5
途端に箭が一條眼の前へ出された。
「いざ、これで、遊ばしませ」
「うむ」と思わず声を上げ、その箭を取ったが眼を据えて見た。その正次の眼の前に、――だから正次の背後横に、髪は垂髪、衣裳は緋綸子、白に菊水の模様を染めた、裲襠を羽織った二十一二の、臈たけた美女が端坐していた。
「貴女は?」と正次は驚きながら訊ねた。訊ねながらも油断無く、弦に矢筈をパッチリと嵌め、脇構えに徐に弦を引いた。
「この家の主人にござります。……」
「では先刻の……今様の歌主?」
云い云い八分通り弦を引き、
「ご姓名は? ……ご身分は?」
「楠氏の直統、光虎の妹、篠と申すが妾にござります」
「おお楠氏の? ……さては名家……その由緒ある篠姫様が……」
ヒューッとその時数條の箭が、敵方よりこなたへ射かけられた。と、瞬間に正次の眼前、数尺の空で月光を刎ねて、宙に渦巻き光る物があった。
「おッ」――キリキリと弦を引き、さながら満月の形にしたが「おッ」とばかりに声を洩らし、正次は光り物の主を見た。一人の老人が小薙刀を、宙に渦巻かせて箭を払い落とし、今や八双に構えていた。
「や、貴殿は? ……」
「昼の程は失礼」
「うーむ、和田の翁でござるか」
「すなわち楠氏の一族にあたる和田新発意の正しい後胤、和田兵庫と申す者。……」
「しかも先刻築山の方より、拙者を目掛けて箭を射かけたる……」
「それとて貴殿の力倆如何にと、失礼ながら試みました次第……」
「…………」
矢声は掛けなかった! それだけに懸命! 切って放した正次の箭! 悲鳴! 中った! 足を空に、もんどり討って倒れたのは、雉四郎の前に立ちふさがった、敵ながらも健気の武士であった。
ワーッとどよめき崩れ引く敵! しかも遥かに逃げのびながら、またもハラハラと箭を射かけた。と薙刀を渦巻かせ、和田兵庫は正次の前方、書院の縁の端に坐り、片膝をムックリと立てていた。
「いざ、三ノ箭! 遊ばしませ」
姫が差し出した三本目の箭を、素早く受けると日置正次、矢筈に弦を又もつがえ、グーッと引いて満を持した。
「その楠氏の姫君が、何故このような古館に?」
「洞院左衛門督信隆卿、妾の境遇をお憐れみ下され、長年の間この館に、かくまいお育て下されました。しかるに大乱はじまりまして、都は大半烏有に帰し、公卿方堂上人上達部、いずれその日の生活にも困り、縁をたよって九州方面の、大名豪族の領地へ参り、生活するようになりまして、わが洞院信隆卿にも、過ぐる年周防の大内家へ、下向されましてござります。その際妾にも参るようにと、懇におすすめ下されましたが……」
「…………」
矢声は掛けなかった、充分に狙い、切って放した正次の箭! 中って悲鳴、又も宙に、もんどり打って仆れた敵! ワーッとどよめいて敵は引いたが、懲りずまた箭をハラハラと射かけた。
渦巻かせた兵庫の薙刀のために、箭は数條縁へ落ちた。
「四本目の箭、いざ遊ばせ!」
「うむ」と受け取り、そのままつがえ
「何故ご下向なされませなんだ」
「先祖正成より伝わりました、弓道の奥義書『養由基』九州あたりへ参りましたら、伝える者はよもあるまい、都にて名ある武士に伝え、伝え終らば九州へと……」
「養由基? ふうむ、名のみ聞いて、いまだ見たこともござらぬ兵書! ははあそれをお持ちでござるか」
云い云い正次は、キリ、キリ、キリ、と弦をおもむろに引きしぼった。
「養由基一巻拙者の手に入らば、日頃念願の本朝弓道の、中興の事業も完成いたそうに。欲しゅうござるな! 欲しゅうござるな。……さてこの度は何奴を!」
満月に引いてグッと睨んだ。
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] 下一页 尾页