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柳営秘録かつえ蔵(りゅうえいひろくかつえぐら)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-3 7:46:21  点击:  切换到繁體中文

底本: 国枝史郎伝奇全集 巻五
出版社: 未知谷
初版発行日: 1993(平成5)年7月20日
入力に使用: 1993(平成5)年7月20日初版

 


 天保元年正月五日、場所は浅草、日は午後ひるさがり、人の出盛る時刻であった。大道手品師の鬼小僧、傴僂せむしで片眼で無類の醜男ぶおとこ、一見すると五十歳ぐらい、その実年は二十歳はたちなのであった。
「浅草名物鬼小僧の手品、さあさあ遠慮なく見て行ってくれ。口を開いて見るは大馬鹿者、ゲラゲラ笑うはなお間抜け、渋面つくるは厭な奴、ちんと穏しく見る人にはこっちから褒美を出してやる。……まず初めは小手調べ、結んでも結べない手拭いの術、おおお立会誰でもいい、一本手拭いを貸してくんな」
「おいよ」と一人の職人が、腰の手拭いをポンと投げた。
「いやこいつア有難え、こう気前よく貸して貰うと、芸をるにも演りいってものだ。どうだい親方そのついでに一両がとこ貸してくれないか。アッハハハこいつア嘘だ! さて」と言うと鬼小僧は、手拭いを二三度打ち振ったが、
「たった今借りたこの手拭い、種もなければ仕掛もねえ。さあこいつをこう結ぶ」
 云いながらヤンワリ結んだが、
「おおお立会誰でもいい、片っ方の端を引っ張ってくんな」
「よし来た」と云って飛び出して来たのは、この界隈の地廻りらしい。
「それ引っ張るぜ、どうだどうだ」
 グイと引いたのが自ずと解けて、手拭いには結び玉が出来なかった。
「小手調べはこれで済んだ。お次は本芸の水術だ。……ここに大きな盃洗どんぶりがんある。盃洗の中へ水をぐ」
 こう云いながら鬼小僧は、足下あしもとに置いてあった盃洗を取り上げ、グイと左手で差し出した。それからこれも足元にあった、欠土瓶かけどびんをヒョイと取り上げたが、ドクドクと水を注ぎ込んだ。
「嘘も仕掛けもねえ真清水だ。観音様の手洗い水よ。さてこの中へ砂糖を入れる」
 懐中ふところから紙包みを取り出した。
「さあ誰でもいいちょっと来な。この砂糖を嘗めてくんな」
「ああおいらが嘗めてやろう」
 一人の丁稚が飛び出して来た。ペロリと嘗めたがニヤニヤ笑い、
「やあ本当だ、あめえ砂糖だ」
「べらぼうめエ、あたりめエよ。かれえ砂糖ってあるものか。……そこで砂糖を水へ入れる。と、出来るのは砂糖水。これじゃア一向くだらねえ。手品でも何でもありゃアしねえ。そこでグッと趣向を変え、素晴しい物を作ってみせる」
 パッと砂糖を投げ込んだ。と盃洗の水面から、一団の火焔が燃え立った。
 ドッと囃す見物の声、小銭がパラパラと投げられた。
 盃洗の水をザンブリとけ、鬼小僧はひどく上機嫌、ニヤリニヤリと笑ったが、
「さあ今度は何にしよう? うんそうだ鳥芸がいい。まず鳥籠から出すことにしよう」
 キッと空を見上げたが、頭上には裸体はだかの大公孫樹いちょうが、枝を参差しんしと差し出していた。
「おお太夫さん下りておいで。お客様方がお待ちかねだ」
 こう云って招くような手附をした。
 と、公孫樹の頂上てっぺんから、何やらスーッとりて来た。それは小さな鳥籠であった。誰が鳥籠を下ろしたんだろう? それでは高い公孫樹の梢に、鬼小僧の仲間でもいるのだろうか? それにまことに不思議なのは鳥籠を支えている縄がない。鳥籠は宙にういていた。これには見物も吃驚びっくりした。ワーッと拍手喝采が起こった。鳥籠はスルスルと下りて来た。しかし下り切りはしなかった。地上から大方一丈の宙で急に鳥籠は止まってしまった。
「あっ」と驚いたのは見物ではなくて、太夫の鬼小僧自身であった。
「どうしたんだい、驚いたなあ」
 つぶやいた途端に見物の中から、
「小僧、取れるなら取ってみろ!」
 嘲るような声がした。

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