銅銭会事変 短編 |
国枝史郎伝奇文庫27、講談社 |
1976(昭和51)年10月28日 |
1976(昭和51)年10月28日第1刷 |
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女から切り出された別れ話
天明六年のことであった。老中筆頭は田沼主殿頭、横暴をきわめたものであった。時世は全く廃頽期に属し、下剋上の悪風潮が、あらゆる階級を毒していた。賄賂請託が横行し、物価が非常に高かった。武士も町人も奢侈に耽った。初鰹一尾に一両を投じた。上野山下、浅草境内、両国広小路、芝の久保町、こういう盛り場が繁昌した。吉原、品川、千住、新宿、こういう悪所が繋昌した。で悪人が跋扈した。
その悪人の物語。――
梅が散り桜が咲いた。江戸は紅霞に埋ずもれてしまった。鐘は上野か浅草か。紅霞の中からボーンと響く。こんな形容は既に古い。「鐘一つ売れぬ日はなし江戸の春」耽溺詩人其角の句、まだこの方が精彩がある。とまれ江戸は湧き立っていた。人の葬式にさえ立ち騒ぐ、お祭りずきの江戸っ子であった。ましてや花が咲いたのであった。押すな押すなの人出であった。さあ江戸っ子よ飜筋斗を切れ! おっとおっと花道じゃあねえ。往来でだ、真ん中でだ。ワーッ、ワーッという景気であった。
その日情婦から呼び出しが掛かった。若侍は出かけて行った。
いつも決まって媾曳をする、両国広小路を横へ逸れた、半太夫茶屋へ足を向けた。
女は先刻から待っていた。
やがて酒肴が運び出され、愉快な酒宴が始められた。
そうだいつもならこの酒宴は、非常に愉快な酒宴なのであった。
この日に限って愉快でなかった。女の様子が変だからであった。ろくろく物さえいわなかった。下ばっかり俯向いていた。そうして時々溜息をした。
「おかしいなあ、どうしたんだろう?」若侍は気に掛かった。
と、女が切り出した。別れてくれというのであった。
これには若侍も面食らってしまった。で、しばらく黙っていた。
不快な沈黙が拡がった。
「ふふん、そうか、別れようというのか」こう若侍は洞声で云った。
「余儀無い訳がございまして……」
女の声も洞であった。
また沈黙が拡がった。
「別れるというなら別れもしよう。だが理由が解らないではな」
「どうぞ訊かないでくださいまし」女は膝を手で撫でた。
「どうもおれにはわからない。藪から棒の話だからな」若侍は嘲けるようにいった。相手を嘲けるというよりも、自分を嘲けるような声であった。「では今日が逢い終いか。ひどくさばさばした別れだな。いやその方がいいかもしれない。紋切り型で行く時は、泣いたり笑ったり手を取ったり、そうでなかったらお互いに、愛想吐かしをいい合ったり、色々の道具立てが入るのだが、手数がかかり時間がかかりその上後に未練が残り、恨み合ったり憎んだり、詰まらないことをしなければならない。そういうことはおれは嫌いだ。いっそ別れるならこの方がいい。女の方から切り出され、あっさりそれを承知する。アッハッハッ新しいではないか」
決して厭味でいうのではなかった。それは顔色や眼色で知れた。本当にサラリとした心持ちから、そう若侍は言っているのであった。
「そうと話が決まったら、今日だけは気持ちよく飲ましてくれ」
若侍は盃を出した。女は俯向いて泣いていた。
「おや、どうしたのだ、泣いているではないか。おれは虐めた覚えはない。虐められたのはおれの方だ。虐めたお前が泣くなんて、どう考えても不合理だなあ」まさに唖然とした格好であった。「ははあ解った、こうなのだろう。あんまりおれが手っ取り早く、別れ話を諾いたので、それでお前には飽気なく、やはり月並の別れのように、互いに泣き合おうというのだろう。だがそいつは少し古い。それもお前が娘なら、うん、初心の娘なら、そういう別れ方もいいだろう。ところがお前は娘とはいえ、浅草で名高い銀杏茶屋のお色、一枚絵にさえ描かれた女だ。男あしらいには慣れているはずだ。お止しよお止しよそんな古手はな。……おや、やっぱり泣いているね。いよいよ俺には解らなくなった。ははあなるほど、こうなのだろう。あんまり気前よく承知したので、気味が悪いとでもいうのだろう。そこでいわゆる化粧泣き、そいつで機嫌を取り結び、後に祟りのないように、首尾よく別れようというのだろう。もしそうならおれは怒る!」
