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家なき子(いえなきこ)01
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読み書きのけいこ
ヴィタリス親方の小さな役者の一座は、どうしてなかなかたっしゃぞろいにはちがいなかったが、その曲目はそうたくさんはなかったから、長く同じ町にいることはできなかった。 ユッセルに着いて三日目には、また旅に出ることになった。 今度はどこへ行くのだろう。 わたしはもう大胆になって、こう質問を親方に発してみた。 「おまえはこのへんのことを知っているか」と、かれはわたしの顔を見ながら言った。 「いいえ」 「じゃあなぜ、どこへ行くと言って聞くのだ」 「知りたいと思って」 「なにを知りたいのだ」 わたしはなんと答えていいかわからないので、だまっていた。 「おまえは本を読むことを知っているか」 かれはしばらく考え深そうにわたしの顔を見て、こうたずねた。 「いいえ」 「本にはこれからわたしたちが旅をして行く土地の名やむかしあったいろいろなことが書いてある。一度もそこへ来たことがなくっても、本を読めばまえから知ることができる。これから道みち教えてあげよう。それはおもしろいお話を聞かせてもらうようなものだ」 わたしはまるっきりものを知らずに育った。もっともたったひと月村の学校に行ったことがあった。けれどその月じゅうわたしは一度も本を手に持ったことはなかった。わたしがここに話をしている時代には、フランスに学校のあることをじまんにしない村がたくさんあった。よし学校の先生のいる所でも、その人はなんにも知らないか、さもなければなにかほかに仕事があって、預った子どもの世話をろくろくしない者が多かった。 わたしたちの村の学校の先生がやはりそれであった。それは先生がものを知らないというのではないが、わたしが学校に行っているひと月じゅうかれはただの一課をすら教えなかった。かれはほかにすることがあった。その先生は商売がくつ屋であった。いやだれもそこから皮のくつを買う者がなかったから、ほんとうは木ぐつ屋だと言ったほうがいい。かれは一日こしかけにこしをかけて木ぐつにするけやきやくるみの木をけずっていた。そういうわけでわたしはなにも学校では教わらなかったし、ABCをすら教わらなかった。 「本を読むってむずかしいことでしょうか」 わたしはしばらく考えながら歩いて、こう聞いた。 「頭のにぶい者にはむずかしいが、それよりも習いたい気のない者にはもっとむずかしい。おまえの頭はにぶいかな」 「ぼくは知りません。けれども教えてくだされば習いたいと思います」 「よしよし、考えてみよう。まあ、ゆっくり教えてあげよう。たっぷりひまはあるからね」 たっぷりひまがあるからゆっくりやろう。なぜすぐに始めないのだろう。わたしは本を読むことを習うのがどんなにむずかしいか知らなかった。もう本を開ければすぐに中に書いてあることがわかるように思っていた。 そのあくる日歩いて行くとちゅう、親方はこしをかがめて、ほこりをかぶった板きれを拾い上げた。 「はら、これがおまえの習う本だ」とかれは言った。 なにこの板きれが本だとは。わたしはじょうだんを言っているのだろうと思って、かれの顔を見た。けれどかれはいっこうにまじめな顔をしていた。わたしは木ぎれをじっと見た。 それはうでぐらい長さがあって、両手をならべたくらいはばがあった。そのうえには字も絵も書いてはなかった。 わたしはからかわれるような気がした。 「あすこの木のかげへ行って休んでからにしよう。そこでどういうふうにわたしがこれを使って、本を読むことを教えるか、話してあげよう」と親方は言って、わたしのびっくりしたような顔を笑いながら見た。 わたしたちは木のかげへ来ると、背嚢を地べたに下ろして、そろそろひなぎくのさいている青草の上にすわった。ジョリクールはくさりを解いてもらったので、さっそく木の上にかけ上がって、くるみを落とすときのように、こちらのえだからあちらのえだをゆすぶってさわいでいた。犬たちはくたびれて回りに丸くなっていた。 親方はかくしからナイフを出して、いまの板きれの両側をけずって、同じ大きさの小板を十二本こしらえた。 「わたしはこの一本一本の板に一つずつの字をほってあげる」とかれはわたしの顔を見ながら言った。わたしはじっとかれから目を放さなかった。「おまえはこの字を形で覚えるのだ。それを一目見てなんだということがわかれば、それをいろいろに組み合わせてことばにするけいこをするのだ。ことばが読めるようになれば、本を習うことができるのだ」 やがてわたしのかくしはその小さな木ぎれでいっぱいになった。それでABCの字を覚えるのにひまはかからなかったけれども、読むことを覚えるのは別の仕事であった。なかなか早くはいかないので、ときにはなぜこんなものを教わりたいと言いだしたかと思って、後悔した。でもこれは、わたしがなまけ者でもなく、負けおしみが強かったからである。 わたしに字を教えながら親方は、それをいっしょにカピにも教えてみようかと思い立った。犬は時計から時間を探し出すことを覚えたくらいだから、文字を覚えられないことはなかった。それでカピとわたしは同級生になって、いっしょにけいこを始めた。犬はもちろん口で言えないから、木ぎれが残らず草の上にまき散らされると、かれは前足で、言われた文字をその中から拾い出して来なければならなかった。 はじめはわたしもカピよりはずっと進歩が早かった。けれどわたしは理解こそ早かったが、物覚えは、犬のほうがよかった。犬は一度物を教わると、いつもそれを覚えて忘れることがなかった。わたしがまちがうと親方はこう言うのである。 「カピのはうが先に読むことを覚えるよ、ルミ」 そう言うとカピはわかったらしく、得意になってしっぽをふった。 そこでわたしはくやしくなって気を入れて勉強した。それで犬がやっと自分の名前の四つの字を拾い出してつづることしかできないのに、わたしはとうとう本を読むことを覚えた。 「さて、おまえはことばを読むことは覚えたが、どうだね、今度は譜を読むことを覚えては」と親方が言った。 「譜を読むことを覚えると、あなたのように歌が歌えますか」とわたしは聞いた。 「ああ。そうするとおまえもわたしのように歌が歌いたいと思うのかい」と親方が答えた。 「とてもそんなによくはできそうもないと思いますけれども、少しは歌いたいと思います」 「じゃあわたしが歌を歌うのを聞くのは好きかい」 「ええ、わたしは、なによりそれが好きです。それはうぐいすの歌よりずっと好きです。けれどもまるでうぐいすの歌とはちがいますね。