植木屋
そのあくる日ヴィタリスをほうむらなければならなかった。アッケン
氏はわたしをお
葬式に
連れて行くやくそくをした。
けれどその日わたしは起き上がることができなかった。夜のうちにひじょうに具合が悪くなった。ひどい
熱が出て、はげしい寒けを感じた。わたしの
胸の中は、小さなジョリクールがあの
晩木の上で
過ごしたとき受けたと同様、
焼きつくやうな
熱気を感じた。
実際わたしは胸にはげしい
衝(焼きつくような感じ)を感じた。病気は
肺炎であった。それはすなわちあの
晩気のどくな親方とわたしがこの
家の
門口にこごえてたおれたとき、寒気のために受けたものであった。
でもこの
肺炎のおかげで、わたしはアッケン家の人たちの親切、とりわけてエチエネットの
誠実をしみじみ知ったのであった。びんぼうなうちではめったに医者を
呼ぶということはないが、わたしの
容態がいかにも重くって心配であったので、わたしのため
特別に、
習慣のためいつか当たり前になっていた
規則を
破ってくれた。呼ばれて来た医者は長い
診察をしたり、細かい容態を聞いたりするまでもなく、いきなり病院へ送れと言いわたした。
なるほどこれはいちばん
簡単で、手数がかからなかった。でもこの父さんは
承知しなかった。
「ですがこの子はわたしのうちの門口でたおれたんですから、病院へはやらずに、やはりわたしどもが
看病しなければなりません」とかれは言った。
医者はこの
因縁論に対して、いろいろうまいことばのかぎりをつくして
説いたが、
承知させることができなかった。かれはわたしをどうしても看病しなければならないと考えた。そしてまったく看病してくれた。
こうしてあり
余る仕事のあるうえ、エチエネットにはまた一つ、
看護婦の役が
増えた。でもセン・ヴェンサン・ド・ポールの
尼さんがするように、親切にしかも
規則正しく
看護してくれて、けっしてかんしゃく一つ起こさないし、なに一つ手落ちなしにしてくれた。かの女が家事のためにどうしてもついていられないときには、リーズが代わってくれた。たびたび
熱にうかされながら、わたしは
寝台のすそで
不安心らしい大きな目をわたしに向けているかの女を見た。熱にうかされながらわたしはかの女を自分の
守護天使であるように思って、天使に向かって話をするように、自分の
望みや
願いをかの女に打ち明けた。このときからわたしは
我知らずかの女を、なにか後光に
包まれた人間
以上のものに思うようになり、それが白い大きなつばさをしょってはいないで、やはりわれわれただの人間と同様にしていることをふしぎに思ったりした。
わたしの病気は長かったし、重かった。
快くなってはたびたびあともどりをしたので、ほんとうの両親でもいやきがさしたかもしれなかった。でもエチエネットはどこまでもがまん強く
誠実をつくしてくれた。いく
晩かわたしは
肺臓が
痛んで、息がつまるように思われて、ねむられないことがあった。それでアルキシーとバンジャメンが代わりばんこに、
寝台のそばにつききりについていてくれた。
ようようすこしずつ
治りかけてきた。でも長い重病のあとであったから、すこしでもうちの外に出るには、グラシエールの
牧場が青くなり始めるまで待たなければならなかった。
そこで用のないリーズがエチエネットの代わりになって、ビエーヴル川の岸のほうへわたしを
散歩に
連れて行ってくれた。
真昼の日ざかりに、わたしたちはうちを出て、カピを先に立てて、手を組みながらそろそろと歩いた。その年の春は
暖かで、
日和がよかった。少なくともわたしは暖かな心持ちのいい
記憶を持っている。だから同じことであった。
このへんはラ・メーゾン・ブランシュとグラシエールの間にある土地で、パリの人にはあまり知られていなかった。このへんに小さな谷があるということだけはぼんやり知られていたが、その谷に
注ぐ川はビエーヴル川であるから、この谷はパリの
郊外ではいちばんきたない
陰気な所だと言いもし、
信じられもしていた。だがそんなことはまるでなかった。うわさほど悪い所ではなかった。ビエーヴル川と言えば、たいてい人がセン・マルセルの
場末で、工場地になっているというので、頭からきたない所と決めてしまうのであるが、ヴェリエールやリュンジには
自然のおもむきがあった。少なくともわたしのいたじぶんには、やなぎやポプラが青あおとしげっている下を水が流れていた。その両岸には緑の
牧場が、人家や庭のある小山のほうまでだんだん上りに
続いていた。春は草が青あおとしげって、白い小ぎくが
碧玉をしきつめたもうせんの上に白い星をちりばめていたし、
芽出しやなぎやポプラの
若木からはねっとりとやにが流れていた。そうして
うずらや、
こまどりや、
ひわやなんぞの鳥が、ここはまだいなかで、町ではないというように歌を歌っていた。
これがわたしの見た小さな谷の
景色であった――その後ずいぶん
変わったが――それでもわたしの受けた
印象はあざやかに
記憶に
残っていて、ついきのうきょうのように思われる。わたしに絵がかけるなら、このポプラの林の一
枚の葉をも
残すことなしにえがき出したであろう――また大きなやなぎの木を、頭の先の青くなった、とげのあるさんざしといっしょにかいたであろう。それはやなぎのかれたような
幹の間に根を
張っていた。また
砲台の
傾斜地をわたしたちはよく
片足で楽にすべって下りた――それもかきたい。あの風車といっしょに
うずらが
丘の絵もかきたい――セン・テレーヌ寺の庭に
群がっていたせんたく女もえがきたい。それから川の水をよごれくさらせていた
製革工場もかきたい――
もちろんこういう
散歩のおり、リーズはものは言えなかったが、きみょうなことに、わたしたちはなにもことばの
必要はなかった。わたしたちはおたがいにものを言うことなしに、
了解し合っているように思われた。
そのうちにわたしにも、みんなといっしょに
働けるだけじょうぶになる日が来た。わたしはその仕事を始める日を待ちかねていた。それはわたしのためにこれだけつくしてくれた親切な友だちに、こちらからもなにかしてやりたいと思っていたからであった。わたしはこれまで仕事らしい仕事をしたことがなかった。長い
流浪の旅はつらいものではあるが、どうでもこれだけ仕上げなければというように、いっしょうけんめい
張りこんでする仕事はなにもなかった。けれど今度こそわたしは、じゅうぶんに
働かなければならないと感じた。少なくともぐるりにいる人たちをお手本にして、元気を出さなければならないと思った。このごろはちょうど
