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家なき子(いえなきこ)01

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-1 11:43:28  点击:  切换到繁體中文



     最初さいしょの友だち

 アーサの母親はイギリス人であった、名前をミリガン夫人ふじんと言った。後家ごけさんで、アーサは一人っ子であった。少なくとも生きているただ一人の子どもだと考えられていた。なぜというに、かの女はふしぎな事情じじょうのもとに、長男をなくした。
 その子は生まれて六月むつき目に人にさらわれてしまった。それからどうしたかかいもく行くえがわからなかった。もっともその子がかどわかされたころ、ちょうどミリガン夫人ふじんはじゅうぶんの探索たんさくをすることのできない境遇きょうぐうであった。かの女のおっとは死にかかっていたし、なによりもかの女自身がひどくわずらって、身の回りにどんなことが起こっているか、まるっきりわからずにいた。かの女が意識いしきを取り返したときには、夫は死んでいたし、赤子はいなくなっていた。かの女の実の弟に当たるジェイムズ・ミリガンはイギリスはもちろん、フランス、ベルギー、ドイツ、イタリアとほうぼうに子どもをさがさせたが、結局けっきょく行くえは知れなかった。そうなるとあとつぎの子どもがないので、この人がにいさんの財産ざいさん相続そうぞくするつもりでいた。
 ところがやはり、ジェイムズ・ミリガンは、にいさんからなにも相続することができなかった。なぜというに、夫人ふじんおっとの死後七か月目に、夫人の二番目のむすこのアーサが生まれたのであった。
 けれどもお医者たちはこの病身な、ひよわな子どもの育つ見こみはないと言った。かれはいつ死ぬかもしれなかった。その子が死んだ場合には、ジェイムズ・ミリガン財産ざいさん相続そうぞくすることになるであろう。
 そう思ってかれはあてにして待っていた。
 けれども医者の予言よげんはなかなか実現じつげんされなかった。アーサはなかなか死ななかった。もう二十度も追っかけ追っかけ、なんぎなやまいという病にかかって、それでも生きていた。そのたんびにこの子を生かしたものは母親の看護かんごの力であった。
 最後さいごの病は腰疾ようしつ(こしの病気)であった。それにはしじゅう板にねかしておくがいいというので、板の上にからだをゆわえつけて動けないようにした。けれどそれをそのままうちの中に閉じこめておけば、今度は気鬱きうつと空気の悪いために死ぬかもしれない。
 そこでかの女は子どものためにきれいな、ういて動く家をこしらえてやって、フランスの国じゅうのいろいろな川を旅行しているのであった。その両岸の景色けしきは、病人の子どもがねながら、ただ目を開いていさえすれば、目の前に動いて行くのであった。
 もちろんこのイギリスの貴婦人きふじんとむすこについて、わたしはこれだけのことをのこらず、はじめての日にいたのではなかった。わたしはときどきかの女といるあいだに少しずつ細かい話を聞いた。
 わたしが初めの日に聞いたことは、ただこの船の名が白鳥号ということ、それからわたしが部屋へやと定められた船室がどんなものであるかということだけであった。
 わたしは高さ七しゃく(約二メートル)、はば三、四尺(約〇・九~一・二メートル)のかわいらしい船室を一つ当てがわれた。それはなんというふしぎな部屋へやにおもわれたであろう。部屋のどこにもしみ一つついていなかった。
 その船室に備えつけたたった一つの道具は、衣装いしょう戸だなであった。けれどなんという戸だなだろう。寝台ねだいとふとんとまくらと毛布もうふとがその下から出て来た。そして寝台についた引き出しには、はけくしやいろいろなものがはいっていた。いすやテーブルというようなものも少なくともふつうの形をしたものはなかったが、かべに板がぴったりついている、それを引き出すと四角なテーブルといすになった。この小さな寝台ねだいにねむることをどんなにわたしはよろこんだであろう。生まれてはじめてわたしはやわらかいしき物をはだに当てた。バルブレンのおっかあのうちのはひじょうにかたくって、いつもあらくほおをこすった。ヴィタリス老人ろうじんとわたしはたいていしき物なしでねむった。木賃宿きちんやどにあるものは、みんなバルブレンのおっかあのうちのと同様にごりごりしていた。
