六
「駆け落ちの日にちと刻限とに、間違いがあっちゃア大変だが」
「今日から五日後の子の刻さ。たしかめておいたから大丈夫だよ」
「お前も従いて行くんだったな」
「そうさ途中までお見送りするのさ。お嬢様は可愛らしいよ、何から何まで、妾にだけはお明かしなさるのだから」
「そこがこっちのつけめなのだが……それにしても鶴吉というあの男、お小夜坊ばかりを連れ出して、それで満足するような、優しい玉とは思われないが」
「これまでにお嬢様の手を通して、いろいろの物を引きだしたらしいよ」
「証拠になるような品をだろう」
「ああそうさ、証拠になるような品さ」
「ところで職場の仕事だが、どうだな、はかどっているようかな」
「それだけは妾にもわからないのさ。こしらえた端から化け物屋敷の方へ、こっそり運んで行くのだからねえ」
「そういうことは鶴吉って男も、とうに知っているだろうに、化け物屋敷を調べないとは、どうにも俺には腑におちないよ」
「これから調べるのかもしれないじゃアないか」
「そうよなア、そうかもしれない……駆け落ちの前にか、駆け落ちの夜にかな」
私は背後の地袋を開け、木箱を取り出し、その中から太い竹の筒を取り出しました。
「こいつ湿らせちゃア大変だ」
「変な物だねえ、何なのさ?」
「いってみりゃア地雷火さ。普通にゃ落火というが」
「地雷火? まア、気味の悪い……どうしてお前さんそんなものを?」
「お殿様から下げ渡されたのさ」
「お殿様って? どこのお殿様?」
「殿様に二人あるものか。俺等のご主君は犬山の御前さ」
「それじゃア成瀬様から。……でも、成瀬様がそんな恐ろしいものを……」
「いよいよの場合には火をかけろってね、俺等前もって言いつけられているのさ」
この時露路のあちこちで、犬が吠え出しましてございます。私は竹筒を木箱の中へ納め、また地袋の中へ押し入れて、犬の吠え声に耳をかしげましたが、「あらかた話は済んだらしいな。それじゃア……」
「何がさ」
「隣の部屋に紅裏の布団が敷いてあるってことさ」
「ばからしい、……わたしゃア小母様が病気だから、ちょっと見舞いに行って来るといって、お暇をいただいて来たんだよ」
「ありもしない小母様に病気をさせて、情夫に逢いに来るなんて、隅に置けない歌舞伎者さ」
「その歌舞伎者で心配になったよ。行き倒れ者に自分を仕組んで、持田様へ抱え込まれ、ずるずるべったりに居ついてしまって、お嬢様をたらしたあの鶴吉、わたしの居ない間に、二番狂言でも仕組んで、わたしたちを出し抜きゃアしないかとねえ」
「それじゃアすぐに帰る気か」
「どうしよう」
「じらすのか。……それともじれているのか……」
「あれ、痛いよ」
見る眼に痛い絵模様となりましたので……。
七
相変らず菰をかむり、竹の杖をつき、面桶を抱えた、乞食のわたしが、庄内川の方へ辿って行きましたのは、それから五日後の夜のことでした。
化け物屋敷の前まで来ました。
一町四方もある、宏大なお屋敷は、樹木と土塀とで、厳重に囲まれておりまして、外から見ますると、内部の建物は、家根さえ見えないほどなのでございます。
しばらくわたしは土塀について、お屋敷の周囲をまわりました。と、東側の小門から小半町ほど距たった辺に、こんもりした林がありました。それをわたしは眺めやりましたが(あれに任かせて置けば大丈夫さ)と、こう心中で思いまして、そのまま先へ進んで行きました。足場のよいところまでやって来ました。そこでわたしは木立へ登り、そこから土塀の頂へ登り、お屋敷の構内へ飛び下りました。構内の土塀近くに茂っているのは、松や楓や槇や桜の、植え込みでございました。
(塀外の木立ちと高い厚い土塀と、そうして内側のこの植え込みとで、こう厳重に鎧われたんでは、屋敷内で何を企てようと、外からは見えもしなければ聞こえもしない。ましてその上に化け物屋敷などという、気味の悪い噂を立てておいたら、近寄ろうとする人はないだろう。)[#「近寄ろうとする人はないだろう。)」は底本では「近寄ろうとする人はないだろう。」]
そんなことをわたしは思いながら、植え込みをわけて進んで行きました。と行く手から大勢の人声や、物を打つ音や物を切る音やが、潮の遠鳴りのように聞こえ、燈の光なども見えて来ました。不意にその時人声が、此方へ近づいて参りましたので、わたしは藪蔭へ身をかくしました。
「見慣れない奴でありましたよ」
「外から忍び込んだ人間らしい」
「どうあろうとさがし出して捕えねば……」
それは二人のお侍さんでした。
「居た!」
とその中の一人が、わたしを目付けて叫び、手取りにしようとしてか組みついて来ました。(やむを得ない)と思って、わたしは竹の杖を突き出しました。もちろん急所へあてたんで。かすかに呻き声をあげたばかりで、そのお侍さんは倒れてしまいました。
「曲者!」
この人は斬り込んで来ました。
でもその人も倒れてしまいました。
わたしの突き出した竹の杖が、うまく鳩尾へはまったからで。
(ナーニ半刻のご辛棒で。自然と息を吹き返しまさあ)
わたしは先へ進んで行きました。
でもわたしは気が気ではありませんでした。あの鶴吉という男が、わたしのように土塀を乗り越えて、屋敷内にはいり込んだということは、わたしにはわかっておりましたが、愚図愚図しているうちに目的を遂げて、この屋敷から脱け出されたら、一大事と思ったからです。
わたしは先へ進んで行きました。
すると「誰だ!」という声が起こり、つづいて「わッ」という悲鳴が起こり、すぐに「曲者!」と喚く声が聞こえ、つづいて「わッ」という悲鳴が聞こえ、さらに逃げてでも行くらしい、けたたましい足音が聞こえましたが、またもや「わッ」という悲鳴が聞こえ、その後は寂然となってしまいました。
(凄いな。三人殺った! 彼奴だ!)
とわたしは走って行きました。
そうして間もなくわたしは、厳重な旅の仕度をし、黒い頭巾で顔をつつんだ、鶴吉と呼ぶ例の男と、木立ちの中で刀を構えていました。そうですわたしも竹杖仕込みの刀を、ひっこ抜いて構えたのです。
わたしたちの足許にころがっているのは、三人の武士の死骸でした。みんな一太刀で仕止められていました。
(凄い剣技だ、油断するとあぶない)
わたしは必死に構えました。
と、鶴吉は月の光で、わたしの姿を認めたらしく、
「なんだ、貴様、乞食ではないか。……しかし、……本当の乞食ではないな。……宣れ、身分を!」
「そういう貴様こそ身分を宣れ! 庄内川からこの屋敷へ、大水を取り入れるために作り設けた、取入口を探ったり、行き倒れ者に身をして、船大工の棟領持田の家へはいり込み、娘をたぶらかして秘密を探ったり、最後にはこの屋敷へ忍び入り、現場を見届けようとしたり……」
「黙れ! 此奴、それにしてもそこまで俺の素性を知るとは?……さては、汝は、……もしや汝は」
「…………」
「隠密ではないかな? どこぞの国の?」
「…………」
「ものは相談じゃ、いや頼みじゃ、同じ身分のものと見かけ、頼む見遁してくれ」
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