においあらせいとうがパリの市場に出始める
季節であった。それには赤いのもあり、白いのもあり、むらさき色のもあって、その色によって分けられて、いくつかのフレームに入れられてあった。白は白、赤は赤、同じ色のフレームが一列にならんでみごとであった。夕方フレームのふたをするじぶんには、花から立つかおりが風にふくれていた。
わたしにあてがわれた仕事はまだ弱よわしい子どもの力に
相応したものであった。毎朝しもが消えると、わたしはガラスのフレームを開けなければならなかった。夜になって寒くならないうちにまたそれを閉めなければならなかった。昼のうちはわらのおおいで日よけをしてやらなければならなかった。これはむずかしい仕事ではなかったが、一日ひまがかかった。なにしろ何百というガラスを毎日二度ずつ動かさなければならなかった。
このあいだリーズは
灌水に使う
水上げ
機械のそばに立っていた。そして皮のマスクで目をかくされた
老馬のココットが、回しつかれて足が
働かなくなると、かの女は小さなむちをふるって馬をはげましていた。兄弟の一人はこの機械が引き上げたおけを返す、もう一人の兄弟はお父さんの
手伝いをする。こんなふうにしててんでに自分の仕事を持っていて、むだに時間を
費すものはなかった
わたしは村で
百姓の
働くところを見たこともあるが、ついぞパリの近所の植木屋のような
熱心なり
勇気なり
勤勉なりをもって
働いていると思ったことはなかった。
実際ここではみんないっしょうけんめい、朝は日の出まえから起き、
晩は日がくれてあとまでいっぱいの時間を使いきってのちに
寝台に休むのである。わたしはまた土地を
耕したことがあったが、
勤労によって土地にまるで
休憩をあたえないまでに
耕作し
続けるということを知らなかった。だからアッケンのお父さんのうちはわたしにとってはりっぱな学校であった。
わたしはいつまでも温室のフレームばかりには使われていなかった、元気が
回復してきたし、自分もなにか地の上にまいてみるということに
満足を感じてきた。その
種が
芽を出すのを見るのが、いっそうの満足であった。これはわたしの仕事であった。わたしの
財産、わたしの
創造であった。だからよけいわたしに
得意な感じを起こさせた。
それで自分がどういう仕事に
適当しているかがわかった。わたしはそれをやってみせた。そのうえよけいわたしをゆかいにしたことは、まったくこれでは
骨折りのかいがあると感じ
得たことであった。
この新しい生活はなかなかわたしには苦しかったが、しかしこれまでの
浮浪人の生活と
似ても似つかない
労働の生活が
案外早くからだに
慣れた。これまでのように自由気ままに旅をして、なんでも大道を前へ前へと進んで行くほかに
苦労のなかったのに引きかえて、いまは花畑の
囲いの中に
閉じこめられて、朝から
晩まであらっぽく
働かなければならなかった。
背中にはあせにぬれたシャツを着、両手に
如露を持って、ぬかるみの道の中を、
素足で歩かなければならなかった。でもぐるりのほかの人たちも、同じようにあらっぽい
労働をしていた。お父さんの如露はわたしのよりもずっと重かったし、そのシャツはわたしたちのそれよりも、もっとびっしょりあせにぬれていた。みんな平等であるということは、
苦労の中の大きな楽しみであった。そのうえわたしはもうまったく
失ったと思ったものを
回復した。それは家族の生活であった。わたしはもう
独りぼっちではなかった。世の中に
捨てられた子どもではなかった。わたしには自分の
寝台があった。わたしはみんなの集まる
食卓に自分の
席を持っていた。昼間ときどきアルキシーやバンジャメンがわたしにげんこつをみまうこともあったが、わたしはなんとも思わなかった。またわたしが打ち返しても、かれらはなんとも思わなかった。そうして
晩になれば、みんなスープを取り
巻いて、また兄弟にも友だちにもなるのであった。
ほんとうを言うと、わたしたちは
働いてつかれるということはなかった。わたしたちにも
休憩の時間も遊ぶ時間もあった。むろんそれは短かったが、短いだけよけいゆかいであった。
日曜の午後には家についているぶどうだなの下にみんな集まった。わたしはその週のあいだかけっぱなしにしておいた
例のハープを
外して持って来る。そうして四人の兄弟
姉妹におどりをおどらせる。だれもかれもダンスを習った者はなかったが、アルキシーとバンジャメンは一度ミルコロンヌで
婚礼の
舞踏会へ行って、コントルダンスのしかただけ多少
正確に
記憶していた。その記憶がかれらの手引きであった。かれらはおどりつかれると、わたしに歌のおさらいをさせる。そうしてわたしのナポリ
小唄はいつも決まって、リーズの心を動かさないことはないのであった。
このおしまいの一
節を歌うとき、かの女の目はなみだにぬれないことはなかった。
そのとき気をまぎらすために、わたしはカピと
道化芝居をやるのであった。カピにとってもこの日曜日は休日であった。その日はかれにむかしのことを思い出させた。それで一とおり役目を終わると、かれはいくらでもくり返してやりたがった。
二年はこんなふうにして
過ぎた。お父さんはわたしをよくさかり場や、波止場や、マドレーヌやシャトードーやの花市場へ
連れて行ったり、よく花を分けてやる花作りの家に連れて行ったので、わたしもすこしずつパリがわかりかけてきた。そうしてそこはわたしが
想像したように大理石や黄金の町ではなかったが、あのとき
初めてシャラントンやムフタール
区からはいって来たとき見て早飲みこみに思ったようなどろまみれの町でもないことがわかった。わたしは
記念碑を見た。その中へもはいってみた。波止場通り、大通りをも、リュクサンプールの公園をも、チュイルリの公園をも、シャンゼリゼーをも、歩いてみた。
銅像も見た。
群衆の人波にもまれて、感心して立ち止まったこともあった。これで大都会というものがどんなふうにできあがっているかという考えがほぼできてきた。
幸いにわたしの教育はただ目で見る物から受けただけではなかった。パリの
町中を
散歩したりかけ歩いたりするついでに、ぐうぜん
覚えるだけではなかった。このお父さんはいよいよ
自前で植木屋を開業するまえに植物園の畑で
働いていた。そこには学者たちがいて、かれにしぜん、物を読んで
覚えたいという
好奇心を起こさせた。それでいく年かのあいだためた金を書物を買うために使ったし、その本を読むために休みの時間を
費した。けれど
結婚して子どもができてからは、休みの時間がごくまれになった。なによりもその日その日のパンをもうけなければならなかった。しぜん書物からはなれたが、
