十
やがて日が暮れ夜となった。
歩哨の数を二十人に増し土人軍の襲来に備え、その他は小屋で眠ることにした。人々は皆疲労れていたのですぐさま深い睡眠に落ちたが、一人ホーキン氏は眠られなかった。考えられるのはジョンの事で、兇猛無残の土人のために殺されたことには疑がいないにしても、もしやどこかに活きてはいないか? どこからか泣き声でも聞こえはしないかと、何んとなく耳を澄まされるのであった。
「もう夜も大分更けたらしい。今、少しでも眠って置かないと、明日の戦いに差し支えるだろう。眠ろう眠ろう」
と云いながら心を落ち着け眼を閉じた時、
「お父様! お父様!」
と紛れもない、ジョンの呼び声が聞こえて来た。
「おおジョンか!」
と飛び上がり、小屋の窓を開けて見た。
しかし戸外は月の光が蒼茫と空地に流れているばかり、林や森や土人小屋は、黒く朦朧と見えもするがジョンらしい少年の姿は見えない。
「ジョンの事ばかり思っていたので、それでそんなように聞こえたのであろう。……殺されたジョンがこんな夜中に何んでこんな所へ来るものか」
……ホーキン氏は窓を閉じようとした。と、また紛れもないジョンの声が、手近の椰子の林の中から、「お父様! お父様!」
と聞こえて来た。
「おお!」とホーキン氏は驚いて、林の方へ耳を澄ましたが、
「紛れもないジョンの声だ! さては向こうの林の中に捕らえられているのかもしれない。……ともかく林まで行って見よう。ジョンよ! ジョンよ!」
と呼びながら、用心のために銃を握り、小屋から戸外へ飛び出した。
空地を横切り部落を駈け抜け忽ち林へ分け入ったが、
「ジョンよ! 私だ! ジョンはどこにいるな!」こう呼んで耳を澄ましたが、林の中はしんと寂しく、木に当たる微風の幽かな音が耳に入るばかり、ジョンの声などは聞こえようともしない。
「それではやはり空耳かな?」疑がいが心に起こった時、
「お父様! お父様! 早く来てください! 土人が私を殺します! 恐ろしいお父様!」
こう呼び立てるジョンの声が林の奥から聞こえて来た。
「おおジョンか、すぐ行くぞよ! 土人がお前を殺すって その土人を撲ってやれ! お父様はすぐ行くからな! その土人を撲ってやれ!」
ホーキン氏は夢中で藪を分け、遮る木立ちを押しのけ押しのけ奥を指して走り出した。
「お父様! お父様! 早く来てください! 土人は刀を抜きました。私の胸へ差し附けました!」
「神様神様お助けください! おおジョンよすぐ行くぞよ! その土人を撲るがいい! その土人を蹴ってやるがいい! どこにいる? どこにいる? ジョンよどこにいるのだ」
云い云い奥へ走って行く。
「お父様。私は殺されます! 土人は毒矢をつがえました。私の頸を括っています!」
そういう声はだんだん幽かにだんだん奥へ遠ざかって行く。
「ジョンよジョンよ失望してはいけない! これもう一度お父様と云え! もう一度お父様と云ってくれ! すぐ行く! すぐ行く! すぐ行くぞよ!」
ホーキン氏はあたかも狂人のように、藪を潜り木立ちを分け、無二無三に走ったが、忽然何者かに足を掬われドッとばかりに前へ倒れた。
ハッと驚いて飛び起きようとする。とたんにバラバラと木蔭からセリ・インデアンが二十人余り、獣のように飛び出して来たが、起きようともがくホーキン氏の上へ折り重なって組み附いた。二十人に一人では敵うべくもなく、見る間にホーキン氏は縛り上げられた。
「むう、さては計略だったのか」
初めて気が附いたホーキン氏は、牙を噛むばかりに怒ったが、縛られた今はどうすることも出来ない。
喜んだのは土人達で、彼らは彼らの言葉をもって戦勝の歌を唄いながら、捕虜ホーキン氏を引っ立てた。
麦と燕麦と椰子の実と
俺らの神様へ捧げよう
係蹄にかかった敵の捕虜
神様の犠牲に捧げよう
肉は肉、骨は骨
バラバラにして食おうじゃねえか。
ああ、ああ、ああ、
捕虜を殺せ!