あなたが歌っておいでになると、ぼくは歌のとおりに泣きたくなることもあるし、笑いたくなることもあります。ばかだと思わないでください。あなたが静かにさびしい歌をお歌いになると、わたしはまたバルブレンのおっかあの所へ帰ったような気がするのです。目をふさいで聞いていると、またうちにいるおっかあの姿が目にうかびますけれども、歌はイタリア語だからわかりません」 わたしはあお向いてかれを見た。かれの目にはなみだがあふれていた。そのときわたしはことばを切って、 「気にさわったのですか」とたずねた。 かれは声をふるわせながら言った。「いいや、気にさわるなんということはないよ。それどころかおまえは、わたしを遠い子どもだったむかしにもどしてくれた。そうだ、ルミや、わたしは歌を教えてあげよう。そうしておまえは情け深いたちだから、やはりその歌で人を泣かせることもできるし、人にほめられるようにもなるだろう」 かれは言いかけてふとやめた。わたしはかれがそのとき、そのうえに言うことを好まないらしいのがわかった。わたしにはかれがそんなに悲しく思うわけがわからなかった。でもあとになって、それはある悲しい事情から初めてわかった。いずれわたしの話の進んだとき、それを言うおりがあるであるう。 そのあくる日、かれは小さく木を切って文字を作ったと同様に音譜をこしらえた。 音譜はABCより入りくんでいた。今度は習うのにもいっそう骨も折れたし、たいくつでもあった。あれほど犬に対してしんぼうのいい親方も、一度ならずわたしにはかんにんの緒を切ったこともあった。かれはさけんだ。 「畜生に対しては、かわいそうな、口のきけないものだと思ってがまんするけれど、おまえではまったく気ちがいにさせられる」と、こうかれは言って、芝居のように両手を空に上げて、急にまた下に下ろして、はげしくももを打った。 自分がおもしろいと思うと、まねをしてはおもしろがっているジョリクールは、今度も主人の身ぶりをまねていた。毎日わたしのけいこのときに、さるはいつもそばにいるので、わたしがつかえでもすると、そのたんびにがっかりした様子をして、かれが両うでを空に上げて、また下に下ろしては、ももを打つところを見ると、わたしはしょげずにはいられなかった。 「ご覧、ジョリクールまでが、おまえをばかにしている」と親方がさけんだ。 わたしが思い切った子なら、さるがばかにしているのは生徒ばかりではなく、先生までもばかにしているのだと言ってやりたかった。けれども失礼だと思ったし、こわさもこわいのでえんりょして、心のうちでそう思うだけで満足した。 とうとう何週間もけいこを続けて、わたしは親方が書いた紙から、曲を読むことができるようになった。もう親方も、両手を空に上げなかった。それどころかかえって、歌うたんびにほめてくれて、この調子でたゆまずやってゆけば、きっとえらい歌うたいになれると言ってくれた。 むろんこれだけのけいこが一日でできあがるはずはなかった。何週間のあいだ何か月のあいだ、わたしのかくしはいつも小さな木ぎれで、いっぱいになっていた。 しかし、わたしの課業は学校にはいっている子どものそれのように、規則正しいものではなかった。親方が課業を授けてくれるのは、そのひまな時間だけであった。 毎日決まった道のりだけは歩いて行かなければならなかった。もっともその道のりは村と村との間が遠いか近いか、それによって長くもなり短くもなった。いくらかでも、収入のある機会を見つけしだい、そこで止まって芝居をうたなければならなかった。犬たちやジョリクール氏に役々の復習をもさせなければならなかった。朝飯も昼飯もてんでんに自分で用意しなければならなかった。読書なり音楽なりの仕事は、つまりそういうもののすんだあとのことであった。まあいちばんよく教えてもちったのは、休憩の時間で、木の根かたや、小砂利の山の上や、または芝生なり、道ばたの草の上が、みんなわたしの木ぎれをならべる机が代わりになった。 この教育法はふつうの子どもの受けるそれとは、少しも似たところがなかった。ふつうの子どもなら、ただ勉強するほかに仕事はないし、それでもかれらはしじゅうあたえられた宿題をやる時間がないといって、ぶつぶつ言うのである。 けれど、勉強に使う時間のあるなしよりも、もっとたいせつなものがあった。それはその仕事に専念するということであった。授かった課業を覚えるのは、覚えるために費される時間ではなくって、それは覚えたいと思う熱心であった。 幸いにわたしは、ぐるりに起こる出来事に心をうばわれることなしに、むちゅうに勉強のできるたちであった。もしそのじぶんわたしが、部屋の中に閉じこもって、両手で耳をふさいで、目を本にはりつけたようにしているのでなければ、勉強のできない生徒のようであったら、わたしになにができたろう、なにもできはしない。なぜというに、わたしには、閉じこもる部屋もなかった。往来に沿って前へ前へと進みながら、ときどきもうつまずいてたおれそうになるほど痛い足の先を、見つめ見つめしてゆかなければならなかった。 だんだんわたしはおかげでいろんなことを覚えた。と同時に親方の授けてくれた課業以上に有益な長い旅行をした。わたしがバルブレンのおっかあの所にいたじぶんには、ごくやせっぽちな子どもであった。みんながわたしを見て言ったことばで、その様子はよくわかる。「町の子どもだ」と、バルブレンは言ったし、「ひどくひょろひょろした手足の子だ」と親方は言った。 ところが親方のあとについて、広い青空の下に困難な生活を続けているあいだに、わたしの手足は強くなり、肺臓は発達し、皮膚は厚くなり、ちょうどかぶとをかぶったように寒さをも暑さをもしのぐことができるようになった。 こうして、このつらいお弟子修業のおかげで、わたしは少年時代に、たいていの困難に打ち勝ってゆく力を養うことのできたのは、あとで思えばひじょうな幸福であった。
山こえて谷こえて
