に関心することを希望する。 一、ストライキングなことを平気で書くのはいけない。もしある作家が二人の人間を殺せばすむところで、三人の人間を殺させるならば、その作家は一人の人間を気まぐれであるいは不注意で殺したのにも似た罪である。殺人や強姦やすべて人の心をドキドキさせることは、最小限度で書くことを用意すべきである。もししいて書くならば、それを書かざるを得なかった弁解が作品のリズムのなかになくてはならない。突っ込むとか、鋭いとか、力強いとかいうのは、そんな外面的なところにあるのではない。自分一個の理想をいえば、自分は芸術の極致は万有の間に在るハーモニー――静けさを描くにあると思っている。恐ろしいこと、酷たらしいこと、恥ずかしいこと、悲しいことを持ちながら、しかも調和した善い世界を描き得る(無理の感じなく)に至るところにあると思っている。仕事場にあっても、家庭にあっても、教会にあっても、絶えず心がいらいらする、レフュージを芸術に求むれば胸を刺し貫くようなことが何の痛ましげも、なだめるような調子もなく、むしろそれを喜ぶように書いてある。近代人は不幸である。 一、今の文士は一般に著しく好色である。成熟した男子に性欲のあるのはやむをえないことである。しかしこの悪しき欲望を(これについては自分は「地上の男女」という題で詳しく書いた)みずからに許してはならない。純粋という徳は芸術家にはことに望ましい。女に対してずるいのが今の文士を他の何よりも卑しく見せる。下品に見せる。私は孤独な純潔なニイチェを思う。あの『貴族の家』に出るみずからを雲井のひばりに比べ、野の百合にたとえた詩人を思う。麻のなかに高居した、毅然たる威厳を持っている芸術家はたいがい純潔な人のようである。争われぬものである。女にずるいのは男の常ではある。しかしそれに身を任せるのと誘惑として戦うのとは大した相違である。できるだけいろいろな種類の女を、できるかぎりたくさん味わうことを自分の快楽の標準のようにしている人が今の文壇にはきっと信じられぬほど多いであろう。そういう人々に対しては私は「報い」ということを考えてみよといいたい。私がこういうことをいっても、取り合われないかもしれないが、私は「報い」というものは本当にあるのではないかと思っている。私は初めは不幸に打ち砕かれたような心で妹に「私はよくよく前世に悪いことをしたのだろうよ」と冗談にいった。ところがだんだんそれが真面目に思われるようになった。私は今ではほとんど信じているといってもいい。病院にいま十九になる少年が大やけどをして、泣き叫んでいる。私は今日も見舞いに行って、その少年の母親の顔を見ているとき、やはりそう思った。何かの報いと考えるのがいちばん本当らしい。少なくとも、これまで私の聴いたいかなる説明より私には信じやすい。(私はけっして思わせぶりでいっているのではない)。いま一人の娘を犯して舌鼓を打っても、その快楽を償うてあまりある苦痛をいつか本当に受けなくてはならなかったらどうだろう。酷い酷い肉体的苦痛を報いられたらどうだろう。(注射を一本して貰うのでも、どれだけ嫌なものか肉体的苦痛に感じやすい今の文士は知り抜いてるはずである)。あるいは清い清い良心を与えられて、その女に赦しを乞うても、どうしても赦すといってくれなかったらどうだろう。いかなる形式かは知らないが、私は悪には必ず報いがあると信じている。私のかかる思想はある人々には児戯に類するであろう。しかし私はけっしてそうは思えなくなっている。かかる問題に触れるとき心はいちばん緊張する。真偽はいつか解るだろう。もし本当だったらなんとするとだけ今はいっておく。(いま私の心はセンチメンタルではない。理知的な心持ちでここを書く) 一、言葉で突っ込まずに生活で突っ込むがいい。それも歓楽の方へでなく十字架を負う方面へ突っ込んで見せてくれ。何人がいざとなった場合、本当に思いきった態度に出で得るかは論争では解らない。