 わたしはあくる朝早く起きた。一座いちざ連中れんじゅう一晩ひとばんどんなふうにごしたか知りたかったからである。
 見るとかれらはみんなまえのばん入れてやった所にいて、このきれいな小舟こぶねはもう何か月もかれらの家であったかのようによくねいっていた。犬たちはわたしが近づくとはね起きたが、ジョリクールは片目かためを開いているくせに動かなかった。かえってラッパのような大いびきをかき始めた。
 わたしはすぐにそのわけをさとった。ジョリクールはたいへんおこりっぽかった。かれは一度はらを立てると、長いあいだむくれていた。いまの場合は、ゆうべわたしがかれを船室にれて行かなかったのをおもしろく思わなかったので、わざとふてねをして、ふきげんをしめしていたのであった。
 わたしはなぜかれを甲板かんぱんの上にいて行かなければならなかったか、そのわけを説明せつめいすることができなかった。それで少なくとも外見だけでも、わたしはかれにすまなかったと感じているふうを見せるために、かれをうでにだいて、なでたりさすったりしてやった。
 はじめはかれもむくれたままでいたが、まもなく、気がわりやすい性質せいしつだけに、なにかほかのことに考えがうつって、手まねで、よし、外へ散歩さんぽれて行くなら、かんべんしてやろうという意をしめした。
 甲板かんぱんをそうじしていた男が、気軽に板をわたしてくれたので、わたしは部下をれて野原へ出た。
 犬とかけっこしたり、ジョリクールをからかったり、ほりをとんだり、木登りをしたりして遊んでいるうちに時間がたった。帰ってみると、馬ははこやなぎの木につながれて、すっかり仕度ができていて、小舟こぶねはいつでも出発するようになっていた。
 わたしたちがみんな船の上に乗ってしまうと、まもなく船をつないだ大づなはかれて、船頭はかじを、御者ぎょしゃづなを取った。引きづなの滑車かっしゃがぎいぎい鳴って、馬は引き船の道をカッパカッパ歩きだした。
 これでも動いているかと思うはどしずかに船は水の上をすべって行った。そこに聞こえるものは小鳥の歌と、船に当たる水の音、それから馬の首につけたすずのチャランチャランだけであった。
 所どころ水はこい緑色に見えてたいへん深いようであった。そうかと思うと水晶すいしょうのようにすみきっていて、水のそこできらきら光る小石だの、ビロードのような水草をすかして見ることができた。
 わたしが水の中をじっとのぞきこんでいると、だれかがわたしの名前をんだ。それはアーサであった。かれはれいの板に乗せられて運び出されていた。
「きみ、よくねられたかい、野原にねむるよりも」とかれはたずねた。わたしは半分、ミリガン夫人ふじんにあいさつするように、ていねいによくねむられたことを話した。
「犬は」アーサが聞いた。
 わたしはかれらをんだ。かれらはジョリクールといっしょにかけて来た。このさるはいつも芝居しばいをやらされると思うときするように、しかめっつらをしていた。
 ミリガン夫人ふじんはむすこを日かげにいて、自分もそのそばにすわった。
「それでは、あちらへ犬とさるをれて行ってください。わたしたちは課業かぎょうがありますから」とかの女は言った。
 わたしは連中れんじゅうれてへさきのほうへ退しりぞいた。
 あの気のどくな病人の子どもに、どんな課業かぎょうができるのだろう。
 わたしはかれの母親が手に本を持って、むすこに課業をさずけけているのを見た。
 かれはそれをおぼえるのがなかなか困難こんなんであるらしく見えた。しじゅう母親はやさしくめていたが、同時になかなか手ごわかった。
「いいえ」とかの女は最後さいごに言った。「アーサ、あなたはまるでおぼえていません」