捨てられたわけでもなく、売りはらわれたわけでもなかった。わたしが
初めてむかえた冬はたいへん長かったし、花畑の仕事はほとんど中止同様に、少なくとも何か月のあいだの仕事はひまであった。それでわたしたちは
炉を
囲んで、いっしょにくらす
晩などには、そういう古い本をたんすから引き出して、めいめいに分けて読んだ。それはたいてい植物学の本か植物の
歴史のほかには、
航海に
関係した本であった。アルキシーとバンジャメンはお父さんの学問の
趣味を受けついでいなかったから、せっかく本を開けても三、四ページもめくるとすぐいねむりを始めるのであった。わたしはしかしそんなにねむくはなかったし、ずっと本が
好きだったので、いよいよねどこにはいらなければならない時間まで読んでいた。こうなるとヴィタリスの手ほどきをしてくれた
利益がむだにはならなかった。わたしはねながらそれを
独り
言に言って、かれのことをありがたく思い出していた。
わたしがものを学びたいという
望みは、はしなくお父さんに、自分もむかし本を買うために毎朝
朝飯のお金を二スー
倹約したむかしを思い出させた。それでたんすの中にあった書物のほかの本までパリからわざわざ買って来てくれた。その書物の
選び
方はでたらめか、さもなければ
表題のおもしろいものをつかみ出して来るにすぎなかったが、やはり書物は書物であった。これはそのじぶん
秩序もなく、わたしの心にはいっては来たが、いつまでも消えることはなかった。それはわたしに
利益を
残した。いいところだけが残った。なんでも本を読むのは利益だということは、ほんとうのことである。
リーズは本を読むことを知らなかったが、わたしが一時間でもひまがあれば、本と首っぴきをしているのを見て、なにがそんなにおもしろいのだろう、そのわけを知りたがっていた。
初めのうちはかの女も自分と遊ぶじゃまになるので、本を取り上げたが、それでもやはりわたしが本のほうへ心をひかれる様子を見て、今度は本を読んで聞かせてくれと言いだした。これがわたしたちのあいだの新しい
結び
目になった。いったいこの子の
性質はいつも物わかりがよくって、つまらない遊びごとやじょうだんごとには身のはいらないほうであったから、やがてわたしが読んで聞かせることに楽しみを感じもし、心の
養いをえるようになった。
何時間もわたしたちはこうやって
過ごした。かの女はわたしの前にすわって、本を読んでいるわたしから目をはなさずにいた。たびたびわたしは自分にわからないことばなり
句なりにぶつかると、ふとやめてかの女の顔を見た。そういうときわたしたちはかなりしばらく考え出すために休む。それを考えてもやはりわからないとき、かの女はあとをと言いたいような身ぶりをしてあとを読む合図をする。わたしはかの女にまた絵をかくことを教えた。まあやっと図画とでもいうようなことを教えた。これは長いことかかったし、なかなかむずかしかったがどうやら
目的を
達しかけた。むろんわたしはりっぱな先生ではなかった。でもわたしたちは力を合わせて、やがて先生と
生徒の美しい
協力一致から、ほんとうの天才
以上のものができるようになった。かの女はなにをかこうとしたか人にもわかるようなもののかけたとき、どんなにうれしがったであろう。アッケンのお父さんはわたしをだいて、
笑いながら言った。
「そらね、わたしがおまえを引き取ったのはずいぶんいいじょうだんであった。リーズはいまにきっとおまえにお礼を言うよ」
「いまに」とかれが言ったのは、やがてかの女が口がきけるようになってということであった。なぜならだれもかの女が口がきけるようになろうとは思わなかったが、お医者たちはいまはだめでもいつか、なにかひょっとした機会で口がきけるようになるだろうと言った。
なるほどかの女はわたしが歌を歌ってやると、やはりさびしそうな身ぶりで「いまにね」とそういう心持ちを
現した。かの女は自分にもハープをひくことを教えてくれと
望んだ。もうさっそくかの女の指はずんずんわたしのするとおりに動くことができた。もちろんかの女は歌を歌うことを学ぶことはできなかった、これをひじょうに
残念がっていた。たびたびわたしはかの女の目になみだが流れているのを見た。それがかの女の心の苦しみを語っていた。でも
優しい
快活な
性質からその苦しみはすぐに消えた。かの女は目をふいて、しいて
微笑をふくみながら、こう言うのであった。
「いまにね」
アッケンのお父さんには、
養子のようにされ、子どもたちには兄弟のようにあつかわれながら、わたしは、またしてもわたしの生活を引っくり返すような
事件はもう起こらずに、いつまでもグラシエールにいられそうには思えなかった。それはわたしというものが、長く幸福にくらしてゆくことができないたちで、やっと落ち着いたと思うときには、それはきっとまた幸福からほうり出されるときであって、自分の
望んでもいない出来事のためにまたもや
変わった生活にとびこまなければならなくなるのであった。
一家の
離散 このごろわたしは一人でいるとき、よく考えては
独り
言を言った。
「おまえはこのごろあんまりよすぎるよ。これはどうも
長続きしそうもない」
でもなぜ
不幸が来なければならないか、それをまえから
予想することはできなかった。だがどのみち、それのやって来ることは
疑うことのできない事実のように思われてきた。
そう思うと、わたしはたいへん心細かった。しかし、一方から見ると、その
不幸をどうにかしてさけるようにいっしょうけんめいになるので、しぜんにいいこともあった。なぜというに、わたしがこんなにたびたび不幸な目に会うのは、みんな自分の
過失から来ると思って、
反省するようになったからである。
でもほんとうは、わたしの過失ではなかった。それをそう思ったのは、自分の思い
過ごしであったが、
不幸が来るという考えはちっともまちがいではなかった。
わたしはまえに、お父さんが
においあらせいとうの
栽培をやっていたと言ったが、この花を作るのはわりあいに
容易で、パリ
近在の植木屋はこれで商売をする者が多かった。その草は短くって大きく、上から下までぎっしり花がついていて、四、五月ごろになると、これがさかんにパリの市場に持ち出されるのであった。ただこの花でむずかしいのは、
芽生えのうちから葉の形で
八重と
一重を見分けて、一重を
捨てて八重を
残すことであった。この
鑑別のできる植木屋さんはごくわずかで、その人たちが家の
