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家なき子(いえなきこ)01

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-1 11:43:28  点击:  切换到繁體中文



     読み書きのけいこ

 ヴィタリス親方の小さな役者の一座いちざは、どうしてなかなかたっしゃぞろいにはちがいなかったが、その曲目はそうたくさんはなかったから、長く同じ町にいることはできなかった。
 ユッセルに着いて三日目には、また旅に出ることになった。
 今度はどこへ行くのだろう。
 わたしはもう大胆だいたんになって、こう質問しつもんを親方に発してみた。
「おまえはこのへんのことを知っているか」と、かれはわたしの顔を見ながら言った。
「いいえ」
「じゃあなぜ、どこへ行くと言って聞くのだ」
「知りたいと思って」
「なにを知りたいのだ」
 わたしはなんと答えていいかわからないので、だまっていた。
「おまえは本を読むことを知っているか」
 かれはしばらく考え深そうにわたしの顔を見て、こうたずねた。
「いいえ」
「本にはこれからわたしたちが旅をして行く土地の名やむかしあったいろいろなことが書いてある。一度もそこへ来たことがなくっても、本を読めばまえから知ることができる。これから道みち教えてあげよう。それはおもしろいお話を聞かせてもらうようなものだ」
 わたしはまるっきりものを知らずに育った。もっともたったひと月村の学校に行ったことがあった。けれどその月じゅうわたしは一度も本を手に持ったことはなかった。わたしがここに話をしている時代には、フランスに学校のあることをじまんにしない村がたくさんあった。よし学校の先生のいる所でも、その人はなんにも知らないか、さもなければなにかほかに仕事があって、あずかった子どもの世話をろくろくしない者が多かった。
 わたしたちの村の学校の先生がやはりそれであった。それは先生がものを知らないというのではないが、わたしが学校に行っているひと月じゅうかれはただの一をすら教えなかった。かれはほかにすることがあった。その先生は商売がくつ屋であった。いやだれもそこから皮のくつを買う者がなかったから、ほんとうは木ぐつ屋だと言ったほうがいい。かれは一日こしかけにこしをかけて木ぐつにするけやきやくるみの木をけずっていた。そういうわけでわたしはなにも学校では教わらなかったし、ABCアベセをすら教わらなかった。
「本を読むってむずかしいことでしょうか」
 わたしはしばらく考えながら歩いて、こう聞いた。
「頭のにぶい者にはむずかしいが、それよりも習いたい気のない者にはもっとむずかしい。おまえの頭はにぶいかな」
「ぼくは知りません。けれども教えてくだされば習いたいと思います」
「よしよし、考えてみよう。まあ、ゆっくり教えてあげよう。たっぷりひまはあるからね」
 たっぷりひまがあるからゆっくりやろう。なぜすぐに始めないのだろう。わたしは本を読むことを習うのがどんなにむずかしいか知らなかった。もう本を開ければすぐに中に書いてあることがわかるように思っていた。
 そのあくる日歩いて行くとちゅう、親方はこしをかがめて、ほこりをかぶった板きれを拾い上げた。
「はら、これがおまえの習う本だ」とかれは言った。
 なにこの板きれが本だとは。わたしはじょうだんを言っているのだろうと思って、かれの顔を見た。けれどかれはいっこうにまじめな顔をしていた。わたしは木ぎれをじっと見た。
 それはうでぐらい長さがあって、両手をならべたくらいはばがあった。そのうえには字も絵も書いてはなかった。
 わたしはからかわれるような気がした。
「あすこの木のかげへ行って休んでからにしよう。そこでどういうふうにわたしがこれを使って、本を読むことを教えるか、話してあげよう」と親方は言って、わたしのびっくりしたような顔をわらいながら見た。
 わたしたちは木のかげへ来ると、背嚢はいのうを地べたに下ろして、そろそろひなぎくのさいている青草の上にすわった。ジョリクールはくさりをいてもらったので、さっそく木の上にかけ上がって、くるみを落とすときのように、こちらのえだからあちらのえだをゆすぶってさわいでいた。犬たちはくたびれて回りにまるくなっていた。
 親方はかくしからナイフを出して、いまの板きれの両側りょうがわをけずって、同じ大きさの小板を十二本こしらえた。
「わたしはこの一本一本の板に一つずつの字をほってあげる」とかれはわたしの顔を見ながら言った。わたしはじっとかれから目を放さなかった。「おまえはこの字を形でおぼえるのだ。それを一目見てなんだということがわかれば、それをいろいろに組み合わせてことばにするけいこをするのだ。ことばが読めるようになれば、本を習うことができるのだ」
 やがてわたしのかくしはその小さな木ぎれでいっぱいになった。それでABCアベセの字をおぼえるのにひまはかからなかったけれども、読むことを覚えるのはべつの仕事であった。なかなか早くはいかないので、ときにはなぜこんなものを教わりたいと言いだしたかと思って、後悔こうかいした。でもこれは、わたしがなまけ者でもなく、負けおしみが強かったからである。
 わたしに字を教えながら親方は、それをいっしょにカピにも教えてみようかと思い立った。犬は時計から時間をさがし出すことをおぼえたくらいだから、文字を覚えられないことはなかった。それでカピとわたしは同級生になって、いっしょにけいこを始めた。犬はもちろん口で言えないから、木ぎれがのこらず草の上にまきらされると、かれは前足で、言われた文字をその中から拾い出して来なければならなかった。
 はじめはわたしもカピよりはずっと進歩が早かった。けれどわたしは理解りかいこそ早かったが、物覚ものおぼえは、犬のほうがよかった。犬は一度物を教わると、いつもそれを覚えてわすれることがなかった。わたしがまちがうと親方はこう言うのである。
「カピのはうが先に読むことを覚えるよ、ルミ」
 そう言うとカピはわかったらしく、得意とくいになってしっぽをふった。
 そこでわたしはくやしくなって気を入れて勉強した。それで犬がやっと自分の名前の四つの字を拾い出してつづることしかできないのに、わたしはとうとう本を読むことをおぼえた。
「さて、おまえはことばを読むことは覚えたが、どうだね、今度はを読むことを覚えては」と親方が言った。
「譜を読むことをおぼえると、あなたのように歌が歌えますか」とわたしは聞いた。
「ああ。そうするとおまえもわたしのように歌が歌いたいと思うのかい」と親方が答えた。
「とてもそんなによくはできそうもないと思いますけれども、少しは歌いたいと思います」
「じゃあわたしが歌を歌うのを聞くのはきかい」
「ええ、わたしは、なによりそれが好きです。それはうぐいすの歌よりずっと好きです。けれどもまるでうぐいすの歌とはちがいますね。あなたが歌っておいでになると、ぼくは歌のとおりにきたくなることもあるし、わらいたくなることもあります。ばかだと思わないでください。あなたがしずかにさびしい歌をお歌いになると、わたしはまたバルブレンのおっかあの所へ帰ったような気がするのです。目をふさいで聞いていると、またうちにいるおっかあの姿すがたが目にうかびますけれども、歌はイタリア語だからわかりません」