わたしたちはフランスの中央の一部、たとえばローヴェルニュ、ル・ヴレー、ル・リヴァレー、ル・ケルシー、ル・ルーエルグ、レ・セヴェンネ、ル・ラングドックというような土地土地をめぐって歩いた。 わたしたちの流行はしごく簡単であった。どこでもかまわずまっすぐに出かけて行って、あまりびんぼうでない町だと見ると、まず行列を作る用意を始めて、犬たちに着物を着せかえてやり、ドルスの髪にくしを入れてやる。カピが老兵の役をやっているときは、目の上に包帯をしてやる。最後にいやがるジョリクールに大将の軍服を着せる。これがなによりいちばんやっかいな仕事であった。なぜというにこのさるは、これが仕事にかかるまえぶれだということを知りすぎるほど知っていて、なんでも着物を着させまいとするために、それはおかしな芸当を考え出すのであった。そこでわたしはしかたがないからカピを加勢に呼んで来て、二人がかりでどうやらこうやらおさえつけて、言うことを聞かせるのであった。 さて一座残らずの仕度ができあがると、ヴィタリス親方は例のふえでマーチをふきながら村の中へはいって行く。 そこでわれわれのあとからついて来る群衆の数が相応になると、さっそく演芸を始めるが、ほんの二、三人気まぐれな冷やかしのお客だけだとみると、わざわざ足を止める値打ちもないので、かまわずずんずん進んで行く。 一つの町に五、六日も続けて滞留いているようなときには、カピがついていさえすれば、親方はわたしを一人手放して外へ出してくれた。親方はつまりわたしをカピに預けたのである。 「おまえは同じ年ごろの子どもがたいがい学校に行っている時代に、ひょんなことからフランスの国じゅうを歩く回り合わせになっているのだ」と親方はあるときわたしに言った。「だから学校へ行く代わりに、自分で目を開いて、よくものを見て覚えるのだ。見てわからないものがあったら、かまわずにわたしに質問するがいい。わたしだってなんでも知っているわけではないが、一とおりおまえの知りたい心を満足させるだけのことはできるだろう。わたしもいまのような人間でばかりはなかった。かなりむかしはいろいろほかの気のきいたことも知っていた」 「どんなことを」 「それはまたいつか話そうよ。ただまあ、むかしから犬やさるの見世物師でもなかったことだけ知ってもらえばよい。なんでも人間は心がけしだいで、いちばん低い位置からどんなにも高い位置に上ることができる。これも覚えていてもらいたい。それでおまえが大きくなったとき、どうかまあ、気のどくな旅の音楽師が自分を養い親の手から引きさらって行ったときには、つらくもこわくも思ったようなものも、つまりそれがよかったのだと思って、喜んでくれるときがあればいいと思うのだ。まあ、こうして境遇の変わるのが、つまりはおまえのために悪くはないかもしれないのだからな」 いったいこの親方はもとはなんであったろう、わたしは知りたいと思った。 さてわたしたちはだんだんめぐりめぐって行って、ローヴェルニュからケルシーの高原にはいった。これはおそろしくだだっ広くってあれていた。小山が波のようにうねっていて、開けた土地もなければ、大きな樹木もなかったし、人通りはごく少なかった。小川もなければ池もない。所どころ水がかれきって、石ばかりの谷川が目にはいるだけであった。その原っぱのまん中にバスチード・ミュラーという小さな村があった。わたしたちはこの村のある宿屋の物置きに一夜を過ごした。 「そうだ、この村だったよ」とヴィタリス親方が言った。「しかもこの同じ宿屋だったかもしれないが、のちに何万という軍勢を率いる大将がここで生まれたのだ。初めはうまやのこぞうから身を起こして、公爵がなり、のちには王さまになった。名前をミュラーと言った。みんながその人を英雄と呼んで、この村をもその名前で呼ぶことになった。わたしはその男を知っていた。たびたびいっしょに話をしたこともあった」 わたしもさすがにことばをはさまずにはいられなかった。 「うまやのこぞうだったときにですか」 「いいや」と親方は笑いながら答えた。「もう王さまだったじぶんにだよ。今度初めてわたしはこの地方にやって来たのだ。わたしはその男が王さまだったナポリの宮殿で知り合いになったのだ」 「あなたは王さまと知り合いなのですか」 わたしのこういった調子は少しこっけいであったとみえて、親方はさもゆかいそうに笑いだした。 わたしたちはうまやの戸の前のこしかけにこしをかけて、昼間の太陽のぬくもりのまだ残っているかべに背中をおしつけていた。われわれの頭の上におっかぶさっている大きないちじくの木の中で夕ぜみが鳴いていた。母屋の屋根の上には、いま出たばかりの満月が静かに青空に上がっていた。その日は昼間こげるように暑かったので、それがいっそう心持ちよく思われた。 「おまえ、とこにはいりたいか」と親方はたずねた。「それともミュラー王の話でもしてもらいたいと思うか」 「ああ、どうぞそのお話をしてください」 そこで親方はわたしとこしかけの上にいるあいだ、長物語をしてくれた。親方が話をしているうちに、だんだん青白い月の光がななめにさしこんできた。わたしはむちゅうになって耳を立てた。両方の目をすえてじっと親方の顔を見ていた。 わたしはまえにこんなむかし物語などを聞いたことがなかった。だれがそんな話をして聞かせよう。バルブレンのおっかあはとても話すわけがない。かの女はそんな話は少しも知らなかった。かの女はシャヴァノンで生まれて、たぶんはそこで死ぬのだろう。かの女の心は目で見るかぎりをこえて先へは行かなかった。それもアンドゥーズ山の頂から見晴らす地平線上に限られていた。 わたしの親方は王さまに会ったことがある。その王さまはかれと話をした。いったいこの親方は若いときなんであったろう。それがどうしてこの年になって、いまのような身の上になったのだろう…… わたしの、活発に鋭敏に働く幼い想像と好奇心は、この一つのことにばかり働いた。
七里ぐつをはいた大男
南部地方の高原のかわききった土地をはなれてのち、わたしたちは、いつも青あおとした谷間の道を通って、旅を続けた。これはドルドーニュ川の谷で、わたしたちは毎日少しずつこの谷を下りて行った。なにしろこの地方は土地が豊かで、住民も従って富貴であったから、わたしたちの興行の度数もしぜん多くなり、例のカピのおぼんの中へもなかなかたくさんのお金が投げこまれた。 ふと空中に、ふうわりとちょうど霧の中にくもの糸でつり下げられたように、橋が一つ、大きな川の上にかかっていた。川はその下にごくおだやかに流れていた――これはキュブザックの橋で、川はドルドーニュ川であった。 あれた町が一つ、そこには古いおほりもあり、岩屋もあり、塔もあった。修道院のあれたへいの中には、せみが雑木の中で、そこここに止まって鳴いていた――これはセンテミリオン寺であった。 けれどそれもこれもみんなわたしの記憶の中でこんがらがって、ぼやけてしまっているが、そののちほどなく、ひじょうに強い印象をあたえた景色が現れた。それは今日でもありありと、全体のうきぼりがさながら目の前に現れるくらいあざやかであった。 わたしたちはあるごくびんぼうな村に一夜を明かして、あくる日夜の明けないうちから出発した。長いあいだわたしたちは、ほこりっぽい道を歩いて来て、両側にはしじゅうぶどう畑ばかりを見て来たのが、ふと、それはあたかも目をさえぎっていた窓かけがぱらりと落ちたように、眼界が自由に開けた。 大きな川が一つ、わたしたちのそのとき行き着いた丘のぐるりをゆるやかに流れていた。この川のはるか向こうに不規則にゆがんだ地平線までは、大都市の屋根や鐘楼が続いて散らばっていた。どれが家だろう。どれがえんとつだろう。