您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 楠山 正雄 >> 正文

家なき子(いえなきこ)02

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-1 11:48:06  点击:  切换到繁體中文



     バルブレン

 パリへ行くのを急ぎさえしなかったら、わたしはリーズの所にしばらく足を止めていたであろう。わたしたちはおたがいにあれほどたくさん言うことがあって、しかもおたがいのことばではずいぶんわずかしか言えなかった。かの女は手まねでおじさんとおばさんがどんなにやさしく自分にしてくれるか、船に乗るのがどんなにおもしろいかということを話した。わたしはかの女にアルキシーのはたらいている鉱山こうざんあぶなく死にかけたこと、わたしのうちの者がわたしをさがしていることを話した。それがためパリへも急いで行かなければならないし、エチエネットの所へ会いに行くことができなくなったことを話した。
 もちろん話は、たいていお金持ちらしいわたしのうちのことであった。そうしてお金ができたときに、わたしのしようと思ういろいろなことであった。わたしはかの女の父親と、あにさんやあねさんたちをとりわけかの女を幸福にしてやりたいと思った。リーズはマチアとちがってそれをよろこんでいた。かの女はお金さえあれば、たいへん幸福になるにちがいないとしんじきっていた。だってかの女の父親はただ借金しゃっきんを返すお金さえあったなら、あんな不幸ふこうな目に会わなかったにちがいないではないか。
 わたしたちはみんなで――リーズとマチアとわたしと三人に、人形とカピまでおともれて、長い散歩さんぽをした。わたしはこの五、六日ひじょうに幸福であった。夕方まだあまりしめっぽくならないうちは家の前に、それからきりが深くなってからはの前にすわった。わたしはハープをひいて、マチアはヴァイオリンかコルネをやった。リーズはハープをいていたので、わたしはたいへん得意とくいになった。時間がたって、わたしたちが別々べつべつにねどこへ行かなければならないときになると、わたしは、かの女のためにナポリ小唄こうたをひいて歌った。
 でもわたしたちはまもなくわかれてべつの道を行かなければならなかった。わたしはかの女にじき帰って来ると言った。かの女にのこしたわたしの最後さいごのことばは、
「ぼくは今度来るとき、四頭引きの馬車で来て、リーズちゃんをれて行くよ」というのであった。
 そうしてかの女もわたしをしんじきって、あたかもむちをふるって馬を追うような身ぶりをした。かの女もまたわたしと同様に、わたしのとみとわたしの馬や馬車を目にうかべることができるのであった。
 わたしはパリへ行くのでいっしょうけんめいであったから、マチアのために食べ物を買うお金を集めるのに、ときどき足を止めるだけであった。もう雌牛めうしを買うことも、人形を買うこともいらなかった。お金持ちの両親の所へお金を持って行ってやる必要ひつようもなかった。
「取れるだけは取って行こうよ」とマチアは言って、無理むりにわたしがハープをかたからはずさなければならないようにした。「だってパリへ行っても、すぐにバルブレンが見つかるかどうだかわからないからねえ。そうなると、きみはあのばん空腹くうふくで死にそうになったことをわすれていると言われてもしかたがないよ」
「おお、ぼくは忘れはしない」とわたしは軽く言った。「でもきっとあの人は見つかるよ。待っていたまえ」
「ああ、でもあの日、きみがぼくを見つけたとき、お寺のかべにどんなふうによりかかっていたか、ぼくはわすれない。ああ、ぼくはパリでえて苦しむのだけはもうつくづくいやだよ」
「ぼくの両親のうちへ行けば、その代わりにたんとごちそうが食べられるよ」とわたしは答えた。
「うん。まあ、なんでも、もう一ぴき雌牛めうしを買うつもりではたらこうよ」とマチアは聞かなかった。
