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家なき子(いえなきこ)02

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-1 11:48:06  点击:  切换到繁體中文



     ボブ

 判事はんじが子どもをれて寺へはいったどろぼうの捕縛ほばくを待つために、わたしはとうとう放免ほうめんされなかった。かれらはそのときになって、わたしがその男の共犯者きょうはんしゃであるかどうかはじめて決めようと言うのである。
 かれらはただいま追跡ついせき中であると検事けんじが言った。そうすると、わたしはその男とならんで、囚人席しゅうじんせきに入れられて、巡回裁判官じゅんかいさいばんかんの前に出る恥辱ちじょく苦痛くつうをしのばなければならないのであろう。
 そのばん日のくれかかるまえ、わたしははっきりとコルネの音を聞いた。マチアが来ているのだ。なつかしいマチアよ。かれはじきそばに来て、わたしのことを思っていることを知らそうとしたのであった。かれはまさしくまどの外の往来おうらいにいるのであった。わたしは足音とおおぜいのぶつぶつ言う声を聞いた。マチアとボブが、きっと演芸えんげいを始めているのであった。
 ふとわたしはよくとおる声で、「あした夜明けに」とフランス語で言う声を聞いた。わたしはそれがなんのことだかたしかにはわからなかった。とにかくあしたの夜明けにはしっかり気をっていなければならなかった。
 暗くなるとさっそくわたしはハンモックにはいった。たいへんつかれてはいたけれど、ねこむにはなかなか手間がとれた。そのうちやっとぐっすりねこんだ。目がめるともう夜中であった。星は暗い空にかがやいて、沈黙ちんもくがすべてを支配しはいしていた。時計は三時を打った。わたしはこれで一時間、これで十五分と勘定かんじょうしていた。かべによりかかりながら、じっと目をまどに向けて、星が一つ一つ消えてゆくのをながめた。遠方にはとりがときを作る声が聞こえた。もう明け方であった。
 わたしはごくしずかにまどを開けた。なにがそこにあったか。相変あいかわらず鉄の格子こうしと、高いかべが前にあった。わたしは出ることができない。けれどばかげた考えではあっても、わたしは自由になることを待ちもうけていた。
 朝の風が耳がちぎれるように寒かったけれど、わたしはまどのそばに立ち止まって、なにを見るということなしに見て、なにを聞くということなしに耳を立てた。
 大きな白い雲が空にうかんだ。夜明けであった。わたしの心臓しんぞうははげしく鼓動こどうした。
 するとかべをがりがり引っかく音が聞こえた。でも足音をすこしも聞かなかった。わたしは耳をすませた。引っかく音がつづいた。ぬっと人の頭がかべの上にあらわれた。うす暗い光の中にわたしはボブを見つけた。
 かれは鉄格子てつごうしに顔をおしつけて、わたしを見た。
しずかに」とかれはそっと言った。
 かれはわたしにまどからどけという合図をした。ふしぎに思いながら、わたしは服従ふくじゅうした。かれは豆鉄砲まめでっぽうを口に当ててふいた。かわいらしい鉄砲玉てっぽうたまが空をまって、わたしの足もとに落ちた。ボブの頭が消えた。
 わたしは弾丸だんがんをわしづかみにつかんだ。それはうすい紙をまめのように小さい玉に丸めたものであった。明かりがあんまり暗いので、なにが書いてあるか見えなかった。夜の明けるまで待たなければならなかった。わたしはそっとまどめて、小さな紙玉を手に持ったまま、またハンモックにころがった。光の来ることのどんなにおそいことぞ。やっとわたしはその紙に書いてある文字を読むことができた。それにはこうあった。
「あしたきみは汽車に乗せられて、郡立刑務所ぐんりつけいむしょへ送られるはずだ。巡査じゅんさが一人ついて行くことになっている。きみは汽車の戸口に近い所にいたまえ。よく勘定かんじょうしていたまえ、四十五分目に汽車は連結点れんけつてんの近くで速力そくりょくをゆるめる。そのときドアを開けてとびだしたまえ。左手の小山を登れば、われわれはそこに待っている。しつかりやれ。なによりもうまく前へとんで、足を下に着くことだ」
