怪しの館 短編 |
国枝史郎伝奇文庫28、講談社 |
1976(昭和51)年11月12日 |
1976(昭和51)年11月12日第1刷 |
1976(昭和51)年11月12日第1刷 |
一
ここは浅草の奥山である。そこに一軒の料理屋があった。その奥まった一室である。
四人の武士が話している。
夜である。初夏の宵だ。
「どうでも誘拐す必要がある」
こういったのは三十年輩の、いやらしいほどの美男の武士で、寺侍かとも思われる。俳優といってもよさそうである。衣裳も持ち物も立派である。が、寺侍でも俳優でもなく、どうやら裕福の浪人らしい。
「どうして誘拐いたしましょう?」
こうきいたのは三十二、三の武士で、これは貧しい浪人らしい。左の小指が一本ない。はたしあいにでもまけて切られたのだろう。全体が卑しく物ほしそうである。
「そこはお前達工夫をするさ」
美男の武士はそっけない。
「どうしたものかの?」
と小指のない武士は、一人の武士へ話しかけた。誘拐の相談をしたのである。
「さればさ」
といったのは、二十八、九の、これも貧しげで物ほしそうで、そうして卑しげな浪人であったが、頤にやけどのあとがあった。「姿をやつして立ち廻り、外へ出たところをさらうがよかろう」
「駄目だ、駄目」
と抑えたのは例の美男の武士であった。
「期限があるのだ、誘拐の期限が。それを過ごすと無駄になる。外へ出たところをさらうなどと、悠長なことはしていられない。今夜だ、今夜だ、今夜のうちにさらえ」
「では」
といったのはもう一人の武士で、四十がらみで薄あばたがあり、やはり同じく浪人と見え、衣裳も大小もみすぼらしい。
「ではともかくも姿をやつし、屋敷の門前を徘徊し、様子を計って忍び込み、何んとか玉を引き上げましょう」
「それがよかろう。ぜひに頼む」――美男の武士はうなずいた。「しかし一方潜入の方も、間違いないように手配りをな」
「この方がかえって楽でござる」こういったのはやけどのある武士で、「人殺し商売は慣れておりますからな」
「それにさ」と今度は薄あばたのある武士が、「敵には防備もないそうで」
「うん」といったは美男の武士である。「それに相手そのものが、一向腕ききではないのだからの」
「とはいえ聡明な人物とか、どんな素晴らしい用心を、いたしておるかもしれませんな」
やけどのあとのある武士である。
「そうだそうだ、それは判らぬ」美男の武士は合槌をうった。「で、十分いい含めてな」
「よろしゅうござる。大丈夫でござる。……島路、大里、矢田、小泉、これらの手合いへも申し含めましょう。……いや実際あの連中と来ては、飯より人殺しが好物なので」
「それはそうと花垣殿」ニヤニヤ笑いながら美男の武士へ、こういったのは薄あばたのある武士、「報酬に間違いはありますまいな」
すると花垣と呼ばれた武士は――その名は志津馬というのであったが、さも呑み込んだというように、ポンとばかりに胸を打った。「大丈夫だよ、安心するがいい」
「これはそうなくてはなりますまいて。濡れ手で粟のつかみ取り――という次第でございますからな」
「その代わりこいつが失敗すると」花垣志津馬不安そうである。「あべこべに相手にしてやられる」
「だからわれわれを鞭撻し、十分にお働かせなさるがよろしい」ちょっと凄味を見せたのは、指の欠けている武士であった。
「というのはどういう意味なのかな?」
ちゃアんと分っておりながら、知らないように志津馬がいう。
「いただきたいもので、前祝いを」
「酒はさっきから飲んでいるではないか」
こういいながら花垣志津馬は飲み散らした杯盤を眺めやった。
と、ハッハッという笑声が、三人の口から同時に出た。
「酒も黄金の色ではあるが、ちと、その、どうも水っぽくてな」
「チャリンチャリンと音のするやつを」
「なんだなんだ、金がほしいのか」
今気がついたというように、花垣志津馬は苦笑したが、
「持ってけ持ってけ。……分けろ分けろ」
「これは莫大……」
「十両ずつかな」
「後へ二十両残りそうだ」
「うん、しめて五十両か」
安浪人め、三人ながら、手を延ばすとあわててひっつかんだが、ちょうどこの頃一軒の屋敷の、一つの部屋で一人の武士が誰にともなく話しかけている。
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