 わたしはあお向いてかれを見た。かれの目にはなみだがあふれていた。そのときわたしはことばを切って、
「気にさわったのですか」とたずねた。
 かれは声をふるわせながら言った。「いいや、気にさわるなんということはないよ。それどころかおまえは、わたしを遠い子どもだったむかしにもどしてくれた。そうだ、ルミや、わたしは歌を教えてあげよう。そうしておまえはなさけ深いたちだから、やはりその歌で人を泣かせることもできるし、人にほめられるようにもなるだろう」
 かれは言いかけてふとやめた。わたしはかれがそのとき、そのうえに言うことをこのまないらしいのがわかった。わたしにはかれがそんなに悲しく思うわけがわからなかった。でもあとになって、それはある悲しい事情じじょうからはじめてわかった。いずれわたしの話の進んだとき、それを言うおりがあるであるう。
 そのあくる日、かれは小さく木を切って文字を作ったと同様に音譜おんぷをこしらえた。
 音譜はABCアベセより入りくんでいた。今度は習うのにもいっそうほねれたし、たいくつでもあった。あれほど犬に対してしんぼうのいい親方も、一度ならずわたしにはかんにんのを切ったこともあった。かれはさけんだ。
畜生ちくしょうに対しては、かわいそうな、口のきけないものだと思ってがまんするけれど、おまえではまったく気ちがいにさせられる」と、こうかれは言って、芝居しばいのように両手を空に上げて、急にまた下に下ろして、はげしくももを打った。
 自分がおもしろいと思うと、まねをしてはおもしろがっているジョリクールは、今度も主人の身ぶりをまねていた。毎日わたしのけいこのときに、さるはいつもそばにいるので、わたしがつかえでもすると、そのたんびにがっかりした様子をして、かれが両うでを空に上げて、また下に下ろしては、ももを打つところを見ると、わたしはしょげずにはいられなかった。
「ごらん、ジョリクールまでが、おまえをばかにしている」と親方がさけんだ。
 わたしが思い切った子なら、さるがばかにしているのは生徒せいとばかりではなく、先生までもばかにしているのだと言ってやりたかった。けれども失礼しつれいだと思ったし、こわさもこわいのでえんりょして、心のうちでそう思うだけで満足まんぞくした。
 とうとう何週間もけいこをつづけて、わたしは親方が書いた紙から、曲を読むことができるようになった。もう親方も、両手を空に上げなかった。それどころかかえって、歌うたんびにほめてくれて、この調子でたゆまずやってゆけば、きっとえらい歌うたいになれると言ってくれた。
 むろんこれだけのけいこが一日でできあがるはずはなかった。何週間のあいだ何か月のあいだ、わたしのかくしはいつも小さな木ぎれで、いっぱいになっていた。
 しかし、わたしの課業かぎょうは学校にはいっている子どものそれのように、規則きそく正しいものではなかった。親方が課業をさずけてくれるのは、そのひまな時間だけであった。
 毎日決まった道のりだけは歩いて行かなければならなかった。もっともその道のりは村と村との間が遠いか近いか、それによって長くもなり短くもなった。いくらかでも、収入しゅうにゅうのある機会きかいを見つけしだい、そこで止まって芝居しばいをうたなければならなかった。犬たちやジョリクールに役々の復習ふくしゅうをもさせなければならなかった。朝飯あさめし昼飯ひるめしもてんでんに自分で用意しなければならなかった。読書なり音楽なりの仕事は、つまりそういうもののすんだあとのことであった。まあいちばんよく教えてもちったのは、休憩きゅうけいの時間で、木の根かたや、小砂利こじゃりの山の上や、または芝生しばふなり、道ばたの草の上が、みんなわたしの木ぎれをならべるつくえが代わりになった。
 この教育法きょういくほうはふつうの子どもの受けるそれとは、少しもたところがなかった。ふつうの子どもなら、ただ勉強するほかに仕事はないし、それでもかれらはしじゅうあたえられた宿題しゅくだいをやる時間がないといって、ぶつぶつ言うのである。
 けれど、勉強に使う時間のあるなしよりも、もっとたいせつなものがあった。それはその仕事に専念せんねんするということであった。さずかった課業かぎょうおぼえるのは、覚えるためについやされる時間ではなくって、それは覚えたいと思う熱心ねっしんであった。
 幸いにわたしは、ぐるりに起こる出来事に心をうばわれることなしに、むちゅうに勉強のできるたちであった。もしそのじぶんわたしが、部屋へやの中にじこもって、両手で耳をふさいで、目を本にはりつけたようにしているのでなければ、勉強のできない生徒せいとのようであったら、わたしになにができたろう、なにもできはしない。なぜというに、わたしには、閉じこもる部屋もなかった。往来おうらい沿って前へ前へと進みながら、ときどきもうつまずいてたおれそうになるほどいたい足の先を、見つめ見つめしてゆかなければならなかった。
 だんだんわたしはおかげでいろんなことをおぼえた。と同時に親方のさずけてくれた課業かぎょう以上いじょう有益ゆうえきな長い旅行をした。わたしがバルブレンのおっかあの所にいたじぶんには、ごくやせっぽちな子どもであった。みんながわたしを見て言ったことばで、その様子はよくわかる。「町の子どもだ」と、バルブレンは言ったし、「ひどくひょろひょろした手足の子だ」と親方は言った。
 ところが親方のあとについて、広い青空の下に困難こんなんな生活をつづけているあいだに、わたしの手足は強くなり、肺臓はいぞう発達はったつし、皮膚ひふあつくなり、ちょうどかぶとをかぶったように寒さをも暑さをもしのぐことができるようになった。
 こうして、このつらいお弟子でし修業しゅぎょうのおかげで、わたしは少年時代に、たいていの困難こんなんに打ち勝ってゆく力をやしなうことのできたのは、あとで思えばひじょうな幸福であった。


     山こえて谷こえて

 わたしたちはフランスの中央ちゅうおうの一部、たとえばローヴェルニュ、ル・ヴレー、ル・リヴァレー、ル・ケルシー、ル・ルーエルグ、レ・セヴェンネ、ル・ラングドックというような土地土地をめぐって歩いた。
 わたしたちの流行はしごく簡単かんたんであった。どこでもかまわずまっすぐに出かけて行って、あまりびんぼうでない町だと見ると、まず行列を作る用意を始めて、犬たちに着物を着せかえてやり、ドルスのかみにくしを入れてやる。カピが老兵ろうへいの役をやっているときは、目の上に包帯ほうたいをしてやる。最後さいごにいやがるジョリクールに大将たいしょう軍服ぐんぷくを着せる。これがなによりいちばんやっかいな仕事であった。なぜというにこのさるは、これが仕事にかかるまえぶれだということを知りすぎるほど知っていて、なんでも着物を着させまいとするために、それはおかしな芸当げいとうを考え出すのであった。そこでわたしはしかたがないからカピを加勢かせいんで来て、二人がかりでどうやらこうやらおさえつけて、言うことを聞かせるのであった。
 さて一座いちざのこらずの仕度ができあがると、ヴィタリス親方はれいのふえでマーチをふきながら村の中へはいって行く。
 そこでわれわれのあとからついて来る群衆ぐんしゅうの数が相応そうおうになると、さっそく演芸えんげいを始めるが、ほんの二、三人気まぐれなやかしのお客だけだとみると、わざわざ足を止める値打ねうちもないので、かまわずずんずん進んで行く。