 これはいかにももっともな忠告ちゅうこくであったが、わたしはもうこれまでと同じに精神せいしんを打ちこんで歌を歌わなくなったことを白状はくじょうしなければならない。バルブレンのおっかあのために雌牛めうしを買い、またはリーズのために人形を買うお金を取るということは、まるっきりそれとはちがったことであった。
「きみはお金持ちになったら、どんなになまけ者になるだろう」とマチアは言った。だんだんパリに近くなればなるほど、ますますわたしはゆかいになった。そうしてマチアはますます陰気いんきになった。
 わたしたちはどんなにしてもわかれないと言いきっているのに、どうしてまだかれが悲しそうにしているのか、わたしはわからなかった。とうとうわたしたちはパリの大門に着いたとき、かれはいまでもどんなにガロフォリをこわがっているか、もしあの男に会ったらまたつかまえられるにちがいないという話をした。
「きみはバルブレンをどんなにこわがっていたか。それを思ったら、どんなにぼくがガロフォリをこわがっているかわかるだろう。あの男が牢屋ろうやから出ていればきっとぼくをつかまえるにちがいない。ああ、このなさけない頭、かわいそうな頭、あの男はどんなにそれをひどくぶったことだろう。そうすればあの男はきっとぼくたちを引き分けてしまう。むろんあの人はきみをも子分にして使いたいであろうが、それをきみには無理むりにもいることができないが、ぽくに対してはそうする権利けんりがあるのだ。あの人はぼくのおじだからね」
 わたしはガロフォリのことはなにも考えていなかった。
 わたしはマチアと相談そうだんをして、バルブレンのおっかあがそこへ行けば、バルブレンを見つけるかもしれないと言ったいろいろの場所へ行くことにした。それからわたしはリュー・ムッフタールへ行こう。それからノートル・ダーム寺の前でわたしたちは会うことにしよう。
 わたしたちはもう二度と会うことがないようなさわぎをしてわかれた。わたしはこちらの方角へ、マチアは向こうの方角へ向かった。わたしはバルブレンがせんに住んでいた場所の名をいろいろ紙に書きつけておいた。それを一つ、一つ、たずねて行った。ある木賃宿きちんやどでは、かれは四年前そこにいたが、それからはいなくなったと言った。その宿屋やどや亭主ていしゅは、あいつには一週間の宿料しゅくりょうしがあるから、あの悪党あくとう、どうかしてつかまえてやりたいと言っていた。
 わたしはすっかり気落ちがしていた。もうわたしのたずねる所は一か所しかのこっていなかった。それはあの料理屋りょうりやであった。そのうちをやっている男は、もう長いあいだあの男の顔を見ないといったが、ちょうど食卓しょくたくにすわって食べていたお客の一人が声をかけて、うん、あの男なら、近ごろオテル・デュ・カンタルにとまっていたと言ってくれた。
 オテル・デュ・カンタルへ行くまえにわたしはガロフォリのうちへ行って、あの男の様子を見てマチアになにかおみやげを持って帰りたいと思った。そこの裏庭うらにわへ行くと、はじめて行ったときと同様、あのじいさんがドアの外へきたないぼろをぶら下げているのを見た。
 じいさんは返事はしないで、わたしの顔を見て、それからせきをし始めた。その様子で、わたしはガロフォリについてなんでも知っていることをよく向こうにわからせないうちは、この男からなにも聞き出すことができないことをさとった。
「おまえさん、あの人がまだ刑務所けいむしょにはいっているというのではあるまい」とわたしはさけんだ。「だってあの人はもうよほどまえに出て来たはずではないか」
「ええ、あの人はまた三か月食らったのだよ」
 ガロフォリがまた三か月刑務所にはいっている。マチアはほっと息をつくであろう。
 わたしはできるだけ早く、このおそろしい路地ろじをぬけ出して、オテル・デュ・カンタルへ急いで行った。わたしは希望きぼう歓喜かんきむねにいっぱいたたみこまれて、もうすっかりバルブレンのことをよく思いたい気になっていた。バルブレンという男がいなかったなら、わたしは赤んぼうのとき、寒さとえのために死んでいたかもしれなかった。なるほどあの男はわたしをバルブレンのおっかあの手からはなして、よその人の手に売りわたしたにはちがいなかった。でもあのときはあの人もわたしに対してべつに愛情あいじょうもなかったし、たぶんお金のためにいやいやそれをしたのかしれなかった。とにかくわたしが両親を見つけるまでになったのは、あの人のおかげであった。だからもう、あの人に対してけっして悪意を持ってはならないはずであった。
