二
そのうちわたしはまたシナの国に渡って、殷の紂王というもののお妃になりました。あの紂王にすすめて、百姓から重いみつぎものを取り立てさせ、非道の奢りにふけったり、罪もない民をつかまえて、むごたらしいしおきを行ったりした妲妃というのは、わたしのことでした。紂王がほろぼされると、わたしはまた山の中にかくれて、何百年か暮らしました。
おしまいに日本の国に来て、院さまのお召し使いの女になって、玉藻前と名のりました。わたしをおそばへお近づけになってから、院さまは始終重いお病におなやみになるようになりました。院さまのお命をとって、日本の国をほろぼそうとしたわたしのたくらみは、だんだん成就しかけました。それを見破ったのは陰陽師の安倍の泰成でした。わたしはとうとう泰成のために祈り伏せられて、正体を現してしまいました。そしてこの那須野の原に逃げ込んだのです。けれども日本は弓矢の国でした。天竺でも、シナでも、一度山か野にかくれればもうだれも追いかけて来る者はなかったのですが、こんどはそういきませんでした。間もなく院さまは三浦の介と千葉の介と二人の武士においいつけになって、何百騎の侍で那須野の原を狩り立ててわたしを射させました。わたしはもう逃げ道がなくなって、とうとう二人の武士の矢先にかかって倒れました。けれども体だけはほろびても、魂はほろびずに、この石になって残りました。わたしの根ぶかい悪念は石になってもほろびません。石のそばに寄るものは、人でも獣でも毒にあたって倒れました。みんなは殺生石といって、おそれてそばへ寄るものはありませんでした。それが今夜あなたに限って、殺生石のそばに夜を明かしながら、何にも災いのかからないのはふしぎです。これはきっと仏さまの道を深く信じていらっしゃる功徳に違いありません。あなたのような尊いお上人さまにお目にかかったのは、わたしのしあわせでした。どうかあなたのあらたかな法力で、わたしをお救いなすって下さいませんか。わたしはもう自分ながら自分の深い罪と迷いのために、このとおり石になってもなお苦しんでいるのでございます。」
こういって、女はほっとため息をつきました。
玄翁はだまって、じっと目をつぶったまま、女の話を聴いていました。やがて女の長い話がおしまいになりますと、静かに目をあいて、やさしく女の姿を見ながら、
「うん、うん、分かった。わたしの力の及ぶだけはやってみよう。安心して帰るがいい。」
といいました。
女はにっこり笑って、すっとかき消すように見えなくなりました。
そうこうするうちに、いつか夜がしらしら明けはなれてきました。玄翁ははじめてそこらを見回しますと、石はゆうべのままに白く立っていました。見ると石のまわりには、二三町の間ろくろく草も生えてはいませんでした。そして小鳥や虫が何千となく重なり合って死んでいました。
玄翁は今更殺生石におそろしい毒のあることを知って、ぞっとしました。
もうすっかり明るくなって、日が昇りかけました。草の上の露がきらきら輝き出しました。
玄翁は殺生石の前に座って、熱心にお経を読みました。そして殺生石の霊をまつってやりました。殺生石がかすかに動いたようでした。
やがてお経がすむと、玄翁は立ち上がって、呪文を唱えながら、持っていたつえで三度石をうちました。すると静かに石は真ん中から二つにわれて、やがて霜柱がくずれるように、ぐさぐさといくつかに小さくわれていきました。
その後旅の人が殺生石のそばを通っても、もう災いはおこらなかったそうです。
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