十一
チブロン島の夜が明けて遠征隊は起き上がったが、隊長ホーキン氏の姿が見えない。
「きっと朝の散歩だろう。林の中へでも行ったんだろう」
彼らは互いにこう思ってたいして心配もしなかったが、しかし間もなく昼となり、そうしてとうとう晩になってもホーキン氏の姿が見えないので、にわかに彼らはあわて出した。
こうして彼らは土人どもが何らか不思議な詭計を設けて彼らの隊長ホーキン氏を昨夜のうちに誘拐しどこか土人どもの本陣へ連れて行ったに相違ないと、こうようやく感附いたのはもうずっと夜も更けてからであった。
「とにかく手を分けて探すことにしよう。ああしかしどうもとんだことになった」
そこで彼らは全軍を三つの隊に分けることにした。一隊をもって部落を守り、他の二隊は夜を冒して土人の本陣に向かうことにした。
南に向かった一隊の将は、チャンバレンという予備大尉で非常に勇敢な人物であり、北に向かった一隊の将はジョンソンという会社員上がりで思慮に富んだ人物であり、部落守備の隊長はマコーレーという人物で、生まれながらの冒険家でありホーキン氏にとっては片腕であった。
各隊の人数は百人ずつで、いずれも決死の覚悟をもって各の任務についたのである。
「みんな唄うがいい! みんな踊るがいい! 敵の大将を捕虜にしたぞ!」
土人酋長オンコッコは、社殿の縁に突っ立ち上がり、さも得意気に喋舌るのであった。
「……最初俺達は敵の大将ホーキンの子供を捕虜にした。そこで俺達は考えた。このジョンという子伜めをどうぞうまく囮につかって敵の大将をおびき出したいとな。……そこでジョンをふん縛り部落近くへ連れて行きピシピシ鞭で撲ったものさ。するとこっちの思惑通りジョンめ親父の名を呼んだものさ。そこで親父のホーキンめが一人でノコノコやって来た。それをだんだんおびきよせ、以前係蹄をかけて置いた林の奥まで引っ張り寄せ、そこでうまうま捉えたというものだ! 何んと愚かな敵じゃないか! 何んと利口な俺達じゃないか! ……さあみんな唄ってくれ! 大きな声で唄ってくれ!」
住み慣れた部落を惜し気なく捨てここ社殿へ住居を移した千人に余る土人どもは、この酋長の話を聞くと老若男女一斉にワッとばかりに喊声を上げ、社殿の周囲を廻り出した。
体には刺青、手には武器、頭や腰を羽毛で飾った兇猛無残の食人族が、不思議な身振り奇怪な手振りで、踊りつ唄いつ廻り歩く様子は、何んと形容しようもない世にも物凄い光景であったが、しかし間もなくそれ以上の恐ろしい光景が展開された。
「もうよかろう引っ張り出せ!」
オンコッコが叫ぶと同時に社殿の扉が左右に開いて、まず現われたのはホーキン氏、次に引き出されたのはジョン少年で、二人ながら革紐で縛られている。
「そこの杭へ縛り附けろ!」
社殿の前の小広い空地に一本の杭が立っていたが、二人はそこへ縛り附けられた。
「さあそろそろやろうじゃないか。血を出せ血を出せ! 肉を削げ肉を削げ!」
このオンコッコの合図と共に、社殿を廻っていた土人達は、杭の周囲へ集まって来た。そうして二人の捕虜の周囲をグルグルグルグル廻り出した。そうして歌を唄い出した。
いよいよ虐殺が始まるのである。
彼らは捕虜を廻りながら、手に持っている槍や刀で捕虜の体を切るのであった。そうしてほとんど一日がかりで嬲り殺しにするのであった。
今や一人の蛮人が、手に持っている両刃の剣で、ホーキン氏の腕を切ろうとした。とその刹那木立ちを通し一筋の征矢が飛んで来たが、その蛮人の拳に当った。
「あっ」と叫んで持っていた刀を手からポロリと取り落とす。とたんにドッと鬨の声が林の奥から湧き起こり、朝陽の輝く社殿を目がけ雨のように矢が飛んで来た。それが一本として空矢はなく、生死は知らず二十人の土人バタバタと地上へ転がった。
「それ敵が征めて来たぞ!」「弓を射ろ槍を飛ばせろ!」「敵は向こうの林の中にいるぞ! 油断をするな油断をするな」
「踊りを止めて武器をとれ!」
「捕虜を攫われない用心をしろ!」
「それ敵めが現われたぞ! 毒矢を射ろ毒矢を射ろ!」
土人どもは狼狽し、右往左往に立ち迷いながらもそこは勇敢なセリ・インデアン、襲い来る敵に立ち向かった。
その時またも林の中からドッとばかりに鬨の声が上り、ひとしきり征矢が飛んで来たが、忽ち人影が現われ出た。
