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家なき子(いえなきこ)01
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船の上
わたしが重たい心で、赤い目をふきふき宿屋に帰ると、ちょうど亭主が庭に出ていた。 わたしは犬のいる所へ行こうとしてその前を通ると、かれはわたしを引き止めた。 「どうだ、親方は」とかれは言った。 「有罪の宣告を受けました」 「どのくらい」 「二か月の禁固です」 「罰金はどのくらい」 「百フラン」 「二か月……百フラン」かれは二、三度くり返した。 わたしはずんずん行こうとした。するとかれはまた引き止めた。 「その二か月のあいだおまえはどうするつもりだ」 「ぼくはわかりません」 「おや、おまえわからないと。おまえ、とにかく自分も食べて、犬やさるに食べ物を買ってやるお金がなければなるまい」 「いいえ、ないのです」 「じゃあ、おまえはわたしが養ってくれると思っているのか」 「いいえ、わたしはだれのやっかいになろうとも思いません」 それはまったくであった。わたしはだれのやっかいにもなるつもりはなかった。 「おまえの親方はこれまでも、もうずいぶんわたしに借りがある」とかれは言った。「わたしは二か月のあいだ金をはらってもらえるかどうかわからずに、おまえをとめておくことはできない。出て行ってもらわなければならないのだ」 「出て行く。どこへ行ったらいいでしょう」 「それはわたしの知ったことではない。わたしはおまえのおやじでも親方でもなんでもないからな。どうしておまえの世話をしてやれよう」 しばらくのあいだわたしは目がくらくらとした。亭主の言うことはもっともであった。どうしてかれがわたしの世話をしてくれよう。 「さあ、犬とさるを連れて出て行ってくれ。親方の荷物は預かっておく。親方が刑務所から出て来れば、いずれここへ寄るだろうし、そのときこちらの始末もつけてもらおう」 このことばから、ある考えがわたしの心にうかんだ。 「いずれそのときはお勘定をはらうことになるでしょうから、それまでわたしを置いてはくださいませんか。その勘定にわたしのぶんも加えてはらえばいいでしょう」 「おやおや、おまえの親方は二日分の食料ぐらいははらえるかもしれんが、二か月などはとてもとてもだ。そりやあまるで別な話だよ」 「わたしはいくらでも少なく食べますから」 「だが、犬もいればさるもいる。いけないいけない。出て行ってくれ。どこかいなかで仕事を見つけて、金をもらって歩けばいいのだ」 「でも親方が刑務所から出て来たときに、どうしてわたしを探すでしょう。きっとこちらへ訪ねて来るにちがいありません」 「だからおまえもその日にここへ帰って来ればいいのだ」 「それでもし手紙が届いたら」 「手紙は取っておいてやるよ」 「でもわたしが返事を出さなかったら……」 「まあいつまでもうるさいな。急いで出て行ってくれ。五分間の猶予をやる。五分たってわたしが帰って来ても、まだここにいれば承知しないから」 わたしはこの男と言い合うのはむだだということを知っていた。わたしは出て行かなければならなかった。 わたしは犬とジョリクールを連れにうまやへ行った。それから肩にハープをしょって、宿を出た。 わたしは大急ぎで町を出なければならなかった。なぜというに、犬に口輪がはめてないのだから、巡査にとがめられてもなんと答えようもなかった。わたしには金がないといおうか、それはまったくであった。わたしはかくしにたった十一スーしか持たなかった。それだけでは口輪を買うにも足りなかった。巡査がわたしを拘引するかもしれない。親方もわたしも二人とも刑務所に入れられたら、犬やさるはどうなるだろう。わたしは自分の位置に責任を感じていた。 わたしが足早に歩いて行くと、犬たちが顔を上げてながめた。その様子をどう見ちがえようもなかった。かれらは腹が減っていた。 わたしの背嚢に乗っていたジョリクールは、しじゅうわたしの耳を引っ張って無理に自分の顔を見させようとした。わたしが顔を向けると、かれはせっせと腹をかいて見せた。 わたしもやはり腹がすいていた。わたしたちは朝飯を食べなかった。わたしの持っている十一スーでは昼食と晩食を食べるには足りなかった。そこでわたしたちは一食で両方兼帯の昼食を食べて、満足しなければならなかった。 わたしたちは巡査に出っくわさないように、少しでも急いで市中をはなれなければならなかったから、どの道をどう行くなんていうことはかまわなかった。どの道を歩いても同じことであった。どこへ行っても食べるには金が要るし、宿屋へとまれば宿銭を取られる。それにねむる場所を見つけるくらいはたいしたことではなかった。このごろの暖かい季節ではわたしたちは野天にねむることができた。 さしせまっているのは食物だ。 一休みもせずに、わたしたちは二時間ばかり歩き続けたあとで、やっと立ち止まることができた。そのあいだ犬たちはたのむような目つきでしじゅうわたしの顔を見た。ジョリクールは耳を引っ張って、絶えずおなかをさすっていた。 とうとう、わたしはここまで来ればもうなにもこわがることはないと思うところまで来てしまった。わたしはすぐそこにあったパン屋にとびこんだ。 わたしは一斤半パンを切ってくれと言った。 「おまえさん、二斤におしなさいな。二斤のパンはどうしても要りますよ」とおかみさんは言った。