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家なき子(いえなきこ)01

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-1 11:43:28  点击:  切换到繁體中文



     船の上

 わたしが重たい心で、赤い目をふきふき宿屋やどやに帰ると、ちょうど亭主ていしゅが庭に出ていた。
 わたしは犬のいる所へ行こうとしてその前を通ると、かれはわたしを引き止めた。
「どうだ、親方は」とかれは言った。
有罪ゆうざい宣告せんこくを受けました」
「どのくらい」
「二か月の禁固きんこです」
罰金ばっきんはどのくらい」
「百フラン」
「二か月……百フラン」かれは二、三度くり返した。
 わたしはずんずん行こうとした。するとかれはまた引き止めた。
「その二か月のあいだおまえはどうするつもりだ」
「ぼくはわかりません」
「おや、おまえわからないと。おまえ、とにかく自分も食べて、犬やさるに食べ物を買ってやるお金がなければなるまい」
「いいえ、ないのです」
「じゃあ、おまえはわたしがやしなってくれると思っているのか」
「いいえ、わたしはだれのやっかいになろうとも思いません」
 それはまったくであった。わたしはだれのやっかいにもなるつもりはなかった。
「おまえの親方はこれまでも、もうずいぶんわたしにりがある」とかれは言った。「わたしは二か月のあいだ金をはらってもらえるかどうかわからずに、おまえをとめておくことはできない。出て行ってもらわなければならないのだ」
「出て行く。どこへ行ったらいいでしょう」
「それはわたしの知ったことではない。わたしはおまえのおやじでも親方でもなんでもないからな。どうしておまえの世話をしてやれよう」
 しばらくのあいだわたしは目がくらくらとした。亭主ていしゅの言うことはもっともであった。どうしてかれがわたしの世話をしてくれよう。
「さあ、犬とさるをれて出て行ってくれ。親方の荷物はあずかっておく。親方が刑務所けいむしょから出て来れば、いずれここへるだろうし、そのときこちらの始末しまつもつけてもらおう」
 このことばから、ある考えがわたしの心にうかんだ。
「いずれそのときはお勘定かんじょうをはらうことになるでしょうから、それまでわたしをいてはくださいませんか。その勘定にわたしのぶんもくわえてはらえばいいでしょう」
「おやおや、おまえの親方は二日分の食料しょくりょうぐらいははらえるかもしれんが、二か月などはとてもとてもだ。そりやあまるでべつな話だよ」
「わたしはいくらでも少なく食べますから」
「だが、犬もいればさるもいる。いけないいけない。出て行ってくれ。どこかいなかで仕事を見つけて、金をもらって歩けばいいのだ」
「でも親方が刑務所けいむしょから出て来たときに、どうしてわたしをさがすでしょう。きっとこちらへたずねて来るにちがいありません」
「だからおまえもその日にここへ帰って来ればいいのだ」
「それでもし手紙がとどいたら」
「手紙は取っておいてやるよ」
「でもわたしが返事を出さなかったら……」
「まあいつまでもうるさいな。急いで出て行ってくれ。五分間の猶予ゆうよをやる。五分たってわたしが帰って来ても、まだここにいれば承知しょうちしないから」
 わたしはこの男と言い合うのはむだだということを知っていた。わたしは出て行かなければならなかった。
 わたしは犬とジョリクールをれにうまやへ行った。それからかたにハープをしょって、宿やどを出た。
 わたしは大急ぎで町を出なければならなかった。なぜというに、犬に口輪くちわがはめてないのだから、巡査じゅんさにとがめられてもなんと答えようもなかった。わたしには金がないといおうか、それはまったくであった。わたしはかくしにたった十一スーしか持たなかった。それだけでは口輪を買うにも足りなかった。巡査がわたしを拘引こういんするかもしれない。親方もわたしも二人とも刑務所けいむしょに入れられたら、犬やさるはどうなるだろう。わたしは自分の位置いち責任せきにんを感じていた。
 わたしが足早に歩いて行くと、犬たちが顔を上げてながめた。その様子をどう見ちがえようもなかった。かれらははらっていた。
 わたしの背嚢はいのうに乗っていたジョリクールは、しじゅうわたしの耳をって無理むりに自分の顔を見させようとした。わたしが顔を向けると、かれはせっせとはらをかいて見せた。
 わたしもやはり腹がすいていた。わたしたちは朝飯あさめしを食べなかった。わたしの持っている十一スーでは昼食と晩食ばんしょくを食べるには足りなかった。そこでわたしたちは一食で両方兼帯けんたいの昼食を食べて、満足まんぞくしなければならなかった。
 わたしたちは巡査じゅんさに出っくわさないように、少しでも急いで市中をはなれなければならなかったから、どの道をどう行くなんていうことはかまわなかった。どの道を歩いても同じことであった。どこへ行っても食べるには金がるし、宿屋やどやへとまれば宿銭やどせんを取られる。それにねむる場所を見つけるくらいはたいしたことではなかった。このごろのあたたかい季節きせつではわたしたちは野天にねむることができた。
 さしせまっているのは食物だ。
 一休みもせずに、わたしたちは二時間ばかり歩きつづけたあとで、やっと立ち止まることができた。そのあいだ犬たちはたのむような目つきでしじゅうわたしの顔を見た。ジョリクールは耳をって、えずおなかをさすっていた。
 とうとう、わたしはここまで来ればもうなにもこわがることはないと思うところまで来てしまった。わたしはすぐそこにあったパン屋にとびこんだ。
 わたしは一斤半きんはんパンを切ってくれと言った。