 助かった。わたしは巡回裁判じゅんかいさいばんの前に出ないですむ。ありがたい、マチア。それから、ボブ。マチアに加勢かせいしてくれるボブはずいぶんいい人だ。かわいそうにマチア一人では、とてもこれだけできやしない。
 わたしは書きつけを二度読み直した。汽車が出てから四十五分……左手の小山……汽車からとび下りるのはけんのんな仕事だ。でもそれをやりそこなって死んでも、したほうがいい。どろぼうの宣告せんこくを受けて死ぬよりましだ。
 わたしはまたもう一度書きつけを読んでから、それをくちゃくちゃにかんでしまった。
 そのあくる日の午後、巡査じゅんさ監房かんぼうにはいって来て、すぐついて来いと言った。かれは五十以上いじょうの男であった。わたしはかれがたいしてはしっこそうでないのを見て、まずよしと思った。
 事件じけんはボブが言ったように進んで行った。汽車は走り出した。わたしは汽車の戸口にせきをしめた。巡査はわたしの前にこしをかけた。車室の中はわたしたちだけであった。
「おまえはイギリス語がわかるか」と巡査じゅんさはたずねた。
「あまり早く言われなければわかります」とわたしは答えた。
「そうか。よし。それでは少しおまえに相談そうだんがある」とかれは言った。「法律ほうりつをあなどらないようにしろ。まあどういうしだいの事件じけんだか、話してごらん。おまえに五シルリングやる。ろうの中で金を持っていればよけい気楽だ」
 わたしはなにも白状はくじょうすることがないと言おうとしたが、そう言うと巡査じゅんさをおこらせるだろうと思って、なにも言わなかった。
「まあ、よく考えてごらん」とかれはつづけた。「で、刑務所けいむしょへ行っても、向こうで、いちばん先に来た者に言わないで、わたしの所へそう言っておこし。おまえのことを心配している人間のあることは、つごうのいいことだし、わたしはよろこんでおまえの加勢かせいをしてやる」
 わたしはうなずいた。
「ドルフィンさんと言ってお聞き。おまえ、名前をおぼえたろうなあ」
「ええ」
 わたしはドアによりかかっていた。まどはあいていて、風がふきこんだ。巡査じゅんさはあまり風がはいると言って、こしかけのまん中へせきうつした。わたしの左の手がそっと外へ回ってハンドルを回した。右の手でわたしはドアをつかんだ。数分間たった。汽笛が鳴って速力そくりょくがゆるんだ。
 いよいよだいじなしゅんかんが来た。わたしは急いてドアをおし開けて、できるだけ遠くへとんだ。運よく前へ出していたわたしの手が草にさわった。でも震動しんどうはずいぶんひどかったから、わたしは人事不省じんじふせいで地べたにころがった。わたしが正気に返ったとき、わたしはまだ汽車の中にいると思った。わたしはまだ運ばれているように感じたのであった。そこらを見回して、わたしは馬車の中に転がっていることを知った。きみょうだ。わたしのほおはしめっていた。やわらかなあたたかいしたが、わたしをなめていた。少しふり向くと、一ぴきの黄色い、みっともない犬がわたしの顔をのぞきこんでいた。マチアがわたしのそばにひざをついていた。
「きみは助かったよ」とかれは言って、犬をおしのけた。
「ぼくはどこにいるんだ」
「きみは馬車の中だよ。ボブが御者ぎょしゃをしている」
「どうだな」とボブが御者台から声をかけた。「手足が動かせるか」
 わたしは手足をのばして、かれの言うとおりにした。
「よし」とマチアは言った。「どこもくじきやしない」
「どうしたんだ」
「きみはぼくらの言ったとおりに、汽車からとび下りた。だが震動しんどうで目が回って、みぞの中にころがりこんだ。きみがいつまでも来ないから、ボブが馬車を下りて、小山をかけ下りて、きみをうでにひっかかえて帰って来た。ぼくらはきみが死んだと思ったよ。まったく心配したよ」
 わたしはかれの手をさすった。
「それから巡査じゅんさは」とわたしは聞いた。
「汽車はあのまま進んだ。止まらなかった」
 わたしの目はまた、そばでわたしをながめている、みにくい黄色い犬の上に落ちた。
 それはカピにていた。でもカピは白かった。
「なんだね、この犬は」とわたしはたずねた。
 マチアが答える間もないうちに、そのみっともない小さな動物はわたしの上にとびかかった。はげしくなめ回して、くんくん鳴いていた。