中でいちばん高い、いちばん細いのが、五、六木、柱のように空につっ立って、そのてっぺんからまっ黒なけむりをふき出しては、風のなぶるままに、たなびいて、町の真上に黒いガスの雲をわかしていた。川の上には、ちょうど中ほどの河岸通りに沿って数知れない船が停泊して、林のようにならんだ帆柱や、帆づなや、それにいろいろの色の旗を風にばたばた言わせながらおし合いへし合いしていた。がんがんひびく銅や鉄の音やつちの音、そういう物音の中に、河岸通りをからから走って行くたくさんの車の音が交じって聞こえた。 「これがボルドーだ」と親方がわたしに言った。 わたしのような子どもにとっては――その年までせいぜいクルーズのびんぼう村か、道みち通って来たいくつかのちっぽけな町のほかに見たことのない子どもにとっては、これはおとぎ話の国であった。 なにを考えるともなく、わたしの足はしぜんと止まった。わたしはじっと立ち止まったまま、前のほうをながめたり、後ろのほうをながめたり、ただもうぼんやりそこらを見回していた。 しかし、ふとわたしの目は一点にとどまった。それは川の面をふさいでいるおびただしい船であった。 つまりそれはなんだかわけのわからない、ごたごたした活動であったが、それが自分でもはっきりつかむことのできない、ひじょうに強い興味をわたしの心にひき起こした。 いくそうかの船は帆をいっぱいに張って、一方にかたむきながら、ゆうゆうと川を下って行くと、こちらからは反対に上って行った。島のように動かずに止まっているものもあれば、どうして動いているかわからないで、くるくる回っている船もあった。最後にもう一つ、帆柱もなければ、帆もなしに、ただえんとつの口から黒いけむりのうずを空に巻きながら、黄ばんだ水の上に白いあわのあぜを作りながら、ずんずん走っているものもあった。 「ちょうどいまが満潮だ」と親方はこちらから問いかけもしないのに、わたしのおどろいた顔に答えて言った。 「長い航海から帰って来た船もある。ほら、ペンキがはげてさびついたようになっているだろう。あすこへは港をはなれて行く船がある。川のまん中にいる船が満潮にかじを向けるようなふうに、いかりの上でくるくる回っている。けむりの雲の中を走って行く船は引き船だ」 わたしにとってはなんということばであろう。なんという目新しい事実であろう。 わたしたちが、パスチードとボルドーを通じている橋の所へ来るまでに、親方はわたしが聞きたいと思った質問の百分の一に答えるだけのひまもなかった。 これまでわたしたちはけっしてとちゅうの町で長逗留をすることはなかった。なぜというに、しじゅう見物をかえる必要から、しぜん毎日興行の場所をも変えなければならなかった。それに『名高いヴィタリス親方の一座』の役者では、狂言の芸題をいろいろにかえてゆく自由がきかなかった。『ジョリクール氏の家来』『大将の死』『正義の勝利』『下剤をかけた病人』、そのほか三、四種の芝居をやってしまえば、もうおしまいであった。それで一座の役者の芸は種切れであった。そこでまた場所を変えて、まだ見ない見物の前で、これらの狂言を、相変わらず、『下剤をかけた病人』か、『正義の勝利』をやらなければならなかった。 しかし、ボルドーは大都会である。見物は容易に入れかわったし、場所さえ変えると毎日三、四回の興行をすることができた。それでもカオールに行ったときのように、『いつでも同じことばかりだ』とどなられるようなことはなかった。 ボルドーを打ち上げてから、わたしたちはポーへ行かなければならなかった。そのとちゅうでは大きなさばくをこえなければならなかった。さばくはボルドーの町の門からピレネーの連山まで続いていて、『ランド』という名で呼ばれていた。 もうわたしもおとぎ話にある若いはつかねずみのように、見るもの聞くものが驚嘆や恐怖の種になるというようなことはなかった。それでもわたしはこの旅行の初めから、親方を笑わせるような失敗を演じて、ポーに着くまで、そのためなぶられどおしになぶられるほかはなかった。 わたしたちは七、八日のちボルドーを出発した。ガロンヌ川沿岸の土地を回ったのち、ランゴンで川をはなれて、モン・ド・マルサンへ行く道をとった。その道はつま先下がりに下がっていった。もうぶどう畑もなければ、牧場もない。果樹園もない、ただまつと灌木の林があるだけであった。やがて人家もだんだん少なくなり、だんだんみすぼらしくなった。とうとうわたしたちは大きな高原のまん中にいた。所どころ高低はあっても、日の届くかぎり野原であった。畑地もなければ森もない、遠方から見るとただ一色のねずみ色の土地であった。道の両側がうす黒いこけや、しなびきった灌木や、いじけたえにしだでおおわれていた。 「わたしたちはランドの中に来たのだ」と親方が言った。「このさばくのまん中まで行くには二十里か二十五里(八十キロか百キロ)行かなければならない。しつかり足に元気をつけるのだぞ」 元気をつけなければならないのは足だけではなかった。頭にも、胸にも、元気をつけなければならなかった。なぜといって、もう終わる時のないように広いさばくの道を歩いて行くとき、だれでもばんやりして、わけのわからない悲しみと、がっかりしたような心持ちに胸がふさがるのであった。 そののちもわたしはたびたび海上の旅をしたが、いつも大洋のまん中で帆かげ一つ見えないとき、わたしはやはりこの無人の土地で感じたとおりの言いようもない悲しみを、また経験したことがあった。 大洋の中にいると同様に、わたしたちの日は遠い秋霧の中に消えている地平線まで届いていた。ひたすら広漠と単調が広がっている灰色の野のほかに、なにも目をさえぎるものがなかった。 わたしたちは歩き続けた。でも機械的にときどきぐるりと見回すと、やはりいつまでも同じ場所に立ち止まったまま、少しも進んでいないように思われた。目に見える景色はいつでも同じことであった。相変わらずの灌木、相変わらずのえにしだ、相変わらずのこけであった。風がふくとやわらかなわらびの葉がなよなよと動いて、まるで波の走るように高く低く走った。 ずいぶん長いあいだをおいて、たまさか、わたしたちはちょいとした森を通りぬけることがあったが、その森はふつうの森のように、とちゅうの興をそえるようなものではなかった。いつもまつの木の森で、そのえだはこずえまで風に打ち落とされていた。幹に長く、深い傷がえぐれていた。その赤い傷口からすきとおったまつやにのなみだが流れ出していた。風が傷口からふきこむと、いかにも悲しそうな音楽を奏して、この気のどくなまつがみずから痛みをうったえる声のように聞かれた。 わたしたちは朝から歩き続けていた。親方は夜までにはどこかとまれる村に着くはずだと言っていた。けれど夜になっても、その村らしいものは見えなかったし、人家に近いことを知らせるけむりも上がらなかった。 