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家なき子(いえなきこ)01
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最初の友だち
アーサの母親はイギリス人であった、名前をミリガン夫人と言った。後家さんで、アーサは一人っ子であった。少なくとも生きているただ一人の子どもだと考えられていた。なぜというに、かの女はふしぎな事情のもとに、長男をなくした。 その子は生まれて六月目に人にさらわれてしまった。それからどうしたかかいもく行くえがわからなかった。もっともその子がかどわかされたころ、ちょうどミリガン夫人はじゅうぶんの探索をすることのできない境遇であった。かの女の夫は死にかかっていたし、なによりもかの女自身がひどくわずらって、身の回りにどんなことが起こっているか、まるっきりわからずにいた。かの女が意識を取り返したときには、夫は死んでいたし、赤子はいなくなっていた。かの女の実の弟に当たるジェイムズ・ミリガン氏はイギリスはもちろん、フランス、ベルギー、ドイツ、イタリアとほうぼうに子どもを探させたが、結局行くえは知れなかった。そうなるとあとつぎの子どもがないので、この人がにいさんの財産を相続するつもりでいた。 ところがやはり、ジェイムズ・ミリガン氏は、にいさんからなにも相続することができなかった。なぜというに、夫人の夫の死後七か月目に、夫人の二番目のむすこのアーサが生まれたのであった。 けれどもお医者たちはこの病身な、ひよわな子どもの育つ見こみはないと言った。かれはいつ死ぬかもしれなかった。その子が死んだ場合には、ジェイムズ・ミリガン氏は財産を相続することになるであろう。 そう思ってかれはあてにして待っていた。 けれども医者の予言はなかなか実現されなかった。アーサはなかなか死ななかった。もう二十度も追っかけ追っかけ、なんぎな病という病にかかって、それでも生きていた。そのたんびにこの子を生かしたものは母親の看護の力であった。 最後の病は腰疾(こしの病気)であった。それにはしじゅう板にねかしておくがいいというので、板の上にからだを結えつけて動けないようにした。けれどそれをそのままうちの中に閉じこめておけば、今度は気鬱と空気の悪いために死ぬかもしれない。 そこでかの女は子どものためにきれいな、ういて動く家をこしらえてやって、フランスの国じゅうのいろいろな川を旅行しているのであった。その両岸の景色は、病人の子どもがねながら、ただ目を開いていさえすれば、目の前に動いて行くのであった。 もちろんこのイギリスの貴婦人とむすこについて、わたしはこれだけのことを残らず、初めての日に聞いたのではなかった。わたしはときどきかの女といるあいだに少しずつ細かい話を聞いた。 わたしが初めの日に聞いたことは、ただこの船の名が白鳥号ということ、それからわたしが部屋と定められた船室がどんなものであるかということだけであった。 わたしは高さ七尺(約二メートル)、はば三、四尺(約〇・九~一・二メートル)のかわいらしい船室を一つ当てがわれた。それはなんというふしぎな部屋におもわれたであろう。部屋のどこにもしみ一つついていなかった。 その船室に備えつけたたった一つの道具は、衣装戸だなであった。けれどなんという戸だなだろう。寝台とふとんとまくらと毛布とがその下から出て来た。そして寝台についた引き出しには、はけやくしやいろいろなものがはいっていた。いすやテーブルというようなものも少なくともふつうの形をしたものはなかったが、かべに板がぴったりついている、それを引き出すと四角なテーブルといすになった。この小さな寝台にねむることをどんなにわたしは喜んだであろう。生まれて初めてわたしはやわらかいしき物をはだに当てた。バルブレンのおっかあのうちのはひじょうに固くって、いつもあらくほおをこすった。ヴィタリス老人とわたしはたいていしき物なしでねむった。木賃宿にあるものは、みんなバルブレンのおっかあのうちのと同様にごりごりしていた。 わたしはあくる朝早く起きた。一座の連中が一晩どんなふうに過ごしたか知りたかったからである。 見るとかれらはみんなまえの晩入れてやった所にいて、このきれいな小舟はもう何か月もかれらの家であったかのようによくねいっていた。犬たちはわたしが近づくとはね起きたが、ジョリクールは片目を開いているくせに動かなかった。かえってラッパのような大いびきをかき始めた。 わたしはすぐにそのわけをさとった。ジョリクールはたいへんおこりっぽかった。