坪田譲治編 赤い鳥傑作集 |
新潮文庫、新潮社 |
1955(昭和30)年6月25日、1974(昭和49)年9月10日29刷改版 |
1984(昭和59)年10月10日第44刷 |
1989(平成元)年10月15日第48刷 |
一 青めがね
一雄(かずお)は小学校へ行くようになって、やっと一月立つか立たないうちに、ふと眼病をわずらって、学校を休まなければならなくなりました。
それから毎日、一雄はお医者さまからくれた青い眼がねをかけて、おばあさんと二人――まだ電車のない時分でしたから――合乗(あいのり)の人力(じんりき)で、眼科の病院へ通いました。
「食べものに気をつけて上げて下さい。この子の眼は大たい胃腸のわるいせいなのだから。」
お医者さまはこうおばあさんにいいました。
「白い身の魚ぐらいに、なるべくお粥(かゆ)がよろしい。」
二三日はお粥もめずらしかったし、おばあさんが三度々々小さなお鍋(なべ)で煮(に)てくれる半(はん)ぺんやお芋(いも)がどんなにおいしかったでしょう。青い眼がねをかけて食べると、何もかも青く青く見えました。
「青いな、青いな、何を食べても青いや。」
一雄はおもしろがって、お膳(ぜん)の上を箸(はし)で突ッつきまわしていました。ちょうど梅雨(つゆ)の時分で、お天気のわるい日がよくつづきました。そのうち毎日雨ばかり降るようになりました。
一雄の気分がだんだん重苦しくなって、眼の奥がしくしく痛む日がつづきました。青い眼がねで何かを見るのが、うっとうしく、じれったくって、悲しくなるほど不愉快でした。
食物(たべもの)に好(す)ききらいをいう、というよりは、あれもいや、これもいや、のべつに「いや、いや」とばかり、一雄はいいつづけていました。
「僕、何でも青くって食べても旨(うま)くないんだもの。」
「じゃあ御膳(ごぜん)の時だけ眼がねをお取り。」とおばあさんはいいました。
眼がねを取っても、しばらくはやはり何かが青く見えました。やっと白い光に慣れると、こんどは眩(まぶ)しくって、眼にしみるような劇(はげ)しい痛みを感じました。
「やはり眼がねをかけなければだめなんだよ、おばあさん。」
あんまり一雄が何も食べないので、おばあさんは心配して、瀬戸物やから小さな瀬戸物の玉子焼鍋(たまごやきなべ)を買って来ました。
このお鍋の形が大へん一雄を喜ばせました。
「これ何(なん)にするの、おばあさん。」
「玉子をやくのだよ。」
「こんなもので焼くの、おもしろいなあ。」
「これで玉子焼をこしらえてあげるが、食べるかい。」
「ああ。」
いつもになく一雄が食べたそうな様子をしているので、おばあさんはどんなに喜んだでしょう。
その日の夕方(ゆうがた)、一雄が茶の間の隅(すみ)っこで、いつまでかかってもほんとうに出来ない積木細工(つみきざいく)のお家(うち)を建てたり、こわしたりしている間(ま)に、おばあさんはせっせと玉子焼のしたくにかかっていました。
明りがついて、お膳が出ると新調の可愛(かあい)らしい玉子焼のお鍋が、一雄の小さなお膳の上にのっていました。
「ほら、あけてごらん、それはおいしそうに出来たから。」
一雄が瀬戸物の蓋(ふた)をあけると、ぷんとやわらかな少し焦げくさい、旨そうな匂(にお)いが立ちました。
「まだあついかしら。」
こういいながら、めずらしくにっこりして、一雄は玉子焼の中に箸を突ッ込みました。
おばあさんもにこにこしながら、
「ああ、ゆっくり、たんとおあがりよ。」といいました。
でも一口(ひとくち)、玉子焼を口に頬(ほお)ばると、一雄は急にいやな顔をして、すぐはき出してしまいました。
「ああ、臭い、僕いやだこれ、お酒くさいから。」
一雄は泣き出しそうな顔をしていました。
「お止(よ)し、お止(よ)し。厭(いや)なら上げないから。」
おばあさんはこういって、いきなり玉子焼のお鍋をとり上げて、中身をそっくりお庭に投げ棄(す)ててしまいました。ちょうど通りかかったポチが見つけてみんな食べてしまいました。
