二
これが四回も続いたのである。
で、その結果はどうなったか? 手代風の男が四人殺され、朱塗の盆が四枚がところ、
たけた令嬢の手に這入り、短冊の文字を集めると、
「恋すてふ、我名はまだき、立ちにけり、人しれずこそ」
となったのである。
令嬢の名は縫様、以来お縫様憂鬱になった。
四枚の朱盆を前へ並べ、こんな独言をいうようになった。
「ああもう一枚ほしいものだ。そうするとすっかり揃うのに。――恋すてふ我名はまだき立ちにけり人知れずこそ……足りないわねえ。『思ひそめしが』ともう一句、それを記した盆がほしい。それにしても、どうして私の屋敷へ、こんなにも立派な四枚の盆を、誰が何のために投げ込んだのだろう? ――そうしてあの男は何者だろう? 盆の有無しを確めに来ては、持っても行かずに行ってしまう。不思議な眼つきで私を見る」
もう一枚の盆に対する、執着の念が深くなった。
そこで、とうとう蒔絵師を呼んだ。
「こんな朱盆ははじめてみます。この朱色は無類です。どんな顔料を使いましたやら。塗も蒔も同じ手です。これも素晴らしゅうございます。私など真似も出来ません。だが作り手は知れています。日本に蒔絵師は沢山あっても、これ程の物を作る者は、染吉のほかにはございません。……ああ染吉でございますか? 谷中の奥に住んでおります。大変な変人でございましてね、自分で作った品物を、人手に渡すのを惜がるのです。で、仲々手に入りません。どんな大金を積んだところで、気に向かないと作りませんので、珍重されておりますよ。だが染吉の作にしても、これは飛切り上等の方で、一代の傑作と申されましょう。……ええと年はまだ若く、二十八の独身者で、それに
醜男でございますので女嫌いで通っております。いかに仕事は名人でも、変人の上に醜男ときては、ご婦人方には好かれませんからなあ。それこそあなた、顔と来たら、疱瘡の痕でメチャメチャで」
これが蒔絵師の挨拶であった。
「ああそれではあの男だ」お縫様は直に感付いた。
「朱盆の有無しを確めに来たあの男が染吉だ」
そこでお縫様いったものである。
「どんなお望みにでも応じます。『思ひそめしが』と六文字を入れた、[#「、」は底本では「。」]この盆と対の朱塗の盆を、ぜひともおつくり下さいますよう、その名人の染吉さんに、あなたからお頼みして下さいまし」
翌日蒔絵師はやって来たが、返辞は意外なものであった。
「こう染吉は申しました。『そのお嬢様のお頼みがなくとも、私の方からお作りし、そのお嬢様へ差上げようと、この日頃苦心しているのですが、とても望みは遂げられますまい。まあ見て下さい。この体を! すっかり痩せて衰えて、骨と皮ばかりになりました。実は私はその盆と一しょに、心を捧げようと思っていたので。ああそうです、お嬢様へ……思いそめしが! 思いそめしが!』……お嬢様どうやら染吉は死んでしまいそうでございますよ」
果して名工染吉は、その後間もなく死んでしまい、お縫様も間もなくなくなってしまった
[#「なくなってしまった」は底本では「なくってしまった」]。なくなる間際までお縫様は、最後の盆をほしがった。で、口癖のようにいったそうである。
「思いそめしが、思いそめしが」
「ね、兄貴、話といえば、ざっとこういったものなのさ」
話し終えた
岡引の半九郎は、変に皮肉に笑ったものである。
「成る程[#「成る程」は底本では「成る程。」]」といったのは岡八である。
「大して面白い話でもないな」
「どうしてだい、面白いじゃァないか」
「古い
ありきたりの因果物語りさ」
「そうばかりもいわれないよ、
遺跡がのこっているのだからな」
「おおお縫様の屋敷跡か」
「そっくりそのまま残っているのさ」
「住人がないとかいったっけね」
「草茫々たる化物屋敷さ」
「根岸附近だとかいったっけね」
「そうだよ」と半九郎うなずいた。それからまたも変に皮肉に、盗むような笑いを浮かべたが、
「どうだい兄貴、謎が解けるかね?」
それには返辞をしなかったが、
「十年前の話なんだな?」