かれは一度腹を立てると、長いあいだむくれていた。いまの場合は、ゆうべわたしがかれを船室に連れて行かなかったのをおもしろく思わなかったので、わざとふてねをして、ふきげんを示していたのであった。 わたしはなぜかれを甲板の上に置いて行かなければならなかったか、そのわけを説明することができなかった。それで少なくとも外見だけでも、わたしはかれにすまなかったと感じているふうを見せるために、かれをうでにだいて、なでたりさすったりしてやった。 初めはかれもむくれたままでいたが、まもなく、気が変わりやすい性質だけに、なにかほかのことに考えが移って、手まねで、よし、外へ散歩に連れて行くなら、かんべんしてやろうという意を示した。 甲板をそうじしていた男が、気軽に板をわたしてくれたので、わたしは部下を連れて野原へ出た。 犬とかけっこしたり、ジョリクールをからかったり、ほりをとんだり、木登りをしたりして遊んでいるうちに時間がたった。帰ってみると、馬ははこやなぎの木につながれて、すっかり仕度ができていて、小舟はいつでも出発するようになっていた。 わたしたちがみんな船の上に乗ってしまうと、まもなく船をつないだ大づなは解かれて、船頭はかじを、御者は手づなを取った。引きづなの滑車がぎいぎい鳴って、馬は引き船の道をカッパカッパ歩きだした。 これでも動いているかと思うはど静かに船は水の上をすべって行った。そこに聞こえるものは小鳥の歌と、船に当たる水の音、それから馬の首につけたすずのチャランチャランだけであった。 所どころ水はこい緑色に見えてたいへん深いようであった。そうかと思うと水晶のようにすみきっていて、水の底できらきら光る小石だの、ビロードのような水草をすかして見ることができた。 わたしが水の中をじっとのぞきこんでいると、だれかがわたしの名前を呼んだ。それはアーサであった。かれは例の板に乗せられて運び出されていた。 「きみ、よくねられたかい、野原にねむるよりも」とかれはたずねた。わたしは半分、ミリガン夫人にあいさつするように、ていねいによくねむられたことを話した。 「犬は」アーサが聞いた。 わたしはかれらを呼んだ。かれらはジョリクールといっしょにかけて来た。このさるはいつも芝居をやらされると思うときするように、しかめっ面をしていた。 ミリガン夫人はむすこを日かげに置いて、自分もそのそばにすわった。 「それでは、あちらへ犬とさるを連れて行ってください。わたしたちは課業がありますから」とかの女は言った。 わたしは連中を連れてへさきのほうへ退いた。 あの気のどくな病人の子どもに、どんな課業ができるのだろう。 わたしはかれの母親が手に本を持って、むすこに課業を授けているのを見た。 かれはそれを覚えるのがなかなか困難であるらしく見えた。しじゅう母親は優しく責めていたが、同時になかなか手ごわかった。 「いいえ」とかの女は最後に言った。「アーサ、あなたはまるで覚えていません」 「ぼく、できません。お母さま、ぼく、ほんとにできないんです」とかれは泣くように、言った。「ぼく病気なんです」 「あなたの頭は病気ではありません。アーサ、病人だからといって、だんだんばかになるような子をわたしは好きません」 これはずいぶん残酷なようにわたしには思われた。けれどかの女はあくまで優しい親切な調子で言った。 「なぜ、あなたはわたしにこんな情けない思いをさせるでしょう。あなたが習いたがらないのが、どんなにわたしには悲しいかわかるでしょう」 「ぼく、できません、お母さま、ぼくできないんです」こう言ってかれは泣きだした。 けれどもミリガン夫人は子どものなみだに負かされはしなかった。そのくせかの女はひじょうに感動して、ますます悲しそうになっていた。 「わたしもけさあなたをルミや犬たちと遊ばせてあげたいのだけれど、すっかりお話を覚えるまでは遊ばせることはできません」こう言ってかの女は本をアーサにわたして、一人置き去りにしたまま向こうへ行った。 わたしの立っていた所までかれの泣き声が聞こえた。 あれほどまでに愛しているらしい母親がどうしてこのかわいそうな子どもにこれほど厳格になれるのであろう。アーサの覚えられないのは病気のせいなのだ。かの女は優しいことば一つかけないではいってしまうのであろうか。 しばらくたってかの女はもどって来た。 「もう一度二人でやってみましょうね」とかの女は優しく言った。 かの女は子どものわきにこしをかけて、本を手に取って、『おおかみと小ひつじ』というお話を読み始めた。アーサはその読み声について文句をくり返した。 三度初めからしまいまで読み返して、それから本をアーサに返して、あとは一人で習うように言いつけて、船の中にはいってしまった。 