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岷山の隠士(みんざんのいんし)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-3 7:39:29  点击:  切换到繁體中文



 開元十二年のことであった。
 李白は出でて襄漢じょうかんに遊んだ。まず南洞庭どうていに行き、西金陵にしきんりょうよう州に至り、さらに汝海じょかいに客となった。それから帰って雲夢うんぽうに憩った。
 この時彼は結婚した。妻は許相公きょそうこうの孫娘であった。
 数年間同棲した。
 さらに開元二十三年、太原たいげん方面に悠遊した。
 哥舒翰かじょかんなどと酒を飲んだ。
 また※(「言+焦」、第3水準1-92-19)しょうぐん元参軍げんさんぐんなどと、美妓を携えて晋祠しんしなどに遊んだ。
 やがて去って斉魯せいろへ行き、任城にんじょうという所へ家を持った。孔巣父こうそうほ裴政はいせい張叔明ちょうしゅくめい※(「さんずい+眄のつくり」、第4水準2-78-28)とうべん韓準かんじゅんというような人と、徂徠山そらいざんに集って酒を飲み、竹渓の六逸と自称したりした。
 こうして天宝てんほう元年となった。
 この時李白四十二歳、詩藻全く熟しきっていた。
 会稽かいけいの方へ出かけて行った。
 ※(「炎+りっとう」、第3水準1-14-64)えんちゅう※(「竹かんむり/均」、第3水準1-89-63)ごいんという道士がいた。
 二人はひどくウマが合った。共同生活をやることにした。
 東巖子とうがんしに比べると呉※(「竹かんむり/均」、第3水準1-89-63)の方は、ちょっと俗物の所があった。それだけにその名は喧伝されていた。
 時の皇帝は玄宗であった。
※(「炎+りっとう」、第3水準1-14-64)中の呉※(「竹かんむり/均」、第3水準1-89-63)を見たいものだ」
 こんなことを侍臣に洩らした。
 呉※(「竹かんむり/均」、第3水準1-89-63)の許へ勅使が立った。
 出て行かなければならなかった。
「おい、お前も一緒に行きな」
「うん、よし来た、一緒に行こう」
 李白は早速行くことにした。
 やがて二人は長安へ着いた。
 長安で賀知章がちしょうと懇意になった。
 賀知章は李白を一見すると、驚いたようにこう云った。
「君は人間なのか仙人なのか?」
「どうもね、やはり人間らしい」
「仙人が誤って人間になると、君のような風采になるだろう。君はたく[#ルビの「たく」は底本では「てき」]せられた仙人だよ」
「まあさ、見てくれ、謫仙人の詩を」
 李白は旧稿を取り出して見せた。
 賀知章はすっかり参ってしまった。
「素晴らしい物を作りゃアがる。こいつちょっと人間業じゃアねえ。君のような人間に出られると、僕の人気なんかガタ落ちだ。だがマアマア結構なことだ。御世万歳、文運隆盛、大いに友達に紹介しよう」
「話せる奴でもいるのかい?」
「杜甫という奴がちょっと話せる」
「聞かないね、そんな野郎は」
「だが会って見な、面白い奴だ。だがちっとばかり神経質だ」
「そんな野郎は嫌いだよ」
「まあまあそういわずに会って見なよ。君とは話が合うかもしれない。ひょっとかすると好敵手かもしれない」
幾歳いくつぐらいの野郎だい?」
「そうさな、君よりは十二ほど若い」
「面白くもねえ、青二才じゃアないか」
「止めたり止めたり食わず嫌いはな」
「どうも仕方がねえ、会うだけは会おう」

 杜甫は名門の出であった。
 左伝癖さでんへきをもって称された、晋の杜預の後胤であった。曾祖の依芸いげい鞏県きょうけんの令、祖父の審言しんげんは膳部員外郎であった。審言は一流の大詩人で、※(「にんべん+全」、第4水準2-1-41)ちんせんき宋之門そうしもんと名を争い、初唐の詩壇の花形であった。
 父のかん奉天ほうてんの令で、公平の人物として名高かった。
 杜甫は随分傲慢であった。弱い癖に豪傑を気取り、不良青年の素質もあった。ひどく愛憎が劇しかった。それに肺病の初期でもあった。立身出世を心掛けた。その顔色は蒼白く、その唇は鉛色であった。いつもその唇を食いしばっていた。人を見る眼が物騒であった。相手の弱点を見透しては、喰い付いて行くぞというような、変に物騒な眼付であった。威嚇的な物の云い方をした。その癖すぐに泣事を云った。
 決してかんじのいい人間ではなかった。
 体質から云えば貧血性であったが、気質から云えば多血質であった。
 いつも不平ばかり洩らしていた。
 だが意外にも義理堅く、他人の恩を強く感じた。
 忠義心が深かった。
 義理堅いのをのぞきさえすれば、彼は実に完全に、近代芸術家型に嵌まった。
 彼の幼時は不明であった。
 が、彼の詩を信じてよいなら――又信じてもよいのであるが――七歳頃から詩作したらしい。
「往昔十四五、出デテ遊ブ翰墨かんぼく場、斯文崔魏しぶんさいぎノ徒、我ヲ以テ班揚ニ比ス、七齡思ヒ即チ壮、九齡大字ヲ書シ、作有ツテ一のうニ満ツ」
 すなわちこれが証拠である。
「七歳ヨリ綴ル所ノ詩筆、四十さい、向フ、約千有余篇」
 こんなことも書いてある。
 開元十九年二十歳の時、呉越方面へ放浪した。
 四年の間を放浪に暮らし、開元二十三年の頃、京兆の貢拳こうきょに応じたものである。
 だが旨々うまうま落第してしまった。