 一つの町に五、六日もつづけて滞留たいりゅういているようなときには、カピがついていさえすれば、親方はわたしを一人手放して外へ出してくれた。親方はつまりわたしをカピにあずけたのである。
「おまえは同じ年ごろの子どもがたいがい学校に行っている時代に、ひょんなことからフランスの国じゅうを歩く回り合わせになっているのだ」と親方はあるときわたしに言った。「だから学校へ行く代わりに、自分で目を開いて、よくものを見ておぼえるのだ。見てわからないものがあったら、かまわずにわたしに質問しつもんするがいい。わたしだってなんでも知っているわけではないが、一とおりおまえの知りたい心を満足まんぞくさせるだけのことはできるだろう。わたしもいまのような人間でばかりはなかった。かなりむかしはいろいろほかの気のきいたことも知っていた」
「どんなことを」
「それはまたいつか話そうよ。ただまあ、むかしから犬やさるの見世物師みせものしでもなかったことだけ知ってもらえばよい。なんでも人間は心がけしだいで、いちばんひく位置いちからどんなにも高い位置いちに上ることができる。これもおぼえていてもらいたい。それでおまえが大きくなったとき、どうかまあ、気のどくな旅の音楽師おんがくしが自分をやしなおやの手から引きさらって行ったときには、つらくもこわくも思ったようなものも、つまりそれがよかったのだと思って、よろこんでくれるときがあればいいと思うのだ。まあ、こうして境遇きょうぐうわるのが、つまりはおまえのために悪くはないかもしれないのだからな」
 いったいこの親方はもとはなんであったろう、わたしは知りたいと思った。
 さてわたしたちはだんだんめぐりめぐって行って、ローヴェルニュからケルシーの高原にはいった。これはおそろしくだだっ広くってあれていた。小山が波のようにうねっていて、開けた土地もなければ、大きな樹木じゅもくもなかったし、人通りはごく少なかった。小川もなければ池もない。所どころ水がかれきって、石ばかりの谷川が目にはいるだけであった。その原っぱのまん中にバスチード・ミュラーという小さな村があった。わたしたちはこの村のある宿屋やどや物置ものおきに一夜をごした。
「そうだ、この村だったよ」とヴィタリス親方が言った。「しかもこの同じ宿屋だったかもしれないが、のちに何万という軍勢ぐんぜいひきいる大将たいしょうがここで生まれたのだ。はじめはうまやのこぞうから身を起こして、公爵こうしゃくがなり、のちには王さまになった。名前をミュラーと言った。みんながその人を英雄えいゆうんで、この村をもその名前で呼ぶことになった。わたしはその男を知っていた。たびたびいっしょに話をしたこともあった」
 わたしもさすがにことばをはさまずにはいられなかった。
「うまやのこぞうだったときにですか」
「いいや」と親方はわらいながら答えた。「もう王さまだったじぶんにだよ。今度はじめてわたしはこの地方にやって来たのだ。わたしはその男が王さまだったナポリの宮殿きゅうでんで知り合いになったのだ」
「あなたは王さまと知り合いなのですか」
 わたしのこういった調子は少しこっけいであったとみえて、親方はさもゆかいそうにわらいだした。
 わたしたちはうまやの戸の前のこしかけにこしをかけて、昼間の太陽のぬくもりのまだのこっているかべに背中せなかをおしつけていた。われわれの頭の上におっかぶさっている大きないちじくの木の中で夕ぜみが鳴いていた。母屋おもやの屋根の上には、いま出たばかりの満月まんげつしずかに青空に上がっていた。その日は昼間こげるように暑かったので、それがいっそう心持ちよく思われた。
「おまえ、とこにはいりたいか」と親方はたずねた。「それともミュラー王の話でもしてもらいたいと思うか」
「ああ、どうぞそのお話をしてください」
 そこで親方はわたしとこしかけの上にいるあいだ、長物語をしてくれた。親方が話をしているうちに、だんだん青白い月の光がななめにさしこんできた。わたしはむちゅうになって耳を立てた。両方の目をすえてじっと親方の顔を見ていた。
 わたしはまえにこんなむかし物語などを聞いたことがなかった。だれがそんな話をして聞かせよう。バルブレンのおっかあはとても話すわけがない。かの女はそんな話は少しも知らなかった。かの女はシャヴァノンで生まれて、たぶんはそこで死ぬのだろう。かの女の心は目で見るかぎりをこえて先へは行かなかった。それもアンドゥーズ山のいただきから見晴らす地平線上にかぎられていた。
 わたしの親方は王さまに会ったことがある。その王さまはかれと話をした。いったいこの親方はわかいときなんであったろう。それがどうしてこの年になって、いまのような身の上になったのだろう……
 わたしの、活発に鋭敏えいびんはたらおさな想像そうぞう好奇心こうきしんは、この一つのことにばかりはたらいた。


     七里ぐつをはいた大男

 南部地方の高原のかわききった土地をはなれてのち、わたしたちは、いつも青あおとした谷間の道を通って、旅をつづけた。これはドルドーニュ川の谷で、わたしたちは毎日少しずつこの谷を下りて行った。なにしろこの地方は土地がゆたかで、住民じゅうみんしたがって富貴ふうきであったから、わたしたちの興行こうぎょうの度数もしぜん多くなり、れいのカピのおぼんの中へもなかなかたくさんのお金が投げこまれた。
 ふと空中に、ふうわりとちょうどきりの中にくもの糸でつり下げられたように、橋が一つ、大きな川の上にかかっていた。川はその下にごくおだやかに流れていた――これはキュブザックの橋で、川はドルドーニュ川であった。
 あれた町が一つ、そこには古いおほりもあり、岩屋もあり、とうもあった。修道院しゅうどういんのあれたへいの中には、せみが雑木ぞうきの中で、そこここに止まって鳴いていた――これはセンテミリオン寺であった。
 けれどそれもこれもみんなわたしの記憶きおくの中でこんがらがって、ぼやけてしまっているが、そののちほどなく、ひじょうに強い印象いんしょうをあたえた景色けしきあらわれた。それは今日でもありありと、全体のうきぼりがさながら目の前に現れるくらいあざやかであった。
 わたしたちはあるごくびんぼうな村に一夜を明かして、あくる日夜の明けないうちから出発した。長いあいだわたしたちは、ほこりっぽい道を歩いて来て、両側りょうがわにはしじゅうぶどう畑ばかりを見て来たのが、ふと、それはあたかも目をさえぎっていた窓かけがぱらりと落ちたように、眼界がんかいが自由に開けた。
 大きな川が一つ、わたしたちのそのとき行き着いたおかのぐるりをゆるやかに流れていた。この川のはるか向こうに不規則ふきそくにゆがんだ地平線までは、大都市の屋根や鐘楼しょうろうつづいてらばっていた。どれが家だろう。どれがえんとつだろう。中でいちばん高い、いちばん細いのが、五、六木、柱のように空につっ立って、そのてっぺんからまっ黒なけむりをふき出しては、風のなぶるままに、たなびいて、町の真上まうえに黒いガスの雲をわかしていた。川の上には、ちょうど中ほどの河岸かし通りに沿って数知れない船が停泊ていはくして、林のようにならんだ帆柱ほばしらや、帆づなや、それにいろいろの色のはたを風にばたばた言わせながらおし合いへし合いしていた。がんがんひびくどうや鉄の音やつちの音、そういう物音の中に、河岸かし通りをからから走って行くたくさんの車の音が交じって聞こえた。