わたしはくたびれたし、ねむたかった。わたしたちは前途はただ原っぱを見るだけであった。 親方もやはりくたびれていた。かれは足を止めて道ばたに休もうとした。 わたしはそれよりも、左手にあった小山に登って、村の火が見えるかどうか見たいと思った。 わたしはカピを呼んだが、カピもやはりくたびれていたので、呼んでも聞こえないふりをしていた。これはいつでも言うことを聞きたくないときにカピのやることであった。 「おまえ、こわいのか」とヴィタリスは言った。 この質問がすぐにわたしを奮発さして、一人で行く気を起こさせた。 夜はすっかり垂れまくを下ろした。月もなかった。空の上には星の光がうすもやの中にちらちらしていた。歩いて行くと、そこらのさまざまな物がぼんやりした光の中できみょうな幽霊じみた形をしているように見えた。野生のえにしだが、頭の上にぬっと高く延びて、まるでわたしのほうへ向かって来るように見えた。上へ登れば登るほどいばらや草むらはいよいよ深くなって、わたしの頭をこして、上でもつれ合っていた。ときどきわたしはその中をくぐってぬけて行かなければならなかった。 けれどわたしはぜひも頂上まで登らなければならないと決心した。でもやっとのこと登ってみれば、どちらを見ても明かりは見えなかった。ただもうきみょうな物の形と、大きな樹木が、いまにもわたしをつかもうとするようにうでを延ばしているだけであった。 わたしは耳を立てて、犬の声か、雌牛のうなり声でも聞こえはしないかと思ったが、ただもうしんと静まり返っていた。 どうかして聞き取ろうと思うから、耳をすませて、自分の立てる息の音さええんりょをして、わたしはしばらくじっと立っていた。 ふとわたしはぞくぞく身ぶるいがしだした。このさびしい、人気のない荒野原の静けさが、わたしをおびやかしたのであった。なんにわたしはおびえたのであったか、たぶんあまり静かなことが……夜が……とにかく言いようのない恐怖がわたしの心にのしかかるようにしたのであった。わたしの心臓は、まるでそこになにか危険がせまったようにどきついた。 わたしはこわごわあたりを見回した。するとそのとき、遠方に大きな姿をしたものが木の中で動いているのを見た。それといっしょにわたしは木のえだのがさがさいう音を聞いた。 わたしは無理に、それは自分の気の迷いだと思いこもうとした。きっとそれは木のえだか灌木のかげかなんぞだったのだ。 けれど、そのとき風は、木の葉を動かすほどの軽い風もふいてはいなかった。はげしい風でふかれるか、だれかがさわらないかぎり動くはずはなかったのである。 「だれかしら」 いや、この自分のほうを目ざしてやって来る大きな影法師が人間であるはずがなかった――わたしのまだ知らないなにかのけものか、またはおそろしい大きな夜鳥か、大きなばけぐもが木の上をとびこえて来るのだ。なんにしても確かなことは、この化け物はおそろしく長い足をしていて、ばかばかしく早く飛んで来るということであった。 それを見るとわたしはあわてて、あとをも見ずに、足に任せて小山をかけ下りて、ヴィタリスのいる所までにげようとした。 けれどきみょうなことに、登るときだけに早くわたしの足が進まなかった。わたしはいばらや、雑草のやぶの中に転がって、二足ごとにひっかかれた。 ちくちくするいばらの中からはい出して、わたしはふと後ろをふり向いてみた。怪物はいよいよ近くにせまっていた。もういまにも頭の上にとびかかりそうになっていた。 運よく野原はそういばらがなかったので、いままでよりは、早くかけだすことができた。 でもわたしがありったけの速力で、競争しても、その怪物はずんずん追いぬこうとしていた。もう後ろをふり返る必要はなかった。それがわたしのすぐ背中にせまっていることはわかっていた。 わたしは息もつけなかった。競争でつかれきっていた。ただはあすう、はあすう言っていた。しかし最後の大努力をやって、わたしは転げこむように親方の足もとにかけこんだ。三びきの犬はあわててはね起きて、大声でほえた。わたしはやっと二つのことばをくり返した。 「化け物が、化け物が」 犬たちのけたたましいほえ声よりも高く、はちきれそうな大笑いの声を聞いた。それと同時に親方は両手でわたしの肩をおさえて、無理に顔を後ろにふり向けた。 「おばかさん」とかれはさけんで、まだ笑いやめなかった。「まあよく見なさい」 そういうことばよりも、そのけたたましい笑い声がわたしを正気に返らせた。わたしは片目ずつ開けてみた。そうして親方の指さすほうをながめた。 あれほどわたしをおどかした怪物はもう動かなくなって、じつと往来に立ち止まっていた。 その姿を見ると、正直の話わたしはまたふるえだした。けれど今度はわたしも親方や犬たちのそばにいるのだ。草やぶのしげった中に独りぼっちいるのではなかった……わたしは思い切って目を上げて、じっとその姿を見つめた。 けものだろうか。 人だろうか。 人のようでもあって、胴はあるし、頭も両うでもあった。 けものらしくもある。けれどもかぶっていた毛むくじゃらな身の皮と、それをのせているらしい二本の長細いすねは、それらしい。 夜はいよいよ暗かったが、この黒い影法師は星明かりにはっきりと見えた。 わたしはしばらく、それがなんだかまだわからずにいたのであったが、親方はやがてその影法師に向かって話をしかけた。 「まだ村にはよほど遠いでしょうか」と、かれはていねいにたずねた。 話をしかけるところから見れば人間だったか。 だがそれは返事はしないで、ただ黙った。その笑い声は鳥の鳴き声めいていた。 するとけものかな。 主人はやはり問いを続けた。 こうなると、それが今度口をきいて返事をしたら、やはり人間にちがいなかった。 ところでわたしのびっくりしたことには、その怪物は、この近所には人家はないが、ひつじ小屋は一けんあるから、そこへ連れて行ってやろうと言った。 おやおや、口がきけるのに、なぜけものような前足があるのだろう。 わたしに勇気があったら、その男のそばへ行って、どんなふうに前足ができているか見て来るところであったろうが、わたしはまだ少しこわかった。そこで背嚢をしょい上げてひと言も言わずに親方のあとについて行った。 「これでおまえ、正体がわかったろう」と親方は言って、道みち歩きながらも笑っていた。 「でもぼくはまだなんだかわかりません。じやあこのへんには大男がいるのですか」 「そうさ。竹馬に乗っていれば大男にも見えるさ」 そこでかれはわたしに説明してくれた。砂地や沼沢か多いランド地方の人は、沼地を歩くとき水にぬれないように、竹馬に乗って歩くというのであった。なんてわたしはばかだったのであろう。 「これでこのへんの人が、七里ぐつをはいた大男になって、子どもをこわがらせたわけがわかったろうね」