なぜおばあさんがこんなにおこったのか、一雄にはわかりませんでした。おばあさんもなぜそんなに腹が立つのか、自分でもわかりませんでした。
二人はお互いにがっかりして、気の毒になって、このおばあさんと、孫とは、別々の心持でしくしく泣き出しました。
二人の半日楽しみにして待設(まちもう)けた晩御飯はめちゃめちゃになりました。
おばあさんはお酒の好きな人でした。せっかく孫の口を甘(うま)くしようと思って入れた幾滴かのお酒が、まるっきり予期しない反対の結果を生んだのでした。それを知って、一雄は余計悲しくなりました。
二 花ガルタ
一雄の家に奉公していた小僧で、器用に画(え)をかく子がありました。
或(ある)日この子は大きな鳥(とり)の子(こ)の紙をどこからか買って来て、綺麗(きれい)にボール紙に貼(は)りつけて、四十八に割った細い罫(けい)を縦横(たてよこ)に引いて、その一つ一つの目に、十二カ月の花や木の細かい画を上手(じょうず)にかきはじめました。
一雄はどんなにそれが欲しかったでしょう。
「貞吉(ていきち)、貞吉、出来たらおくれ、ね。」
貞吉というのは、小僧の名でした。
「でもこれはまだほんとうに出来上(できあが)っていないんですからね、すっかり出来あがったら上げましょう。」
「だっていつのことだか知れないじゃないか、いいからそれをおくれよ。」
「だめですよ、まだ彩色(さいしき)もしてないし……」
「いいよ、彩色なんか僕自分でするから。」
「そんなわがままをおっしゃってはいけません。あなたに彩色ができるものですか。」
「できらい、できらい。おくれってばよう。」
貞吉はそれでも手離そうとはしませんでした。書きのこした桜の花や、鳥の羽(は)の手入れに夢中になっていました。一雄は、とてもだめだと思うと、おどかしの積りでしくしく泣(な)き出(だ)しました。そのうちほんとうに悲しくなって、おいおい泣きながらお茶の間へ駈(か)け込んで行きました。
「どうしたの。」
おばあさんはもう目の色を変えていました。
「貞吉が、貞吉が……くれないんだ。」
貞吉は茶の間へ呼ばれて、さんざん叱(しか)られて、理由(わけ)はなしに、丹精した花ガルタの画を、半できのまま取上げられてしまいまいた。美しく描(えが)かれた梅や牡丹(ぼたん)や菊や紅葉(もみじ)の花ガルタは、その晩から一雄の六色(いろ)の色鉛筆で惜しげもなく彩(いろど)られてしまいました。
明くる日の朝、赤や青や黄に醜く塗りつぶされて見るかげもなくなっている貞吉の花ガルタは、もう一度一雄の鋏(はさみ)でめちゃめちゃに切りこまざかれて、縁側から庭に落ち散っていました。
「まあこんなに紙屑(かみくず)をお出しになって、坊(ぼつ)ちゃんはいけませんね。」
その昼すぎ、女中の清(きよ)はぶつぶついいながら、掃き出していました。たった一枚松に鶴(つる)の絵のカルタが、縁先の飛石(とびいし)の下に挿(はさ)まったまま、その後(のち)しばらく、雨風にさらされていました。一雄はその日からもう花ガルタのことを思い出しませんでした。
十日ばかり後(あと)のことでした。一雄は縁先で遊んでいる内ふと見る気もなしに石の間に挿まって、皮が剥(は)げてボール紙ばかりになっているカルタを一枚見つけました。急に花ガルタが惜しくなって来ました。
貞吉はおこっているに違いない、貞吉に悪かった、一雄はそう思って何だか悲しくなりました。
底本:「赤い鳥傑作集 坪田譲治編」新潮文庫、新潮社
1955(昭和30)年6月25日発行
1974(昭和49)年9月10日29刷改版
1984(昭和59)年10月10日44刷
初出:「赤い鳥」大正10年3月号
入力:鈴木厚司
校正:林 幸雄
ファイル作成:野口英司
2001年3月28日公開
2001年4月2日修正
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