 彼はすっかり落胆した。
 奉天の父の許へ帰って行った。泰山たいざんを望んで不平を洩らした。
 二年の間ブラブラした。
 それからせいちょう[#ルビの「ちょう」は底本では「しょう」]に遊んだ。
 それから長安へ遣って来たのであった。

 李白と杜甫との会見は、賀知章が心配したほどにもなく、非常に円滑に行なわれた。
 会後李白が賀知章へ云った。
「彼はすこぶる人間臭い。それが又彼のよい所だ。詩人として当代第一」
 また杜甫はこう云った。
「なるほどあの人は謫仙人だ。僕はすっかり面喰ってしまった。詩人としては第一流、とても僕など追っ付けそうもない」
 互いに推重をしあったのであった。
 李適之りてきし汝陽じょよう崔宗之さいそうし蘇晋そしん張旭ちょうぎょく賀知章がちしょう焦遂しょうすい、それが杜甫と李白とを入れ、八人の団体が出来上ってしまった。
 飲んで飲んで飲み廻った。
 いわゆる飲中の八仙人であった。
 酒はあんまりやらなかったが、一世の詩宗高適などとも、李白や杜甫は親しくした。
 三人で吹台や琴台へ登り、各自めいめい感慨に耽ったりした。
 ※[#「りっしんべん+更」、662-15]慨するのは杜甫であり、物を云わないのは高適であり、笑ってばかりいるのは李白であった。
 高適の年五十歳、李白の年四十四歳、杜甫の年三十二歳であった。
 だがこの時代は李太白が、誰よりも詩名が高かった。
 玄宗皇帝が会いたいと云った。
 で、李白は御前へ召された。
 誰が李白を推薦したかは、今日に至っても疑問とされている。
 ある人は道士呉※(「竹かんむり/均」、第3水準1-89-63)[#「※(「竹かんむり/均」、第3水準1-89-63)」は底本では「※[#「くさかんむり/均」、662-下-1]」]だと云い、ある人は玉真公主だと云い、又ある人は賀知章だと云った。
 すべて人間が出世すると、俺が推薦した俺が推薦したと、推薦争いをするものであるが、これも将しくその一例であった。
 金鑾きんらん殿という立派な御殿で、玄宗は李白を引見した。
 帝、食を賜い、あつものを調し、詔あり翰林かんりん供奉ぐぶせしむ。――これがその時の光景であった。非常に優待されたことが、寸言の中に窺われるではないか。
 彼は翰林供奉となっても、出勤しようとはしなかった。長安の旗亭に酒を飲み、いう所の管ばかりを巻いていた。
「李白に会いたいと思ったら、長安中の旗亭を訪ね、一番酔っぱらっている人間に、話しかけるのが手取早い。間違いなくそれが李白なのだからな」
 人々は互いにこんなことを云った。
 その時唐の朝廷に一大事件が勃発した。
 渤海ぼっかい国の使者が来て、国書を奉呈したのであった。
 国書は渤海語で書かれてあった。満廷読むことが出来なかった。
 玄宗皇帝は怒ってしまった。
「蕃書を読むことが出来なければ、返事をすることが出来ないではないか。渤海の奴らに笑われるだろう。彼奴きゃつら兵を起こすかもしれない。国境を犯すに相違ない。誰か読め誰か読め!」
 百官戦慄して言なしであった。
 そこへって来たのが李白であった。
 飄々として遣って来た。
「おお李白か、いい所へ来た。……お前、渤海語がわかるかな?」
「私、日本語でも解ります。まして謂んや渤海語など」
「それは有難い。これを読んでくれ」
 渤海の国書を突き出した。
 李白は一通り眼を通した。
「では唐音に訳しましょう」
 そこで彼は声高く読んだ。
「渤海奇毒きどくの書、唐朝官家に達す。なんじ高麗こうらいを占領せしより、吾国の近辺に迫り、兵しばしばさかいを犯す。おもうに官家の意に出でむ。われ如今じょこんうべからず。官を差し来り講じ、高麗一百七十六城をもって、俺に讓与せよ。俺好物事あり、相送らむ。太白山の兎、南海の昆布、柵城の鼓、扶余ふよの鹿、鄭頡ていきつの豚、率賓そつびんの馬、沃州綿ようしゅうめん[#ルビの「ようしゅうめん」は底本では「ようしうめん」]※(「さんずい+眉」、第3水準1-86-89)泌河びんひつがの鮒、九都の杏、楽遊がくゆうの梨、爾、官家すべて分あり。し高麗をかえすことを肯んぜずば、俺、兵を起こし来たって厮殺せむ。那家いずれが勝敗するかを看よ」
 皇帝はじめ文武百官は、すっかり顔色を変えてしまった。
「いま辺境に騒がせられては、ちょっと防ぐに策はない。一体どうしたらいいだろう」
 風流皇帝の顔色には、憂が深く織り込まれた。
 誰一人献策する者がなかった。

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