わたしはアーサのくちびるの動くのを見た。 かれはたしかにいっしょうけんめい勉強していた。 けれどもまもなく目を本からはなした。かれのくちびるは動かなくなった。かれの目はきょろきょろとあてもなく迷ったが、本にはもどって来なかった。 ふとかれの目はわたしの目を見つけた。 わたしは課業を続けてやるようにかれに目くばせした。かれは注意を感謝するように微笑した。そしてまた本を読み始めた。けれどもまえのようにやはりかれは考えを一つに集めることができなかった。かれの目は川のこちらの岸から向こう岸へと迷い始めた。ちょうどそのとき一羽のかわせみが矢のように早く船の上をかすめて、青い光をひらめかしながら飛んだ。 アーサは頭を上げてその行くえを見送った。鳥が行ってしまうと、かれはわたしのほうをながめた。 「ぼく、これが覚えられない」とかれは言った。「でもぼく、覚えたいんだ」 わたしはかれのそばへ行った。 「この話はそんなにむずかしくはありませんよ」とわたしは言った。 「うん、むずかしい。……たいへんむずかしいんだ」 「ぼくにはずいぶん易しいと思えますよ。あなたのお母さまが読んでいらっしゃるときに聞いていて、ぼくはたいてい覚えました」 かれはそれを信じないように微笑した。 「言ってみましょうか」 「できるもんか」 「やってみましょうか。本を持っていらっしゃい」 かれはまた本を取り上げた。わたしはその話を暗唱し始めた。わたしはほとんど完全に覚えていた。 「やあきみ、知っているの」 「そんなによくは知りません。けれどこのつぎのときまでには、一つもちがえずに言えるでしょう」 「どうして覚えたの」 「あなたのお母さまが読んでいらっしゃるあいだ、ぼくは聞いていました。ただいっしょうけんめいに、そこらの物を見向したりなんぞせずに、聞いていたのです」 かれは顔を赤くした、そして目をそらした。 「ぼくもきみのようにやってみよう」とかれは言った。「けれど一々のことばをどうしてそう覚えたか、言って聞かしてくれたまえ」 わたしはそれをどう説明していいかわからなかった。そんなことを考えてみたことはなかった。けれどやれるだけは説明してみた。 「このお話はなんの話でしょう」とわたしは言った。「ひつじのことでしょう。ねえ、だからなにより先にぼくはひつじのことを考えました。それからひつじはなにをしているか考えます。『多くのひつじは安全なおりの中で住んでいました』というのだから、ひつじがおりの中で安心して転がってねむっているところが見えてきます。そういうふうに目にうかべると忘れません」 「そうだそうだ」とかれは言った。「ぼくは見えるよ。黒いひつじだの、白いひつじだの、おりも、格子も見える」 「ひつじの番をするのはなんですか」 「犬さ」 「ひつじがおりの中にいて番をしないですむとき、犬はなにをするでしょう」 「なんにも仕事はない」 「では犬はねむってもいいでしょう。ですから、『犬はねむっていました』と言うのです」 「そうだ。わけはない」 「ええ、わけはないのですとも、今度はほかのことに移ります。では犬といっしょに番をするのはだれです」 「ひつじ飼いさ」 「その犬やひつじ飼いは、ひつじがだいじょうぶだと思うとなにをしていたでしょう」 「犬は、ねむっていたのさ、ひつじ飼いは、遠くのほうへ行って、ほかのひつじ飼いたちとふえをふいて遊んでいた」 「あなたはそれが見えますか」 「ええ」 「どこにいます」 「にれの木のかげに」 「一人ですか」 「いいえ、近所のひつじ飼いといっしょに」 「そらひつじやおりや犬やひつじ飼いのことを考えてごらんなさい。それができれば、このお話の初めのほうは暗唱ができるでしょう」 「ええ」 「やってごらんなさい」 「多くのひつじは安全なおりの中におりましたから、犬はみなねむっていました。ひつじ飼いも大きなにれの木のかげに、近所のひつじ飼いたちとふえをふいて遊んでいました。――覚えていた、覚えていた、まちがいはなかった」 アーサは両手を打ってさけんだ。 「あともそういうふうにして覚えたらどうです」 「そうだな、きみといっしょにやればきっと覚えられる。ああ、お母さまがどんなに喜ぶだろう」 アーサはやがてお話残らずを心の目にうかべるようになった。わたしはできるだけ一々の細かい話を説明した。かれがすっかり興味を持ってきたときに、わたしたちはいっしょに文句をさらった。そして十五分あとでは、かれはすっかり卒業いていた。 やがて母親は出て来たが、わたしたちがいっしょにいるのでふきげんらしかった。かの女はわたしたちが遊んでいたと思った。