「それでもそれだけの同勢にはたっぷりとは言えない。かわいそうに、畜生にはじゅうぶん食べさしておやんなさい」 おお、どうして、むろんわたしの同勢にはたっぷりではなかった。けれどもわたしの財布にはたっぷりすぎた。 パンは一斤五スーであった。二斤買えば十スーになる。わたしはあしたどうなるかわからないのに、手もとを使いきるのはりこうなことではなかった。わたしはおかみさんに打ち明けて一斤半でたくさんだというわけを話して、それ以上を切らないようにていねいにたのんだ。 わたしは両うでにしっかりパンをかかえて店を出た。犬たちがうれしがって回りをとび回った。ジョリクールが髪の毛を引っ張ってうれしそうにくっくっと笑った。 わたしたちはそこから遠くへは行かなかった。 まっ先に目に当たった道ばたの木の下でわたしはハープを幹によせかけて、草の上にすわった。犬たちはわたしの向こうにすわった。カピはまん中に、ドルスとゼルビノはその両わきにすわった。くたびれていないジョリクールは、きょろきょろとうの目たかの目で、なんでもまっ先に一きれせしめようとねらっていた。 パンを同じ大きさに分けるのはむずかしい仕事であった。わたしはできるだけ同じ大きさにして、五きれにパンを切った。そのうえいくつかの小さなきれに割って一きれずつめいめいに分けた。 わたしたちよりずっと少食だったジョリクールはわりがよかった。それでかれがすっかり満腹してしまったとき、わたしたちはやはり腹がすいていた。わたしはかれのぶんから三きれ取って背嚢の中にかくして、あとで犬たちにやることにした。それからまだ少し残っていたので、わたしはそれを四つにちぎって、てんでに一きれずつ分けた。それが食後のお菓子であった。 このごちそうがけっして食後の卓上演説を必要とするほどりっぱなものではなかったのはもちろんであるが、わたしは食事がすんだところで、いまがちょうど仲間の者に二言三言いいわたす機会だと感じた。わたしはしぜんかれらの首領ではあったが、この重大な場合に当たって、かれらに死生をともにすることを望むだけの威望の足りないことを感じていた。 カピはおそらくわたしの意中を察したのであろう。それでかれはその大きなりこうそうな目を、じつとわたしの日の上にすえてすわっていた。 「さて、カピ、それからドルスも、ゼルビノも、ジョリクールも、みんなよくお聞き。わたしはおまえたちに悲しい知らせを伝えなければならないのだよ。わたしたちはこれから二か月も親方に会うことができないのだよ」 「ワウ」とカピがほえた。 「これは親方のためにも困ったことだし、わたしたちのためにも困ったことなのだ。なぜといって、わたしたちはなにもかも親方にたよっていたのだから、それがいま親方がいなくなれば、わたしたちにはだいいちお金がないのだ」 この金ということばを言いだすと、カピはよく知っていて、後足で立ち上がって、ひょこひょこ回り始めた。それはいつも『ご臨席の貴賓諸君』から金を集めて回るときにすることであった。 「ああ、おまえは芝居をやれというのだね。カピ」とわたしは言った。「それはいい考えだが、どこまでわたしたちにできるだろうか。そこが考えものだよ。うまくゆかない場合には、わたしたちはもうたった三スーしか持っていない。だからどうしても食べずにいるほかはない。そういうわけだから、ここはたいせつなときだと思って、おまえたちはみんなおとなしくぼくの言うことを聞いてくれなければだめだ。そうすればおたがいの力でなにかできるかもしれない。おまえたちはみんなしていっしょうけんめい、ぼくを助けてくれなければならない。わたしたちはおたがいにたより合ってゆきたいと思うのだ」 こういったわたしのことばが、残らずかれらにわかったろうとはわたしも言わないが、だいたいの趣意は飲みこめたらしかった。かれらは同じ考えになってはいた。かれらは親方のいなくなったについて、そこになにか大事件が起こったことを知っていた。それでその説明をわたしから聞こうとしていた。かれらがわたしの言って聞かせた残らずを理解しなかったとしても、すくなくともわたしがかれらの身の上を心配してやっていることには満足していた。それでおとなしくわたしの言うことに身を入れて聞いて、満足の意味を表していた。 いやお待ちなさい。なるほどそれも、犬の仲間だけのことで、ジョリクールには、いつまでもじっとしていることが望めなかった。かれは一分間と一つ事に心を向けていることができなかった。わたしの演説の初めの部分だけはかれも殊勝らしくたいへん興味を持って傾聴していたが、二十とことばを言わないうちに、かれは一本の木の上にとび上がって、わたしたちの頭の上のえだにぶら下がり、それからつぎのえだへととび回っていた。カピが同じやり方でわたしを侮辱したならば、わたしの自尊心はずいぶん傷つけられたにちがいなかった。けれどもジョリクールがどんなことをしようと、わたしはけっしておどろかなかった。かれはずいぶん頭の空っぽな、軽はずみなやつだった。 けれどそうはいうものの、少しはふざけたいのもかれとして無理はなかった。わたしだってやはり同じことをしたかったと思う。わたしもやはりおもしろ半分木登りをしてみたかった。けれどもわたしの現在の位置の重大なことが、わたしにそんな遊びをさせなかった。 しばらく休んだあとで、わたしは出発の合図をした。わたしたちはどうせ、どこかただでとまる青天井の下を見つけさえすればいいのだから、なにより、あしたの食べ物を買う銭をいくらかでももうけることが、さし当たっての問題であった。 