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赤格子九郎右衛門の娘(あかごうしくろうえもんのむすめ)
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国枝史郎伝奇全集 巻6 |
未知谷 |
1993(平成5)年9月30日 |
1993(平成5)年9月30日初版 |
1993(平成5)年9月30日初版 |
何とも云えぬ物凄い睨視! 海賊赤格子九郎右衛門が召捕り処刑になったのは寛延二年三月のことで、所は大阪千日前、弟七郎兵衛、遊女かしく、三人同時に斬られたのである。訴え人は駕籠屋重右衛門。実名船越重右衛門と云えば阿波の大守蜂須賀侯家中で勘定方をしていた人物、剣道無類の達人である。 係りの奉行はその時の月番東町奉行志摩長門守で捕方与力は鈴木利右衛門であった。 処刑された時の九郎右衛門の年は四十五歳と註されている。彼には三人の子供があった。六松、一平、粂というのである。一平は早く病気で死に六松はお園と心中したので今に浄瑠璃に歌われている。 お粂の消息に至っては世間知る人皆無である。しかし作者だけは知っている。――知っていればこそこの物語を書きつづることが出来るのである。
寛延二年から十五年を経た明和元年のことであったが、摂州萩の茶屋の松林に正月三日の夕陽が薄黄色く射していた。 林の中に寮があった。今はすでに役を退いた志摩長門守の隠居所で、大身の旗本であったから二万石三万石の大名などより家計はかえって豊かと見えなかなか立派な寮であった。 寮の座敷では年始の酒宴が、今陽気にひらかれている。 「さあさあ今日は遠慮はいらぬ。破目を外して飲んでくれ。それ一献、受けたり受けたり」 隠居し、今は卜翁と号したが、志摩景元は自分からはしゃいで無礼講の意気を見せるのであった。 「御前もあのように有仰ります。遠慮は禁物でござります。……鈴木様、小宮山様、さあさあお過しなさりませ。おやどうなされました川島様、お酒の一斗も召し上ったように顔を真赤にお染め遊ばして、どれお酌致しましょう、もう一つおあがりなさりませ、……山崎様や、井上様、いつもお強い松井様まで、どうしたことか今日に限って一向にお逸みなされませぬな。さてはお酌がお気に召さぬそうな」 「なんのなんの飛んでもないことで。お菊様の進め上手に、つい平素より度をすごし、眼は廻る、胸は早鐘、苦しんで居るところでございますわい」 鈴木利右衛門はこう云いながらトンと額を叩いたものである。 「お菊お菊、構うことはない、どしどし酒を注いでやれ。何の鈴木がまだ酔うものか」 卜翁は大変なご機嫌でこうお菊をけしかけた。 今日は五人の年始客は、卜翁が役に居った頃部下として使っていた与力であって、心の置けない連中だったので、酒が廻るに従って、勝手に破目を外し出した。袴を取って踊り出すものもあればお菊の弾でる三味線に合わせて渋い喉を聞かせるものも出て来た。それが又卜翁には面白いと見えてご機嫌はよくなるばかりである。 騒ぎ疲労て静まった所で、ふと卜翁は云い出した。 「……御身達いずれも四十以上であろうな。鈴木が年嵩で六十五か。……年を取ってもこの元気じゃもの壮年時代が思いやられる。……さればこそ一世の大海賊赤格子九郎右衛門も遁れることが出来ず、御身達の手に捕えられたのじゃ。……いや全く今から思ってもあれは大きな捕物であったよ」 「はい左様でございますとも」 鈴木利右衛門が膝を進めた。 「まさか海賊赤格子が身分を隠して陸へ上り、安治川一丁目へ酒屋を出し梶屋などという屋号まで付けて商売をやって居ようなどとは夢にも存ぜず居りました所へ、重右衛門の訴人で左様と知った時には仰天したものでございます。……番太まで加えて百人余り、キリキリと家は取り巻いたものの相手は名に負う赤格子です、どんな策略があろうも知れずと、今でこそお話し致しますが尻込みしたものでございます」 「九郎右衛門めは奥の座敷で酒を呑んでいたそうじゃな」 「我々を見ても驚きもせず、悠々と呑んで居りました。その大胆さ小面憎さ、思わずカッと致しまして、飛び込んで行ったものでございます」 「そうしてお前がたった一人で家の中へ飛び込んで行き、九郎右衛門に傷を負わせたため、さすがの九郎右衛門も自由を失い捕えられたということじゃな」 「先ず左様でございますな」 利右衛門はいくらか得意そうに、こう云って頭を下げたものである。 先刻から恐ろしい熱心をもって話を聞いていた美しいお菊は、どうしたものか利右衛門の顔をこの時横眼で睨んだものである。 何とも云えぬ物凄い睨視! 何とも云えぬ殺伐な睨視!
