三
牛若は五条の橋の大どろぼうのうわさを聞くと、
「ふん、それはおもしろい。てんぐでも鬼でも、そいつを負かして家来にしてやろう。」
と思いました。
月のいい夏の晩でした。牛若は腹巻をして、その上に白い直垂を着ました。そして黄金づくりの刀をはいて、笛を吹きながら、五条の橋の方へ歩いて行きました。
橋の下に立っていた弁慶は、遠くの方から笛の音が聞こえて来ると、
「来たな。」
と思って、待っていました。そのうち笛の音はだんだん近くなって、色の白い、きれいな稚児が歩いて来ました。弁慶は、
「なんだ、子供か。」
とがっかりしましたが、そのはいている太刀に気がつくと、
「おや、これは、」
と思いました。
弁慶は橋のまん中に飛び出して行って、牛若の行く道に立ちはだかりました。牛若は笛を吹きやめて、
「じゃまだ。どかないか。」
といいました。弁慶は笑って、
「その太刀をわたせ。どいてやろう。」
といいました。牛若は心の中で、
「こいつが太刀どろぼうだな。よしよし、ひとつからかってやれ。」
と思いました。
「ほしけりゃ、やってもいいが、ただではやられないよ。」
牛若はこういって、きっと弁慶の顔を見つめました。
弁慶はいら立って、
「どうしたらよこす。」
とこわい顔をしました。
「力ずくでとってみろ。」
と牛若がいいました。弁慶はまっ赤になって、
「なんだと。」
といいながら、いきなりなぎなたで横なぐりに切りつけました。すると牛若はとうに二三間後に飛びのいていました。弁慶は少しおどろいて、また切ってかかりました。牛若はひょいと橋の欄干にとび上がって、腰にさした扇をとって、弁慶の眉間をめがけて打ちつけました。ふいを打たれて弁慶は面くらったはずみに、なぎなたを欄干に突き立てました。牛若はその間にすばやく弁慶の後ろに下りてしまいました。そして弁慶がなぎなたを抜こうとあせっている間に、後ろからどんとひどくつきとばしました。弁慶はそのままとんとんと五六間飛んで行って、前へのめりました。牛若はすぐとその上に馬乗りに乗って、
「どうだ、まいったか。」
といいました。
弁慶はくやしがって、はね起きようとしましたが、重い石で押えられたようにちっとも動かれないので、うんうんうなっていました。牛若は背中の上で、
「どうだ、降参しておれの家来になるか。」
といいました。弁慶は閉口して、
「はい、降参します。御家来になります。」
と答えました。
「よしよし。」
と牛若はいって、弁慶をおこしてやりました。弁慶は両手を地について、
「わたくしはこれまでずいぶん強いつもりでいましたが、あなたにはかないません。あなたはいったいどなたです。」
といいました。牛若はいばって、
「おれは牛若だ。」
といいました。
弁慶はおどろいて、
「じゃあ、源氏の若君ですね。」
といいました。
「うん、佐馬頭義朝の末子だ。お前はだれだ。」
「どうりでただの人ではないと思いました。わたしは武蔵坊弁慶というものです。あなたのようなりっぱな御主人を持てば、わたしも本望です。」
といいました。
これで牛若と弁慶は、主従のかたい約束をいたしました。
四
牛若は間もなく元服して、九郎義経と名のりました。そしてにいさんの頼朝をたすけて、平家をほろぼしました。
弁慶は義経といっしょに度々戦に出て手柄をあらわしました。後に義経が頼朝と仲が悪くなって、奥州へ下った時も、しじゅう義経のお供をして忠義をつくしました。そしておしまいに奥州の衣川というところで、義経のために討ち死にをしました。その時体じゅうに矢を受けながら、じっと立って敵をにらみつけたまま死んでいたので、弁慶の立ち往生だといって、みんなおどろきました。
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