 わたしはまもなくオテル・デュ・カンタルに着いた、オテル(旅館)というのは名ばかりのひどい木賃宿きちんやどであった。
「バルブレンという人に会いたいのです。シャヴァノン村から来た人です」とわたしは写字机しゃじづくえに向かっていたきたならしいばあさんに向かって言った。かの女は、ひどいつんぼで、いま言ったことをもう一度くり返してくれと言った。
「バルブレンという人を知っていますか」とわたしはどなった。
 そうするとかの女は大あわてにあわてて両手を空へ上げた。そのいきおいがえらかったので、ひざに乗っかっていたねこが、びっくりしてとび下りた。
「おやおや、おやおや」とかの女はさけんだ。「おまえさんが、あの人のたずねていなすった子どもかい」
「おお、あなた、知っているの」とわたしはむちゅうになってさけんだ。「ではバルブレンさんは」
「死にましたよ」と、かの女は簡潔かんけつに答えた。わたしはハープにひょろひょろとなった。
「なに、死んだ」とわたしはかの女に聞こえるほどの大きな声でさけんだ。わたしはくらくらとした。いまはどうして両親を見つけよう。
「おまえさんがみんなのさがしていなさる子どもだね。そうだ、おまえさんにちがいない」とばあさんはまた言った。
「ええ、ええ、ぼくがその子です。ぼくのうちはどこです。わかりませんか」
「わたしはいま言っただけしか知りませんよ」
「バルブレンさんが、わたしの両親のことをなんとか言っていませんでしたか。おお、話してください」とわたしはせがむように言った。
 かの女は天に向かって、高く両うでを上げた。
「ねえ、話してください。なんです。それは」
 このしゅんかん、女中のようなふうをした女が出て来た。オテル・デュ・カンタルの女主人はかの女のほうへ向いた。
「たいへんなことではないか。この子どもさんは、このわかだんなは、バルブレンさんがあれほど言っていなすったご当人だとよ」
「でもバルブレンにぼくのうちのことをあなたに話しませんでしたか」とわたしはたずねた。
「それは聞きましたよ――百度もね。なんでもたいへん、お金持ちのうちだそうですねえ、わかだんな」
「それでどこに住んでいるのです。名前はなんというのです」
「それについてはバルブレンさんは、なにも話をしませんでしたよ。あの人はきみょうな人でしたよ。あの人は自分一人でお礼をのこらずもらうつもりでいたのですよ」
「なにか書き物をいては行きませんでしたか」
「いいえ、ただあの人がシャヴァノン村から来たということを書いたものだけです。その紙でも見つけなかったら、あの人のおかみさんの所へ死んだ知らせを出すこともできないところでしたよ」
「まあ、あなたは知らせてやりましたか」
「むろん、どうしてさ」
 わたしはこのばあさんから、なにも知ることができなかった。わたしはしょんぼり戸口のほうへ向かった。
「おまえさん、どこへ行きなさる」とかの女はたずねた。
「友だちの所へ帰ります」
「ははあ、お友だちがありますか。それはパリにいるの」
「ぼくたちはけさはじめてパリへ来たんです」
「へえ、あなたがたは、とまる所がなければ、まあこのうちへおいでなさいな。じゅうぶんお世話もするし、正直なうちですよ。そのおまえさんのおうちの人も、バルブレンさんから返事の来るのを待ちかねなすったら、きっとこのうちへ聞きに来るでしょう。そうすればおまえさんを見つけるはずだ。わたしの言うのはおまえさんのためですよ。お友だちはいくつになんなさる」
「ぼくよりすこし小さいんです」
「まあ、考えてごらん。子どもが二人で、パリの町にうろうろしていたら、ろくなことはありはしないよ」
 オテル・デュ・カンタルは、わたしもおよそ知っているかぎりでいちばんきたならしい宿屋やどやの一つであった。わたしはかなりきたない宿屋やどやをいくつか見ていた。