貴殿の背中に白い糸屑が! しかし勿論誰一人としてお菊の顔色の変わったことに不審を打とうとするものはなかった。 尚ひとしきり赤格子の噂で酒宴の席は賑わった。その中日が暮れ夜となった。銀燭が華やかに座敷に点り肴が新しく並べられ一座はますます興に入り夜の更けるのを知らないようである。 今の時間にして十時過ぎになるとさすがに人々は騒ぎ疲労たらしく次第に座敷は静かになった。 「私少しく遠方でござれば失礼ながらこれで中座を」 こう云って利右衛門は腰を浮かせた。 「もう帰ると? まだよかろう。夜道には日の暮れる心配はない。……もっとも家は遠かったな」 「はい玉造でございますので」 「お前が帰ると云ったなら他の連中も遠慮して一時にバタバタ立ち上ろうもしれぬ。……それでは私が寂しいではないか」と卜翁は子供のように云うのであった。 それでもとうとう利右衛門だけは中座することを許された。それに小宮山彦七も同じく玉造に家があったのでこれも一緒に帰ることになった。二人はお菊に送られて、定まらぬ足付きで玄関まで来ると、掛けてあった合羽を取ろうとした。 「いえお着せ致しましょう」 お菊が代わって素早く取る。 「これはこれは恐縮千万」 など、二人は云いながらも、素晴らしい別嬪の優しい手でフワリと肩へ掛けられるのだから悪い気持もしないらしい。戸外には下男の忠蔵が、身分にも似ない小粋な様子で提燈を持って立っていたが、 「戎ノ宮の藪畳まで、私めお送り申しましょう」 「それには及ばぬ、結構々々。……折角のご主人のご厚意じゃ提燈だけは借りて参ろう」 云いながら利右衛門は手を出した。忠蔵はちょっと渋ったが、それでも提燈は手渡した。 「では、お菊様、よろしくな」 云いすてて二人は歩き出す。 「お大事においで遊ばしませ」 お菊はつつましく手を突いて二人の姿を見送ったが、その眼を返すと忠蔵を見た。 と、忠蔵もお菊を見た。 二人は意味深く笑ったものである。
霜夜に凍った田舎路を、一つの提燈に先を照らし、彦七と利右衛門とは歩いて行く。 「お互い金は欲しいものじゃ」 利右衛門はふとこんなことを云った。 「はてね」と彦七は笑い声を立て、 「今更らしく何を有仰る」 「立派な寮、美しい愛妾。……卜翁様の豪奢振り、何と羨しいではござらぬかな」 「ははアなるほど、そのことでござるかな」 彦七もどうやら胸に落ちたらしく、 「羨しいと申そうか小腹が立つと申そうか、今年六十二の卜翁が曾孫のような十八娘をああやって側へ引き付けて、我々にまで見せ付けられる。……その又妾のお菊というのが、眼の覚めるほど綺麗な上に利口者の世辞上手。……」 「しかも今から一月ほど前に抱えた妾だと申すことじゃ。閨の中まで思い遣られてなアッハハハ」と利右衛門は、卑しい笑い声を立てたものである。 とたんに利右衛門は躓いた。 「あ痛!」と叫んで俯向いた。指の先でも打ったらしい。 一足おくれて歩いていた小宮山彦七は驚いて、つと側へ寄って行ったが、 「あっ!」と叫んで立ち縮んだ。 「大変でござるぞ鈴木氏!」 「なに大変?」と利右衛門の方がかえって驚いて背を延ばしたが、 「はて何事か起こりましたかな? 顫えて居られるではござらぬか!」 「き、貴殿の……せ、背中に……」 「拙者の背中に何がござるな?」 「し、白い、……い、糸屑が……」 「ヒエーッ」と、利右衛門はのけぞったが、よろよろと二三歩後へ退った。 ……と見るや彦七の背中にも一房の白糸が下っている。 「や、や、貴殿の背中にも。……やっぱり同じ白糸が!」 「うわ!」と彦七はそれを聞くと、生気地なくベタベタと地へ坐った。 「エイ!」と右手の藪陰からその時に鋭い掛声が掛かった。 「うむう」と同時に呻き声がした。クルリ体を廻したかと思うと、仰向けに利右衛門は転がった。鋭利な削竹が節元まで深く咽喉に差さっている。 「人殺し!」と、彦七はやにわに喚いて飛び上ったが、 それより早く藪陰からまたも同じ掛声がした。……声と一緒に彦七も霜の大地へころがった。 削竹が咽喉に立っている。