「おまえさん、二斤におしなさいな。二斤のパンはどうしてもりますよ」とおかみさんは言った。「それでもそれだけの同勢どうぜいにはたっぷりとは言えない。かわいそうに、畜生ちくしょうにはじゅうぶん食べさしておやんなさい」
 おお、どうして、むろんわたしの同勢にはたっぷりではなかった。けれどもわたしの財布さいふにはたっぷりすぎた。
 パンは一きん五スーであった。二斤買えば十スーになる。わたしはあしたどうなるかわからないのに、手もとを使いきるのはりこうなことではなかった。わたしはおかみさんに打ち明けて一斤半でたくさんだというわけを話して、それ以上いじょうらないようにていねいにたのんだ。
 わたしは両うでにしっかりパンをかかえて店を出た。犬たちがうれしがって回りをとび回った。ジョリクールがかみってうれしそうにくっくっとわらった。
 わたしたちはそこから遠くへは行かなかった。
 まっ先に目に当たった道ばたの木の下でわたしはハープをみきによせかけて、草の上にすわった。犬たちはわたしの向こうにすわった。カピはまん中に、ドルスとゼルビノはその両わきにすわった。くたびれていないジョリクールは、きょろきょろとうの目たかの目で、なんでもまっ先に一きれせしめようとねらっていた。
 パンを同じ大きさに分けるのはむずかしい仕事であった。わたしはできるだけ同じ大きさにして、五きれにパンを切った。そのうえいくつかの小さなきれに割って一きれずつめいめいに分けた。
 わたしたちよりずっと少食だったジョリクールはわりがよかった。それでかれがすっかり満腹まんぷくしてしまったとき、わたしたちはやはりはらがすいていた。わたしはかれのぶんから三きれ取って背嚢はいのうの中にかくして、あとで犬たちにやることにした。それからまだ少しのこっていたので、わたしはそれを四つにちぎって、てんでに一きれずつ分けた。それが食後のお菓子かしであった。
 このごちそうがけっして食後の卓上演説たくじょうえんぜつ必要ひつようとするほどりっぱなものではなかったのはもちろんであるが、わたしは食事がすんだところで、いまがちょうど仲間なかまの者に二言三言いいわたす機会だと感じた。わたしはしぜんかれらの首領しゅりょうではあったが、この重大な場合に当たって、かれらに死生をともにすることをのぞむだけの威望いぼうりないことを感じていた。
 カピはおそらくわたしの意中をさっしたのであろう。それでかれはその大きなりこうそうな目を、じつとわたしの日の上にすえてすわっていた。
「さて、カピ、それからドルスも、ゼルビノも、ジョリクールも、みんなよくお聞き。わたしはおまえたちに悲しい知らせをつたえなければならないのだよ。わたしたちはこれから二か月も親方に会うことができないのだよ」
「ワウ」とカピがほえた。
「これは親方のためにもこまったことだし、わたしたちのためにも困ったことなのだ。なぜといって、わたしたちはなにもかも親方にたよっていたのだから、それがいま親方がいなくなれば、わたしたちにはだいいちお金がないのだ」
 この金ということばを言いだすと、カピはよく知っていて、後足で立ち上がって、ひょこひょこ回り始めた。それはいつも『ご臨席りんせき貴賓諸君きひんしょくん』から金を集めて回るときにすることであった。
「ああ、おまえは芝居しばいをやれというのだね。カピ」とわたしは言った。「それはいい考えだが、どこまでわたしたちにできるだろうか。そこが考えものだよ。うまくゆかない場合には、わたしたちはもうたった三スーしか持っていない。だからどうしても食べずにいるほかはない。そういうわけだから、ここはたいせつなときだと思って、おまえたちはみんなおとなしくぼくの言うことを聞いてくれなければだめだ。そうすればおたがいの力でなにかできるかもしれない。おまえたちはみんなしていっしょうけんめい、ぼくを助けてくれなければならない。わたしたちはおたがいにたより合ってゆきたいと思うのだ」
 こういったわたしのことばが、のこらずかれらにわかったろうとはわたしも言わないが、だいたいの趣意しゅいは飲みこめたらしかった。かれらは同じ考えになってはいた。かれらは親方のいなくなったについて、そこになにか大事件だいじけんが起こったことを知っていた。それでその説明せつめいをわたしから聞こうとしていた。かれらがわたしの言って聞かせたのこらずを理解りかいしなかったとしても、すくなくともわたしがかれらの身の上を心配してやっていることには満足まんぞくしていた。それでおとなしくわたしの言うことに身を入れて聞いて、満足まんぞくの意味を表していた。
 いやお待ちなさい。なるほどそれも、犬の仲間なかまだけのことで、ジョリクールには、いつまでもじっとしていることがのぞめなかった。かれは一分間と一つ事に心を向けていることができなかった。わたしの演説えんぜつはじめの部分だけはかれも殊勝しゅしょうらしくたいへん興味きょうみを持って傾聴けいちょうしていたが、二十とことばを言わないうちに、かれは一本の木の上にとび上がって、わたしたちの頭の上のえだにぶら下がり、それからつぎのえだへととび回っていた。カピが同じやり方でわたしを侮辱ぶじょくしたならば、わたしの自尊心じそんしんはずいぶんきずつけられたにちがいなかった。けれどもジョリクールがどんなことをしようと、わたしはけっしておどろかなかった。かれはずいぶん頭の空っぽな、軽はずみなやつだった。
 けれどそうはいうものの、少しはふざけたいのもかれとして無理むりはなかった。わたしだってやはり同じことをしたかったと思う。わたしもやはりおもしろ半分木登りをしてみたかった。けれどもわたしの現在げんざい位置いちの重大なことが、わたしにそんな遊びをさせなかった。
 しばらく休んだあとで、わたしは出発の合図をした。わたしたちはどうせ、どこかただでとまる青天井あおてんじょうの下を見つけさえすればいいのだから、なにより、あしたの食べ物を買うぜにをいくらかでももうけることが、さし当たっての問題であった。