 でもこのばあさんの言ってくれることは考え直す値打ねうちがあった。それにわたしたちはききらいをしてはいられなかった。わたしはまだりっぱなパリ風のやしきに住んでいる自分の家族を見つけなかった。なるほどこうなると道みち集められるだけの金を集めておきたい、とマチアの言ったのはもっともであった。わたしたちのかくしに十七フランの金がなかったらどうしよう。
「友だちとわたしとで部屋へやだいはいくらです」とわたしはたずねた。
「一日十スーです。たいしたことではないさ」
「なるほど。じゃあばんにまた来ます」
「早くお帰んなさいよ。パリは夜になると、子どもにはよくない場所だからね」とかの女は後ろから声をかけた。
 夜のまくが下りた。街燈がいとうはともっていた。わたしは長いこと歩いてノートル・ダームのお寺へ行って、マチアに会うことにした。わたしは元気がすっかりなくなっていた。ひどくつかれて、そこらのものはのこらず陰気いんきに思われた。この光と音のあふれた大きなパリでは、わたしはまるっきりひとりぼっちであることをしみじみ感じた。わたしはこんなふうでいつか自分の親類しんるいを見つけることができるであろうか。いつかほんとの父親と、ほんとの母親に会うことになるであろうか。
 やがてお寺へ来たが、マチアを待ち合わせるにはまだ二時間早かった。わたしは今晩こんばんいつもよりよけいにかれの友情ゆうじょう必要ひつようを感じた。わたしはあんなにゆかいな、あんなに親切な、あれほど友人としてたのもしいかれに会うことにただ一つの楽しい希望きぼうを持った。
 七時すこしまえにわたしはあわただしいほえ声を聞いた。するとかげからカピがとび出した。かれはわたしのひざにとびついて、やわらかいしめったしたでなめた。わたしはかれを両うでにだきしめて、そのつめたい鼻にキッスした。マチアがまもなく姿すがたあらわした。二言三言でわたしはバルブレンの死んだこと、自分の家族を見つけるのぞみのなくなったことをげた。
 するとかれはわたしのほっしていたありったけの同情どうじょうをわたしにそそいだ。かれはどうにかしてわたしをなぐさめようと努力どりょくした。そして失望しつぼうしてはいけないと言った。かれはいっしょになって、まじめに両親をさがし出すことのできるようにしようと、心からちかった。
 わたしたちはオテル・デュ・カンタルへ帰った。


     捜索そうさく

 そのあくる朝バルブレンのおっかあの所へ手紙を出して、不幸ふこうのおくやみを言って、かの女のおっとくなるまえに、なにか便たよりがあったかたずねてやった。
 その返事にかの女は、夫が病院から手紙をこして、もしよくならなかったら、ロンドンのリンカーン・スクエアで、グレッス・アンド・ガリーといううちへあてて手紙を出すように言って来たことをげた。それはわたしをさがしている弁護士べんごしであった。なおかれはかの女に向かって、自分がたしかに死んだと決まるまでは、手をつけてはならないとことづけて来たそうである。
「じゃあぼくたちはロンドンへ行かなければならない」とわたしが手紙を読んでしまうとマチアが言った。この手紙は村のぼうさんが代筆だいひつをしたものであった。「その弁護士べんごしがイギリス人だというなら、きみの両親もイギリス人であることがわかる」
「おお、ぼくはそれよりもリーズやなんかと同じ国の人間でありたい。だがぼくがイギリス人なら、ミリガン夫人ふじんやアーサと同じことになるのだ」
「ぼくはきみがイタリア人であればよかったと思う」とマチアが言った。
 それから数分間のうちにわたしたちの荷物はすっかり荷作りができて、わたしたちは出発した。
 パリからボローニュまで道みちおもな町で足を止めて、八日がかりでやっとボローニュに着いたとき、ふところには三十二フランあった。わたしたちはそのあくる日ロンドンへ行く貨物船かもつせんに乗った。
 なんというひどい航海こうかいであったろう、かわいそうに、マチアはもう二度と海へは出ないと言い切った。やっとのことで、テムズ川を船が上って行ったとき、わたしはかれにたのむようにして、起き上がって外のふしぎな景色けしきを見てくれといった。けれどもかれは、今後も後生ごしょうだから一人うっちゃっておいてくれとたのんだ。
