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南蛮秘話森右近丸(なんばんひわもりうこんまる)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-3 7:34:51  点击:  切换到繁體中文




「随分遅いな、猿若は」
 こう云ったのは男である。四十格好、大兵肥満、顔はというにかなり凄い。高い段鼻、二重顎、巨大な出眼、酷薄らしい口、荒い頬髯ほほひげを逆立てている。その上額に向こう傷がある。これが人相を険悪に見せる。広袖ひろそでを着、胸をくつろげ、頬肘を突いて寝ころんでいる。一見香具師やしの親方である。
「そりゃアお前さん遅いはずさ、あれだけの仕事をするんだからね」
 こう云ったのは女である。二十八九か三十か、ざっとその辺りの年格好、いやらしくあだっぽい美人である。柄小さく、痩せぎすである。で顔なども細長い。棘のように険しくて高い鼻、小柄の刃先とでも云いたげな、鋭い光ある切長の眼、唇は薄く病的に赤く、髪を束ねてうなじへ落とし、キュッとかんざしで止めてある。額は狭く富士形である。その顔色に至っては白さを通り越して寧ろ蒼く、これも広袖をまとっている。一見香具師の女親方、膝を崩してベッタリと、男の前に坐っている。
 男の名は猪右衛門ししえもん、そうして女の名は玄女げんじょである。
 夫婦ではなくて、相棒だ。
 家は玄女の家である。
「全く仕事の性質から云えば、かなりむずかしい仕事だからな、うまく仕遂しとげて来ればいいが、早く結果を聞きたいものさ」こう云ったのは猪右衛門、「まごまごすると夜が明ける。宵の口から出て行って、いまだに帰って来ないなんて、どうもいつものあいつらしくないよ。やりそこなって恥かしくなって、どこかへ逃げたんじゃアあるまいかな」不安だという様子である。
「そんな心配はご無用さ」
 玄女には自信があるらしい。
「百人二百人乾児こぶんもあるが、度胸からいっても技倆うでからいっても、猿若以上の奴はないよ。年といったらやっとこさ十五、それでいて仕事は一人前さ」
「だが相手の大将も、尋常の奴じゃアないんだからな」やっぱり猪右衛門は不安らしい。
「そりゃア云う迄もありゃアしないよ。昔は一国一城の主、しかも西洋の学問に、精通している人間だからね」
「だからよ、猿若やりそこない、とっ捕まりゃアしないかな」
「なあにわたしから云わせると、相手がそういう偉者えらものだから、かえって猿若成功し、帰って来るだろうと思うのさ」玄女には心配がなさそうである。
「へえおかしいね、何故だろう?」猪右衛門にはわからないらしい。
「だってお前さんそうじゃアないか、相手がそういう偉者だから、なまじっか大人おとななどを差し向けると、すぐ気取られて用心され、それこそ失敗しようじゃアないか」
「うん、成程、そりゃアそうだ」今度はどうやら猪右衛門にも、胸に落ちたらしい様子であった。
 二人しばらく無言である。
 部屋の片隅に檻がある。幾匹かの猿が眠っている。彼等の商売の道具である。壁に人形が掛けてある。やっぱり商売の道具である。いろいろの能面、いろいろの武器、いろいろの衣裳、いろいろの鳴物、部屋のあちこちに取り散らしてある。いずれも商売道具である。紙燭ししょくが明るくともっている。その光に照らされて、そういう色々の商売道具が、あるいは光りあるいは煙り、あるいはかされている様が、凄味にも見えれば剽軽ひょうきんにも見える。
 コン、コン、コンと山羊の咳がした。庭に檻でも出来ていて、そこに山羊が飼ってあって、それが咳をしているのだろう。
 だが何より面白いのは、隣部屋から聞こえてくる、いろいろの香具師の口上の、その稽古の声であった。
「耳のあか取りましょう、耳の垢!」
「独楽は元来天竺てんじくの産、日本へ渡って幾千年、神代時代よりございます。さあさあご覧、独楽廻し!」
「これは万歳と申しまして、鶴は千年の寿よわいを延べ、亀は万年まんねんるとかや、それに則った万歳楽まんざいらく、ご覧なされい、ご覧なされい」
仰々そもそも神楽かぐらの始まりは……」
「これは都に名も高き、白拍子しらびょうし喜瀬河きせがわに候[#「候」は底本では「侯」]なり……」
「ヤンレ憐れは籠の鳥、昔ありけり片輪者……」
 ――などと云う声が聞こえてくる。
 隣に香具師の稽古場があって、玄女のひきいている乾児こぶんたちが、それの稽古をしているのらしい。
「それはそうと、ねえお前さん」
 玄女は猪右衛門へ話しかけた。
「例の恐ろしい粉薬こぐすりだが、どこからお前さん手に入れたのさ?」