 小一時間ばかり歩くと、やがて一つの村が見えてきた。
 びんぼう村らしくって、あまりみいりの多いことはのぞめないが、村が小さければ巡査じゅんさに出会うことも少なかろうと考えた。
 わたしはさっそく一座いちざ服装ふくそうととのえて、できるだけりっぱな行列を作りながら、村へはいって行った。運悪くわたしたちはあのふえがなかったし、そのうえヴィタリス親方のりっぱなどうどうとした風采ふうさいがなかった。軍楽隊ぐんがくたい隊長たいちょうのようなりっぱな様子でかれはいつも人目をひいていた。わたしにはせいの高いという利益りえきもないし、あのりっぱなしらが頭も持たなかった。それどころかわたしはちっぽけで、やせっぽちで、そのうえひどくやつれた心配そうな顔をしていたにちがいなかった。
 行列の先に立って歩きながら、わたしは右左をきょろきょろ見回して、わたしたちがどういう効果こうかを村の人たちにあたえているか、見ようとした。ごくわずか――となさけないけれど言わなければならなかった。だれ一人あとからついて来る者もなかった。
 ちょっとした広場のまん中にいずみがあって、木かげがこんもりしている所を見つけると、わたしはハープを下ろしてワルツを一曲ひき始めた。曲はゆかいな調子であったし、わたしの指も軽く動いた。けれどもわたしの心は重かった。
 わたしはゼルビノとドルスに向かって、いっしょにワルツをおどるように言いつけた。かれらはすぐ言うことを聞いて、拍子ひょうしに合わせてくるくる回り始めた。
 けれどもだれ一人出て来て見ようとする者もなかった。そのくせ家の戸口では五、六人の女がものをしたり、おしゃべりをしているのを見た。
 わたしはひきつづけた。ゼルビノとドルスはおどりつづけた。
 一人ぐらい出て来る者があるだろう。一人来ればまた一人、だんだんあとから出て来るにちがいなかった。
 わたしはあくまでひきつづけた。ゼルビノとドルスもくるくるじょうずに回っていた。けれども村の人たちはてんでこちらをふり向いて見ようともしなかった。
 けれどもわたしはがっかりしまいと決心した。わたしはいっしょうけんめいハープの糸が切れるほどはげしくひいた。
 ふと一人、ごく小さい子がはじめて、うちの中からちょこちょことかけ出して、わたしたちのほうへやって来た。
 きっと母親があとからついて来るであろう。その母親のあとから、仲間なかまが出て来るだろう。そうして見物ができれば、少しのお金が取れるであろう。
 わたしは子どもをおびえさせまいと思って、まえよりはしずかにひいた。そうして少しでもそばへせようとした。両手をばして、片足かたあしずつよちよち上げて、かれは歩いて来た。もう二足か三足で、子どもはわたしたちの所へ来る。ふと、そのしゅんかん母親はふり向いた。きっと子どもの姿すがたの見えないのを見て、びっくりするにちがいない。
 でもかの女はやっと子どもの行くえを見つけると、わたしの思ったようにすぐあとからかけては来ないで自分のほうへび返した。すると子どもはおとなしくふり返って母親のほうへ帰って行った。
 きっとこのへんの人は、ダンスも音楽もかないのだ。きっとそんなことであった。
 わたしはゼルビノとドルスを休ませて、今度は、わたしのきな小唄こうたを歌い始めた。わたしはこんなにいっしょうけんめいになったことはなかった。
 二せつ目の終わりになったとき、背広せびろを着て、ラシャのぼうしをかぶった男が目にはいった。その男はわたしのほうへ歩いて来るらしかった。
 とうとうやって来たな。
 わたしはそう思って、いよいよむちゅうになって歌った。
「これこれこぞう、ここでなにをしている」と、その男はどなった。
 わたしはびっくりして歌をやめた。ぽかんと口を開いたまま、そはへって来るその男をぼんやりながめた。
「なにをしているというのだ」
「はい、歌を歌っています」
「おまえはここで歌を歌う許可きょかたか」
「いいえ」
「ふん、じやあ行け。行かないと拘引こういんするぞ」
「でも、あなた……」
「あなたとはなんだ、農林監察官のうりんかんさつかんを知らないか。出て行け、こじきこぞうめ」
 ははあ、これが農林監察官か。わたしは親方の見せたお手本で、警官けいかん監察官かんさつかん反抗はんこうすると、どんな目に会うかわかっていた。わたしはかれに二度と命令めいれいをくり返させなかった。わたしは急いでわき道へにげだした。
 こじきこぞうか、ひどい言いぐさだ。わたしはこじきはしなかった。わたしは歌を歌ったまでだ。
 五分とたたないうちに、わたしはこの人情にんじょうのない、そのくせいやに監視かんしの行きとどいている村をはなれた。
 犬たちはかしられて、すごすごあとからついて来た。きっとつまらない目に会ったことを知っていた。
 カピはしじゅうわたしたちの先頭に立って歩いていた。ときどきふり向いてはれいのりこうそうな目で、いったいどうしたのですと言いたそうに見えた。ほかのものがかれの位置いちかれたのだったら、きっとわたしにそれをたずねたであろうけれども、カピはそんな無作法ぶさほうをするには、あんまりよくしつけられていた。
 かれはふに落ちないのを、いっしょうけんめいがまんしているふうを見せるだけで満足まんぞくしていた。
 ずっと遠くこの村からはなれたとき、わたしははじめてかれらに(止まれ)という合図をした。それで三びきの犬はわたしの回りにを作った。そのまん中にはカピがじっとわたしに目をすえていた。
 わたしはかれらがわからずにいることを、ここで説明せつめいしてやらなければならなかった。「わたしたちは興行こうぎょう許可きょかていないから、追い出されたのだよ」とわたしは言った。