「安政二年の物語りさ」
三
岡八というのは
綽名である。
「一つの事件をあばこうとしたら、渦中へ飛び込んじゃいけないよ。いつも傍から見るんだなあ。渦の中へ一緒に巻き込まれようなものなら、渦を見ることが出来ないからなあ。ほんとに岡目八目さ」
これがこの男の口癖である。その本名は綱吉といい、非常に腕っこきの岡引であった。
一つ二つ例を挙げてみよう。
一人の女が訴え出た。
「夫が家出をして帰りません」と。
数日たって女の隣人が、井戸に死人があると訴え出た。
その女も走って行った。井戸を覗くと叫んだものである。「私の夫でございます」
そこで岡八が一喝した。
「人殺しは手前だ! ――
ふん縛れ!」
果してその
婦と情夫とが、共謀して良人を殺したのであった。
「岡目で見りゃァ
直判りまさあ、古井戸の中は暗くてね、死人の形が
ぼんやりと、やっと見えるくらいのものだったんで、一目覗いて亭主だなんて、どうして判りっこがあるものですかい。殺して置いてぶち込んだんで」
或家で
かんざしを盗まれた。戸外から入り込んだ形跡はない。二人の下女が疑わしかった。そこで岡八、青麦を二本、二人の下女へやったものである。
「正直者の麦はそのままだが、不正直者の麦は長くなる。明日の朝までに一寸が所な」
翌日調べると一本の麦は自若、一人の下女の持っていた麦が、一寸がところ摘切られてあった。
「そいつが詰り盗人だったんで、下女なんてものは無知なもので、そんな甘手にさえひっかかりますよ。ほんとに延びると考えて、一寸がところ摘んだんでさあ」
さてその岡八だが、最近に至って、一つの難事件にぶつかってしまった。
いい若者が無暗とさらわれ、十数日たつと送り返されて来る。その時はすっかり衰弱している。どうしたと尋ねても真相をいわない。そうして、おまけに、いうのである。
「ああもう一度
あそこへ行きたい」
そうして間もなく死んでしまうのである。
時世は慶応元年で、尊王
攘夷、佐幕開港、日本の国家は動乱の極、江戸市中などは物情騒然、辻切、押借
[#「辻切、押借」は底本では「辻切押借」]、放火、強盗、等、々、々といったような、あらゆる罪悪は行われていたが、岡八のぶつかった難事件のようなそんな事件は珍しかった。
「さらわれた先をいわないというのが、何より
変梃[#「変梃」は底本では「変挺」]で見当がつかない」
全く見当がつかなかった。
で、この日頃ムシャクシャしていた。
そんな気も知らずに半九郎奴、十年前の古事件、お縫様屋敷の物語りを、面白くもなく、しゃべり立て謎を解いて見ろというのである。
「で、何かい」と岡八はいった。「その古々しい因果物語りが、はやり出したというのかい?」
「ああそうだよ」と半九郎。「銭湯へ行っても髪結床へ行っても、
専らそいつが評判なのさ」
「で、何かい」と、また岡八「四人までも切った侍が、其まま解らずに消えたのが、面妖だっていうのかい?」
「それからどうして染吉が、燈心の火が消えるように、衰死したかが不思議だというのさ」
「
恋病だあね、それで死んだのさ」
「そうチョロッかに片付るなら、辻切の方だって片がつく、切りっぱなしで消えたんだとね。……だがそれだけでは済むまいぜ、俺等の商売からいく時はね」
「十年前の出来事じゃァねえか」
「ところがお前そうじゃァないんだ、俺等の仲間で競争的に、その謎解きにかかっているのさ」
「へえ、そいつァ物好きだなあ」岡八一寸眼を見張った。「初耳だよ、そんな話は」
「お前は一人で高くとまり、俺等とあんまりつきあわないからさ」
「それにしても暇の連中だなあ、この小忙しい浮世によ」
「そこで連中はいっているのさ。岡八兄貴なら解けるだろう。もし又
こいつが解けねえようなら、岡八なんかとはいわせねえとね」
「
えらく皆に憎まれたものだな」岡八ニヤリと笑ったが、どうしたものか膝を打った。それからヒョイと
をしゃくった。「よし来た、それじゃァ解いてみせよう!」
「え、本当か! そいつァ豪勢だ!」
「しかも、きっと今日明日の中にな」