小一時間ばかり歩くと、やがて一つの村が見えてきた。 びんぼう村らしくって、あまりみいりの多いことは望めないが、村が小さければ巡査に出会うことも少なかろうと考えた。 わたしはさっそく一座の服装を整えて、できるだけりっぱな行列を作りながら、村へはいって行った。運悪くわたしたちはあのふえがなかったし、そのうえヴィタリス親方のりっぱなどうどうとした風采がなかった。軍楽隊の隊長のようなりっぱな様子でかれはいつも人目をひいていた。わたしには背の高いという利益もないし、あのりっぱなしらが頭も持たなかった。それどころかわたしはちっぽけで、やせっぽちで、そのうえひどくやつれた心配そうな顔をしていたにちがいなかった。 行列の先に立って歩きながら、わたしは右左をきょろきょろ見回して、わたしたちがどういう効果を村の人たちにあたえているか、見ようとした。ごくわずか――と情けないけれど言わなければならなかった。だれ一人あとからついて来る者もなかった。 ちょっとした広場のまん中に泉があって、木かげがこんもりしている所を見つけると、わたしはハープを下ろしてワルツを一曲ひき始めた。曲はゆかいな調子であったし、わたしの指も軽く動いた。けれどもわたしの心は重かった。 わたしはゼルビノとドルスに向かって、いっしょにワルツをおどるように言いつけた。かれらはすぐ言うことを聞いて、拍子に合わせてくるくる回り始めた。 けれどもだれ一人出て来て見ようとする者もなかった。そのくせ家の戸口では五、六人の女が編み物をしたり、おしゃべりをしているのを見た。 わたしはひき続けた。ゼルビノとドルスはおどり続けた。 一人ぐらい出て来る者があるだろう。一人来ればまた一人、だんだんあとから出て来るにちがいなかった。 わたしはあくまでひき続けた。ゼルビノとドルスもくるくるじょうずに回っていた。けれども村の人たちはてんでこちらをふり向いて見ようともしなかった。 けれどもわたしはがっかりしまいと決心した。わたしはいっしょうけんめいハープの糸が切れるほどはげしくひいた。 ふと一人、ごく小さい子が初めて、うちの中からちょこちょことかけ出して、わたしたちのほうへやって来た。 きっと母親があとからついて来るであろう。その母親のあとから、仲間が出て来るだろう。そうして見物ができれば、少しのお金が取れるであろう。 わたしは子どもをおびえさせまいと思って、まえよりは静かにひいた。そうして少しでもそばへ引き寄せようとした。両手を延ばして、片足ずつよちよち上げて、かれは歩いて来た。もう二足か三足で、子どもはわたしたちの所へ来る。ふと、そのしゅんかん母親はふり向いた。きっと子どもの姿の見えないのを見て、びっくりするにちがいない。 でもかの女はやっと子どもの行くえを見つけると、わたしの思ったようにすぐあとからかけては来ないで自分のほうへ呼び返した。すると子どもはおとなしくふり返って母親のほうへ帰って行った。 きっとこのへんの人は、ダンスも音楽も好かないのだ。きっとそんなことであった。 わたしはゼルビノとドルスを休ませて、今度は、わたしの好きな小唄を歌い始めた。わたしはこんなにいっしょうけんめいになったことはなかった。 二節目の終わりになったとき、背広を着て、ラシャのぼうしをかぶった男が目にはいった。その男はわたしのほうへ歩いて来るらしかった。 とうとうやって来たな。 わたしはそう思って、いよいよむちゅうになって歌った。 「これこれこぞう、ここでなにをしている」と、その男はどなった。 わたしはびっくりして歌をやめた。ぽかんと口を開いたまま、そはへ寄って来るその男をぼんやりながめた。 「なにをしているというのだ」 「はい、歌を歌っています」 「おまえはここで歌を歌う許可を得たか」 「いいえ」 「ふん、じやあ行け。行かないと拘引するぞ」 「でも、あなた……」 「あなたとはなんだ、農林監察官を知らないか。出て行け、こじきこぞうめ」 ははあ、これが農林監察官か。わたしは親方の見せたお手本で、警官や監察官に反抗すると、どんな目に会うかわかっていた。わたしはかれに二度と命令をくり返させなかった。わたしは急いでわき道へにげだした。 こじきこぞうか、ひどい言いぐさだ。わたしはこじきはしなかった。わたしは歌を歌ったまでだ。 五分とたたないうちに、わたしはこの人情のない、そのくせいやに監視の行き届いている村をはなれた。 犬たちは頭を垂れて、すごすごあとからついて来た。きっとつまらない目に会ったことを知っていた。 カピはしじゅうわたしたちの先頭に立って歩いていた。ときどきふり向いては例のりこうそうな目で、いったいどうしたのですと言いたそうに見えた。ほかのものがかれの位置に置かれたのだったら、きっとわたしにそれをたずねたであろうけれども、カピはそんな無作法をするには、あんまりよくしつけられていた。 かれはふに落ちないのを、いっしょうけんめいがまんしているふうを見せるだけで満足していた。 ずっと遠くこの村からはなれたとき、わたしは初めてかれらに(止まれ)という合図をした。それで三びきの犬はわたしの回りに輪を作った。そのまん中にはカピがじっとわたしに目をすえていた。 わたしはかれらがわからずにいることを、ここで説明してやらなければならなかった。「わたしたちは興行の許可を得ていないから、追い出されたのだよ」とわたしは言った。 「へえ、それではどうしましょう」と、カピは首を一ふりふってたずねた。 