 とうとう機関きかんが運転を止めて、いかりづなはおかに投げられた。そしてわたしたちはロンドンに上陸じょうりくした。
 わたしはイギリス語をごくわずかしか知らなかったが、マチアはガッソーの曲馬団きょくばだんでいっしょにはたらいていたイギリス人から、たんとことばを教わっていた。
 上陸するとすぐ巡査じゅんさに向かって、リンカーン・スクエアへ行く道を聞いた。それはなかなか遠いらしかった。たびたびわたしたちは道にまよったと思った。けれどももう一度たずねてみて、やはり正しい方向に向かって歩いていることを知った。とうとうわたしたちはテンプル・バーに着いた。それから二、三歩行けばリンカーン・スクエアへ着くのであった。
 いよいよグレッス・アンド・ガリー事務所じむしょの戸口に立ったとき、わたしはずいぶんはげしく心臓しんぞう鼓動こどうした。それでしばらくマチアに気のしずまるまで待ってもらわねばならなかった。マチアが書記にわたしの名前と用事をべた。
 わたしたちはすぐとこの事務所の主人であるグレッス私室ししつへ通された。幸いにこの紳士しんしはフランス語を話すので、わたしは自身かれと語ることができた。かれはわたしに向かってこれまでの細かいことをいちいちたずねた。わたしの答えはまさしくわたしがかれのたずねる少年であることをたしかめさせたので、かれはわたしに、ロンドンに住んでいるわたしの一家のあること、そしてさっそくそこへわたしを送りつけてやるということを話した。
「ぼくにはお父さんがあるんですか」とわたしは、やっと「お父さん」ということばを口に出した。
「ええ、お父さんばかりではなく、お母さんも、男のご兄弟も、女のご姉妹きょうだいもあります」とかれは答えた。
「へえ」
 かれはベルをおした。書記が出て来ると、かれはその人にわたしたちの世話をするように言いつけた。
「おお、わすれていました」とグレッスが言った。「あなたの名字みょうじはドリスコルで、あなたのお父上の名前は、ジョン・ドリスコル氏です」
 グレッス氏のみにくい顔はこのましくなかったが、わたしはそのときよほどかれにとびついてだきしめようと思った。しかしかれはその時間をあたえなかった。かれの手はすぐに戸口をさした。で、わたしたちは書記について外へ出た。


     ドリスコル家

 往来おうらいへ出ると、書記は辻馬車つじばしゃんで、わたしたちに中へとびこめと言いつけた。きみょうな形の馬車で、上からかぶさっているほろの後ろについたはこに、御者ぎょしゃがこしをかけていた。あとでこれがハンサム馬車というものだということを知った。
 マチアとわたしはカピを間にはさんですみっこにだき合っていた。書記が一人であとのせき占領せんりょうしていた。マチアはかれが御者ぎょしゃに向かって、ベスナル・グリーンへ馬車をやれと言いつけているのを聞いた。御者はそこまで馬車をやることをあまりこのまないように見えた。マチアとわたしは、きっとそこは遠方なせいであろうと思った。
 わたしたち二人はグリーン(緑)というイギリス語がどういう意味だか知っていた。ベスナル・グリーンはきっとわたしの一家の住んでいる大きな公園の名前にちがいなかった。長いあいだ馬車はロンドンのにぎやかな町を走って行った。それはずいぶん長かったから、そのやしきはきっと町はずれにあるのだと思った。グリーンということばから考えると、それはいなかにあるにちがいないと思われた。でも馬車から見るあたりの景色けしきはいっこうにいなからしい様子にはならなかった。わたしたちはひどくごみごみした町へはいった。まっ黒などろが馬車の上にはね上がった。それからわたしたちはもっとひどいびんぼう町のはうへ曲がって、ときどき御者ぎょしゃも道がわからないのか、馬車を止めた。