秘法にして他へもらさないことにしてあるので、植木屋
仲間でも、
特別にそういう人をたのんで花を見分けてもらわなければならなかった。それでたのまれた人はほうぼうの花畑を
巡回して歩いて、いろいろと注意をあたえるのであった。これをレセンプラージュと言っていた。お父さんはパリではこの道にかけて
熟練のほまれの高い一人であった。それでその
季節にはほうぼうからたのまれて、うちにいることが少なかった。そしてこの季節が、わたしたちとりわけエチエネットにとって、いちばん悪いときであった。なぜというと、お父さんは一けん一けん回って歩くうちに、ほうぼうでお酒を飲ませられて、夜おそく帰るじぶんには、まっかな顔をして、
舌も回らないし、手足もぶるぶるふるえていた。
そんなとき、エチエネットは、どんなにおそくなっても、きっとねずに待っていた。わたしがまだねいらずにいるか、または帰って来る足音で目を
覚ましたときには、
部屋の中から二人の話し声をはっきり聞いた。
「なぜおまえはねないんだ」とお父さんは言った。
「お父さんがご用があるといけないと思って」
「なんだと。そんなことを言って、このおじょうさんの
憲兵が、わたしを
監視するつもりだろう」
「でもわたしが起きていなかったら、だれとお話しなさるおつもり」
「おまえ、わたしがまっすぐに歩けるか見てやろうと思っているんだな。よし、この
行儀よくならんだしき石を一つ一つふんで、子どもの
寝部屋まで行けるかどうか、かけをしようか」
不器用な足音が台所じゅうをしばらくがたつかせると、やがてまた
静かになった。
「リーズはごきげんかい」とお父さんは言った。
「ええ。よくねていますわ。どうかお静かに」
「だいじょうぶさ。わたしはまっすぐに歩いているのだ。なにしろおじょうさんたちがやかましいから、お父さんもせいぜいまっすぐに歩かなくてはならぬ。リーズは、わたしが
夕飯のときいなかったのを見て、なんとか言いはしなかったかい」
「リーズはお父さんの
席を、なんだか見ていました」
「なんだ、わしの席を見ていたと」
「ええ」
「何べんもかい。何べんぐらい見ていた」
「それはたびたび」
「それからどうしていたね」
「『お父さんはいらっしゃらないのね』と言いたいような目つきをしていました」
「じゃあリーズは、わたしがそこにいないのはなぜだとたずねたろう。そしておまえは、わたしがお友だちのうちに行っていると答えたろう」
「いいえ、なんにもたずねませんでした。わたしもなにも言いませんでした。あの子はでもお父さんの行っていらっしゃる所をようく知っていますよ」
「なに、あの子が知ってるって。あの子が……もう早くからねこんでいるかい」
「いいえ、つい十五分ほどまえねたばかりです。お父さんのお帰りを待ちかねていたようです」
「で、おまえはどう思っていたえ」
「わたしはリーズが、お父さんのお帰りのところを見なければいいと思っていました」
しばらく
沈黙が
続いた。
「エチエネット、おまえはいい子だ。あすはわたしはルイソーのうちへ行く。わたしはちかって
夕飯にはきっと帰る。おまえが待っていてくれるのが気のどくだし、リーズが心配しいしいねるのがかわいそうだから」
だがやくそくも
誓言もいっこう役には立たなかった。かれはちっとも早く帰ったことはなかった。一ぱいでもお酒がのどにはいったら、もうめちゃめちゃであった。うちの中でこそ、リーズがご
本尊だが、外の風に当たるともう
忘れられてしまった。
でもこんなことはしじゅうではなかった。レセンプラージュの
季節がすむと、もうお父さんは外へ出ようとも思わない。むろん一人で
居酒屋へ行く人ではなかった。そんなむだな時間を持つ人ではなかった。
においあらせいとうの
季節がすむと、今度はほかの花を作らなければならない。植木屋の花畑は一年じゅうむだに土地の遊んでいるひまはなかった。一つの花を売ってしまうとほかの花を売り出す仕度をしなければならなかった。セン・ピエールだの、セン・マリだの、セン・ルイだの、そういう年じゅうの
祝い
日にはおびただしい花が町へ出る。ピエールだの、マリだの、ルイだのと
呼ばれる名前の人たちの数はおびただしいもので、したがってそういう
祝い
日には、花たばやら花びんを買って、名づけ親やお友だちにおくってお
祝いをしなければならない人が
限りなく多かった。
だから、この祝い日の前夜には、パリの通りは花でいっぱいになる。ふつうの店や市場だけではない。
往来のすみずみ、家いえの
石段、そのほかちょっとした店を開くことのできる場所にはきっと花を売っていた。
アッケンのお父さんは、
においあらせいとうの
季節がすむと、七月、八月の
祝い
日の用意にせっせとかかっていた。とりわけ八月には、セン・マリ、セン・ルイの
大祝日があるので、これを当てこんで何千本という
えぞぎく、フクシア、
きょうちくとうなどを温室や
温床にはいりきらないほどしこんでおいた。これらの花はどれも、ちょうどその当日に早すぎずおそすぎず花ざかりというふうに作らなければならないので、そこにうでの
要るのは言うまでもないことであった。だれだって、太陽と天気を自由にすることはできない。天気は人間にかまわずよすぎたり、悪すぎたりするのであった。アッケンのお父さんは、そういううでにかけては、
確かなものであったから、花が当日におくれたり早すぎたりするなどという
失敗はなかったが、それだけにめんどうな手数のかかることはしかたがなかった。
この話の当時には、花の出来はまったくすばらしいものであった。それはちょうど八月五日のことであったが、花はいまが見ごろであった。花畑の中の野天の下で、
えぞぎくの花びらはいまにも口を開こうとしてふくれていた。
温室の温度と日光を弱めるために、わざわざ
石灰乳をガラスのフレームにぬった
温床の下で、フクシアや
きょうちくとうがさきかけていた。うじゃうじゃと
固まって草むらになっているものもあれば、頭から
根元まで三角形につぼみのすずなりになったものもあった。どうして目の
覚めるように美しかった。ときどきお父さんはいかにも
満足らしく、もみ手をしながら、うっとりながめ入っていた。
「ことしは天気がいいなあ」
こうかれはむすこたちをふり返って言っていた。
かれはくちびるに
微笑をたたえて、
胸の中では、これだけ売ればいくらになるという
勘定をしていた。
ここまでするには、みんなずいぶん
骨を
折った。一時間と
休憩するひまなしに
働いたし、日曜日でも休まなかった。でももうとうげはこしたし、すっかり売り出しの