「これがボルドーだ」と親方がわたしに言った。
 わたしのような子どもにとっては――その年までせいぜいクルーズのびんぼう村か、道みち通って来たいくつかのちっぽけな町のほかに見たことのない子どもにとっては、これはおとぎ話の国であった。
 なにを考えるともなく、わたしの足はしぜんと止まった。わたしはじっと立ち止まったまま、前のほうをながめたり、後ろのほうをながめたり、ただもうぼんやりそこらを見回していた。
 しかし、ふとわたしの目は一点にとどまった。それは川の面をふさいでいるおびただしい船であった。
 つまりそれはなんだかわけのわからない、ごたごたした活動であったが、それが自分でもはっきりつかむことのできない、ひじょうに強い興味きょうみをわたしの心にひき起こした。
 いくそうかの船はをいっぱいにって、一方にかたむきながら、ゆうゆうと川を下って行くと、こちらからは反対に上って行った。島のように動かずに止まっているものもあれば、どうして動いているかわからないで、くるくる回っている船もあった。最後さいごにもう一つ、帆柱ほばしらもなければ、帆もなしに、ただえんとつの口から黒いけむりのうずを空にきながら、黄ばんだ水の上に白いあわのあぜを作りながら、ずんずん走っているものもあった。
「ちょうどいまが満潮まんちょうだ」と親方はこちらから問いかけもしないのに、わたしのおどろいた顔に答えて言った。
「長い航海こうかいから帰って来た船もある。ほら、ペンキがはげてさびついたようになっているだろう。あすこへは港をはなれて行く船がある。川のまん中にいる船が満潮にかじを向けるようなふうに、いかりの上でくるくる回っている。けむりの雲の中を走って行く船は引き船だ」
 わたしにとってはなんということばであろう。なんという目新しい事実であろう。
 わたしたちが、パスチードとボルドーを通じている橋の所へ来るまでに、親方はわたしが聞きたいと思った質問しつもんの百分の一に答えるだけのひまもなかった。
 これまでわたしたちはけっしてとちゅうの町で長逗留ながとうりゅうをすることはなかった。なぜというに、しじゅう見物をかえる必要ひつようから、しぜん毎日興行こうぎょうの場所をもえなければならなかった。それに『名高いヴィタリス親方の一座いちざ』の役者では、狂言きょうげん芸題げいだいをいろいろにかえてゆく自由がきかなかった。『ジョリクールの家来』『大将たいしょうの死』『正義せいぎ勝利しょうり』『下剤げざいをかけた病人』、そのほか三、四しゅ芝居しばいをやってしまえば、もうおしまいであった。それで一座いちざの役者のげい種切たねぎれであった。そこでまた場所をえて、まだ見ない見物の前で、これらの狂言きょうげんを、相変あいかわらず、『下剤をかけた病人』か、『正義の勝利』をやらなければならなかった。
 しかし、ボルドーは大都会である。見物は容易よういに入れかわったし、場所さえ変えると毎日三、四回の興行こうぎょうをすることができた。それでもカオールに行ったときのように、『いつでも同じことばかりだ』とどなられるようなことはなかった。
 ボルドーを打ち上げてから、わたしたちはポーへ行かなければならなかった。そのとちゅうでは大きなさばくをこえなければならなかった。さばくはボルドーの町の門からピレネーの連山れんざんまでつづいていて、『ランド』という名でばれていた。
 もうわたしもおとぎ話にあるわかいはつかねずみのように、見るもの聞くものが驚嘆きょうたん恐怖きょうふたねになるというようなことはなかった。それでもわたしはこの旅行のはじめから、親方をわらわせるような失敗しっぱいえんじて、ポーに着くまで、そのためなぶられどおしになぶられるほかはなかった。
 わたしたちは七、八日のちボルドーを出発した。ガロンヌ川沿岸えんがんの土地を回ったのち、ランゴンで川をはなれて、モン・ド・マルサンへ行く道をとった。その道はつま先下がりに下がっていった。もうぶどう畑もなければ、牧場ぼくじょうもない。果樹園かじゅえんもない、ただまつ灌木かんぼくの林があるだけであった。やがて人家もだんだん少なくなり、だんだんみすぼらしくなった。とうとうわたしたちは大きな高原のまん中にいた。所どころ高低こうていはあっても、日のとどくかぎり野原であった。畑地はたちもなければ森もない、遠方から見るとただ一色のねずみ色の土地であった。道の両側りょうがわがうす黒いこけや、しなびきった灌木かんぼくや、いじけたえにしだでおおわれていた。
「わたしたちはランドの中に来たのだ」と親方が言った。「このさばくのまん中まで行くには二十里か二十五里(八十キロか百キロ)行かなければならない。しつかり足に元気をつけるのだぞ」
 元気をつけなければならないのは足だけではなかった。頭にも、むねにも、元気をつけなければならなかった。なぜといって、もう終わる時のないように広いさばくの道を歩いて行くとき、だれでもばんやりして、わけのわからない悲しみと、がっかりしたような心持ちにむねがふさがるのであった。
 そののちもわたしはたびたび海上の旅をしたが、いつも大洋のまん中でかげ一つ見えないとき、わたしはやはりこの無人むじんの土地で感じたとおりの言いようもない悲しみを、また経験けいけんしたことがあった。
 大洋の中にいると同様に、わたしたちの日は遠い秋霧あきぎりの中に消えている地平線までとどいていた。ひたすら広漠こうばく単調たんちょうが広がっている灰色はいいろの野のほかに、なにも目をさえぎるものがなかった。
 わたしたちは歩きつづけた。でも機械的きかいてきにときどきぐるりと見回すと、やはりいつまでも同じ場所に立ち止まったまま、少しも進んでいないように思われた。目に見える景色けしきはいつでも同じことであった。相変あいかわらずの灌木かんぼく、相変わらずのえにしだ、相変わらずのこけであった。風がふくとやわらかなわらびの葉がなよなよと動いて、まるで波の走るように高くひくく走った。
 ずいぶん長いあいだをおいて、たまさか、わたしたちはちょいとした森を通りぬけることがあったが、その森はふつうの森のように、とちゅうのきょうをそえるようなものではなかった。いつもまつの木の森で、そのえだはこずえまで風に打ち落とされていた。みきに長く、深いきずがえぐれていた。その赤い傷口からすきとおったまつやにのなみだが流れ出していた。風が傷口からふきこむと、いかにも悲しそうな音楽をそうして、この気のどくなまつがみずからいたみをうったえる声のように聞かれた。
 わたしたちは朝から歩きつづけていた。親方は夜までにはどこかとまれる村に着くはずだと言っていた。けれど夜になっても、その村らしいものは見えなかったし、人家に近いことを知らせるけむりも上がらなかった。
 わたしはくたびれたし、ねむたかった。わたしたちは前途ぜんとはただ原っぱを見るだけであった。
 親方もやはりくたびれていた。かれは足を止めて道ばたに休もうとした。
 わたしはそれよりも、左手にあった小山に登って、村の火が見えるかどうか見たいと思った。
 わたしはカピをんだが、カピもやはりくたびれていたので、呼んでも聞こえないふりをしていた。これはいつでも言うことを聞きたくないときにカピのやることであった。