先に立ったは来島十平太で、後に続いたのはゴルドン大佐、そうしてその後から雲霞のように続々として現われ出でたのはゴルドンの引率した二十人の兵と、十平太[#「十平太」は底本では「十兵太」]の率いた二百人の武士、しめて二百二十二人、日英同盟の勇士達であった。
十二
ところでどうしてこれらの勇士達が忽然ここへ現われ出で土人に向かって攻撃を開始し、ホーキン氏親子の危い命を、間一髪に止めたかというに、それには次のような経路がある。
ゴルドン大佐はホーキン氏の命で、日本の海豪小豆島紋太夫と、同盟の相談をしようものと、往復二日の予定をもってドームの露営地を出発したところ、不案内の蛮地であったがため予想外に日数がかかり、目指すビサンチン湾へ行き着いたのは実に五日目の真昼であった。
しかるにこの時日本軍の方では、頭領小豆島紋太夫が土人部落へ行ったまま、五日経っても帰って来ず何の消息もないところから、来島十平太を大将としていよいよ土人の部落に向かい進撃しようとしていた時であった。
そこで同盟はすぐに整い、全軍五百のその中から二百人だけ選抜し、それへ英人二十人を加え、十平太とゴルドンが両大将となり、チブロン島を横断し計らずもここまでやって来たのであった。
今や日英同盟軍とセリ・インデアンとの戦いはまさに白熱の最中にあったが、いかに土人が勇敢であってもとうてい日本武士には及ぶべくもなく次第次第に敗け色になった。
土人酋長オンコッコは早くも味方の負け色を見ると、逃げ出すことに覚悟を決めたが、みすみすホーキン氏とジョン少年とを、奪いかえされるのが残念と思ったか、刀を握って走り寄り二人の傍へ近寄るや否や杭へ繋いだ縄を切り二人へ刀を突き附け、社殿の中へ連れ込もうとした。
しかるにこの時思いもよらず裏切り者が現われた。他でもない祭司のバタチカンで、彼は最初にジョン少年が仲間の土人に捕らえられ殺されようとした時に、命乞いをして助けて以来、ジョン少年が可愛くてたまらず、杭に繋がれたその時からどうぞして助けようと思っていたところ、今その機会がやって来たので、隠れていた社殿の扉を押し開き脱兎のように走り出て、オンコッコの側へ近寄るや否ややにわにジョンを横抱きにして林の中へ逃げ込んだ。
あっと驚いたオンコッコは、
「裏切り者だ! 謀反人だ! 早く早くバタチカンを捉らえろ!」
大声を上げて叫んだが、戦い最中のことではあり、誰とて耳に止めるものはない。そのうち早くもバタチカンの姿は木蔭に隠れて見えなくなった。
「よしよし餓鬼は逃げるがいい。そのうちきっと捉えてやる。……こうなったからには親父の方はどんなことがあっても逃がすことは出来ない。……さあ来やがれ! さあ来るがいい!」
オンコッコは叫びながらホーキン氏の腕を引っ立て社殿の中へ連れ込んだ。
すぐにガラガラと扉を締じる。
それからオンコッコはニヤニヤ笑い、柱の一所へ手を触れた。
と、恐ろしい音がして、ホーキン氏の立っている足の下へ忽然として穴が開いた。すなわち床板が外れたのであって、アッという間もあらばこそホーキン氏の体はもんどり打って深い深い地の底へ落ち込んだ。
「おいホーキン! おい大将! そこでゆっくり休むがいい。もっとも少し暗いけれどな。そうして少し黴臭いけれどな。アッハハハゆっくり休みねえ。けれどあらかじめ云っておくがな、あんまりノコノコ歩き廻らぬがいい。うかうか歩くと迷児になるぜ」
暗い穴の中を覗きながら、オンコッコは悪口を云った。それから外れた床板を篏めるとやがて扉を開けて外へ出た。
戸外は戦いの最中である。
穴の底へ落ちたホーキン氏は幸い酷い傷も受けず、落ちた拍子に縄も解けにわかに自由の身になった。
「やれやれどうも酷い目に会ったぞ。おやおや手足が擦り剥けている」
呟き呟きホーキン氏は四辺の様子を探ろうとしてそっと立ち上がって歩いて見た。
「これが右だ。石の壁らしい。……これが左だ。やはり石壁か。……これが正面。これも石の壁だ。……さて背後はどうだろう? やはり石壁じゃあるまいかな?」
で、背後へ手をやって見た。スベスベとして酷く冷たい。石ではなくて鉄の壁らしい。
「鉄とあっては石壁よりまずい。おや、待てよ、変なものがあるぞ。……や、これは金の錠だ!」
力をこめて捻じって見た。金が腐っていたのであろう、何んの苦もなく捻じ切れた。とたんに鉄の扉がギーと開いて冷たい風が吹いて来た。