「ぼく、できません。お母さま、ぼく、ほんとにできないんです」とかれはくように、言った。「ぼく病気なんです」
「あなたの頭は病気ではありません。アーサ、病人だからといって、だんだんばかになるような子をわたしはきません」
 これはずいぶん残酷ざんこくなようにわたしには思われた。けれどかの女はあくまでやさしい親切な調子で言った。
「なぜ、あなたはわたしにこんななさけない思いをさせるでしょう。あなたが習いたがらないのが、どんなにわたしには悲しいかわかるでしょう」
「ぼく、できません、お母さま、ぼくできないんです」こう言ってかれはきだした。
 けれどもミリガン夫人ふじんは子どものなみだに負かされはしなかった。そのくせかの女はひじょうに感動して、ますます悲しそうになっていた。
「わたしもけさあなたをルミや犬たちと遊ばせてあげたいのだけれど、すっかりお話をおぼえるまでは遊ばせることはできません」こう言ってかの女は本をアーサにわたして、一人き去りにしたまま向こうへ行った。
 わたしの立っていた所までかれのごえが聞こえた。
 あれほどまでにあいしているらしい母親がどうしてこのかわいそうな子どもにこれほど厳格げんかくになれるのであろう。アーサのおぼえられないのは病気のせいなのだ。かの女はやさしいことば一つかけないではいってしまうのであろうか。
 しばらくたってかの女はもどって来た。
「もう一度二人でやってみましょうね」とかの女は優しく言った。
 かの女は子どものわきにこしをかけて、本を手に取って、『おおかみと小ひつじ』というお話を読み始めた。アーサはその読み声について文句もんくをくり返した。
 三度はじめからしまいまで読み返して、それから本をアーサに返して、あとは一人で習うように言いつけて、船の中にはいってしまった。
 わたしはアーサのくちびるの動くのを見た。
 かれはたしかにいっしょうけんめい勉強していた。
 けれどもまもなく目を本からはなした。かれのくちびるは動かなくなった。かれの目はきょろきょろとあてもなくまよったが、本にはもどって来なかった。
 ふとかれの目はわたしの目を見つけた。
 わたしは課業かぎょうつづけてやるようにかれに目くばせした。かれは注意を感謝かんしゃするように微笑びしょうした。そしてまた本を読み始めた。けれどもまえのようにやはりかれは考えを一つに集めることができなかった。かれの目は川のこちらの岸から向こう岸へとまよい始めた。ちょうどそのとき一のかわせみが矢のように早く船の上をかすめて、青い光をひらめかしながら飛んだ。
 アーサは頭を上げてその行くえを見送った。鳥が行ってしまうと、かれはわたしのほうをながめた。
「ぼく、これがおぼえられない」とかれは言った。「でもぼく、おぼえたいんだ」
 わたしはかれのそばへ行った。
「この話はそんなにむずかしくはありませんよ」とわたしは言った。
「うん、むずかしい。……たいへんむずかしいんだ」
「ぼくにはずいぶんやさしいと思えますよ。あなたのお母さまが読んでいらっしゃるときに聞いていて、ぼくはたいていおぼえました」
 かれはそれをしんじないように微笑びしょうした。
「言ってみましょうか」
「できるもんか」
「やってみましょうか。本を持っていらっしゃい」
 かれはまた本を取り上げた。わたしはその話を暗唱あんしょうし始めた。わたしはほとんど完全かんぜんおぼえていた。
「やあきみ、知っているの」
「そんなによくは知りません。けれどこのつぎのときまでには、一つもちがえずに言えるでしょう」
「どうしておぼえたの」
「あなたのお母さまが読んでいらっしゃるあいだ、ぼくは聞いていました。ただいっしょうけんめいに、そこらの物を見向したりなんぞせずに、聞いていたのです」
 かれは顔を赤くした、そして目をそらした。
「ぼくもきみのようにやってみよう」とかれは言った。「けれど一々のことばをどうしてそうおぼえたか、言って聞かしてくれたまえ」
 わたしはそれをどう説明せつめいしていいかわからなかった。そんなことを考えてみたことはなかった。けれどやれるだけは説明してみた。
