音楽の先生
だれもわたしをヴァルセへ引き止めたがった。
それよりもわたしはいつも頭の上に大空を、それは雪をいっぱい持った大空でも、いただいていたかった。野外の生活がわたしにはずっと
みんながわたしをヴァルセに止めたがって、いろいろ
いよいよ三日のうちにここを立つことをわたしがかれに話したとき、かれは
「ああ、ぼくはきみがここにこのまま
わたしはかれをちょいと打った。それはわたしを
マチアはいまではもう自分で自分の身を立てることができるようになっていた。わたしが
前へ進め、子どもたち。
マチアは、
パリからヴァルセに来るとちゅう、わたしはマチアに読書と、
「それはほんとうだよ」とかれはにこにこしながら言った。「ぼくの頭はぶつとやわらかいそうだ。ガロフォリがそれを見つけたよ」
こう言われると、どうおこっていられよう。わたしは
「ぼくはほんとうの先生に教わろう」とかれは言った。「そうしてぼく、質問を
「なぜ、きみはぼくが
「でもぼくはその先生に、きみの金からお礼を出さなければならなかったから」
わたしはマチアが、そんなふうに「ほんとうの先生」などと言うのがしゃくにさわっていた。けれどわたしのばかな
「きみは人がいいなあ」とわたしは言った。「ぼくの金はきみの金だ。やはりきみがもうけてくれたのだ。きみのほうがたいていぼくよりもよけいもうけている。きみは
さてその先生は、われわれの
わたしたちがマンデに着いたのは、もう夜であった。つかれきっていたので、その
「ぼくたちは遠方から来たのです」とわたしは言った。
「ではずいぶん遠方から来たんですね、きっと」
「イタリアから」とマチアが答えた。
そう聞くと、かの女はもうおどろかなかった。なるはどそんな遠方から来たのでは、エピナッソー先生のことを聞かなかったかもしれないと言った。
「その先生はたいへんおいそがしいんですか」とわたしはたずねた。そういう名高い音楽家では、わたしたちのようなちっぽけなこぞう二人に、たった一度のけいこなどめんどうくさがってしてくれまいと気づかった。
「ええ、ええ、おいそがしいですとも。おいそがしくなくってどうしましょう」
「あしたの朝、先生が会ってくださるでしょうか」
「それはお金さえ持って行けば、だれにでもお会いになりますよ……むろん」
わたしたちはもちろん、それはわかっていた。
その
つぎの朝、わたしたちは――マチアはヴァイオリン、わたしはハープと、てんでんの
さて宿屋のおかみさんが、先生の住まいだと教えてくれたうちの前へ来たとき、わたしたちは、おやこれはまちがったと思った。なぜなら、そのうちの前には小さな
「それそこだよ」とその男は言って、床屋の店を指さした。
だがつまり先生が
「エピナッソーさんはこちらですか」とマチアがたずねた。
小鳥のように、ちょこちょこした、気の
わたしはマチアに目配せをして、
「そのかたがそれたら、ぼくの
「ああ、よろしいとも。なんなら、顔もそってあげましょう」
「ありがとう」とマチアが答えた。わたしはかれのあつかましいのに、どぎもをぬかれた。かれは目のおくからわたしをのぞいて、「そんな
そのお客がすんでしまうと、エピナッソー
「ねえ、あなた」と、
「なんですね、それは」
そこでわたしはマチアの考えていることがわかった。まず先に、かれはわたしたちの
マチアは
わたしたちが出かけようとしたとき、かれはマチアに、ヴァイオリンで、なにかひいてごらんと言った。マチアは一曲ひいた。
「いやあ、それでもきみは、音楽の調子がわからないと言うのかい」と
「これはふしぎだ」
マチアは
「いやあ、この子は
わたしはマチアの顔を見た。なんとかれは答えるであろう。わたしは友だちをなくさなければならないか。わたしの
「マチア、よくきみのためを考えたまえよ」とわたしは言ったが、声はふるえていた。
「なに、友だちを
エピナッソー
「なに、友だちを
「そう、それでは」と
「かれが有名になったとき、なおマンデの
マンデにはほかにも音楽の先生があるかどうか、わたしは知らないけれど、このエピナッソー