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家なき子(いえなきこ)02

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-1 11:48:06  点击:  切换到繁體中文



     白鳥号

 ボブの兄弟が立ち去ったあと、しばらくのあいだわたしたちは、ただ風の音と、キールにぶつかる波の音を聞くだけであった。やがて足音が上の甲板かんぱんに聞こえて、滑車かっしゃが回りだした。が上げられて、やがて急に一方にかしいだ。動き始めたと思うまもなく、船はあらい海の上へぐんぐんすべり出した。
「マチア、気のどくだね」とわたしはかれの手を取った。
「かまわないよ。助かったのだから」とかれは言った。「船にったってなんだ」
 そのあくる日、わたしは船室と甲板かんぱんの間に時間をごした。マチアは一人うっちゃっておいてもらいたがった。とうとう船長が、あれがバルフルールだと指さしてくれたとき、わたしは急いで船室に下りて、かれにいい知らせをつたえようとした。
 もう、バルフルールに着いたときは、夕方おそくなっていたので、ボブの兄弟はわたしたちによければ今夜一晩ひとばん船の中でねて行ってもいいと言った。
「おまえさんがまたイギリスへ帰りたいと思うときには」とそのあくる朝、わたしたちがさようならを言って、かれの骨折ほねおりを感謝かんしゃすると、こう言った。「エクリップス号は毎火曜日ここから出帆しゅっぱんするのだから、おぼえておいで」
 これはうれしい好意こういであったが、マチアにもわたしにも、てんでん、この海を二度とわたりたくない……ともかくも、ここしばらくはわたりたくないわけがあった。
 運よくわたしたちのかくしには、ボブの興行こうぎょう手伝てつだってもうけたお金があった。みんなで二十七フランと五十サンチームあった。マチアはボブに二十七フランを、わたしたちの逃亡とうぼうのためにほねってくれた礼にやりたいと思ったが、かれは一スーの金も受け取らなかった。
「さてどちらへ出かけよう」わたしはフランスへ上陸じょうりくするとこう言った。
運河うんがについて行くさ」とマチアはすぐに答えた。「ぼくは考えがあるのだ。ぼくはきっと白鳥号がこの夏は運河に出ていると思うよ。アーサが悪いのだからね。ぼくはきっと見つかるはずだと思うよ」とかれは言い足した。
「でもリーズやほかの人たちは」とわたしは言った。
「ぼくたちはミリガン夫人ふじんさがしながら、あの人たちにも会える。運河うんがをのぼって行きながらとちゅう止まってリーズをたずねることができる」
 わたしたちは持って来た地図で、いちばん近い川をさがすと、それはセーヌ川であることがわかった。
「ぼくたちはセーヌ川をのぼって行って、とちゅう岸で会う船頭にかたっぱしから白鳥号を見たかたずねようじやないか。きみの話では、その船はだいぶなみの船とはちがうようだから、見ればおぼえているだろうよ」
 これからおそらくつづくかもしれない長い旅路たびじにたつまえに、わたしはカピのからだをあらってやるため、やわらかい石けんを買った。わたしにとっては、黄色いカピは、カピではなかった。わたしたちは代わりばんこにカピをつかまえては、かれがいやになるまでよく洗ってやった。でもボブの絵の具は上等な絵の具で、洗ってやってもやはり黄色かった。だがいくらか青みをもってはきた。それでかれをもとの色に返すまでには、ずいぶんたびたびせっけんよくをやった。幸いノルマンデーは小川の多い地方であったから、毎日わたしたちは根気よく行水をつかってやった。
 わたしたちはある朝小山の上に着いた。わたしたちの前途ぜんとに当たって、セーヌ川が大きな曲線を作って流れているのを見た。それから進んで行って、わたしたちは会う人ごとにたずね始めた。あのろうかのついた美しい船の白鳥号を見たことはないか――だれもそれを見た者はなかった。きっと夜のうちに通ってしまったのかもしれなかった。わたしたちはそれからルーアンへ行った。そこでもまた同じ問いをくり返したが、やはりいい結果けっかられなかった。でもわたしたちは失望しつぼうしないで、一人ひとりたずねながらずんずん進んだ。
 行く道みち食べ物を買う金を取るために、足を止めなければならなかったから、やがてパリの郊外こうがいへ着くまでは五日間かかった。
 幸いシャラントンに着くと、まもなくどの方角に向かっていいか見当がついた。さっそくれいのだいじな質問しつもんを出すと、はじめてわたしたちは待ちもうけていた返答を受け取った。白鳥号にた大きな遊山船ゆさんぶねが、この道を通ったが、左のほうへ曲がって、セーヌ川をずんずん上って行った、というのであった。