「へえ、それではどうしましょう」と、カピは首を一ふりふってたずねた。
「だからわたしたちは今夜はどこか野天でねむって、晩飯ばんめしなしに歩くのだ」
 晩飯ばんめしということばに、みんないちどにほえた。わたしはかれらに三スーのぜにを見せた。
「知ってるとおり、わたしの持っているのはこれだけだ。今夜この三スーを使ってしまえば、あしたの朝飯あさめしになにものこらない。きょうはとにかく少しでも食べたのだから、これはあしたまでとっておくほうがいいようだ」こう言って、わたしは三スーをまたかくしに入れた。
 カピとドルスはあきらめたように首を下げた。けれどもそれほどすなおでなかったし、そのうえ大食らいであったゼルビノは、いつまでもぶうぶううなっていた。わたしはこわい目をしてかれを見たが、がなかった。
「カピ、ゼルビノに言ってお聞かせ。あれはわからないようだから」と、わたしは忠実ちゅうじつなカピに言った。
 カピはさっそく前足でゼルビノをたたいた。それはいかにも二ひきの犬の間に言い合いが始まっているように見えた。言い合いというようなことばを犬に使うのは少し無理むりだと言うかもしれないが、動物だってたしかにその仲間なかまに通用する特別とくべつなことばがあった。犬だけで言えば、かれらは話すことを知っているだけではない、読むことも知っていた。かれらが鼻を高く空に向けたり、顔を下げて地べたをかいだり、やぶや石の上をかぎ回ったりするところをごらんなさい。ふとかれらはとある草むらの前で立ち止まる。またはかべの前で立ち止まって、しばらくはじっと目をすえている。わたしたちが見てはその上になにもないが、犬はわたしたちの理解りかいしないふしぎな文字で書かれた、いろいろの変わったことをそこに読み分けるのである。
 カピがゼルビノに言ったこともわたしにはわからなかった。なぜと言うに、犬には人間のことばがわかっても、人間はかれらのことばを理解りかいしないのだ。わたしがただ見たところでは、ゼルビノは道理に耳をかたむけることをこばんだ。なんでも三スーのお金をすぐに使ってしまえと言いったようであった。カピははらを立てて歯をむき出すと、少しおくびょう者のゼルビノはすごすごだまってしまった。だまるということばにも少し説明せつめいるが、ここではころりと横になることを言うのである。
 そこでのこったのは今夜の宿やどの問題だけだ。
 時候じこうはよし、あたたかい、いい天気であった。だから青天井あおてんじょうの下にねむることはさしてむずかしいことではなかった。ただこのへんに悪いおおかみでもいるようなら、それをさけるようにすればよかった。おおかみよりもおそろしい農林監察官のうりんかんさつかんからさけることもさらに必要ひつようであった。
 わたしたちは白い道の上をずんずんまっすぐに進んで行った。山のはしに落ちかけた赤い夕日の最後さいごの光が空から消えるころまで、宿やどもとめて歩きつづけたが、まだ見つからなかった。
 もう善悪ぜんあくなしに、どうでもとまらなければならなかった。やっと林の間に出た。そこここに大きなこうがんころがっていた。この場所はずいぶんあれたさびしい所であったが、それよりいい場所は見つからなかった。それに花こう岩の中にはいってねむれば、しめっぽい夜風をふせぐたしにもなろうと思った。ここでわたしたちというのは、さるのジョリクールとわたし自身のことを言うので、犬たちは外でねむったところでかぜをひく気づかいもなかった。わたしは自分のからだをだいじにしなければならなかった。わたしのしょっている責任せきにんは重かった。わたしが病気になったらわたしたちみんなどうなるだろう。またわたしがジョリクールの看病かんびょうをしなければならないようだったら、今度はわたしがどうなるだろう。
 わたしたちは石の間にほらあなのような所を見つけた。そこにはまつの落ち葉がたまっていた。これで、上には風をふせぐ屋根があり、下にはしいてねるふとんができた。これはひじょうに具合がよかった。足りないのは食べ物ばかりであった。わたしはおなかのすいていることを考えまいとつとめた。ことわざにも言うではないか、『ねむるのは食べるのだ』と。
 いよいよ横になるまえに、わたしはカピにばんをたのむと言った。するとこの忠実ちゅうじつな犬はわたしたちといっしょにまつ葉の上でねむろうとはしないで、わたしの野営地やえいちの入口に、歩哨ほしょうのように横になっていた。わたしはカピが番をしてくれればだれも案内あんないなしに近づけないと思ったから、落ち着いてねむることができた。
 でもこれだけは心配はなかったが、すぐにはねむりつけなかった。ジョリクールはわたしの上着の中にくるまって、そばでぐっすりねむっていた。ゼルビノとドルスは、わたしの足もとでからだをのばしていた。けれどもわたしの心配はからだのつかれよりも大きかった。
 この旅行の第一日は悪かった。あくる日はどんなであろう。わたしははらったし、のどがかわいていた。それでいてたった三スーしか持っていなかった。あしたいくらかでももうけなかったら、どうしてみんなに食べ物を買ってやることができよう。それに口輪くちわはどうしよう。これから歌を歌う許可きょかは、いったいどうしたらいいだろう。ゆるしてくれるだろうか。さもないとわたしたちはみんな、やぶの中でおなかがって死んでしまうだろう。
 こういうみじめな、あわれっぽい疑問ぎもんを心の中でくり返しくり返しするうちに、わたしは暗い空の上にかがやいている星を見た。そよとの風もなかった。どこもかしこもしんとしていた。木の葉のそよぐ音もしない。鳥の鳴く声もしない。街道かいどうを車のとろとろと通る音もしない。目のとどかぎりは青白い空が広がっていた。わたしたちはひとりぼっちであった。世の中からてられていた。