「あああいつか」とニヤニヤ笑い、猪右衛門は得意らしく話し出した。「南蛮寺すなわち唐寺だが、そこから俺ら盗み出したのさ」
「へえ、なるほど、唐寺からね」
「十日ばかり前のことだったよ。俺ら信者に化け込んで、南蛮寺へ入り込んだというものさ。礼拝なんかには用はない、そこで寺内のご見物だ、ズンズン奥の方へ入って行くと、一つへんてこの部屋があった。いろいろの機械が置いてある、二人の坊主が話している。鼠のような獣がいる。と、どうだろう坊主の一人が、罐の中から粉薬を出して、鼠のような獣へ、ちょいとそいつを嗅がしたじゃアないか。するとコロリとくたばったってものさ、鼠のような獣がな。恐ろしい恐ろしい恐ろしい魔法! 吉利支丹きりしたんの魔法に相違ない! こう最初には思ったが、直ぐその後で感付いたものさ、ナーニあいつは毒薬だとな。そこで盗もうと決めっちゃった[#「決めっちゃった」はママ]のさ。そうして隙をうかがって、うまうま盗んだというものさ」
「大成功、褒めてあげるよ」玄女は図々しく笑ったが、「でもそいつを風船へ仕込み、弁才坊殺しを巧んだのは、この妾だからね、威張ってもよかろう」
「いいともいいとも、威張るがいいや。だが成功不成功は、猿若が帰って見なけりゃアね」
「ナーニきっと成功だよ」
「うまく秘密を盗んだかしら?」
「あいつのことだよ、やりそこないはないさ」
 恐ろしい話を平然と、二人の男女は話している。
 と、猪右衛門はニヤニヤした。
「うまくいったら大金持になれる」
 すると玄女もニコツイたが、
「そうなった日には妾なんか、こんな商売はしていないよ」
「俺だってそうさ、香具師やしなんかしない。大きな御殿を押し建ててやるさ」
「つまらないことを云ってるよ」
「アッハハ、つまらないかな」
 苦く笑ったが猪右衛門はにわかに聞耳を引き立てた。
「どうやら帰って来たらしい」
 なるほどその時かどの戸が、ギーッと開くような音がした。
「おや本当だね、帰ったようだよ」
 二人同時に起き上った時、部屋へ駈け込んで来た少年がある。例の風船売の少年である。
「おお猿若か、どうだった?」先ずたずねたのは猪右衛門。
「どうだもこうだもありゃッしないよ、うまくいったに相違ないさ」引き取ったのは玄女である。
「そうだろうね、え、猿若?」
「待ったり」と云うと猿若少年、走って来たための息切れだろう、苦しそうに二つ三つ大息を吐き、胸を叩いたがベッタリと坐った。それから喋舌しゃべり出したものである。
「まずこうだ、聞きな聞きな、『秘密の鍵は第三の壁』『この人形を大事にしろ』弁才坊めが云っていたってものさ。ああそうだよ民弥にね。綺麗な綺麗な娘によ。全くあいつア別嬪だなあ。姐ごなんかよりゃアずっといいや。……ええとそれから風船だ、飛ばして置いて引いたってものさ、云う迄もないや、糸をだよ。するとパッチリ二つに割れ、パラパラこぼれたのは毒薬だ。と、ムーッと弁才坊……」
「そうかそうか、くたばったのか?」こう訊いたのは猪右衛門。
「云うにゃ及ぶだ」と早熟ませた口調、猿若はズンズン云い続ける。「で、窓から忍び込み……」
「偉い偉い、探したんだね」今度は玄女が褒めそやす。
「そうともそうとも探したのさ。目に付いたは人形だ」
「人形なんかどうでもいい、手に入れたかな、唐寺の謎?」
 猪右衛門短気に声をかける。
「急くな急くな」と猿若少年、例によって早熟た大人の口調、そいつで構わず云い続けた。
「驚いちゃアいけねえ、喋舌ったのさ。うんにゃうんにゃ呶鳴どなったのさ。わめいたと云った方があたっている。『唐寺の謎は胎内の……』――人間じゃアねえ人形だ! 人形がそう云って喚いたのさ。すると隣室となりから民弥さんの声だ。『どうなさいました、お父様』――つまりなんだな、目を覚ましたのさ。『ワーッ、いけねえ、化物だあ!』『いよいよいけねえ、逃げろ逃げろ!』――スタコラ逃げて来たってものさ。ああ驚いた、腹も空いた、一杯おくれよ、ねえご飯を」
「ご飯は上げるが唐寺の謎は?」訳がわからないと云うように、訊き返したのは玄女である。
「唐寺の謎? 俺ら知らねえ」
「馬鹿め!」と立ち上る猪右衛門。
 そいつを止めたのは玄女であった。
「まあまあお待ちよ、怒りなさんな。それだけ働きゃアいいじゃアないか。それにさ随分いろいろの為になる言葉を聞いて来たじゃアないか。『秘密の鍵は第三の壁』『この人形を大事にしろ』『唐寺の謎は胎内の……』――ね、どうだい面白いじゃアないか。ひとつ二人で考えてみよう。三つの言葉をくっ付けたら、唐寺の謎だって解けるかも知れない」
 玄女は考えに分け入ったが、その間も春の夜が更け、次第にあけに近付いた。
 そうして全然すっかり夜が明けた時、一人の立派な若武士が、弁才坊の家を訪れた。他ならぬ森右近丸であった。

