三
松屋の玄関に列べられたは、鉄砲二十挺に槍十五筋、門の入口に造られた番所、そこに役人が詰めている。門の右手には紅白の幔幕、突棒刺叉捩など、さも厳しく立て並べてある。門を離れた左手にあるは、青竹で作った菱垣で、檜逆目のございません板へ、徳川天一坊殿御旅館と、墨色鮮かに書いてある。正面一杯に張り廻された、葵御紋の紫地の幕に、高張提燈の火が映じ、荘厳の気を漂わせている。
ヌッと現われた頬髯のある武士。
「赤川大膳様ご外出でござる。駕籠を!」
と呼ぶやつを手で制し、
「供は不用ぬよ」
と抜出した。
二、三町行くと懐中から、頭巾を取り出したものである。と見ると一軒の駕籠屋がある。つと這入った赤川大膳、
「駕籠一挺、早いところを」
ポンと乗ると駆け出させた。本陣から駕籠に乗らなかったのは、秘密を尚んだからであろう。
「山内伊賀殿はさすがに知恵者、旨いところを見抜かれたものだ。世間に評判を立てて置いて、迎えに来るのを待っている! 成程な噂に高い乞食、その辺に目星をつけているのだろう。そこで俺が迎いに行く。さあて何んな応待で其奴の本性見破ろうかな? 意外に偉い人物で、恥でも掻かされたら耐らない。ヤクザ者なら叩っ切る。こっちの方から手間暇は不可ぬ。野武士時代の蛮勇を揮い、スポリと一刀に仕止めるだけさ。……それは然うと此処は何処だ?」
駕籠の戸をあけて覗いたが、
「よろしい、ここで下ろしてくれ」駕籠から出ると
「それ酒手だ」
「これは何うも、莫大もない」
喜んで帰る駕籠舁を見すて、赤川大膳先へ進んだ。
薄墨のように淀川堤、眼の前に長く横仆わっている。人家も無ければ人気もない。見下ろせば河原で枯れ蘆が、風に吹かれて揺れている。暁近い月の下に生白く光るは川水らしい。
「たしか此方の方角のはずだ」
上流の方へ歩いて行く。
と、果して蒲鉾小屋が、ハタハタと裾を風に吹かせ、生白く月光に濡れながら、ションボリとして立っていた。
「うむ、これだな」と立ち止まったが「さあ何んといって声をかけたものか?」思案せざるを得なかった。「乞食と呼ぶのも変なものだ。御免というのも変なものだ。まさかに許せなどともいわれまい。……はてな?」
というと深呼吸をした。芳香が馨って来たからである。
「香を焚くという噂だが、成程な、香の匂いだ。しかも非常な名香らしい」
とはいえ勿論野武士育ちの、ガサツな赤川大膳には、何んの香だか分らなかった。
そういう赤川大膳にさえ、無類の名香に感ぜられたのだから、高価なものには相違あるまい。
それが大膳を尊敬させて了った。
「御浪士!」と大膳呼んだものである。
ところが内から返辞がない。で復「御浪士」と呼んでみた。矢っ張り内からは返辞がない。
「眠っているのかな、留守なのかな?」
耳を澄ましたが寝息がない。
「失礼、ごめん」と声を掛け、大膳、小屋のタレを上げた。
落ちかかった月の蒼白い光が横からぼんやり射し込んでいたが、見れば誰もいなかった。
だが白々と一葉の紙が莚の上に落ちていた。
取り上げて見ると短冊であった。
風蕭々易水寒シ
壮士一度去ッテ復還ラズ
「ははあ夫れでは立ち去ったのか?」赤川大膳考え込んでしまった。「では山内伊賀之助殿の、仕官亡者という観察は、狂ったものと見なさなければならない。伊賀殿の観察を狂わせる程の乞食、いよいよ只者では無さそうだな。……焚きすてられた香の香が、残って立ち迷っているところを見ると、つい今し方立ち去ったのだろう。寒い! どっちみち帰るとしよう」
四