けれどアーサはかの女に口をきかせるいとまをあたえなかった。 「ぼく、覚えました」とかれはさけんだ。「ルミが教えてくれました」 ミリガン夫人は、びっくりしてわたしの顔を見た。けれどかの女がわけを問うさきに、アーサは『おおかみと小ひつじ』のお話を暗唱しだした。わたしはミリガン夫人の顔を見た。かの女の美しい顔は微笑にほころびた。そのうちわたしはかの女の目になみだがうかんだと思った。けれどかの女はあわててむすこのほうをのぞきこんで、そのからだに両うでをかけた。かの女が泣いていたかどうか確かではなかった。 「ことばには意味がないのだから、目に見える事がらを考えなければいけないのです。ルミはぼくにふえをふいているひつじ飼いだの、犬だのひつじだの、それからおおかみだのを考えさせてくれました。おまけにひつじ飼いのふいていた節まで聞こえるようになりました。お母さま、ぼく、歌を歌ってみましょうか」 こう言ってかれは、イギリス語の悲しいような歌を歌った。 今度こそミリガン夫人はほんとうに泣いていた。なぜならかの女が席を立ったとき、わたしはアーサのほおがかの女のなみだでぬれているのを見た。そのとき夫人はわたしのそばに寄って、わたしの手を自分の手の中におさえて、優しくしめつけた。 「あなたはいい子です」とかの女は言った。 わたしがこのちょいとした出来事を長ながと書くにはわけがある。ゆうべまではわたしも宿なしのこぞうで、一座の犬やさるたちを連れて、船のそばへやって来て、病人の子どもをなぐさめるだけの者であった。けれどこの課業のことから、わたしは犬やさるから引きはなされて、病人の子どもの相手になり、ほとんど友だちになったのである。 もう一つ言っておかなければならないことがある。それはずっとあとで知ったことであるが、ミリガン夫人は実際このむすこの物覚えの悪いこと、もっと正しく言えばなにも物を覚えないことを知って、ふさぎきっていた。病人の子ではあっても、勉強はさせておきたいと夫人は思った。それには病気が長びくだろうから、いまのうち物を習う習慣をつけておいて、いつか回復したとき、むだになった時間を取り返すことができるようにしたいと考えたのであった。 ところがその日までもかの女はそれが思うようにならないでいた。アーサはけっして勉強することをいやだとは言わなかったが、注意と熱心がまるでがけていた。書物を手にのせればいやとは言わずに受け取った。手は喜んでそれを受け取ろうとして開いたが、心はまるで開かなかった。ただもう機械のように動いて、しいて頭におしこまれたことばを空にくり返しているというだけであった。 そういうわけでむすこに失望した母親の心には、絶え間のない物思いがあった。 だから、アーサがいまたった半時間でお話を覚えて、一時をちがえず暗唱して聞かせるのを聞いたとき、かの女のうれしさというものはなかった。それはもっともなわけであった。 わたしはいま思い出しても、この船の上で、ミリガン夫人やアーサと過ごしたあのじぶんが、少年時代でいちばんゆかいなときであったと思う。 アーサはわたしに熱い友情を寄せていた。わたしのほうでもわざとでなしに、また気のどくという同情からでなしに、しぜんとかれを兄弟のように思っていた。二人はけんか一つしたことはなかった。かれにはかれのような身分にありがちないばったところはみじんもなかった。わたしのほうも少しもひけめは感じなかった。またひけめを感じなければならないなどと思ったことすらなかった。 これはきっとわたしが子どもで、世の中を知らないためであったろう。しかしそれにはたしかに、ミリガン夫人の行き届いた親切のおかげもあった。かの女はたいてい自分の子どものようにしてわたしに話しかけた。 それにこの船の旅がわたしにはじつにおもしろかった。一時間とたいくつしたこともなければ、つかれたと思うこともなかった。朝から晩までわたしの心はいつも充実しきっていた。 鉄道ができて以来、フランス南部地方の運河を見に来る人もなければ、知る人すらないようになったが、でもこれはやはりフランス名物の一つであった。 わたしたちはローラゲーのヴィーフランシュから、アヴィニオンヌまで行って、アヴィニオンヌからノールーズの岩まで行った。ノールーズにはこの運河の開鑿者であるリケの記念碑が、大西洋に注ぐ水と地中海に落ちる水とが分かれる分水嶺の頂に建てられてあった。 それからわたしたちは水車の町であるカステルノーダリを下って、中世の都会であったカルカッソンヌへ、それから貯水溝のめずらしいフスランヌの閘門(船を高低の差のある水面に上げたり下ろしたりするしかけのある水門)をぬけてベジエールに下った。 