 なみだは目の中にあふれた。バルブレンのおっかあはどうしたろう。気のどくなヴィタリスは。
 わたしはうつぶしになって、顔を両手でかくして、しくしくいていた。するとふと、かすかな息がかみにふれるように思った。わたしはあわててふり向いた。そのひょうしに大きなやわらかなしたがなみだにあふれたわたしのほおをなめた。それはカピが、わたしの泣き声を聞きつけて、あのわたしの流浪るろうはじめての日にしてくれたように、今度もわたしをなぐさめに来てくれたのである。
 両手でわたしはかれの首をおさえて、そのしめった鼻にキッスした。かれは二、三度おしころしたような悲しそうな鼻声を出した。それがわたしといっしょにいてくれるもののように思われた。
 わたしはねむって目がめてみると、もうすっかり明るくなっていた。カピはわたしの前にすわったままじっとわたしを見ていた。小鳥が林の中で歌を歌っていた。遠方のお寺で朝の祈祷きとうのかねが鳴っていた。太陽はもう空の上に高く上って、つかれた心とからだをなぐさめる光を心持ちよく投げかけていた。
 わたしたちはかねのを目当てに歩き出した。そこには村があって、パン屋もきっとあるにそういなかった。昼食も夕食もなしにねどこにはいれば、だれにだって空腹くうふくが『おはよう』を言いに来る。わたしは思い切って、三スーを使ってしまう決心をした。そのあとではどうなるか、それはそのときのことにしよう。
 村に着くと、パン屋がどこだと聞く必要ひつようもなかった。わたしたちの鼻がすぐにその店にれて行ってくれた。においをかぎつけるわたしの感覚かんかくは、もう犬に負けずにするどかった。遠方からわたしは温かいパンの、うまそうなにおいをかぎつけた。
 一斤五スーするパンを三スーではたんとは買えなかった。わたしたちはてんでんに、ほんの小さなきれを分け合った。それで朝飯あさめしもあっけなくすんでしまった。
 わたしたちはきょうこそいくらかでももうけなければならなかった。わたしは村の中を歩いて、どこか芝居しばいにつごうのいい場所を見つけようとした。それに村の人びとの顔色を見て、てきか味方かさぐろうとした。
 わたしの考えはすぐに芝居を始めようというのではなかった。それには時間があまり早すぎた。けれどいい場所が見つかれば、昼ごろ帰って来て、わたしたちの運命を決する機会きかいをとらえるつもりであった。
 わたしがこの考えに心をうばわれていると、ふとだれか後ろからとんきょうな声を上げる者があった。あわててわたしがふり向くと、ゼルビノがわたしのほうへ向かってかけて来る。そのあとから一人のおばあさんが追っかけて来るのを見た。もうすぐ何事が起こったかということはわかった。わたしがほかへ気を取られているすきをねらって、ゼルビノは一けんの家にかけこんで、肉を一きれぬすみだしたのであった。かれはえものを歯の間にくわえたまま、にげ出して来たのであった。
「どろぼう、どろぼう」とおばあさんはさけんだ。「そいつをつかまえておくれ。そいつらみんなつかまえておくれ」
 おばあさんのこう言うのを聞いて、わたしはとにかく自分にもつみがある。いやすくなくともゼルビノの犯罪はんざい責任せきにんがあると感じた。そこでわたしはかけ出した。もしおばあさんがぬすまれた肉の代価だいか請求せいきゅうじたら、なんと言うことができよう。どうして金をはらうことができよう。それでわたしたちがつかまえられれば、きっと刑務所けいむしょに入れられるだろう。
 わたしがにげ出して行くのを見て、ドルスとカピもさっそくわたしのれいにならった。かれらはわたしのかかとについて走った。ジョリクールはわたしのかたに乗ったまま、落ちまいとしてしっかり首にかじりついた。
 だれかほかの者もさけんでいた。待て、どろぼう……そしてほかの人たちも仲間なかまになって追っかけていた。けれどもわたしたちはどんどんかけた。恐怖きょうふがわたしたちの速力そくりょくを進めた。わたしはドルスがこんなに早く走るのを見たことがなかった。かの女の足はほとんど地べたについていなかった。横町を曲がって、野原をつっ切って、まもなくわたしたちは追っ手をはるかぬいてしまった。けれどもやはりどんどんかけつづけて、いよいよ息がつけなくなるまで止まらなかった。わたしたちは少なくとも三マイル(約五キロ)も走った。ふり返って見るともうだれも追っかけて来なかった。カピとドルスはやはりわたしのすぐ後について来た。ゼルビノは遠くにはなれていた。たぶんぬすんだ肉を食べるので手間を取ったのであろう。
 わたしはかれをんだ。けれどもかれはひどい刑罰けいばつに会うことを知りすぎるほど知っていた。そこでわたしのほうへはって来ないで、できるだけ早くかけ出したのである。かれはえていた。それだから肉をぬすんだのだ。けれどもわたしはそれを口実こうじつとしてゆるすことはできなかった。かれはぬすみをした。わたしが仲間なかまの間に規律きりつたもとうとすれば、つみおかしたものはばっせられなければならない。それをしなかったら、つぎの村へ行って、今度はドルスが同じ事をするであろう。そうなるとカピまでが誘惑ゆうわくに負けないとは言えぬ。
 わたしはゼルビノに対し、公然刑罰こうぜんけいばつくわえなければならなかった。けれどもそれをするためにはかれをつかまえなければならなかった。それはたやすいことではなかった。
 わたしはカピのほうへ向いた。
「行ってゼルビノをさがしておいで」とわたしは重おもしく言った。
 かれはさっそく言いつけられたとおりするために出て行った。けれどもいつものような元気のないことをわたしは見た。かれの顔つきを見ていると、憲兵けんぺいとしてかれはわたしの言いつけをたすよりも、弁護人べんごにんとしてゼルビノをかばってやりたいように見えた。