「おまえ、こわいのか」とヴィタリスは言った。
 この質問しつもんがすぐにわたしを奮発ふんぱつさして、一人で行く気を起こさせた。
 夜はすっかりれまくを下ろした。月もなかった。空の上には星の光がうすもやの中にちらちらしていた。歩いて行くと、そこらのさまざまな物がぼんやりした光の中できみょうな幽霊ゆうれいじみた形をしているように見えた。野生のえにしだが、頭の上にぬっと高くびて、まるでわたしのほうへ向かって来るように見えた。上へ登れば登るほどいばらや草むらはいよいよ深くなって、わたしの頭をこして、上でもつれ合っていた。ときどきわたしはその中をくぐってぬけて行かなければならなかった。
 けれどわたしはぜひも頂上ちょうじょうまで登らなければならないと決心した。でもやっとのこと登ってみれば、どちらを見ても明かりは見えなかった。ただもうきみょうな物の形と、大きな樹木じゅもくが、いまにもわたしをつかもうとするようにうでをばしているだけであった。
 わたしは耳を立てて、犬の声か、雌牛めうしのうなり声でも聞こえはしないかと思ったが、ただもうしんとしずまり返っていた。
 どうかして聞き取ろうと思うから、耳をすませて、自分の立てる息の音さええんりょをして、わたしはしばらくじっと立っていた。
 ふとわたしはぞくぞく身ぶるいがしだした。このさびしい、人気ひとけのない荒野原あらのはらしずけさが、わたしをおびやかしたのであった。なんにわたしはおびえたのであったか、たぶんあまりしずかなことが……夜が……とにかく言いようのない恐怖きょうふがわたしの心にのしかかるようにしたのであった。わたしの心臓しんぞうは、まるでそこになにか危険きけんがせまったようにどきついた。
 わたしはこわごわあたりを見回した。するとそのとき、遠方に大きな姿すがたをしたものが木の中で動いているのを見た。それといっしょにわたしは木のえだのがさがさいう音を聞いた。
 わたしは無理むりに、それは自分の気のまよいだと思いこもうとした。きっとそれは木のえだか灌木かんぼくのかげかなんぞだったのだ。
 けれど、そのとき風は、木の葉を動かすほどの軽い風もふいてはいなかった。はげしい風でふかれるか、だれかがさわらないかぎり動くはずはなかったのである。
「だれかしら」
 いや、この自分のほうを目ざしてやって来る大きな影法師かげぼうしが人間であるはずがなかった――わたしのまだ知らないなにかのけものか、またはおそろしい大きな夜鳥か、大きなばけぐもが木の上をとびこえて来るのだ。なんにしてもたしかなことは、この化け物はおそろしく長い足をしていて、ばかばかしく早く飛んで来るということであった。
 それを見るとわたしはあわてて、あとをも見ずに、足にまかせて小山をかけ下りて、ヴィタリスのいる所までにげようとした。
 けれどきみょうなことに、登るときだけに早くわたしの足が進まなかった。わたしはいばらや、雑草ざっそうのやぶの中にころがって、二足ごとにひっかかれた。
 ちくちくするいばらの中からはい出して、わたしはふと後ろをふり向いてみた。怪物かいぶつはいよいよ近くにせまっていた。もういまにも頭の上にとびかかりそうになっていた。
 運よく野原はそういばらがなかったので、いままでよりは、早くかけだすことができた。
 でもわたしがありったけの速力そくりょくで、競争きょうそうしても、その怪物かいぶつはずんずん追いぬこうとしていた。もう後ろをふり返る必要ひつようはなかった。それがわたしのすぐ背中せなかにせまっていることはわかっていた。
 わたしは息もつけなかった。競争でつかれきっていた。ただはあすう、はあすう言っていた。しかし最後さいご大努力だいどりょくをやって、わたしはころげこむように親方の足もとにかけこんだ。三びきの犬はあわててはね起きて、大声でほえた。わたしはやっと二つのことばをくり返した。
「化け物が、化け物が」
 犬たちのけたたましいほえ声よりも高く、はちきれそうな大笑おおわらいの声を聞いた。それと同時に親方は両手でわたしのかたをおさえて、無理むりに顔を後ろにふり向けた。
「おばかさん」とかれはさけんで、まだ笑いやめなかった。「まあよく見なさい」
 そういうことばよりも、そのけたたましいわらこえがわたしを正気に返らせた。わたしは片目かためずつ開けてみた。そうして親方の指さすほうをながめた。
 あれほどわたしをおどかした怪物かいぶつはもう動かなくなって、じつと往来おうらいに立ち止まっていた。
 その姿すがたを見ると、正直の話わたしはまたふるえだした。けれど今度はわたしも親方や犬たちのそばにいるのだ。草やぶのしげった中にひとりぼっちいるのではなかった……わたしは思い切って目を上げて、じっとその姿を見つめた。
 けものだろうか。
 人だろうか。
 人のようでもあって、胴はあるし、頭も両うでもあった。
 けものらしくもある。けれどもかぶっていた毛むくじゃらな身の皮と、それをのせているらしい二本の長細いすねは、それらしい。
 夜はいよいよ暗かったが、この黒い影法師かげぼうしは星明かりにはっきりと見えた。
 わたしはしばらく、それがなんだかまだわからずにいたのであったが、親方はやがてその影法師に向かって話をしかけた。
「まだ村にはよほど遠いでしょうか」と、かれはていねいにたずねた。
 話をしかけるところから見れば人間だったか。
 だがそれは返事はしないで、ただ黙った。その笑い声は鳥の鳴き声めいていた。
 するとけものかな。
 主人はやはり問いをつづけた。
 こうなると、それが今度口をきいて返事をしたら、やはり人間にちがいなかった。
 ところでわたしのびっくりしたことには、その怪物かいぶつは、この近所には人家はないが、ひつじ小屋は一けんあるから、そこへれて行ってやろうと言った。
 おやおや、口がきけるのに、なぜけものような前足があるのだろう。
 わたしに勇気ゆうきがあったら、その男のそばへ行って、どんなふうに前足ができているか見て来るところであったろうが、わたしはまだ少しこわかった。そこで背嚢はいのうをしょい上げてひと言も言わずに親方のあとについて行った。
「これでおまえ、正体がわかったろう」と親方は言って、道みち歩きながらもわらっていた。
「でもぼくはまだなんだかわかりません。じやあこのへんには大男がいるのですか」
「そうさ。竹馬に乗っていれば大男にも見えるさ」
 そこでかれはわたしに説明せつめいしてくれた。砂地すなじ沼沢しょうたくか多いランド地方の人は、沼地ぬまちを歩くとき水にぬれないように、竹馬に乗って歩くというのであった。なんてわたしはばかだったのであろう。
「これでこのへんの人が、七里ぐつをはいた大男になって、子どもをこわがらせたわけがわかったろうね」


     裁判所さいばんしょ

 ポー市にはゆかいな記憶きおくがある。そこは冬ほとんど風のふかない心持ちのいい休み場であった。
 わたしたちはそこに冬じゅういた。金もずいぶんたくさん取れた。お客はたいてい子どもたちであったから、同じ演芸えんげいを何度も何度もくり返してやってもあきることがなかった。金持ちの子どもたちで、多くはイギリス人とアメリカ人の子どもであった。ぽちゃぽちゃとかわいらしく太った男の子、それに、大きなやさしい、ドルスの目のような美しい目をした女の子たちであった。そういう子どもたちのおかげでわたしはアルバートだのハントリだのという菓子かしの味をおぼえた。なぜというに子どもたちはいつでもかくしにいっぱいお菓子をつめこんで来ては、ジョリクールと犬とわたしに分けてくれたからであった。