 わたしたちは岸の近くに下りてみた。マチアは船頭たちの中で舞踏曲ぶとうきょくをやることになったので、たいへんはしゃぎきっていた。とつぜんダンスをやめて、ヴァイオリンを持って、マチアは気ちがいのように凱旋がいせんマーチをひいた。かれがひいているまに、わたしはその船を見たという男によくたずねた。うたがいもなくそれは白鳥号であった。なんでもそれはふた月ほどまえ、シャラントンを通って行った。
 ふた月か。なんという遠い話であろう。だがなにをちゅうちょすることがあろう。わたしたちにも足がある。向こうも二ひきのいい馬の足がある。でもいつか追い着くであろう。ひまのかかるのはかまったことではない。なによりだいじな、しかもふしぎなことは、白鳥号がとうとう見つかったということであった。
「ねえ、まちがってはいなかった」とマチアがさけんだ。
 わたしに勇気ゆうきがあれば、マチアに向かって、わたしがひじょうに大きな希望きぼうを持っていることを打ち明けたかもしれない。けれどわたしは自分の心を自分自身にすら細かく解剖かいぼうすることができなかった。わたしたちはもういちいち立ち止まって人に聞く必要ひつようはなかった。白鳥号がわたしたちの先に立って進んで行く。わたしたちはただセーヌ川について行けばいいのだ。わたしたちは道みちリーズのいる近所を通りかけていた。わたしはかの女がその家のそばの岸を船の通るとき、見ていなかったろうかとうたがった。
 夜になっても、わたしたちはけっしてつかれたとは言わなかった。そしてあくる朝は早くから出かける仕度をしていた。
「ぼくを起こしてくれたまえ」とねむることのきなマチアは言った。
 それでわたしが起こすと、かれはすぐにとび起きた。
 倹約けんやくするためにわたしたちは荒物屋あらものやで買ったゆでたまごと、パンを食べた。でもマチアはうまいものはたいへんこのんでいた。
「どうかミリガン夫人ふじんが、そのタルトをうまくこしらえる料理番りょうりばんをまだ使っているといいなあ」とかれは言った。「あんずのタルトはきっとおいしいにちがいない」
「きみはそれを食べたことがあるかい」
「ぼくはりんごのタルトを食べたことはあるが、あんずのタルトは知らない。見たことはあるよ。あの黄色いジャムの上にいっぱいくっついている、白い小さなものはなんだね」
「はたんきょうさ」
「へええ」こう言ってマチアはまるでタルトを一口にうのみにしたように口を開いた。
 水門にかかって、わたしたちは白鳥号の便たよりを聞いた。だれもあの美しい小舟こぶねを見たし、あの親切なイギリスの婦人ふじんと、甲板かんぱんの上のソファにねむっている子どものことを話していた。
 わたしたちはリーズの家の近くに来た。もう二日、それから一日、それからあとたった二、三時間というふうに近くなってきた。やがてその家が見えてきた。わたしたちはもう歩いてはいられない。かけ出した。どこへわたしたちが行くかわかっているらしいカピは、先に立っていきおいよく走った。かれはわたしたちの来たことをリーズに知らせようとしたのであった。かの女はわたしたちをむかえに来るだろう。
 けれどもわたしたちがその家に着いたとき、戸口には知らない女の人が一人立っているだけであった。
「シュリオのおかみさんはどうしました」とわたしはたずねた。
 しばらくのあいだかの女は、ばかなことを聞くよ、と言わないばかりに、わたしたちの顔をながめた。
「あの人はもうここにはいませんよ」とやっとかの女は言った。「エジプトに行っていますよ」
「なにエジプトへ」
 マチアとわたしはあきれて顔を見合わせた。わたしたちはほんとうにエジプトのある位置いちをよくは知らなかったが、それはぼんやりごくごく遠い海をこえて向こうのほうだと思っていた。
「それからリーズはどうしたでしょう。知っていますか」
「ああ、小さなおしのむすめだね。そう、あの子は知っているよ。あの子はイギリスのおくさんと船に乗って行きましたよ」
「へえ、リーズが白鳥号に」
 ゆめを見ているのではないか。マチアとわたしはまた顔を見合った。
「おまえさん、ルミさんかい」とそのとき女はたずねた。
「ええ」
「まあ、シュリオさんは、水で死にましたよ……」
「ええ、水で死んだ」
「そう、あの人は水門に落ちて、くぎにひっかかって死んだのだ。それから気のどくなおかみさんはどうしていいかわからずにいた。するとあの人がせんにおよめに来るまえに奉公ほうこうしていたおくさんが、エジプトへ行くというので、そのおくさんにたのんで子どもの乳母うばにしてもらった。そうなるとリーズはどうしていいかわからずにこまっていたところへ、イギリスのおくさんと病身の子どもが船に乗って運河うんがを下りて来た。そのおくさんと話をしているうち、おくさんはいつもひとりぼっちでたいくつしているむすこさんのあそ相手あいてさがしているところなので、リーズをもらって行って、教育してみようと言ったのさ。おくさんの言うのには、この子を医者にみせたら、おしがなおっていつか口がきけるようになろうということだからと言った。それでいよいよたって行くときに、リーズがおばさんに、もしおまえさんがここへたずねて来たら、こうこう言ってくれということづけをたのんで行ったそうだ。それだけですよ」