「だからわたしたちは今夜はどこか野天でねむって、晩飯なしに歩くのだ」 晩飯ということばに、みんないちどにほえた。わたしはかれらに三スーの銭を見せた。 「知ってるとおり、わたしの持っているのはこれだけだ。今夜この三スーを使ってしまえば、あしたの朝飯になにも残らない。きょうはとにかく少しでも食べたのだから、これはあしたまでとっておくほうがいいようだ」こう言って、わたしは三スーをまたかくしに入れた。 カピとドルスはあきらめたように首を下げた。けれどもそれほどすなおでなかったし、そのうえ大食らいであったゼルビノは、いつまでもぶうぶううなっていた。わたしはこわい目をしてかれを見たが、効き目がなかった。 「カピ、ゼルビノに言ってお聞かせ。あれはわからないようだから」と、わたしは忠実なカピに言った。 カピはさっそく前足でゼルビノをたたいた。それはいかにも二ひきの犬の間に言い合いが始まっているように見えた。言い合いというようなことばを犬に使うのは少し無理だと言うかもしれないが、動物だってたしかにその仲間に通用する特別なことばがあった。犬だけで言えば、かれらは話すことを知っているだけではない、読むことも知っていた。かれらが鼻を高く空に向けたり、顔を下げて地べたをかいだり、やぶや石の上をかぎ回ったりするところをご覧なさい。ふとかれらはとある草むらの前で立ち止まる。またはかべの前で立ち止まって、しばらくはじっと目をすえている。わたしたちが見てはその上になにもないが、犬はわたしたちの理解しないふしぎな文字で書かれた、いろいろの変わったことをそこに読み分けるのである。 カピがゼルビノに言ったこともわたしにはわからなかった。なぜと言うに、犬には人間のことばがわかっても、人間はかれらのことばを理解しないのだ。わたしがただ見たところでは、ゼルビノは道理に耳をかたむけることをこばんだ。なんでも三スーのお金をすぐに使ってしまえと言い張ったようであった。カピは腹を立てて歯をむき出すと、少しおくびょう者のゼルビノはすごすごだまってしまった。だまるということばにも少し説明が要るが、ここではころりと横になることを言うのである。 そこで残ったのは今夜の宿の問題だけだ。 時候はよし、暖かい、いい天気であった。だから青天井の下にねむることはさしてむずかしいことではなかった。ただこのへんに悪いおおかみでもいるようなら、それをさけるようにすればよかった。おおかみよりもおそろしい農林監察官からさけることもさらに必要であった。 わたしたちは白い道の上をずんずんまっすぐに進んで行った。山のはしに落ちかけた赤い夕日の最後の光が空から消えるころまで、宿を求めて歩き続けたが、まだ見つからなかった。 もう善悪なしに、どうでもとまらなければならなかった。やっと林の間に出た。そこここに大きな花こう岩が転がっていた。この場所はずいぶんあれたさびしい所であったが、それよりいい場所は見つからなかった。それに花こう岩の中にはいってねむれば、しめっぽい夜風を防ぐたしにもなろうと思った。ここでわたしたちというのは、さるのジョリクールとわたし自身のことを言うので、犬たちは外でねむったところでかぜをひく気づかいもなかった。わたしは自分のからだをだいじにしなければならなかった。わたしのしょっている責任は重かった。わたしが病気になったらわたしたちみんなどうなるだろう。またわたしがジョリクールの看病をしなければならないようだったら、今度はわたしがどうなるだろう。 わたしたちは石の間にほら穴のような所を見つけた。そこにはまつの落ち葉がたまっていた。これで、上には風を防ぐ屋根があり、下にはしいてねるふとんができた。これはひじょうに具合がよかった。足りないのは食べ物ばかりであった。わたしはおなかのすいていることを考えまいと努めた。ことわざにも言うではないか、『ねむるのは食べるのだ』と。 いよいよ横になるまえに、わたしはカピに張り番をたのむと言った。するとこの忠実な犬はわたしたちといっしょにまつ葉の上でねむろうとはしないで、わたしの野営地の入口に、歩哨のように横になっていた。わたしはカピが番をしてくれればだれも案内なしに近づけないと思ったから、落ち着いてねむることができた。 でもこれだけは心配はなかったが、すぐにはねむりつけなかった。ジョリクールはわたしの上着の中にくるまって、そばでぐっすりねむっていた。ゼルビノとドルスは、わたしの足もとでからだをのばしていた。けれどもわたしの心配はからだのつかれよりも大きかった。 この旅行の第一日は悪かった。あくる日はどんなであろう。わたしは腹が減ったし、のどがかわいていた。それでいてたった三スーしか持っていなかった。あしたいくらかでももうけなかったら、どうしてみんなに食べ物を買ってやることができよう。それに口輪はどうしよう。これから歌を歌う許可は、いったいどうしたらいいだろう。許してくれるだろうか。さもないとわたしたちはみんな、やぶの中でおなかが減って死んでしまうだろう。 こういうみじめな、あわれっぽい疑問を心の中でくり返しくり返しするうちに、わたしは暗い空の上にかがやいている星を見た。そよとの風もなかった。どこもかしこもしんとしていた。木の葉のそよぐ音もしない。鳥の鳴く声もしない。街道を車のとろとろと通る音もしない。目の届く限りは青白い空が広がっていた。わたしたちは独りぼっちであった。世の中から捨てられていた。 なみだは目の中にあふれた。