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田村将軍(たむらしょうぐん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-1 12:20:09  点击:  切换到繁體中文

底本: 日本の英雄伝説
出版社: 講談社学術文庫、講談社
初版発行日: 1983(昭和58)年6月10日
入力に使用: 1983(昭和58)年6月10日第1刷
校正に使用: 1983(昭和58)年6月10日第1刷

 


     一

 京都きょうとに行ったことのある人は、きっとそこの清水きよみず観音様かんのんさまにおまいりをして、あのたか舞台ぶたいの上から目の下の京都きょうとまちをながめ、それからそのこうに青々あおあおかすんでいる御所ごしょ松林まつばやしをはるかにおがんだにちがいありません。またうしろをふりかえると御堂おどうの上にのしかかるようにそびえている東山ひがしやまのはるかのてっぺんに、くろしげったすぎ木立こだちがぬっとかおしているのをたにちがいありません。この京都きょうとまち一目ひとめ見晴みはらすたかい山の上のおはかめられている人は、坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろというむかし名高なだか将軍しょうぐんです。そしてそのなきがらをめたおはか将軍塚しょうぐんづかといって、千何年なんねんというながあいだ京都きょうと鎮守ちんじゅ神様かみさまのようにあがめられて、なになかわざわいのこるときには、きっと将軍塚しょうぐんづかおとをたててうごすといいつたえているのでございます。
 坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろいまから千年余ねんあまりもむかし桓武天皇かんむてんのう京都きょうとにはじめて御所ごしょをおつくりになったころ、天子てんしさまのおともをして奈良ならみやこからきょうみやこうつってたうちの一人ひとりでした。せいたかさが五しゃくすんむねあつさが一しゃくすん巨人おおびとのような大男おおおとこでございました。そして熊鷹くまたかのようなこわい目をして、てつはりえたようなひげがいっぱいかおえていました。それからからだおもみが六十四きんもあって、おこってちからをうんとれると、その四ばいおもくなるといわれていました。それでどんなあらえびすでも、虎狼とらおおかみのような猛獣もうじゅうでも、田村麻呂たむらまろ一目ひとめにらまれると、たちまち一縮ひとちぢみにちぢみあがるというほどでした。そのかわ機嫌きげんよくにこにこしているときは、三つ四つの子供こどももなついて、ひざにかれてすやすやとねむるというほどの人でした。ですから部下ぶか兵士へいしたちも田村麻呂たむらまろしたいきって、そのためには火水ひみずの中にもとびむことをいといませんでした。
 田村麻呂たむらまろはそんなにつよい人でしたけれど、またたいそうこころのやさしい人で、人並ひとなみはずれて信心深しんじんぶかく、いつも清水きよみず観音様かんのんさまにかかさずおまいりをして、武運ぶうんいのっておりました。

     二

 あるとき奥州おうしゅうあらえびすで高丸たかまるというものが謀反むほんこしました。天子てんしさまの御命令ごめいれいすこしもかないばかりでなく、みやこからさしけてある役人やくにんめてころしたり、人民じんみんものをかすめて、まるで王様おうさまのようないきおいをふるっておりました。天子てんしさまはたいそう御心配ごしんぱいになって、度々たびたび兵隊へいたいをおくって高丸たかまるをおたせになりましたが、いつもこうのいきおいがつよくって、そのたんびにけてげてかえってました。そこでこの上はもう田村麻呂たむらまろをやるほかはないというので、いよいよ田村麻呂たむらまろ大将たいしょうにして、奥州おうしゅう出陣しゅつじんさせることになりました。
 天子てんしさまのおおけをけますと、田村麻呂たむらまろはかしこまって、さっそく兵隊へいたいそろえるはずをしました。いよいよ出陣しゅつじん支度したくができがって、京都きょうととうとするあさ田村麻呂たむらまろはいつものとおり清水きよみず観音様かんのんさまにおまいりをして、
「どうぞこんどのいくさ首尾しゅびよくって、天子てんしさまの御心配ごしんぱいけますように。」
 と熱心ねっしんにおいのりをして、奥州おうしゅうかってって行きました。
 奥州おうしゅういていよいよ高丸たかまるいくさをはじめてみますと、なるほどこうは名高なだかあらえびすだけのことはあって、一いくさをしかけたらつまではけっしてやめません。味方みかたのこらずたれて最後さいご一人ひとりになるまでもけっしてあとへは退きません。おやたれれば子がすすみ、子がたれればおやがつづくというふうに、味方みかた死骸しがいえ、え、どこまでも、どこまでもすすんでます。
 ですから田村麻呂たむらまろ軍勢ぐんぜいも、勇気ゆうきすこしもおとろえませんが、さしつめさしつめるうちにてきかずはいよいよふえるばかりで、矢種やだねほうがとうにきてきました。いくらばかりあせっても、矢種やだねがなくってはいくさはできません。残念ざんねんながら味方みかたけいくさかと田村麻呂たむらまろぎしりをしてくやしがりました。するといつどこから出てたか、おおきなひげのえたおとこと、かわいらしい小さなぼうさんが出てて、どんどんあめのように射出いだてきの中をくぐりくぐり、平気へいきかおをしててきせいの中へあるいて行って、身方みかた射出いだしたをせっせとひろっては、こちらへはこかえしてました。おかげ身方みかたても、ても、あとからあとからがふえて、いつまでもつきるということがありません。ますますはげしくかけましたから、さすがに乱暴らんぼうあらえびすも総崩そうくずれになって、かなしいこえをあげながらしました。味方みかたはそのをはずさず、どこまでもっかけて行きました。てき大将たいしょう高丸たかまるはくやしがって、味方みかたをしかりつけては、どこまでもとどまろうとしましたけれど、一くずれかかったいきおいはどうしてもなおりません。そのうち高丸たかまる田村麻呂たむらまろするど矢先やさきにかかって、乱軍らんぐんの中ににしてしまいました。田村麻呂たむらまろはこのいきおいにって、達谷たっこくいわやというおおきな岩屋いわやの中にかくれている、高丸たかまる仲間なかま悪路王あくろおうというあらえびすをもついでにころしてしまいました。