「このお話はなんの話でしょう」とわたしは言った。「ひつじのことでしょう。ねえ、だからなにより先にぼくはひつじのことを考えました。それからひつじはなにをしているか考えます。『多くのひつじは安全なおりの中で住んでいました』というのだから、ひつじがおりの中で安心してころがってねむっているところが見えてきます。そういうふうに目にうかべるとわすれません」
「そうだそうだ」とかれは言った。「ぼくは見えるよ。黒いひつじだの、白いひつじだの、おりも、格子こうしも見える」
「ひつじの番をするのはなんですか」
「犬さ」
「ひつじがおりの中にいて番をしないですむとき、犬はなにをするでしょう」
「なんにも仕事はない」
「では犬はねむってもいいでしょう。ですから、『犬はねむっていました』と言うのです」
「そうだ。わけはない」
「ええ、わけはないのですとも、今度はほかのことにうつります。では犬といっしょに番をするのはだれです」
「ひつじいさ」
「その犬やひつじ飼いは、ひつじがだいじょうぶだと思うとなにをしていたでしょう」
「犬は、ねむっていたのさ、ひつじ飼いは、遠くのほうへ行って、ほかのひつじ飼いたちとふえをふいて遊んでいた」
「あなたはそれが見えますか」
「ええ」
「どこにいます」
「にれの木のかげに」
「一人ですか」
「いいえ、近所のひつじいといっしょに」
「そらひつじやおりや犬やひつじ飼いのことを考えてごらんなさい。それができれば、このお話のはじめのほうは暗唱あんしょうができるでしょう」
「ええ」
「やってごらんなさい」
「多くのひつじは安全なおりの中におりましたから、犬はみなねむっていました。ひつじ飼いも大きなにれの木のかげに、近所のひつじ飼いたちとふえをふいて遊んでいました。――おぼえていた、おぼえていた、まちがいはなかった」
 アーサは両手を打ってさけんだ。
「あともそういうふうにして覚えたらどうです」
「そうだな、きみといっしょにやればきっと覚えられる。ああ、お母さまがどんなによろこぶだろう」
 アーサはやがてお話のこらずを心の目にうかべるようになった。わたしはできるだけ一々の細かい話を説明せつめいした。かれがすっかり興味きょうみを持ってきたときに、わたしたちはいっしょに文句もんくをさらった。そして十五分あとでは、かれはすっかり卒業そつぎょういていた。
 やがて母親は出て来たが、わたしたちがいっしょにいるのでふきげんらしかった。かの女はわたしたちが遊んでいたと思った。けれどアーサはかの女に口をきかせるいとまをあたえなかった。
「ぼく、おぼええました」とかれはさけんだ。「ルミが教えてくれました」
 ミリガン夫人ふじんは、びっくりしてわたしの顔を見た。けれどかの女がわけを問うさきに、アーサは『おおかみと小ひつじ』のお話を暗唱あんしょうしだした。わたしはミリガン夫人の顔を見た。かの女の美しい顔は微笑びしょうにほころびた。そのうちわたしはかの女の目になみだがうかんだと思った。けれどかの女はあわててむすこのほうをのぞきこんで、そのからだに両うでをかけた。かの女がいていたかどうかたしかではなかった。
「ことばには意味がないのだから、目に見える事がらを考えなければいけないのです。ルミはぼくにふえをふいているひつじいだの、犬だのひつじだの、それからおおかみだのを考えさせてくれました。おまけにひつじ飼いのふいていたふしまで聞こえるようになりました。お母さま、ぼく、歌を歌ってみましょうか」
 こう言ってかれは、イギリス語の悲しいような歌を歌った。
 今度こそミリガン夫人ふじんはほんとうにいていた。なぜならかの女がせきを立ったとき、わたしはアーサのほおがかの女のなみだでぬれているのを見た。そのとき夫人ふじんはわたしのそばにって、わたしの手を自分の手の中におさえて、やさしくしめつけた。
「あなたはいい子です」とかの女は言った。
