バルブレン
パリへ行くのを急ぎさえしなかったら、わたしはリーズの所にしばらく足を止めていたであろう。わたしたちはおたがいにあれほどたくさん言うことがあって、しかもおたがいのことばではずいぶんわずかしか言えなかった。かの女は手まねでおじさんとおばさんがどんなに
もちろん話は、たいていお金持ちらしいわたしのうちのことであった。そうしてお金ができたときに、わたしのしようと思ういろいろなことであった。わたしはかの女の父親と、
わたしたちはみんなで――リーズとマチアとわたしと三人に、人形とカピまでお
でもわたしたちはまもなく
「ぼくは今度来るとき、四頭引きの馬車で来て、リーズちゃんを
そうしてかの女もわたしを
わたしはパリへ行くのでいっしょうけんめいであったから、マチアのために食べ物を買うお金を集めるのに、ときどき足を止めるだけであった。もう
「取れるだけは取って行こうよ」とマチアは言って、
「おお、ぼくは忘れはしない」とわたしは軽く言った。「でもきっとあの人は見つかるよ。待っていたまえ」
「ああ、でもあの日、きみがぼくを見つけたとき、お寺のかべにどんなふうによりかかっていたか、ぼくは
「ぼくの両親のうちへ行けば、その代わりにたんとごちそうが食べられるよ」とわたしは答えた。
「うん。まあ、なんでも、もう一ぴき
これはいかにももっともな
「きみはお金持ちになったら、どんなになまけ者になるだろう」とマチアは言った。だんだんパリに近くなればなるほど、ますますわたしはゆかいになった。そうしてマチアはますます
わたしたちはどんなにしても
「きみはバルブレンをどんなにこわがっていたか。それを思ったら、どんなにぼくがガロフォリをこわがっているかわかるだろう。あの男が
わたしはガロフォリのことはなにも考えていなかった。
わたしはマチアと
わたしたちはもう二度と会うことがないようなさわぎをして
わたしはすっかり気落ちがしていた。もうわたしの
オテル・デュ・カンタルへ行くまえにわたしはガロフォリのうちへ行って、あの男の様子を見てマチアになにかおみやげを持って帰りたいと思った。そこの
じいさんは返事はしないで、わたしの顔を見て、それからせきをし始めた。その様子で、わたしはガロフォリについてなんでも知っていることをよく向こうにわからせないうちは、この男からなにも聞き出すことができないことをさとった。
「おまえさん、あの人がまだ
「ええ、あの人はまた三か月食らったのだよ」
ガロフォリがまた三か月刑務所にはいっている。マチアはほっと息をつくであろう。
わたしはできるだけ早く、このおそろしい
わたしはまもなくオテル・デュ・カンタルに着いた、オテル(旅館)というのは名ばかりのひどい
「バルブレンという人に会いたいのです。シャヴァノン村から来た人です」とわたしは
「バルブレンという人を知っていますか」とわたしはどなった。
そうするとかの女は大あわてにあわてて両手を空へ上げた。その
「おやおや、おやおや」とかの女はさけんだ。「おまえさんが、あの人のたずねていなすった子どもかい」
「おお、あなた、知っているの」とわたしはむちゅうになってさけんだ。「ではバルブレンさんは」
「死にましたよ」と、かの女は
「なに、死んだ」とわたしはかの女に聞こえるほどの大きな声でさけんだ。わたしはくらくらとした。いまはどうして両親を見つけよう。
「おまえさんがみんなの
「ええ、ええ、ぼくがその子です。ぼくのうちはどこです。わかりませんか」
「わたしはいま言っただけしか知りませんよ」
「バルブレンさんが、わたしの両親のことをなんとか言っていませんでしたか。おお、話してください」とわたしはせがむように言った。
かの女は天に向かって、高く両うでを上げた。
「ねえ、話してください。なんです。それは」
このしゅんかん、女中のようなふうをした女が出て来た。オテル・デュ・カンタルの女主人はかの女のほうへ向いた。
「たいへんなことではないか。この子どもさんは、この
「でもバルブレンにぼくのうちのことをあなたに話しませんでしたか」とわたしはたずねた。
「それは聞きましたよ――百度もね。なんでもたいへん、お金持ちのうちだそうですねえ、
「それでどこに住んでいるのです。名前はなんというのです」
「それについてはバルブレンさんは、なにも話をしませんでしたよ。あの人はきみょうな人でしたよ。あの人は自分一人でお礼を
「なにか書き物を
「いいえ、ただあの人がシャヴァノン村から来たということを書いたものだけです。その紙でも見つけなかったら、あの人のおかみさんの所へ死んだ知らせを出すこともできないところでしたよ」
「まあ、あなたは知らせてやりましたか」
「むろん、どうしてさ」
わたしはこのばあさんから、なにも知ることができなかった。わたしはしょんぼり戸口のほうへ向かった。
「おまえさん、どこへ行きなさる」とかの女はたずねた。
「友だちの所へ帰ります」
「ははあ、お友だちがありますか。それはパリにいるの」
「ぼくたちはけさ
「へえ、あなたがたは、とまる所がなければ、まあこのうちへおいでなさいな。じゅうぶんお世話もするし、正直なうちですよ。そのおまえさんのおうちの人も、バルブレンさんから返事の来るのを待ちかねなすったら、きっとこのうちへ聞きに来るでしょう。そうすればおまえさんを見つけるはずだ。わたしの言うのはおまえさんのためですよ。お友だちはいくつになんなさる」