どうやら道でもあるらしい。
十三
窟の中の生活には昼もなければ夜もない。いつも四辺は闇である。その闇々たる窟の中で、土人の巫女を話し相手として焚火の火で暖を取り、小豆島紋大夫は日を送った。
会話と云っても手真似である。その覚束ない手真似をもって、ようやく紋太夫が聞き出したのは、壺神様の事である。
「この窟の奥、五里も八里も隔たっている遠い遠い窟の奥に、壺神様の神殿がおありなさるのでございます。そうしてそこには蛇使いの恐い恐いお婆さんが、沢山の眷族を引き連れて、住んでいるそうでございます。壺神様のご神体は剣だそうでございます。それもただの剣ではなく、活き剣だそうでございます。物を云ったり歌を唄ったり歩いたりするそうでございます。恐い蛇使いのお婆さんは、神主なのでございます」
これが巫女の話であった。紋太夫は早くも感付いた。
「土人酋長オンコッコめが、俺に取って来いと云ったのは、この活き剣の事だったのか。取って来いなら取っても来よう。活き剣とは面白い」
で、手真似で巫女に訊いた。
「壺神様の神殿へはどう行ったらよいのかね?」
「奇数、偶数、奇数、偶数と、こう辿っておいでになれば、参られるそうではございますが、しかし行く事は出来ますまい」
「何故行くことが出来ないな?」
「行く道々悪者どもが蔓延っているそうでございます」
「とにかく私は行くことにしよう」
「これまで沢山の人達がその活き剣を取ろうとして、幾度行ったか知れませぬ。けれどそのうち一人として帰って来た人はござりませぬ。恐ろしい所でございます。決しておいでなさいますな」巫女は熱心に止めるのであった。
「私は東方の君子国日本という国の侍じゃ。恐ろしいということを知らぬ者じゃ」紋太夫はカラカラと笑い、「一旦行くと云ったからはどうでも一度は行かねばならぬ。これが武士の作法なのじゃ。巫女殿まことに申しかねるが、一日分の食糧と松火とを頂戴出来まいかな」
「どうでもおいでなされますか」
「活き剣を手に入れてきっと帰って参りまするぞ」
そこで松火と食物とを巫女の手から貰い受け、紋太夫は元気よく出立した。
ものの十町と行かないうちに無数の枝道が現われた。
「奇数、偶数、奇数、偶数、こう辿ればいいのだな。一は奇数だ、云うまでもなくな。……一の道を行ってやろう」
一番手近の枝道を彼はズンズン進んで行った。とまた無数の枝道へ出た。今度は手近から二番目の道を――偶数の道を進んで行った。奇数、偶数、奇数、偶数、これを繰り返し繰り返し紋太夫は先へ進むのである。
行く手は暗々たる闇であったが手に松火を持っているので道を間違える心配はない。
半刻余りも歩いた頃、遙か行く手の闇を染めて薔薇色の光が射して来た。
「ははあ、何者かいるらしい。いずれ悪者の仲間であろう」
呟きながら紋太夫は足早にそっちへ進んで行った。はたして一人の大男が、狭い坑道に立ちはだかり、豪然と焚火に当たっていたが、紋太夫を見ると、手を拡げ、大きな声で叫び出した。何の事だか解らない。
そこで紋太夫は十八番の手真似をもって話しかけた。
「何用あって俺を止めた」まずこれから食ってかかる。
「見れば見慣れない人間だが、貴様はいったい何者だ?」大男は聞き返した。
「俺は東邦の人間だ。壺の神の神殿へ行く」
「おお行きたくば行くがよい。しかしその前にこの関門を、貴様どうして通るつもりだ」
「関門とは何だ? 何が関門だ?」
「すなわちここが関門よ。そうして俺こそ関守よ」
「関門であろうと関守であろうと、俺は腕ずくで通って見せる」
「腕ずくでは駄目だ、智恵で通れ」
「おお面白い。何でも尋ねろ。紋太夫即座に答えて見せる」こう云うとポンと胸を打った。
「それ訊くぞ。答えろよ」大男はニヤリと笑った。
「使えば使うほど殖えるものは何んだ?」
「へん、べらぼうめ。そんな事か。他でもねえ人間の智恵だ。さあドシドシ訊くがいい」紋太夫は大得意だ。
「形がなくて声がある、早く走るけれども足がない。これは何んだ、当てて見ろ」
「いよいよ益愚劣だな。それは風と云うものだ。さあ何でも訊くがいい」
「だんだん肥えてだんだん痩せる。死んでも死んでも生まれるものは何んだ?」
「智恵のねえ事を訊きゃあがるな。それはな、空のお月様だ」
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