準備ができあがったので、そのほうびとして、八月五日の日曜日の夕方、わたしたち
残らずうちそろってアルキュエイまで、お父さんの友人で、やはり植木屋
仲間のうちへごちそうを食べに行くことが決定されていた。カピも一行の一人になるはずであった。わたしたちは四時まで
働くことにして、仕事がすんだところで、門に
錠をかって、アルキュエイまで行くことになった。
晩食は八時にできるはずであった。晩食がすんでわたしたちはすぐうちへ帰ることにした。ねどこにはいるのがおそくならないように、月曜の朝にはいつでも
働けるように、元気よく早くから起きられるようにしなければならなかった。それで四時二、三分まえにわたしたちはみんな仕度ができた。
「さあ、みんな行こう」とお父さんがゆかいらしくさけんだ。「わたしは門にかぎをかけるから」
「来い、カピ」
リーズの手を取って、わたしは走りだした。カピはうれしそうにはねながらついて来た。また旅かせぎに出るのだと思ったのかもしれない。この犬は旅がやはり
好きであった。こうしてうちにいては、思うようにわたしにかまってはもらえなかった。
わたしたちは日曜日の晴れ着を着て、ごちそうになりに行く仕度をしていたので、なかなかきれいであった。わたしたちが通るとふり返って見る人たちもあった。わたしは自分がどんなふうに見えるかわからなかったけれど、リーズは水色の服に、ねずみ色のくつをはいて、このうえなく活発なかわいらしいむすめであった。
時間が知らないまにずんずん
過ぎていった。
わたしたちは庭の
にわとこの木の下でごちそうを食べていた。するとちょうどおしまいになりかけたとき、わたしたちの一人が、ずいぶん空が暗くなったと言いだした。
雲がどんどん空の上に
固まって出て来た。
「さあ、子どもたち、早くうちへ帰らなければいけない」とお父さんが言った。
「もう」みんなはいっしょにさけんだ。
リーズは口はきけなかったが、やはり帰るのはいやだという身ぶりをした。
「さあ行こう」とお父さんがまた言った。「風が出たらガラスのフレームは
残らず引っくり返される」
これでもうだれも
異議を申し立てなかった。わたしたちはみんなフレームの
値打ちを知っていた。それが植木屋にどれほどだいじなものかわかっていた。風がうちのフレームをこわしたら、それこそたいへんなことであった。
「わたしはバンジャメンとアルキシーを
連れて先へ急いで行く」とお父さんが言った。
「ルミはエチエネットと、リーズを連れてあとから来るがいい」
かれらはそのままかけだした。エチエネットとわたしはリーズを連れてそろそろ後からついて行った。だれももう
笑う者はなかった。空がだんだん暗くなった。あらしがどんどん来かけていた。
砂けむりがうずを
巻いて上がった。砂が目にはいるので、わたしたちは後ろ向きになって、両手で目をおさえなければならなかった。空にいなずまがひらめいて、はげしいかみなりが鳴った。
エチエネットとわたしがリーズの手を
引っ
張った。わたしたちはもっと早くかの女を引っ張ろうと
試みたが、かの女はわたしたちと歩調を合わせることは
困難であった。あらしの来るまえにうちへ帰れようか。お父さんとバンジャメンとアルキシーはあらしの起こるまえにうちに着いたろうか。かれらがガラスのフレームを
閉めるひまさえあれば、風が下からはいって引っくり返すことはないであろう。
雷鳴がはげしくなった。雲がいよいよ深くなって、もうほとんど夜のように思われた。
風に雲のふきはらわれたとき、その深い
銅色の
底が見えた。雲はやがて雨になるであろう。
がらがら鳴り
続ける
雷鳴の中に、ふと、ごうっというひどいひびきがした。一
連隊の
騎兵があらしに追われてばらばらとかけてでも来るような音であった。
とつぜんばらばらとひょうが
降って来た。はじめすこしばかりわたしたちの顔に当たったと思ううちに、石を投げるように
降って来た。それでわたしたちはかけ出して大きな門の下のトンネルに
避難しなければならなかった。ひょうの夕立ち。たちまち道はまっ白に冬のようになった。ひょうの大きさははとの
卵ぐらいあった、落ちるときには耳の遠くなるような音を立てた。もうしじゅうガラスのこわれる音が聞こえた、ひょうが屋根から
往来へすべり落ちるとともに、屋根やえんとつのかわらや石板やいろんなものがこわれて落ちた。
「ああ、これではガラスのフレームも」とエチエネットがさけんだ。
わたしも同じ考えを持った。
「お父さんはたぶんまに合ったでしょうね」
「ひょうの
降るまえに着いたにしても、ガラスにむしろをかぶせるひまはなかったでしょう。なにもかもこわれてしまったでしょうよ」
「ひょうは所どころまばらに落ちるものだそうですよ」と、わたしはまだそれでも
無理に
希望をかけようとして言った。
「おお、それにはあんまりうちが近すぎます。もしうちの庭にここと同じだけ
降ったら、父さんはお気のどくなほど
大損になってしまいます。父さんはこの花を売って、いくらお金をもうけてどうするという細かい
勘定をしていらしったのだからそれはずいぶんお金が
要るようよ」
わたしはガラスのフレームが百
枚千八百フランもすることを聞いていた。植木や
種物を
別にしても、五、六百もあるフレームをひょうがこわしたらなんという
災難であろう。どのくらいの
損害であろう。
わたしはエチエネットにたずねてみたかったけれど、おたがいの話はまるで聞こえなかったし、かの女も話をする気がないらしかった。かの女は
絶望の
表情で、自分のうちの
焼け落ちるのを目の前に見ている人のように、ひょうの
降るのをながめていた。
おそろしい夕立ちはほんのわずか
続いた。急にそれが始まったように、急にやんだ。たぶん五、六分しか
続かなかった、雲がパリのほうへ走って、わたしたちは
避難所を出ることができた。ひょうが
往来に深く
積もっていた。リーズはうすいくつで、その上を歩くことができなかったから、わたしは
背中に乗せてしょって行った。
宴会へ行くときにあれほど
晴れ晴れとしていたかの女のかわいらしい顔は、いまは悲しみにしずんで、なみだがほおを
伝っていた。
まもなくわたしたちはうちに着いた。大きな門があいていて、わたしたちはすぐと花畑の中にはいった。
なんというありさまであろう。ガラスというガラスは
粉ごなにこわれていた。花とガラスのかけらとひょうがいっしょに
固まって、あれほど美しかった花畑に
降り
積もっていた。なにもかもめちゃめちゃにこわされた。
お父さんはどこへ行ったのだろう。
わたしたちはかれを
探した。やっとかれを大きな温室の中で発見した。その温室のガラス戸は
