この間に世間は一変し、世は王政維新となり、そうして奠都が行なわれた。
江戸が東京と改名され、大名はいずれも華族となり、一世の豪傑勝安房守も、伯爵の栄爵を授けられた。
ところで義哉はどうしたろう?
義哉は清元の太夫となった。
ところでお錦はどうしたろう?
お錦の身の上にも変化があった。まず許嫁の伊太郎が、肺を病んで病没した。そうして大家伊丹屋は、維新の変動で没落した。
そこで、お錦は自然の勢いで、小堀義哉の女房となった。二人にとってはこのことは、願ってもない幸いであった。勿論琴瑟相和した。
義哉の芸名は延太夫と云った。
即ち清元延太夫である。もとが立派な旗本で、芸風に非常な気品があった。それが上流に愛されて、豊かな生活をすることが出来た。
貴顕富豪に持て囃され、引っ張り凧の有様であった。
勝海舟は風流人で、茶屋の女将や相撲取や諸芸人を贔屓にした。
そこで、延太夫の小堀義哉も、よく屋敷へ招かれた。
28[#「28」は縦中横]
ある日延太夫は常時のように、海舟の屋敷に招かれた。
「時に先生、不思議なことがあります」こう云うと延太夫は懐中から小さい壺を取り出した。「実は小石川の古道具屋で、手に入れたものでございますが、奇怪なことには深夜になると、音を発するのでございます。それが、しかも音楽なので。……」
「ほほう、そいつは不思議だな」こう云いながら海舟は、小さい壺を手に執った。
「別に変った壺でもないが」
すると座に居た尚古堂が「拝見」と云って受け取った。
尚古堂は本姓を本居信久、当時一流の好事家で、海舟の屋敷へ出入りをしていた。
じっと壺に見入ったが、
「や、これは仙人壺だ!」驚いたように声を上げた。
「仙人壺だって? 妙な名だな。古事来歴を話してくれ」海舟はこう云って微笑した。
「宋朝古渡りの素焼壺で、吉凶共に著しいもの、容易ならぬ器でございます」尚古堂は気味悪そうに云った。夜な夜な音を発するのは、焼の加減でございまして、質の密度が夜気の変化で動揺するからでございます。これは不思議でございません。ちょうど茶釜が火に掛けられると、松風の音を立てるのと、全く同じでございます。……が、この壺には世にも怪しい、一つの伝説がまつわって居ります。よろしければお話し致しましょう」
「聞きたいものだ、話してくれ」海舟も延太夫も膝を進めた。
「では、お話し致しましょう」
尚古堂は話し出した。
戦国時代の物語である。
甲州には武田家が威を揮っていた。その頃金兵衛という商人があった。いわゆる今日のブローカーであった。永禄四年の夏のことであったが、小諸の町へ出ようとして、四阿山の峠へ差しかかった。そうして計らずも道に迷った。と、木の陰に四五人の樵夫が、何か大声で喚いていた。近寄って見ると彼らの中に、一人の老人が雑っていた。襤褸を纏った乞食風ではあったが、風貌は高朗と気高かった。その老人がこんなことを云った。
「ここに小さな壺がある。が、普通の壺ではない。摩訶不思議の仙人壺だ。そうして俺は仙人だ、嘘だと思うなら見ているがいい。この壺の中へ飛び込んで見せる」
それから老人は立ち上り、一丈あまりも飛び上った。と、体が細まりくびれ、煙のように朦朧となり、やがてあたかも尾を引くように、壺の中に入って行った。
「見事々々!」と樵夫どもは、手を叩いて喝采したが、物慾の少ない彼らだったので、そのままそこを立ち去った。
よろこんだのは金兵衛で「こいつを香具師に売ってやろう。うん、一釜起こせるかもしれねえ」壺を抱えて山を下った。
さてその晩旅籠へ泊まると、早速怪奇が行なわれた。壺が音楽を奏したのである。金兵衛はとうとう発狂した。旅籠の主人は仰天し、この壺を役人へ手渡した。それを聞いたのが勝頼で「面白い壺だ、持って来るがいい」
で、その壺は勝頼の手で大事に保管されることになった。大豪の武田勝頼には、仙人壺も祟らなかったらしい。いやいや決してそうではなかった。壺は大いに祟ったのである。ある夜壺は音楽を奏した。これが勝頼にはこんなように聞こえた。