 わたしはなんと言おうか、ことばの出ないほどおどろいた。でもマチアはわたしのようにぼんやりはしなかった。
「そのイギリスのおくさんはどこへ行ったでしょう」
「スイスへね。リーズはわたしの所に向けて、おまえさんにあげるあて名を書いてこすはずだったが、まだ手紙は受け取らないよ」


     生きた証拠しょうこ

「さあ、進め、子どもたち」婦人ふじんに礼を言ってしまうと、マチアがこうさけんだ。
「こうなるとぼくたちがあとを追うのは、アーサとミリガン夫人ふじんだけではなく、リーズまでいっしょなのだ。なんという幸せだ。どういう回り合わせになるか、わかったものではないなあ」
 わたしたちはそれからまた白鳥号探索たんさくの旅をつづけた。ただ夜とまって、ときどきすこしの金を取るだけに足を止めた。
「スイスからはイタリアへ出るのだ」とマチアが感情かんじょうをこめて言った。「もしミリガン夫人ふじんを追いかけて行くうちに、ルッカまで出たら、ぼくの小さいクリスチーナがどんなにうれしがるだろうな」
 気のどくなマチア、かれはわたしのために、わたしのあいする人たちをさがすことにほねっている。しかもわたしはかれを小さな妹に会わせるためにはすこしも骨を折ってはいないのだ。
 リヨンで、わたしたちは、白鳥号の便たよりを聞いた。それはほんの六週間わたしたちよりまえにそこを通ったのであった。それではいよいよスイスまで行かないうちに追い着くかもしれないと思った。そのときはまだ、ローヌ川からジュネーヴの湖水までは船が通らないことを知らなかった。わたしたちはミリガン夫人ふじんがまっすぐに船でスイスへ行ったものと思っていた。
 するとそのつぎの町でふと白鳥号の姿すがたを遠くに見つけたとき、どんなにわたしはびっくりしたであろう。わたしたちは河岸かしについてかけ出した。どうしたということだ。小舟こぶねの上はどこもここもめきってあった。ろうかの上に花もなかった。アーサはどうかしたのかしらん。わたしたちはおたがいに同じようなしずみきった顔を見合わせながら立ち止まった。
 するとそのとき船をあずかっていた男がわたしたちに、イギリスのおくさんは病人の子どもと、おしの小むすめをれてスイスへ出かけたと言った。かれらは一人女中を連れて、馬車に乗って行った。あとの家来は荷物をはこびながら、つづいて行った。
 これだけ聞いて、わたしたちはまた息が出た。
「それでおくさんはどちらに行かれたのでしょう」とマチアがたずねた。
「おくさんはヴヴェーに別荘べっそうを持っておいでだ。だがどのへんだかわからない。なんでも夏はそこへ行ってくらすことになっているのだ」
 わたしたちはヴヴェーに向かって出発した。もう向こうはずんずん歩いて行く旅ではない、足を止めているのだから、ヴヴェーへ行ってさがせば、きっとわかる。
 こうしてわたしたちがヴヴェーに着いたときには、かくしに三スーの金と、かかとをすり切った長ぐつだけがのこった。でもヴヴェーは思ったように小さな村ではなかった。それはかなりな町で、ミリガン夫人ふじんはとか、病人の子どもとおしのむすめをれたイギリスのおくさんはとか言ってたずねたところで、いっこうばかげていることがわかった。ヴヴェーにはずいぶんたくさんのイギリス人がいた。その場所はほとんどロンドン近くの遊山場ゆさんばによくていた。いちばんいいしかたは、あの人たちが住んでいそうな家を一けん一けんさがして歩くことである。そしてそれはたいしてむずかしいことではないであろう。わたしたちはただ町まちで音楽をやって歩けばいいのだ。
 それで毎日こんよくほうぼうへ出かけて、演芸えんげいをやって歩いた。けれどまだミリガン夫人ふじんの手がかりはなかった。
 わたしたちは湖水から山へ、山から湖水へ、右左を見て、しじゅう往来おうらいの人の顔つきをのぞいたり、ことばを聞いて、返事をしてくれそうな人にたずねて歩いた。ある人はわたしたちを山の中腹ちゅうふくつくりかけた別荘べっそうへ行かせた。また一人は、その人たちは湖水のそばに住んでいると断言だんげんした。なるほど山の別荘に住んでいるのもイギリスのおくさんであった。湖水のそばに家を持っていたのもイギリスのおくさんであったが、わたしたちのたずねるミリガン夫人ふじんではなかった。