 けれども春が近くなるにしたがって、お客の数はだんだん少なくなった。芝居しばいがすむと一人ずつまた二人ずつ、子どもたちはやって来て、ジョリクールとカピとドルスに握手あくしゅをして行った。みんなさようならを言いに来たのであった。そこでわたしたちもまたなつかしい冬の休息所を見捨みすてて、またもやれない漂泊ひょうはくの旅に出て行かなければならなかった。それはいく週間と知らない長いあいだ、谷間をぬけ山をこえた。いつもピレネー連山れんざんのむらさき色のみねを横に見た。それはうずたかくもり上がった雲のかたまりのように見えていた。
 さてあるばんわたしたちは川に沿ったゆたかな平野の中にある大きな町に着いた。赤れんがのみっともない家が多かった。とんがった小砂利こじゃりをしきつめた往来おうらいが、一日十二マイル(約十九キロ)も歩いて来た旅行者の足をなやました。親方はわたしに、ここがツールーズの町だと言って、しばらくここに滞留たいりゅうするはずだと話した。
 れいによってそこに着いていちばんはじめにすることは、あくる日の興行こうぎょうにつごうのいい場所をさがすことであった。
 つごうのいい場所はけっして少なくはなかったが、とりわけ植物園の近傍きんぼう(近所)のきれいな芝生しばふには、大きな樹木じゅもくが気持ちのいいかげを作っていて、そこへ広い並木道なみきみちがほうぼうから集まっていた。その並木道の一つで第一回の興行こうぎょうがすることにした。すると初日しょにちからもう見物の山をきずいた。
 ところで不幸ふこうなことに、わたしたちが仕度をしているあいだ、巡査じゅんさが一人そばに立っていて、わたしたちの仕事を不快ふかいらしい顔で見ていた。その巡査はおそらく犬がきらいであったか、あるいはそんな所にわれわれの近寄ちかよることをふつごうと考えたのか、ひどくふきげんでわたしたちを追いはらおうとした。
 追いはらわれるままにわたしたちはすなおに出て行けばよかったかもしれなかった。わたしたちは巡査にたてをつくほどの力はないのであったが、しかし親方はそうは思わなかった。
 かれはたかが犬をれていなかを興行こうぎょういて回る見世物師みせものし老人ろうじんではあったが、ひじょうに気位きぐらいが高かったし、権利けんり思想しそうをじゅうぶんに持っていたかれは、法律ほうりつにも警察けいさつ規律きりつにもそむかないかぎりかえって警察から保護ほごを受けなければならないはずだと考えた。
 そこで巡査じゅんさが立ちのいてくれと言うと、かれはそれを拒絶きょぜつした。
 もっとも親方はひじょうにていねいであった。親方があまりはげしくおこらないとき、または他人をすこし愚弄ぐろう(ばかにする)しかけるときするくせで、まったくかれはそのイタリア風の慇懃いんぎん(ばかていねい)を極端きょくたんもちいていた。ただ聞いていると、かれはなにか高貴こうき有力ゆうりょくな人物と応対おうたいしているように思われたかもしれなかった。
権力けんりょくを代表せられるところの閣下かっかよ」とかれは言って、ぼうしをぬいでていねいに巡査じゅんさにおじぎをした。「閣下はたして、右の権力より発動しまするところのご命令めいれいをもって、われわれごときあわれむべき旅芸人たびげいにんが、公園においていやしき技芸ぎげいえんじますることを禁止きんしせられようと言うのでございましょうか」
 巡査じゅんさの答えは、議論ぎろん必要ひつようはない、ただだまってわたしたちは服従ふくじゅうすればいいというのであった。
「なるほど」と親方は答えた。「わたくしはただあなたがいかなる権力けんりょくによって、このご命令めいれいをお発しになったか、それさえ承知しょうちいたしますれば、さっそくおおせつけに服従ふくじゅういたしますことを、つつしんで誓言せいごんいたしまする」
 この日は巡査じゅんさ背中せなかを向けて行ってしまった。親方はぼうしを手に持ってこしを曲げたまま、にやにやしながら、はたいて退しりぞてきに向かって敬礼けいれいした。
 けれどその翌日よくじつも、巡査はまたやって来た。そうしてわたしたちの芝居小屋しばいごやかこいのなわをとびこえて、興行こうぎょうなかばにかけこんで来た。
「この犬どもに口輪くちわをはめんか」と、かれはあらあらしく親方に向かって言った。
「犬に口輪をはめろとおっしゃるのでございますか」
「それは法律ほうりつの命ずるところだ。きさまは知っているはずだ」
 このときはちょうど『下剤げざいをかけた病人』という芝居しばいをやっている最中さいちゅうでツールーズでははじめての狂言きょうげんなので、見物もいっしょうけんめいになっていた。
 それで巡査じゅんさ干渉かんしょうに対して、見物がこごとを言い始めた。
「じゃまをするない」
芝居しばいをさせろよ、おまわりさん」
 親方はそのときまず見物のさわぐのをとどめて、さて毛皮のぼうしをぬぎ、そのかざりの羽根はねが地面のすなと、すれすれになるほど、三度まで大げさなおじぎを巡査じゅんさに向かってした。
権力けんりょくを代表せられる令名れいめい高き閣下かっかは、わたくしの一座いちざ俳優はいゆうどもに、口輪くちわをはめろというご命令めいれいでございますか」
 とかれはたずねた。
「そうだ。それもさっそくするのだ」
「なに、カピ、ゼルビノ、ドルスに口輪くちわをはめろとおっしゃるか」親方は巡査じゅんさに向かって言うよりも、むしろ見物に対して聞こえよがしにさけんだ。「さてさてこれは皮肉なお考えですな。なぜと申せば、音に名高き大先生たるカピぎみが、鼻の先に口輪をかけておりましては、どうして不幸ふこうなるジョリクールが服すべき下剤げざいの調合を命ずることができましょう。物もあろうに口輪くちわなどとは、氏が医師いしたる職業しょくぎょうがふさわしからぬ道具であります」
 この演説えんぜつが見物をいっせいにわらわした。子どもたちの黄色い声に親たちのにごった声も交じった。親方はかっさいを受けると、いよいよ図に乗ってべんつづけた。
「さてまたかの美しき看護婦かんごふドルスじょうにいたしましても、ここに権力けんりょく残酷ざんこくなる命令めいれいを実行いたしましたあかつきには、いかにしてあの巧妙こうみょうなる弁舌べんぜつをもって、病人にすすめてよくその苦痛くつうやわらぐる下剤げざいを服用させることができましょうや。賢明けんめいなる観客諸君かんきゃくしょくんのご判断はんだんをあおぎたてまつります」
 見物人の拍手はくしゅかっさいとわらごえで、しかしその答えはじゅうぶんであった。みんなは親方に賛成さんせいして巡査じゅんさ嘲弄ちょうろうした。とりわけジョリクールがかげでしかめっつらをするのをおもしろがっていた。このさるは『権力けんりょくが代表せられる令名れいめい高き閣下かっか』の真後まうしろにをかまえてこっけいなしかめっ面をして見せていた。巡査じゅんさは両うでを組んで、それからまた放して、げんこつをこしに当てて、頭を後ろにらせていた。そのとおりをさるはやっていた。見物人らはおかしがって、きゃっきゃっと言っでいた。