大阪界隈怪盗横行 後は森然と静かである。 さっきから今にも泣き出しそうにどんより曇っていた低い空から霙がパラパラと降って来たが、それさえほんの一瞬間で、止んだ後は尚さびしい。 藪がにわかにガサガサと揺れた。 ひょいと黒い人影が出る。頬冠りに尻端折り、腰の辺りに削竹が五六本たばねられて差さっている。四辺を静かに窺ってからつと死骸へ近寄った。死骸の懐中へ手を突っ込むと財布をズルズルと引き出した。自分の懐中へツルリと入れる。雲切れがして星が出た。 仄かに曲者の顔を照らす。 曲者は下男の忠蔵であった。
「白糸」「削竹」のこの二つは、当時大阪を横行していた一群の怪賊の合言葉であった。そうして慣用の符号でもあった。 白い糸屑を付けられた「者」は必ず殺されなければならなかった。――又白い糸屑を付けられた「家」は必ず襲われなければならなかった。 この怪奇な盗賊の群は今から数えて半年程前から大阪市中へは現われたのであって、一旦現われるや倏忽の間にその勢力を逞しゅうし、大阪市人の恐怖となった。 噂によれば彼等の群はほとんど百人もあるらしく、しかも頭領は人もあろうに妙齢の美女だということであった。――彼等は平気で殺人もしたが町人や百姓には眼もくれず、定まって武士へ向かって行き、好んで町奉行配下の士を暗殺するということであった。 これも同じく噂ではあったが、この盗賊の一群は、大阪市中を流れている蜘蛛手のような堀割を利用し、帆船端艇を繰り廻し、思う所へ横付けにし、電光石火に仕事を行り、再び船へ取って返すや行方をくらますということであった。 勿論東西の町奉行は与力同心に命を含め、この不届きの盗賊共を一網打尽に捕えようとして様々肺肝を砕くのではあったが、彼等の方が上手と見えいつも後手へ廻されていた。 そのうち、鈴木利右衛門と小宮山彦七が殺されたのであった。昔名与力と謳われた二人がいかに年を取ったとは云え、刀を抜き合わせる暇もなくむざむざ削竹に咽喉を貫ぬかれ、惨殺されたということは、一面から云えば不覚ではあったが、他面彼等盗賊の群がいかに強いかということの新しい証拠ともなるのであって、有司にとっても市民にとっても恐ろしく思われたのは云うまでもない。
「お菊や」と卜翁はお菊の部屋で、お菊の立ててくれた茶をすすりながら、何気ない調子で話した。 「私はこの頃元気がない。そして漸時痩せるような気がする。お菊お前には気が付かぬかな?」 「はい」とお菊は艶かに笑い、 「かえってこの頃お殿様はお健かにおなり遊ばしました。以前は夜などお苦しそうで容易にお睡り遊ばさず、徹夜したことなどもございましたが、この頃では大変楽々とお睡り遊ばすようでござります」 「そこだ」と卜翁は首をかしげ、 「すこしどうも睡り過ぎるようだ。……毎晩お前の立ててくれるこの一杯の薄茶を飲むと、地獄の底へでも引き込まれるようににわかに深い睡眠に誘われ、そのまま昏々睡ったが最後、明けの光の射す迄はかつて眼を覚ましたことはない」 「まアお殿様、何を有仰ります」 お菊は柳眉をキリリと上げた。 「何か妾がお殿様へ、毒なものでも差し上げるような、その惨酷い仰せられよう。あんまりでござんすあんまりでござんす。……それほど疑がわしく覚し召さば一層お暇を下さいまし。きっと生きては居りませぬ。淵川へなりと身を投げて……」 「ああこれこれ何を申す。……何のお前を疑うものか。暇くれなどとはもっての他じゃ。手放し難いは老後の妾と、ちゃんと下世話にもあるくらい、お前に行かれてなるものか。……とは云えどうもこの薄茶が……」 「お厭ならお捨なさりませ」 お菊はツンと横を向いた。 「アッハハハ、また憤ったか。そう老人を虐めるものではない。せっかくお前の立てた薄茶、捨るなどとは勿体ない話。どれそれでは。いいお手前じゃ」 指で拭って前へ置き、その指を懐中の紙で拭いた。ともう睡気に襲われるのであった。 「プッ」とお菊は吹き出した。 「この寝顔のだらしなさ。昔の奉行が聞いて呆れるよ」