残らずこわれていた。かれは地べたをうずめているガラスのかけらの中にいた(手車の上にこしをかけてというよりは、がっかりしてこしをぬかしていた。アルキシーとバンジャメンはそのそばにだまって立っていた。
「ああ、子どもたち、かわいそうに」と、かれはわたしたちがガラスのかけらの上をみしみし歩く音に気がついて、こうさけんだ。
かれはリーズをだいてすすり
泣きを始めた。かれはなにもほかに言わなかった。なにを言うことができようぞ。これはおそろしい
結果であった。しかもそのあとの結果はもっともっとおそろしかった。
わたしはまもなくそれをエチエネットから聞いた。
十年まえかれらの父親はこの花畑を買って、自分で家を
建てた。かれに土地を売った男は植木屋として
必要な
材料を買う金をもやはりかれに
貸していた。その
金額は十五年の
年賦で、毎年しはらうはずであった。その男はしかもこの植木屋が
支払いの
期限をおくらせて、おかげで土地も家も材料までも自分の手に取り返す
機会ばかりをねらっていた。もちろんすでに受け取った十年分の支払い
金額は、ふところに
納めたうえのことであった。
これはその男にとっては
相場をやるようなもので、かれは十五年の期限のつきないまえにいつか植木屋が
証文どおりにいかなくなるときの来ることを
望んでいた。この相場はよし当たらないでも
債権者のほうに
損はなかった。万一当たればそれこそ
債務者にはひどい
危険であった。ところがひょうのおかげでその日はとうとう来たのだ。さてこれからは、どうなることやら。
わたしたちはそれを長く心配するひまはなかった。
証文の
期限が切れたあくる日――この金はこの
季節の花の売り上げでしはらわれるはずであったから――全身まっ黒な
服装をした一人の
紳士がうちへ来て、
印をおした紙をわたした。これは
執達吏であった。かれはたびたび来た。あまりたびたび来たので、しまいにはわたしたちの名前を覚えるほどになった。
「ごきげんよう、エチエネットさん。いよう、ルミ。いよう、アルキシー」
こんなことを言って、かれはわたしたちに
例の
印をおした紙を、お友だちのような顔をしてにこにこしながらわたした。
「みなさん、さよなら。また来ますよ」
「うるさいなあ」
お父さんはうちの中に落ち着いていなかった。いつも外に出ていた。かれはどこへ行くか、ついぞ話したことがなかった。たぶん
弁護士を
訪問するか、
裁判所へ行ったのかもしれなかった。
裁判所というとわたしはおそろしかった。ヴィタリスも裁判所へ行った。そしてその
結果はどうであったか。
そしてその結果をお父さんは待ちかねていた。冬の半分は
過ぎた。温室を
修理することも、ガラスのフレームを新しく買うこともできないので、わたしたちは
野菜物やおおいの
要らないじょうぶな花を作っていた。これはたいしたもうけにはならなかったが、なにかの足しにはなった。これだってわたしたちの仕事であった。
ある
晩お父さんはいつもよりよけいしずんで帰って来た。
「子どもたち」とかれは言った。「もうみんなだめになったよ」
かれは子どもたちになにかだいじなことを言いわたそうとしているらしいので、わたしはさけて
部屋を出ようとした。かれは手まねでわたしを引き止めた。
「ルミ、おまえもうちの人だ」とかれは悲しそうに言った。「おまえはなにかがよくわかるほどまだ大きくなってはいないが、めんどうの起こっていることは知っていよう。みんなお聞き、わたしはおまえたちと
別れなければならない」
ほうぼうから一つのさけび声と苦しそうな
泣き声が起こった。
リーズは父親の首にうでを
巻きつけた。かれはかの女をしっかりとだきしめた。
「ああ、おまえたちと
別れるのはまったくつらい」とかれは言った。「けれど
裁判所から
支払いをしろという
命令を受けた。でもわたしは金がないのだから、このうちにあるものは
残らず売らなければならない。それでも足りないので、わたしは五年のあいだ
懲役に行かねばならない。わたしは自分の金ではらうことができないから、自分のからだと自由でそれをはらわなければならない」
わたしたちはみんな
泣きだした。
「そう、悲しいことだ」とかれはおろおろ声で
続けた。「けれど人は
法律に向かってはなにもしえない。
弁護士の言うところでは、むかしはどうしてこんなことではすまなかった。
貸し
主は
借り
手のからだをいくつかに
切り
刻んで、貸し主のうちで
欲しいと思う者がそれを分けて取る
権利があったそうだ。わたしはただ五年のあいだ
刑務所にいればいいのだからね。ただそのあいだにおまえたちはどうなるだろう。それが心配でたまらない」
悲しい
沈黙が
続いた。
「わたしが決めたとおりにするのがいちばんいいことなのだ」とお父さんは続けた。
「ルミ、おまえはいちばん学者なのだから、妹のカトリーヌの所へ手紙を書いて、事がらをくわしく
述べて、すぐに来てくれるようにたのんでおくれ。カトリーヌおばさんは、なかなかもののわかった人だから、どうすればいちはんいいか、うまく決めてくれるだろう」
わたしが手紙を書くのはこれが
初めてでなかなか
骨が
折れた。それはひじょうに
痛ましいことであったが、わたしたちはまだひと
筋の
希望を持っていた。わたしたちはみんななにも知らない子どもであった。カトリーヌおばさんが来てくれるということ、かの女が
実際家であるということは、なにごとをもよくしてくれるであろうといふ
希望を持たせた。
けれどかの女は思ったほど早くは来てくれなかった。四、五日ののちお父さんがちょうど友だちの一人を
訪問に出かけようとすると、ぱったり
巡査に出会った。かれは巡査たちとうちへもどって来た。かれはひじょうに青い顔をしていた。子どもたちにさようならを言いに来たのであった。
「おまえ、そんなに力を落としなさんな」と、かれをつかまえに来た巡査の一人が言った。「
借金のために
牢にはいるのは、おまえが思うほどおそろしいものではない。向こうへ行けばなかなかいい人間がいるよ」
わたしは庭にいた二人の子どもを
呼びに行った。帰ってみると、小さいリーズはすすり
泣きをしてお父さんの両手にだかれていた。
巡査の一人がこしをかがめて、お父さんの耳になにかささやいたが、なにを言ったかわたしには聞こえなかった。
「そうです。そうしなければなりませんね」とお父さんは言って、思い切ってリーズを下に
置いた。でもかの女は父親の手にからみついてはなれなかった。それからかれはエチエネット、アルキシー、バンジャメンと