 わたしはかれが囚人しゅうじんれて帰って来るのを、べんべんとこしかけて待つほかはなかった。気ちがいじみたかけっこをしたあとで、休息するのがうれしかった。わたしたちが休んだ所はちょうどこんもりした木かげと、両側りょうがわに広びろと野原の開けた、堀割ほりわりの岸であった。ツールーズを出てはじめて、青あおした、すずしいいなか道に出たのだ。
 一時間たったが、犬たちは帰って来なかった。わたしはそろそろ心配になりだしたとき、やっとカピがひとりぼっち首をうなだれたまま帰って来た。
「ゼルビノはどうした」
 カピはおどおどした様子で、平伏へいふくした。わたしはかれのかたっぽの耳から血の出ているのを見た。わたしはそれで様子をさとった。ゼルビノはこの憲兵けんぺいたたかいをしかけてきたのである。わたしはカピがそうして、いやいやわたしの命令めいれいしたがいながらも、ゼルビノとの格闘かくとうにわざと負けてやったことがわかった。そしてそのため自分もやはりしかられるものと覚悟かくごしているらしく思われた。
 わたしはかれをしかることができなかった。わたしはしかたがないから、ゼルビノが自分から帰って来るときを待つことにした。わたしはかれがおそかれ早かれ後悔こうかいして帰って来て、刑罰けいばつを受けるだろうと思っていた。
 わたしは一本の木の下に、手足をふみのばしてよこになった。ジョリクールはしっかりとうでにだいていた。それはこのさるまでがゼルビノと仲間なかまになる気を起こすといけないと思ったからであった。ドルスとカピはわたしの足の下でねむっていた。時間がたった。ゼルビノは出て来なかった。とうとうわたしもうとうととねむりこけた。
 四、五時間たってわたしは目を覚ました。日かげでもう時刻のよほどたったことがわかったが、それは日かげを見て知るまでもなかった。わたしの胃ぶくろは一きれのパンを食べてからもうひさしい時間のたつことをわめきたてていた。それに二ひきの犬とジョリクールの顔つきだけでも、かれらのえきっていることはわかった。カピとドルスはなさけない目つきをして、じっとわたしを見つめた。ジョリクールはしかめっつらをしていた。
 でもやはりゼルビノは帰ってはいなかった。
 わたしはかれをびたてたり、口ぶえをふいたりしたけれどもむだであった。たぶんごちそうをせしめたので、すっかりはらがふくれて、どこかのやぶの中にころがって、ゆっくり消化させているのであろう。
 やっかいなことになってきた。わたしがここを立ち去れば、ゼルビノはわたしたちを見つけることができないから、そのまま行くえ知れずになってしまう。かといってここにこのままいては、少しでも食べ物を買うお金をもうける機会きかいがまるでなかった。
 わたしたちの空腹くうふくはいよいよやりきれなくなってきた。犬たちは哀願あいがんするような目つきをたえずわたしに向けた。そしてジョリクールはおなかをさすって、おこって、きゃっきゃっとさけんでいた。
 それでもゼルビノはまだ帰って来なかった。もう一度わたしはカピをやって、なまくらものの行くえをさがさせた。けれども三十分たってから、やはりカピだけひとりぼんやり帰って来た。
 どうしたらいいであろう。
 ゼルビノはつみおかしたが、またかれの過失かしつのためにわたしたちはこんなひどい目に会わされることになったのであるが、かれをふりてることはできなかった。三びきの犬を満足まんぞくれて帰らなかったら、親方はなんと言うであろう。それになんといっても、わたしはあのいたずら者のゼルビノをかわいがっていた。
 わたしはばんがたまで待つ決心をした。けれどなにもせずにいることはできるものではなかった。わたしたちはなにかしていればきっとこれほどひどい空腹くうふくがこたえないであろうと思った。
 わたしはなにか気をまぎらすことを考え出したなら、さし当たりこれほどひもじい思いをわすれるかもしれない。
 なにをしたらよかろう。
 わたしはこの問題をいろいろ考え回した。そのときわたしが思い出したのは、ヴィタリス親方がいつか言ったことに、軍隊ぐんたいが長い行軍こうぐん疲労ひろうしきると、楽隊がくたいがそれはゆかいな曲を演奏えんそうする、それで兵隊へいたいの疲労をわすれさせるようにするというのであった。
 そうだ。わたしがなにかゆかいな曲をハープでひいたら、きっと空腹くうふくを忘れることができるかもしれない。わたしたちはみんなひどく弱りきっている。でもなにかゆかいな曲をひいたら、かわいそうな二ひきの犬たちも、ジョリクールといっしょにおどりだして、時間が早くぎるかもしれない。
 わたしは二本の木によせかけておいた楽器がっきを取り上げて、堀割ほりわりのほうに背中せなかを向けながら、動物たちの列を作ってならばせ、ダンス曲をひき始めた。
 はじめのうちは、犬もさるもダンスをする気にもなれないらしかった。かれらの欲望よくぼうは食べ物のほかになかった。そのいじらしい様子を見ると、わたしのむねいたんだ。けれどもかわいそうに、かれらも空腹くうふくわすれなければならなかった。わたしはいよいよ調子を高く早くとひいた。すると少しずつだんだんに、音楽がその偉力いりょくあらわしてきた。かれらはおどりだした。わたしはひきつづけた。
「うまい」――ふとわたしはすみきった子どもの声でこうさけぶのを聞いた。その声はすぐ後ろから聞こえた。わたしはあわててふり向いた。
 一せきの遊船ゆうせん堀割ほりわりの中に止まっていた。その小舟こぶねっている二ひきの馬は、向こう岸に休んでいた。それはきみょうな小舟であった。わたしはまだこんなふうな船を見たことはなかった。
 それは堀割にうかんでいるふつうの船にくらべて、ずっとたけが短かった。そして水面からわずか高い甲板かんぱんの上には、ガラスしょうじをたてきった船室があり、その前にはきれいなろうかがあって、つたの葉でおおわれていた。