若侍は睨むようにした。
恋敵は田沼主殿頭
「というのは他でもない。おれとお前とは二年越し、馴染を重ねた仲だのに、あんまり心持ちが判らなさ過ぎるからよ」いっている間にも若侍の顔には自嘲の色が浮かんでいた。「アッハッハッハッ違うかな。いや違ったらご勘弁、こいつ器用に謝まってしまう。とはいえそうでも取らなかったら、他にとりようはないじゃあないか。二人の間にはこれといって、気不味いこともなかったのに別れ話を切り出され、しかも理由は訊くなという。ちょっと廻り気も起ころうってものさ」
じっと女の様子を見た。女は顔を上げなかった。耳髱がブルブル顫えていた。色がだんだん紅くなった。バッチリ噛み切る歯音がした。鬢の垂れ毛を噛み切ったらしい。
若侍は徳利を取った。自分の盃へ注ごうとした。その手首を握るものがあった。焔えるような女の手であった。
「わたしは買われて行くのです」女は突然ぶっ付けるようにいった。「それをあなたは暢気らしく、笑ってばかりおいでなさる」
「何、買われて行く? 吉原へか?」
「女郎ならまだしもよござんす。妾に買われて行くのです」
「うむ、そうして行く先は?」
「はい、あなたの大嫌いな方」
「おれには厭な奴が沢山ある。人間はみんな嫌いだともいえる」
「一人あるではございませんか。とりわけあなたの嫌いな人が」
「なに、一人? うむ、いかにも。が、それは大物だ」
「そのお方でございます」
「老中筆頭田沼主殿頭!」
「はい、そうなのでございます」
「それをお前は承知したのか?」
「お養母様が大金を。……」
「うむ、田沼から受け取ったのだな?」
「妾の何んにも知らないうちに。……用人とやらがやって来て。……」
若侍は立ち上がった。だがまたすぐに坐ってしまった。
「よくある奴だ。珍らしくもない。ふん。金持ちの権勢家、業突張りの水茶屋養母、その犠牲になる若い娘、その娘の情夫。ちゃんと筋立てが出来てらあ、物語の筋にある奴よ。今までは草双紙で読んでいたが、今日身の上にめぐって来たまでさ。泣くな泣くな何を泣きゃあがる」
翌日弓之助は軽装をして、三浦三崎へ出かけて行った。千五百石の安祥旗本、白旗小左衛門の次男であって、その時年齢二十三、神道無意流の大先生戸ヶ崎熊太郎の秘蔵弟子で、まだ皆伝にはなっていなかったが、免許はとうに通り越していた。武骨かというに武骨ではなく、柔弱に見えるほどの優男。そうして風流才子であった。彼は文学が非常に好きで、わけても万葉の和歌を愛した。で今度の三崎行も西行を気取っての歌行脚であった。が、これは表面で、お色と別れた寂しさを、まぎらそうというのが真相であった。途中で悠々一泊し、その翌日三崎へ着いた。半漁半農の三崎の宿は、人情も厚ければ風景もよかった。小松屋というのへ宿まることにした。海に面した旅籠屋であった。
「五、六日ご厄介になりますよ」「へえへえ、有難う存じます」
その翌日から弓之助は、懐中硯と綴り紙を持って、四辺の風景を猟り廻った。
銅銭会茶椀陣
しかしよい歌は出来なかった。別れた女のことばかりが、胸のうちにこだわっていた。もちろん女と別れたことも、彼には随分寂しかったが、その女を取った者が、田沼主殿頭だということが、一層彼には心外であった。というのはほかでもない、彼の父なる小左衛門が、わずか式第の仕損いから主殿頭に睨まれて役付いていた鍵奉行から、失脚させられたという事が、数ヵ月前にあったからであった。