私は論争好きな人に、かえって学校を落第してまでは恋をせず、損をしてまでは芸術を作らず、十字架を負ってまでは伝道しないような人を発見する。 一、植物と動物との絶対的区別は付せられない。ゆえに野菜を食べるのは牛を食べるのと同じことであるという人がある。夫婦間の肉交を許すならば、遊女との肉交も処女との肉交も許されていいという人がある。蚤を殺す以上、鳥を殺してもいいという人がある。すべて性質の差別を程度の差別に帰してひっきょう同一であるというのである。しかし一羽の小鳥を殺すとき、純な生娘を犯すとき実感として悪を意識するのである。悪でないと説明されても深い、純な心は静まらないだろう。同じ論理を用いるにも、なぜ鳥を殺すのは悪いゆえに蚤を殺すのも悪いといわないか。処女を犯すのは悪いゆえに夫婦の肉交も悪いといわないか。百羽の鳥を殺すのは九十九羽の鳥を殺すより一羽だけ悪い。同じことではない。殺される鳥からいえば、そのただの一羽が絶体絶命である。百万人の人民を助けるためには、十人の人間を犠牲にしてもいいという法はない。かかる思想は道徳でなくして経済である。もし地上に天国が建てらるるならば、けっしてかかる方法で建てられてはならない。 一、原稿は長く書いて、手紙は粗略に書く人はおそらく愛の深い人ではあるまい。それを気にしているのはいい。しかし当然と思ってはいけない。 一、面会日を厳守するのは最上の方法ではあるまい。釈迦やキリストはきっとそういう生活法を嫌ったであろう。それを気にしつつ、やむをえず(今日の器量では)決めているのはいい。それを当然と思ってる人は、おそらく人と人との接触、天国の空想に鈍い人だろう。釈迦やキリストの域には上れない人だろう。 一、私の尊敬している少数の人々も周囲に対するときは意地の悪い文章を書く。みな心のやさしい人々なのに。そしてかかる文章を書くにいたる心理に同情しなくてはならないというのは不幸なことである。文壇はその門をくぐる人をイルネーチュアードにさせる空気を醸しているようにみえる。これはその内に入ればおのずと祈りたくなる寺院や、人と和らぎたくなる墓地やあわれみの起こる病院や、厳粛になる実験室や、素直な、温かい心地になる家庭やに比べるとき、祝すべきではないと思う。 一、文士の告白好きなのが、魂の重々しさと、慎しみ深さの欠乏から生じていないことを希望する。私は初対面のときすぐに恋の話を持ち出すような人からいい印象を受けることはできない。しかもかかる人があまりに多くなった(しかしそうしても嫌な感じの出ない人があれば私はその人を心からほめる)。「その頃私は恋をしていたので」というような、まるで用達をしていたのか、床屋に行っていたのかを語るような恋物語の仕方をする人を私は嫌う。私たちの深い、大切な記憶は心の奥に慎しみ深く守られねばならぬ。深い深い傷や、不幸や、魂の夢や、空想や、願いや、かかる高貴なるものを軽々しく聞こうとする人も、語る人も浅人である。本当につつましい人が門をたたいたとき、あるいは心をこめてかく芸術の内でのみ語らるべきである。 ああ私はみずから揣らずして高い高い標準を立てたような気がする。しかし私はけっしていたずらに高い理想を立して非難の口実を探したのではない。私たちはたとい実行できなくても高い高いところに向かって大願を立てたい。そしてその大願の前に自分を鞭打ちたい。私の真意を打ち明けて語れば「どんなことでもするがいい。どんなことでも赦されるのだから、しかしどんなことでも悪いと思われるかぎりは悪いと思って恥じねばならぬ。自分のつくった悪が赦されるために」というにある。文壇には私の非難の全然当たらない人々もあろう。しかし私は信じている。それらの人々は自分で文壇を非難したく思ってるような人々だろう。そして私の言説にあまり気を悪くはしまいと。まだ書き足りないが、後日に譲る。私のこの一文には深い感情と動機がある。これを幼稚だと無下に斥くる人は、浅い心の持主である。書き終わって、荒々しい書き方をしたような気がして、何だか心が静かでない。
(一九一八・二・一)
|