「ぼくよりすこし小さいんです」
「まあ、考えてごらん。子どもが二人で、パリの町にうろうろしていたら、ろくなことはありはしないよ」
オテル・デュ・カンタルは、わたしもおよそ知っている
でもこのばあさんの言ってくれることは考え直す
「友だちとわたしとで
「一日十スーです。たいしたことではないさ」
「なるほど。じゃあ
「早くお帰んなさいよ。パリは夜になると、子どもにはよくない場所だからね」とかの女は後ろから声をかけた。
夜のまくが下りた。
やがてお寺へ来たが、マチアを待ち合わせるにはまだ二時間早かった。わたしは
七時すこしまえにわたしはあわただしいほえ声を聞いた。するとかげからカピがとび出した。かれはわたしのひざにとびついて、やわらかいしめった
するとかれはわたしの
わたしたちはオテル・デュ・カンタルへ帰った。
そのあくる朝バルブレンのおっかあの所へ手紙を出して、
その返事にかの女は、夫が病院から手紙を
「じゃあぼくたちはロンドンへ行かなければならない」とわたしが手紙を読んでしまうとマチアが言った。この手紙は村のぼうさんが
「おお、ぼくはそれよりもリーズやなんかと同じ国の人間でありたい。だがぼくがイギリス人なら、ミリガン
「ぼくはきみがイタリア人であればよかったと思う」とマチアが言った。
それから数分間のうちにわたしたちの荷物はすっかり荷作りができて、わたしたちは出発した。
パリからボローニュまで道みち
なんというひどい
とうとう
わたしはイギリス語をごくわずかしか知らなかったが、マチアはガッソーの
上陸するとすぐ
いよいよグレッス・アンド・ガリー
わたしたちはすぐとこの事務所の主人であるグレッス
「ぼくにはお父さんがあるんですか」とわたしは、やっと「お父さん」ということばを口に出した。
「ええ、お父さんばかりではなく、お母さんも、男のご兄弟も、女のご
「へえ」
かれはベルをおした。書記が出て来ると、かれはその人にわたしたちの世話をするように言いつけた。
「おお、
グレッス氏のみにくい顔は
ドリスコル家
マチアとわたしはカピを間にはさんですみっこにだき合っていた。書記が一人であとの
わたしたち二人はグリーン(緑)というイギリス語がどういう意味だか知っていた。ベスナル・グリーンはきっとわたしの一家の住んでいる大きな公園の名前にちがいなかった。長いあいだ馬車はロンドンのにぎやかな町を走って行った。それはずいぶん長かったから、そのやしきはきっと町はずれにあるのだと思った。グリーンということばから考えると、それはいなかにあるにちがいないと思われた。でも馬車から見るあたりの
とうとうかれはすっかり馬車を止めてしまった。ハンサムの
わたしたちはいまイギリス人が「ジン酒の
通りはいよいよせまくなって、こちらのうちから向こうのうちへ
そのまん中には小さな池があった。
「これがレッド・ライオン・コートだ」と
その火の前の大きな竹のいすに、白いひげを生やした
わたしは書記がその人になんと言っていたのかわからなかった。ただドリスコルという名前が耳に止まった。それはわたしの
みんなの目はマチアとわたしに向けられた。ただ赤んぼうの女の子だけがカピに目をつけていた。
「どちらがルミだ」と主人はフランス語でたずねた。
「ぼくです」とわたしは言って、一足前へ進んだ。
「では来て、お父さんにキッスをおし」
わたしはまえからこのしゅんかんのことをゆめのように考えては、きっともうそのときは幸福に
「さあ」とかれは言った。「おまえのおじいさんも、お母さんも、弟や妹たちもいるよ」
わたしはまず母親の所へ行って、両うでをからだにかけた。かの女はわたしにキッスをさせた。けれどわたしの
「おじいさんと
わたしはまた弟たちや、女の
なぜやっとのことで自分のうちを見つけたのに、すこしもうれしく感じることができないのか。わたしは父親に母親に、兄弟に、
そう思ってわたしはまた母親のそばへ
わたしの
「あれはだれだ」と父親はマチアを指さしながら聞いた。わたしはかれに向かってマチアがいちばん
「よしよし」と父親は言った。「あの子もうちにとまって、いなかを見物するがよかろう」
わたしはマチアの代わりに答えようとしたが、かれが先に口をきいた。
「それはぼくもけっこうです」とかれはさけんだ。
わたしの父親はなぜバルブレンがいっしょに来ないかとたずねた。わたしはかれにバルブレンの死んだことを
「おまえは、わたしたちが十三年もおまえをたずねなかったことをふしぎに思っているかもしれない」と父親が言った。「しかも急にまた思い出したように出かけて行って、おまえを赤んぼうのじぶん拾った人を
わたしはかれに自分のたいへんおどろいたこと、それからそれまでの様子をくわしく聞きたいことを話した。
「では
わたしは
「おかまいでない」と父親は言った。「あのじいさんはだれも火の前に来ることをいやがるのだ。けれどおまえ、寒ければかまわないよ」
わたしはこんなふうに
「おまえはこれからわたしの
そうだ、もちろんわたしはかれらに慣れなければならない。かれらはわたしの一家の者ではないか。それはりっぱな
わたしの父親がこの話をしているあいだに、かれらは
「おまえたち、
「うん、
しかし
わたしはいい
わたしたちは食事がすんでから、その
「ほら、これがおまえたちのねどこだ」とかれは言った。「まあ、おやすみ」
これがわたしの家族からこの夜