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大鵬のゆくえ(おおとりのゆくえ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-2 6:23:32  点击:  切换到繁體中文

底本: 銅銭会事変 短編
出版社: 国枝史郎伝奇文庫27、講談社
初版発行日: 1976(昭和51)年10月28日
入力に使用: 1976(昭和51)年10月28日第1刷
校正に使用:  

 

  吉備彦来訪

 読者諸君よ、しばらくの間、過去の事件について語らしめよ。……などと気障きざな前置きをするのも実は必要があるからである。
 一人の貧弱みすぼらしい老人が信輔のぶすけの邸を訪ずれた。
 平安朝時代のことである。
 当時藤原信輔といえば土佐の名手として世に名高く殊には堂々たるお公卿様。容易なことでは逢うことさえ出来ない。
「そんな貧弱みすぼらしい風態でお目にかかりたいとは何んの痴事たわごと! 莫迦を云わずと帰れ帰れ」
 取り次ぎの者は剣もホロロだ。
「はいはいごもっともではござりますが、まあまあさようおっしゃらずにお取り次ぎお願い申します。……宇治の牛丸が参ったとこうおっしゃってくださいますよう」
 おやじはなかなか帰りそうにもしない。
 で、取り次ぎは内へはいった。
 おりから信輔は画室に籠もって源平絵巻に筆をつけていたが、
「何、宇治の牛丸とな? それはそれは珍しい。叮嚀に奥へお通し申せ」
「へへえ、さようでございますかな。……あのお逢い遊ばすので?」取り次ぎの者は不審そうに訊く。
「おお、お目にかかるとも」
「そこでお伺い申しますが、宇治の牛丸と申すおやじ、本性は何者でござりましょうや?」
「妖怪変化ではあるまいし、本性などとは無礼であろうぞ。宇治の牛丸と申すのは馬飼吉備彦うまかいきびひこの変名じゃわい」
「うへえ!」
 と取り次ぎの山吹丸はそれを聞くと大仰に眼を丸くしたが、
「馬飼吉備彦と申しますれば本邦第一の物持ち長者と、かよう聞き及んでおりましたが……」
「その長者の吉備彦じゃわい」
「それに致してはその風態みなりがあまりに粗末にござります」
「ほほう、どのような風態かな?」
「木綿のゴツゴツの布子を着……」
「恐らくそれは結城紬ゆうきつむぎであろう」
 まさか藤原氏の全盛時代には結城紬などはなかった筈。
 それはとにかく吉備彦は館の奥へ通された。それお菓子、それお茶よ。それも掻い撫での茶菓ではない。鶴屋八幡の煎餅に藤村の羊羹というのだからプロの口などへははいりそうもない。
 ややあって信輔があらわれた。
「よう見えられたの吉備彦殿」
「これはこれはご前様。ご多忙中にもかかわらず、お目通りお許しくだされまして、有難い仕合わせに存じます」
 ――とにかくこういう意味のことを吉備彦はいったに相違ない。昔の会話はむずかしい。それを今に写そうとしても滅多に出来るものではない。武士は武士、公卿は公卿、ちゃアんと差別けじめがあった筈だ。それをいちいち使い分けて原稿紙の上へ現わそうとするには、一年や二年の研究では出来ぬ。よしまたそれが出来るにしても、そうそう永く研究していたでは飯の食い上げになろうというもの。
「ところでわざわざ遠い宇治から麿まろを訪ねて参られた。火急の用のあってかな」
 信輔は不思議そうに訊いたものである。
「火急と申すではござりませぬが、是非ともご前の彩管を煩わしたき事ござりまして参上致しましてござります」
 ……吉備彦はうやうやしく云うのであった。


    不思議な願い

「ははあそれでは絵のご用か」
「仰せの通りにござります」
「よろしゅうござる。何んでも描きましょう」
 信輔すぐに承引しょういんした。氏長者うじのちょうじゃ依頼たのみであろうとポンポン断る信輔が、こう早速に引き受けたのはハテ面妖というべきであるが、そこには蓋もあれば底もあり、実は信輔この吉備彦に借金をしているのであった。あえて信輔ばかりでなくこの時代の公卿という公卿は、おおかた吉備彦に借りがあった。それで頭が上がらなかった。恐るべきは金と女! もう間もなくその女も物語の中へ現われよう。
「ところでどういう図柄かな?」
「はい」
 といって吉備彦は懐中から紙を取り出した。「どうぞご覧くださいますよう」
「どれ」
 と信輔は受け取った。
「おおこれは……」
 というところを、吉備彦は急いで手で抑えた。
「壁にも耳がござります。……何事も内密に内密に」
「別に変わった図柄でもないが?」
「他に註文がござります」
「うむ、さようか。云って見るがいい」
「お耳を」と云いながら膝行いざり寄った。
 何か吉備彦はささやいた。
 この吉備彦の囁きたるや前代未聞の奇怪事で、これがすなわちこの物語のいわゆる大切のタネなのである。
「これは変わった註文じゃの」
 信輔もひどく驚いたらしい。
「それに致してもどういうところからそういう心になったのじゃな?」
「別に訳とてはござりませぬがただ私めはそう致した方が子孫のためかと存じまして」
「子孫のためだと? これはおかしい。そっくり財宝たからを譲った方がどんなにか子供達は喜ぶかしれぬ」
「仰せの通りにござります。恐らく子供達は喜びましょう。それがいけないのでござります」
「はてな? 麿まろには解らぬが」
「家財を受け継いだ子供達は、その家財を無駄に使い、世を害するに相違ござりませぬ。必ず他人ひとにも怨まれましょう。破滅の基でござります。それに第一私一代でこの商法は止めに致したく考えおります次第でもあり」
「それではいよいよそうするか」
「是非お願い致します」
「しかしどうもそれにしても変な絵巻を頼まれたものじゃ。まるでこれでは判じ絵だからの。……よしよし他ならぬお前の依頼たのみじゃ。大いに腕をふるうとしようぞ」
「そこでいつ頃出来ましょうか?」
「一人を仕上げるに一月はかかろう?」
「では六ヵ月後に参ります」
「六人描くのだから六ヵ月後だな」
「何分お願い申し上げます。その間に私めも家財の方を処分致すつもりにござります」
 馬飼吉備彦は帰って行った。
(かくて月日に関守せきもりなく五月あまり一月の日はあわただしくも過ぎにけらし)と昔の文章なら書くところである……吉備彦は宇治から京へ出た。
「おお吉備彦か、よく参った。約束通り描いておいたぞ」
 信輔卿は一巻の絵巻を吉備彦の前へ押し拡げた。
 それは六歌仙の絵であった。……在原業平ありわらのなりひら僧正遍昭そうじょうへんじょう喜撰法師きせんほうし文屋康秀ふんやのやすひで大友黒主おおとものくろぬし小野小町おののこまち……六人の姿が描かれてある。