 わたしがこのちょいとした出来事を長ながと書くにはわけがある。ゆうべまではわたしも宿やどなしのこぞうで、一座いちざの犬やさるたちをれて、船のそばへやって来て、病人の子どもをなぐさめるだけの者であった。けれどこの課業かぎょうのことから、わたしは犬やさるから引きはなされて、病人の子どもの相手あいてになり、ほとんど友だちになったのである。
 もう一つ言っておかなければならないことがある。それはずっとあとで知ったことであるが、ミリガン夫人ふじん実際じっさいこのむすこの物覚ものおぼえの悪いこと、もっと正しく言えばなにも物を覚えないことを知って、ふさぎきっていた。病人の子ではあっても、勉強はさせておきたいと夫人は思った。それには病気が長びくだろうから、いまのうち物を習う習慣しゅうかんをつけておいて、いつか回復かいふくしたとき、むだになった時間を取り返すことができるようにしたいと考えたのであった。
 ところがその日までもかの女はそれが思うようにならないでいた。アーサはけっして勉強することをいやだとは言わなかったが、注意と熱心ねっしんがまるでがけていた。書物を手にのせればいやとは言わずに受け取った。手はよろこんでそれを受け取ろうとして開いたが、心はまるで開かなかった。ただもう機械きかいのように動いて、しいて頭におしこまれたことばをくうにくり返しているというだけであった。
 そういうわけでむすこに失望しつぼうした母親の心には、のない物思いがあった。
 だから、アーサがいまたった半時間でお話をおぼえて、一時をちがえず暗唱あんしょうして聞かせるのを聞いたとき、かの女のうれしさというものはなかった。それはもっともなわけであった。
 わたしはいま思い出しても、この船の上で、ミリガン夫人ふじんやアーサとごしたあのじぶんが、少年時代でいちばんゆかいなときであったと思う。
 アーサはわたしにあつ友情ゆうじょうせていた。わたしのほうでもわざとでなしに、また気のどくという同情どうじょうからでなしに、しぜんとかれを兄弟のように思っていた。二人はけんか一つしたことはなかった。かれにはかれのような身分にありがちないばったところはみじんもなかった。わたしのほうも少しもひけめは感じなかった。またひけめを感じなければならないなどと思ったことすらなかった。
 これはきっとわたしが子どもで、世の中を知らないためであったろう。しかしそれにはたしかに、ミリガン夫人ふじんとどいた親切のおかげもあった。かの女はたいてい自分の子どものようにしてわたしに話しかけた。
 それにこの船の旅がわたしにはじつにおもしろかった。一時間とたいくつしたこともなければ、つかれたと思うこともなかった。朝からばんまでわたしの心はいつも充実じゅうじつしきっていた。
 鉄道ができて以来いらい、フランス南部地方の運河うんがを見に来る人もなければ、知る人すらないようになったが、でもこれはやはりフランス名物の一つであった。
 わたしたちはローラゲーのヴィーフランシュから、アヴィニオンヌまで行って、アヴィニオンヌからノールーズの岩まで行った。ノールーズにはこの運河の開鑿者かいさくしゃであるリケの記念碑きねんひが、大西洋たいせいように注ぐ水と地中海ちちゅうかいに落ちる水とが分かれる分水嶺ぶんすいれいいただきてられてあった。
 それからわたしたちは水車の町であるカステルノーダリを下って、中世の都会であったカルカッソンヌへ、それから貯水溝ちょすいこうのめずらしいフスランヌの閘門こうもん(船を高低の差のある水面に上げたり下ろしたりするしかけのある水門)をぬけてベジエールに下った。
 おもしろい所ではわたしたちはたいそうゆっくり船を進めた。けれど景色けしきがつまらなくなると馬は引き船の道を早足にとっとっとかけた。
 いつどこでとまって、いつまでにどこまでへ着かなければならないということもなかった。毎日同じ決まった食事の時間に露台ろだいの上に集まって、しずかに両岸の景色けしきをながめながら食事をした。日がしずむと船は止まった。日がのぼると船はまた動き出した。
 雨でもると、わたしたちは船室の中にはいって、いきおいよくえた火を取りいてすわる。病人の子どもがかぜをひかないためであった。そういうとき、ミリガン夫人ふじんはわたしたちに本を読んで聞かせたり、画帳を見せたり、美しいお話をして聞かせたりした。