 巡査はそのときふとなにをおもしろがっているのか見ようとして後ろをふり向いた。するとしばらくのあいださると人間とはたがいににらみ合わなければならなくなった。どちらが先に目をふせるか問題であった。
 群衆ぐんしゅうはおもしろがって金切り声を上げていた。
「きさまのいぬがあすも口輪くちわをしていなかったらすぐきさまを拘引こういんする。それだけを言いわたしておく」
「さようなら閣下かっか。ごきげんよろしゅう。いずれ明日」と親方は言って頭を下げた。
 巡査じゅんさが大またに出て行くと、親方はこしをほとんど地べたにつくほどに曲げて、からかいづら敬礼けいれいしていた。そして芝居しばいつづけてえんぜられた。
 わたしは親方が犬の口輪くちわを買うかと思っていたけれども、かれはまるでそんな様子はなかった。そのばんは巡査とけんかをしたことについては一ごんの話もなしにぎた。
 わたしはとうとうがまんがしきれなくなって、こちらからきりだした。
「あしたもしカピが芝居しばい最中さいちゅうに、口輪くちわを食い切るようなことがあるといけませんから、まえからそれをはめておいてらしてやらないでもいいでしょうか。わたしたちはカピによくはめているように教えこむことができるでしょう」
「おまえはあれらの小さな鼻の上にそんな物をのせたいとわたしが思っているというのか」
「でも巡査じゅんさがやかましく言いますから」
「おまえはんのいなかの子どもだな。百姓ひゃくしょうらしくおまえは巡査をこわがっているのか。心配するなよ。わたしはあしたうまい具合に取り計らって、巡査がわたしをつかまえることのできないようにするし、そのうえ犬がふゆかいな目に会わないようにしてやるつもりだ。それに見物も少しはうれしがるだろう。この巡査じゅんさはおかげでわたしたちによけいな金もうけをさせてくれることになるだろう。おまけにあいつは、わたしがあいつのためにしくんでおいた芝居しばい道化役どうけやくえんじることになるだろう。さてあしたは、おまえはあそこへジョリクールだけをれて行くのだ。おまえはなわりをして、ハーブで二、三回ひくのだ。やがておおぜい見物が集まって来れば、巡査じゅんさめさっそくやって来るだろう。そこへわたしは犬をれてあらわれることにする。それから茶番が始まるのだ」
 わたしはそのあくる日一人で行きたいことは少しもなかったけれども、親方の言うことには服従ふくじゅうしなければならないと思った。
 さてわたしはいつもの場所へ出かけて、かこいのなわを回してしまうと、さっそく曲をひき始めた。見物はぞろぞろほうぼうから集まって来て、なわりの外にむらがった。
 このごろではわたしもハープをひくことをおぼえたし、なかなかじょうずに歌も歌った。とりわけわたしはナポリ小唄こうたおぼえて、それがいつも大かっさいをはくした。けれどもきょうだけは見物がわたしの歌をほめるために来たのでないことはわかっていた。
 きのう巡査じゅんさとの争論そうろんを見物した人たちはのこらず出て来たし、おまけに友だちまでって来た。いったいツールーズの土地でも巡査はきらわれ者になっていた。それで公衆こうしゅうはあのイタリア人のじいさんがどんなふうにやるか。「閣下かっか、いずれ明日」と言ったてぜりふの意味がなんであったか、それを知りたがっていたのである。
 それで見物の中には、わたしがジョリクールと二人だけなのを見て、わたしの歌っている最中さいちゅう口を入れて、イタリアのじいさんは来るのかと言ってたずねる者もあった。
 わたしはうなずいた。
 親方は来ないで、先に巡査じゅんさがやって来た。ジョリクールがまっ先にかれを見つけた。
 かれはさっそくげんこつをこしの上に当てて、こっけいないばりくさった様子で、大またに歩き回った。群衆ぐんしゅうはかれの道化芝居どうけしばいをおかしがって手をたたいた。
 巡査はこわい目つきをしてわたしをにらみつけた。
 いったいこの結末けつまつはどうなるだろう。わたしは少し心配になってきた。ヴィタリス親方がいてくれれば、巡査じゅんさに答えることもできよう。巡査がわたしに立ちのけと命令めいれいしたら、わたしはなんと言えばいいのだ。
 巡査じゅんさはなわりの外を行ったり来たりしていた。それもわたしのそばを通るときには、なんだかかたごしにわたしをにらみつけるようにした。それでいよいよわたしは気が気でなかった。
 ジョリクールは事件じけんの重大なことを理解りかいしなかった。そこでおもしろ半分なわりの中で巡査じゅんさとならんで歩きながら、その一挙一動いっきょいちどうを身ぶりおかしくまねていた。おまけにわたしのそばを通るときには、やはり巡査のするように首を曲げて、かたごしににらみつけた。その様子がいかにもこっけいなので、見物はなおのことどっとわらった。
 わたしはあんまりやりすぎると思ったから、ジョリクールをせた。けれどもかれはとても言うことを聞くどころではなかった。わたしがつかまえようとすると、ちょろちょろにげ出して、す早く身をかわしては、相変あいかわらずとことこ歩いていた。
 どうしてそんなことになったかわからなかったが、たぶん巡査じゅんさはあんまりはらを立てて気がちがったのであろう。なんでもわたしがさるをけしかけているように思ったとみえて、いきなりなわりの中へとびこんで来た。
 と思うまにかれはとびかかって来て、ただ一打ちでわたしを地べたの上にたたきたおした。
 わたしが目を開いて起き上がろうとすると、ヴィタリス老人ろうじんはどこからとび出して来たものか、もうそこに立っていた。かれはちょうど巡査じゅんさのうでをおさえたところであった。
「わたしはあなたがその子どもを打つことを止めます。なんというひきょうなまねをなさるのです」とかれはさけんだ。
 しばらくのあいだ二人の人間はにらみ合って立っていた。
 巡査じゅんさはおこってむらさき色になっていた。
 親方はどうどうとした様子であった、かれはれいの美しいしらが頭をまっすぐに上げて、その顔には憤慨ふんがい威圧いあつ表情ひょうじょうがうかべていた。その顔つきを見ただけで巡査を地の下にもぐりこませるにはじゅうぶんであった。
 けれどもかれはどうして、そんなことはしなかった。かれは両うでを広げて親方ののど首をつかまえて、乱暴らんぼうに前へおし出した。
 ヴィタリス親方はよろよろとしてたおれかけたが、す早く立ち直って、平手で巡査のうで首を打った。
 親方はがんじょうな人ではあったが、なんといっても老人ろうじんであった。巡査じゅんさのほうは年も若いし、もっとがんじょうであった。このけんかがどうなるか、長くは取っ組めまいと、わたしははらはらしていた。
 けれども取っ組むまでにはならなかった。
「あなたはどうしようというのです」
「わたしといっしょに来い」と巡査じゅんさは言った。「拘引こういんするのだ」
「なぜあの子を打ったのです」と親方は質問しつもんした。
「よけいなことを言うな。ついて来い」
 親方は返事をしないで、わたしのほうをふり向いた。
宿屋やどやへ帰っておいで」とかれは言った。「犬といっしょに待っておいで。あとで口上こうじょうで言ってこすから(ことずてをするから)」
 かれはそのうえもうなにも言う機会きかいがなかった。巡査じゅんさはかれを引きずって行った。
 こんなふうにして、親方が余興よきょうにしくんだ狂言きょうげんはあっけなく結末けつまつがついた。