バルブレンのおっかあはどうしたろう。気のどくなヴィタリスは。 わたしはうつぶしになって、顔を両手でかくして、しくしく泣いていた。するとふと、かすかな息が髪の毛にふれるように思った。わたしはあわててふり向いた。そのひょうしに大きなやわらかな舌がなみだにあふれたわたしのほおをなめた。それはカピが、わたしの泣き声を聞きつけて、あのわたしの流浪の初めての日にしてくれたように、今度もわたしをなぐさめに来てくれたのである。 両手でわたしはかれの首をおさえて、そのしめった鼻にキッスした。かれは二、三度おし殺したような悲しそうな鼻声を出した。それがわたしといっしょに泣いてくれるもののように思われた。 わたしはねむって目が覚めてみると、もうすっかり明るくなっていた。カピはわたしの前にすわったままじっとわたしを見ていた。小鳥が林の中で歌を歌っていた。遠方のお寺で朝の祈祷のかねが鳴っていた。太陽はもう空の上に高く上って、つかれた心とからだをなぐさめる光を心持ちよく投げかけていた。 わたしたちはかねの音を目当てに歩き出した。そこには村があって、パン屋もきっとあるにそういなかった。昼食も夕食もなしにねどこにはいれば、だれにだって空腹が『おはよう』を言いに来る。わたしは思い切って、三スーを使ってしまう決心をした。そのあとではどうなるか、それはそのときのことにしよう。 村に着くと、パン屋がどこだと聞く必要もなかった。わたしたちの鼻がすぐにその店に連れて行ってくれた。においをかぎつけるわたしの感覚は、もう犬に負けずにするどかった。遠方からわたしは温かいパンの、うまそうなにおいをかぎつけた。 一斤五スーするパンを三スーではたんとは買えなかった。わたしたちはてんでんに、ほんの小さなきれを分け合った。それで朝飯もあっけなくすんでしまった。 わたしたちはきょうこそいくらかでももうけなければならなかった。わたしは村の中を歩いて、どこか芝居につごうのいい場所を見つけようとした。それに村の人びとの顔色を見て、敵か味方か探ろうとした。 わたしの考えはすぐに芝居を始めようというのではなかった。それには時間があまり早すぎた。けれどいい場所が見つかれば、昼ごろ帰って来て、わたしたちの運命を決する機会をとらえるつもりであった。 わたしがこの考えに心をうばわれていると、ふとだれか後ろからとんきょうな声を上げる者があった。あわててわたしがふり向くと、ゼルビノがわたしのほうへ向かってかけて来る。そのあとから一人のおばあさんが追っかけて来るのを見た。もうすぐ何事が起こったかということはわかった。わたしがほかへ気を取られているすきをねらって、ゼルビノは一けんの家にかけこんで、肉を一きれぬすみだしたのであった。かれはえものを歯の間にくわえたまま、にげ出して来たのであった。 「どろぼう、どろぼう」とおばあさんはさけんだ。「そいつをつかまえておくれ。そいつらみんなつかまえておくれ」 おばあさんのこう言うのを聞いて、わたしはとにかく自分にも罪がある。いやすくなくともゼルビノの犯罪に責任があると感じた。そこでわたしはかけ出した。もしおばあさんがぬすまれた肉の代価を請求じたら、なんと言うことができよう。どうして金をはらうことができよう。それでわたしたちがつかまえられれば、きっと刑務所に入れられるだろう。 わたしがにげ出して行くのを見て、ドルスとカピもさっそくわたしの例にならった。かれらはわたしのかかとについて走った。ジョリクールはわたしの肩に乗ったまま、落ちまいとしてしっかり首にかじりついた。 だれかほかの者もさけんでいた。待て、どろぼう……そしてほかの人たちも仲間になって追っかけていた。けれどもわたしたちはどんどんかけた。恐怖がわたしたちの速力を進めた。わたしはドルスがこんなに早く走るのを見たことがなかった。かの女の足はほとんど地べたについていなかった。横町を曲がって、野原をつっ切って、まもなくわたしたちは追っ手をはるかぬいてしまった。けれどもやはりどんどんかけ続けて、いよいよ息がつけなくなるまで止まらなかった。わたしたちは少なくとも三マイル(約五キロ)も走った。ふり返って見るともうだれも追っかけて来なかった。カピとドルスはやはりわたしのすぐ後について来た。ゼルビノは遠くにはなれていた。たぶんぬすんだ肉を食べるので手間を取ったのであろう。 わたしはかれを呼んだ。けれどもかれはひどい刑罰に会うことを知りすぎるほど知っていた。そこでわたしのほうへは寄って来ないで、できるだけ早くかけ出したのである。かれは飢えていた。それだから肉をぬすんだのだ。けれどもわたしはそれを口実として許すことはできなかった。かれはぬすみをした。わたしが仲間の間に規律を保とうとすれば、罪を犯したものは罰せられなければならない。それをしなかったら、つぎの村へ行って、今度はドルスが同じ事をするであろう。そうなるとカピまでが誘惑に負けないとは言えぬ。 わたしはゼルビノに対し、公然刑罰を加えなければならなかった。けれどもそれをするためにはかれをつかまえなければならなかった。それはたやすいことではなかった。 わたしはカピのほうへ向いた。 「行ってゼルビノを探しておいで」とわたしは重おもしく言った。 かれはさっそく言いつけられたとおりするために出て行った。けれどもいつものような元気のないことをわたしは見た。かれの顔つきを見ていると、憲兵としてかれはわたしの言いつけを果たすよりも、弁護人としてゼルビノをかばってやりたいように見えた。 