 とうとうかれはすっかり馬車を止めてしまった。ハンサムの小窓こまどを中に、グレッス・アンド・ガリーの書記さんと、こまりきった御者ぎょしゃとの間におし問答が始まった。なんでもマチアが聞いたところでは、御者はもうとても道がわからないと言って、書記にどちらの方角へ行けばいいか、たずねているのであった。書記は自分もこんなどろぼう町へなんかこれまで来たことがなかったからわからないと答えた。わたしたちはこの「どろぼう」ということばが耳に止まった。すると書記はいくらか金を御者ぎょしゃにやって、わたしたちに馬車から下りろと言った。御者はわたされた賃金ちんぎんを見て、ぶつぶつ言っていたが、やがてくるりと方向をえて馬車を走らせて行った。
 わたしたちはいまイギリス人が「ジン酒の宮殿きゅうでん」とんでいる酒場の前の、ぬかるみの道に立った。案内あんないの先生はいやな顔をしてそこらを見回して、それからその「ジン酒の宮殿きゅうでん」の回転ドアを開けて中へはいった。わたしたちはあとにつづいた。わたしたちはこの町でもいちばんひどい場所にいるのであったが、またこれほどぜいたくな酒場も見なかった。そこには金ぶちのわくをはめたかがみがどこにもここにもはめてあって、ガラスの花燭台はなしょくだいと、銀のようにきらきら光るりっぱな帳場があった。けれどもそこにいっぱい集まっている人たちは、どれもよごれたぼろをかぶった人たちであった。
 案内者あんないしゃれいのりっぱな帳場の前についであった一ぱいの酒をがぶ飲みにして、それから給仕きゅうじの男に自分の行こうとする場所の方角を聞いた。たしかにかれはもとめた返事をたらしく、また回転ドアをおして外へ出た。わたしたちはすぐあとについて出た。
 通りはいよいよせまくなって、こちらのうちから向こうのうちへ物干ものほしのつなが下がって、きたならしいぼろがかけてあった。その戸口にこしをかけていた女たちは、青い顔をして、よれよれな髪のかたの上までだらしなくかかっていた。子どもたちはほとんど裸体らたいで、たまたま二、三人着ているのも、ほんのぼろであった。路地ろじにはぶたが、たまり水にぴしゃぴしゃ鼻面はらづらをつけて、そこからはくさったようなにおいがぷんと立った。
 案内者あんないしゃはふと立ち止まった。かれは道をうしなったらしかった。けれどちょうどそのとき一人の巡査じゅんさが出て来た。書記がかれに話すと、巡査は自分のあとからついて来いと言った……わたしたちは巡査について、もっとせまい往来おうらいを歩いた。最後さいごにわたしたちはある広場に立ち止まった。
 そのまん中には小さな池があった。
「これがレッド・ライオン・コートだ」と巡査じゅんさは言った。なぜわたしたちはここで止まったのであろう。わたしの両親がこんな所に住んでいるものであろうか。巡査は一けんの木小屋のドアをたたいた。案内人あんないにんはかれに礼を言っていた。ではわたしたちは着いたのだ。マチアはわたしの手を取って、やさしくにぎりしめた。わたしもかれの手をにぎった。わたしたちはおたがいに了解りょうかいし合った。わたしはゆめの中をたどっているような気がしていると、ドアが開いて、わたしたちはいきおいよく火のえている部屋へやにはいった。
 その火の前の大きな竹のいすに、白いひげを生やした老人ろうじんがこしをかけていた。その頭にはすっぽり黒いずきんをかぶっていた。一つのつくえに向かい合って四十ばかりの男と、六つばかり年下の女がこしをかけていた。かの女はむかしはなかなか色が白かったらしいなごりをとどめていたが、いまでは色つやもぬけて、様子はそわそわ落ち着かなかった。それから四人子どもがいた――男の子が二人、女の子が二人――みんな女親にてなかなか色白であった。いちばん上の男の子は十一ばかりで、いちばん下の女の子は三つになるかならないようであった。
 わたしは書記がその人になんと言っていたのかわからなかった。ただドリスコルという名前が耳に止まった。それはわたしの名字みょうじだとさっき弁護士べんごしが言った。
 みんなの目はマチアとわたしに向けられた。ただ赤んぼうの女の子だけがカピに目をつけていた。
「どちらがルミだ」と主人はフランス語でたずねた。
「ぼくです」とわたしは言って、一足前へ進んだ。
「では来て、お父さんにキッスをおし」