    この謎語なんと解こう

 馬飼吉備彦の財産がどのくらいあったかというようなことは僕といえども明瞭には知らぬ。とまれ素晴らしい額であり紀文、奈良茂、三井、三菱、ないし藤田、鈴木などよりもっともっと輪をかけた富豪であったということである。しかし当時の記録にも古文書などにも吉備彦の事はなんら一行も書いてない。で意地の悪い読者の中にはこの事実を楯に取って吉備彦などと云う人間は存在しなかったとおっしゃるかもしれない。よろしい、僕はそういう人にはこういうことを云ってやろうと思う。
 藤原時代の歴史たるや悉く貴族の歴史であって民衆の歴史ではなかったからだと。
 吉備彦は富豪ではあったけれど貴族ではなくて賤民であった。綽名あだなを牛丸というだけあって彼の職業は牛飼いであった。姓を馬飼うまかいと云いながら牛を飼うとはコレいかに? と、皮肉な読者は突っ込むかも知れないが、事実彼の商売は卑しい卑しい牛飼いであった。無論傍ら金貸しもした。
 そういう卑しい賤民のことが貴族歴史へ載る筈があろうか。
 さて、吉備彦は家へ帰ると六人の子供を呼び集めた。あがた赤魚あかえ月丸つきまるさば小次郎こじろう、お小夜さよの六人である。お小夜だけが女である。
「ここに六歌仙の絵巻がある。お前達六人にこれをくれる。大事にかけて持っているがいい。……俺は今無財産だ? 俺は家財を棄ててしまった。いやある所へ隠したのだ。俺からお前達へ譲るものといえばこの絵巻一巻だけだ。大事にかけて持っているがいい。……ところで俺は旅へ出るから家を出た日を命日と思って時々線香でもあげてくれ」
 これが吉備彦の遺訓であった。
 吉備彦は翌日家を出た。
 鈴鹿峠までやって来ると山賊どもに襲われた。山賊に斬られて呼吸いきを引き取る時こういったということである。
道標みちしるべ、畑の中。お日様は西だ。影がうつる? 影がうつる? 影がうつる?」
 まことに変な言葉ではある。
 山賊の頭は世に轟いた明神太郎という豪の者であったが、ひどくこの言葉を面白がって、時々真似をして喜んだそうだ。で、手下どももいつの間にかおかしらの口真似をするようになり、それがだんだん拡がって日本全国の盗賊達までその口真似をするようになった。
道標みちしるべ。畑の中。お日様は西だ。影がうつる? 影がうつる? 影がうつる?」
 この暗示的な謎のような言葉は爾来代々の盗賊によっていい伝えられ語り継がれて来て、源平時代、北条時代、足利時代、戦国時代、豊臣時代を経過してとうとう徳川も幕末に近い文政時代まで伝わって来た。
 そうして文政の某年に至って一つの事件を産むことになったが、その事件を語る前に例の六歌仙の絵巻について少しくお喋舌しゃべりをすることにしよう。
 絵巻を貰った六人の子は、ひどく憤慨したものである。
「いったい何んでえこのざまは!」まず長男の県丸あがたまるが口穢く罵った。「六歌仙がどうしたというのだろう! 小町が物を云いもしめえ。とかく浮世は色と金だ。その金を隠したとは呆れたものだ」
「いいや俺は呆れもしねえ」次男の赤魚あかえがベソを掻きながら、「明日からおいらはどうするんだ。一文なしじゃ食うことも出来ねえ」
「待ったり待ったり」
 と云ったのは小利口の三男月丸であった。
「これには訳がありそうだ。……ううむ秘密はここにあるのだ。この絵巻の六歌仙にな」
「私達は六人、絵巻も六人、ちょうど一枚ずつ分けられる。六歌仙を分けようじゃありませんか」
 四男の鯖丸さばまるが意見を云う。
「よかろう」
 と云ったのは五男の小次郎で、
わたしは女のことですから小野小町が欲しゅうござんす」
 お小夜さよが最後にこう云ったが、これはもっともの希望のぞみというので小町はお小夜が取ることになった。

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