10[#「10」は縦中横]

 信長の居城安土の城、そこから船で乗り出したのは、昨日きのうの昼のことであった。琵琶湖を渡って大津へ着き、大津から京都へ入ったのは、昨日の夜のことであり、明けるを待って従者ずさもつれず、一人でこうやって訪ねて来たのは、密命を持っているからであった。
 庭に佇むと右近丸はまず見廻したものである。
「春の花がけんを競っている。随分たくさん花木がある。いかにも風流児の住みそうな境地だ。だがそれにしてもこの屋敷は、何と荒れているのだろう。廃屋あばらやと云っても云い過ぎではない。世が世なら伊勢の一名族、北畠氏の傍流の主人あるじ多門兵衛尉教之たもんひょうえのじょうのりゆき殿、その人の住まわれる屋敷だのに。……貧しい生活くらしをして居られると見える」
 深い感慨に耽ったようである。
 玄関とも云えない玄関へ立ち、「ご免下され」と声をかけた。
「はい」と女の声がして、現われたのは民弥たみやであった。
 恭しく一礼した右近丸。
「私ことは織田家の家臣、森右近丸と申す者、弁才坊殿にお目にかかりたく、まかりこしましてござります。何とぞお取次下さいますよう」
 粗末な衣裳は着ているが、又お化粧もしていないが、自然と備わった品位と美貌、案内に出たこの娘、稗女はしためなどとは思われない、民弥という娘があるということだ、その娘ごに相違あるまい――こう思ったので右近丸は、こう丁寧に云い入れたのである。
「ようこそお越し下されました。織田様お使者おいでにき、父に於きましても昨日きのう以来、お待ち致しましてござります。しかるに……」
 と云うと娘の民弥は三指をついて端然と坐り、うなじを低く垂れていたが、静かに顔を振り上げた。
「一夜の違い、残念にも、お目にかかれぬ身の上に、成り果てましてござります」
「ははあ」と云ったが右近丸には、どうやら意味がわからないらしい。「それは又何故でござりますな?」
逝去なくなりましてござります」
なくなられた※(感嘆符疑問符、1-8-78) 誰が※(感嘆符疑問符、1-8-78)」と右近丸。
「父、多門兵衛尉」
「真実かな※(感嘆符疑問符、1-8-78)」一歩進んだ。
「真実! 昨夜! しいせられ!」
「何!」と叫んだが右近丸は、心から吃驚びっくりしたらしい。「弑せられたと仰有おっしゃるか※(感嘆符疑問符、1-8-78) そうして誰に※(感嘆符疑問符、1-8-78) 何者に※(感嘆符疑問符、1-8-78)
「下手人不明にござります」
「ム――」と云ったが右近丸は思わず腕を組んでしまった。
 朝風に桜が散っている。老鶯が茂みで啼いている。
 それを背景にして玄関には、父を失い手頼たよりのない、美しい民弥が頸垂うなだれている。その前に右近丸が立っている。若くて凜々しい右近丸が。
 まさに一幅の絵巻物だ。
 さてその日から数日経った。
「物買いましょう、お払い物を買いましょう」
 こういう触声ふれごえを立てながら、京を歩いている男があった。他ならぬ香具師やし猪右衛門ししえもんである。古道具買こどうぐかいに身をやつし、ノサノサ歩いているのである。
 足を止めたのは南蛮寺の裏手、民弥の家の前であった。
「家財道具やお払い物、高く買います高く買います」一段と声を張り上げて、こう呼びながら眼を光らせ、民弥の家を覗き込んだ。

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