 ある日の午後、わたしたちはれいのとおり往来おうらいのまん中で音楽をやっていた。そこに大きな鉄の門のある家があった。母屋おもやそののおくに引っこんでっていた。前には石のかべがあった。わたしはありったけの高い声で歌を歌っていた。例のナポリの小唄こうたの第一せつを歌って第二節にかかろうとしていたとき、か細いきみょうな声で歌う声がした。だれだろう。なんというふしぎな声だろう。
「アーサじゃないかしら」とマチアが聞いた。
「いいや、アーサではない。ぼくはこれまであんな声を聞いたことがなかった」
 けれどそのうちカピがくんくん言い始めた。はげしい歓喜かんき表情ひょうじょうのありったけを見せて、かべに向かってとびかかっていた。
「だれが歌を歌っているのだ」と、わたしはもう自分をおさえることができなくなってさけんだ。
「ルミ」と、そのときそのきみょうなか細い声がさけんだ。いまのわたしのことばに返事をする代わりに、わたしの名前をんだのだ。
 マチアとわたしはかみなりに打たれたようにおたがいに顔を見合わせた。わたしたちがあっけにとられて、てんでんの顔を見合ったまま立っていると、かべの向こうにハンケチが一まいひらひらしているのが見えた。わたしたちはそこへかけ出して行った。わたしたちは、そのこうがわを取りいているかきねのそばまで行ってみて、はじめてハンケチをふっている人を見つけた。
「リーズだ」
 とうとうわたしたちはかの女を見つけた。もう遠くない所にミリガン夫人ふじんも、アーサもいるにちがいなかった。
「でもだれが歌を歌ったのだろう」
 これがマチアもわたしも、やっとことばが出るといきなり持ち出した質問しつもんであった。
「わたしよ」とリーズが答えた。
 リーズが歌っていた。リーズが話しかけていた。
 医者は、いつかリーズがかの女のことばを取り返すだろう、それはたぶんはげしい感動の場合だと言っていたが、わたしはそんなことができるはずがないと思っていた。でも目の前に奇跡きせきは行われた。そしてそれはわたしがかの女の所に来て、いつも歌いれたナポリ小唄こうたを歌うのを聞いて、はげしい感動を起こしたしゅんかんに、かの女がその声を回復かいふくしたことがわかった。わたしはそう思って、深く心を打たれたあまり、両手をばしてからだをまっすぐにした。
「ミリガン夫人ふじんはどこにいるの」とわたしはたずねた。「それからアーサは」
 リーズはくちびるを動かしたが、ほんの聞き取れない音を出しただけで、じれったくなって、いつもの手まねのことばになった。かの女はまだことばをほんとうに出すだけに器用きようしたはたらかなかった。
 かの女はそのときそのを指さした。そこにアーサが病人用のねいすにねているのを見た。そのそばに母の夫人ふじんがいた。そしてもう一つこちらには……ジェイムズ・ミリガンがいた。
 こわくなって、実際じっさい戦慄せんりつして、わたしはかきねの後ろにはいこんだ。リーズはわたしがなぜそんなことをするか、ふしぎに思ったにちがいない。そのときわたしは手まねをして、かの女に向こうへ行かせた。
「おいで、リーズ。それでないとぼくが、災難さいなんに会うから」とわたしは言った。「あした九時にここへおいで。一人でだよ。そのとき話してあげるから」
 かの女はしばらくちゅうちょしたが、やがて園へはいって行った。
「ぼくたちはミリガン夫人ふじんに話をするのをあしたまで待っていてはいけない」とマチアが言った。「こう言ううちもあの悪おじさんがアーサをころしかねない。あの人はまだぼくの顔は知らないのだから、ぼくはすぐにミリガン夫人ふじんに会いに行って話をする」
 マチアの言うところに道理があったので、わたしはかれを出してやった。わたしはしばらくのあいだ、少しはなれた大きなくりの木のかげに待っていることにした。
 わたしは長いあいだマチアを待った。十何度も、わたしはかれを出してやったのが、失敗しっぱいではなかったかとうたがった。
 やっとのことで、わたしはかれがミリガン夫人ふじんれてもどって来るのを見た。わたしはあわてて夫人のほうへかけて行って、わたしにし出された手をつかんで、その上にからだをかがめた。しかしかの女は両うでをわたしのからだに回して、こごみながらやさしくわたしのひたいにキッスした。
「まあ、どうおしだえ」と夫人ふじんはつぶやいた。
 夫人は美しい白い指で、わたしの額髪ひたいがみをなでて、長いあいだわたしの顔を見た。
「そうだそうだ」とかの女はやさしくひとごとをささやいた。
 わたしはあまり幸福で、ひと言もものが言えなかった。
「マチアとわたしは長いあいだお話をしましたよ」とかの女は言った。「でもわたしはあなたがどうしてドリスコルのうちへ行くようになったか、あなたの口から聞きたいと思うのですよ」