「カピだよ。絵の具でめたのだよ」とマチアがわらいながらさけんだ。
「染めた、どうして」
「だって見つからないようにさ」
 ボブとマチアが馬車の中にうまくわたしをかくすようにくふうしてくれているあいだに、わたしは、いったいこれからどこへ行くのだとたずねた。
「リツル・ハンプトンへ」とマチアが言った。「そこへ行けば、ボブのにいさんが船を持っていて、ノルマンデーからバターとたまごを運んで、フランスの海岸を回っているのだ。ぼくらはなにからなにまでボブの世話になった。ぼくのようなちっぽけな者が、一人でなにができよう。汽車からとび下りるくふうもボブが考えたのだ」
「それからカピは。カピをうまく取り返したのはだれだ」
「ぼくだよ。だが、ぼくらが犬を交番から取りもどしたあとで、見つからないように黄色く絵の具をぬったのはボブだった。判事はんじはあの巡査じゅんさを気がいていると言った。だがカピをれて行かれるのは、あんまり気が利いたと言えない。もっともカピはぼくのにおいをかぎつけて、ほとんど一人で出て来た。ボブは犬どろぼうのじゅつを知っているのだ」
「それからきみの足は」
「よくなったよ。たいていよくなったよ。じつはぼくは足のことを考えているひまがなかった」
 夜になりかかっていた。わたしたちはまだ長い道を行かなければならなかった。
「きみはこわいか」とわたしがだまってころがっていると、マチアがたずねた。
「いや、こわくはない」とわたしは答えた。「だってぼくはつかまるとは思わないから。でもにげ出すということがつみになりやしないかと思うのだ。それが気になるのだ」
「ボブもぼくも、きみを巡回裁判じゅんかいさいばんに出すぐらいなら、なにをしてもいいと思ったからな」
 あれから、汽車が止まったところで、巡査じゅんさがさっそく捜索そうさくにかかることはたしかなので、わたしたちはいっしょうけんめい馬を走らせた。わたしたちの通って行く村は、ひじょうにしずかであった。明かりがただ二つ三つまどに見えた。マチアとわたしは毛布もうふの下にもぐった。しばらくのあいだ寒い風がふいていた。くちびるにしたを当てると、しおからい味がした。ああ、わたしたちは海に近づいていた。
 まもなくわたしたちは、ときどき明かりのちらちらするのを見つけた。それが燈台とうだいであった。ふとボブは馬を止めて、馬車からとび下りながら、わたしたちに待っていろと言った。かれは兄弟の所へ行って、わたしたちをその船に乗せて、安全に向こう岸までわたれるか、様子を聞きに行ったのであった。
 ボブはひじょうに遠くへ行ったらしかった。わたしは口をきかなかった。すぐ間近の岸に、波のくだける音が聞こえた。マチアはふるえていた。わたしもふるえていた。
「寒いね」とかれはささやいた。わたしたちをふるえさせるのは寒さのためだけであったろうか。
 やがて往来おうらいに足音がした。ボブは帰って来た。わたしの運命が決められた。胴服どうふくを着て油じみたぼうしをかぶったぶこつな顔つきの船乗りが、ボブといっしょに来た。
「これがぼくの兄貴あにきだ」とボブが言った。「きみたちを船に乗せて行ってくれるはずだ。そこでぼくはここでおわかれとしよう。だれもぼくがきみをここへれて来たことを知るはずがないよ」
 わたしはボブに礼を言おうとしたが、かれは手短に打ち切った。わたしはかれの手をにぎった。
「それは言いっこなしだ」とかれは軽く言った。「きみたち二人は、このあいだのばんぼくを助けてくれた。いいことをすればいいむくいがあるさ。それでぼくもマチアの友だちを助けてあげることができたのだから、自分でもゆかいだ」
 わたしたちはボブの兄弟のあとについて、いくつかれ曲がったしずかな通りを通って、波止場はとばに着いた。かれはひと言も口をきくことなしに、一そうの小さい帆船はんせんを指さした。二、三分でわたしたちは甲板かんぱんの上にいた。かれはわたしたちに下の小さな船室にはいれと言った。
「二時間すれば船を出す」とかれは言った。「そこにはいって、音のしないようにしておいで」
 でもわたしたちはもうふるえてはいなかった。わたしたちはまっ暗な中でかたをならべてすわっていた。


 

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