 そこには二人、人がいた。一人はまだわか貴婦人きふじんで、美しい、そのくせ悲しそうな顔をしていた。もう一人はわたしぐらいの年ごろの男の子で、これはあお向けにねているらしかった。
「うまい」と声をかけたのは、あきらかにこの子どもであった。
 わたしはかれらを見つけて、一度はたいへんびっくりしたが、落ち着くと、わたしはぼうしを取って、かれらの賞賛しょうさん感謝かんしゃの意をひょうした。
「あなたはお楽しみにやっておいでなのですか」と、貴婦人きふじんは外国なまりのあるフランス語で言った。
「わたしは犬をしこんでいるのです。それに……自分の気晴らしにも」
 子どもはなにか言った。婦人はそのほうにのぞきこんだ。
「あなた、まだやってもらえますか」と、そのとき貴婦人きふじんはこちらを向いて言った。
 なにかやってくれるか。やらなくってどうするものか。こういうところへ来てくれたお客のために、どうしてやらずにいられよう。わたしはそれを二度と言われるまでも待たなかった。
「ダンスにしましょうか。喜劇きげきにしましょうか」とわたしは聞いた。
「ああ、喜劇だ、喜劇だ」と子どもがさけんだ。
 けれども貴婦人きふじんは口をはさんで、「まあ先にダンスを」と言った。
「ダンスはだって短すぎるもの」と子どもは言った。
「お客さまのおのぞみとございましたら、ダンスのあとでちがった番組をいろいろとりかえてごらんにいれましょう」
 これはうちの親方の使う口上こうじょうの一つであった。わたしはなるべくかれと同じようなしかつめらしい言い方でやろうとつとめた。だがなおよく考えると、喜劇きげき所望しょもうしてくれなかったことは結局けっきょくありがたかった。なぜといって、どうそれをやるかくふうがつかなかった。ゼルビノという役者が一まい足りないばかりではない、芝居しばいをするには衣装いしょうも道具もなかった。
 とにかくわたしはハープを取り上げて、まずワルツの第一せつをひいた。カピは前足でドルスのこしをだいて、じょうずに拍子ひょうしを取りながらおどり回った。つぎにジョリクールが一人でおどって、それからそれとわたしたちは順々じゅんじゅんに番組を進めていった。もう少しもくたびれたとは思わなかった。かわいそうな動物どもは、やがて昼飯ひるめし報酬ほうしゅうの出ることを知って、いっしょうけんめいにやった。わたしもそのとおりであった。
 するととつぜん、みんながいっしょになってダンスをしている最中さいちゅうに、ゼルビノがやぶのかげから出て来た。そして仲間なかまがそのそばを通ると、かれはずうずうしくもその仲間に割りこんで来た。
 ハープをひきひき役者たちの監督かんとくをしながら、わたしはときどき子どものほうを見た。かれはわたしたちの演技えんぎにひじょうなゆかいを感じているらしく見えたが、からだを少しも動かさなかった。寝台ねだいの上にあお向いたまま、ただ両手を動かして拍手はくしゅかっさいした。半身不随はんしんふずいなのかしら、板の上にりつけられたように見えた。
 いつのまにか風で船が岸にふきつけられていたので、いまは子どもをはっきり見ることができた。かれは金茶色のかみをしていた。顔色は青白くて、すきとおった皮膚ひふのもとにひたい青筋あおすじすら見えるほどであった。その顔つきには病人の子どもらしい、おとなしやかな、悲しそうな表情ひょうじょうがあった。
「あなたがたのお芝居しばいのさじきりょうがいかほどですね」と、貴婦人きふじんはたずねた。
「おなぐさみに相応そうおうしただいだけいただきます」
「じゃあ、お母さま、たんとおやりなさい」と子どもが言った。かれはそのうえなにかわたしにわからないことばでつけくわえていた。すると貴婦人きふじんは、
「アーサがお仲間なかまの役者たちをそばで見たいと言うのですよ」と言った。
 わたしはカピに目くはせをした。大喜おおよろこびでかれは船の中へとびこんで行った。
「それから、ほかのは」とアーサとばれたこの子どもはさけんだ。
 ゼルビノとドルスがカピのれいにならった。
「それからおさるは」
 ジョリクールもわけなくとびこむことができたろう。でもわたしは安心がならなかった。一度船に乗ったら、きっとなにか貴婦人きふじんの気にいらないような悪さをするかもしれなかった。
「おさるは気があらいの」と貴婦人はたずねた。
「いいえ、そうではありませんが、なかなか言うことを聞きませんから、失礼しつれいでもあるといけないと思います」
「おや、それではあなた、れておいでなさい」
 こう言って貴婦人きふじんはかじのほうに立っていた男に合図をした。この人は出て来て、へさきから岸に板をわたした。
 かたにハープをかけて、ジョリクールをうでにだいたまま、わたしは板をわたった。
「おさるだ。おさるだ」とアーサはさけんだ。その子どもを貴婦人きふじんはアーサとんでいた。
 わたしはかれのそばへ寄って、かれがジョリクールをなでたりさすったりしているとき、わたしは注意してその様子を見た。実際じっさいにかれは一まいの板に皮でからだをむすびつけられていた。
「あなた、お父さんはあるの」と貴婦人きふじんはたずねた。
「いえ、いまはひとりぼっちです」
「いつまで」
「二か月のあいだ」
「二か月ですって、まあかわいそうに、あなたぐらいの年ごろに、どうして独りぼっちき去りにされるようなことになったの」
「そんな回り合わせになったのです」
「あなたの親方さんはふた月のあいだにたんとお金を持って帰れと言いつけたのではないのですか。そうでしょう」
「いいえ、おくさん、親方はわたしになにも言いつけはしません。ただい一座いちざののものといっしょに、そのあいだ食べてゆかれさえすればそれでいいんです」
「それで、どれだけお金が取れましたか」