 わたしはかの女に問われるままに答えた。そしてかの女は、そのあいだときどき口をはさんで、所どころ要点ようてんたしかめるだけであった。わたしはこれほどの熱心ねっしんをもって話を聞いてもらったことがなかった。かの女の目はすこしもわたしからはなれなかった。
 わたしが話をしてしまったとき、かの女はしばらくだまって、わたしの顔を見つめていた。最後さいごにかの女は言った。
「これはなかなか重大なことだから、よく考えなければならない。けれどいまからあなたはアーサのお友だち……」
 こう言ってかの女はすこしちゅうちょしながら、「兄弟だと思ってください。二時間たったら、ザルプというホテルへ来てください。さしあたりそこに待っていてくれれば、だれか人をこしてそちらへ案内あんないさせますから。ではしばらくごめんなさいよ」
 ふたたび夫人ふじんはわたしにキッスした。そしてマチアと握手あくしゅをして、足早に歩いて行った。
「きみはミリガン夫人ふじんになにを話したのだ」とわたしはマチアに質問しつもんした。
「あの人がいまきみに言っただけのことさ。それからまだいろいろなことをね」とかれは答えた。
「ああ、あの人は親切なおくさんだね。りっぱなおくさんだね」
「アーサにも会ったかい」
「ほんの遠方から。でもりっぱな子どもだということはよくわかった」
 わたしはまだマチアに質問しつもんつづけた。けれどもかれは、何事もぼんやりとしか答えなかった。
 わたしたちは相変あいかわらずぼろぼろの旅仕度であったが、ホテルでは黒の礼服に白のネクタイをした給仕きゅうじ案内あんないをされた。かれはわたしたちを居間いまれて行った。わたしたちの寝部屋ねべやをわたしはどんなに美しいと思ったろう。そこには白い寝台ねだいがならんでいた。まどは湖水を見晴らす露台ろだいに向かって開いていた。給仕は「夕食にはなんでもおこのみのものを」と言った。そうして、よければ露台へ食卓しょくたくを出そうかとも言った。
「タルトがありますか」とマチアがたずねた。
「へえ、大黄だいおうのタルトでも、いちごのタルトでも、すぐりの実のタルトでも」
「よし。ではそのタルトをぜひ出してください」
「三しゅともみんな出しますか」
「むろん」
「それからお食事は。肉はなんにいたしましょう。野菜やさいは……」
 いちいちの口上こうじょうにマチアは目をまるくした。でもかれはいっこう閉口へいこうしたふうを見せなかった。
「なんでもいいように見計らってください」とかれは冷淡れいたんに答えた。
 給仕きゅうじはもったいぶって部屋へやを出て行った。
 そのあくる日ミリガン夫人ふじんは、わたしたちに会いに来た。かの女は洋服屋とシャツ屋をれて来た。わたしたちの服とシャツの寸法すんぽうを計らせた。ミリガン夫人は、リーズがまだ話をしようとつとめていることを話して、医者はもうじきなおると言っていると言った。それから一時間わたしたちの所にいて、またわたしにやさしくキッスし、マチアとかた握手あくしゅをして、出て行った。
 四日つづけてかの女は来た。そのたんびにだんだん優しくも、愛情あいじょうぶかくもなっていったが、やはりいくらかひかえ目にするところがあった。五日目に、わたしが白鳥号でおなじみになった女中が夫人ふじんの代わりに来て、ミリガン夫人ふじんがわたしたちを待ち受けている、もうおむかえの馬車がホテルの門口かどぐちに来ていると言った。マチアはさっそく一頭引きの馬車の上に、むかしから乗りつけている人のように乗りこんだ。カピもいっこうきまり悪そうなふうもなく中へとびこんで、ビロードのしとねの上にゆうゆうと上がりこんだ。
 馬車の道はわずかであった。あまりわずかすぎたと思った。わたしはゆめの中を歩いている人のように、ばかげた考えで頭の中がいっぱいであった。いや、すくなくともわたしの考えたことはばかげていたらしかった。わたしたちは客間に通された。ミリガン夫人ふじんと、アーサと、リーズがそこにいた。アーサは手をべた。わたしはかれのほうへかけ出して行って、それからリーズにキッスした。ミリガン夫人はわたしにキッスした。「やっとのことで」とかの女は言った。「あなたのものであるはずの位置いちに、あなたをくことができるようになりました」
 わたしはこう言われたことばの意味を話してもらおうと思って、かの女の顔を見た。かの女はドアのほうへって、それを開けた。そのときこそほんとうにびっくりするものがあらわれた。バルブレンのおっかあがはいって来た。その手には赤んぼうの着物、同じカシミアの外とう、レースのボンネット、毛糸のくつなどをかかえていた。かの女がこれらの品物をつくえくか置かないうちに、わたしはかの女をだきしめた。わたしがかの女にあまえているあいだに、ミリガン夫人ふじん召使めしつかいに何か言いつけた。そのときほんの、「ジェイムズ・ミリガン」という名を聞いただけであったが、わたしは青くなった。
