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怪しの者(あやしのもの)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-2 6:13:11  点击:  切换到繁體中文


      四

 ところが、お台所口から射し出しているの光で、その男の地に倒れている姿が、女中衆や下男衆に見えたとみえて、飛び出して来て、
「可哀そうに」
「行き倒れだね」
「自身番へ知らせてやんな」
「何より薬を」
「水を持って来い」
 などと、口々に言って、その男の介抱にかかったではありませんか。その騒がしさに不審を打ちましたものか、持田様のお嬢様と、そのお気に入りのお上女中かみじょちゅうのお柳さんというお方が、奥から出て参られ、
「気の毒だからうちへ入れて介抱してあげたがいいよ」
 と言われました。下男衆がその男をかかえて、家の中へ運んで行く時、その男の顔を覗き、
縹緻きりょうね」
 とお嬢様のお小夜様が、お柳という女中へささやかれたのを聞いて、わたしは厭な気がいたしましたっけ。それというのも日ごろから、そのお美しさと初々ういういしさとに、感心もし敬ってもいる、お小夜様だったからでございます。お小夜様のお年は十九歳でございましたが、すこし小柄でございましたので、十七歳ぐらいにしか眺められず、小さい口、つまみ鼻、はやの形をした艶のある眼、人形そっくりでございました。大工の棟梁とは申しましても、尾張様御用の持田家は、素晴らしい格式を持っていまして、津田助左衛門様、倉田新十郎様、などという、清洲越きよすごえ十九人衆の、大金持の御用達衆ごようたししゅうと、なんの遜色そんしょくもないのでありまして、その持田様のお娘御でございますことゆえ、召されておられるお召し物なども、豪勢なもので、髪飾りなどは銀や玳瑁たいまいでございました。
「ほんとに好い男振りでございますのね」
 とお柳という女中も申しましたっけ。
「馬鹿め、何が好い男だ!」
 とうとうわたしは腹立たしさのあまり、かなり烈しい声で、そう言ったものでございます。するとどうでしょうお柳という女は、わたしをジロリと見返しましたが、「いいじゃアないか、お嫉妬やきでないよ」
 と、言い返したではありませんか。

 それから十日ばかりの日がたちました。ある日わたしはいつものように、縄張りの諸家様しょけさまを廻り、合力ごうりきを受け、夕方帰路につきました。鳥にだって寝倉がありますように、乞食にだって巣はございますので。瓦町かわらまちの方へ歩いて行きました。考えごとをしておりましたので。町の口へ参りましたころには、初夜しょや近くなっておりましたっけ。ふと行く手を見ますと、一人のお侍さんが、思案にくれたように、首を垂れ、肩をちぢめて歩いて行く姿が、月の光でぼんやりと見えました。
(途方にくれているらしい)わたしはおかしくなりました。(殺生せっしょうだが一つからかってやろう)というのは、そのお侍さんの誰であるかが、私にわかっていたからで。
 そこでわたしはお侍さんに近より、
「討ち損じたは貴郎様あなたさまの未熟、それでさがし出して討とうとなされても、あてなしにおさがしなされては、なんではしっこい江戸者などを、さがし出すことができましょう」
 と、ささやくように言ってやりました。
 西条勘右衛門様の驚くまいことか――そう、そのお侍様は西条様なので――ギョッとしたように振りかえられました。でも見廻した西条様の眼には、こもをまとい竹の杖をつき、面桶めんつうを抱いた乞食のほかには、人っ子一人見えなかったはずで。そうしてまさかその乞食が、今のようなことを言ったとは、思わなかったことと存じます。
 はたして西条様は、自分の耳を疑うかのように、首をかしげましたが、やがて足を運ばれました。そこでわたしもしばらくの間は、無言でいて行きました。でもまたこっそり背後うしろへ近寄り、ささやくように言ってやりました。