     三

 田村麻呂たむらまろ奥州おうしゅうあらえびすをたいらげて、ゆるゆると京都きょうと凱旋がいせんいたしました。天子てんしさまはたいそうおよろこびになって、田村麻呂たむらまろにたくさんの御褒美ごほうびをおさずけになりました。そしてあらためて征夷大将軍せいいたいしょうぐんというやくにおつけになりました。みんなはそれからのち田村麻呂たむらまろ田村将軍たむらしょうぐんというをつけて、尊敬そんけいするようになりました。
 田村麻呂たむらまろ自分じぶんがこれほどの名誉めいよけることになったのも、清水きよみず観音様かんのんさまにおいのりをした御利益ごりやくだとおもって、みやこかえるとさっそく清水きよみずにおまいりをして、ねんごろにおれいもうげました。
 さてこのときまでも始終しじゅう不思議ふしぎでならなかったのは、あのときの小さなぼうさんとおおきなひげおとこでした。そこではなしのついでに、田村麻呂たむらまろはおてら和尚おしょうさんにかって、奥州おうしゅういくさではこれこれこういうことがあったとはなしますと、和尚おしょうさんは横手よこでって、
「ははあ、それでわかりました。するとその小坊主こぼうずというのは勝軍地蔵しょうぐんじぞうさまで、おおきなひげおとこえたのは勝敵毘沙門天しょうてきびしゃもんてんちがいありません。どちらもこの御堂おどうにおしずまりになっていらっしゃいます。」
 といいました。田村麻呂たむらまろ不思議ふしぎおもって、
「ではさっそく、その地蔵じぞうさまと毘沙門びしゃもんさまにおまいりをしてよう。」
 といって、本堂ほんどうまつってある勝軍地蔵しょうぐんじぞう勝敵毘沙門天しょうてきびしゃもんてんのおぞうまえに行ってみますと、どうでしょう。地蔵じぞうさまと毘沙門びしゃもんさまのおぞうの、あたまにもむねにも、手足にも、肩先かたさきにも、幾箇所いくかしょとなくかたなきずやきずがあって、おまけにおあしにはこてこてとどろさえついておりました。
 田村麻呂たむらまろ今更いまさらほとけさまの御利益ごりやくのあらたかなのにつくづく感心かんしんして、天子てんしさまからいただいたおかねのこらず和尚おしょうさんにあずけて、おてらをりっぱにこしらえました。いま清水寺きよみずでらがあれほどのおおきなおてらになったのは、田村麻呂たむらまろときから、そうなったものだということです。
 田村麻呂たむらまろはそののち鈴鹿山すずかやまおに退治たいじしたり、藤原仲成ふじわらのなかなりというものの謀反むほんたいらげたり、いろいろの手柄てがらてて、日本一にほんいち将軍しょうぐんとあがめられましたが、五十四のとし病気びょうきくなりました。けれどもこれほどのえらい将軍しょうぐんをただほうむってしまうのはしいので、そのなきがらによろいせ、かぶとをかぶせたまま、ひつぎの中にたせました。そしてそれをみやこ四方しほう見晴みはらす東山ひがしやまのてっぺんにって行って、御所ごしょほうかおのむくようにててうずめました。これが将軍塚しょうぐんづかこりでございます。





底本:「日本の英雄伝説」講談社学術文庫、講談社
   1983(昭和58)年6月10日第1刷発行
入力:鈴木厚司
校正:今井忠夫
2004年1月6日作成
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