「あなたはなにもこわがることはないのよ」とミリガン夫人ふじんやさしく言った。「ここへおいで。あなたの手をわたしの手におきなさい」
 ジェイムズ・ミリガンれいの白いとんがった歯をむき出して、にこにこしながらはいって来た。ところがわたしの顔を見ると、微笑びしょうがものすごい渋面じゅうめんになった。ミリガン夫人ふじんはかれにものを言うひまをあたえなかった。
「あなたにおいでをねがいましたのは」と、ミリガン夫人ふじんはやや声をふるわせながら言った。「長男がやっと見つかりましたので、あなたにお引き合わせしたいとぞんじまして」こう言ってかの女はわたしの手をにぎりしめた。
「でもあなたはもうこの子にはお会いくださいましたそうですね。この子をぬすんだ男の家で、この子にお会いになって、からだの具合をお調べになったそうですね」
「それはなんのことです」とジェイムズ・ミリガンが反問した。
「なんでもお寺へ盗賊とうぞくにはいったその男が、のこらず白状はくじょういたしましたそうです。その男はどういうふうにしてわたくしの赤んぼうをぬすみ出して、パリへれて行き、そこへてたか、その一部始終いちぶしじゅうべました。これがわたくしの子どもの着ておりました着物でございます。わたくしの子どもを育ててくれましたのは、この正直なおばあさんでございました。この手続をお読みになりたいとおぼしめしませんか。この着物を調べてごらんになりたいとおぼしめしませんか」
 ジェイムズ・ミリガンはわたしにとびかかって、しめころしてでもやりたいような顔をしたが、やがてくるりとかかとをふり向けた。そしてしきいぎわでかれはふり返って言った。
「いずれ法廷ほうていが、この子どもの作り話をどう聞くか、見てみましょうよ」
 わたしの母、もういまはそうんでもいいが、――母はそのときしずかに答えた。
「あなたが法廷へこの事件じけんをお持ち出しになるのはご随意ずいいです。わたくしはあなたがおっとのご兄弟でいらっしゃるために、わざとそれをさしひかえたのでございます」
 ドアはまった。そのとき、生まれてはじめてわたしは、母を、かの女がわたしにキッスしたようにキッスし返した。
「きみ、お母さんに、ぼくが秘密ひみつをよく守ったことを話してくれたまえ」とマチアがわたしのそばにって来てこう言った。
「ではきみはのこらず知っていたのか」
「わたしはマチアさんにそれをそっくり言わずにいるようにたのんでおいたのです」とわたしの母が言った。「それはあなたがわたしの子だということはわかっていたけれど、わたしもたしかな証拠しょうこをにぎりたかったから、バルブレンのおっかさんに、着物を持ってここまで来てもらったのです。こんなにしたうえで、つまりそれがまちがいだということになったら、どんなにつらい思いをするかしれないからね。わたしたちはこれだけの証拠のあるうえは、もう二度とわかれることはないのよ。あなたはこれからずっとあなたの母さんや弟といっしょにくらすのです」こう言ってマチアとリーズを指さしながら、「それから」と言いそえた。「あなたがまずしかったときおまえのあいしたこの人たちもね」


     家庭で

 いく年か、それはずいぶん長い月日が短くぎた。そのあいだしじゅう楽しい幸福な日がつづいた。わたしはいまでは、わたしの先祖せんぞからのやしきであるイギリスのミリガン・パークに住んでいる。
 うちのない子、よるべのない子、この世の中にてられ、わすれられて、運命のもてあそぶままに西に東にただよって、広い大海のまん中に、目標もくひょうになる燈台とうだいもなく、避難ひなんの港もなかったみなし子が、いまでは自分があいし愛される母親や兄弟があるだけではない、その国で名誉めいよのある先祖せんぞ名跡みょうせきをついで、ばくだいな財産ざいさん相続そうぞくする身の上になったのである。
 夜な夜な、物置ものおきやうまやの中、または青空の下の木のかげにねむったあわれな子どもが、いまは歴史れきし由緒ゆいしょの深い古城こじょうの主人であった。
 わたしが汽車からとび下りて、押送おうそう巡査じゅんさの手からのがれて船に乗った、あの海岸から西へ二十里(約八十キロ)へだたった所に、わたしの美しいしろはあった。
 このミリガン・パークの本邸ほんていに、わたしは母と、弟と、つまと、自分とで、家庭を作っていた。
 半年前からわたしは城内じょうない文庫ぶんこにこもって、わたしの長い少年時代の思い出を、せっせと書きつづっていた。わたしたちはちょうど長男のマチアのために洗礼式せんれいしきを上げようとしている。今夜わたしのやしきには貧窮ひんきゅうであった時代の友だちが集まって、いっしょに洗礼式せんれいしきいわおうとしている、わたしの書きつづった少年時代の思い出は一さつの本にできあがっていた。今夜集まる人たちに一冊ずつ分けるつもりである。