      五

「大工だと申したではございませんか。ではお城下の大工の棟領を――それも船大工の棟領を、おしらべなさいましたら、あの男の素性も、現在のおり場所も、おわかりになろうかと存ぜられまする」
「チエ」
 もうこの時には西条様の刀が、抜き打ちにわたしの右の肩へ、袈裟けさがけに来ておりました。
 わたしは前へつんのめりました。
「そう、あの男もこんなように、貴郎様の太刀先をのがれましたねえ」
「乞食め!」
 と西条様はわたしの背を目がけ、斬りおろしました。
 それをいくぐって左へ飛び、
「ここに庄内川がありましたら、わたしもあの男のように川へ飛び込んで、のがれることでございましょうよ。……それにしても惜しいものだ、乞食にばかりこだわらずに、素直に私という人間の言葉を聞いて、持田さんあたりを調べたら、たいした功が立てられるのに……」
 言いすててわたしは露路の一つへけこみましたっけ。
 庄内川の岸で、職人風の男を討ちそこなって逃がし、西丸様からお叱りを受け、どうあろうとその男をさがし出し、討ってとれとの厳命を受け、さがし廻っているがわからない。そのムシャクシャしている腹の中へ、グッと棒でも突っ込んだように、わたしの言葉がはいったのですから、わたしに対する憎しみは烈しく、あくまでも斬りすてようと、わたしのあとを追って、西条様が、露路へ駈け込んで来たのは、当然のことかと存ぜられます。でも露路には枝道えだみちが多く、こみいっておりましたので、わたしがどこへかくれたか、西条様にはわからなかったようです。
 その西条様がぼんやりした様子で、一軒の家の前に佇んだのは、それから間もなくのことでした。
 平家ひらやだての格子づくりの、いきな真新しい家の前でした。
 と、格子戸の奥の障子が、土間をへだてて明るみ、やがて障子が開き行燈あんどんをさげたあだっぽい女が、しどけない姿をあらわしました。睫毛まつげの濃い大型の眼、中だるみのない高い鼻、口はといえばこれも大型でしたが、受け口めいておりましたので、色気にかけては充分でした。いている左手をびんへ持って行き、女のくせで、こぼれている毛筋を、きあげるようにいたしましたが、八口やつくちや袖口から、紅色がチラチラこぼれて、男の心持を、迷わせるようなところがありました。及び腰をして格子戸の方をかし、
「どなた、宅にご用?」
 と、含みのある水っぽい声で言ったものです。
「いや」
 と西条さんは狼狽ろうばいしたような声で、
狼藉者ろうぜきものが入り込んだのでな」
「狼藉者? 気味の悪い……どのような様子の狼藉者で?」
「乞食じゃよ、きたない乞食じゃ」
「おこもさん、おやおや……お菰さんでございましたら、もうこの辺へは、毎日のように、いくらでも立ち廻るのでございますよ」
「それがしからん乞食でな」
「旦那様に失礼でもなさいましたので?」
「うむ、まあ、そういったことになる」
「息づかいがお荒うございますのね。おひやでも……」
「水か、いや、それには及ばぬ」
「ではお茶でも、ホ、ホ」
 その女は、プリプリしているお侍さんを、からかってやろうというような様子を、見せはじめましてございます。
「戸じまりなど充分気をつけるがよいぞ」
 西条様はテレかくしのように言って、歩き出されました。
 女は持田様の女中お柳でございました。そうしてそのお柳は少したったのちには、この家の奥の茶の間にすわって、丹前たんぜんを着た三十五、六の、眼の鋭い、口元の締まった武士と、砕けた様子で話していました。長火鉢の横には塗り膳があって、それには小鉢物がのせてあり、かん徳利などものせてあるという始末で。お柳がその男を旗さんと呼んだり、頼母たのもさんと呼んだりするところを見ると、それがその男の姓名であり、二人の間柄は、情夫情婦のようでありました。
 そうして、その旗頼母はたたのもという武士こそ、勢州せいしゅうと呼ばれているこの乞食の私なのでございます。どうして武士の私が乞食などになっているかと申しますに、ある重大な計画の秘密を探るためなので。つまり私は乞食に身を※(「にんべん+悄のつくり」、第4水準2-1-52)やつして隠密をしているのでございます。庄内川の岸に寝ていたのも、持田家の周囲を立ち廻ったのも、そのためなので。それにしてもどうして露路へ逃げ込んだ私が、そんな家で、お柳と、取膳で、酒など飲んでいたのかと申しますに、私は、露路へ逃げ込むや、その家――それは私の隠れ家なのですが、その家の前のしもた家の蔭に隠れて、お柳と西条様との会話はなしを聞いていたのでしたが、西条様が立ち去るやすぐに私は、自分の家の裏口から台所へはいって行き、持田家の秘密を探らせるために、持田家へ、女中として入り込ませておいたお柳が、持田家の秘密を持って、この夜来合わせていたのに手伝わせ、乞食の衣裳を脱ぎ、行水を使い、茶の間で、そんなように、取膳で……と、いうことになったのでありまして、さてそれからは、私とお柳との会話はなしになるのでございます。――
「今夜は泊まって行ってもいいのだろう」これは私で。
「というわけにもいかないのさ。……何しろお嬢様があんなだからねえ」
「惚れるのに事を欠いて、あんな野郎に惚れるとはなア」
「鶴吉と宣っているあの江戸者、女にかけちゃア凄いものさ」
「そこへもって来てお小夜坊さよぼうが、初心うぶ生娘きむすめときているのだからなあ」
「ころりと参って無我夢中さ」
「駆け落ちの相談ができ上がったとは、あきれ返って話にもならない」
「世間知らずの娘だからだよ」
「男の素性に気もつかずか」
「男の心にも気がつかずさ」
「まったくそうだ、だから困るのさ。本当の恋からの所業しわざならいいのだが、そうでないのだから恐ろしい」
「江戸へうまうま連れ出されてから、どうされるかってこと、知らないんだからねえ」
「生き証拠にされるってこと、ご存知ないからお気の毒さ」
 お柳の注いだ猪口ちょこを私は口へ持って行きました。

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