 犬たちははじめ主人のあとについて行こうとしたけれども、わたしがび返すと、服従ふくじゅうらされているので、かれらはわたしのほうへもどって来た。気をつけてみるとかれらは口輪くちわをはめていた。けれどもそれはふつうの金あみや金輪かなわではなくって、ただ細い絹糸きぬいとを二、三本、鼻の回りにむすびつけて、あごの下にふさをらしてあった。白いカピは赤い糸をむすんでいた。黒いゼルビノは白い糸を結んでいた。そうしてねずみ色のドルスは水色の糸を結んでいた。気のどくな親方はこんなふうにして、いかめしい権力けんりょく命令めいれいぎゃく喜劇きげきたね利用りようしようとしていたのである。
 群衆ぐんしゅうはさっそくってしまった。二、三人ひまじんのこっていまの事件じけんろんじ合っていた。
「あのじいさんがもっともだよ」
「いや、あの男がまちがっている」
「なんだって巡査じゅんさは子どもを打ったのだ。子どもはなにもしやしなかった。ひと言だって口をききはしなかった」
「とんだ災難さいなんさ。巡査に反抗はんこうしたことを証明しょうめいすれば、あのじいさんは刑務所けいむしょへやられるだろう、きっと」
 わたしはがっかりして宿屋やどやへ帰った。
 わたしはこのころでは毎日だんだんと親方がきになっていた。わたしたちは朝からばんまでいっしょにくらしてきた。どうかすると夜から朝までも同じわらのねどこにねむっていた。どんな父親だって、かれがわたしに見せたようなとどいた注意をその子どもに見せることはできなかった。かれはわたしに字を読むことも、計算することも教えてくれたし、歌を歌うことも教えてくれた。長い流浪るろうの旅のあいだに、かれはこのことあのことといろいろにしこんでくれた。たいへん寒い日には、毛布もうふを半分わけてくれたし、暑い日にはいつもわたしの代わりに荷物をかついでくれた。それから食事のときでもかれはけっして、自分がいい所を食べて悪い所をわたしにくれるというようなことはしなかった。それどころか、かれはいい所も悪い所も同じように分けてくれた。なるほどときどきはわたしがいやなほど、ひどく乱暴らんぼうに耳をることもあったけれど、わたしに過失かしつがあれば、それもしかたがなかった。一ごんで言えばわたしはかれをあいしていたし、かれはわたしを愛していた。
 だからこのわかれはわたしにはなによりつらいことであった。
 いつまたいっしょになれるだろうか。
 いったいどのくらい牢屋ろうやへ入れておくつもりなのだろう。
 そのあいだわたしはどうしたらいいだろう。どうして生きてゆこう。
 ヴィタリス親方はいつもからだにかねをつけている習慣しゅうかんであった。それがられて行くときになにもわたしにいて行くひまがなかった。
 わたしはかくしに五、六スーしか持っていなかった。それだけでジョリクールと犬とわたしの食べるだけの物が買えようか。
 わたしはそれから二日のあいだ、宿屋やどやから外へ出る気にもならずに、ぼんやりくらしてしまった。さるも犬もやはりすっかりしょげきっていた。
 やっとのことで三日目に一人の男が親方の手紙をとどけて来た。その手紙によると、親方はこのつぎの土曜日に、警察権けいさつけん反抗はんこうし、かつ巡査じゅんさに手向かいをしたとが裁判さいばんを受けるはずになっていた。
「わたしがかんしゃくを起こしたのは悪かった」と手紙に書いてあった。「とんだ災難さいなんまねいたがいまさらいたしかたもない。裁判所さいばんしょへ来てごらん、教訓きょうくんになることがあるであろう」
 こういって、それからなお二、三の注意を書きそえて、自分に代わって犬やさるたちをかわいがってくれるようにと書いてあった。
 わたしが手紙を読んでいるあいだ、カピがわたしの両足の間にはいって、鼻を手紙にこすりつけて、くんくんやっていた。かれがをふる具合で、わたしはかれがこの手紙が主人から来たことを知っていると思った。この三日のあいだにかれが少しでもうれしそうな様子を見せたのはこれがはじめてであった。
 わたしは土曜日の朝早く裁判所さいばんしょに行って、いの一番に傍聴席ぼうちょうせきにはいった。巡査じゅんさとのけんかを目撃もくげきした人たちの多くがやはり来ていた。わたしは裁判所に出るのがなんだかこわかったので、大きなストーブのかげにはいってかべにくっついて、できるだけ小さくからだをちぢめていた。
 どろぼうをして拘引こういんされた男や、けんかをしてつかまった男がはじめに裁判さいばんを受けた。弁護人べんごにん無罪むざいっていたけれど、それはみんな有罪ゆうざい宣告せんこくされた。
 いちばんおしまいに親方が引き出された。かれは二人の憲兵けんぺいの間にはさまってこしかけにかけていた。
 はじめにかれがなにを言ったか、人びとがかれになにをたずねたか、わたしはひじょうに興奮こうふんしきっていたのでよくわからなかった。
 わたしはただじっと親方を見ていた。
 かれはしらが頭を後ろにらせて、まっすぐに立っていた。かれははじて苦んでいるように見えた。裁判官さいばんかん尋問じんもんを始めた。
「おまえは、おまえを拘引こういんしようとした警官けいかんを何回も打ったことを承認しょうにんするか」と、裁判官は言った。
「何回も打ちはいたしません、閣下かっか」と親方は言った。「わたしはただ一度手を上げました。わたくしはいつもの演芸えんげいをいたしまする場所にまいりますと、ちょうど警官がわたくしのれています子どもを地の上に打ちたおすところを見たのでございます」
「その子はおまえの子ではないだろう」
「はい、しかしわたくしの実子同様にかわいがっております。それで警官けいかんがかれを打ちますところを見て、わたしはかっととりのぼせまして、警官が打とうとする手をおさえました」
「おまえは警官を打ったろう」
警官けいかんがわたくしに向かって手をあげましたから、わたくしはもはや警官としてではない、通常の人としてこれに向かってのであります。まったくいかりに乗じた結果けっかであります」
「おまえぐらいの年輩ねんぱいでいかりに乗ずるということはないはずだ」
「そうです。そういうはずはないのですが、人はおうおう不幸ふこうにして過失かしつにおちいりやすいのです」
 巡査じゅんさはそれから自分の言い分を申し立てた。それは打たれたことよりも、より多く自分が嘲弄ちょうろう(あざける)された事実についてであった。
 親方の目はそのあいだ部屋へやの中をさがすようであった。それはわたしがいるかどうか探しているのだということがわかっていたから、わたしは思い切ってかくれ場所からとび出して、おおぜいの中をおし分けながら、前へ出て、いちばん前の列の、かれのせきに近い所へ出た。かれのさびしい顔はわたしを見るとかがやきだした。わたしの目にもなみだがあふれ出した。
 まもなく裁判さいばんは決まった。かれは二か月の禁固きんこと、百フランの罰金ばっきんしょせられることになった。
 ああ、二か月の禁固きんこ
 ドアは開かれた。なみだにぬれた目の中からわたしは、かれが憲兵けんぺいのあとからついて行くのを見た。ドアはその後ろからばたんとざされた。ああ、二か月のわかれ。
 どこへわたしは行こう。


 

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