おもしろい所ではわたしたちはたいそうゆっくり船を進めた。けれど景色がつまらなくなると馬は引き船の道を早足にとっとっとかけた。 いつどこでとまって、いつまでにどこまでへ着かなければならないということもなかった。毎日同じ決まった食事の時間に露台の上に集まって、静かに両岸の景色をながめながら食事をした。日がしずむと船は止まった。日がのぼると船はまた動き出した。 雨でも降ると、わたしたちは船室の中にはいって、勢いよく燃えた火を取り巻いてすわる。病人の子どもがかぜをひかないためであった。そういうとき、ミリガン夫人はわたしたちに本を読んで聞かせたり、画帳を見せたり、美しいお話をして聞かせたりした。 それから夜、晴れた日には、わたしには一つ役目があった。船が止まったときわたしはハープをおかに持って下りて、少し遠くはなれた木のかげにこしをかける。それから木のえだのしげった中にかくれて、いっしょうけんめいにひいたり、歌を歌ったりするのである。静かな晩など、アーサは、だれがひいているか見えないようにして、遠くの音楽を聞くことを好んだ。そこでわたしがアーサの好きな曲をひくと、かれは「アンコール」(もっと)と声をかける。それでわたしは同じ曲を二度くり返してひくのである。 それはバルブレンのおっかあの炉ばたに育ち、ヴィタリス老人とほこりっぽい街道を流浪して歩いたいなか育ちの少年にとっては思いがけない美しい生活であった。 あの気のどくな養母がこしらえてくれた塩のじゃがいもと、ミリガン夫人の料理番のこしらえるくだもの入りのうまいお菓子やゼリーやクリームやまんじゅうと比べると、なんというそういであろう。 あのヴィタリス親方のあとからとぼとぼくっついて、沼のような道や、横なぐりの雨や、こげつくような太陽の中を歩き回るのと、この美しい小舟の旅と比べては、なんというそういであろう。 料理はうまかった。そうだ、まったくすばらしかった。腹も減らないし、くたびれもしないし、暑すぎもせず、寒すぎもしなかった。けれどほんとうに正直なことを言えば、わたしがいちばん深く感じたのは、この夫人と子どもの、めずらしい親切と愛情であった。 二度もわたしはわたしの愛していた人たちから引きはなされた。最初はなつかしいバルブレンのおっかあから、それからヴィタリス親方から、わたしは犬とさるといっしょに空腹で、みじめなまま捨てられた。 そこへ美しい夫人がわたしと同じ年ごろの子どもを連れて現れた。わたしをむかえて、まるでわたしが兄弟ででもあるようにあつかってくれた。 たびたびわたしはアーサが寝台に結えつけられて、青い顔をしてねむっているところを見ると、わたしはかれをうらやんだ。健康と元気に満ちたわたしが、かえって病人の子どもをうらやんだ。 それはわたしがうらやむのは、この子を引き包んでいるぜいたくではなかった。美しい小舟ではなかった。それはかれの母親であった。ああ、どのくらいわたしは自分の母親を欲しがっているだろう。 かれの母はいつでもかれにキッスした。そして、かれはいつでもしたいときに、両うでにかの女をだくことができた。その優しい夫人の手はたまたまわたしに向けられることもあっても、わたしからは思い切ってそれにさわり得ないのではないか。わたしは自分にキッスしてくれる母親、わたしがキッスすることのできる母親を持たないことを悲しいと思った。 あるいはいつかまたわたしもバルブレンのおっかあには会うことがあるかもしれない。それはどんなにかうれしいことであろう。でもわたしはもうかの女を母親と呼ぶことはできない。なぜならかの女はわたしのほんとうの母親ではないのだから。 わたしは独りぼっちだった。わたしはいつでも独りぼっちでいなければならない……だれの子どもでもないのだ。 わたしはもうこの世の中は、そうなんでも思うようになる所でないことを知るだけに大きくなっていた。それでわたしは母親もないし、家族もないから、友だちでもあればどんなにうれしいだろうと思っていた。だからこの小舟に来て、わたしは幸福であった。ほんとうに幸福であった。けれど、ああ、それは長く続けることはできなかった。わたしがまたむかしの生活に返る日はおいおいに近づいていた。
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作家录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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