塩田の忠蔵身の上話 コツコツコツコツと部屋の襖を窃と指で打つ者がある。 「忠さんかえ、お入りよ」……お菊は云いながら襖をあけた。 入って来たのは忠蔵である。 「姐御、首尾は? と云う所だが、首尾はいいに定まっている。……さあソロソロ出かけやしょうぜ」 「あいよ」と云いながら立膝をして、煙草をパクパク吹かしている。 「忠さん、妾ゃア思うんだよ。まるで鱶のような鼾をかいて、他愛なく寝ているこの爺さんが、十五年前はお町奉行でさ、長門守と任官し、稼人達に恐れられ、赤格子と異名を取ったほどの妾の父さん九郎右衛門殿を、千日前で首にしたとは、どっちから見たって見えないじゃないか、……今じゃ罪も憎気もない髯だらけの爺さんだよ」 「全く人間年を取ってはからしき駄目でござんすね」 「生命を狙う仇敵とも知らず、この日頃からこの妾をまアどんなに可愛がるだろう」 「うへえ、姐御、惚気ですかい」 「と云う訳でもないんだがね、今も今とてこの毒薬を薄々感付いて居りながら、妾がふっと怒って見せたら笑って機嫌よく飲んだものだよ」 「南蛮渡来の眠薬に砒石を雑ぜたこの薄茶、さぞ飲み工合がようござんしょう」 「一思いに殺さばこそ、一日々々体を腐らせ骨を溶解かして殺そうというのもお父様の怨みが晴らしたいからさ」 「しかし迂闊り[#「迂闊り」は底本では「迂闊り」]油断するとあべこべに逆捻を喰いますぜ。……大方船出の準備も出来、物品も人間も揃いやした。片付けるものは片付けてしまい、急いで海に乗り出した方が、皆の為じゃありませんかな」 「それも一つの考えだが、まだこの妾には品物が少し不足に思われてね」 「何も買入れた品物じゃなし、資本いらずに仕入れた品、見切り時が肝腎ですよ。そうこう云っているうちに、一人でも仲間が上げられたひにゃア、悉皆ぐれ蛤になろうもしれず……」 「おや一体どうしたんだい。お前も塩田の忠蔵じゃないか。莫迦に弱い音をお吹きだねえ」 お菊はニヤリと嘲笑った。 「姐御に逢っちゃ適わない。私は案外臆病者でね。……そりゃ肩書もござんすが、この肩書の塩田というのが、そもそもヤクザの証拠でね、私の国は播州赤穂、塩田事業の多い所で、私の家もお多分に洩れず、山屋といって塩造、土地でも一流の方でしたが、鷹の産んだ鳶とでも云おうか、産まれながらこの私だけ、誰にも似ない無頼漢、十五の時から家を抜け出し今年で二十年三十五歳、国へも家へも寄り付かず気儘にくらして居りましたところ、今から数えて十八年前、人の噂で聞いたところ、私の一家は海賊に襲われ、その時漸く五つになった妹のお浪たった一人だけ、乳母に抱かれて逃げたばかり後は残らず殺されたとか。……驚いても悲しんでも過ぎ去ったことはどうにもならず、それから一層邪道に入り今では立派な夜働き、しかし魂は腐っても兄妹の情は切っても切れず、一人生き残った妹お浪を右腕の痣を証拠にして探しあてようとこの年月心掛けては居りやすが、いまだに在家の知れないのは運の尽きか死んだのか、心残りでございますよ。……なアんて詰まらない身の上話に大事な時を無駄にした。さあ姐御、参りやしょう。仲間が待って居りやしょうに」 二人はスルリと部屋を出た。 後には卜翁の寝息ばかりがさも安らかに聞こえている。
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