「天目山へ埋めろ! 天目山へ埋めろ!」
さすがの勝頼も気味悪くなり、侍臣をして天目山へ埋めさせた。
しかし祟りはそればかりではなかった。
天正十年三月における、武田と織田との合戦で、勝頼は散々に敗北した。で止むを得ず僅の部下と共に天目山へ立籠った。すると、にわかに鳴動が起こり、壺が地中から舞い上り、同時に天地は晦冥となった。
勝頼はその間に切腹し、全く武田家は亡びてしまった。
「と、こういう伝説でございますので。……その後手に入れた綱吉公が、将軍職になりましたし、柳沢侯が出世しましたので、幸福の象徴となりましたが、しかし将軍綱吉侯は――大きな声では云えませんが、奥方の寝室の中で暗殺され、つづいて柳沢侯は失脚しました。やはりこの壺はそういう意味から云うと、悪運の壺なのでございます」[#「でございます」」は底本では「でございます」]
29[#「29」は縦中横]
家へ帰って来た延太夫は、早速女房のお錦を呼んだ。
そうして勝家での話しをした。
「恐ろしい壺でございますことね。で、その壺はどうなさいました」
「伯爵様がお壊しなされた。別に変事も起らなかった。ところで地図はどうしたえ?」
「壺に附いていた地図ですね。……ええここにございますわ」お錦は手文庫から取り出した。
「こんな物は焼いた方がいい」
延太夫は火をつけた。すると、火熱に暖められた地図の面へ文字が浮かんだ。
そこで急いで火を吹き消した。
こう紙面には記されてあった。
「紫錦よ、わしは「爺つあん」だ。これはお前への遺言だ。そうしてお前はわしの子だ。わしの本名は藤九郎だ。その頃わしは悪党だった。わしは宝壺を盗み出した。だが、ちっとも幸福ではなかった。その後釜無の中洲へ埋めた。そこで改めてお前へ云う、お前はわしの実の子だと。女房お半の産んだ子だと。その頃わしは諏訪にいた。伊丹屋の借家に住んでいた。その時伊丹屋でも女の子を産んだ。そこで俺は考えた。ひとつ子供を取り代えてやろうと。これは親の愛からだ。お前がわしの子である以上は、一生出世はしないだろう。しかし伊丹屋の子となったら、どんな栄華にでも耽ることが出来る。そこで、わしは取り代えた。勿論伊丹屋では気が付かず、お染と名を付けて寵愛した。そうして本当の伊丹屋の子は、わしらの手で育てようとした。ところが二日目に死んでしまった。さて万事旨く行った。ところが神様の罰があたり、わしは迂闊りその秘密を「釜無の文」めに話してしまった。文は宝壺をよこせと云った。だがわしは承知しなかった。そこで文めは仇をした。お前――即ち伊丹屋のお染を、鼬を使って盗み出し、そうしてお前を女太夫に仕込み、そうしてわしから身を隠した。わしはどんなに探したろう。だが容易に目付からなかった。長い年月が過ぎ去った。と、偶然お前に会った。するとどうだろうわしの子は、また伊丹屋の養女となって立派に暮らしているではないか。わしはすっかり満足した。もうわしは死んでもいい。どうぞ立派に暮らしておくれ。……さて例の宝壺だが、これは吉凶両面の壺だ。悪人が持てば祟りがあるが、だが善人が持つ時は、福徳円満を得るそうだ。可愛い可愛いわしの娘よ、どうぞ心を綺麗に持って、よい暮らしをしておくれ。そうして地図を手頼りにして、釜無川の中洲へ行き、宝壺を掘り出すがいい」
読んでしまうと二人の者は、互に顔を見合わせた。意外な事実に驚いたのである。
「それでは気味の悪かったお爺さんは、妾の実の親だったのかねえ?」
お錦の感慨は深かった。
「そのお父さんはどうしたろう?」
そのお父さんはとうの昔に、病気でこの世を去っていた。
そうして現在の二人にとっては、宝壺などは不必要であった。
なぜというに今の二人は、充分幸福だからである。
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