順々にキッスして、リーズをねえさんの手に
預けた。
わたしはすこしはなれて立っていたが、かれはわたしのほうへ
寄って来て、ほかの者と同様に
優しくキッスした。
これで
巡査はかれを
連れて行った。わたしたちはみんな台所のまん中に
泣きながら立っていた。だれ一人ものを言う者はなかった。
カトリーヌおばさんは一
時間おくれてやって来た。わたしたちはまだはげしく泣いていた。いちばん
気丈なエチエネットすら今度の大波にはすっかり足をさらわれた。わたしたちの
水先案内が海に落ちたので、あとの子どもたちはかじを
失って、波のまにまにただようほかはなかった。
ところでカトリーヌおばさんはなかなかしっかりした
婦人であった。もとはパリの
街で
乳母奉公をして、十年のあいだに五か所も
勤めた。世の中のすいもあまいもよく知っていた。わたしたちはまたたよりにする
目標ができた。教育もなければ、
資産もないいなか女としてかの女にふりかかった
責任は重かった。びんぼうになった一家の
総領はまだ十六にならない。いちばん下はおしのむすめであった。
カトリーヌおばさんは、ある
公証人のうちに
乳母をしていたことがあるので、かの女はさっそくこの人を
訪ねて
相談をした。そこでこの人が助言して、わたしたちの
運命を決めることになった。それからかの女は
監獄へ行って、お父さんの意見も聞いた。そんなことに一週間かかって、
最後にわたしたちを集めて、取り決めた次第を言って聞かした。
リーズはモルヴァンのかの女のうちへ行って
養われることになった。アルキシーはセヴェンヌ山のヴァルスで
鉱夫を
勤めているおじの所へ行く。バンジャメンはセン・カンテンで植木屋をしているもう一人のおじの所へ行く。そしてエチエネットはシャラント県のエナンデ海岸にいるおばの所へ行くことになった。
わたしはこういう取り計らいをわきで聞きながら、自分の番になるのを待っていた。ところがカトリーヌおばさんはそれで話をやめてしまって、とうとうわたしのことは話が出ずにしまった。
「ではぼくは……」とわたしは言った。
「だっておまえはこのうちの人ではないもの」
「ぼくはあなたがたのために
働きます」
「おまえさんはこのうちの人ではないよ」
「わたしがどんなに
働けるか、アルキシーにでもバンジャメンにでもたずねてください。わたしは仕事が
好きです」
「それからスープをこしらえるのもうまいや」
「おばさん、あの子はうちの人です。そうです、うちの人です」という声がほうぼうから起こった。リーズが前へ出て来て、おばさんの前で手を合わせた。それはことばで言う
以上の意味を表していた。
「まあまあ、かわいそうに」と、カトリーヌおばさんは言った。「おまえがあの子をいっしょに
連れて行きたがっていることはわかっている。けれど世の中というものはいつも思うようにはならないものなのだよ。おまえはわたしのめいだから、おまえをうちへ連れて行って、おじさんにいやな顔をされても、わたしは『でも
親類だから』と言って通してしまうつもりだ。ほかのセン・カンテンのおじさんにしても、ヴァルスのおじさんにしても、エナンデのおばさんにしても、そのとおりだろうよ。やっかいだと思っても、親類なら
養ってくれるだろう。けれど他人ではそうはゆかない。一つうちの者だけでも、
腹いっぱい食べるだけのパンはむずかしいのだからね」
わたしはもうなにも言うことがないように思った。かの女の言ったことはもっともすぎることであった。わたしはうちの者ではなかった。わたしはなにも
求めることもできない。なにもたのむこともできない。それをすればこじきになる。
でもわたしはみんなを
好いていたし、みんなもわたしを好いていた。
みんな兄弟でもあり、
姉妹でもあった。カトリーヌおばさんは決心したことはすぐ実行する
性質であった。わたしたちにはあしたいよいよお
別れをすることを言いわたしてねどこへはいらせた。
わたしたちが
部屋へはいるか、はいらないうちに、みんなはわたしを取り
巻いた。リーズは
泣きながらわたしにからみついた。そのときわたしはかれら兄弟がおたがいに
別れて行く悲しみをまえにひかえながら、かれらの思っていてくれるのはわたしのことだということがわかった。かれらはわたしが
独りぼっちだといって気のどくがった。わたしはそのときほんとうにかれらの兄弟であるように感じた。そこでふと一つの考えが心にうかんだ。
「聞いてください」とわたしは言った。「おばさんやおじさんがたがわたしにご用はなくっても、あなたがたがどこまでもわたしをうちの者に思ってくださることはわかりました」
「そうだそうだ、きみはいつまでもぼくたちの兄弟だ」と三人がいっしょにさけんだ。
もの言えないリーズはわたしの手をしめつけて、あの大きな美しい目で見上げた。
「ねえ、ぼくは兄弟です。だからその
証拠を見せましょう」と、わたしは力を入れて言った。
「きみはいったいどこに行くつもりだ」とバンジャメンが言った。
「ペルニュイの所に仕事があるのよ。わたしあした行って話をしてみましょうか」とエチエネットが聞いた。
「ぼくは
奉公はしたくありません。奉公するとパリにじっとしていなければならないし、そうすると二度ともうあなたがたに会うことができません。ぼくはまたひつじの毛皮服を着て、ハープをくぎからはずして、
肩にかついで、セン・カンテンからヴァルスへ、ヴァルスからエナンデへ、エナンデからドルジーへと、あなたがたのこれから行く先ざきへたずねて行きましょう。わたしはあなたがたみなさんに、一人ひとり代わりばんこに会って、ほうぼうの
便りを持って行きましょう。そうすればぼくの
仲立ちでみんないっしょに集まっているようなものです。ぼくはいまでも歌だってダンスの
節だって
忘れてはいません。自分がくらしてゆくだけのお金は取れます」
みんなの顔がかがやいた。わたしはかれらがわたしの考えを聞いてそんなにも
喜んでくれたのでうれしかった。長いあいだわたしたちは話をして、それからエチエネットは一人ひとりねどこへはいらせた。けれどその
晩はだれもろくろくねむる者はなかった。とりわけわたしはひと
晩ねむれなかった。
あくる日夜が明けると、リーズはわたしを庭へ
連れ出した。
「ぼくに言いたいことがあるの」とわたしはたずねた。
かの女は何度もうなずいた。
「わたしたちが
別れて行くのがいやなんでしょう。それは言うまでもない。あなたの顔でわかっている。ぼくだってまったく悲しいんだ」
かの女は手まねをして、なにか言いたいことがほかにあるという意味を
示した。