わたしはかれが囚人を連れて帰って来るのを、べんべんとこしかけて待つほかはなかった。気ちがいじみたかけっこをしたあとで、休息するのがうれしかった。わたしたちが休んだ所はちょうどこんもりした木かげと、両側に広びろと野原の開けた、堀割の岸であった。ツールーズを出て初めて、青あおした、すずしいいなか道に出たのだ。 一時間たったが、犬たちは帰って来なかった。わたしはそろそろ心配になりだしたとき、やっとカピが独りぼっち首をうなだれたまま帰って来た。 「ゼルビノはどうした」 カピはおどおどした様子で、平伏した。わたしはかれのかたっぽの耳から血の出ているのを見た。わたしはそれで様子をさとった。ゼルビノはこの憲兵に戦いをしかけてきたのである。わたしはカピがそうして、いやいやわたしの命令に従いながらも、ゼルビノとの格闘にわざと負けてやったことがわかった。そしてそのため自分もやはりしかられるものと覚悟しているらしく思われた。 わたしはかれをしかることができなかった。わたしはしかたがないから、ゼルビノが自分から帰って来るときを待つことにした。わたしはかれがおそかれ早かれ後悔して帰って来て、刑罰を受けるだろうと思っていた。 わたしは一本の木の下に、手足をふみのばして横になった。ジョリクールはしっかりとうでにだいていた。それはこのさるまでがゼルビノと仲間になる気を起こすといけないと思ったからであった。ドルスとカピはわたしの足の下でねむっていた。時間がたった。ゼルビノは出て来なかった。とうとうわたしもうとうととねむりこけた。 四、五時間たってわたしは目を覚ました。日かげでもう時刻のよほどたったことがわかったが、それは日かげを見て知るまでもなかった。わたしの胃ぶくろは一きれのパンを食べてからもう久しい時間のたつことをわめきたてていた。それに二ひきの犬とジョリクールの顔つきだけでも、かれらの飢えきっていることはわかった。カピとドルスは情けない目つきをして、じっとわたしを見つめた。ジョリクールはしかめっ面をしていた。 でもやはりゼルビノは帰ってはいなかった。 わたしはかれを呼びたてたり、口ぶえをふいたりしたけれどもむだであった。たぶんごちそうをせしめたので、すっかり腹がふくれて、どこかのやぶの中に転がって、ゆっくり消化させているのであろう。 やっかいなことになってきた。わたしがここを立ち去れば、ゼルビノはわたしたちを見つけることができないから、そのまま行くえ知れずになってしまう。かといってここにこのままいては、少しでも食べ物を買うお金をもうける機会がまるでなかった。 わたしたちの空腹はいよいよやりきれなくなってきた。犬たちは哀願するような目つきをたえずわたしに向けた。そしてジョリクールはおなかをさすって、おこって、きゃっきゃっとさけんでいた。 それでもゼルビノはまだ帰って来なかった。もう一度わたしはカピをやって、なまくらものの行くえを探させた。けれども三十分たってから、やはりカピだけ独りぼんやり帰って来た。 どうしたらいいであろう。 ゼルビノは罪を犯したが、またかれの過失のためにわたしたちはこんなひどい目に会わされることになったのであるが、かれをふり捨てることはできなかった。三びきの犬を満足に連れて帰らなかったら、親方はなんと言うであろう。それになんといっても、わたしはあのいたずら者のゼルビノをかわいがっていた。 わたしは晩がたまで待つ決心をした。けれどなにもせずにいることはできるものではなかった。わたしたちはなにかしていればきっとこれほどひどい空腹がこたえないであろうと思った。 わたしはなにか気をまぎらすことを考え出したなら、さし当たりこれほどひもじい思いを忘れるかもしれない。 なにをしたらよかろう。 わたしはこの問題をいろいろ考え回した。そのときわたしが思い出したのは、ヴィタリス親方がいつか言ったことに、軍隊が長い行軍で疲労しきると、楽隊がそれはゆかいな曲を演奏する、それで兵隊の疲労を忘れさせるようにするというのであった。 そうだ。わたしがなにかゆかいな曲をハープでひいたら、きっと空腹を忘れることができるかもしれない。わたしたちはみんなひどく弱りきっている。でもなにかゆかいな曲をひいたら、かわいそうな二ひきの犬たちも、ジョリクールといっしょにおどりだして、時間が早く過ぎるかもしれない。 わたしは二本の木によせかけておいた楽器を取り上げて、堀割のほうに背中を向けながら、動物たちの列を作ってならばせ、ダンス曲をひき始めた。 初めのうちは、犬もさるもダンスをする気にもなれないらしかった。かれらの欲望は食べ物のほかになかった。そのいじらしい様子を見ると、わたしの胸は痛んだ。けれどもかわいそうに、かれらも空腹を忘れなければならなかった。わたしはいよいよ調子を高く早くとひいた。すると少しずつだんだんに、音楽がその偉力を現してきた。かれらはおどりだした。わたしはひき続けた。 「うまい」――ふとわたしはすみきった子どもの声でこうさけぶのを聞いた。その声はすぐ後ろから聞こえた。わたしはあわててふり向いた。 一せきの遊船が堀割の中に止まっていた。その小舟を引っ張っている二ひきの馬は、向こう岸に休んでいた。それはきみょうな小舟であった。わたしはまだこんなふうな船を見たことはなかった。 それは堀割にうかんでいるふつうの船に比べて、ずっとたけが短かった。そして水面からわずか高い甲板の上には、ガラスしょうじをたてきった船室があり、その前にはきれいなろうかがあって、つたの葉でおおわれていた。 