裁判所
ポー市にはゆかいな記憶がある。そこは冬ほとんど風のふかない心持ちのいい休み場であった。 わたしたちはそこに冬じゅういた。金もずいぶんたくさん取れた。お客はたいてい子どもたちであったから、同じ演芸を何度も何度もくり返してやってもあきることがなかった。金持ちの子どもたちで、多くはイギリス人とアメリカ人の子どもであった。ぽちゃぽちゃとかわいらしく太った男の子、それに、大きな優しい、ドルスの目のような美しい目をした女の子たちであった。そういう子どもたちのおかげでわたしはアルバートだのハントリだのという菓子の味を覚えた。なぜというに子どもたちはいつでもかくしにいっぱいお菓子をつめこんで来ては、ジョリクールと犬とわたしに分けてくれたからであった。 けれども春が近くなるに従って、お客の数はだんだん少なくなった。芝居がすむと一人ずつまた二人ずつ、子どもたちはやって来て、ジョリクールとカピとドルスに握手をして行った。みんなさようならを言いに来たのであった。そこでわたしたちもまたなつかしい冬の休息所を見捨てて、またもや果て知れない漂泊の旅に出て行かなければならなかった。それはいく週間と知らない長いあいだ、谷間をぬけ山をこえた。いつもピレネー連山のむらさき色のみねを横に見た。それはうずたかくもり上がった雲のかたまりのように見えていた。 さてある晩わたしたちは川に沿った豊かな平野の中にある大きな町に着いた。赤れんがのみっともない家が多かった。とんがった小砂利をしきつめた往来が、一日十二マイル(約十九キロ)も歩いて来た旅行者の足をなやました。親方はわたしに、ここがツールーズの町だと言って、しばらくここに滞留するはずだと話した。 例によってそこに着いていちばん初めにすることは、あくる日の興行につごうのいい場所を探すことであった。 つごうのいい場所はけっして少なくはなかったが、とりわけ植物園の近傍(近所)のきれいな芝生には、大きな樹木が気持ちのいいかげを作っていて、そこへ広い並木道がほうぼうから集まっていた。その並木道の一つで第一回の興行がすることにした。すると初日からもう見物の山を築いた。 ところで不幸なことに、わたしたちが仕度をしているあいだ、巡査が一人そばに立っていて、わたしたちの仕事を不快らしい顔で見ていた。その巡査はおそらく犬がきらいであったか、あるいはそんな所にわれわれの近寄ることをふつごうと考えたのか、ひどくふきげんでわたしたちを追いはらおうとした。 追いはらわれるままにわたしたちはすなおに出て行けばよかったかもしれなかった。わたしたちは巡査にたてをつくほどの力はないのであったが、しかし親方はそうは思わなかった。 かれはたかが犬を連れていなかを興行いて回る見世物師の老人ではあったが、ひじょうに気位が高かったし、権利の思想をじゅうぶんに持っていたかれは、法律にも警察の規律にも背かないかぎりかえって警察から保護を受けなければならないはずだと考えた。 そこで巡査が立ちのいてくれと言うと、かれはそれを拒絶した。 もっとも親方はひじょうにていねいであった。親方があまりはげしくおこらないとき、または他人をすこし愚弄(ばかにする)しかけるときするくせで、まったくかれはそのイタリア風の慇懃(ばかていねい)を極端に用いていた。ただ聞いていると、かれはなにか高貴な有力な人物と応対しているように思われたかもしれなかった。 「権力を代表せられるところの閣下よ」とかれは言って、ぼうしをぬいでていねいに巡査におじぎをした。「閣下は果たして、右の権力より発動しまするところのご命令をもって、われわれごときあわれむべき旅芸人が、公園においていやしき技芸を演じますることを禁止せられようと言うのでございましょうか」 巡査の答えは、議論の必要はない、ただだまってわたしたちは服従すればいいというのであった。 「なるほど」と親方は答えた。「わたくしはただあなたがいかなる権力によって、このご命令をお発しになったか、それさえ承知いたしますれば、さっそくおおせつけに服従いたしますことを、つつしんで誓言いたしまする」 この日は巡査も背中を向けて行ってしまった。親方はぼうしを手に持ってこしを曲げたまま、にやにやしながら、旗を巻いて退く敵に向かって敬礼した。 けれどその翌日も、巡査はまたやって来た。そうしてわたしたちの芝居小屋の囲いのなわをとびこえて、興行なかばにかけこんで来た。 「この犬どもに口輪をはめんか」と、かれはあらあらしく親方に向かって言った。 「犬に口輪をはめろとおっしゃるのでございますか」 「それは法律の命ずるところだ。きさまは知っているはずだ」 このときはちょうど『下剤をかけた病人』という芝居をやっている最中でツールーズでは初めての狂言なので、見物もいっしょうけんめいになっていた。 それで巡査の干渉に対して、見物がこごとを言い始めた。 「じゃまをするない」 「芝居をさせろよ、おまわりさん」 親方はそのときまず見物のさわぐのをとどめて、さて毛皮のぼうしをぬぎ、そのかざりの羽根が地面の砂と、すれすれになるほど、三度まで大げさなおじぎを巡査に向かってした。 「権力を代表せられる令名高き閣下は、わたくしの一座の俳優どもに、口輪をはめろというご命令でございますか」 とかれはたずねた。 「そうだ。それもさっそくするのだ」 「なに、カピ、ゼルビノ、ドルスに口輪をはめろとおっしゃるか」親方は巡査に向かって言うよりも、むしろ見物に対して聞こえよがしにさけんだ。「さてさてこれは皮肉なお考えですな。なぜと申せば、音に名高き大先生たるカピ君が、鼻の先に口輪をかけておりましては、どうして不幸なるジョリクール氏が服すべき下剤の調合を命ずることができましょう。物もあろうに口輪などとは、氏が医師たる職業がふさわしからぬ道具であります」 この演説が見物をいっせいに笑わした。子どもたちの黄色い声に親たちのにごった声も交じった。親方はかっさいを受けると、いよいよ図に乗って弁じ続けた。 「さてまたかの美しき看護婦ドルス嬢にいたしましても、ここに権力の残酷なる命令を実行いたしましたあかつきには、いかにしてあの巧妙なる弁舌をもって、病人に勧めてよくその苦痛を和ぐる下剤を服用させることができましょうや。賢明なる観客諸君のご判断をあおぎたてまつります」 見物人の拍手かっさいと笑い声で、しかしその答えはじゅうぶんであった。みんなは親方に賛成して巡査を嘲弄した。とりわけジョリクールがかげでしかめっ面をするのをおもしろがっていた。このさるは『権力が代表せられる令名高き閣下』の真後ろに座をかまえてこっけいなしかめっ面をして見せていた。巡査は両うでを組んで、それからまた放して、げんこつをこしに当てて、頭を後ろに反らせていた。そのとおりをさるはやっていた。