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大捕物仙人壺(おおとりものせんにんつぼ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-2 6:26:25  点击:  切换到繁體中文


 この間に世間は一変し、世は王政維新となり、そうして奠都てんとが行なわれた。
 江戸が東京と改名され、大名はいずれも華族となり、一世の豪傑勝安房守かつあわのかみも、伯爵の栄爵を授けられた。
 ところで義哉よしやはどうしたろう?
 義哉は清元の太夫たゆうとなった。
 ところでおきんはどうしたろう?
 お錦の身の上にも変化があった。まず許嫁いいなづけ伊太郎いたろうが、肺を病んで病没した。そうして大家伊丹屋は、維新の変動で没落した。
 そこで、お錦は自然の勢いで、小堀義哉の女房となった。二人にとってはこのことは、願ってもない幸いであった。勿論琴瑟きんしつ相和した。
 義哉の芸名は延太夫えんだゆうと云った。
 即ち清元延太夫きよもとえんだゆうである。もとが立派な旗本で、芸風に非常な気品があった。それが上流に愛されて、豊かな生活をすることが出来た。
 貴顕富豪きけんふごうに持てはやされ、引っ張り凧の有様であった。
 勝海舟は風流人で、茶屋の女将や相撲取や諸芸人を贔屓ひいきにした。
 そこで、延太夫の小堀義哉も、よく屋敷へ招かれた。

28[#「28」は縦中横]

 ある日延太夫えんだゆう常時いつものように、海舟の屋敷に招かれた。
「時に先生、不思議なことがあります」こう云うと延太夫は懐中から小さい壺を取り出した。「実は小石川の古道具屋で、手に入れたものでございますが、奇怪なことには深夜になると、音を発するのでございます。それが、しかも音楽なので。……」
「ほほう、そいつは不思議だな」こう云いながら海舟は、小さい壺を手にった。
「別に変った壺でもないが」
 すると座に居た尚古堂しょうこどうが「拝見」と云って受け取った。
 尚古堂は本姓を本居信久もとおりのぶひさ、当時一流の好事家で、海舟の屋敷へ出入りをしていた。
 じっと壺に見入ったが、
「や、これは仙人壺だ!」驚いたように声を上げた。
「仙人壺だって? 妙な名だな。古事来歴を話してくれ」海舟はこう云って微笑した。
「宋朝古渡りの素焼壺で、吉凶共にいちじるしいもの、容易ならぬ器でございます」尚古堂は気味悪そうに云った。夜な夜な音を発するのは、焼の加減でございまして、質の密度が夜気の変化で動揺するからでございます。これは不思議でございません。ちょうど茶釜が火に掛けられると、松風の音を立てるのと、全く同じでございます。……が、この壺には世にもあやしい、一つの伝説がまつわって居ります。よろしければお話し致しましょう」
「聞きたいものだ、話してくれ」海舟も延太夫も膝を進めた。
「では、お話し致しましょう」
 尚古堂は話し出した。

 戦国時代の物語である。
 甲州には武田家が威をふるっていた。その頃金兵衛という商人があった。いわゆる今日のブローカーであった。永禄えいろく四年の夏のことであったが、小諸こもろの町へ出ようとして、四阿あずま山の峠へ差しかかった。そうして計らずも道に迷った。と、木の陰に四五人の樵夫きこりが、何か大声でわめいていた。近寄って見ると彼らのうちに、一人の老人が雑っていた。襤褸ぼろを纏った乞食風ではあったが、風貌は高朗こうろうと気高かった。その老人がこんなことを云った。
「ここに小さな壺がある。が、普通の壺ではない。摩訶不思議まかふしぎの仙人壺だ。そうして俺は仙人だ、嘘だと思うなら見ているがいい。この壺の中へ飛び込んで見せる」
 それから老人は立ち上り、一じょうあまりも飛び上った。と、体が細まりくびれ、煙のように朦朧となり、やがてあたかも尾を引くように、壺の中に入って行った。
「見事々々!」と樵夫どもは、手を叩いて喝采したが、物慾の少ない彼らだったので、そのままそこを立ち去った。
 よろこんだのは金兵衛で「こいつを香具師やしに売ってやろう。うん、一釜ひとかま起こせるかもしれねえ」壺を抱えて山を下った。
 さてその晩旅籠はたごへ泊まると、早速怪奇が行なわれた。壺が音楽を奏したのである。金兵衛はとうとう発狂した。旅籠の主人は仰天し、この壺を役人へ手渡した。それを聞いたのが勝頼かつよりで「面白い壺だ、持って来るがいい」
 で、その壺は勝頼の手で大事に保管されることになった。大豪たいごうの武田勝頼には、仙人壺もたたらなかったらしい。いやいや決してそうではなかった。壺は大いに祟ったのである。ある夜壺は音楽を奏した。これが勝頼にはこんなように聞こえた。
天目山てんもくざんへ埋めろ! 天目山へ埋めろ!」
 さすがの勝頼も気味悪くなり、侍臣じしんをして天目山へ埋めさせた。
 しかし祟りはそればかりではなかった。
 天正てんしょう十年三月における、武田と織田との合戦で、勝頼は散々に敗北した。で止むを得ずわずかの部下と共に天目山へ立籠った。すると、にわかに鳴動が起こり、壺が地中から舞い上り、同時に天地は晦冥かいめいとなった。
 勝頼はその間に切腹し、全く武田家は亡びてしまった。
「と、こういう伝説でございますので。……その後手に入れた綱吉つなよし公が、将軍職になりましたし、柳沢侯が出世しましたので、幸福の象徴となりましたが、しかし将軍綱吉侯は――大きな声では云えませんが、奥方の寝室ねやの中で暗殺され、つづいて柳沢侯は失脚しました。やはりこの壺はそういう意味から云うと、悪運の壺なのでございます」[#「でございます」」は底本では「でございます」]