 わたしは答えようとしてちゅうちょした。わたしはこの美しい婦人ふじんの前では一種いっしゅのおそれを感じたけれども、貴婦人きふじんはひじょうに親切に話しかけてくれたし、その声はいかにもやさしかったから、わたしはほんとうのことを打ち明ける決心をした。またそれをしてならない理由はなにもなかった。
 そこでわたしは貴婦人きふじんに向かって、ヴィタリスとわたしがわかれたいちぶしじゅうを話した。ヴィタリス親方がわたしを保護ほごするために、刑務所けいむしょれて行かれたこと、それから親方がいなくなってから、金を取ることができなくなった次第を話した。
 わたしが話をしているあいだ、アーサは犬と遊んでいたが、わたしの言ったことばはよく耳に止めていた。
「じゃあきみたち、みんなずいぶんおなかがすいているだろう」とかれは言った。
 このことばを動物たちはよく知っていて、犬はよろこんでほえ始めるし、ジョリクールははげしくおなかをこすった。
「ああ、お母さま」とアーサがさけんだ。
 貴婦人きふじんは聞き知らないことばで、半分開けたドアのすきから頭を出しかけていた女中に、なにか二言三言いった。まもなく女中は食物をのせたテーブルを運んで来た。
「おかけ」と貴婦人は言った。
 わたしは言われるままにさっそく、ハープをわきへいて、テーブルの前のいすにこしをかけた。犬たちはわたしの回りに列を作ってならんだ。ジョリクールはわたしのひざの上でおどっていた。
「きみの犬はパンを食べるの」とアーサはたずねた。
「パンを食べるどころですか」
 わたしが一きれずつ切ってやると、かれらはむさぼるようにして見るまにたいらげてしまった。
「それからおさるは」とアーサは言った。
 けれども、ジョリクールのことで気をもむ必要ひつようもなかった。わたしが犬にやっているあいだ、かれは横合いから肉入りのパンを一きれさらって、テーブルの下にもぐって、息のつまるほどほおばっていた。
 わたし自身もパンを食べた。ジョリクールのようにのどにはつまらせなかったけれど、同じようにがつがつして、もっとたくさんほおばった。
「かわいそうに、かわいそうに」と貴婦人きふじんは言った。
 アーサはなにも言わなかったが、大きな目を見張みはってわたしたちをながめていた。わたしたちのよく食べるのにびっくりしたのであろう。わたしたちはてんでんにはらをすかしきっていた。肉をぬすんで少しははらにこたえのあるはずのゼルビノまでが、がつがつしていた。
「きみはぼくたちに会わなかったら、きょうの昼飯ひるめしはどうするつもりだったの」とアーサがたずねた。
「なにを食べるか当てがなかったのです」
「じゃああしたは」
「たぶんあしたはまた運よく、きょうのようなお客さまにどこかで会うだろうと思います」
 アーサはわたしとの話を打ち切って、そのとき母親のほうにふり向いた。しばらくのあいだかれらは外国語で話をしていた。かれはなにかをもとめているらしかったが、それを母親ははじめのうち承知しょうちしたがらないように見えた。
 するうち、ふと子どもはくるりと向き返った。かれのからだは動かなかった。
「きみはぼくたちといっしょにいるのはいやですか」とかれはたずねた。
 わたしはすぐ返事はしないで、顔だけ見ていた。わたしはこのだしぬけの質問しつもんにめんくらわされていた。
「この子があなたがたにいっしょにいてくださればいいと言っているのですよ」と貴婦人きふじんがくり返した。
「この船にですか」
「そうですよ。この子は病気で、この板にからだをゆわえつけていなければならないのです。それで昼間のうち少しでもゆかいにくらせるように、こうして船こ乗せて外へ出るのです。それであなたがたの親方が監獄かんごくにはいっておいでのあいだ、よければここにわたしたちといっしょにいてください。あなたのその犬とおさるが毎日げいをしてくれば、アーサとわたしが見物になってあげる。あなたはハープをひいてくれるでしょう。それであなたはわたしたちにつとめてくれることになるし、わたしたちはわたしたちで、あなたがたのお役に立つこともありましょう」
 船の上で。わたしはまだ船の上でくらしたことがなかったが、それはわたしのひさしいのぞみであった。なんといううれしいこと。わたしは幸福に心のくらむような感じがした。なんという親切な人たちだろう。わたしはなんと言っていいかわからなかった。
 わたしは貴婦人きふじんの手を取ってキッスした。
「かわいそうに」とかの女はやさしく言った。
 かの女はわたしのハープを聞きたいと言った。そのくらい手軽ななぐさみですむことなら、わたしはどうかして、自分がどんなにありがたく思っているか見せたいと思った。
 わたしは楽器がっきを手に取って、船のへさきのほうへ行って、しずかにひきはじめた。
 貴婦人きふじんはふとくちびるに小さなぎん呼子よぶこぶえを当てて、するどいを出した。
 わたしはなぜ貴婦人がふえをふいたのであろうと思って、ちょいと音楽をやめた。それはわたしのひき方が悪いからであったか、それともやめろという合図であったか。
 自分の身の回りに起こるどんな小さなことも見のがさないアーサは、わたしの不安心ふあんしんらしい様子を見つけた。
「お母さまは馬を行かせるために、ふえをふいたんだよ」とかれは言った。
 まったくそのとおりであった。馬に引かれた小舟こぶねは、そろそろときしをはなれて、堀割ほりわりしずかな波を切ってすべって行った。両側りょうがわには木があった。後ろにはしずんで行く夕日のななめな光線が落ちた。
「ひきたまえな」とアーサが言った。
 頭をちょっと動かしてかれは母親にそばに来いという合図をした。かれは母親の手を取って、しっかりにぎった。わたしはかれらのために、親方の教えてくれたありったけの曲をひいた。


 

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