見物人らはおかしがって、きゃっきゃっと言っでいた。 巡査はそのときふとなにをおもしろがっているのか見ようとして後ろをふり向いた。するとしばらくのあいださると人間とはたがいににらみ合わなければならなくなった。どちらが先に目をふせるか問題であった。 群衆はおもしろがって金切り声を上げていた。 「きさまの飼い犬があすも口輪をしていなかったらすぐきさまを拘引する。それだけを言いわたしておく」 「さようなら閣下。ごきげんよろしゅう。いずれ明日」と親方は言って頭を下げた。 巡査が大またに出て行くと、親方はこしをほとんど地べたにつくほどに曲げて、からかい面に敬礼していた。そして芝居は続けて演ぜられた。 わたしは親方が犬の口輪を買うかと思っていたけれども、かれはまるでそんな様子はなかった。その晩は巡査とけんかをしたことについては一言の話もなしに過ぎた。 わたしはとうとうがまんがしきれなくなって、こちらからきりだした。 「あしたもしカピが芝居の最中に、口輪を食い切るようなことがあるといけませんから、まえからそれをはめておいて慣らしてやらないでもいいでしょうか。わたしたちはカピによくはめているように教えこむことができるでしょう」 「おまえはあれらの小さな鼻の上にそんな物をのせたいとわたしが思っているというのか」 「でも巡査がやかましく言いますから」 「おまえはんのいなかの子どもだな。百姓らしくおまえは巡査をこわがっているのか。心配するなよ。わたしはあしたうまい具合に取り計らって、巡査がわたしをつかまえることのできないようにするし、そのうえ犬がふゆかいな目に会わないようにしてやるつもりだ。それに見物も少しはうれしがるだろう。この巡査はおかげでわたしたちによけいな金もうけをさせてくれることになるだろう。おまけにあいつは、わたしがあいつのためにしくんでおいた芝居で道化役を演じることになるだろう。さてあしたは、おまえはあそこへジョリクールだけを連れて行くのだ。おまえはなわ張りをして、ハーブで二、三回ひくのだ。やがておおぜい見物が集まって来れば、巡査めさっそくやって来るだろう。そこへわたしは犬を連れて現れることにする。それから茶番が始まるのだ」 わたしはそのあくる日一人で行きたいことは少しもなかったけれども、親方の言うことには服従しなければならないと思った。 さてわたしはいつもの場所へ出かけて、囲いのなわを回してしまうと、さっそく曲をひき始めた。見物はぞろぞろほうぼうから集まって来て、なわ張りの外に群がった。 このごろではわたしもハープをひくことを覚えたし、なかなかじょうずに歌も歌った。とりわけわたしはナポリ小唄を覚えて、それがいつも大かっさいを博した。けれどもきょうだけは見物がわたしの歌をほめるために来たのでないことはわかっていた。 きのう巡査との争論を見物した人たちは残らず出て来たし、おまけに友だちまで引っ張って来た。いったいツールーズの土地でも巡査はきらわれ者になっていた。それで公衆はあのイタリア人のじいさんがどんなふうにやるか。「閣下、いずれ明日」と言った捨てぜりふの意味がなんであったか、それを知りたがっていたのである。 それで見物の中には、わたしがジョリクールと二人だけなのを見て、わたしの歌っている最中口を入れて、イタリアのじいさんは来るのかと言ってたずねる者もあった。 わたしはうなずいた。 親方は来ないで、先に巡査がやって来た。ジョリクールがまっ先にかれを見つけた。 かれはさっそくげんこつをこしの上に当てて、こっけいないばりくさった様子で、大またに歩き回った。群衆はかれの道化芝居をおかしがって手をたたいた。 巡査はこわい目つきをしてわたしをにらみつけた。 いったいこの結末はどうなるだろう。わたしは少し心配になってきた。ヴィタリス親方がいてくれれば、巡査に答えることもできよう。巡査がわたしに立ちのけと命令したら、わたしはなんと言えばいいのだ。 巡査はなわ張りの外を行ったり来たりしていた。それもわたしのそばを通るときには、なんだか肩ごしにわたしをにらみつけるようにした。それでいよいよわたしは気が気でなかった。 ジョリクールは事件の重大なことを理解しなかった。そこでおもしろ半分なわ張りの中で巡査とならんで歩きながら、その一挙一動を身ぶりおかしくまねていた。おまけにわたしのそばを通るときには、やはり巡査のするように首を曲げて、肩ごしににらみつけた。その様子がいかにもこっけいなので、見物はなおのことどっと笑った。 わたしはあんまりやりすぎると思ったから、ジョリクールを呼び寄せた。けれどもかれはとても言うことを聞くどころではなかった。わたしがつかまえようとすると、ちょろちょろにげ出して、す早く身をかわしては、相変わらずとことこ歩いていた。 どうしてそんなことになったかわからなかったが、たぶん巡査はあんまり腹を立てて気がちがったのであろう。なんでもわたしがさるをけしかけているように思ったとみえて、いきなりなわ張りの中へとびこんで来た。 と思うまにかれはとびかかって来て、ただ一打ちでわたしを地べたの上にたたきたおした。 わたしが目を開いて起き上がろうとすると、ヴィタリス老人はどこからとび出して来たものか、もうそこに立っていた。かれはちょうど巡査のうでをおさえたところであった。 「わたしはあなたがその子どもを打つことを止めます。なんというひきょうなまねをなさるのです」とかれはさけんだ。 しばらくのあいだ二人の人間はにらみ合って立っていた。 巡査はおこってむらさき色になっていた。 親方はどうどうとした様子であった、かれは例の美しいしらが頭をまっすぐに上げて、その顔には憤慨と威圧の表情がうかべていた。その顔つきを見ただけで巡査を地の下にもぐりこませるにはじゅうぶんであった。 けれどもかれはどうして、そんなことはしなかった。かれは両うでを広げて親方ののど首をつかまえて、乱暴に前へおし出した。 ヴィタリス親方はよろよろとしてたおれかけたが、す早く立ち直って、平手で巡査のうで首を打った。 親方はがんじょうな人ではあったが、なんといっても老人であった。巡査のほうは年も若いし、もっとがんじょうであった。このけんかがどうなるか、長くは取っ組めまいと、わたしははらはらしていた。 けれども取っ組むまでにはならなかった。 「あなたはどうしようというのです」 「わたしといっしょに来い」と巡査は言った。「拘引するのだ」 「なぜあの子を打ったのです」と親方は質問した。 「よけいなことを言うな。ついて来い」 親方は返事をしないで、わたしのほうをふり向いた。 「宿屋へ帰っておいで」とかれは言った。「犬といっしょに待っておいで。あとで口上で言って寄こすから(ことずてをするから)」 かれはそのうえもうなにも言う機会がなかった。巡査はかれを引きずって行った。 