29[#「29」は縦中横]

 家へ帰って来た延太夫は、早速女房のお錦を呼んだ。
 そうして勝家かつけでの話しをした。
「恐ろしい壺でございますことね。で、その壺はどうなさいました」
「伯爵様がおこわしなされた。別に変事も起らなかった。ところで地図はどうしたえ?」
「壺に附いていた地図ですね。……ええここにございますわ」お錦は手文庫から取り出した。
「こんな物は焼いた方がいい」
 延太夫は火をつけた。すると、火熱に暖められた地図のおもて文字もんじが浮かんだ。
 そこで急いで火を吹き消した。
 こう紙面には記されてあった。
紫錦しきんよ、わしは「とっつあん」だ。これはお前への遺言だ。そうしてお前はわしの子だ。わしの本名は藤九郎だ。その頃わしは悪党だった。わしは宝壺を盗み出した。だが、ちっとも幸福ではなかった。その後釜無かまなしの中洲へ埋めた。そこで改めてお前へ云う、お前はわしの実の子だと。女房お半の産んだ子だと。その頃わしは諏訪にいた。伊丹屋の借家に住んでいた。その時伊丹屋でも女の子を産んだ。そこで俺は考えた。ひとつ子供を取り代えてやろうと。これは親の愛からだ。お前がわしの子である以上は、一生出世はしないだろう。しかし伊丹屋の子となったら、どんな栄華にでも耽ることが出来る。そこで、わしは取り代えた。勿論伊丹屋では気が付かず、お染と名を付けて寵愛した。そうして本当の伊丹屋の子は、わしらの手で育てようとした。ところが二日目に死んでしまった。さて万事旨く行った。ところが神様の罰があたり、わし迂闊うっかりその秘密を「釜無かまなしぶん」めに話してしまった。文は宝壺をよこせと云った。だがわしは承知しなかった。そこで文めは仇をした。お前――即ち伊丹屋のお染を、いたちを使って盗み出し、そうしてお前を女太夫に仕込み、そうしてわしから身を隠した。わしはどんなに探したろう。だが容易に目付めつからなかった。長い年月が過ぎ去った。と、偶然お前に会った。するとどうだろうわしの子は、また伊丹屋の養女となって立派に暮らしているではないか。わしはすっかり満足した。もうわしは死んでもいい。どうぞ立派に暮らしておくれ。……さて例の宝壺だが、これは吉凶きっきょう両面の壺だ。悪人が持てばたたりがあるが、だが善人が持つ時は、福徳円満を得るそうだ。可愛い可愛いわしの娘よ、どうぞ心を綺麗に持って、よい暮らしをしておくれ。そうして地図を手頼たよりにして、釜無川の中洲へ行き、宝壺を掘り出すがいい」
 読んでしまうと二人の者は、互に顔を見合わせた。意外な事実に驚いたのである。
「それでは気味の悪かったお爺さんは、わたしの実の親だったのかねえ?」
 お錦の感慨は深かった。
「そのお父さんはどうしたろう?」
 そのお父さんはとうの昔に、病気でこの世を去っていた。
 そうして現在の二人にとっては、宝壺などは不必要であった。
 なぜというに今の二人は、充分幸福だからである。





底本:「国枝史郎伝奇全集 巻一」未知谷
   1992(平成4)年11月20日初版発行
初出:「太陽」博文館
   1925(大正14)年7月~12月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:阿和泉拓
校正:湯地光弘
2005年2月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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