御先供は赤川大膳、先箱二つを前に立て、九人の徒士、黒積毛の一本道具、引戸腰黒の輿物に乗り、袋入の傘、曳馬を引き、堂々として押し出した。後から白木の唐櫃が行く、空色に白く葵の御紋、そいつを付けた油単を掛け、黒の縮緬の羽織を着た、八人の武士が警護したが、これお証拠の品物である。それから熨斗目麻上下、大小たばさんだ山岡主計、お証拠お預かりの宰領である。白木柄の薙刀一振を、紫の袱紗で捧げ持ち、前後に眼を配っている。つづいて血祭坊主が行く。つづいて行くのは島村左平次、戸村次郎左衛門、石川内匠、石田典膳、古市喜左衛門、山辺勇助、中川蔵人、大森弾正、齋藤一八、雨森静馬、六郷六太郎、榎本金八郎、大河原八左衛門、辻五郎、秋山七左衛門、警衛として付いて行く。つづいて行くのが天一坊の輿物、飴色網代蹴出造、塗棒朱の爪折傘、そいつを恭々しく差しかけている。少し離れて行くものは、天忠坊日親で、これまた先箱を二つ立て、曳馬一頭を引かせている。つづいて行くのは藤井左京、抑えの人数を従えている。最後に馬上で行くものは、即ち山内伊賀之助、熨斗目麻上下を着用し、総髪にして蒼白い顔、鷲のように鋭く澄み切った眼、広い額に善謀を現し、角ばった
に果断を示し、高い頬骨に叛気を漂わせ、キッと結んだ唇に、揶揄、嘲笑をチラツカせている。これも片箱一本道具、曳馬無しに従えている。下座触制止の声を掛け、同勢すべて二百人、大坂を立って江戸へ入る。徳川天一坊の行列である。
淀川堤へかかった時だ、山内伊賀之助上流を見た。
蒲鉾小屋が立っている。
「ははあきれだな」と呟いたが、何となく不安の表情が、チラチラチラと眼に射した。
「荊軻の賦した易水の詩、そいつを残して立ち去った乞食、鳥渡心にかかる哩。荊軻は失敗したのだからな。そうだ刺客を心掛けて。秦の始皇帝を刺そうとして。……勿論我々の企ては、将軍を刺そうというのではない。いやむしろあべこべだ。将軍になろうとしているのだ。しかし危険という点では、荊軻の企ての夫れよりも、より一層いちじるしい。……易水の詩! 失敗の詩! どうも幸先がよくないなあ」
こんな気持を感じたのは、伊賀之助としては始めてであった。
「ナーニ何うだって構うものか、どうせヤマカンでやっていることだ。成功しようと思うのが、元々間違いといっていい。だがそれにしてもその乞食に、逢えなかったのが心残りとはいえる」
下座触制止堂々と、行列は先へ進んで行く。
「九分九厘成就と思っていたが、何んだかあぶなっかしくなって来た。弱気というやつだな、こいつは不可ない! どうでも追っ払ってしまわなければならない……一番俺にとって致命的なのは、曾て一度も狂わなかった、自信のある眼力の狂ったことさ。一つ狂うと二つ狂う、二つ狂うと三つ狂う。どうして最後まで狂わないといえよう。……仕官亡者と思っていた奴が、仕官亡者でなかったばかりか、不可解の謎を投げかけて、姿をかくしてしまったんだからな」
追っ払おうと思えば思うほど、伊賀之助の心には乞食のことが、こだわりとなって残るのであった。
伊賀之助ズラリと行列を見た。「これほどの行列を押し立てて江戸入りするという事だけでも、正しく男子の本懐ではないか。しかし思えば気の毒なものだ、誰も彼も成功を信じている。誰も彼も俺を信じている。立身するものと思っている。誰も彼も肝腎のこの俺が迷っているとは感付かない」
自信が強ければ強いほど、それを破ったその物が、その者を傷つけるものである。
「何者だろう、是非逢い度い。そうして易水の詩を残した、乞食の心持ちを聞いてみたい」
執着狂の夫れのように、伊賀之助はそればかりを思うようになった。
そうして夫れは事が破れて、江戸は品川八ツ山下の御殿で、多くの捕吏[#「捕吏」は底本では「捕史」]に囲繞まれ、腹を掻っ切ったその時まで、彼の心を捉えたのである。
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