 これだけわたしのむかしの友だちの集まるということが、わたしのつまをおどろかした。かの女はこの一夜に、父親と、あねと、兄と、おばさんに会うはずであった。ただ母と弟にはまだ内証ないしょうにしてあった。もう一人このせきにだいじな人がけていた。それはあの気のどくなヴィタリス親方。
 親方の生きているあいだには、わたしはなにもこの人のためにしてやることができなかった。でもわたしは母にたのんで、この人のために大理石のはかきずかせた。その墓の上にはカルロ・バルザニの半身像はんしんぞうをすえさせた。その半身像の複製ふくせいはこうして書いているわたしの卓上たくじょうにあった。「思い出の記」を書いているも、わたしはたびたび目を上げてこの半身像をながめた。わたしの目はわけなくこの像にひきつけられた。わたしはこの人をけっしてわすれることができない。なつかしいヴィタリス親方を忘れることはできない。
 そう思っているとき、母が弟のうでにもたれかかって出て来た。弟のアーサはもうすっかりおとなになって、からだもじょうぶになって、いまではりっぱに母をだきかかえする人になっていた。母の後ろからすこしはなれて、フランスの百姓ひゃくしょう女のようなふうをした婦人ふじんが、白いむつき(おむつ)につつまれた赤子をだいてついて来た。これこそむかしのバルブレンのおっかあで、だいている子どもは、わたしのむすこのマチアであった。
 アーサがそのとき「タイムズ」新聞を一まい持って来て、ウィーンの通信記事つうしんきじを読めといって見せてくれた。それを見ると、いまは大音楽家になったマチアが、演奏会えんそうかいを一とおりすませたところで、とりわけウィーンでの大成功だいせいこうがかれをせつに引き止めているにかかわらず、あるやむにやまれないやくそくをたすため、ただちにイギリスに向かって出発のに着いたと書いてあった。わたしはそのうえ新聞記事をくどくどと読む必要ひつようがなかった。いまでこそ世間はかれを、ヴァイオリンのショパンだといってほめそやすが、わたしはとうからかれのめざましい成長発達せいちょうはったつ予期よきしていた。わたしと弟とかれと三人、同じ教師きょうしについて勉強していたじぶん、マチアは、ギリシャ語やラテン語こそいっこう進歩はしなかったが、音楽ではずんずん先生を凌駕りょうが(しのぐ)していた。こうなると、マンデの床屋とこやさん兼業けんぎょうの音楽家エピナッソー先生の予言よげんがなるほどとうなずかれた。
 そのとき、配達夫はいたつふが一通の電報でんぽう配達はいたつして来た。その文言もんごんにはこうあった。
「海上はなはだあらく、ひどくなやまされた。とちゅうパリに一ぱく。妹クリスチーナを同伴どうはん四時に行く。出むかえの馬車をたのむ。マチア」
 クリスチーナの名が出たので、わたしはアーサの顔を見た。するとかれはきまり悪そうに目をそらせた。アーサがマチアの妹のクリスチーナをあいしていることはわたしにはわかっていた。そしていつか、それがいますぐというのではなくとも、母がこの結婚けっこん承知しょうちすることはわかっていた。子どもの誕生たんじょうのおいわいばかりですむものではない。母はわたしの結婚にも反対しなかった。いまにそうするのが、つまりアーサのためだとわかれば、これにも反対するはずがなかった。
 リーズ、わたしの美しい美しいリーズがろうかを通って出て来て、わたしの母の頭に手をかけた。
「ねえ、お母さま」とかの女は言った。「あなたはうまくたくらみにかかっておいでなのですわ。それであなたに不意討ふいうちを食わせて、おどろかそうというのでしょう。
 それもおもしろいでしょう。でもわたしはちっともおどろきませんわ」
「おい、リーズ、そんなことを言っているうちに、だしぬけを食ってびっくりするなよ」とわたしは言った。そのとき外でがらがらと馬車の止まった音がした。
 一人、一人、お客が着くと、わたしとリーズは広間へ出てむかえた。アッケン、カトリーヌおばさん、エチエネット、それからたったいま植物採集しょくぶつさいしゅうの旅から帰ったばかりの有名な植物学者バンジャメン・アッケンの胴色どういろけた顔があらわれた。それから青年が一人、老人ろうじんが一人やって来た。今度の旅行はかれらにとって二重の興味きょうみがあった。というわけは、この人たちはわたしどもの招待しょうたいをすませると、ウェールズまで鉱山こうざん見物に出かけるはずになっていた。この青年のほうは鉱山の視察しさつをとげて、国にたんとみやげ話を持って帰って、かれがいまツルイエールの鉱山でしめている重い位置いちにいっそうのはくをつけようというのであったし、老人ろうじんのほうはこのごろヴァルセの町で鉱石収集こうせきしゅうしゅうをやって町で重んぜられているので、今度の調査ちょうさ結果けっかいっそう重大な発見をとげて帰ろうとするのであった。この老人ろうじんと青年というのは、言うまでもなく、ヴァルセ鉱山こうざんはたらいていた「先生」と、アルキシーとであった。