そこには二人、人がいた。一人はまだ若い貴婦人で、美しい、そのくせ悲しそうな顔をしていた。もう一人はわたしぐらいの年ごろの男の子で、これはあお向けにねているらしかった。 「うまい」と声をかけたのは、あきらかにこの子どもであった。 わたしはかれらを見つけて、一度はたいへんびっくりしたが、落ち着くと、わたしはぼうしを取って、かれらの賞賛に感謝の意を表した。 「あなたはお楽しみにやっておいでなのですか」と、貴婦人は外国なまりのあるフランス語で言った。 「わたしは犬をしこんでいるのです。それに……自分の気晴らしにも」 子どもはなにか言った。婦人はそのほうにのぞきこんだ。 「あなた、まだやってもらえますか」と、そのとき貴婦人はこちらを向いて言った。 なにかやってくれるか。やらなくってどうするものか。こういうところへ来てくれたお客のために、どうしてやらずにいられよう。わたしはそれを二度と言われるまでも待たなかった。 「ダンスにしましょうか。喜劇にしましょうか」とわたしは聞いた。 「ああ、喜劇だ、喜劇だ」と子どもがさけんだ。 けれども貴婦人は口をはさんで、「まあ先にダンスを」と言った。 「ダンスはだって短すぎるもの」と子どもは言った。 「お客さまのお望みとございましたら、ダンスのあとでちがった番組をいろいろとりかえてごらんにいれましょう」 これはうちの親方の使う口上の一つであった。わたしはなるべくかれと同じようなしかつめらしい言い方でやろうと努めた。だがなおよく考えると、喜劇を所望してくれなかったことは結局ありがたかった。なぜといって、どうそれをやるかくふうがつかなかった。ゼルビノという役者が一枚足りないばかりではない、芝居をするには衣装も道具もなかった。 とにかくわたしはハープを取り上げて、まずワルツの第一節をひいた。カピは前足でドルスのこしをだいて、じょうずに拍子を取りながらおどり回った。つぎにジョリクールが一人でおどって、それからそれとわたしたちは順々に番組を進めていった。もう少しもくたびれたとは思わなかった。かわいそうな動物どもは、やがて昼飯の報酬の出ることを知って、いっしょうけんめいにやった。わたしもそのとおりであった。 するととつぜん、みんながいっしょになってダンスをしている最中に、ゼルビノがやぶのかげから出て来た。そして仲間がそのそばを通ると、かれはずうずうしくもその仲間に割りこんで来た。 ハープをひきひき役者たちの監督をしながら、わたしはときどき子どものほうを見た。かれはわたしたちの演技にひじょうなゆかいを感じているらしく見えたが、からだを少しも動かさなかった。寝台の上にあお向いたまま、ただ両手を動かして拍手かっさいした。半身不随なのかしら、板の上に張りつけられたように見えた。 いつのまにか風で船が岸にふきつけられていたので、いまは子どもをはっきり見ることができた。かれは金茶色の髪の毛をしていた。顔色は青白くて、すきとおった皮膚のもとに額の青筋すら見えるほどであった。その顔つきには病人の子どもらしい、おとなしやかな、悲しそうな表情があった。 「あなたがたのお芝居のさじき料がいかほどですね」と、貴婦人はたずねた。 「おなぐさみに相応した代だけいただきます」 「じゃあ、お母さま、たんとおやりなさい」と子どもが言った。かれはそのうえなにかわたしにわからないことばでつけ加えていた。すると貴婦人は、 「アーサがお仲間の役者たちをそばで見たいと言うのですよ」と言った。 わたしはカピに目くはせをした。大喜びでかれは船の中へとびこんで行った。 「それから、ほかのは」とアーサと呼ばれたこの子どもはさけんだ。 ゼルビノとドルスがカピの例にならった。 「それからおさるは」 ジョリクールもわけなくとびこむことができたろう。でもわたしは安心がならなかった。一度船に乗ったら、きっとなにか貴婦人の気にいらないような悪さをするかもしれなかった。 「おさるは気があらいの」と貴婦人はたずねた。 「いいえ、そうではありませんが、なかなか言うことを聞きませんから、失礼でもあるといけないと思います」 「おや、それではあなた、連れておいでなさい」 こう言って貴婦人はかじのほうに立っていた男に合図をした。この人は出て来て、へさきから岸に板をわたした。 肩にハープをかけて、ジョリクールをうでにだいたまま、わたしは板をわたった。 「おさるだ。おさるだ」とアーサはさけんだ。その子どもを貴婦人はアーサと呼んでいた。 わたしはかれのそばへ寄って、かれがジョリクールをなでたりさすったりしているとき、わたしは注意してその様子を見た。実際にかれは一枚の板に皮でからだを結びつけられていた。 「あなた、お父さんはあるの」と貴婦人はたずねた。 「いえ、いまは独りぼっちです」 「いつまで」 「二か月のあいだ」 「二か月ですって、まあかわいそうに、あなたぐらいの年ごろに、どうして独りぼっち置き去りにされるようなことになったの」 「そんな回り合わせになったのです」 「あなたの親方さんはふた月のあいだにたんとお金を持って帰れと言いつけたのではないのですか。そうでしょう」 「いいえ、おくさん、親方はわたしになにも言いつけはしません。ただい一座ののものといっしょに、そのあいだ食べてゆかれさえすればそれでいいんです」 「それで、どれだけお金が取れましたか」 わたしは答えようとしてちゅうちょした。