 それから夜、晴れた日には、わたしには一つ役目があった。船が止まったときわたしはハープをおかに持って下りて、少し遠くはなれた木のかげにこしをかける。それから木のえだのしげった中にかくれて、いっしょうけんめいにひいたり、歌を歌ったりするのである。しずかなばんなど、アーサは、だれがひいているか見えないようにして、遠くの音楽を聞くことをこのんだ。そこでわたしがアーサのきな曲をひくと、かれは「アンコール」(もっと)と声をかける。それでわたしは同じ曲を二度くり返してひくのである。
 それはバルブレンのおっかあのばたに育ち、ヴィタリス老人ろうじんとほこりっぽい街道かいどう流浪るろうして歩いたいなか育ちの少年にとっては思いがけない美しい生活であった。
 あの気のどくな養母ようぼがこしらえてくれたしおのじゃがいもと、ミリガン夫人ふじん料理番りょうりばんのこしらえるくだもの入りのうまいお菓子かしやゼリーやクリームやまんじゅうとくらべると、なんというそういであろう。
 あのヴィタリス親方のあとからとぼとぼくっついて、ぬまのような道や、横なぐりの雨や、こげつくような太陽の中を歩き回るのと、この美しい小舟こぶねの旅と比べては、なんというそういであろう。
 料理りょうりはうまかった。そうだ、まったくすばらしかった。はららないし、くたびれもしないし、暑すぎもせず、寒すぎもしなかった。けれどほんとうに正直なことを言えば、わたしがいちばん深く感じたのは、この夫人ふじんと子どもの、めずらしい親切と愛情あいじょうであった。
 二度もわたしはわたしのあいしていた人たちから引きはなされた。最初さいしょはなつかしいバルブレンのおっかあから、それからヴィタリス親方から、わたしは犬とさるといっしょに空腹くうふくで、みじめなままてられた。
 そこへ美しい夫人ふじんがわたしと同じ年ごろの子どもをれてあらわれた。わたしをむかえて、まるでわたしが兄弟ででもあるようにあつかってくれた。
 たびたびわたしはアーサが寝台ねだいゆわえつけられて、青い顔をしてねむっているところを見ると、わたしはかれをうらやんだ。健康けんこうと元気にちたわたしが、かえって病人の子どもをうらやんだ。
 それはわたしがうらやむのは、この子を引きつつんでいるぜいたくではなかった。美しい小舟こぶねではなかった。それはかれの母親であった。ああ、どのくらいわたしは自分の母親をしがっているだろう。
 かれの母はいつでもかれにキッスした。そして、かれはいつでもしたいときに、両うでにかの女をだくことができた。そのやさしい夫人ふじんの手はたまたまわたしに向けられることもあっても、わたしからは思い切ってそれにさわりないのではないか。わたしは自分にキッスしてくれる母親、わたしがキッスすることのできる母親を持たないことを悲しいと思った。
 あるいはいつかまたわたしもバルブレンのおっかあには会うことがあるかもしれない。それはどんなにかうれしいことであろう。でもわたしはもうかの女を母親とぶことはできない。なぜならかの女はわたしのほんとうの母親ではないのだから。
 わたしはひとりぼっちだった。わたしはいつでも独りぼっちでいなければならない……だれの子どもでもないのだ。
 わたしはもうこの世の中は、そうなんでも思うようになる所でないことを知るだけに大きくなっていた。それでわたしは母親もないし、家族もないから、友だちでもあればどんなにうれしいだろうと思っていた。だからこの小舟こぶねに来て、わたしは幸福であった。ほんとうに幸福であった。けれど、ああ、それは長くつづけることはできなかった。わたしがまたむかしの生活に返る日はおいおいに近づいていた。


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

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