 リーズとわたしが来賓らいひんにあいさつをしていると、またがらがらと四輪馬車よりんばしゃが着いて、アーサとクリスチーナとマチアが中から出て来た。すぐそのあとにつづいて、一両の二輪馬車が着いた。気のいた顔つきの男が御者ぎょしゃをして、これと背中せなか合わせに一人、ぼろぼろの服を着た船乗りが乗っていた。たづなをひかえて御者をしているのは、このごろ金のできたボブで、いっしょに乗って来たのは、あのときわたしをイギリスの海岸からにがしてくれたボブの兄であった。
 さて洗礼式せいれいしきがすむと、マチアはわたしを窓際まどぎわまでれ出した。
「わたしたちはこれまで、知らないよその人のためにばかり音楽をやっていた。さあこの記念きねん席上せきじょうでわたしたちのあいする人びとのために音楽をやろうじやないか」とかれは言った。
「おい、マチア、きみは音楽のほかに楽しみのない男だね」とわたしはわらいながら言った。「きみの音楽のおかげで雌牛めうしをおどろかして、ひどい目に会ったっけなあ」
 マチアは歯をむき出して笑った。
 ビロードでがわったりっぱなはこから、売ったら二フランとはふめまいと思う古ぼけたヴァイオリンをマチアは取り出した。わたしもふくろの中から、むかしのハープを取り出した。雨にあらわれて、もとのぬり色ももう見分けることができなくなっていた。
「きみはきなナポリ小唄こうたを歌いたまえ」とマチアが言った。
「うん、この歌のおかげで、リーズは口がきけるようになったのだからなあ」
 こうわたしは言って、にっこりしながら、そばに立っていたつまをふり向いた。
 来賓らいひんはわたしたちのぐるりをいた。
 ふと一ぴきの犬がとび出して来た。
 大好だいすきなカピのじいさん、この犬はもうたいへん年を取って、耳が遠くなっていたが、視力しりょくはまだなかなかしっかりしていた。ねていたあたたかいしとねの上から、むかしなじみのハープを見つけると、「演芸えんげい」が始まると思ってはね起きて来た。歯ぐきの間には下ざらを一まいくわえていた。かれは「ご臨席りんせき来賓諸君らいひんしょくん」の間をどうどうめぐりするつもりでいた。
 かれはむかしのように、後足で立って歩こうとした。けれどもうそれだけの力がないので、まじめくさってぺったりすわったまま、前足でむねを打って、来賓にごあいさつをした。
 わたしたちの歌がおしまいになると、カピはいっしょうけんめい立ち上がって、「どうどうめぐり」を始めた。みんなが下ざらにいくらかずつほうりこむと、カピはほくほくしてそれをわたしの所へ持って帰った。これこそかれがこれまで集めたいちばんの金高であった。中には金貨きんかと銀貨ばかり――百七十フランはいっていた。
 わたしはむかししたように、かれのつめたい鼻にキッスした。するうち、子どもの時代の困窮こんきゅうが思い出して、ふとある考えがうかんだ。わたしはそこで来賓らいひんに向かって、この金はさっそくあわれな大道音楽師だいどうおんがくしのために救護所きゅうごしょ設立せつりつの第一回寄付金きふきんとしたいと宣言せんげんした。そのあとの寄付はわたしと母とですることにする。
「おくさん」とそのときマチアがわたしの母の手にキッスしながら言った。「わたしにもその慈善事業じぜんじぎょうのお手伝てつだいをさせてください。ロンドンで開くはずのわたしの演奏会えんそうかい第一夜の収入しゅうにゅうは、どうぞカピのさらの中へ入れさせてください」
 こう言うと、カピも「賛成さんせい」というように、一声高くウーとほえた。
(おわり)





底本:「家なき子(下)」春陽堂少年少女文庫、春陽堂
   1978(昭和53)年1月30日発行
※底本中、難解な語句の説明に使われた括弧内の文章は、割り注になっています。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(大石尺)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年4月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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