「側御用人の小身から、将軍家に胡麻を磨り老中に上がって七万七千石、それで政治の執り方といえば上をくらまし下を搾取、ろくなことは一つもしない。憎い奴だ悪い奴だ」これが彼の心持ちであった。
「一向三崎も面白くないな。どれそろそろ帰ろうか」
空の吟嚢を胸に抱き、弓之助は江戸へ引っ返した。
最初の予定が五、六日、それを二日で切り上げたのであった。
ある日弓之助は屋敷を出た。上野の方へ足を向けた。花の盛りは過ぎていたが、上野山下は景気立っていた。茶屋女が美しいので、近ごろ評判の一葉茶屋で、弓之助は喉を濡らすことにした。
女が渋茶を持って来た。ふと見ると弓之助の正面に、一人の老武士が腰かけていた。雪白の髪を総髪に結んだ、無髯童顔の威厳のある顔が、まず弓之助の眼を惹いた。左の眉毛の眉尻に、豌豆ほどの黒子があった。
「はてな?」と弓之助は呟いた。武士の眼使いが変だからであった。顔を正面に向けながら、瞳だけをそっと眼角へ送り、じっと何かを見ているのであった。他人に気取られずに物を見る。――こういう見方で見ているのであった。「これはおかしい」と思いながら、老人の瞳の向いている方へ、弓之助はこっそり眼をやった。そっちに小座敷が出来ていた。そこに二人の町人がいた。その一人のやっている事が、弓之助の心をちょっとそそった。茶飲み茶椀と土瓶とで、変な芸当をしているのであった。茶椀の数は十個あった。しかし土瓶は一個しかなかった。その十個の茶飲み茶椀を、ある時はズラリと一列に並べある時はタラタラと二列に並べ、または方形にまたは弧形に、そうかと思うと向かい合わせたりした。そのつど土瓶の位置が変わった。非常に手早くやるのであった。いったい何をしているのだろう? そうやって遊んでいるのだろうか? 座敷の隅で、チビチビ酒を飲んでいた。見ているような見ていないような、不得要領な眼使いを一人の町人はして、茶椀の変化へ眼を付けていた。二人は懇意の仲とも見え、また全くの他人とも見えた。そういう不思議な茶椀の芸当が、しばらくの間繰り返された後、二人の町人は茶屋を出た。ややあって老武士が編笠を冠った。
「銅銭会の茶椀陣」こう老武士は呟くようにいった。それから茶屋を出て行った。
「銅銭会の茶椀陣」老人の言葉をなぞって見たが、弓之助には意味がわからなかった。しかし何んとなく心に掛かった。意味を確かめて見たかった。そこで老武士の後を追った。
もうそれは夕暮れであった。花見帰りの人々が、ふざけながら往来を練っていた。老武士はズンズン歩いていった。足は谷中へ向いていた。この時代の谷中辺はただ一面の田畑であった。飛び飛びに藁葺きの百姓家があった。ぼんやり春の月が出た。と一軒の屋敷があった。大名方の控え屋敷と見え、数寄の中にも厳めしい構え、黒板塀がめぐらしてあった。裏門の潜戸がギーと開いた。老武士の姿が吸いこまれた。
「いったい誰の屋敷だろう?」ここまで尾行て来た弓之助は、しばらく佇んで眺めやった。少し離れて百姓家があった。そこで弓之助は訊いて見た。
「大岡様のお屋敷でございますよ」
「ああそうか、大岡様のな」
弓之助は礼をいって足を返した。
「享保年間の名奉行、大岡越前守と来たひには、とても素晴らしい人傑だったが、子孫にはろくな物は出ないようだ。今の時代に大岡様がいたら、もっと市中は平和だろうに。……ナーニ案外駄目かもしれない。名君でなければ名臣を、活用することは出来ないからな。……それはそうと今の老人、大岡家のどういう人だろう? 非常な老年と思われるが、歩き方など若者のようだ。家老や用人ではないらしい。途方もなく威厳があったからな」
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