「十五日たたないうちに、ぼくはあなたの行くはずのドルジーへ
訪ねて行きますよ」
かの女は首をふった。
「ぼくがドルジーへ行くのがいやなんですか」
わたしたちがおたがいに
了解しい合うために、わたしはそのうえにいろいろ問いを重ねていった。かの女はうなずいたり、首をふったりして答えた。かの女はわたしにドルジーへ来てはもらいたいが、しかしそれより先に
兄さんや
姉さんのほうへ行ってもらいたい意味を、指を三方に向けてさとらせた。
「あなたはぼくがいちばん先にヴァルスへ行き、それからエナンデ、それからセン・カンテンというふうに行ってもらいたいのでしょう」
かの女はにっこりしてうなずいた。わたしがわかったのがうれしそうであった。
「なぜさ」
こう聞くと、かの女はくちびると手を、とりわけ目を動かして、なぜそう
望むか、そのわけを
説明した。それは先に
姉さんや
兄さんたちの所へ行ってもらえば、ドルジーへ来るときにはほうぼうの
便りを持って来てくれることができるからというのであった。
かれらは八時にたたなければならなかった。カトリーヌおばさんはみんなを乗せる馬車を言いつけて、なにより先に
刑務所へ行って、父親にさようならを言うこと、それからてんでに荷物を持って
別々の汽車に乗るために、別々の
停車場に
別れて行くという
手順を決めた。
七時ごろ今度はエチエネットがわたしを庭へ
連れ出した。
「ルミ、わたしあなたにほんのお形見をあげようと思うの」とかの女は言った。「この小ばこを
納めてください。わたしのおじさんがくれたものだから。中には糸と
針とはさみがはいっています。旅をして歩くと、こういうものが入り用なのよ。なにしろわたしがそばにいて、着物のほころびを直したり、ボタンをつけたりしてあげることができないのだからねえ。それでわたしのはさみを使うときにはわたしたちみんなのことを思い出してください」
エチエネットがわたしと話をしているあいだ、アルキシーがそばをぶらついていた。かの女がわたしを
置いて、うちの中へはいると、かれはやって来て、
「ねえ、ルミ」とかれは言いだした。「ぼくは五フランの
銀貨を二つ持っている。一つあげよう。きみがもらってくれると、ぼくはずいぶんうれしいんだ」
わたしたち五人のうちで、アルキシーはたいへん金をだいじにする子であった。わたしたちはいつもかれの
欲張りをからかっていた。かれは一スー、二スーと
貯金してしじゅう貯金の
高を
勘定していた。かれは一スーずつためては新しい十スー、二十スーの
銀貨とかえてだいじに持っていた。そういうかれの申し出は、わたしを心から感動させた。わたしは
断りたかったけれど、かれはきらきらする銀貨をわたしの手に
無理ににぎらせた。わたしはだいじにしている
宝が分けてくれようというかれの
友情がひじょうに強いものであることを知った。
バンジャメンもわたしを
忘れはしなかった。かれはやはりわたしにおくり物をしようと思った。かれはわたしにナイフをくれて、それと
交換に、一スー
請求した。なぜなら、ナイフは
友情を切るものだから。
時間はかまわずずんずんたっていった。いよいよわたしたちの
別れる時間が来た。
リーズはぼくのことをなんと思っているだろう。馬車がうちの前に近づいて来たときに、リーズがまたわたしに庭までついて来いという手まねをした。
「リーズ」とかの女のおばさんが
呼んだ。
かの女はそれには返事をしないで急いでかけ出して行った。かの女は庭のすみに一本
残っていた大きなベンガルばらの前に立ち止まって、一えだ
折った。それからわたしのほうを向いてそのえだを二つにさいた。その両方にばらのつぼみが一つずつ開きかけていた。
くちびるのことばは目のことばに
比べては小さなものである。目つきに比べて、ことばのいかに
冷たく、
空虚であることよ。
「リーズ、リーズ」とおばさんがさけんだ。
荷物はもう馬車の中に
積みこまれていた。
わたしはハープを下ろして、カピを
呼んだ。わたしのむかしに返ったおなじみの
姿を見ると、かれはうれしがって、とび上がって、ほえ回った。かれは花畑の中に
閉じこめられているよりも、広い大道の自由を
愛した。
みんなは馬車に乗った。わたしはリーズをおばさんのひざに乗せてやった。わたしはそこに半分目がくらんだようになって立っていた。するとおばさんが
優しくわたしをおしのけて、ドアを
閉めた。
「さようなら」
馬事は動きだした。
もやの中でわたしはリーズが
窓ガラスによって、わたしに手をふっているのを見つけた。やがて馬車は町の角を曲がってしまった。見えるものはもう
砂けむりだけであった。わたしはハープによりかかって、カピが足の下でからみ回るままに
任せた。ぼんやり
往来に立ち止まって目の前にうず
巻いているほこりをながめていた。たって行ったあとのうちを
閉めてかぎを家主にわたしてくれることをたのまれた
隣家の人がそのときわたしに声をかけた。
「おまえさん、そこで一日立っているつもりかね」
「いいえ、もう行きます」
「どこへ行くつもりだ」
「どこへでも、足の向くほうへ」
「おまえさん、ここにいたければ」と、かれはたぶん気のどくに思っているらしく、こう言った。「わたしの所へ
置いてあげよう。けれど
給金ははらえないよ。おまえさんはまだ一人前ではないからなあ。いまにすこしはあげられるようになるかもしれない」
わたしはかれに
感謝したが、「いいえ」と答えた。
「そうか。じゃあかってにおし。わたしはただおまえさんのためにと思っただけだ。さようなら。
無事で」
かれは行ってしまった。馬車は遠くなった。うちは
閉ざされた。
わたしはハープのひもを
肩にかけた。カピはすぐ気がついて立ち上がった。
「さあ行こう、カピ」
わたしは二年のあいだ住み
慣れて、いつまでもいようと思ったうちから目をそらして、はるかの
前途を
望んだ。
日はもう高く上っていた。空は青あおと晴れて――
気候は
暖かであった。気のどくなヴィタリス
老人とわたしが、つかれきってこのさくのそばでたおれた、あの寒い
晩とはたいへんなちがいであった。
こうしてこの二年間はほんの休息であった。わたしはまた自分の道を進まなければならなかった。けれどもこの休息がわたしにはずいぶん役に立った。それがわたしに力をあたえた。
優しい友だちを作ってくれた。
わたしはもう世界で
独りぼっちではなかった。この世の中にわたしは
目的を持っていた。それはわたしを
愛し、わたしが愛している人たちのために、役に立つこと、なぐさめになることであった。
新しい
生涯がわたしの前に開けていた。
前へ。