 わたしはまえからこのしゅんかんのことをゆめのように考えては、きっともうそのときは幸福にむねがいっぱいになりながら、父親のうでにとびついてゆくだろうと想像そうぞうしていた。けれどいまはまるでそんな感じは起こらなかった。でもわたしは進んで行って父親にキッスした。
「さあ」とかれは言った。「おまえのおじいさんも、お母さんも、弟や妹たちもいるよ」
 わたしはまず母親の所へ行って、両うでをからだにかけた。かの女はわたしにキッスをさせた。けれどわたしの愛情あいじょうにはむくいてくれなかった。かの女はただわたしにわからないことを二言三言いった。
「おじいさんと握手あくしゅをおし」と父親が言った。「そっとおいでよ。中気ちゅうきなのだから」
 わたしはまた弟たちや、女の姉妹きょうだいと握手した。小さい子をうでにだき上げようとしたが、かの女はすっかりカピに気を取られていて、わたしをおしのけた。わたしはむなしくそここことめぐって歩いて、しまいには自分に腹立はらだたしくなった。
 なぜやっとのことで自分のうちを見つけたのに、すこしもうれしく感じることができないのか。わたしは父親に母親に、兄弟に、祖父そふまである。わたしはこのしゅんかんをどんなにのぞんでいたろう。わたしもほかの子どもと同様に、自分のものとんであいし愛されるうちを持つことを考えて、そのよろこびに気がくるいそうになったことがあった……それがいま自分の一家をふしぎそうにながめるばかりで、心のうちにはなにも言うことがない。一言いちごん愛情あいじょうのことばが出て来ないのである。わたしはけものなのであろうか。わたしがもし両親をこんなびんぼうな小屋でなく、りっぱなごてんの中で見いだしたなら、もっと深い愛情が起こったであろうか。わたしはそれを考えてはずかしく思った。
 そう思ってわたしはまた母親のそばへって、両うでをかけてしたたかかの女のくちびるにキッスした。まさしくかの女はなんのつもりで、わたしがこんなことをするのかわからなかった。だからわたしのキッスを返そうとはしないで、きょときょとした様子でわたしの顔をながめた。それからおっと、すなわちわたしの父親のほうへ向いてかたをそびやかした。そしてなにかわたしにわからないことを言うと、夫はふふんとわらった。かの女の冷淡れいたんと、わたしの父親の嘲笑ちょうしょうとがふかくわたしの心をきずつけた。
 わたしの愛情あいじょうはそんなふうにして受け取らるべきものでないとわたしは思った。
「あれはだれだ」と父親はマチアを指さしながら聞いた。わたしはかれに向かってマチアがいちばんなかのいい友だちであって、ずいぶん世話になっていることを話した。
「よしよし」と父親は言った。「あの子もうちにとまって、いなかを見物するがよかろう」
 わたしはマチアの代わりに答えようとしたが、かれが先に口をきいた。
「それはぼくもけっこうです」とかれはさけんだ。
 わたしの父親はなぜバルブレンがいっしょに来ないかとたずねた。わたしはかれにバルブレンの死んだことをげた。かれはそれを聞いてよろこんでいるようであった。かれはそのとおりを母親にくり返して言うと、かの女もやはり喜んでいるようであった。どうしてこの二人は、バルブレンの死んだことをよろこんでいるのか。
「おまえは、わたしたちが十三年もおまえをたずねなかったことをふしぎに思っているかもしれない」と父親が言った。「しかも急にまた思い出したように出かけて行って、おまえを赤んぼうのじぶん拾った人をたずねたのだからなあ」
 わたしはかれに自分のたいへんおどろいたこと、それからそれまでの様子をくわしく聞きたいことを話した。
「ではばたへおいで。のこらず話してあげるから」
 わたしはかたから背嚢はいのうを下ろして、すすめられたいすにこしをかけた。わたしがぬれてどろをかぶった足を炉にのばすと、祖父そふはうるさい古ねこが来たというように、つんと向こうを向いてしまった。
「おかまいでない」と父親は言った。「あのじいさんはだれも火の前に来ることをいやがるのだ。けれどおまえ、寒ければかまわないよ」
 わたしはこんなふうに老人ろうじんに対して口をきくのを聞いてびっくりした。わたしはいすの下に足を引っこめた。そのくらいな心づかいはしなければならなとわたしは考えた。