わたしはこの美しい婦人の前では一種のおそれを感じたけれども、貴婦人はひじょうに親切に話しかけてくれたし、その声はいかにも優しかったから、わたしはほんとうのことを打ち明ける決心をした。またそれをしてならない理由はなにもなかった。 そこでわたしは貴婦人に向かって、ヴィタリスとわたしが別れたいちぶしじゅうを話した。ヴィタリス親方がわたしを保護するために、刑務所に連れて行かれたこと、それから親方がいなくなってから、金を取ることができなくなった次第を話した。 わたしが話をしているあいだ、アーサは犬と遊んでいたが、わたしの言ったことばはよく耳に止めていた。 「じゃあきみたち、みんなずいぶんおなかがすいているだろう」とかれは言った。 このことばを動物たちはよく知っていて、犬は喜んでほえ始めるし、ジョリクールははげしくおなかをこすった。 「ああ、お母さま」とアーサがさけんだ。 貴婦人は聞き知らないことばで、半分開けたドアのすきから頭を出しかけていた女中に、なにか二言三言いった。まもなく女中は食物をのせたテーブルを運んで来た。 「おかけ」と貴婦人は言った。 わたしは言われるままにさっそく、ハープをわきへ置いて、テーブルの前のいすにこしをかけた。犬たちはわたしの回りに列を作ってならんだ。ジョリクールはわたしのひざの上でおどっていた。 「きみの犬はパンを食べるの」とアーサはたずねた。 「パンを食べるどころですか」 わたしが一きれずつ切ってやると、かれらはむさぼるようにして見るまに平らげてしまった。 「それからおさるは」とアーサは言った。 けれども、ジョリクールのことで気をもむ必要もなかった。わたしが犬にやっているあいだ、かれは横合いから肉入りのパンを一きれさらって、テーブルの下にもぐって、息のつまるほどほおばっていた。 わたし自身もパンを食べた。ジョリクールのようにのどにはつまらせなかったけれど、同じようにがつがつして、もっとたくさんほおばった。 「かわいそうに、かわいそうに」と貴婦人は言った。 アーサはなにも言わなかったが、大きな目を見張ってわたしたちをながめていた。わたしたちのよく食べるのにびっくりしたのであろう。わたしたちはてんでんに腹をすかしきっていた。肉をぬすんで少しは腹にこたえのあるはずのゼルビノまでが、がつがつしていた。 「きみはぼくたちに会わなかったら、きょうの昼飯はどうするつもりだったの」とアーサがたずねた。 「なにを食べるか当てがなかったのです」 「じゃああしたは」 「たぶんあしたはまた運よく、きょうのようなお客さまにどこかで会うだろうと思います」 アーサはわたしとの話を打ち切って、そのとき母親のほうにふり向いた。しばらくのあいだかれらは外国語で話をしていた。かれはなにかを求めているらしかったが、それを母親は初めのうち承知したがらないように見えた。 するうち、ふと子どもはくるりと向き返った。かれのからだは動かなかった。 「きみはぼくたちといっしょにいるのはいやですか」とかれはたずねた。 わたしはすぐ返事はしないで、顔だけ見ていた。わたしはこのだしぬけの質問にめんくらわされていた。 「この子があなたがたにいっしょにいてくださればいいと言っているのですよ」と貴婦人がくり返した。 「この船にですか」 「そうですよ。この子は病気で、この板にからだを結えつけていなければならないのです。それで昼間のうち少しでもゆかいにくらせるように、こうして船こ乗せて外へ出るのです。それであなたがたの親方が監獄にはいっておいでのあいだ、よければここにわたしたちといっしょにいてください。あなたのその犬とおさるが毎日芸をしてくれば、アーサとわたしが見物になってあげる。あなたはハープをひいてくれるでしょう。それであなたはわたしたちに務めてくれることになるし、わたしたちはわたしたちで、あなたがたのお役に立つこともありましょう」 船の上で。わたしはまだ船の上でくらしたことがなかったが、それはわたしの久しい望みであった。なんといううれしいこと。わたしは幸福に心のくらむような感じがした。なんという親切な人たちだろう。わたしはなんと言っていいかわからなかった。 わたしは貴婦人の手を取ってキッスした。 「かわいそうに」とかの女は優しく言った。 かの女はわたしのハープを聞きたいと言った。そのくらい手軽ななぐさみですむことなら、わたしはどうかして、自分がどんなにありがたく思っているか見せたいと思った。 わたしは楽器を手に取って、船のへさきのほうへ行って、静かにひき始めた。 貴婦人はふとくちびるに小さな銀の呼子ぶえを当てて、するどい音を出した。 わたしはなぜ貴婦人がふえをふいたのであろうと思って、ちょいと音楽をやめた。それはわたしのひき方が悪いからであったか、それともやめろという合図であったか。 自分の身の回りに起こるどんな小さなことも見のがさないアーサは、わたしの不安心らしい様子を見つけた。 「お母さまは馬を行かせるために、ふえをふいたんだよ」とかれは言った。 まったくそのとおりであった。馬に引かれた小舟は、そろそろと岸をはなれて、堀割の静かな波を切ってすべって行った。両側には木があった。後ろにはしずんで行く夕日のななめな光線が落ちた。 「ひきたまえな」とアーサが言った。 頭をちょっと動かしてかれは母親にそばに来いという合図をした。かれは母親の手を取って、しっかりにぎった。わたしはかれらのために、親方の教えてくれたありったけの曲をひいた。
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