こんなふうにして、親方が余興にしくんだ狂言はあっけなく結末がついた。 犬たちは初め主人のあとについて行こうとしたけれども、わたしが呼び返すと、服従に慣らされているので、かれらはわたしのほうへもどって来た。気をつけてみるとかれらは口輪をはめていた。けれどもそれはふつうの金あみや金輪ではなくって、ただ細い絹糸を二、三本、鼻の回りに結びつけて、あごの下にふさを垂らしてあった。白いカピは赤い糸を結んでいた。黒いゼルビノは白い糸を結んでいた。そうしてねずみ色のドルスは水色の糸を結んでいた。気のどくな親方はこんなふうにして、いかめしい権力の命令を逆に喜劇の種に利用しようとしていたのである。 群衆はさっそく散ってしまった。二、三人ひま人が残っていまの事件を論じ合っていた。 「あのじいさんがもっともだよ」 「いや、あの男がまちがっている」 「なんだって巡査は子どもを打ったのだ。子どもはなにもしやしなかった。ひと言だって口をききはしなかった」 「とんだ災難さ。巡査に反抗したことを証明すれば、あのじいさんは刑務所へやられるだろう、きっと」 わたしはがっかりして宿屋へ帰った。 わたしはこのころでは毎日だんだんと親方が好きになっていた。わたしたちは朝から晩までいっしょにくらしてきた。どうかすると夜から朝までも同じわらのねどこにねむっていた。どんな父親だって、かれがわたしに見せたような行き届いた注意をその子どもに見せることはできなかった。かれはわたしに字を読むことも、計算することも教えてくれたし、歌を歌うことも教えてくれた。長い流浪の旅のあいだに、かれはこのことあのことといろいろにしこんでくれた。たいへん寒い日には、毛布を半分わけてくれたし、暑い日にはいつもわたしの代わりに荷物をかついでくれた。それから食事のときでもかれはけっして、自分がいい所を食べて悪い所をわたしにくれるというようなことはしなかった。それどころか、かれはいい所も悪い所も同じように分けてくれた。なるほどときどきはわたしがいやなほど、ひどく乱暴に耳を引っ張ることもあったけれど、わたしに過失があれば、それもしかたがなかった。一言で言えばわたしはかれを愛していたし、かれはわたしを愛していた。 だからこの別れはわたしにはなによりつらいことであった。 いつまたいっしょになれるだろうか。 いったいどのくらい牢屋へ入れておくつもりなのだろう。 そのあいだわたしはどうしたらいいだろう。どうして生きてゆこう。 ヴィタリス親方はいつもからだに金をつけている習慣であった。それが引っ張られて行くときになにもわたしに置いて行くひまがなかった。 わたしはかくしに五、六スーしか持っていなかった。それだけでジョリクールと犬とわたしの食べるだけの物が買えようか。 わたしはそれから二日のあいだ、宿屋から外へ出る気にもならずに、ぼんやりくらしてしまった。さるも犬もやはりすっかりしょげきっていた。 やっとのことで三日目に一人の男が親方の手紙を届けて来た。その手紙によると、親方はこのつぎの土曜日に、警察権に反抗し、かつ巡査に手向かいをした科で裁判を受けるはずになっていた。 「わたしがかんしゃくを起こしたのは悪かった」と手紙に書いてあった。「とんだ災難を招いたがいまさらいたしかたもない。裁判所へ来てごらん、教訓になることがあるであろう」 こういって、それからなお二、三の注意を書きそえて、自分に代わって犬やさるたちをかわいがってくれるようにと書いてあった。 わたしが手紙を読んでいるあいだ、カピがわたしの両足の間にはいって、鼻を手紙にこすりつけて、くんくんやっていた。かれが尾をふる具合で、わたしはかれがこの手紙が主人から来たことを知っていると思った。この三日のあいだにかれが少しでもうれしそうな様子を見せたのはこれが初めてであった。 わたしは土曜日の朝早く裁判所に行って、いの一番に傍聴席にはいった。巡査とのけんかを目撃した人たちの多くがやはり来ていた。わたしは裁判所に出るのがなんだかこわかったので、大きなストーブのかげにはいってかべにくっついて、できるだけ小さくからだをちぢめていた。 どろぼうをして拘引された男や、けんかをしてつかまった男が初めに裁判を受けた。弁護人は無罪を言い張っていたけれど、それはみんな有罪を宣告された。 いちばんおしまいに親方が引き出された。かれは二人の憲兵の間にはさまってこしかけにかけていた。 はじめにかれがなにを言ったか、人びとがかれになにをたずねたか、わたしはひじょうに興奮しきっていたのでよくわからなかった。 わたしはただじっと親方を見ていた。 かれはしらが頭を後ろに反らせて、まっすぐに立っていた。かれははじて苦んでいるように見えた。裁判官は尋問を始めた。 「おまえは、おまえを拘引しようとした警官を何回も打ったことを承認するか」と、裁判官は言った。 「何回も打ちはいたしません、閣下」と親方は言った。「わたしはただ一度手を上げました。わたくしはいつもの演芸をいたしまする場所にまいりますと、ちょうど警官がわたくしの連れています子どもを地の上に打ちたおすところを見たのでございます」 「その子はおまえの子ではないだろう」 「はい、しかしわたくしの実子同様にかわいがっております。それで警官がかれを打ちますところを見て、わたしはかっととりのぼせまして、警官が打とうとする手をおさえました」 「おまえは警官を打ったろう」 「警官がわたくしに向かって手をあげましたから、わたくしはもはや警官としてではない、通常の人としてこれに向かってのであります。まったくいかりに乗じた結果であります」 「おまえぐらいの年輩でいかりに乗ずるということはないはずだ」 「そうです。そういうはずはないのですが、人はおうおう不幸にして過失におちいりやすいのです」 巡査はそれから自分の言い分を申し立てた。それは打たれたことよりも、より多く自分が嘲弄(あざける)された事実についてであった。 親方の目はそのあいだ部屋の中を探すようであった。それはわたしがいるかどうか探しているのだということがわかっていたから、わたしは思い切ってかくれ場所からとび出して、おおぜいの中をおし分けながら、前へ出て、いちばん前の列の、かれの席に近い所へ出た。かれのさびしい顔はわたしを見るとかがやきだした。わたしの目にもなみだがあふれ出した。 まもなく裁判は決まった。かれは二か月の禁固と、百フランの罰金に処せられることになった。 ああ、二か月の禁固。 ドアは開かれた。なみだにぬれた目の中からわたしは、かれが憲兵のあとからついて行くのを見た。ドアはその後ろからばたんと閉ざされた。ああ、二か月の別れ。 どこへわたしは行こう。
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