「おまえはこれからわたしの総領そうりょうむすこだ」と父親が言った。「母さんと結婚けっこんして一年たっておまえは生まれたのさ。わたしがいまの母さんと結婚けっこんするとき、そのまえからてっきり自分と結婚するものと思っていたあるわかいむすめがもう一人あった。それが結婚のできなかったくやしまぎれに、生まれて六つき目のおまえをぬすみ出して行った。わたしたちはほうぼうおまえをさがしたが、パリより遠くへはどうにも行けなかった。わたしたちはおまえが死んだものと思っていたが、つい三つきまえ、このぬすんだ女が死んでね。死にぎわにわたしに悪事を白状はくじょうしたのだ。わたしはさっそくフランスへ出かけて行って、おまえがてられた地方の警察けいさつから、はじめておまえがシャヴァノン村のバルブレンという石屋のうちにやしなわれていることを聞いた。わたしはバルブレンをさがして、今度その人からおまえがヴィタリスという旅の音楽師おんがくしにやとわれて行ったこと、フランスの町じゅうを歩き回っていることを聞いた。わたしはいつまでもあちらに逗留とうりゅうしてもいられないので、バルブレンにいくらかお金をやって、おまえをさがすようにたのんだ。そうしてわかりしだいグレッス・アンド・ガリーへそう言ってこすようにした。わたしはあのバルブレンにここの住まいを知らせておかなかったというわけは、わたしたちは冬のあいだだけロンドンにいるので、あとはずっとイギリスとスコットランドの地方を旅行して歩いているのだからね。わたしたちの商売は旅商人たびあきんどなのだよ。まあそんなふうにして、十三年目におまえがわたしたちの所へ帰って来たというわけだ。おえはわたしたちのことばがわからないのだから、はじめはすこしきまりが悪いかもしれないが、じきにイギリス語をおぼえて、兄弟たちと話ができるようになるだろう。それはもうわけなく慣れるよ」
 そうだ、もちろんわたしはかれらに慣れなければならない。かれらはわたしの一家の者ではないか。それはりっぱなきぬ産着うぶぎ想像そうぞうしたところと、目の前の事実とはこのとおりちがっていた。でもそれがなんだ。愛情あいじょうとみよりもはるかにたっとい。わたしがあこがれていたのは金ではない、ただ愛情である。愛情がしかったのだ。家族が、うちが、欲しかったのだ。
 わたしの父親がこの話をしているあいだに、かれらは晩餐ばんさん食卓しょくたくをこしらえた。にくの大きな一節ひとふしばれいしょをそえたものが、食卓のまん中にかれた。
「おまえたち、はらっているか」と父親がマチアとわたしに向かってたずねた。マチアは白い歯を見せた。
「うん、つくえにおすわり」
 しかしせきに着くまえに、かれは祖父そふの竹のゆりいすを食卓しょくたくに向けた。それから自分のせきをしめながら、かれはにくを切り始めた。背中せなかを火に向けて、みんなに一つずつ、大きな切れといもを分けた。
 わたしはいい境遇きょうぐうの中に育ったわけではないが、兄弟たちの食卓しょくたく行儀ぎょうぎがひどく悪いことは目についた。かれらはたいてい指で肉をつかんで食べて、がつがつ食いいたり、父母の気がつかないようにしゃぶったりした。祖父そふにいたっては自分の前ばかりに気を取られて、自由の片手かたてでしじゅうさらから口へがつがつ運んでいた。そのふるえる指先から肉を落とすと、兄弟たちはどっとわらった。
 わたしたちは食事がすんでから、そのばんばたに集まってくらすことと思っていた。けれども父親は友だちが来るからと言って、わたしたちにねどこに行くことを命じた。マチアとわたしに手まねをして、かれはろうそくを持って先に立ちながら、食事をした部屋へやの外にあるうまやへれて言った。そのうまやには荷台まで大きな屋台つき馬車があった。かれはその一つのドアを開けると中に小さな寝台ねだい二つ重なっていてあるのを見た。
「ほら、これがおまえたちのねどこだ」とかれは言った。「まあ、おやすみ」
 これがわたしの家族からこの夜はじめてわたしの受けた歓迎かんげいであった。


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告